野望日記2004/03

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    04/03/02:CoC。あと、キャラクターの生死とキャンペーン世界のアングル
    04/03/03:UnearthedArcana途中感想
    04/03/04:20%突破
    04/03/09:週末雑感
    04/03/10:大島永遠
    04/03/17:テケレッツのパァ
    04/03/18:Red Alert
    04/03/21:ギルガメッシュの酒場 04/03/25:悪い習慣
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    2004/03/02(野望日記)

    CoC。あと、キャラクターの生死とキャンペーン世界のアングル

     一月は行く、二月は逃げる、三月は去るとはよく言ったもので。
     医者に行き、診察。ロヒプノールが二錠になって、リハビリ出勤が4時間に。

     よそ様でCoCd20がプレイされていたようで。(
    『From dusk till dawn』の3/2付け、及び『戦場には熱い風が吹く。』の同日分日記。うあああ、すっげーCoCがやりたいよう。

     『From dusk〜』の方は御ヨグ様にマカロフぶち込んで宇宙からその存在を抹消されたそうですが、以前のBasicCoCに比べてd20版はローリングショットとかの特技があるんで、ホラーっぽいというよりもパルプっぽくなっている模様。ムードは昔の方があるのかもしれない。これはかつてWoCが出していたAlternityがどちらかというとX-Fileあたりを再現しようとしていて、その影響もあったんだろうなぁ。
     『アスファルトを掘り返して青い麦の種を蒔こう』の2/22でもCoCのプレイレポが上がっている。以下引用。
    今回のセッションの感想をひとことでまとめると、
    「d20クトゥルフはクトゥルフを倒すゲームだった!」
    という感じです(笑)
    だって洋館の入り口でいきなり「ListenそしてSearch」、さすがに10フィート棒は使わなかったけど「Take20でOpen Lock」とか、スクエアシートで怪物相手にFlanking(AoOがないゲームなので戦術はけっこう変わるけど)とか私のキャラも筋力7敏捷11のひ弱ちゃんなのに、めっちゃ 頑張ってGrappleとかRanged Touch Attackとか試みてましたよ
     まぁ、実際ルール的にも(BasicCoCに比べれば)死ににくくなっている模様。ルールどおり遊んだらこうなるだろうなって気がします。
     そいや、余談ですが以前大体6〜7年前あたりにゲームをしたのですが、ちょうどインターネットや書籍の検索サービスが有効になってた時期でかつての「足で稼ぐ」〈情報収集〉の形態に変わったのがショックでした。
     新紀元社で21世紀日本活動ガイドとかだしてくれんかしゃん。移動、装備にかかる金やコネ、国家との組織の対応などなど。用はCthluhuNow日本語版が出てくれたならナァってことなんですが。
     あと、『戦場には熱い風が吹く。』。の以下の分にチト思うこと有り。
    ■CoCの良いところは、コンセプトがコンセプトなので
     「本気のゲームをやりやすい」ところだと思います。
     「セッション失敗=PCの死」のバランスでシナリオを作ることが許される。
     PCもPCで、生き残るため、必死に知恵を絞ります。
    (GMによりますが、たとえばSW辺りはSNEのリプレイを読む限りバーリ・トゥートというよりは、どっちかというとプロレスに近い感じではないかと。
     それが良い悪いの話ではなくて、スタイルの違いですな)

     CoCの醍醐味はよく冗談で言われるような「発狂や死を楽しむ」ことではなく、この「セッションに対する本気さ」だと思うです。
     実は、DnDもシステムとしてはまったく同じスタンスであり、それをどこまでやるか、どのようなアングルとブックを用意するかが各プレイグループの間でのすりあわせが大事なところ。
     たしかに、この点「死ぬこと」が前提となっているゲームならではの緊張感はいいスパイスだよな。正直SWその他をやっていない自分にはいう資格はないのだけれど、ソードワールドとCoCではキャラの死の重さが違うんでしょうね。CoCの方が多分世界に対してキャラクターの死の持つ意味がが軽いのでその分殺しやすい。そしてそれはマスタ及びプレイヤにとって魅力的だと思う。
     つまり、世界に対して各プレイグループで好きなように滅ぼして、めちゃくちゃにしていいという保証なんじゃないだろうか。
     かつて友人のTNは東京魔人学園剣風帖・転生録を始める際に次のように述べた。
    「……わたし的にさらなる理由があるとしたら、真女神転生TRPGというのは、キャンペーンを張るにあたって、マスターに覚悟を強いるゲームだ、ということがあります。メガテンTRPGの本道といえばやはり、世界がどんどん崩壊していく様を表現することだと思っています(デビルサマナーとかは邪道)。世界の破壊と変革がルール化されている数少ないゲームなのだから、まっこうそれに挑む方がスリリングです。
     いま遊べるゲームの背景世界の中で、この世界に近いモノはいくつか有りますが、メガテンは中でも特殊だと思います。ほかの、例えばクトゥルフなどと決定的に違うのは、
    『それでも人々は生き続け、世界は明日も見た目変わらず動いていく』
     という約束がない点です。もぉイクとこまで行っちゃう。ストームブリンガーですな。終末と再生を、きちんとPCを重要な要素として絡めつつ語りきるというのは大変な難事のように思われます。スリリングというのはそういうこと。
     で、妥協、というか、そのスリリングなことをやる一歩手前なら何とかできそう、と思うので魔人なのです。なんで魔人が一歩手前なのかはまた今度考えます」

