綻びを望まれた物語

    「今ここで踏んばらないでどこで踏んばる?甘えんのも大概にしとけ。残酷に聞こえるかもしれんが堕ちるなら一人で堕ちて行け。いいか、もう一度言うぞお前らは甘えてるだけなんだ。互いにな」
     そう言うと、生活指導の新藤は僕には一瞥もくれずに談話室の鍵をしめた。
     「談話室」での三時間続いた説教から解放されたときには外の日はすっかり落ち、新築されてから十年目の校舎は薄紫の闇に覆われていた。

     どんな返事を期待してるんだろう。
     ……わかりました。所詮私立文系の男があんたのクラスの可愛い可愛い医学部狙いの女の子に惚れたって無駄だってことですね。
     ……公務員の安月給でわざわざ僕らの性生活のことまで心配してくれてどうもありがとうございます。僕たちのことはいいですから、御自分の娘さんの虫でも払ったらどうです?
     目の前の進藤の痘痕面がうっとおしかった。
     すえた口臭が鼻についた。
     教官室が禁煙になった腹いせでもするかのように談話室の四畳半で吹かしまくったショートピースの煙がまだ身体にまとわりついているみたいだった。
     ふと、その顎をぶん殴っているヴィジョンが被さった。
     だが、口をついて出たのは通常の日本語では感謝を告げる言葉だった。
    「ありがとうございました」
     僕は確かにそう言ったのだ。
     僕と彼女を別れさせた男に向かって僕はそう言った。


     1990年、僕は17歳だった。
     1991年、僕は、18歳になっている自分に気付いた。
     田村英理子の悩殺カレンダーとサダム・フセインの縮れた髭で幕を開けたこの年は、僕を充分に楽しませてくれるはずだった。
     けれど、多分高校生活最後のイベントはこんな形で幕を閉じた。
     別に、中東でスカッドミサイルが飛ぼうが「ムー」がハルマゲドンを幾ら騒ごうが地方の高校生の生活は変わるわけはなかったのだ。
     どーでもいい時間だった。
     ただただ退屈だった。


     廊下は薄暗く、冷え切っていた。グランドからの喚声が微かに聞こえた。ほとんど人はいない。この季節になれば三年生は部活から引退している。教室に残っているのは勉強をしてるからだし、何人かはランク別の特別講習をうけているはずだった。もっともこの時間ならもう終わって帰ってきているはずだった。廊下にまで教室の喧噪が漏れているのが証拠だ。
    「ったく、信じらんない!どうしてそんなことまで先生が口を挟むわけ!誰とつき合って
    ようが勝手じゃない!あんまりよ」
     水谷由佳里の声だった。
     教室にいるのは中浪組らしかった。水谷や篠山のダンナ、高塚さんとかの声が聞こえていた。
     クラスの主だった連中がいるようだった。講習が終わってちょっと駄弁っている。そんなタイミングだ。
    「……やっぱり、クラスの違いかな」
    「綾瀬は進藤のお気に入りだからだよ。実際ここ最近成績下がってたらしいぜ」
    「そんなにあいつらいっつもくっついてたっけ?」
    「帰る方向は一緒だよな」
    「馬鹿いってんじゃねぇよ。俺とかこいつは気ぃ使ってんだぜ」
    「そうそう、なるべくここ最近は巽ヶ崎の河原通らないようにしてるもんな」
    「もう熱くって熱くって」
     一際大きな笑い声が起きた。
     腹を立てる気にもならなかった。立場が同じなら僕も同じ事をしたと思う。
     自分達がおかれてる理不尽な状況を嘆くふりをしながら、うまくその日常から抜け出した奴を野次馬根性で興味津々に見つめ、見守り、蔑み、冷笑し、義憤に燃えてみたりする。
     そして、自分達は何もせずに観客であることを続けるだけ。
     イベントに飢えているくせに、ウケないのが怖くって何もしようとしない。
     結局、地方の公立高校なんて、進学率が高くなけりゃ単に安いだけの代物だ。下手にプライドがあるからなのか、それとも他にウリが無いからなのか僕らの高校も進学率だけは高い高校だった。首都圏にくらべりゃマシなのかも知れない。大学にいくためのべんきょーが公立高校でできるのだから。はっきり言って安上りだと思う。
     けど、所詮公立高校なのだ。全寮制の私立高校とかに叶う筈もない。
     理不尽だと思う。
     僕たちには他に選択肢はない。首都圏と違い、僕たちには高校を選ぶことはできない。
     この高校に入らない限り、大学には進学できない。
     大学に進学できない限り、この田舎からでることはできない。
     大検?自分一人でどうしろっての?
     予備校?有名予備校は奥羽山脈越えたとなりの県だ。いずれ、落ちたらそこに通う事になる。
     結局、スポンサーの親も納得する方法でここから出るには、この高校に入る他なかった。
     そのために、交際のことまで口出されて?

     がらりと戸が開いて水谷由佳里がやたら勢いよく教室から出てきた。
     ぶつかりそうになった僕は、悪りぃ、と呟いた。
     目が合って一瞬水谷は言葉に詰まったようだった。
     教室のなかは気まずそうな表情をする奴と、はっきりと興味をもって見る奴のまっぷたつに別れた。
     どんな風にリアクションしたものか。彼らは僕のリアクションを期待しているのだ。
     わざと荒れたふりして机でも蹴飛ばしてみようか?
     それとも何もいわずに帰る支度をするか?
     別れ歌縛りのカラオケでも募るか?
     「最後に愛は勝つ」とでも言ってやろうか?

    「どうだった?」
     篠山のダンナが聞いてきた。
    「……別に、今は他にすることがあるだろってさ」
    「三時間掛けてそれか」
    「要約すればそれ以外にないよ」
    「ちょっと、あんたはどうするつもりなのよ!」
     水谷由佳里が大股で僕に詰め寄ってきた。女の癖に170ある水谷由佳里がそうするとけっこう迫力がある。
    「……別に」
    「別にじゃないでしょう!綾瀬大変だったんだから!クラスに戻ってきたらその場でポロポロ泣き出しはじめちゃって……」
     ぼんやりと水谷由佳里のまくしたてるのを聞いていると、僕はまた違和感を感じた。
     水谷由佳里は何でこんなに、他人のことに感情が移入できるんだろう。
     返事をするのも面倒くさかった。
     さっきまでは先に解放された綾瀬に会いに行くつもりだったが、やめた。
     まるで芝居じみてる。ギャラリーはそれを期待しているのだと思うと何故かそれを裏切りたくなった。
    僕は黙って席に戻り、明日提出の課題を取り出した。ギャラリーは僕に幾分か興味を残しながらも、他の話題に移り、水谷由佳里は教室を出た。きっと綾瀬のところだ。
     結局お祭りなのだ。僕たちのことは。全員にわかる共通の話題で騒ぎたいだけだ。
     もっともそれを言うなら僕も似たようなものだ。
     内心驚いている。別れろと進藤に言われたときに、当然とこそ思え、特に反発するわけじゃなかった自分に。
     そして気がついたのが僕も綾瀬も退屈だったからつき合っていたんだと言う事実だった。
     綾瀬はそう思っていないかも知れない。なぜなら今、彼女は悲劇のヒロインをやっているのだから。けれど、僕は舞台の上で脚本の陳腐さに気がつき白けた。
     楽しかったけれど、それだけだった。
     僕も綾瀬もここを卒業したら、会うことはなくなるはずだった。二人ともある意味焦ってたのかも知れないこのまま、なんの山場も迎えずに高校を卒業することに。
     僕はくすりと笑った。
     こんな山場が起これば十分だろう?いい思い出になるじゃないか。
     僕は荷物をまとめた。
    「帰るのか?」
    「ああ」
    「気、落とすなよ」
    「ありがとう」

