■銅大の読書万歳(32) 作品名:『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』 著者名:A.A.ミルン 出版社:岩波書店 ISBN:4−00−114008−X :4−00−114009−8 ここに一冊の本がある。 ぼろぼろの本だ。表紙はなくなり、綴じははずれ、紙は黄ばんであちこち破 れている。 何しろ、30年以上も昔の本だ。 本のタイトルは『クマのプーさん プー横丁にたった家』。 私にとって、最初の本だ。 この本は、語り手が息子であるクリストファー・ロビンに、お話を聞かせて あげるという型式で書かれている。クリストファー・ロビンのお気に入りであ るぬいぐるみのくまのプーさんが“本当に”存在する森を、その仲間たちを、 彼らの暮らしの中で発生したちょっとした事件を、語り手である父親はおっと りとした独特の口調で優しく話しかけてくれる。 ようするに、この物語は元々は子供に“読んで聞かせる”お話なのである。 そして私は30数年前。まだひらがなもロクに読めない時分から、母にこの 物語を読んでもらって育った。母は、私と妹にこの物語を聞かせる時に、一部 だけ修正を加えた。 この物語の中では、クリストファー・ロビンもまた、プーの住む森に友人と して登場するのだが、文中で『クリストファー・ロビン』とある部分を、私と 妹の名前に置き換えて読んだのだ。 だから私と妹は何の不思議も感じることなく、プーと一緒に不思議な森で暮 らした。ちょっと臆病なコブタとも仲良しだったし、気むずかしいイーヨーに も愛情を感じていた。ウサギも、その親戚一同も、ルーも、トラーも、私と妹 の友達だった。 プーがあれこれと引き起こす失敗の数々も「しかたないなぁ」と感じて手伝 ってやった。それは物語の中でそうしたのではなく、本当にそんな事件があっ て、それが物語になったのだと、私はそう信じていた。子供である私にとって、 現実と物語とは、それほどはっきりとした境界があるわけではなく、どちらも 『本当のこと』だったのだ。 やがて私は大きくなり、自分でこの本を読めるようになった。作品に登場す るのが私と妹ではなく、『クリストファー・ロビン』という別の人間であるこ とも知った。 だが、だからといって私にとってくまのプーさんが違う世界の住人、物語の 中の、虚構の住人になってしまったわけではない。 私の心の中の一部には、今でも自分と妹が大きな樹の中に住んでいる森があ って、そこにはくまのプーさんがいて、大勢の友達が住んでいるのだ。 さすがに、最近はいろいろと忙しくてそこに立ち寄る機会は少ない。 仕事もあるし、刺激にあふれた楽しい事でこの世の中はいっぱいだから。 それでも。 私が立ち寄る事がなくとも。 くまのプーさんとその仲間たちは、いつものように森の中でのんびりと暮ら しているに違いない。 それが分かっているだけで、私には十分なのだ。
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