     ここでもスリリングであること、PCの必死さが求められ、そしてそれに保証はない。彼は文の中で破滅以降の生活についても述べている。それはキャンペーン世界が変貌しそしてそれ以降も続いていくというところにダイナミクスがあるのだろう。
     その辺クトゥルフは大きな話をやっちゃうと世界が滅びたりするし、小さい話だとムーの記事くらいにしかならないのが不満かも。
     d20CoCは以前に比べて生き延びやすくなった気がするのでどんどん大きな話をやってみるのがいいのかもしれない。ラヴクラフトよりもブライアン・ラムレイよりと思っていたほうがいいだろう。
     ところで、誰かデモンベインと、ネクロノームと邪神帝国と妖神グルメと夢幻紳士怪奇編とアリシアYと矢野健太郎の邪神伝説シリーズあたりのクロスオーバー書かねぇかな。ニライカナイもいけるんだよなぁ。なんかきりがないけど。このなかにヨグソトースの娘と、ニャル様二つ、ハスターの申し子がいるのか。絶対そばによりたくないナァ。東京魔人は勘弁な。ちょい役だったし。

    2004/03/03(野望日記)

    UnearthedArcana途中感想

     というわけでちまちまと読みすすめているんですが面白すぎますUA。
     巷ではどうも戸惑いの声が多い様な気がするんですがさもありなん。今までのクラスブックやサプリメントがあくまでDnDの枠内というか、これまでのDnDの文法めいたものに従って拡張していたのに対して、
    UAが提示しているのはわれわれの頭の中にあるDnDとは別のアプローチなんですよね。例えば、
    ・スペルポイント制による魔法の使用。
    ・ダメージ軽減を提供する鎧のルール。
     などは、『呪文レベルと呪文スロットによる事前準備に頭を捻るキャスター』というDnD最初期からの概念を覆すし、ダメージを軽減する鎧の概念も一部(黒本のスーツアーマーとか)にはあったのとはいえ、あくまで例外だったのがここで提示されているのはすべての鎧が一定のダメージ軽減能力を持っているオプション。ACによって『ダメージを与えるに足る有効打撃のみを判定する』というこれもまた基本的なDnDのシステムに大きく変わるものといえます。
     ただし、これらのDnD的には異端といえるルールもそれなりの要求がなければ提示されなかったわけで、こうしたルールが提示されたのはそこにこれまでのDnDに対する不満、限界を感じているということでもあるわけです。
     たとえば、DnDで時代劇やスワッシュバックリング(怪傑ゾロとかね)をやろうとすると大変なことになります。彼らは鎧を身につけていないのですが、DnDの基本ルールは防御はあくまで鎧によるものであり、敏捷性のボーナスは確かに加算されるものの、フルプレートまでにはなかなか行かない。

    #なおこのことで一番貧乏くじ引いているのはモンクだと思います。高レベルになればなるだけよりボーナスを提供するブレイサー・オヴ・アーマーなしにはやっていけなくなる。これはモンクというキャラクターのよって立つところとしては忸怩たるモノだと思うのですが。

     マァ、これは当然でDnDは鎧を着た戦士がドラゴンと殴りあうゲームであって、レイピアやサーベルで軽やかにチャンバラをするためのゲームでなかったのだから、仕方ない。そのために海外ではスワッシュバックリング用のゲームもデザインされているそうですし。
    #このあたりはM's RPG PageのSwashbucklingについてがまとまってます。

     で、UAではこうした原DnDのコンセプトをある意味崩すようなVariantRuleを積極的に提示してます。さらには、デザイナーたちが使っているハウスルールについてもコラムとして記述があり、こういうのを見ているとなんかつくづく日本でのDnDユーザはリゴリストなのかもと思わずにいられません。つーか、デザイナーの皆様のやっているセッションてかなり原形とどめていないんじゃないかと。もちろん、内輪と外でのゲームというスタンダードが存在しうる稀有なゲームであるDnDにおいてレギュレーションの明確化及び簡素化は円滑なプレイのために必要不可欠なんですが、UAの出現はこの点で鬼っ子というほかない。
     これまではサプリメント規模でレギュレーションの規定ができた上、大まかに言ってプレイしたときの感覚は通常のコア三冊のプレイ感覚から(比較的)逸脱するものではなかった。つまり、プレイしやすかったといえますが、UAのいくつかのルールを導入したなら、これまでのDnDに関する蓄積はリセットされてしまう可能性があります。UAはまさしく鬼っ子なのです。社交的なプレイグループにとっては。
     しかし、自作派のDMにとってはこれほど便利かつ、インスパイアされるサプリはありません。
     これまで一応ワールド自作派の僕が読んでインパクトを受けたのは次元界の書(Amazon)の付録、大いなる転輪以外の世界観であり、「そうか、異界を表現するのにこんなにいろんなアプローチがあるのか」というものでした。
     だけど、今回のUAはキャンペーンおよび世界観について「ここまでDnDの伝統というか既成概念を取っ払い、モジュール化された追加ルールの組み合わせで自分自身のキャンペーン世界を作ることができるのだ」というベンダーからの挑戦状というか“ここまでやってもDnDはDnDなんだよ”という25年以上の歴史に裏打ちされた自信と、そして過去の資産をリファインしつつ常に新しい概念を導入してゆく態度に満ち溢れている気がするんですよ。
     正直、コンベンションなどではこれを利用した卓は立たないと思います。チューニングを限界まで追及したエクストリームなDnDは不特定多数と遊ぶコンベンションでは無理でしょう。ブックなしで総合格闘家が全日のリングに上がり、川田相手にシュートを仕掛けるようなものです。
     一方で、内輪でのプレイに関して言えば非常に有効なサプリといえます。マスターは多数のバリアントをチェックしPCに提示しうることで自作の必要なしに自分なりの世界観を構築することができます。プレイヤーはこれまでの半ばルーチンとなった冒険に対して新たな戦術、作戦、諜報そして活動を考える必要があり、それはマンネリを吹き飛ばす面白さに満ち溢れています。パンクラスというか初期のリングスの楽しみがありますね。
     さて続きを読みます。
     DnDは確かに公的世界で大いなる転輪やグレイホーク、ForgottonRealmを展開しているけれど決して自作派のフォローを忘れないでいてくれるのが嬉しいし、信頼の根源となっています。
    ただ、それにしても会いかわらずfighterが不遇なのは気のせいでしょうか。