     廊下は暗かった。僕は綾瀬のクラスの前を通り、そっと中を覗いた。綾瀬はいないみたいだった。国立理系クラスの女子は綾瀬のことにもあまり興味がないみたいだった。教室に残っている何人かは机で英標やチャート式を広げていた。僕が入っていける雰囲気じゃなかった。

     僕はそこを立ち去ろうとした。その時、靴先に何かを引っかけた。
     それは音も立てずに廊下を滑って、止まった。
     拾い上げてみるとそれは何かのおまじないらしかった。
     マッチの燃えさしを二本、赤い糸で結び付け、十字架にしたものらしかった。

     僕はそれを拾い、何気なく綾瀬のクラスの表札の上に引っかかるように置いた。
     そして、帰った。


     漢文の授業が終わると、僕は大きく欠伸をした。
     漢文の川田と目が合って、睨まれたが知らん振りをした。
     結局あの日の晩、綾瀬からはゆうべ電話がかかってきて明け方近くまで綾瀬と話していたのだ。
     ……終わらないよね、こんなことで別れたりしないよね……。
     ……学校で会わなきゃいいんだもの、寂しくなんかないよね……。
     結局そう言う事だった。
     僕は冷たく思われない程度に相槌をうち、かないっこない夢の話をして彼女をなだめた。
     その時についた嘘の副作用で今日はやたらとブルーだった。
     昨日の話は水谷由佳里が公然の秘密として流したらしかった。それとなく僕を見つめて話している姿がちらほらと見えた。
     うっとおしかったが、どうしようもない。僕は次の授業の準備をしようとした。
     その時僕の耳に切れ切れの言葉が入ってきた。

     ……マジかよ……んなことする奴……。
     ……進藤が教室はいった途端だってさ……。
     ……進藤のクラス、全員が見たって話だぜ……。
     ……それって、やっぱり……。
     ……恨まれてるからな、進藤……。

     話の中心に篠山のダンナの姿が見えた。
     僕はダンナに問いかけた。
    「篠山さん、ダンナってば。何かあったんですか?」
     とたんに、その話の輪のメンバーが何人か気まずそうに瞳を伏せた。ダンナは特にそうした様子は見せずに答えた。
    「進藤だか、進藤のクラスだかに呪いが掛けられたって話さ」
     篠山のダンナは面白がっているように笑いながら答えた。
    「今日の朝、進藤が教室入ってきたときに、クラスの表札プレートから変なものが落ちてきたんだってよ」
    「ヴードゥーの呪い十字だよ」
     輪の傍らにいた無藤が口を挟んだ。こいつはこうしたお呪い系統に詳しい。
    「マッチの燃えさしを赤い糸で結んで使うんだ。強力な願い事したりするときに使うんだよ。なかなかうまく行かない恋愛の成就だとか、人を呪い殺したり」
     得意そうに無藤が話す。そんなこと知ってるからってどうだって言うんだ。
    「どっちだろうな」
    「進藤に惚れた奴がいるとでも?」
    「すっげぇフケ専だな」
    「実は男だったりして」
    「そりゃ確かにうまくいかない恋愛だわ」
     笑いがひとしきり収まるのを待って無藤が呟いた。
    「やっぱり進藤が恨まれてるんじゃないか」
    「まぁ、恨んでるやつはいるよな」
    「アッシリア帝国の恐怖政治だもんな」
    「入学したてのときは、何かと思ったよな」
    「今だって、ありゃ異常だよ」
     いつのまにか、話の輪は大きくなっていた。クラスのほぼ全員がそれとなく話に耳を傾けている。
    「ふつうよ、先生が生徒を別れさせたりするか?」
     篠山のダンナがそう言った。とたんにクラスの視線が僕に集まった。
     そうか、さっき何人かが気まずそうにしたのはそのせいだったのだ。あれは犠牲者を見る目だったのだ。
     僕は何か気の聞いた台詞を返そうとしたができなかった。
     多分ぎこちなく苦笑いをしていたと思う。
     少し座が白けた。
    「じゃあさ、いったいどうなると思う?」
     水谷由佳里が場をとりなすように、勢いよく尋ねた。
    「進藤にとってきついことじゃないか?」
    「ありゃ、下手に怪我するとかよりも自分のクラスの成績下がる方が応えるんじゃない
    か?」
    「次の中間で俺たちよりも平均点が下がるとか」
    「国立理系クラスでそれは死ぬって」
    「でも実際さがっちまったらしいし」
    「他にも付き合ってるような女いたかよ?」
    「いなきゃ、作るまでだろ?」
    「ここはやっぱり女殺しの高塚さんに出てもらうしかっ!」
    「進藤のとこ誰かいいのいたっけ?」
    「おいおい、今現在で俺三人とローテ組んでんだぞ。どうしろってんだよ」
    「いや、これは全三年生の意思だろ。自分の女と虐げられた者達の恨みとどっちが大事だ?」
    「俺にだって選ぶ権利はある!」
     馬鹿話は延々と続く風だった。
     昨日と同じだ。みんなこのイベントを楽しもうとしてる。
     なんと言っても、普段の抑圧された被害者意識をくすぐるシチュエーションに、昨日できたての悲恋話が絡んでるのだ。ゴシップの話題には事欠かない。
     そして、生活指導の進藤にはみんな屈折した恨みがあった。
     新藤は狡猾な恐怖政治を行なっていた。
     この学校に来る生徒はたいてい頭がいい。学力云々の話しじゃない。他の高校の連中に比べて、物わかりがいいのだ。そして、進藤の恐怖政治はそうしたこの高校の生徒の物わかりのよさを利用したものだった。
     人を駆り立てるのは恐怖心であり、原始的な肉体の痛みだ。
     そして、目的のためには手段は正当化される。つまり、僕たちを殴られなきゃ動かない怠け者だと気付かせれば、進藤が僕らに処罰を与えることは正当なのだ。なぜなら僕たちは進学するためにこの高校を選んだのであり、怠けたときには誰かが尻を叩く必要がある。
     そして、それは呆れるくらい効果的だった。
     進藤の指導は市内の私立高校の教師がするような感情的なものではなかった。新藤の暴力は巧みに計算されてあくまで手段としての暴力だった。そして、始末の悪いことに僕らはそれがわかるくらいに物わかりがよかったのだ。
     現にたまに卒業生が顔を出して話をしたときなど、たいていの卒業生が進藤のことを恩師と呼んだ。
     チャイムが鳴った。集まっていたクラスの連中はそれぞれ自分の席に戻った。
     誰もが羊の表情に戻った。そう、こうして、また話題が消費され、何も残さずに終わってゆく。
    少なくとも今まではそうだった。

     一週間後、中間試験が行なわれた。
     二週間後、中間試験の成績がつき、学年集会があった。
     学年全体の成績が下がっていた。そして、
     進藤のクラスは最下位に落ちていた。


    「……To Err Is Human;To Forgive Divine……さて、ミスタ篠山。このtoについて述べてもらおうか……」
     昨日から入ったスチームの音が微かに聞こえていた。進藤から名指しされた篠山のダンナは幾分緊張した面持ちでtoの用法について述べていた。
     僕は校庭の葉の落ちた桜を眺めていた。校庭ではどこかのクラスが体育の授業をしていた。サッカーらしい。
     クラスの連中は少し緊張していた。進藤のクラスの成績が不可解に下がってからと言うもの、触らぬ神に祟り無しと言った風に僕たちは頭を下げておとなしくこの授業を受けるようになっていた。

     学年集会でクラス別の成績が明らかになったとき、講堂は微かに、けれど確実にざわめいた。
     教師のほとんどはそれを進藤のクラス、国公立理系進学クラスの成績凋落のせいと思っただろうが、それは間違っていた。同じように考えたやつらもいたろうが、八割の生徒の頭に浮かんだのはあのことだった。
     進藤のクラスは呪われたのだ。

