V:tMプレイレポート #3

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    1.5 もうひとつの過去

    署名なき画家


     あの肖像画には、私の名を入れたのです。
     あの肖像画が、私の……最後の作品になったのです。
     画の題は「黒い聖女」。描かれているのはこの世ならぬ気品と美しさ、気高いまでの残酷さをまとった黒衣の婦人。
    そのひとは……こう私に告げたのです。
    今まで貴方の絵をずっと見てきました。とても、気に入りました。だから、貴方を試させて下さい。妾の肖像画を描いて下さい。それを妾が気に入ったら、貴方には心ゆくまで描かせてさしあげたいと思っておりますの。
     そのひとが訪れるのはいつも薄暮がその闇の気配を増し始める頃。薄雲のような黒衣をまとって、そのひとは私の前に座ったのです。蝋燭の明かりと月光だけがそのひとの肌に濃い陰影を落とす中で、私は絵筆を走らせました。一度でいい、陽の光の中でモデルの姿を見たいと告げると、そのひとは冷たく笑ってこういったのです。
    この明かりの中では妾を描けないというのであれば、貴方は妾の出した課題には応えられなかったことになりますわ。
     私はようやく画家として名が売れ始めた頃でした。
     その私の絵を幾枚か、法外とも思える値段で買い取ったあと、そのひとは私に告げたのです。
    妾の出した課題に応えられれば貴方はこの先、何不自由なく思いのままに絵を描くことができる、その絵が画壇に喜ばれるかどうかなどの瑣末事に囚われることなく描き続けることができるのです、と。
     得がたいパトロン、そう思いました。
     私を気に入って、この先保護してくれるというのなら、たった一度か二度の気まぐれな「課題」に応え損なうのは愚かなこと。例えこのひとの次の気まぐれが、私を保護下から放り出すことだったにしても、その頃には私は庇護なしにもやっていけるだけの力を得ていようから。

     私は一ヶ月かけて、絵を完成させました。
     させたと思ったのです。
     完成させたはずの絵を見て、私は思わず手にもった絵筆を取り落としました。
     絵の中のそのひとの笑みは美しかったが残忍だった。そのひとのまなざしは美しかったが邪悪だった。祈りのかたちに組み合わせた指は美しかったが……何かこの世ならぬものを思わせた。失敗でした。失敗どころの話ではない。私は、私の絵筆はいったい何を描いたのだ。そんなものをそのひとに見せるわけにはいかない。この絵は焼き捨てよう。そう思ったのです。

     けれど。
     あのとき、どうしてそのひとが私の隣に立ち、私の手を押しとどめることができたのか、今の私ならば理解します。けれどあのときは、取り乱す私の傍に、悪夢のように黒衣の依頼者は現れ、笑いを含んだ声で告げたのです。
     気に入りました。思った以上に気に入りました。そう、これが妾です。よくぞ……描きました。約束どおり、貴方を迎えましょう。妾たちの……仮面舞踏会の中に。
     
    以来、私は神の祝福を失いし者として200年の歳月をこの世に在るのです。
     描き続けること。これが私の魂をこの世につなぎとめているのです。人の血を唯一の糧とするようになってから、ものを見、感じ、感覚を研ぎ澄ます能力は年ごとに強くなりました。私の絵は進歩したでしょう。いっそうの真実を画布の上にとどめるようになったのでしょう。しかし、画布の上にしたためた私の魂はいずれ抜け落ちていくような気がしてならないのです。
     なぜなら私の作品には署名が入らないのだから。
     私の魂を画布に止めつけるための最後の鍵を、私は回していないのだから。
    ルネ・ド・ブルーローズは200年の昔に姿をくらまし、以来作品を発表することはなかった、ことに、なっています。例えそうでなかったとしても、署名を入れれば作者の不自然な存在が世に知れ、そして私は化け物として滅ぼされてしまうでしょう。偽名を使う仲間もいますが、私はそれを是とはしません。私はルネ・ド・ブルーローズで、それ以外のものではありえないからです。そして闇を生きるものの中だけで作品を発表するなら署名もできましょうが、それはくだらないことです。彼らは永久の時間を永久の無駄口で潰しているだけですから。彼らの魂は凍りつき、冷え切った評論を繰り返すに過ぎないのですから。私は……私にはわかるのです。私の魂はまだ冷え切ってはいない。絵への情熱が導いた闇の生なら、この闇を生きるための一条の光も等しく絵への情熱に違いない。魂が冷え切れば、私も滅ぶでしょう。
    私は、永遠の時を生きる。
    私は、血をすすって命をつなぐ。
    けれど、この絵筆によって、私は人間なのです。
    だからこそ、署名ができないのです。
    人間は人間の常識によって裁かれる。裁かれないためには証拠を残しては……ならない。

    「まだ、こんな絵には署名はできない。僕はほんの若造だしね、恥ずかしいよ」
    笑いながら繰り返す、画商への言葉。
    そのたびに、もう打ってはいない心臓が、ずきりと疼くのです。

    だが、私は人間だ。人間でないとしても、少なくとも画家には違いない。だとすれば、私は幸福です。永遠に描くことを許されたのだから。だから私はこの幸福を享受します。地の表を放浪し、描きつづけます。

    描き、続ける。
    でなければ、私は魂ごと滅ぶのです。
    署名のできない不幸、永遠の幸福。……考えるのはとうの昔にやめました。

    描き続ける。
    私にできるのは、それだけなのですから。

    ルネ・ド・ブルーローズ 第12世代トレアドール
     現時点のプレイからするに、数値よりもかなり人間性(と、プライドも)が高そうな「永遠の放浪画家」。画題を求め、年中キャンピングカーで移動している。本拠地はパリらしいが、あまりひとところに長居をすると年を取らないのがバレるので、最近ミュンヘン近郊に移ってきた。高レベルの「先覚」持ちで、ヴァンパイア社会では探偵業のような仕事を頼まれることも多い。が、本人の意識としてはあくまで本業は画家なのである。その一方で、狩猟団体に所属し、ライフルを所持するという一面も。ただ、彼のライフルが火を噴くようになる事態って……ポーの一族路線からは外れてそうだよなぁ。
    プレイヤー:神無月まこと



    2 黄昏の客人


     それでは、客人を待ちましょうかな。
     そうヴァラーシュタインが呟いたとき、彼のポケットの中で電話が鋭い音で鳴り出した。
     「やれやれ、公子様からだ」
     しばらく低声で話していたが、やがて老人は顔を上げた。
     「公子様は事態を重く見られたようだ。勘のよい「芸術家」をこちらに寄越されるということです。客人にお会いできないのは残念だが、私は援軍を迎えに行かねばなりませんので、ここで失礼させていただくとしましょう」
     その上、寄宿舎の客用寝室をもうひとつ使わせていただくだけの口実もこしらえねばなりませんしな。なんとも厄介なことだ。
     ひとりごとのように付け加えながら、もう一度電話を取り上げる。しばらくすると運転手が戸口に現れ、一同に無言で一礼するとヴァラーシュタインの車椅子を押して出て行った。グールであるとしてもよく躾の行き届いた態度であった。英国人の血でも引いているのかな、とボロシノヴィッチが冗談めかして云った。