     備考。多くの追加ルールがあるけれど、一気に導入するのではなく地域的に分散させてくのが面白いと思う。新天地で新たな武器を覚えたり、宝物の中から地からあるコンポーネントを探し出すというのは楽しいと思う。
     あと、個人的に気にっているのは、戦闘中のキュアスペルは直接怪我を治すのではなく、これまでの怪我を非致傷ダメージに振り返るというもの。イメージ的に美しいので&戦闘後にある程度時間を取らせることができるので、スマートかも。
     あと、呪文修正特技に多くのバリアントが示された、実際に現場に行かないでMaximaizeFireBallは必要ないかもしれない、そのあたりをやや軽減するルールがある、個人的にはつかっていいかなと思っている。なかなか準備しないしネエ。

    2004/03/04(野望日記)

    20%突破

     体脂肪率が。
     さすがに危機感を覚えたので、知人に対症を聞く。
     とりあえず、晩御飯をどんぶりから普通の茶碗に変えたうえで、夜のお茶請けをやめ、そして空腹をご飯で何とかするのではなくおかず(低カロリー。高タンパク)になものにすることとなる。
     一番いたいのは丼飯が食えなくなることだろう。ここ最近のおかずは昆布の煮物とひじきの煮つけに野沢菜と、とにかくご飯がおいしく食べられるものをそろえていたので、ご飯一膳はかなり寂しい。
     あと、タンパク質系のおかずというと肉なんだろうが、脂が入るからあまりよろしくない。豆腐あたりでやっつけるとしよう。
     まぁ、通勤に車を使って書類仕事だけで現場に出ず、帰ってきてからもルールブック読んでるような生活じゃ太って当たり前だ。
     それはそれとして、昨日に引き続きUA。
     6章に入ってからはキャンペーンに関わるルールが並ぶ。興味を引いたのは「コネ」や「名声・悪名」、「名誉」などをキャラクターの持つリソースとして管理、活用するシステムが示されていること。数回から十数回に及ぶキャンペーンを基本とするDnDならではと思う。もちろん、コネや名声などをルール化し、またそれをキャラクターの特殊能力として扱うっていうのはこれまでも数多くのゲームで為されてきたことであるし、取り立ててDnDオリジナルというわけでもないのかもしれない。
     ただ、D16はこれらのルールがあくまでキャンペーンを遊ぶことを目的として作られているところにDnDらしさを感じた。
     Aquillaキャンペーンにおいて古参キャラクターは明らかに新参キャラクターに比べNPCや共同体、及びPC間での信頼醸成が為されており、大きなアドバンテージとなっていた。

    #一方で新規参加キャラクターは後発サプリを使用した最適化キャラクターとして尖がっていた。

     僕はこのようにキャラクターの為してきたことが世界との間で意味のある関係を作ってゆくこと、そしてそれを時に応じ利用し、利用され、さらにはその関係ゆえに窮地に立たされるといったこと、世界とPCとの濃密な関わりが生まれることこそキャンペーンゲームの醍醐味と思っている。
     しかし、だ。すべてのキャンペーンが1レベルから始められるわけではない。目的に応じ高レベルからはじめるキャンペーンもある。需要がある。
     そのとき作られたキャラクターと世界とのかかわりは一体どんなものになるのか。
     これまではPCとマスターの間でのすりあわせという形になっていた。これは出発点を決めるのには有効だがその後ゲームが進んで行ったときには意味が薄れていってしまうこともある。そのキャンペーンが大陸を旅するようなキャンペーンであり、そしてPCが旅人であるなら知り合いはいてもおかしくないし、ウィザードよりもパラディン、パラディンよりもバードの方が顔が広いに違いない。
     このあたり、つまりキャンペーン世界とPCのかかわりも実際にはPCのリソースなのだけどそれを扱うルールはあまり整備されていたとはいえない。
     UAで示されたこの名声やコネのルールは、1からキャンペーンを始めるのならあまり必要もないかもしれないが、高レベルキャラクターによる、世界に密着したキャンペーンを行なう際にはPC、DMともに有効な指針となる。
     このルールを厳密に適用するのがいいというわけではなく、こうした指針をルールという形で提供すること、それで充分なのだ。何もないところから作り出したり、その結果不満が生じたりするくらいなら、叩き台としてのルールを参加者がはっきりとわかる形で示せるほうがナンボかマシである。
     そして、同時にやはりこれは洗濯ルールだろうなとも思う。
     これを基本ルールに入れていたら、いわゆる『DnD』らしさは、その版から失われてしまうだろう。DnDの基本は間違いなくダンジョンに入ってドラゴンと殴りあうゲームであり、基本としてのルールはその目的のために研ぎ澄まされたものであるべきだ。
     あれもこれもは切っ先を鈍らせる。