     肩をつつかれた。目を戻すと教壇の上から進藤が僕を睨み付けていた。
     慌てて立ち上がった。
    「92ページ、五行目からパラグラフ2つ」
     後ろの席の無藤が囁く。予習しておいたとおりに訳を答える。
    「……よろしい。ところで洒落たパンツはいてるな」
     進藤が言っているのは、今はいている紺の綿パンのことだろう。服装規定に従う限りこの学校では私服が許されている。もっともトラブルの原因になるのでそうする奴は少ない。
    「パンツといっても、別に下着の話をしているわけじゃない。わかってるな?」
     僕はうなずいた。
    「trousersの事ですね」
    「なかなかお洒落なようだな。さすがに色男は違う……。どうした?」
     『色男』と口にした途端、教室の数人が息を呑んだ。一瞬、腹筋の奥で不愉快で暴力的な何かが疼いた。僕は顔を上げて正面から進藤を見据えた。前の僕なら考えられなかったことだ。
     進藤の表情が微かに変わった。もしかしたら驚いているのかも知れない。
     不思議とその時の僕には進藤の表情を恐れずに観察することができた。それはきっと、僕の目の前にいる教師が、僕たちの恐れていた進藤ではなくなっていたからかも知れない。
     進藤の顔は土気色だった。頬肉は張りを失って垂れ下がり、目の下に明らかにそれとわかる隈があった。そして口臭が僕のところまで臭ってきそうだった。
     そこにいたのは僕たちが恐れた狡猾な管理者じゃなかった。憔悴しきった、五十前の教師に過ぎなかった。
     僕はその瞳の奥に確かに進藤の苛立ちを見た。
    「制服の洗濯が間に合いませんでした」
     篠山のダンナが振り返った。他にも何人かが僕の方を見ている。
     誰もが進藤の制裁を覚悟した。だが、次に進藤の紡いだ言葉はクラスの予想を裏切るものだった。
    「……お洒落なわけじゃなくてずぼらってことか。いい、座れ。明日までには乾くんだろ
    うな。さて、もう一人の色男に聞こう。ミスタ高塚……」
     僕は席に座った。
     安堵したのと同時に、笑みが沸き上がった。

     そのとき、サイレンの音が聞こえた。やがて、その音は校門で止まった。

     窓辺の何人かがそっと校庭を伺った。人だかりができていた。
     白衣とヘルメットの救急隊員がその人だかりに向かって走っていた。
     人垣が割れて、担架に乗せられた人が運ばれてきた。
     ほっそりとした腕が力無くぶら下がっていた。
     癖のない髪と、血の気を失った顔が見えた。
     僕の中で何かが一気に張り詰めた。
     運ばれているのは女生徒だった。
     綾瀬だった。