     それから待つこと半時間ほど。娘達は待つのに飽きたのか、それとも客人を迎える支度のつもりか、夕刻のお茶の準備に余念がない。食っても何の足しにもならんものを、とボロシノヴィッチがぶつくさ云うと、人間の振りをするには人間の習慣に従いつづけることが重要なのですものとレダが鼻の頭に皺を寄せて言い返した。
     そのやりとりに肩をすくめたところで赤狼は、なにやら窓の下に妙な気配を感じた。見下ろすと、小柄な少年がせっせと壁をよじ登っているところである。せっかくなので窓の鍵だけあけてやり、あとはそ知らぬ振りをすることにした。それが粋というものだろう。
     少年は最後の最後で手を滑らせたようで、派手な音と一緒に部屋の中に転がり込んで来た。
     「あら、珍しい。やっと窓からのお客様だわ」
     アルラが嬉しそうに云った。それから、駆け寄って少年の手を取り、助け起こす。
     「ようこそ」
     「なんだ、ちっとも驚かないんだな」
     少年は不満らしく云い、それから部屋の中を見回して、もっと不満そうな顔になった。どうも二人の「野郎」が部屋の中にいるのは著しい無粋であると判断したようだった。
     「なんだよ、おじさんたち。僕は姉ちゃんたちのところにお客に来たんだぜ。野郎なんかと話したかないね」
     「そりゃ好きにするんだな。君は我々に話す必要はない」
     「わかってないな、出てけ、って云ってるんだぜ、僕」
     「さて、ここは誰の部屋のつもりかな。俺達はここにいる。あとはあんたの勝手だよ」
     ボロシノヴィッチと赤狼が二人揃って凶悪な笑みを浮かべる前に、レダがすいと立ち上がって少年をテーブルの前の椅子に押し込んだ。怯えさせても仕方がない。
     「クルト・ホフマン君ね。ようこそ。伝統的な方法でのお訪ね、歓迎いたしますわ。お茶をいかが?焼き菓子はお好きかしら?」
     甘い声の後ろ側で、この化け猫娘が、と赤狼が呟き、どうやらアルラに足を蹴飛ばされたらしい。
     クルトは遠慮なく皿に手を伸ばしながら、レダとアルラの顔を交互に見た。
     「で、用って何?」
     こまっしゃくれた口調だが、愛らしくて憎めない。ドアと窓の前にそれぞれ頑張っている二人の「野郎ども」の意見はともかく、娘達にはそのように思われた。
     「あなた、この学校では幽霊探しばっかりしてるって、ずいぶん有名だそうね。それで、よかったらその話を聞かせていただきたいと思って」
     特上の笑みを浮かべてレダが云う。
     「ほら、今度の聖マルティン祭があるでしょう、そのときの公演の演出をどうしようかと思って。せっかくならこの学校の言い伝えとか、そういうものを題材にさせていただきたいの」
     「ふうん、それじゃ相応のもの、貰わないとなぁ」
     少年はおよそセリフには不似合いな邪気のない笑みを浮かべて、そしてセリフの意味を裏付けるように片手を突き出した。
     「僕、通学生でさ、アルバイトもできないし仕送りも余裕があるわけじゃないし、何かと小遣い、困ってるんだよねえ。だからさ」
     レダはため息をついた。
     「……ここで装身具のひとつも外して渡したら絵的には綺麗なんでしょうけどね」
     そしてドレスの襞の間から20マルク札を一枚引っ張り出すと、突き出された手のひらに載せた。
     「しかたないわね。まぁ、坊やがそのつもりならそれで構わないわ。ビジネスライクに行きましょ。いいわね?」
     声のトーンが半オクターブばかり下がり、楚々とした令嬢があっという間に芸能界にいいかげんすれた娘に早変わりする。レダはドレスの裾をぐいとたくし上げると、長椅子に身体を預け、足を組んだ。
     「まあでも、訊きたいことと訊きたい理由ってのは変わらないわよ。この学校、いったい何がいるの?何かはいるのよね。頻発する謎の貧血事件に生徒の首筋の傷跡。あたしとおんなじにヴァンパイアってとこかしら。別にそうじゃなくてもいいけど。で、坊やが探してるのはなんなのよ?」
     「幽霊、だね。それがいるのは確かだよ」
     「見たの?」
     アルラが目を輝かせてクルトの隣に座り込む。
     「いや、見ないよ。見えないから幽霊だろ。でも確かに居るんだ。例えばさ、体育館の大鏡。部活動も全部済んじゃって誰も居ない体育館に行った時さ、何の気なしに鏡を覗くと誰かが僕に触る。でも……」
     「鏡の中には誰もいなかった?」
     「そうだよ、何でわかるんだよ」
     「幽霊ってそういうものでしょ。それ、有名なの?」
     さあね、とクルトは首をかしげると焼き菓子をもうひとつ手にとって続けた。
     「どっちにしろこの学校はなんかあるね。そこらへん中に抜け穴だらけだしさ」
     ふむ、と男二人が仔細らしく頷きあった。
     「それ、なあに?秘密の廊下?」
     「廊下じゃないな。僕がやっと通れるくらいだもの。新校舎のはもっと小さい。最下級生の一番ほそっこい子でもないと立って通るのは無理って感じだ」
     「入ったこと、あるの?」
     「そうだよ、もちろん」
     アルラに得意げな顔を向けたクルトの後ろから、レダが人の悪い笑いを含んだ声で云った。
     「授業に間に合いそうもないときには便利だったとか、そういうんじゃないの?」
     黙りこんだところを見るとどうも図星らしかった。
     「だけどまぁ、それだけあっちこっちに首を突っ込んで回って、よく叱られないものね。窓からご入来なんて坊やだけだったわよ」
     「そりゃ、僕はうまくやってるからね。実害のあることを仕出かしたら懲罰室送りだけど、この程度のことなら大目に見てもらえるってわけ」
     あらまぁ、とでもいいたげにレダはボロシノヴィッチの方に視線を投げた。穏やかじゃないこと、懲罰室ですって。
     クルトの云うには、殴り合いだの盗みだのをやらかした生徒は一晩「懲罰室」とやらに閉じ込められ、教師の説教を食らうらしかった。そのうえ、札付きの悪童でも5回も懲罰室送りになれば、すっかり毒気を抜かれてしまうのだとか……
     「ついでにさっき姉ちゃんが云ってた『貧血を起こしてぶっ倒れる連中』だけどさ」
     クルトは続けた。
     「懲罰室ったって鍵がかかるわけじゃないし、教師だって一晩はりついてるわけじゃない。逃げようと思えば逃げられるんだ。だけど、そうやって部屋から逃げてった連中が、貧血起こして外で延びてたりするのが朝になってみつかるっての、よくあるんだよね」
     「……よくあるの?」
     「うん。食事抜きでうろついているせいじゃないかな〜って思うんだけどさ。あれ?そういうのって普通じゃないの?」
     普通であるわけがなかった。
    「ふうん。じゃあそれも幽霊話じみてるのかもしれないな。……ま、僕が教えられるのはそれくらいかなぁ」
     結局クルトはそれ以上のことは本当に知らないか……それとも(赤狼に言わせれば)話す気がないらしかった。少年は焼き菓子の包みをと一緒に廊下に送り出され、家まで送っていくと云ったボロシノヴィッチの申し出をとことん迷惑そうに断って寄宿舎を後にした。急ぎ足で立ち去る少年は、扉を開けてくれた男の一人がいつのまにか姿を消し、そして自分の後ろをちょろちょろとネズミがついてきているのにはとんと気付いた様子はなかった。
     「懲罰室」の一語で、ボロシノヴィッチ氏はずいぶんいやなものを想像した模様。だいたい「ものわかりが良くなっていく生徒」などという構図自体、彼のトラウマをつっつくには充分だったらしい。曰く、「懲罰室での教育!いや懐かしい。全く以って懐かしい。なに、ものわかりがいいというのはいいことだ。ものわかりが良くなれるというのも素晴らしいことだ。大体においてものわかりの悪い奴というのは、運が良ければ西で、運が悪ければ東で、もっと運が悪ければ上で文句の続きを云うことになったからなぁ……」。西はヨーロッパへの亡命、東はシベリア送り、上というのはどうも天国らしい。しかし共産党は宗教を認めていないので、正確には単に「下」かもしれず、そしてヴァラーシュタイン氏(のプレイヤー)によれば、文句を言った結果行く場所としては「当人はいずこともなく消え失せ、名前だけが壁の表に」というのもあって、それは大変名誉なことなのだそうな……