    2004/03/09(野望日記)

    週末雑感

     ここ最近UAの話ばっかりしていますが、今週末は知人のお見舞いに福井県の敦賀に行ってまいりました。朝目を醒ますと日光は冬景色でかなり、あせったのですが一応、予定通りの進行で敦賀まで。
     見舞い相手は大学時代の部活仲間。病状は決して楽観を許さないのですが、もとからとってもクールでクレバーな男なので状況に(僕から見れば)信じられないくらい冷静かつ真摯に取り組んでいました。
     僕の人生は自分がやたら中途半端な人間にもかかわらず、友人関係だけはすごいやつがいます。もちろん能力的にも目を見張る連中ばかりだし、あと、密かに美形率、美女率が高いんですよね。眼福。
     じつは、自分自身が割とグダグダなのでそういう彼らを見ているとうらやましい反面、距離を感じたりすることもあります。いや、間違いなくそれは自分を過小評価していると思うんですが、世界中の誰もかもが偉い人に思えてしまうときってあるんですよ。
     で、そんな中でお見舞いなんていって大丈夫かなと思ったんですけど、こういうときほんとに部活ということを一緒に費やした仲間ってありがたいです。
     引退していい年立つのに、相変わらずD16は突っ込まれのいじられキャラでした。
     お見舞いの当人は自分の置かれた状況をきっちりと分析していて、取れる最善の策を行なっている。正直、辛いなんて言葉で済ませられないことが幾度なくあったと思うのですがそれに正面から、そしてなお(少なくとも僕らの前では)気負うことなく振舞ってみせる。
     僕の人生で一番の収穫は、リアルで本当にかっこイイと言える奴らと時を共にできたことです。

     日曜日は蔵王の小学校時代の友人の舞台を見に行きました。役者を目指して頑張っている男で、顔立ちもいいし、アクションの切れもいい。
     今回の公演は
    OfficeXYZがプロデュースした、『水戸黄門』。若き日の水戸光圀が仲間達と共に、とある藩の宝と陰謀に巻き込まれていくと言う痛快娯楽チャンバラ時代劇。こういう言い方がほめ言葉になるかわからないのだけど、『胃にもたれず』すっきりと楽しむことのできる話でした。
     じつは、この芝居の主役格の“光”役をやっている佐竹勲君は実家のお隣さんで小学校の同窓生。学年は確か2個下だったんだけど、こっちきて役者やってるって聞いて、もう嬉しくて仕方なかったです。頑張ってる人見るのって嬉しいじゃない。そしてそれに結果がついてきているのだから。  それにしても生舞台っていいねぇ。ホント役者の生のエネルギーに当たられて心地よく酔っていました。
     それからは池袋に移動して、膝サポータと減量用プロテインを購入。さて、頑張ろう。

    2004/03/10(野望日記)

    大島永遠

     まぁ、
    女子高生(公式サイトはこっち)の話からはじめようか。
     とりあえず、何で手に取ったのかはわからないけれどとにかく最初はコミックスの立ち読みだった。
     学校モノを書きたいなと漠然と思っていて、女子高モノのなにか面白げなマンガでもないかしゃん。そんな感じだったと思う。
     ただ、少女マンガは地雷を踏む可能性が高いので少年誌あたりに何かいいのがないか、つまり二宮ひかるのもう少しおとなしめのマンガがないかなと思ってその時僕は本屋をうろついていた。
     そこで、この題名である。
     「女子高生」
     ?も!もつかない、ロゴもいじっていない丸ゴシックの題名。で、マットに仕上げたカバーは清潔な印象の青。手に取れば表紙にさらさらロングでブレザー、チェックのスカートの女の子のカット。
     全然、媚びていない。
     そこに好感を持てた。いい出会いだったと思う。
     女子高の赤裸々な暴露ネタ+ちょっとイキ過ぎた感もあるイキオイと下ネタ。ただし、スマートかつ清潔な描線。この段差で冴え渡るギャグ。「ここはグリーンウッド」や「マリア様が見てる」のフィクショナルに楽しい学園生活と違って、リアルっぽい生活感がある。このリアルっぽさっていうのが絶妙なのだ。
     「本当にあった愉快な話」という4コマ漫画誌がある。読者からの投稿をもとにした珍事件を4コマにしたマンガ雑誌だが、正直言って笑えるのは少ない。他人の家庭や経験がいくら面白かろうと、それが万人に伝わるように加工するのにははっきりとマンガの書き手の技術が問われることがわかってしまう雑誌だ。
     正直、この雑誌で下ネタ系の投稿及びネタには笑えるものは無い。品が無く不潔なものになってしまうからだ。それはマンガの絵でもそうだし、起承転結のまとめにもよる。本当にあったことをただ描くってのは何のネタにもならない。
    #そういう意味で「ももいろシスターズ 」は画期的だったと思う。
     大島永遠の描くキャラクターは清潔で整っている。それはたとえ香田の仮装がアレでも、無駄毛始末の話でもはたまた生理用品の男からすれば気を失いそうな話でも、違いないのだ。
     だから、安心してみていられる。
     そしてもう1つ。
     この女子高生達は媚びていない。リアルっぽさのせいかどうか知らないけど、少なくとも「キャラ萌え」を指向していないと思う。もちろん萌えなんてのは見る側の問題なのだから、小川ちゃん(;´Д`)ハァハァな人は勝手にするがいいけど、彼女らはそんな視線にかまわずとんでもねー高校生活を行なうだろう。
    #とはいえ、 (;´д`)ハァハァ相手にいろいろと立ち回ってくれるのも間違いなく彼女達だと思う。
     と言うわけで、D16が一押しの作家だったりする。
    ○関連サイト
     「女子高生」公式サイト
     コミックとらのあな・インタビュー
     まんが王・「女子高生」一覧