    「やっぱり、『呪い』かよ……」
    「まさか」
    「進藤の胃潰瘍が再発したってさ。教官室で話題になってた」
    「偏差値五下がると胃に穴開くんだって、その年の学年主任」
    「道理で、昼に質問言ったら、臭った臭った」
    「その内厄払いでもするんじゃないのか?」
    「出陣式は来月だぜ」
     誰も勉強が手についていなかった。教室に残っている奴らはみんな綾瀬の事故、国立理系クラスに起きた事件についてあることないこと話し散らしていた。
    「効くもんかよ、祝詞を上げるしか能のない宮司のお払いなんか」
     何故か勝ち誇ったように無藤が言う。その場の視線を集めて無藤は妙に芝居がかった口調で言った。
    「もっとも、そうしたパフォーマンスでもしないよりマシだと思うけど」
    「誰か祈祷師でも呼んでこいよ」
    「誰がんな事するんだよ」
    「知らないのか?イエローページには載ってるんだぜ、祈祷師って職業」
    「でも聞いたことあるぜ、うちの学校が毎年亀岡文殊に合格祈願を依頼してるって」
    「……それは違うんじゃないか?」
     高塚さんが言った。
    「けれど今回みたいなことがあると、祈祷でもしてもらおうって、そんな気にもなるよな」
     篠山のダンナが相槌を打つ。
    「しかし、誰なんだろうな。あんなことしたの」
    「呪った本人も焦ってるんじゃないの?」
    「こんなに大事になっちゃな」
     がらりと音がして戸が開いた。コート姿の水谷由佳里が大股に教室に入ってきた。寒風にさらされて頬が赤く染まっている。
    「どうだった?」
    「怪我自体はたいしたことなかったらしいんだけど……。ひどく怯えちゃって」
    「何があったんですか?」
    「サッカーゴールを運んでるときに下敷になったの。頭を打って、あと手の骨にひびが入ったって」
     水谷由佳里がキッと僕を睨み付けた。
     ……見舞に行くぐらいしてもいいじゃない。
     そう思っているに違いなかった。
     篠山のダンナがその袖を引いた。水谷由佳里に軽く目配せする。
     そう、僕は進藤にあんなことを言われた身なのだ。そんなにすぐ動けるはずがなかった。
     そう僕は言い訳して、気を利かせてくれた篠山のダンナに感謝した。
    「っったくっ!誰が呪ったか知らないけど、進藤だけにしなさいよ!」
     外した手袋を机に叩きつけると水谷由佳里はそう叫んだ。
    「綾瀬は進藤の被害者じゃない!呪った奴なに考えてんの?」
    「進藤なのかな、呪われたの」
     高塚さんがぼそりと呟く。
    「……本気で呪いだと思ってるのか」
     僕は呟いた。独り言のつもりだったが無藤がそれを聞き咎めた。
    「お、近代的理性がここにいる」
     無藤はにやにや笑いながらそう言った。僕は、少し戸惑ったと思う。少し言葉を荒げて問い詰めた。
    「お前はどうなんだよ、無藤。嬉しいんじゃないのか?ようやく出番じゃないか?」
    「まぁ、ね」
     何人かが煙たそうな顔をする。特に、水谷由佳里は無藤に向き直って唇を噛んだ。怒ったときの癖だ。
    「その手のこと知ってるのと、実際に何かできるのって別だろ?」
     高塚さんが尋ねる。
    「いい加減にしてよ!怪我人が出てるってのに。何もできずに口を出すだけなんて、やめてよね!」
     水谷由佳里はそう言うと、無藤に詰め寄った。
     途端に、さっきまでへらへらと笑っていた無藤の顔が真剣になる。
    「そうだったな……。すまない」
    「自分で何かできるってんならまだしも……」
    「……何とかなるかも知れない。って言ったらどうする?」
     おい、そう言いかけたとき。無藤の射るような視線と目があった。
     口を開きかけた水谷由佳里も無藤の自身に気がついたようだった。
    「おいおい、なに言ってんだよ」
     苦笑いしながら、篠山のダンナがとりなそうとする。
    「……俺、確かにそっち方面のこと興味あるけどさ。みんなが思ってるようなオカルティストじゃないよ。今回のことだって、みんなが納得するような説明できるぜ。もっとも、」
     そこで無藤はいったん言葉を切ると、水谷由佳里や僕たちを軽く眺め渡した。
    「犯人まではわからない。何でこうなったか、そして、この事態を解決するにはどうしたらいいかは言えるけどね」
    「説明してみなさいよ」
     押し殺した声で、水谷由佳里が言う。
     クラスの人間誰もが無藤の言葉に耳を傾けていた。無藤の目が一瞬満足そうに輝いた。
    「まず最初に、あの十字架。別に十字架でなくたっていい。何か怪しげなものがあった。その事は俺にもわからない。もしかしたら仕掛けた本人は本当に呪うつもりだったのかも知れない。けれど、実際そんなことはなんでもないんだ。
     必要なのは、誰かが誰かを呪ったってことがみんなに知れ渡ることなんだから」
    「誰かが誰かをって、進藤に決まってるじゃないか」
    「なんで?」
    「進藤が入ってくるときに、あれが……」
    「入ってきたのが進藤だったから、みんなそう思ってるだけさ。進藤は恨まれてるからな。例えばあそこで綾瀬ちゃんがあの十字架を見つけたら、綾瀬ちゃんが呪われた事になったろうか?もっとマイナーな奴だったら?もしかしたら、あのクラスそのものを呪ったのかも知れない。それに、悪いことを呪ったんじゃないかも知れないんだぜ?あの呪いが悪いものだってのは、みんなが進藤を恨んでた、進藤に災いが降り掛かることを望んでたからそうなったのかも知れない。いつからあれが災いを呼ぶ呪いになったんだい?」
    「確かにそうだな」
     篠山のダンナがうなずく。
    「けど、実際に呪いの効果は出たじゃない」
     水谷由佳里が言った。
    「進藤だって、体調崩したし。成績だって、綾瀬だって……」
    「順番が違うよ、進藤のクラスの成績が下がったから、進藤が体調崩したんだ」
    「成績が下がったのは?」
     無藤は軽く吐息をつくと、少し皮肉げに言った。
    「……あんだけみんなで呪いだなんだって騒いでたろ。学年全体がその噂で持ちきりだった。俺のところに毎日あちこちのクラスの女子が相談に来たんだぜ。呪われたかもって。成績が下がるのは別におかしくもないと思うけどね。それに、」
    「それに?」
    「綾瀬とおんなじ目にあった子は他にもいるみたいなんだな。別れさせられた子」
     ちらりと無藤は僕の方に視線を走らせた。
    「……別れた後も、結局成績は上がらなかったって言ってたよ。当然って気もするけれどね」
     僕が口を開くと水谷由佳里が意外そうな顔をした。
    「へぇ、連絡とってたんだ」
    「まぁ」
     少し、水谷由佳里の表情が和んだ。
    「ただ、僕の方は成績あがっちまったけどな」
     篠山のダンナが皮肉げに笑った。
    「そして、綾瀬さんについていえば、これこそ単なる事故だと思う。ただ時期が悪すぎたけどね」
     そう言って無藤はギャラリーを見渡した。
    「結局、今回のことはこの学年の皆がそう思ってるだけだよ。そして、これこそが本来の意味での呪いさ。誰がやったか知らないけれど、あの十字架っていうパフォーマンスにみんな意味を求めて、そして、自分達で呪いにあった状況を作り出してるんだ。どう?別にいかがわしい理屈でもなんでもないだろう?呪いって」
    「大衆心理操作みたいなものってことか?」
     高塚さんの言葉に無藤はうなずいて、後を続けた。
    「実際にこんだけのパニックが起こせてるわけだし」
    「無藤、さっきお前はこの事態を収拾する方法も知っているっていったよな。どうするんだ?」
     僕は尋ねた。
    「御祓いか祈祷でもする」
     無藤はしれっと言った。
    「おい、それじゃ結局如何わしい呪いとかわんないじゃないか」
    「みんなが理想的に理性的だったら、呪いなんて誰にも引っかからないよ。わからなくって、不安だからだろ。対処の仕方が。本当の対処の仕方はあんなパフォーマンスにはなんの意味もないって悟ることなんだ。けど、みんなそこまで悟れてないし、気味が悪いってのはどうしようもない。それに何より、もう学年の皆がそう言うものだと思ってる。先生方がいくら打ち消したって誰も耳を傾けようとしないんじゃない?少なくとも、その呪いが終わるまでは」
    「で、どうするの?」
     すっかり神妙になった水谷由佳里が続きを促す」
    「みんなに、この事態は終わった思わせればいいのさ。みんなが納得いく方法で。だとしたら、御祓いとか祈祷するのが一番さ」
    「で、最初の質問に戻るわけか。誰がその役をするんだ?」
    「やっぱり、今度の出陣式の時に宮司さんに頼むんだろ」
    「お前、さっきそれじゃ駄目だっていってたじゃないか!」
     声が苛立っているのが自分でもそれと判った。結局、無藤の知識、見解を開陳されただけで終わってしまう。意味がない。
     無藤はくすりと笑って言った、
    「だって、俺たちみたいにひねくれてるヤツらがいっぱいいるし、何よりこの状況みんな楽しんでるんだぜ」
     楽しんでる。
     そう、確かに僕たちは今回の事件を楽しんでるのだ。
     あれから、登校する度に僕たちは期待していた。延々と続くこの日常にヒビが入ることを。
     呪いのせいに思えることが起こる度にひそひそ話が教室の間を流れた。そして、誰もが進藤の一挙手一投足に注目した。まるでお祭りだった。
     進藤と進藤のクラスはその祭りの生け贄だった。
    「ちがうかい?」
     無藤が視線を巡らせ、僕と目があった。
     その時、僕はもう一つのことに気がついた。
     楽しんでる?
     僕は思わず声を上げそうになった。
     無藤は僕と同じ事を考えていた。
     そのことに気がついたのだ。
     まるで、知らずに蜘蛛を掴んだような気分だった。
     無藤は僕と同じように、こうした事態を見透かして、そして内心冷やかに笑っていたに違いない。
     僕がしていたように、ちょっとした不幸も話の種にして楽しんでるクラスの仲間をどこかで軽蔑していたのだ。
     僕がしていたように、水谷由佳里の怒りを鼻で笑い、高塚さん達の女遊びの話に合いの手を入れながら作り話の粗を探したりしていたのだ。
     そして、僕が別れさせられたときにも、僕のことを三文芝居の不幸に酔ったヘボ役者とでも思っていたに違いない。
     だって、僕がそう思っていたのだから。
     とたんに無藤の視線が蛇のそれのような気がしてきた。
     みんなは気がついていないみたいだった。
     無藤は今こうしているこの時にも、僕たちを嘲笑っているのかも知れないというのに!
    「そのうち終わるさ。やがてみんながこの事件に飽きて、何も起こらなくなれば。いくら偶然でもそう何回も事件が起きるとは思えないよ。そのうちみんな忘れるさ。もっとも、何人かは忘れようとしても忘れられないかもね」
    「進藤とか?」
    「……綾瀬、怯えてた」
     ぽつりと水谷由佳里が呟いた。
    「実際に『被害』にあっちゃった人は忘れられないだろうし、忘れられない以上ずっと影響を受け続ける。その人にとって、呪いはずっと実行力を持つ」
    「で、御祓いか」
     僕の問に無藤は肩を竦めただけだった。
     僕と水谷由佳里のきつい視線が無藤に集中した。けれど無藤はそれを無視した。
    「でも、一体誰なんだろうなあんなの仕掛けたの……」
     誰かが口を開いた、そして憶測がいろいろと流れた。けれどその話の輪にはもう無藤は入っていかなかった。
    だから、僕もその輪に参加するのをやめた。

