■銅大の読書万歳(10) 作品名:『東大落城 安田講堂攻防七十二時間』 著者名:佐々淳行 出版社:文春文庫/株式会社文藝春秋 ISBN:4−16−756002−X 1960年代。昭和30年代から40年代。 日本には学生運動があった。 この学生運動がいったい何を目的としていたのか。 社会にとって、あるいは大学にとって学生運動とは何だったのか。 いろいろと見方はあると思うが、本書では 「分別をわきまえないガキどもがお祭り気分で大騒ぎをやらかしている」 という視点で描かれている。 そりゃそうだ。著者の佐々淳行さんは警視庁警備部の、いわゆる『鎮圧する側』 の人なのだから。 それゆえに。本書で書かれている内容をどこまで信用していいかについては、何 とも言えない。人間、意識して嘘をついてなくとも、書き方や情報を制御して読み 手の受ける印象を変えることなどいくらでもある。 だが、その点を踏まえておけば本書はなかなかに面白い作品である。 第一章:任命 まず出だしが良い。公安部の、それもちょっと前まで外地にいた筆者が学生運動 で荒れる警備部に着任する。当然、生え抜きの警備の連中は「いったい何様だ」て 感じで筆者に相対する。 当時、学生運動の鎮圧は直接どつきあいで処理していたが、これではいかに訓練 された警察の猛者といえど負傷する確率はかなり高い。そもそも、学生の側に遠慮 などないから人が大怪我をするような真似を平気でする。 そこで筆者は催涙弾を使うアウト・レインジ戦法や、わざと逃げるふりをして伏 兵を使って一網打尽にする俎戦法、薩摩が関ヶ原などでやってみせた捨伏(すてが まり)などを指揮して負傷者を減らし、検挙の効率をあげてしだいに人望を得てい く……点を間接的に書くからイヤミにならない。 第二章:出動 日大を始めとして、大学紛争に機動隊に出動命令がくだる。 ガス弾の大量使用に金や世論の点で実に官僚的に文句をつけてくる警察庁とのや りとりや、マスコミ用の電話回線の敷設指示など、ちょっとした裏話が面白い。 そして、いよいよ東大での戦いの始まりである。 第三章:包囲 東大内の拠点を包囲し、立てこもる学生との戦いの始まりである。 また、ここでは笑えるというか情けないというか、紛争で右往左往する大学教授 たちの姿が描かれている。 「……建造物侵入や不退去の犯罪構成要件を欠くことになるじゃないですか。先生 は法学部長でしょう」 「私の専門は古代法の研究でして、現代法はよく知りません」 その一方で、生徒たちに監禁されながらも 「安田講堂など東大封鎖解除のための機動隊要請に賛成。私の救出のための出動、 無用。只今、学生を教育中」 と連絡メモをよこした東大の林文学部長の行動がかっこいい。 第四章:突入 いよいよ突入である。 しかし、どう考えても「相手に火炎瓶や硫酸を投げる」という学生の行動は常識 を欠いているというか、想像力が欠けているというか…… 筆者は「八千五百名の機動隊員たちには、それぞれ八千五百の物語や、人間的な 悩みがあったにちがいない」 として、母親が危篤だが現場にとどまり、親の死に目にあえなかった機動隊員や 一緒に遊びたがる子供を置いて日曜休日もなく出動する機動隊員を紹介している。 そして、一方では東大の外の神田・お茶の水方面で過激派学生のゲバ闘争が…… 第五章:激闘 二正面作戦を強いられながら奮闘する機動隊。 一方の学生の方は「教育機関を崩壊させ、反動派がめざす戦争の道、すなわち日 米安保条約の改訂を粉砕すること」で、大学の本などを焚書しながら大騒ぎ。 さらに東大の教職員など野次馬が見物に訪れる。 そら、他人の喧嘩ほど面白いものはないわな。 第六章:落城 ほとんど攻城戦の様相を呈してくる安田講堂の攻防。 木枠にジュラルミンの盾をはりつけた屋根をとりつけ、学生が上から投げ降ろす 石や火炎瓶を防ぎながら突入するなど、まさに攻城兵器の利用である。 一方の学生側も都市ガスの栓を開いてガスを充満させるなど、すでに道理もへっ たくれもない。 火災が出て出動した消防隊が「うちは中立だから」などとお役所的な対応をした り、“学生死亡”のデマが出たり、八千五百人の機動隊員にどう給食するか悩んだ りと、現場は大騒ぎである。 そして、ついに安田講堂の落城。 だが、まだ紛争は続く。 第七章:終熄 神田学生街での騒ぎは、町中ということもあって、民間人も巻き込んで拡大して いく。 機動隊も連戦で消耗し、補給物資(ガス弾など)も底をつき満身創痍。 しかし、やがて『祭り』は終わる。 実際、学生にとって学生運動など『祭り』でしかなかったのだろう。 警視総監が、昭和天皇に参内して顛末を語ったとき、こうお答えがあったと筆者 は書く。 「双方に死者は出たか?」 ない、と答えるとたいへん喜び 「ああ、それはなによりであった」と。 機動隊と学生のやりとりを、まるで自分の子供たちの喧嘩のように見ておられた のだろう。 なんとも昭和天皇らしい、お言葉である。
HomePageに戻る