    2004/03/17(野望日記)

    テケレッツのパァ

     昨日病院で先週からのテンションの下がりを訴えたところ、調剤が変わり、アナフラニール10mg*2、レキソタン2mg*1、パキシル10mg*1を食後に、睡眠前に同量のアナフラニールとレキソタン、そして眠剤としてマイスリーとレンドルミンを頂く。不安の頓服にはコンスタン0.4mg。
     で本日は天気もよく、書類整理などしつつ、たまってた書き物を片付け図書館へ。
    創世日記の方での神官への問いのネタを仕込むためにヨーロッパの哲学をさらっと斜め読みしようと考えたのだ。東洋神秘思想から印哲に関しては良い師匠と教科書にあたったのでゲーム上のはったりを利かせるには何とかなるのだけれど、洋物の方はトンとご無沙汰だったので。
     いろいろあってもわからないから、司書さんにうかがい、ソフィーの世界とビジュアル版哲学入門知の歴史と言うのを借りる。なお、帰宅時にばんがいちの新刊及びチャンピオンの早売りもゲットした。
     で、家に帰ってから読み始めた。
     話題になるだけあってソフィーの世界は読みやすく牽きこまれていく。と、ここで異常に気がついた。
     何かに集中して本を読んでいるとき、僕は身体感覚として、文章の内容が視覚から直接おでこの裏に流れ込んでくる感じを得るのだけれど、それが暴走しているのだ。
     ありていに言って、見る文字見る文字がかってに僕の頭の中に流れこんできてしまう。そして僕の部屋は活字だらけだ。本に集中すると、内容は面白く、まさにスポンジで水を吸い込むように書かれている内容が僕の中に入ってくる。けれど、それが、速過ぎる。理解のテンションは追いついていっているが明らかにオーバーペースだ。偏頭痛がしてくる。
     たまらず僕は本を閉じ。目を閉じた。精神集中はふだんから行なっているので、その調子で意を眉間に持って行き、そこで浮き上がる想念を浮かぶがままにしてゆく。やがて、目を閉じているにもかかわらず、両の眼とこめかみそして後頭部をつなぐ意識平面が形成され、それが僕の中から広がってゆく。まるで、意識がどんどん外に拡大していく感じだ。
     「魔境」に入ってしまったらしい。この程度の認識感覚の誤動作は今に始まったことではないが今回は伸びやかな達成感を伴っており、これが剣呑だ。クセになりそうな気持ちよさだ。
     感覚としては脳がストレッチををしている感覚に近い。もちろんそんなことありえないのだが、頭の一部がそういった感じのテンションをうけ、血行が強まり、意識が変質する感じだ。これが、気持ちイイのだ。
     多分、二時間くらいコタツに丸まって目を閉じてひたすら内観していたけれど、そのうちに転寝をしてしまった。その間、ひどく歯軋りしたり、吠えたり、何かを引っかいたりと忙しかった。
     目を醒ますと先ほどの高揚感はさすがに失せていたが、張り詰めたテンションはまた気を抜くと騒ぎ出しそうでとにかく安静にするほか無かった。薬を飲んで抑えていいのか、これが薬のせいなのか。問い合わせようとした知人に連絡が取れず、ほとほと参ってしまった。
     直截な物言いになるが、息子が起ったまま収まらないと言った感じ。息子と言うよりも頭の一部なのだけれど。
     それが5時間ほど続いて連絡をとり薬を飲んで寝ることにした。結局薬の副作用による躁転であったらしい。
     電話に付き合っていただいた皆様、ご迷惑をおかけしました。
     

    2004/03/18(野望日記)