     やがて時計が九時を回った。電車で通学しているヤツらはいなくなり、残っているのは市内の自転車通学で熱心な人間だけだった。つまり、僕と、水谷由佳里と、無藤くらいだ。
     時計から視線を戻すと、目の前に水谷由佳里がいた。
    「……病室の番号教えてくれないか?」
     水谷由佳里は無言で生徒手帳のページを破り部屋番号をそこにかいた。
    「ありがとう」
    「明日なら、昼以降だよ。面会」
    「学校引けたら顔出してくるよ。綾瀬のクラスの人間も見舞に来るかな」
    「どうかな。進藤は今日、一応顔を出したみたいだよ」
    「なら、明日は大丈夫か」
     荷物を鞄に詰めている間、水谷由佳里は僕の前で何かを言いあぐねていた。
     帰ろうと立ち上がったとき、ようやく水谷由佳里は口を開いた。
    「なあ、あんた本当に綾瀬が好きなの?」
    「ああ、好きだよ」
    「……嘘だ」
    「そう思う?」
     水谷由佳里はコートに袖を通し、マフラーを巻いた。
    「綾瀬は本気なんだよ。何か言ってやればいいのに」
    「電話で話してる」
    「だからさ!」
    「綾瀬が、僕のことを冷たいっていってたのか?」
    「なんか、なんか違うんだよ。あんたと綾瀬。綾瀬とても楽しそうだったけど、あんたはなんか……」
    「このままいつまでも一緒にいられはしない。そう気がついた。それでいいかい?綾瀬と僕とじゃ所詮進路が違う。……きっと、綾瀬は疲れてただけ。進藤がいってたとおりかもよ。僕たちは『互いに甘えてるだけ』なんだ」
     まるでわからないといった風だった。
    「……御似合いだったのに。あんた達見てると、綾瀬見てると楽しかったのに」
     お前を楽しませるために付き合ってたんじゃない。
     そういったらどんな顔をするのだろう。水谷由佳里は。
    「すまない。ああ、部屋番号ありがとう。水谷の姐さんから教えてもらったって言うよ」
     僕はそう言って背を向けようとした。
    「待って」
     水谷由佳里は僕を呼び止めた。
    「進藤に別れさせられたこと、まるで恨んでないように聞こえる……。もしかしてあんた本当は辛くないんじゃないの?腹も立っていないんじゃないの?」
    「腹は立ってる……。悪いけど、帰るわ。妙に疲れた」
     そして僕は水谷由佳里を安心させるために一言付け加えた。
    「……。もしかしたら応えてるのかも知れないな。疲れたよ、実際」
     そして、僕は教室を出た。
     明りの落ちた廊下を歩き、渡り廊下を渡る。公衆電話の赤いランプが妙に鮮やかに映る。
     昇降口で靴を取り出したとき、後ろから声を掛けられた。
    「御疲れさん」
     無藤だった。

     同じクラスになってから今まで知らなかったが、無藤の家の方向と僕の家の方向は同じだった。
     どちらが言い出すというわけでもなく、互いに自転車を押しながら歩いた。
     初めは軽く世間話をした。と言っても今日の授業での出来事や模試の愚痴に終始した。無藤の方で今の学校のことを話題にするのを避けてくれているのかも知れなかった。
    「悪ぃ、ちょっとコンビニ寄らせてくれ。なんかあったかいのが欲しい」
     河原を渡る風が土手を越えてここまで届いていた。身を切るように冷たい冬の風だった。
     僕も缶コーヒーを買った。そして、コンビニの前でそれをすすった。
     無藤は黙っていた。
     その沈黙が何か意味のあるもののように思え、僕も口を開かなかった。
    「なぁ」
     無藤が口を開いた。
    「水谷ってさ。どうして他人の恋愛沙汰にあそこまで入れ込めるんだろうな」
     僕は答えなかった。無藤は僕と同じようにものを考えるヤツだって判っていた。なら、黙っていても僕のいうことは判っているはずだった。
    「うざってぇよな」
     僕が言わなかった台詞を、言えなかった台詞を無藤はするりと口にした。
     僕は苦笑する他なかった。
    「心配してくれてるのに、悪いよ」
    「ふん、偽善者」
     そう言うと無藤は、もう温もりのなくなった缶をコンビに前の空き缶入れにほうった。
    「うざってぇよ、みんな。何かおきねえかって思ってる割には、誰も何もしやしない」
    「シラケるのが怖いんだろ」
    「みんなが知ってる共通の話題で騒ぐことしかしない。だろ、話題の中心人物」
    「もう、みんな忘れたよ」
    「悲劇のヒロインがまた悲劇に見舞われたんだ。お前、水谷に綾瀬の入院先聞いたろ?月曜日にはそのこと知れ渡ってるぜ」
     妙に苛立たしかった。
     そんなことは判っているのだ。無藤もそんなことは判ってるはずだ。なら、なぜ延々とこんな話を続ける?
    「そうだろうな」
    「お前、さっきの俺の話、どう思った?」
    「筋はそれなりに通ってた。面白かったよ。けど、無藤。お前自分で話を集束させる気がないんなら喋るなよ。結局なんの役にも立たない話だったじゃないか。お前が何かしたわけでもない」
    「水谷と、篠山さんからの情報なら、来週中に広まるだろうと思ってね」
    「何だと?」
     僕は聞き返した。言葉が刺々しくなるのが自分でわかった。
    「俺があのことみんなに触れ回って、信用されると思うか?みんなは俺をオカルティストだと思ってる、正確にはその役割を俺に求めてるんだが……。それに、俺が普段からこの手のことについて何か言うのが気に入らないヤツだっている。俺の言葉じゃ誰も動かない。
     けど、あの二人は違う。中浪組で年上、さらに面倒見がいいから信用されてる。あの二人
    からの情報ならみんなそんなもんだと思うだろ?」
    「お前、もしかして、問題を解決しようと……?」
    「まぁ、な。うまく行くかわからんが」
    「なぜだ?」
    「何が?」
    「何でそんなことするんだよ?」
    「このままの状況の方が楽しいか?」
     楽しいか?
     冷たい台詞だった。
     僕が今まで、クラスの連中に心の中で幾度も投げかけた言葉。改めて自分に投げつけられた時、僕は自分の敵意に自ら傷ついた。
     無藤は僕に構わず言葉を継いだ。
    「確かに、楽しいけどな。結局これだけのことが起きてもみんないつも通りなんだよ。最初は、そう最初は楽しかった。一晩で進藤の顔つき変わりやがったし、国立理系クラスのヤツら本気で怯えてた。別に死ぬわけじゃないだろうによ。
     けど、結局何もかわりゃしないんだよな。わかってたけどよ。無駄だった」
    「無駄だった?」
     僕は、思わず無藤の言葉を繰り返していた。
     違和感があった。彼が口にする言葉じゃない。混乱を何とかしようと自分の見解を篠山のダンナ達に伝えたことをいってるのか?自分がさっき言ったじゃないか。広まるとしても来週中だと。
    「最初は楽しかったけどな、少し行きすぎだと思う」
     僕の頭の中で無藤の言葉が猛回転していた。
    「まるで……、」
     僕はそこで言葉を打ち消した。無藤は僕に何かを伝えようとしたのか?僕になら言っても構わないと踏んだのか?なぜだ?
     無藤の言葉はまるで自分が今回のことを仕組んだみたいじゃないか?
    「お前は俺と同じ事考えてるみたいだったからな」
     僕の脳裏に無藤の視線が蘇った。
    「それに、結果的にとはいえ、綾瀬さん巻きこんじまったみたいだ。お前にかかった呪いを解いて、お前が綾瀬さんの呪いを解くのがいいだろ。このままじゃ、綾瀬さんの成績さがっちまう」
     僕は何とか言葉を絞り出した。
    「お前、なのか?」
     掠れた笑いを浮かべて無藤は答えた。
    「あんなにうまく行くとは思わなかった。仮説を実験したかっただけなのにな」
    「なんで!」
    「退屈だったからさ」
     無藤はしれっと答えた。
    「な……!」
    「このまま受験に突入して何も面白いこと無しに卒業するのもなんだったし、進藤は気に喰わない。それに、思い付いたこのことを試す機会なんてこの先そうそう無いからな。学校って言う閉鎖された社会でならこの程度の噂でも、人は動くんだよ。きっと」
    「お前が呪ったのか」
    「まぁ、そう言う事になるかな。もっとも俺がしなくてもいつかはこんなことが起きたかもしれないぜ。みんな不満を抱えていて、そして、楽しい話題に飢えてたから」
    「お前のせい、なのか?」
    「どこまでのことを言ってる?」
     にやにや笑いながら無藤は問い返してきた。
    「成績下がったことなら、まぁ半分は俺のせいだと言ってもいいだろう。会心の出来だった。それで進藤が体調崩したのは、どうかな。『風が吹けば……』ってレベルだけど、俺にも原因はないと言えない」
    「綾瀬のことは!」
    「説明聞いてたろ?ただの事故だよ。もっともその後落ち込んでるのは幾分か俺のせいかもしれない。だから、彼女の呪いは解かなきゃな。けど、それはお前の役目だろ」
     僕は絶句していた。
     無藤は僕の前でにっこりと微笑んでいた。
    「これが呪いの真実さ。うまく行きすぎて俺も怖いくらいだよ。だから今度はこれを鎮めなきゃな。呪いを掛けるのと解くの、両方出来なきゃ呪い師とは言えない」
    「……呆れたよ」
    「過大評価しないでくれよ。俺は、確かにシチュエーションを作るのに少し動いたけれど、それは今までたまってたみんなのストレスをちょっと刺激しただけだ。俺の言葉を疑ってみたらどうだ?単なる誇大妄想狂で、状況を後から説明してるだけだって」
     確かに、そうだった。無藤が今言ったように説明も出来る。単に後から状況を自分の都合いいように伝えてるだけかもしれない。
     けれど、実際に学年全員がその気になっている。そして、特に方向のなかったストレスは、今や進藤と彼のクラスに不幸が及ぶことを渇望している。
     そして、そのことで十分だった。何故そうなったかなど今はどうでもいい。次にどうなるのか、どうすればそれを変えられるのか?
     彼は自分流の解釈の『呪い』でその方法を導いたのだ。
    「……実際、うまく行きすぎたんだよ。みんながそれらしく思うようにわざわざ判りやすくて、しかもあまりマニアックじゃない呪い探さなきゃいけなかったからな。あんまりマニアックだと多分俺が疑われるし。あれは確か、『チャーム』とかいうおまじない雑誌にのってた、願望達成のおまじないなんだ。何人かうちの女子でも知ってたっけな……」
     無藤は得々と、自分の呪いの手法を語り始めた。
     彼はみんなが声を潜めて進藤の話をするとき、どんな思いでそれを聞いていたのだろう。
     最初は楽しんでいたらしいことは判る。けど、その先は?
     あの時の彼の視線。あれは確かに彼らを蔑み、退屈しきった彼の心を写していたのだ。
    「……まぁ、十分楽しんだから。もう終にしなきゃな。結局、何も変わらなかったってことをみんなに思い知らせてやるさ。そうでもなきゃ、やつら、こっちに戻ってこないからね。これが県下有数の進学校とはね。先生方も対処出来ないし……。この二週間楽しめたからよしとするか……」
     気がついたとき、無藤は黙って、僕の顔を覗き込んでいた。
    「どうした?お前も俺と同じ事考えてたんだろ?もっとも、お前は楽しんだと自分では思っていないかもな。けど、あの連中から一歩離れた視線でものを見てて、その立場からあいつらを見下してたんだろ?水谷と話してるときはっきり判ったよ。あと、進藤に呼び出されて帰ってきた時にな」
    「……俺は、……僕は楽しんでなんかいない!」
    「優越感は感じてたろ?」
     僕は応えられなかった。無藤は軽く僕の背中をはたいた。
    「そんぐらい当然だよ。隠さなくたっていい。ばれなきゃいいのさ、どう思ってるかを。誰だってそんな風に考えてはいるはずだからな。ばれなきゃ罰の対象にはならない。だろ?重要なのは結果さ」
     無藤はそう言うと、自転車にまたがった。
    「明日、綾瀬さんにあうんだろ?うまく彼女の誤解を解くんだ。多分お前がするのが一番だぜ。何より、水谷が喜ぶ」
     そう言うと、無藤はもう一度笑みを浮かべた。僕には蛇の笑いに見えた。
    「後、一応言っておくけど。この件内緒な。もっともお前がバラすとは思ってないけど」
    「……どうしてだよ?」
    「お前がバラせば、お前はもう一度みんなの話題になる。お前が話題にならなくても、またこれでみんなは大騒ぎだ。もう飽き飽きしてるんだろ?下手すりゃまた進藤と顔を付き合わせるぜ。わざわざそんなことをする理由はないと思うが?」
     僕は小さく、ああとうなずいた。
     じゃな、そう言って無藤は自転車を漕ぎ出した。
     僕は、いつのまにか冷え切った缶コーヒーに口をつけた。飲み下す気になれず、僕はそれを河原に捨てた。