     ヴァラーシュタインが部屋に入ると、公子は小さくうなずいて云った。
     「この男だ。一通りのことは話してある。あとは、適宜説明して行動してほしい」
     影のようにほっそりした長身の青年が公子の隣から一礼して寄越した。
     「ルネ・ド・ブルーローズです。画家を生業としておりますが、物事を見る目は確かですし、記憶力も良いほうです。……そのあたりでもお役に立てるかと思います」
     ぴったりと身に合った三つ揃いを着こなしているが、気取った感じはしない。一見して物静かで品のいい青年である。それどころか……闇の生を生きるものにしては、その視線は生真面目で、優しすぎるようにさえ思えた。
     「ああ、お初にお目にかかります。ローテローゼ・レコード……のことはもう公子さまから説明があったことと思いますが、そこの理事をしているヴァラーシュタインです。なにぶん今回は厄介な調べ物があれこれとありそうでしてな。お力には期待しております」
     「……ご期待に沿えれば嬉しく思います」
     控えめな口調である。ヴァラーシュタインは小さく肩を竦めた。これでやってこれたということは……それなりに凄腕なのだろうよ。
     「さて、早速本題に入りますかな。当初の目的通り公演さえ打てればいいのであれば何もお手を煩わすこともなかったわけですが、厄介ごとにまきこまれたらしいのですよ。事件が起きているのは由緒あるギムナジウムの中でしてな。で、これをどうにかするためには貴方にもギムナジウムの中に常駐していただかなければならんのですが……はて、どうしましょうかな。たしか画家でいらっしゃる……なら、新任の美術講師とでもいうことにして押し込みますかな」
     「……それは、無理でしょう」
     ルネはひっそりとした笑みを浮かべた。
     「美術室というのは極めて日当たりがよくできているのが普通です。かといって由緒あるギムナジウムに夜学の教師がいるわけにも行きますまい」
     「ふム、もっともだ。では……」
     「画家として雇って頂けませんか」
     おや、とヴァラーシュタインはルネの顔を見返した。この男、こんな声でも話すのか。
     「画家、と仰ると」
     「舞台美術。それとも……RED AS BLOODは新しいアルバムの製作途中ということでしたが、そちらのジャケットのアートワーク担当ではどうでしょう」
     「アートワーク……確か今回は制作費削減の為にジャケットにはレダ嬢の写真を使うことになっていたはずだが、ハテ、」
     ヴァラーシュタインは首を傾げると、お作は普段いかほどで売れていますかな、と云った。
     「大した値はつきません。仮面舞踏会の掟を守るために、私は作品に署名を入れませんので……いつまでたっても無名扱いです」
     「無名扱い。大した値はつかない。しかし、買い手はつくのですな。いや結構。むしろ素晴らしい。雇いましょう。舞台関係者というだけでは後から押し込み、常駐させておくには、実際、辛い。経費の分はなんとかしましょう。我々はツィミーシィではないのでこういった際は如何しようもないですからな」
     「……なんと仰いました」
     「背に腹は変えられぬと申したのですよ。悪鬼どもは簡単に背と腹を取りかえるようですが」
     ルネはくすくすと笑い、立ちあがった。
     「描かせていただけるのであれば充分です。舞台美術のほうもお手伝いしましょう。先ほども公子さまから伺ったのですが……最終的な目的は公演を無事かつ最大限に成功させることのようですから」
     ヴァラーシュタインはちらりと公子を見やった。どちらかというと公演の成功や厄介ごとの処理よりは、(公演とは無関係なはずのアルバムの)アートワーク担当に新たな画家を雇うことに関する経費の上乗せ分はどうしてくれるのかと云いたげだった。公子は視線が投げられたことすら意に介さない風だった。
     一瞬置いて、ヴァラーシュタインは口を切った。
     「公演が成功しましたら、ライヴレコードでも出しますかな」
     公子の唇の端がわずかに持ち上がったのを確認してから、ルネを伴って部屋を辞した。

     今回、ヴァラーシュタイン氏の守銭奴、もとい事業家パワーが炸裂してます。ええと、今後のことを考えるとですね、彼、本性とは云わないまでも外面を変更すべきではないでしょうか。新刊の「ガイド・トゥ・サバト」には確か「資本主義」なる性質が……

     「いきなり対価を要求したのには驚いたけれど、それなりに愛らしい子だったわね?」
     さらり、とドレスの裾を直しながらレダが云った。
     「ああ、人間、邪気がないのが一番だ。まぁ、無邪気に人殺しをするような奴がいても困るがな」
     ボロシノヴィッチの相槌に、アルラが首をかしげた。
     「……そうかな?あたしは、なんだかひっかかったよ。ローテンヴォルフさんもそうじゃないかな」
     「ひっかかった、というと?」
     「ジプシーの勘だけど。あの子、何か隠してる。それに、普通、『何でこの学校に来たの?』なんて訊くかしら。……まぁ、レダの答え方もすごかったけれど」
     レダときたら、首を竦めて「レコード会社の役員に訊いてちょうだい」と言い放ったものである。ヴァラーシュタインが聞いたら、そのような答え方は売上に響くと(笑っていない眼で)にこやかに諭したかもしれない。
     幸い、ヴァラーシュタインがルネと、それに不機嫌きわまりない顔をしたRED AS BLOODのマネージャー、それにバンドのメンバーを伴って部屋に入ってきたのは、アルラの言葉にレダが苦笑いをしてからたっぷり5分は経ってからのことだった。

     クルト少年の態度に関しての「知覚」チェック、アルラと赤狼の二人だけが成功したのです。アルラのは「ジプシーの勘」、赤狼のは「野生の勘」らしい。ボロシノヴィッチが成功していたら「共産党員として培った勘」ということになるんだろうなぁ。……そういや、今回は失敗してたけど、彼、この手の判定に関しては一人で達成目標値が低いのである。おそるべしWoD共産党。

     「あらマネージャー、おはようございます」
     そらとぼけた声で挨拶するレダを、マネージャー氏は苦虫を2ダースばかり噛み潰したような目つきで睨み、それから
     「お早いお目覚めで」
     と呟いた。マネージャーとしては、レダがヴァンパイアと名乗っていようがいまいが昼間仕事をしてくれても差し支えはあるまいと思っているようだった。……まぁ、このわがまま娘をメンバーに入れてからの売上の伸びを考えると、ある程度のことは目をつぶらないといけないはず、なのだが。
     「ああ、ご紹介しよう。こちらはルネ・ド・ブルーローズ氏。今回の公演に関してはバンド側の美術担当のチーフをお願いしてあります。それと、今回、ライヴレコードまで企画に入りましてな、そちらのアートワークも担当していただくことに」
     ヴァラーシュタインの言葉に、レダが歓声をあげる。
     「あら、そこまで?嬉しいわ。あ、せっかくだからジャケットにはアルラも一緒に描きこんでいただけるかしら?それで……」
     「フロイライン・シュトルム、話を勝手に進めないでいただきたいものですな。その話は先ほどこちらとマネージャーとで決めてあります。相談に加わりたいのならもう少し早く起きておいでなさい。ヴァンパイアといえども昼間仕事をしてはいけないという法はありませんからな。……さて」
     ヴァラーシュタインはぬけぬけとそんなことを云い、それからソファーに腰を下ろした。
     「話が大きくなった以上、この公演は決して赤が出てはならんのです。
     ……で、印象的な演出というやつが必要になってくるわけですが……」

    ***************************

     そもそも、この公演の口実となった聖マルティン祭というのは、もとローマの兵士であり、その篤実さと主の教えを広めるのに熱心だったことをもって、殉教せずして聖者に列せられた聖マルティンを称えるものである。彼の姿は馬に乗った兵士としてあらわされる。それがこの地において特に奉られるようになった経緯として、キリスト教以前にこの地に存在したヴォータン(オーディン)信仰からの移行ということがいわれている。つまり、六本足の神馬を御する嵐の神にしてヴァルハラの主神ヴォータンが、馬に乗った兵士にして主キリストの先駈けたる守護聖人にとってかわられたわけである。また、聖マルティン祭は、冬への備えを確かめる祭でもある。秋の終わりに、この一年の罪過を燃やし尽くし、長い冬を越すための、力強い、新しい火を炊く。そして、聖別された火をランタンにともし、教会へと向かうのである。
     