    Red Alert

     注・本日の掲載文は多分に精神汚染の可能性があります。
     D16は可能な限り冷静であろうと勤めておりますが過分な自己漏洩に読者の皆様が嫌悪感を抱く怖れがあります。
     それでもなお、Webに記すのはこうして書き記し誰かに見てもらうこと、聞いてもらうこと、それにたる文章を書こうとする行為そのもので自分を保っているからです。
     今のD16は無為に日をすごすもの以外の何者でもなく、本来の仕事も、手伝いも、そして自分が手慰みにつづり為してきた物語を記すこともできないでいます。
     この文はD16の悲鳴です。助けを求めての悲鳴ではありません。ただ、怯え、痛み、恐れ、嘆くがためにのどから引き出される、あげるためだけの悲鳴。書くだけの悲鳴。記すだけの悲鳴です。
     この警告文以下の文章はD16の吐瀉物です。吐き出さなければ自家中毒を起こしてしまう毒物であり、むしりとらずにはいられない腫瘍です。
     繰り返します。以下の文は読むあなたの平穏な心理を乱し、健常な精神に対して嫌悪感と違和感を引き起こす恐れがあります。
    • あなたがwebを単にさまよってこのページに至った
    • DnD、TRPG関係の情報を求めてこのページに至った
    • それ以外の何か有用な情報を求めてこのページに至った
     上記に当てはまる読者はこの先に目を進ませないことを強く勧めます。
     今から記す内容は悲鳴以外の何物でもありません。たとえそれが文章の体を為していても。
     記さなければならない。自分の欠損部を、なくした何かを記さなければならない、記述しなければならないかたどらなければならない。
     だが、これは本当に欠損部なのか。こんなものはなかったのではないか。私は何かを失ったのではなく私には本来備わっていなかったのではないか。ちがう、そうではない。父母は私を満足に育ててくれた。責を父母に問うな。
     こうなったのは私自身の行いと思索と逃亡と欺瞞と虚勢とそしてこの人生にはわずかの間しか関わらないそれにも関わらず私のあり方を鎧袖一触で矯正していった行きずりの他人の本人も覚えていない言説でしかない。
     弱さを外に求めるな。弱者は生きるための精力の多くを釈明と責任逃れに費やす。私はその意味において間違いなく弱者であり、弱者であり続ける限り、弱さを外に求める限り変われない。
     痛いのだ、苦しいのだ。それ以外に悲鳴を上げる理由などあるものか。
     憐れみを垂れられたいのだ。慰めの眼差しを投げかけられたいのだ。そしてその上でそれを拒絶してみせるのだ。ちっぽけな自我を保つために。なんと見苦しい様か。あがくでもなくすすり泣きつつ拗ねて見せているだけの私は。
     応えろ応えろ。私を私とするものよ。すでに私は統合を失って久しい。私には私はない。観察者の無い私はない。私の総体は私が面する人々の前でとってみせる媚態の総和に過ぎない。後輩としてのD16、先輩としてのD16、労働者としてのD16、息子としてのD16、兄としてのD16、男としてのD16。関係の中でしか自分を規定できない私が私を必要としない、私を厄介者と見なす、一瞬といえど私を異物と見なした者達の中で過ごすのは、身に悪性の腫瘍を抱えて生きることだ。その関係体の中で形成されるD16は自ずから、その媚態の総和たるD16に瑕疵を亀裂を腫瘍をなして生成されるのだ。
     私はどこだ。私はどこだ。書いている私はかろうじて私なのか。全ての媚態を取り払った先に残っているのは「私はここにいる」という形での叫びでしかないのか。悲鳴でしかないのか。
     ならば、私は何だったのか。よってたつ全てをはぎ取られて残った唯一が悲鳴であるなら、三十年に渡る月日を重ね私は悲鳴だけを残してきたのか。赤子か。
     ちがう、赤子の悲鳴は純粋だが、私の悲鳴は純粋でなど無い。ひずみ、ひび割れ、色あせたうえにシリコーンとペンキを充填し塗り重ねた、悲鳴だ。
     赤子の産声に肉身がついて自我となっていったのなら、今ある私の悲鳴のまがい物についていたハズの肉、膿崩れ流れ去り足下で泡立つこの腐れ汁はなんだ。これは私であったかも知れない者なのか。私はこれを本当に失ったのか。これは私の肉身などではなかったのではないか。
     私は言葉を与えられた、私は人と関係を結ぶことを覚えた。自己表現として自分を作っていった。そしてその作ってきたものは今腐れ汁となり、悲鳴だけがここにある。
     無くしたのか、失ったのか、無かったのか、捨てたのか。
     記さねばならないのは何か。
     それは私が失ったものか、失ったという事実か、失ったという事実を喧伝せずにいられない卑小な自己か。
     現実が押し寄せてくる。空腹が渇きが、それよりも世俗的なタスクが押し寄せてくる。媚態の総体としての私にタスクが押し寄せてくる。媚態を支えてきたものはドミノ倒しの要領で崩れ去り何も支えるものは残っていない。
     繰り返す、残っているのは悲鳴を上げる自分だけだ。悲鳴だけが自分なのだ。
     おかしい、可笑しい。
     キャラクターは六種のアビリティではなかった、特技ではなかった、技能でも呪文リストでも、アイテムリストでもなかった。
     ただ正気度だけがキャラクターだった。
     ファイターが、ウィザードがロールプレイだったのではない。ただ、一時的狂気の示すフォビアや緊張症が心底キャラクターのロールプレイだった。
     得心がいった。私はいま、多分一時的な狂気の中にいると装っているのかそれとも本当に一時的狂気の中にいるのかそれともすでに正気度がゼロになっているのに外部刺激に応答して媚態を繰り返しているだけなのか。
     そのいずれかでありいずれでもないのだ。
     
     おちついたか?D16。自分の分野になると得心言って落ち着き払う、見栄っ張り。いいか、お前が世界をどのように理解しようが、解釈しようが、そしてこんなwebの片隅で異議を上げようが、実の世界には何も影響ない。
     降りかかるタスクは変わらず、求められるクォリティもくぉんていていも変わらない。
     お前が悟ろうが狂おうが、世界は回るのだ。お前はそこでバケツをリレーすればいいのだ。
     もうバケツはつかめないんです先生。
     なら、リレーからはずれるのだ。有情世間の火事を消すのにはいっぱいでも多くのバケツの水が必要なのだ。リレーからはずれろ。
     リレーからはずれた私は何をすればいいんですか、先生。
     答えなど無い、火を消すのに忙しいのだ。
     それに俺は知っているぞ。D16。
     お前は、はずれたのではない、ただつかれて怠けたかったのだ。怠けたお前に行く場所など無い。「もうバケツがつかめない」のではない、つかみたくなくなった「面倒くさくなった」だけだろう。役に立たなくなったと言えばはずしてもらえる。
     そして戻るのを恐れているだけだ。
     恐れている、恐れている。そう、恐れている。
     けれど、意志セーヴで1がでたのは私のせいですか。