     昼を過ぎた病院は思っていたよりも静かだった。僕は、廊下の矢印に従い外科病棟に向かった。
     昨日の夜のことが頭に残っていた。
     無藤は今日、僕にあうとそれと判らぬくらいに目配せをした。僕はそれに気がついたが無視した。
    教室を出るときに、水谷が声を掛けてきた。行き先を告げると、水谷は少し安心したようだった。
     ……元気つけてあげなよ。
     ……昨日、無藤が言ったことをうまく伝えてみる。それで判ると思うよ。
     ……そうだね。あのこ理解速いし。
     外傷はたいしたことなかったらしい。ただ頭を打ったので精密検査が必要だったのだと言う。
     表札を確認して病室に入った。
    「……あっ」
     綾瀬はガウンを着てベッドの上に身体を起こしていた。手元には何かプリントが数枚ある。
    「起き上がっていいのかい?」
     僕は尋ねながら、綾瀬の手元のプリントに目をやった。僕には意味もわからない数式だった。どこかの受験問題だろう。理系クラスの課題だった。
     何も返事が返ってこないので僕は顔を上げた。
     左手と額に包帯を巻いている。ガーゼが右目を隠している。表情は暗いままだった。水谷由佳里が言ったとおり何かに怯えているようだった。
    「……どうしたの?」
     なるべく自然に笑おうとしつつ、問いかけた。
     綾瀬は毛布を引き寄せた。変だった。
    「ねぇ?」
     問いかける。綾瀬の身体が強ばっているのが判る。不安になっているのか?
     僕はそっと手を伸ばし、綾瀬の指に触れようとした。と、綾瀬がシーツの上の指を引いた。
     問いかけるように目を合わせる。綾瀬の瞳の奥に明らかな緊張が読み取れた。
    「どうした?」
     訝しげな声になっているのが自分でも判った。
     綾瀬はただ怯えているだけではない。形のない何かではなく、明らかに僕を恐れている。
     綾瀬の形のいい唇が震え、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
    「私、見たの」
     なんのことかすぐには判らなかった。
     頭の奥に何かが応えた。
     けれど、僕の中でそれを打ち消そうと、胸が急に鼓動を打った。
    「進藤先生に、呼び出された日。私だけ先に帰されて、私更衣室で泣いてて、水谷さんが慰めてくれて」
     僕の口が乾いた。
    「そして、うちに帰ろうと思って水谷さんと別れて」
     綾瀬の瞳の怯えがひどくなった。
    「けど、忘れ物しちゃったから……。教室に戻ろうとして。そのときに、見ちゃったの」
    「誰を?」
    「あなただった。間違いない。あなたが、何かを私達の教室の扉の上に置いたの。私、見
    たわ!」
    「ああ、何か靴先に引っかけて……」
    「あなたが呪ったの?進藤先生を?」
     消え入りそうな声だった。見られていたのだ、あの時を!
    「いや、違う。いいか、落ち着いてよく聞いてくれ。呪いなんかじゃないんだ。そもそも、呪いだなんて!」
    「私だって、そう思った。けど、こんなに続くなんて、変よ。それに、どうしてあのクラスで私だけがこんな目にあうか判る?私があなたの呪うところを見ちゃったからよ!」
    「待ちなよ!落ち着いて、僕の話を聞いて」
    「古典の時間に聞いたでしょ、人呪うときって、それを人に見られちゃ駄目なの!私はあなたが呪ってるところ見ちゃったから……!」
     綾瀬は恐怖がぶり返したらしい、完全に怯えていた。
    「だから、あなたが進藤先生を呪ったのに、私も巻き添えになった」
    「僕は呪ってなんかいない!」
    「なら、あの時何をしてたの?私達のクラスの扉に何を置いたの?」
     綾瀬はそこで言葉を切った。僕が誤解を解こうとしたとき、綾瀬の口から言葉が滑り落ちた。
    「なんで、あの時笑ってたの?……楽しんでるみたいに!」
     僕の身体の中で何か冷たいものが固まり、落ちた。
    「笑ってなんか、いない」
     声が震えているのが判った。
    「いいか、よく聞くんだ。呪いなんてそんなものじゃない……、」
     僕は必死で言葉を紡いだ。無藤の言っていたことを何とか伝えようとした。
     みんながそうなることを望んでいたという事、きっかけに過ぎないと言うこと、けれど自分で話しているうちに判った。
     無駄だった。
     綾瀬が僕を見ていなかったらなだめられたかもしれない。単に事故に巻き込まれただけだったらまだ話ができたかもしれない。けれど、綾瀬は僕を見たのだ。正体がわからないなら、呪いと思われてるものの正体がわからなかったなら、綾瀬綾瀬自身を縛る誤解を解くことが出来た。綾瀬の恐れを解きほぐせばよいのだから。
    けれど、今は違う。綾瀬は僕が呪ったと思っている。その巻き添えになったと思っている。
     綾瀬にとって呪いは実在している。そして、その呪いが掛けられた理由も判っているのだ。
     それら全てが誤解だと言うのに!一番根源的な誤解、その一つで僕の言葉は何を言っても言い訳にしかならなかった。
    「……もういいの。あなたの気はすんだのでしょう?もう、終わったんでしょう?だから、もう私にはこれ以上のことは起こらないわ。そうよね」
     ひとしきり泣いた後、綾瀬は無理に笑い顔を作ってそう言った。
     嘘だと判っていても、僕は頷くほかなかった。
    「なら、いいの。だけど、」
     僕は彼女の次の言葉を恐れた。
    「もう私達会わない方がいいと思う」
     彼女の目はその時も僕を恐れていた。