    ***************************

     「コンサートが終わったら、それと同時に学校からのランタン行列が出発だそうだ。まぁ、教会に向かう行列を俺らが先導するってのもナンだから、こっちは送り出す側でいこうってところまではさっき決めた。ほんとはこっちでも火を炊くと派手でよかったんだけどな、安全上の都合がどうとかで本火は使えないんだと」
     バンドリーダーのマックスが云った。
     「でも、炎のエフェクトならこちらのお嬢さんにその技術がある……そうだよね?」
     「ええ、いくらでも」
     アルラが答える。
     「炎……聖なる炎……神の恵み……神の先駈け……」
     ルネがゆっくりと呟きながら視線を宙にさまよわせている。
     「神の先駈け、か。しかし困ったな。俺らの曲を聴いた司祭様がいい顔するとはあんまり思えないぜ」
     大して困ってもいなさそうにマックスが苦笑いした瞬間、ルネが立ちあがった。
     「それですよ!背徳的であればあるほどいい。いいですか、およそ神とは相容れないようなステージを展開した後、聖なる炎が舞台に落ち、全てを燃やし尽くす。炎の収まったあとには白亜の天国の門、そして炎で全ての罪業を焼き尽くされ、罪の女であるヴァンパイアから無垢なものとして再生したレダ嬢が純白の衣装で迫り上がり、騎馬の聖マルティンに導かれて天国へ昇って行く。主を賛美する歌声が遠のくと共に明かりが次第に引き、何もなくなった舞台に残る無数のランタン、そしてそのままランタン行列に……」
     素敵、という声がひとつ。無茶だ、という声が複数。
     「素晴らしいアイデアだ。だが、それだけのセットを組むには金がかかります」
     ヴァラーシュタインが冷然と云った。どうにかならない、と目で問うレダに、アルラは小さく首を振る。白亜の門と聖マルティンの両方をほんとらしく見せるなんて無茶だわ。だいたいその前に舞台中に炎を落とさなきゃなんないでしょ。
     「書割なら山ほど描きますよ。こう見えても私は仕事の早さでは定評があるのです」
     言葉を継ぐルネに、もういちどきっぱりとヴァラーシュタインは首を振った。
     「書割もセットですぞ、ブルーローズさん」
     「……しかし」
     マックスが割って入った。
     「今の案、捨てがたいな。それなら思う存分暴れてもあとで辻褄が合うし……」
     「白亜の門をどうにかすればいんでしょ。べつにいいじゃない、そんなのなくたって。舞台を覆うだけの白い布があればいいのよ。楽器も何も全部隠してしまって、ただ真っ白の、清浄な世界、ってことで。最後はアカペラで歌うわ。アメリカ人じゃあるまいし、讃美歌にバスドラムでもないでしょ」
     「布代も馬鹿に……」
     「借りれば?撮影スタジオかどっかに伝手、ないのかしら?」
     ヴァラーシュタインはため息でもつくように一同を見まわし、それからうつむいて費用対効果を迅速かつ厳格に計算し、そして云った。
     「私の想像以上に金のかかる公演になりそうですな。想像に5倍する儲けの出る公演であってほしいと心から願いますよ」
     それから付け加えるように云った。
     「公演の題名は……『蕩児の帰還』、いや、『放蕩娘の帰還』ではどうでしょうな。うむ、娘だ。娘でなければならん。なにしろ放蕩娘という言葉は放蕩息子という言葉に比して3倍ほどの資産価値がありますからな」
     題名はともかく演出はどうやらその線でまとまり、一同は解散となった。後には衣装を何回取り替えるか、そのタイミングはどうしようかと嬉しげに相談を続ける娘達だけが残った。
     
     ルネ・ド・ブルーローズ、このあたりで「芸術家」としての面目躍如。やはりトレアドールの情熱はこうでないと。ちなみに、「仕事の早さに関する定評」は、もちろん彼の「瞬速」によるもの。


     寄宿舎の少年達と夕食を共にした後、レダとアルラ、ボロシノヴィッチ、そしてルネの四人は夜の校舎をひっそりと歩いていた。名目上はライヴレコードのジャケット用のラフスケッチのため、ということになっている。
     せっかくですから、夜の学校を描きたいのです。ええ、舞台がローテンフライト校だとあからさまにわかるような描き方はしません。そちらに迷惑もかかりましょうし……何より、彼らの作品の性格上、彼らは『どこにもない場所』を背景に描かれるべきですから。……他のメンバーさんたちも描きこんでもいいと思うのですけれどねえ、なにしろレコード会社の意向が、男性陣はまぁ、写真だけでよかろうということなので。女性二人と、一応警備員も連れ歩きます。
     ルネがそう云うとあっさり許可が下りた。たぶん、彼が本気でそう云っていたからだろう。
     少年のあとを追っていった赤狼はまだ帰ってこない。
     「何かあったらすぐ戻る、何もなければそのまま『狩り』に出るといっていたから……」
     そうボロシノヴィッチが云ったので、待たずに構内を歩くことにした。
     
     そういえば、妙なことがあります。
     歩きながらルネが切り出した。
     「この学校に来てから、どなたか校長に会われましたか?」
     どうも、校長は不在らしいのです。私がヴァラーシュタイン老と共に教頭に会いに行ったとき、なんの気なしに校長先生にもご挨拶したいのですが、と申し上げたら、所用があって外出している、と。それも、何かを隠すというよりは困惑しきった雰囲気でしたね。
     「……まったく、妙なところだらけの学校だな。さて、あれが懲罰室とやらか」
     夕食時のおしゃべりついでにアルラが場所を聞き出してきた『懲罰室』――実際にはただ『指導室』とだけドアに記されている――が、一行のとりあえずの目的地だった。
     ボロシノヴィッチが注意深くドアを開けた。
     どうということのない部屋だった。
     ベッドがひとつ。机がひとつ。椅子がふたつ。窓には申し訳のように格子がはまっている。
     「抜け穴は?」
     声を殺してアルラが云った。壁や床を調べていたボロシノヴィッチが顔を上げ、首を振る。
     「ここには、ない」
     その背後で、ルネが小さく、見つけた、といった。
     使い古しの鉛筆を手にしている。
     「何を?」
     「何かを記憶していそうな『物』を」
     鉛筆に指を滑らせながら、ルネは静かに云った。
     「君は……」
     「絵描きに鋭敏な感覚は必須ですから。……この鉛筆の記憶を読んでみます」
     指先で鉛筆の表面をゆっくりとなぞる。軽く目を閉じる。何かに耳を澄ますように。
    ……沈黙。
     ややあって、ルネはポケットから小さなスケッチブックを取り出し、猛烈な勢いでペンを走らせ始めた。
     「最後にこの鉛筆が触れられたのは2年前。触れたのは、この少年です」
     描かれていたのは目にどことなく険のある少年だった。
     「なにやら反省文でも書かされていたようですね。ドアに背を向けて座り、そしてひどく苛立っていました。そのとき、何か背後から近寄ってきたものに気付き、驚いて立ちあがろうとして……」
     「立ちあがろうとして、どうなった?」
     「それっきり、です。彼は驚いた弾みに鉛筆を放りだし、そのあとこれに触れることはなかったようです」
     ボロシノヴィッチは忌々しげに顔を顰めた。
     「……気に食わんな」
     あとはもう、記憶の糸も、秘密への抜け穴も何もこの部屋にはないのだった。

     ルネの「先覚」は現在「魂跡探査」つまりサイコメトリが可能なレベルに達しています。これはある物体が何か強い感情をもったものに触れられたときに、その感情が映りこんでしまったものを察知するというもの。机や椅子など、多くの人が触れ、しかも強い感情も弱い感情もごっちゃになっているようなものではノイズが強すぎてどうにもなりませんが、小さいものだと「感情の残影」のキャパシティがもともと小さいので、その「記憶を読む」ことにより過去にその物体に接触した「情景」とその感情を知ることが可能になります。で、人に質問するよりもモノの記憶を読み出すほうが確かに(情報としては遠回りではあるものの)安全で、となると誰もがあとで足のつく恐れのある「支配」を使うよりは……ということになってしまったのでした。

     何もないのなら、何か起きる前に。
     そう云って、娘達ふたりは屋上に向かった。夜毎の血の提供者であった遊び仲間や遊園地の客から離れているのでは、ここの生徒たちから血をわけていただくよりしょうがないもの、と笑う。大丈夫よ、昨夜はとてもうまく行ったの。
     生徒たちはすっかり寝静まった頃。だから、寄宿舎の隅々まで届くように、歌う、恋歌。あなたには一夜の甘い夢を。だからわたしには……
     アルラが引き裂くような悲鳴を上げ、レダの腕を引いた。
     屋上の隅に開いた排水溝から、黒い触手が伸びてきていた。
     「逃げ……!!」
     走る。足が、もつれる。アルラの手に触手が絡みつく。
     「アルラ!」
     ナイフを抜く。切りつける。もう一本、触手が伸びてくる。よけながらだから狙いが定まらない。アルラが引きずられ、悲鳴を上げた。
     横合いから何かが飛びこんできた。
     瞬間、視界がくるりとまわった。
     触手がざっくりと切れ、勢いあまってつんのめったのだ。ようやく振り向くと、長い鉤爪を生やした赤狼が、触手に巻きつかれ、屋上の外に放り出されるところだった。反射的にナイフを構えるレダの視界の端で、赤狼の姿が消え、ふわりと蝙蝠が宙に浮いた。触手は一瞬戸惑ったように揺れ、そしてみるみるうちに排水溝の中に消えていった。
     「ローテン、ヴォルフさん……」
     「おい、この学校は化け物屋敷か?」
     人間の姿に戻った赤狼は呆れたように云った。
     「夜回りの途中だったが、悲鳴が聞こえたので飛びこんでみりゃ、蛸足野郎とお嬢さんがたがとっくみあいときてる。その上、俺がここに来る途中、なにやらとんでもない勢いですっ飛んできやがるものもあったしな。……とっさに投げ飛ばしてきたが」
     「それは、私ですよ」
     赤狼の後ろで面目なさそうな声がした。ルネだった。
     「何だよ、あんたは」
     「仲間。
     ヴァラーシュタインさんが云っていた、『勘のいい芸術家』さん」
     顔をしかめて立ちあがりながらアルラが云った。
     「申し訳ありません。ちょうどお二人とも走り出されたところだったので、逃げ口をふさいではいけないととっさに階段を駆け下りてしまったのです。私は腕っ節のほうはからっきしですし……」
     赤狼はうさんくさそうにルネを見やると、小さく鼻を鳴らした。
     「まぁ、仕方あるまいな……自己紹介は部屋でするとしようか」