     書き留めろ書き留めろ。それが今の私を保つためならば、草木金石禽獣蟲魚の薬を使い魔境に至ろうとも書き留めろそして眠れ。

     そう、眠ろう。明日の朝までは乱されず許される。
     この中途半端な悲鳴をwebに上げて、未練がましく泣き目を腫らしてなま暖かい万年床に潜り込もう。明日には山が崩れているかも知れない、明日には世界が滅んでいるかも知れない。明日には日が昇らないかも知れない。
     明日には雨が降らないかも知れない。

     疲れたので寝ます。04/03/18、23:25

    2004/03/21(野望日記)

    ギルガメッシュの酒場

     自分で読み返すのが痛々しいような文章を書いた次の日の朝、二日ほど遅れて辞令が出た旨を先方に連絡し、いろいろ言われ、ようやく感情が動きました。
     30にかからんとする男が声を上げて泣くって言うのもおおよそ人様には見せられない姿ですが、この際どうでもよろしい。これまではどう言われても絶望と自己卑下しかできなかった自分がようやく、アクティブに(たとえ後ろ向きでも)反応できたので、マシになってきているのでしょう。
     以下見苦しいので一部反転。
     つか、自分としては相手に自分のヤバイ所(病的な怯え、震えetc.)を見せないように努力もしたし、言ってくれる指摘は素直に助言だと思おうとしてきたさ、で、仕事休んで治そうとしてたんだ。けど、見せない努力、普通に振舞おうとする努力のおかげで、単に仕事嫌がってると思われて「仕事嘗めるな」とか説教されたんだったら、いっそ俺はあんたの前でキレて見せりゃ良かったのか? そうしたらあんたは「ああ、今こいつはヤバイから薬と休養が必要なんだな」と理解してくれたってのか? 
     泣かずにはいられなかったのは、自分の莫迦さ加減に腹が立ったからだ。
     
     というわけで、泣き言を言うとたっちーさんが呼んでくださったので、鼻をスンスンと鳴らしつつ東京へ。
     デカレンジャーやガンスリンガー・ガールの最終回を見ながら、アイリッシュ・ウィスキーと賞味期限を半年過ぎたギネスを飲み、ぽつぽつと愚痴を言ってみたり。
     けれど、やっぱり作品を見ていると何となく、愚痴なんかより、今見ているモノについて話したくなるし、やっぱりそれは面白いのだった。

    「なんかこのビデオデッキ、CGが入る画面ではトラッキング合わなくなりますね」
    「古いしなぁ」
    「80年代としての抵抗でしょうか」
    「なむなむ」
    (「攻殻機動隊SAC」を見つつ)

    「感極まると、笑ってしまうってのは悪い癖だな」
    「少なくとも、よその人は誤解しますね」
    (「ガンスリンガー・ガール」最終回を見つつ)

    『お前重要参考人に何するんだ!』
    『俺、二丁拳銃ッスから』
    「会話になってないない」
    (「デカレンジャー」の録画を見つつ)

    「なんか、レオンがいい人光線出しているんですが何があったんですか」
    「イヤそれは(中略)ってわけで」
    「な、なんだってー(AA略)」
    「さらには、これを聞いて『あの人』が電撃参戦、相方はアレで」
    「うわー」
    (「カレイドスター」の録画を見つつ)

     ……まぁ、5年前と変わらないというか、学生のときとまったく変わらない状況で。
     
     飲みつぶれた次の土曜は、銭湯に行き、近くにいるなおなみさんと合流して中華を食いつつ、現状を話して、紹興酒を空け、その勢いを駆って例会へ。
     神無月さんと鷹羽レイを確保して飲み屋へ。3度目の愚痴で割りと冷静に状況を話しつつ振り帰る。
     本当は東京に来る時点では憂さ飲みしてべろんべろんになる予定だったけど、分割して愚痴ったおかげで割りと復活。

     そして、改めてまだ自分の座標軸というか帰って休むところとしてSF研の仲間が機能しているってことをありがたく思ったり。
     この人たちくらいなんだよな。一切気負いなしに話せるのは。わざと道化ぶる必要も、かしこまる必要もなくつきあえるのは。仕事関係でもそういう付き合い持てればいいんだろうけど、無理だったなぁ。いつか治しておかないといけないんだろうな。

     現状認識が新たになったので、これを基に今後の復帰計画を相談しようと決心した日曜の帰りの電車。

     追加。
     たっちーさんのところで、言われた台詞がすごい図星で腹が立つんですが。
    「
    この前の読んで思ったんだけどさ」
    「はぁ」
    「その、なんというかお前の原体験というか妄想の出発点はやっぱり体育用具室から動かないんだな」
    「……」
     かつて、鷹羽レイに、「これあんた好きそうだから」と菜々子さん的な日常を渡されたときのような図星ッぷり。
     まぁ、いずれみてろよ、と。
     
     さらに追加。
     いずみのさんのThe '90s is not END、3/21分日記ほか、yu-showさんの好き好き大好きっなどなど、多くのところで「プリキュア」第8話について反応がありましたが、何となくプリキュアという話を陰陽思想に基づいた易で説明できるのではないかと思ったり。
     それぞれの要素(2人の苗字、性格、ミップルとメップル、変身後の色)から今のところ、「なぎさは八卦では坎(かん)、ほのかは艮(ごん)。一方変身後キュアブラック(なぎさ)は兌(だ)、キュアホワイト(ほのか)は艮(ごん)では無いかと。いずれ、それぞれの由来ほか調べてUpしますけど。