     僕は、夕方になると言うのに教室に戻った。もしも、無藤がいたならこのことを話してアドバイスをもらいたかった。いるかどうかも解らなかったが、たとえ無藤がいなくてもどこか人がいるところにこの身を置きたかった。
    自転車置場まで来たとき、グラウンドの方に人垣が出来ているのが見えた。何人かが慌ただしげに走っていて、赤と白に塗られた車が止まっていた。
     ……何であんなところに人がいるんだ?
     ……円盤投げの円盤が当たったって?
     ……また三年生だ。
     ……進藤先生のとこ?
     切れ切れに言葉が聞こえた。
     僕は教室に向かい走った。
     理性は必死でそれを打ち消していた。事故が重なっただけなのだ。確かに不安が大きくなったし、事故を予想してたヤツもいる。呪いが実行力を持つはずがない!無藤は言っていた。不安によってそのように現象を理解してしまうこと、それが呪いの本質だと。
     けれど、続きすぎている!
     教室に駆け込んだ。
     高塚さんがびっくりして顔を上げた。
    「高塚さん!無藤は!」
    「なんか、校庭でのこと聞いたら顔色変えて出てった。お前が出ててすぐだったんだ。やっぱり進藤のクラスだよ」
     何人かが応える。
    「やっぱり、呪いだよ」
    「無藤の言ったこと、けっこう説得力あったのにな……」
    「こんだけ続くと考えちゃうよな」
    「進藤のクラスじゃなくってよかったぁ」
    「お前じゃ、絶対無理だって」
    「進藤の方で入れてくれない」
     軽口を叩きながらも、どこか違和感を感じているのが、その表情から解った。

     結局、その土曜、無藤は学校には戻ってこなかった。

     僕は家に帰ってから幾度か無藤に電話した。無藤は留守だった。帰ってきたら電話をくれるように僕は伝えた。
     けれど、夜の二時を回っても電話はこなかった。

     僕は眠れなかった。身体の奥でギュッと胃袋が凝り固まっていた。息をする度にその塊が震えた。背中が板を張ったようにこわばっていた。何かを口にしようとしたが、喉から先に入ってゆかず戻してしまった。
     遠くから国道の車の音が聞こえてくる。
     僕は横になりながら何か、不条理な意思を感じた。
     呪いなどが本当に起こる筈がない。それらしい効果が起こるとしてもそれは、無藤が言ったように、僕らの物事の捉え方が変わる事によって起こるのだ。僕たちの目にどのように映るかが変わるだけだ。
     たしかに、僕たちは進藤や進藤のクラスに不幸が起きることを、面白半分で期待したかもしれない。それで、成績が下がったりしたかもしれない。けれど、それは、僕たちが「呪い」が行なわれたと知っているからだ。それを知らなかったら、ただの事件に過ぎない。
     少なくとも成績が下がったという事実はそれ以上の意味を持たないはずだ。それに意味を持たせて怯える、それが無藤の言った呪いの効果だったはずだ。実際に起こる現象にまで影響を及ぼせるはずがない。ただ、偶然が続いているだけだ。呪いがかかっていると騒いだのは僕たちだった。僕たちの望むように世界を理解しているに過ぎない。僕たちが呪いだと思っているから……。けど、事故は起きた!

     ベルが鳴った。僕の胃袋が跳ね上がり、捩れた。

    「もしもし、夜分遅く申し訳ありません。無藤といいますが……」
    「俺だ、どこに行ってたんだ」
    「……助けてくれ、こんなことになると思わなかったんだ」
     電話の向こうの声は憔悴しきっていた。
    「一体どうしたんだ!」
    「呪いが、本物になっちまったんだよ」
    「馬鹿言え!お前がいったんじゃないか!呪いそのものに力があるわけじゃないって!」
    「俺だってそう信じてたよ!少なくとも、たいていの呪いはそれで解決出来るし、本物の呪いなんてかかるわけないって思ってた。あんな出鱈目な方法で掛かるはずないんだ!もしも本当に呪いが力を持つんならあんないい加減な方法でかかっちゃいけないんだ!」
    「何を言ってるんだよ!わかんないよ!」
    「祓えないんだよ、俺の手には負えないんだ。知ってるいろんな方法を試したけど、祓えないんだ」
     無藤の声に鳴咽が混じり始めていた。
    「こんな筈無いんだ。呪いが本当にかかるなんて、そんなことないんだ……」
    「今、どこにいるんだ」
    「こいつら、こうなることを望んでるんだ、しかも単に、単に面白いってだけで、こんな
    ことに!」
     無藤は錯乱しているらしかった。言葉は支離滅裂になっていた。
    「ちがう!俺はそんなつもりじゃなかった!ちがう、俺じゃない。望んだのはみんななん
    だ。俺が望んだんじゃない。違うんです、違います。恨んでなんかいないです。僕が望ん
    だんじゃない!おまえが、おまえが悪いんだろ!あんな事を、あんな事をしたんだから」
     金属音が耳を打った。無藤の声が遠くに聞こえた。揺れる受話器が何かに当たる度、鼓膜が震えた。微かに無藤の叫びが聞こえた。
    「……嘘だ……まさか……そんなことで……そんなことで……俺まで……ゆる……さい……」
     荒い息の音が聞こえてきた。何かが喉に引っかかっているような、そんな音だった。
     身体の跳ねる音が聞こえた。そして静かになった。

     受話器からは風の音だけが聞こえてきた。いつまでそうしていたかわからない、やがて、ブザーが鳴ってカードが切れた。
     僕はそのまま自分の部屋に戻った。そして、布団を被ると必死で瞼をつむった。
     眠りたかった。何かも忘れたかった。