     というわけで今回初の戦闘シーン。今回はどうも相手も「脅し」だったらしいのでことなく済みましたが、このシステム、消耗戦に縺れ込むと血の総量が少ない側のほうが負けるっぽいです。とりあえず逃げ足重要。ルネは腕っ節がからっきしの替わりに銃の腕前はあるという設定だけれど、まさかここで銃声を響かせるわけにもいかず……

     赤狼の云うには、この学校はまったくの化け物屋敷だということだった。赤狼はクルト少年の後をつけ、校舎を一回りし、体育館、礼拝堂と見てまわったらしい。体育館には不審なところは何もなかったが、礼拝堂まで来ると少年の様子は明らかにおかしくなった。なにやら心神喪失の状態になり、そしてふらふらと出ていった、という。
     さらに少年をつけるか、礼拝堂を調べるか迷ったが、結局礼拝堂を調べることにした。どうも、礼拝堂の壁のそこここに奇妙な空間が隠されているらしいことはわかったが、出入り口らしきものは見当たらなかった。そこで、そのあたりに住んでいるねずみどもに声をかけてみると、この礼拝堂周辺の抜け穴はひどく入り組んで入りにくくなっており、それでも無理やり入っていった仲間の何匹かはそのまま帰って来なかった、との答えだった……。
     「その上でさっきの蛸足野郎だ。まったく、なんでこんなところで学校がやっていけるのか、そっちのほうがわからんよ」
     「その『蛸足野郎』ですが」
     ルネが言葉を継いだ。
     「どうも生徒たちを守っている様子なのです」
     「なんだと?」
     「お二方に襲い掛かりながら、あれははっきりこう思っていました。『生徒たちに手を出すな』と」
     一瞬、場を沈黙が支配した。
     「ふ、むぅ。……では、そろそろご老体の出番ではないかな。どうやら今回の厄介ごと、我々は手足、ご老体が頭を割り振られているようだから」
     ややあって、ボロシノヴィッチが口をひらいた。
     「そうね、そうしましょう。……声を送りましょうか?それともみんなで話したほうがいいかしら」
     答えるようにレダが云った。
     「全員が聞けて、話せたほうがよかろう。話しているうちに誰かが何か重要なことを思い出すかもしれん」

     どうも、今回『蛸足野郎』が出てきたのは、レダが『恋歌』を使用する際に「学校中に届くように歌う」などと宣言してしまったためらしい。『恋歌』を聞きつけた上でその魔力に囚われなかったか何とか影響を振り払ったかした触手の主は闖入者を黙らせるべく出てきたもよう。(←こうりゅ注:『恋歌』は『支配』ほどの影響力はありません。念のため)

     「……ほう、ついに物理的攻撃をうけましたか」
     ヴァラーシュタインがうかつにもこう云ったものだから、レダが癇癪を起こした。
     「ついに?わかっていて仰ってるの?アルラは酷い怪我をしたんですのに!!」
     「いや、私はですな、とうとう相手が姿をあらわしたかと……」
     「だったらそう仰いませ。とにかく、今度という今度は、報告ではなく、その目で見ていただきますわ。……よろしくて!?」
     声が跳ね上がるのを押さえて、ボロシノヴィッチがレダの手から受話器をむしりとった。
     「とにかく、です。我々は奴を引きずり出さねばならない。だから、明日もレダ嬢に屋上で歌ってもらい、奴が出てきたところを全員で取り押さえる」
     「……そう。そして屋上で押さえきれなかったら、昨晩、件の「闇の塊」が姿を消した視聴覚室、そこでも手がかりが得られなかったら、ローテンヴォルフ氏が調べたところによれば怪奇の中心点であるらしき礼拝堂、そこでも何も得られなければ、公子様のご意向がどうであろうと命には変えられぬ、尻尾を巻いて公演だけ打って帰る、と」
     「ですからそこにはヴァラーシュタインさん、貴方も立ち会っていただきますわ。今回は!」
     受話器の後ろでレダが苛々と声を上げる。
     「いや、それは吝かではないのだが。……それはそうと、今夜はもう何もしないのかな。その屋上の排水溝とやらの探索は」
     「せずばなるまいな。……とはいえ……」
     赤狼が少し言葉を濁した。
     「今夜の狩りは不調で。……あからさまに危険な場所に潜るには……」
     「血が足りぬか。よろしい、こちらから送ろう、いや……」
     答えたヴァラーシュタインの言葉尻が急速にしぼんだ。
     「……困った。血を送るとはいっても、手段が……」
     「いいかげんになさいませね!」
     レダがボロシノヴィッチの手から受話器をひったくった。
     「血ぐらい、わたくしが都合します。全員乗れる車を回していただければ結構よ!!」

     レダ嬢、いちおう十九世紀のいいお家の生まれなのでキレるとお嬢様言葉で喚く、らしい。だからといって行動もおとなしやかかというと全然そうじゃないわけで、自分の『餌場』を他人に開放するという荒業も平然とやってのける。しかも歌の魔力とのコンボで狩りを簡便化してしまうので、マスター側としては頭の痛いところ。
     ちなみに赤狼氏の今日の『現地調達』の成果は猫一匹であったため、かなり血が足りなくなっていたもよう。

     小洒落たクラブの戸を開けた瞬間、レダの顔からさっきまでの不機嫌は嘘のようにかききえた。
     「おや、いつもと取り巻きが違うね」
     「そ、今度のライヴのスタッフ。たまには違う面子で遊ぶのもいいかなと思って。……あ、この子、あたしの妹分。あたしと一緒でヴァンパイアだから噛みついちゃだめよ」
     「ヴァンパイアだから噛みついちゃだめって……そりゃ逆だろ」
     軽い調子で言葉と挨拶代わりのキスと笑顔を交わしながら奥へ進む。馴染みのピアニストが弾いている曲に合わせて、少し歌う。次、替わろうか?と誰かが尋ねる。あ、それじゃ久々に騒ごうかな、意味ありげな流し目で、笑う。
     ――並みの騒ぎじゃ、駄目よね。わたくしだけが血を吸えればいいわけじゃないし。
     鍵盤に指を滑らせる。唇から……毒を含んだ、蜜の声。
     
     誰かが袖を引いたので、そっと曲を終わらせた。振り向くと、餌食候補者ではなくアルラが青ざめた顔で立ち尽くしていた。
     「レダ……あの……」
     店内を見まわし、レダは選曲が不適切――少なくとも百数十年を13歳の少女として生きてきたアルラにとっては全く不適切であったことを一瞬で悟った。
     「ごめんなさい。……出ましょう。車の中で他の人達を待てばいいわ」
     店を出るときに、曲に酔ったらしいマスターと挨拶にしては念の入ったキスを交わし、少しばかり血を吸った。マスターまで酔わせるとは、確かにやりすぎたようだった。車に戻ると、ルネがとがめるような目で一瞬レダを見、そして視線を逸らせた。

     だから、レダの運転は行きも帰りも不機嫌に任せた乱暴なものとなった。

     ここでも『恋歌』を使用。いかにもゴシックメタル、といった背徳的な歌を歌うと宣言。6成功。……店内あっさりと背徳の宴状態。というわけで赤狼・ボロシノヴィッチのお二方はどさくさに紛れて食餌をし、しかし女性二人のほうはブラッドポイント決定の為に振ったダイスの目が腐りきっててこんなことに……。ルネ氏はこのような手段での吸血はプライドが許さなかったようでここでは食餌せず。確かに彼の信条には著しく反していそうです。そうはいってもレダとしても食餌の方法はこれが一番確実で安全かつ彼女の倫理規範(一応あるらしい)には触れないわけで。今後の二人の反目はどうなることやら。