    2004/03/25(野望日記)

    悪い習慣

     本日は
    伝奇思考実習を休んで、雑談を。
     ここ最近、「わたおに」って言ったら、あの「週刊わたしのおにいちゃん」だと思うじゃないですか(リンク先は2004/07/30発売予定の特別増刊号だそーで)。「わたしのおにいちゃん」略して「わたおに」。ぐぐったってトップはこれですよ。だから、「渡鬼」ショップ・ドット・コムとか言ったら、2chずれしていなくたって、
    「ああ、『わたしのおにいちゃん』の中古販売か、妹モノ専門店だな」って思うと思うんですよ。
     間違ってないですよね。ね?
     ほんとに、「渡鬼」でした。  いや、僕は妹属性無いから特にがっかりもしなかったんですが、もしかしたら結構な人ががっかりしているんでしょうかね?
     
     
     僕、大学入ってから悪い先輩達にアニメの見方教わったんです。ええ。単位と引き換えに。
     いや、選択をしたのは自分ですけどね。セッションのたびに80年代OVAの名作、奇作、怪作、ケッ作を取り混ぜていやおうなしに魅せてくださった先輩方には感謝を通り過ぎて、怒りさえ覚えることがありました。特に破邪大星ダンガイオーの第二話『涙のスパイラルナックル』とか見せられた日には。(獣兵衛忍風帖とかは感謝してるんですけどね)
     けど、最近の自分の生活というか志向を鑑みるに、一番ひどいことをしでかしてくれた先輩は、別の先輩でして、その人が教えてくれたのは一年間なり、2クールなり一つの番組に付き合うってことなんです。
     ただね、考えてみてくださいよ。
     自分が大学1年当時で一年通してやっているアニメって、種類が限られてくるじゃないですか。
     ぶっちゃけ、勇者シリーズやセーラームーンや名作劇場やNHK教育だったりするわけですよ。
     これがね、Evaだとかカウボーイビバップだとか攻殻機動隊SACだったら自分なりに言い訳つくんですよ。「ジャパニメーションは今や国際的に認められた云々かんぬん」とね、見苦しいですけど。
     けど、ガオガイガーを除く勇者シリーズや、NHK教育のアニメや掲載紙がなかよしだったり、てれびくんだったりするアニメをみてるってのは、さすがにもう言い訳できないと思うんですよね。少なくとも自分が親だったら『ちょっと来い』といいますね。学生だったら仕送り減らしますよ。ええ。
     けどね、面白いんですよ。
     これはね、個々の話だとか作家性であるとかそういう見方じゃないんですよ。一年間という歳月を作中の登場人物とシンクロして、つまり、一年間自分にその作品と向き合うって言うタスクを課したとき初めてわかる見方だと思うんです。

     ウルトラマンティガを一年通してみていなければ、ラスト数回のあの怒涛の興奮、感動は得られない。

     勇者指令ダグオンも一年付き合ったから、あの高校生達の生活とラストの作画に泣くことができる。

     個々の回や全体としての質に上下はあっても一年通して物語に付き合うっていう姿勢、よりによって僕は教わっちゃったんですよ。悪い先輩から。
     知り合って7〜8年経ってようやく、セーラームーンの第2クールを見せてくれた先輩なんですけどね。
     その先輩があの13話から26話を見せてくれるっていった時、多分先輩の中でも何か雪解けがあったのかもしれないけれど、僕の中でも「ああ、少しはこの人の見かたに近づけたんかな」と。

     近づかんでも、凍ったままでも良かったのかもしれませんが。

     とにかく、そういう意味でアニメを見るという習慣を教えてくれたんです。その先輩が。悪い先輩でしょ?おかげでカタギには戻れない身体になっちゃったですよ。
     でも、僕が自身で「一年間付き合いたい」って思ったアニメって少ないんですよ。ぱっと見て雰囲気が合わなかったり、録画するのがめんどかったりで。
     その僕にして数少なく、(遅れはしたけれど)つき合えたアニメがMRRであり、多分これから付き合っていくであろうアニメがプリキュアじゃないかなと。
     プリキュアが一年続くのかどうか知りませんし、ピーサードが5話退場って何よとか思わないでもないんですが(ぶっちゃけ不安ですが)。なんか、気になっているんですよね。
     それが、その記事まで書いちゃった理由かなと。

    2004/03/31(野望日記)

    煮え煮え

     とりあえず、今週は頭から煮え煮えでした。
     薬との相性か頭痛が取れず、そしてひたすらに眠い。仕事なんてやってられない。月曜は午後から、火曜日水曜日は全休、ぶっ倒れ睡眠。何もしないで寝ています。おかげで辞令受け取れていないし。こんな人間が社会人面ぶら下げてて良いんでしょうか。とりあえず、職場での心象は最悪の模様です。
     四月からの生活がどうなるか本と楽しみですよ。
     いいこと探しって言えば、民放がつながるようになるのと、ADSLを導入できるかもってことくらいだしなぁ。
     とりあえず、状況見つつ休職を本格的に考えなければならないだろって感じ。今度の休職では転職を含めて考えて見なきゃなぁ。配置換えでどこに行くかでまた話は変わるんだろうけど。とりあえず今の部署からは逃げたい。
     プリキュアはもうちょっと安定してからにします。それまでに本編が怒涛の展開を見せないことを祈っていますが。
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