     結局僕は、ほとんど一睡も出来ずに月曜の朝を迎えた。

     親には何も言わず、僕は家を出た。普段よりも一時間も速い登校だった。
     学校は静かだった。朝もやの中を早めについた電車組が歩いていた。
     廊下を歩くと、どこからかクレゾールの臭いがした。
     教室には三、四人がいた。僕の顔を見て、みんな驚いていた。まるで、死人でも見るようだった。
     身体中に鉛を詰め込まれたみたいだった。頭の中にみっしりと蜘蛛の巣を押し込めらたようだ。
     登校してきた水谷由佳里が僕の顔を見て、一瞬怯えた。だが、何か伝えることがあるのか話しかけてきた。
    「きょう、綾瀬が登校するって……。どうしたのひどい様子ね。風邪?」
     僕は応えなかった。

     日の光が強くなってゆき、やがて教室に人が溢れた。高塚さんや篠山のダンナも登校してきた。
     話題は、土曜の事故についてだった。
     また、話の輪が出来て、ジョーク混じりで噂が伝えられる。
     僕はそれを何か遠いところでの出来事のように眺めた。
     彼らは貪欲だった。彼らは幾らでも話題を欲していた。
     僕には信じられなかった。彼らは進藤とそのクラスで起きたことをまるでテレビドラマについて話すように、話題にしているのだ。幾分かの気味悪さも彼らの興奮のスパイスにほかならなかった。
     やがて予鈴が鳴った。無藤はこなかった。

     クラス委員が何かを告げた。生徒達は一斉に動き始めた。どこかに向かっているらしかった。
     僕は虚ろな意識のまま、みんなに従ってあるいた。
     生徒は講堂に集められていた。臨時の学年集会のようだった。
     高塚さんと篠山のダンナが何か話している。周囲で潮騒のように噂が弾けた。
     ……進藤が?
     ……胃ガンだったんだって。土曜に自分の家で、
     ……だからさ、今日、残ってたろ。廊下にクレゾールの臭いがさ。
     ……昨日部活てたヤツが見つけたって。
     周囲で様々なことが囁かれた。今まで通りだった。無責任に、彼らは話を楽しんでいた。
     こんなことでしか彼らは。……

     いつのまにか講堂は静まり返り、壇上には漢文の川田が上っていた。
     川田のくぐもった声が切れ切れに聞こえた。
     ……進藤先生……週の土曜日……にて御亡く……ました。私達担任団……胃ガンを病んでいると……は知ら……おらず。

     周りで息をのむ音が聞こえた。

     川田は言葉を続けた。
    ……さらに、……日曜日に、……自習に……無藤君が……おそらく心臓麻痺……。
    「嘘だ」
     となりの誰かがびっくりして僕を見た。
    「土曜の夜電話してきたんだ」
     言ってから気がついた。そうだ、電話をしてきた。そして、そのまま死んだのでは無かったか?
     僕はその断末魔を聞いたのでは無かったか?
     笑い声が聞こえた。
     不謹慎なヤツだ。
     僕だった。

     壇上の先生方の視線が僕に集中した。
     生徒達の視線も僕に集まっていた。
     その時、僕にはようやく解った。

     彼らが犠牲者を求めていたのだ。

     呪いが明らかになったときから、彼らは犠牲者を渇望した。彼らは物語に飢えていた。自分達が物語を語れない、語る意欲を持たない以上誰かが彼らに物語りを見せなければならなかった。
     きっと、呪いでなくてもよかったのだ。何か、生徒達が望むような物語と出演者が揃えばその物語りは彼らにより遂行されたろう。
     綾瀬が、進藤が、無藤がしたように。

     無藤は彼らに呪いという物語を与えた。彼はそれを制御できると考えた。だが、彼らの意思は無藤の手を離れた。彼らの意思は貪欲な欲求だった。指向はなかった。
     ただ、物語を欲するという事にのみ力を与える、そんな欲求だった。

     彼らは物語を求めた。
     進藤のクラスに不幸が起きた。
     無藤は物語を求め、自滅した。
     物語りの行く末に自分の不幸を見出してしまった。

     そして今、その視線はこの物語りの終を求めている。
     最後の役者は僕しかいなかった。
     心のどこかで僕は泣きながら叫んでいた。
     いやだ、こんな役はいやだ。
     僕は呪いなんかしていない。
     僕は進藤を恨んでなんかいない。
     お前達がそう理解したいだけだ。
     そう言う風に結末がつけば美しいと、お前達がそう思ってるだけだ。
     いやだ、お前達なんかのために、なぜ僕が物語りを紡がなきゃならない。
     怠惰な、口を開けて待っているだけのお前達なんかのために。
     何故、進藤や、無藤は死ななければならなかった?
     そして、何故、今、
     僕にその役を演じさせようと言うのか?

     彼らはぽかんとしていた。
     そう、個々の生徒にはわからないだろう。
     僕が選ばれた理由が。
     僕でなければならない理由が。
     けれど、僕には解る。
     僕もまたこの物語りに自分の亡びを見いだしたのだ。
     それが一番『綺麗』な終わり方になるはずだった。
     それは僕にしかわからない、僕にしか出来ない終わり方だった。

     僕に向けられる視線は戸惑っていた。
     一体、こいつはなんなんだ?
     そして同時に期待を孕んでいた。
     こいつも呪いの犠牲者なのか?
     物語は今ここで新たな局面を迎えるのか?それとも終章に向けて話が終息するのか?

     講堂に僕の笑いがこだましていた。
     ふくれ上がった生徒達の期待が頂点に達したとき、彼女が立ち上がった。

     綾瀬だった。

     立ち上がった綾瀬の顔は絵のように白かった。
     僕の恋人は。
     生活指導教官に恋人との中を引き裂かれた悲劇のヒロインは。
     この呪いの犠牲者は。
     綾瀬は。
     ゆっくり僕を指さした。

    「彼が、進藤先生達を呪ったんです」

     凛とした声が講堂に響き渡った。

    「私、彼があの十字架を仕掛けるところ見ました」

     生徒達の視線が僕に集まった。

    「彼は、進藤先生を恨んでました」

     僕は立ち上がった。そして笑った。

    「私との中を引き裂かれたから!」

     最後は叫び声だった。
     僕は笑った。
     最初は本当におかしくて、そして、やがて、その笑いは何かに突き動かされてのものに変わった。
     笑いは止められなかった。視線が僕を尽き動かしていた。

    「狂ってるよ」
     篠山のダンナが呟いた。
     望んだのはお前だ。
    「そんなに、綾瀬のこと」
     水谷由佳里が漏らした。
     そう思いたいのはお前だ。
    「ひどい」
     高塚さんが目を背けた。
     どうした、望んだ結末だろう?

     お前達の望んだ物語りだ。
     受験に苛まれる灰色の高校生活。
     教師によって別れさせられる恋人達。
     男の呪い。犠牲者達。
     そして、恋人の告発で正気を失った、男。
     満足か?この物語りが?
     最後まで目を開いて見ろ!
     すぐに飽きて次の物語を求めるだろうが、今日のヤツは手が込んでる。
     何たって、今までに二人が死んでいて、そして!

     生徒達は物語の最後の登場人物を見つけた。そして、物語りに結末を望んだ。

     僕は笑い続けた。そして、駆け出した。
     全力で講堂を駆けた。
     綾瀬が悲しそうに僕を見つめた。
     いい顔だ、自分以外に誰に見せようってんだ?そんな顔。

     目の前にコンクリートで固められた講堂の壁が迫った。
     足はますます強く床を蹴った。
     何人かの悲鳴が聞こえた。制止しようとする奴は誰もいなかった。
     当然だ、彼らが望んだ物語りなのだから。
     コンクリートの砂の一粒まではっきりと見えた。
     脳天に衝撃を感じ、頭の形が変わった。
     血がしぶき、脳漿が床を濡らした。


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    メイル (2000/8/10 改訂掲載)
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