     でも、あとでよくよく考えてみたら、何もあんなとんでもないものを歌わなくてもイタリアオペラのベタな歌詞だって充分適用できたはず……セッションを下品に落とさないためにはプレイヤーの音楽知識がまだまだ足りないみたいです。ふぅ。
     しかしゴシックメタルって楽曲自体はよくても訳詞だけ見るとなんであんなにアレかね。

     夜が明け、そして次の夕暮れ。
     目を覚ましたレダは、ドアの隙間に何やら白い封筒が押し込んであるのに気がついた。拾い上げると、中には紙切れがいちまい。
     ――今夜12時、礼拝堂にてお会いしたし。上級生E.S
     それだけである。
     眠りの深いアルラを起こすのは気が引けたので、隣室のボロシノヴィッチに声をかけて封筒を預け、外に出た。今日は聖マルティン祭のミサを執り行う司教様がその準備に来るので、挨拶をしておくようにとマネージャーにきつく云われていたのである。
     ミュンヘン市内の大聖堂に今度赴任してきたという司教は、声をかけたレダをひどく鋭い目つきでじろりと睨んだ。まぁ、たとえ本物でなかったとしても、ヴァンパイアに司教が甘い顔をしていては話になるまい。
     「……あ、あの。御ミサのあとで公演を打たせていただくRED AS BLOODの……バンドのヴォーカルをやっておりますの。たぶん……その、御ミサのあとすぐに公演と云うことになりますので……」
     「生徒さんたちが外に駆け出していくのを大目に見てほしいとか、ミサが長引かないようにしてほしいとか、そういうことですかな」
     「あ……いえ、でも、御ミサの終わる大体の時刻を教えていただければ」
     「四時前には終わらせますよ」
     「感謝いたしますわ。……それと」
     レダは次の言葉を口から押し出すのに、何故か躊躇した。
     「わたくし、ヴァンパイアということでバンドをやっておりますの。それで……公演も、ひょっとしたら司教様にはあまり愉快でないものになるかもしれませんわ。でも、最後にはきちんと……主の御許に許しを乞いに参りますので……」
     司教の視線の前では、なんだか言葉が曲がっていってしまう。
     「あ、あの、ですから……」
     「舞台の進行を止めてくれるなと、そういうことですな?」
     「はい」
     司教は微かに笑ったようだった。
     「わかりました。……しかし、わざわざヴァンパイアを名乗るという酔狂は感心しません。……あれは、悪いものです」
     一礼して、ほうほうの態で、逃げ出した。
     あとからマネージャーに訊くと、彼はパウル・クレンペラーといって、もともとはこのあたりの出身であったのがイタリアの神学校に学び、ヴァチカンで位階を受けて最近ここへ赴任してきた、大変に信仰篤い司祭様だということだった。 
     「来てすぐ君がここの礼拝堂で讃美歌を歌ってたのがよかったんだ。ここの助祭先生が君の歌を大変誉めててねえ。普段どんな歌を歌っていようと、いったん主の御前に出たときのあの娘さんの信仰の深さは疑うべくもない、私はあのように純粋なアヴェ・マリアがいかなるクワイアによっても歌われたをの聞いたことがない、だから大目に見てあげてください、とまぁ、随分後押ししてくれたよ。でなきゃあの堅物司教が公演そのものを潰してたかもしれん。最初に『ヴァンパイア・バンド』って聞いた時の奴さんの顔の顰めようったらなかったから」
     レダとしては苦笑いするしかなかった。

    この「堅物司教」、実際は堅物どころの話ではありません。レダが散々居心地の悪い気分になったのもちゃんとわけがあって……

     部屋に戻ると、赤狼が顔を顰めて待っていた。
     「礼拝堂というのは、鍵のかかる場所だったか?」
     入っていくなり、そう訊いてきた。
     「いいえ。いつなんどきでも何人に対しても開かれているのが普通のはずよ」
     「さっき行ったら鍵がかかってやがる……気に食わんな、まったく気に食わん。ろくでもないことになりそうな気がする。気をつけろよ」
     「気をつけろ、って?」
     「気に食わんものは見張りに行く。それが俺の流儀だ。だから夜中まで、自分の面倒は自分で見ててくれってことだ」
     言葉と同時に赤狼の姿は消え、小さなねずみがちょろりとドアの隙間から駆け出していった。

     ヴァラーシュタインは憂鬱極まりない顔で学校に到着した。昨夜、コンツェルンを預かる重責などというものを毛ほども理解しない娘からヒステリックに怒鳴られて以来、文字通り寝る間も惜しんで彼は身辺整理に忙殺されていたのだった。これで彼が今晩を限りに帰らなかったとしても、ヴァラーシュタイン・コンツェルンはしばらくは安泰だろう。だが、その先は?誰か代理を立てることも考えたが、200年を越す経験の代理はそうたやすくは見つからないのだった。
     そして、着いてみればさらに厄介なことに、触手の化け物だけでなく謎の招待者まで現れたことを知らされたのだった。
     「どちらを先にするね?」
     「……上級生さんのほうでしょうね」
     レダが答えた。
     「触手はこちらが呼び出さねば出てこないでしょうし、上級生さんのほうはこちらを呼び出しておいでですもの」
     「……ふむ。道理だ。ついでにこの上級生氏が温厚篤実な人間であることを祈りたいね」

     12時になると同時に、ぴったりと閉じていた礼拝堂の扉が微かにきしみながら開いた。
     まずボロシノヴィッチが踏み込み、そしてヴァラーシュタインの車椅子を押したレダとその隣にアルラ。その後ろをルネが守る。赤狼はどこかから見張っているはずだ。
     「約束通り、お訪ねしましたわ」
     レダの声に答えるように、説教壇の脇に立っていた小柄な影が揺れた。
     「僕の聖地へようこそ」
     入口脇の燭台の微かな明かりの中に下りて来たのは、ローテンフライト校の制服姿の、小柄な金髪の少年だった。
     「この学校の最上級生として皆さんを歓迎します」
     型通りに言葉を述べつつ、その少年の視線ははゆっくり皆の上を見回し、アルラとレダのところでわずかに鋭くなって止まった。
     「……やはり同族ね、あなた。お名前を聞かせてもらえるかしら?」
     「エーリヒ・シュタイナー」
     短い答の後に、
     「この学校の一期生として入学して、それ以来、ここにいる」
     「……だから、上級生なの?……手紙をくれたのは、あなたね?」
     「そう、クルト君に頼んで、届けてもらった」
     「クルト君……彼、貴方のこと、知っているの?」
     「知っているよ。でも、知らない」
     そう云って、エーリッヒは薄く笑った。
     「彼は、伝令役だから」
     「……どういう、ことなの?」

     僕は、ずっとずっと昔からこの学校にいる。
     僕が死んだのは、この学校ができる少し前。死んだまま生きるのは……寂しかった。でもこの学校を創ったケーベルさんは年をとらない子供の僕にとても優しくしてくれて、生きている皆と一緒にこの学校に入学させてくれた。
     決して卒業することのない生徒として。
     古い古い先輩として。
     だから僕は、それからずっとこの学校を見守っている。ここの学校がうまく発展し、生徒たちが皆笑顔で卒業していくように。一時の過ちで道を踏み外して、悲しむ者がいなくなるように。
     ……でも、誰にも気付かれないのは寂しいから、僕はたまに生徒たちの視界の隅を横切る。そして、僕のことは噂になる。学校の精霊とか、でなければ幽霊とかね。噂をした生徒達は、やがてここを出ていく。でも僕はここからどこにも行けない。ただ、ここにいるだけだ。……そして、待っているんだ。
     黄昏時、かつて幼い頃をすごした場所と、そこにまつわる空気を思い出して、誰かが訪ねてきてくれるのを。
     だから、黄昏時、この学校の門は誰に対しても開かれている。
     それが僕の意思だから。
     ……ね、だから君たちも迎え入れた。僕と同じ、黄昏に住む君たちも。

     「この学校が……あなたの世界なのね」
     レダが云った。
     「そう。歴代の校長は、代替わりの度に僕の秘密を受け継ぐ。そして、生徒たちの中に僕を隠してくれる」
     確かに、第一回の入学生だと言うのに、今彼が着ている制服は現在のデザインのものである。これなら生徒にまぎれていても気付かれることはないだろう。
     「僕は何もしない。ただずっと、ここにいるだけだから。だから放っておいて欲しい」
     「でも、ここがあなたの世界だとしても、あなたはやりすぎたわ。生徒の首筋に歯型をつけて転がしておくなんて」
     「……何だって?」
     エーリッヒは不審そうな顔になった。レダが示した記事を読み、
     「これは、僕じゃない。……それに、この学校には僕以外に、ああ、今は僕と君たち以外に、だけど、ヴァンパイアはいないよ。とすると、これは……校長先生に聞いてみたほうがいいのかな」
     「校長。だが、校長は不在だそうだが……」
     ボロシノヴィッチの呟きに、今度こそエーリッヒは眉を顰めた。
     「そんな。何かあったらいつだって知らせてくれるのに」
     「……校長室に、行ってみたほうがいいのではないですかな」
     ヴァラーシュタインが低く云った。

     校長室は鍵がかかっていた。エーリッヒは当然のようにポケットから鍵束を取り出し、扉を開けた。通路、制服、鍵束。確かに彼はこの学校の中で自由に振舞うことを保証されているようだった。
     机の上には書類が広げられ、つい今しがたまで作業をしていたものが大慌てで立ち去ったような気配だった。
     「……嫌なものを思い出した。国では、こんな風にいなくなる奴が多かった」
     ボロシノヴィッチがぼそりと云った。
     「その……いなくなった奴は、どこに行くの?上?下?右?左?」
     「あちこちに行く。戻ってくる奴は、稀だ」
     娘達が小さな悲鳴を上げた。
     「黙っていていただけませんか。今……ペンの記憶を」
     ルネの声が、わずかにうわずっている。そのうち、小さく舌打ちをしてペンを置き、今度は電話の受話器に指を滑らせた。
     「何か……ありましたかな?」
     車椅子を寄せながら、ヴァラーシュタインが訊ねた。
     「ええ。……校長は……おそらく校長でしょうが……何か書き物をしているうちに、一本の電話を受けました。それを聞いているうちに、顔色を変え、ペンも受話器も放り出して行ったようです。そこで、受話器を通った声の記憶を聞きました。すると……」
     少し言いよどみ、
     「はっきりとは聞き取れなかったのですが……調査、とか、キリスト教徒なら、とかいう相当にとがった声が。校長は答えさせてももらえなかった。電話は一方的に切れ、そこで記憶は途切れています」 
     「魔狩人気取りが!」
     ルネの言葉が切れるや否や、吐き捨てるようにヴァラーシュタインがうめいた。
     「気取りならまだいいけれど……その声の主は、ひょっとしたら新しい司教さんかもしれないわ。今日、ひどく鋭い目で睨まれて……そこにいるだけで恐ろしく居心地が悪くて。パウル・クレンペラーとかいう名前だったけれど……」
     「パウル・クレンペラー……ひょっとしてあのパウル君が!?」
     掠れ声で叫んだのはエーリッヒだった。
     「知っているの?」
     「もしそれが僕の知っているパウル君だとすれば。
    ……彼は……伝令役、だったんだ……」

     僕は、昼は出歩けない。だから、僕に昼間の出来事を教えてくれる誰かがほしいと思った。自分では知らないうちに、僕を助けてくれる誰かが。幸い、毎年入ってくる生徒の中には、ちょうどいい具合に好奇心旺盛で、そしてたいした悪さはしない、というような子がいるもので、そういう子が僕の伝令役になった。彼らは、小柄な上級生から何か頼まれごとをしたり、好奇心に任せてあちこち首をつっこんでまわっているうちに、何か不思議なものを見たりする。……でも、みんな彼のことを変わり者だと思っているから、不思議は不思議のまま、特に騒ぎにもならない。それに、ほら、ちょうど今みたいに、外から来た客人が何かを調べようとするなら、一人だけ変わった子が居るなんて聞いたらちょっと様子を見てみようって思うかも知れない。そういう意味でも、伝令役というのは必要だったんだ。
     ……上手にごまかしてきたつもりなのに。ああ、でも、パウル君は昔から勉強も熱心だったし、真面目に信仰もしていた。伝令役としては、「変わって」いたんだ。でも。まさかこうなるとは……

     「こうなってしまったものは仕方がないだろう。……待て、少し彼の素性を探ってみるか」
     ボロシノヴィッチはいいながら、ポケットから携帯電話を取りだし、彼の上司である執行官を呼び出した。話すこと数分。ボロシノヴィッチの応答は段々に陰にこもってきて……
     「パウル・クレンペラーの素性がわかった。ミュンヘン出身、神学校を主席で卒業、ヴァチカンで位階を受けたが成績の割には大した位階ではないというのが不思議。それもそのはず、実はヴァチカンの実行部隊、レオポルト協会の先鋭だそうだ。今まではイタリアのラソンブラたちをずいぶん締め上げていたようだが」
     「とすると、非常にただならぬ推論が導かれますが」
     ヴァラーシュタインの顔は最大限に歪んでいた。
     「つまり、この(ここまで云って彼は唾を吐いた)真の信仰(そしてもう一度唾を吐いた)を持つ男は、自分の学生時代をろくでもない方法で思い出し、たいそう無粋なことに、この『学校の精霊』君を滅ぼすべきだと考えたのですな。そして……この学校にエーリッヒ君以外に血族がいないとすると、つまりあのヴァンパイアの歯型は人間の仕業であり、そこまでしてこの学校でヴァンパイア退治を演じたいと」
     「演じさせてやりませんこと、なら」
     レダが、凍りつくような笑みを浮かべていた。
     「演じさせればよろしいのよ。わたくしたちにいいように騙されて、竈の灰でも握って帰るがいいわ。……無粋な人間は、わたくし、嫌い」
     「いや、騙して帰すのがそれは一番の上策ですが、それはどうやって」
     「ヴァンパイアを名乗る娘の舞台に、本物のヴァンパイアが現れるの。そして炎の中で偽りのヴァンパイアを襲う。『ヴァンパイア娘』は司教様に助けを求めるわ。これは演技じゃないの、お願い舞台を止めて、あたしを助けて、と。司教が舞台に駆け上がろうとしても詰めかけた生徒たちで身動きが取れない。彼はどうするかしら。銃はまさか使わないわよね。銀の十字架、白木の杭……それが本物のヴァンパイアに当って、それは崩れ落ちる。残るのは灰が一掴み。何かがおかしい、と生徒たちが浮き足立ったとき、炎は消え、舞台の上は一面の白。そして、救われたヴァンパイア娘は神に召され、結局演出が派手になったのだということになって、おしまい。でも、ここにヴァンパイアがいることを知っている司教様は、満足してお帰りになるの。……どう?」
     「その、本物のヴァンパイアは?」
     「……幻よ。すぐに炎に紛れる。でも、声は聞こえる。あたしが『飛ばし』た、もうひとつの声が喋るの」
     「……危険だ……が」
     「わたくしは、やりますわ。協力さえいただければ」
     ヴァラーシュタインは一瞬考えこんだが、仕方なさそうにうなずいた。
     「わかりました。ひとつめの作戦はそれでいきましょう。それが駄目だったら、うちの子会社のそのまた子会社の末端あたりから、その司教様に献金をさせ、うまくいいつくろってミュンヘンからおひきとり願う。それが駄目なら、最後の手を使う」
     「最後の……?」
     「醜聞、ですよ。何、身辺整理のできておらぬ司祭は多いものでしてな。たとえそれが誤解であったにしろ、司祭というのは人に信用されなくなっては立ち行かぬ。神の教えを説く振りをして若い男女を誑し込んでいると噂が立てばミュンヘンには居られますまい」
     そこまで云うと、ヴァラーシュタインは言葉を切り、そしてそろそろ公子様に連絡するころあいではありませぬかな、と云った。
     「レオポルト協会が出てきたとあっては、こちらだけで事を進めるわけにもいかなくなりました。それに、エーリッヒ君のことも……」
     「嫌だ」
     エーリッヒが叫んだ。
     「僕は、この学校しか居場所がない。ここより他の場所なんて知らないし、行きたくもない。それに……カマリリャだろうがサバトだろうが、僕とは無関係だ」
     「そういうわけにはいかないわ」
     アルラが慰めるように云った。
     「あたしたち、もう、誰かがこの学校にいるらしいって、公子さまに申し上げてしまった。だから……遅かれ早かれ、あなたのことは云わなきゃいけないわ。それに、こんな騒ぎが起きたら、誰だってこの学校に何かがあるって思う……」
     「……それじゃあ、せめて」
     泣きそうな声だった。
     「パウル君が僕に手を触れることなく行ってしまったなら。そしたら、僕は……公子さまに挨拶に行く。パウル君が僕を滅ぼしたら……そしたら、それは運命だ」
     それじゃ、と云ってエーリッヒは文字通り影の中に消えた。
     「……まずいことをしたかな」
     ボロシノヴィッチが呟いた。
     「パウル・クレンペラーは……我々にとっては敵だが、彼にとっては……」
     「永遠を生きるとは、そういうものですよ」
     ヴァラーシュタインが誰にともなく云った。
     心なしか、苦い声だった。

     というわけで、いきなりあからさまに悪意のある敵が登場。しかしPC達は全員「異常な存在を気付かれてはならない」ものなので、物理的にぶっちらばるわけにもいかず、したがってこういう搦め手で行くことになる。自分達が力を持っていようといまいととりあえずヒーローではないことに気付く一瞬、て奴。ちなみにレオポルト協会とは公式設定にあるヴァンパイア殲滅組織・現代の魔女狩り部隊である。公式設定ではヴァチカンとの連携はないことになっているが、今回のキャンペーンではヴァチカンはとっくにヴァンパイアの実在に気付いており、しかしそれを公にするわけにもいかないので裏でレオポルト協会を支援していることになっている。まぁ、裏だろうが表だろうが支援していれば、ヴァンパイア側から云えば「レオポルト協会=ヴァチカンの実行部隊」に違いあるまい。
     ちなみにパウル・クレンペラー氏がこれまでカマリリャから注意を払われていなかったのは、彼のこれまでの目標がもっぱらカマリリャの敵対組織であるサバトの重鎮・ラソンブラ氏族であったかららしい。今回もミュンヘンにあるヴァンパイア組織を潰しに来たわけではなく、「自分が卒業した学校に悪しき存在が確かにいたらしいのでそれを退治しに来た」といったところであり、ミュンヘンのカマリリャは実は彼の知識には入っていないだろうというのが今回のPCの意見の一致したところ。
     しかし、公子への報告は、(エーリッヒ君の所在を知らせずに行ったため)、レオポルト協会がミュンヘンの「掃討」を行うためにギムナジウムでヴァンパイア騒ぎを自ら起こし、陽動作戦をしかけてきたものらしい、というものに微妙に曲げられている。……本来ならばクレンペラー氏の目的はエーリッヒ君であり、PCが危険にさらされるとすればそれはヘタを売った結果行きがけの駄賃にやられるというようなものであるはず、なのだが。

     話が決まってしまえば、あとは次の夜を待つだけ。
     ならば、本来の目的に戻ろう。公演前にレパートリーをさらって、場合によっては編曲も考えなくては。
     少し遅いけれど窓を締めきっておけば声を出しても大丈夫よね、と、音楽室に向かおうとしたレダの袖を、アルラがこっそりと引いた。
     「……ごめんなさい、でも……どうしよう。血が、足りないみたいなの。さっきから……」
     小さな口元から、ちらりと牙が覗いて、引っ込んだ。
     闇を生きるようになってから、ヴァンパイアはひたすらに血を求めるだけの獣を一頭、体の中に住まわせることになる。血が足りなくなれば、飢えた獣はざわざわと蠢きだし、ついには理性の手綱を振りきって、狂う。
     「昨日も……ろくに……それに怪我もしたし……あたし……」
     「……わかったわ。狩りに、行きましょう」
     蠢き出した獣ゆえの恐怖にか、うっすらと涙まで浮かべているアルラに、レダはきっぱりと云った。
     「髪を染めるの。黒じゃなくて、赤でも黄色でもいいわ。それからお化粧をして。服はこれを着て」
     黒革のミニドレスを渡す。
     「……似合わないわ」
     「化粧で、似合わせるの」
     云いながら、自分も普段のドレス姿からはおよそ想像もつかない胸元のあいたパンツスーツに着替え、派手な付け毛を混ぜて髪を結い上げ、カラーコンタクトを入れる。
     「……着替えたら、出かけるわ」
     「どこへ?」
     答えなかった。
    アルラを抱えるようにして車に乗り込み、アクセルを踏んだ。

     着いたのは場末のクラブ。昨晩とはおよそ客層も違う。
     「手を伸ばしてくる奴の、顔は見ずに牙を使いなさい。何も考えちゃ駄目。引き上げるときにはわたくしが全部とりはからうから」
     アルラの耳にささやき、それから澄ました笑顔を作る。昨夜と同じように、戯言の応酬。調律の悪いピアノにたどりつき、弾き始める。昨夜と同じ曲。でも、キィは3つばかり低い。昨日と同じ曲。昨日と違う声。掠れた……ささやくような声。
     誰かが後ろから腕を絡めてくる。目でちらりと店内の様子を確認する。絡み付くような視線とぶつかる……もう、大丈夫。何人から血を吸ったとしても、酒と音楽がすべてを紛らせてしまう。

     帰りの車の中では、二人とも無言だった。
     「……少なくとも、いくらお腹がすいたっていっても……遊園地の団員さんからは血を吸わずにすんだんだし……」
     「それでいいのよ。気分悪かったら、窓にもたれて風にあたってなさいな。安酒混じりの血だったから……悪酔いするかも」
     あなたは悪くないわ。怖い思いさせて、ごめんなさいね。そうささやいて、微笑む。アルラが眠り込むまで、低く子守唄を口ずさむ。それから……黙り込む。
     アルラがものかげに引きずり込まれそうになったのを潮に、あんたたちやることが全然クールじゃないわと喚きたて、しつこく絡み付いてきた男の横面をひとつひっぱたいて車に飛び乗ったのだ。当然、気分は、よくない。
     「……でも、そうするしか、生きていけないんだもの」
     いいわけのように呟いて、それからレダは唇を噛んだ。
     自分の心臓がもう打ってはいないことを思い出すのは、決まってこんなときなのだった。

     人殺しをせず、証拠を残さず、そして狩りをしようとすると娘達はどうしてもこういう手段をとることになりますが……それはそれとして、以後、レダの通常の食餌ではない流し(?)の狩としてこの方法をとる場合は「覚悟するように(マスター談)」と通告されてしまいました。次やったら「人間性」に響くかも、だそうです。まぁ、わりと当然かも。ちなみにこのシーンの処理は、より人間性の値の高いアルラが当然感じるべき罪悪感をレダのなぐさめでごまかし、人間性の値の低いレダのほうがチェックをロールする、という形に。

    「……ふむ」
     その夜、ミュンヘンの公子たるハンスリック・ハルトマンは甚だ不機嫌だった。
     執行官リリスからの連絡。
     ローテンフライト校の騒ぎ。
     その現地からの報告の内容。
     レオポルト協会という名前。
     どれも、心にひっかかることばかりだ。
    "非力を自覚している人間どもの罠にしては、つくりが粗雑に過ぎる。しかも場所がギムナジウムだと? なぜわざわざそんな場所で騒ぎを起こす?" 
     加えて言えば、レオポルト協会絡みであることが判明したというのに、配下どもの対応があまりに暢気すぎることも気になった。
    "連中がどうやって我らの存在を嗅ぎ出し狩り出すと思っているのだ? 容疑者と見たら徹底的に追跡調査、それしか無かろう。ヴァンパイア騒ぎの渦中の学校に唐突に訪れた訪問者たち、この状況でどうして疑われないと思える? 奴らのやり口について、ヴァラーシュタインあたりにもう少し教え込んでおくべきだったか"
     人間社会で暮らすヴァンパイアたるもの、叩けば埃はいくらでも出る。集中的に経歴や生活習慣を調べられれば、秘密を完璧に隠しおおす方が難しい。
    "いずれにしても、司祭級が来ているとなれば面倒だな。配下をどこかに伏せていれば遠からず動きを見せるだろうし、もし仮に本当に単身であるのなら" 
     それは真に恐るべき敵の出現を意味する。力において遙かに劣るはずだった人間に不死の命を脅かされたことは、長い長い年月の中で一度や二度ではないのだ。
    "あるいは近い将来、久方ぶりの出陣となるやも知れぬな" 
     公子は革張りのソファにどっかと腰を下ろした。さらにしばらく考え込み――やがて、口の端だけが、ほんのわずかに笑いの形に曲がった。
    "それはそれで、面白くなりそうだ" 
    To the Next Night.....
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