野望日記2003/3
えっと、愚痴です。読み飛ばして頂いて結構。周囲の誰にも言えないのでネットの大海に流します。(こういうのに限って戻ってくるんだ)
半年前の自分の首を絞めたい。お前があの頃のほほんとしてたせいで、こんな風になってる。三月後の自分にはこんなこと思わせないようにしよう。
なんと言っても、言い訳のしようの無いくらいにザル仕事をしていたことが今に名って明らかになり、その後始末に四苦八苦している。実は担当の現場代理人さんも現場代理人をするのは初めてだったので双方共にミスにミスを重ね今に至っている。
もっとも、そのミスを見つけて監督するのが自分の仕事であり、それがザルだったのだから誰にも文句は言えない。明らかに自分が悪い。だから、どうにも出口が無くって辛い。ものいわぬはなんとやら。ゆえにここに書くほか無い。
早く終わらないかなぁ。
もう匙投げられちゃったしなぁ。
相変わらず大変な目にあっています。明日は8時半に打ち合わせたあと、山に行って測量の結果確認して、帰ってきてから書類作って、仕事終わったら東京に出て、夜行バスで実家に行きます。で、スキーをしてから日曜に帰り、月曜日には書類関係のそうまとめ。12日までにでかさなければなりません。
それでも終わりが見えたので気は少し楽に。
もっとも、見かねた課の課長や係長が手伝ってくれたと言うのがあるのですが。次はもっと上手くやろう。
こんな生活の中一瞬、笑ってしまったことがあったので、かなり限定されたネタとして。これで笑う人って僅かなんじゃ。
たきのはらさんに愚痴をこぼしていました。
「だってさー、出てきた図面みたら、構造物の水平の長さが40センチも違うんだぜー。これって絶対おかしいよ」
「全長何メートルなの?」
「12.45メートルのはず、出来高は12メートル」
「えー。全体の5%未満じゃない。そんなの誤差だよ」
構造物の40センチは誤差とは言わない。けれど、確かに全体から見れば5%未満。考え方の多様性を感じ、ひと時仕事に追われるのを忘れた気がします。
ちなみに、ダムなどの基準ですが高さに関しては標高で±2センチ。つまり標高1500.00mの位置に高さ5.00mのダムを作ったらダムの天端の高さは標高1504.98〜1505.02mまでなら検査合格です。
土木技術者って凄いなー、そう思います。
週末は蔵王に戻っておりました。神無月さんとなおなみさんが実家にスキーに来たので案内して滑ってたのです。
残念なことに初日は雪にガスと、爽快な滑りと言うわけではなかったのですが雪質は良好。がりがりと滑って、温泉入って、飯食って、そして店で酒飲んでだべってました。
店は割合に評判が良くて安心。これならほかの人も呼べるでしょう。
で、スキーしながらぼんやりと考えていたこと。やっぱり、D&Dのことなんですけどね。
環境が敵になるってシチュエーションは多くの冒険小説で描かれ、そして様々なドラマを生み出してきたはずなのですが、DMをしていてそういう状況を上手に演出できた記憶が無いんです。
例えば、
- 飲み水に怯えながらの砂漠の行軍。
- 寒波、猛吹雪に閉ざされた居留地に残された人々の救出作戦。
- 酷暑、高湿度のジャングルでの探索行。
- 台風、豪雨がもたらす洪水、土砂崩れに怯えつつ山岳を縦走。
なんてシチュエーション。
シチュエーションそのものは南海キャンペーンなどで試みたことがある。しかし、どうにもフレーバー+αぐらいで、それへの対応が主役と言う風にはなりにくかった。もちろんマスターの腕と言うのもあるけれど、やっぱりシステムによる所もあると思うので、幾つか思い当たるものを。
まず一つに、根源的な問題としてモンスターを切り倒すのと同じくらいの楽しさを、飲み水を探すこと、天候を予測すること、極限的な天候で行動することに見出せるか。そのためのシステムをD&Dは持っているか。
天候のルール、極限状況に置かれたPCをどのように扱うべきかについてのルールはDMGにある。レルムだがSilvermarchを使用すれば天候についてはより詳しく扱うことができる。
しかし、
個々のルールは有機的に繋がっていないような気がする(弱気なのは、上手く使える人もいるかもしれないと思ったから。D16ができない。それだけかもしれないし)。PHB第8章における「戦闘」のように「生存」という目的、行動のために先ほど挙げた天候のルール、特殊な条件におけるPCの取り扱いのルールが上手く繋がっていない気がする。もしくはそう読ませることに失敗している。
重点はPCとNPCの競争にあり、環境と言う対象はPCの敵役としてよりも、情景描写の一環として捉えられているような気がするのだ。でも、D16は環境そのものが敵であり、それに上手く対応することがマリリスの首を掻っ切ることと同じくらいにエキサイティングなシナリオをしてみたい。
次に、環境に対して対応する魔法が強力だということ。
EndureElementなんてどうしてくれよーかってスペルである。このスペルがある限り凍傷で鼻が欠けたり指を落としたりするPCはおらず、熱中症になるPCも日射病にかかるPCも脱水症状に陥るPCもいないだろう。
そして、クリエイトフード&ウォーター。
ああ、クリエイトフード&ウォーター。
多くの探検家が悩み、そして歯噛みした問題をあっさりとクリアするスペル。
クラシックのときの黒本なんて、高レベルクレリックがいるとそれだけで篭城戦を行うことができるってことがルールで示されてたもんなぁ。
これが何も野外活動の事を念頭においていないゲームならまだ諦めもつくのだけど、記述があるならそれを優先しようと思う。その結果がミドルレベル以降のバランスの取れたパーティは大抵の環境で無補給行軍が可能になると事実だとしたら、僕が望むような冒険はミドルレベルまでにやっておけということなのかもしれない。で、それ以降はほかのプレーンでもっといっちゃった環境に対して戦いを挑めと言うことなのかも。
……ちょっと違和感あるんだよなぁ。
一年前はデパスとかのんでたんだよなー。
今はトレドミンとレキソタンになって長く、多分一年くらい。
好調のときについ飲むの忘れたりするけれど、基本的に仕事の前、起きたときに飲まないと午前中に仕事にならないことが多いので朝は忘れない。
最初の頃は意志とは裏腹に勝手に焦燥し、怯え、反応する体に戸惑うことしきりだったがここ最近は割と冷静に現状を把握できるようになったと思う。もっとも、それと状況の改善は関係ないのですが。
よくよく考えてみると、常時薬を飲まない体であった頃の方が少なくなっている気がする。これ以前には十二指腸潰瘍のおかげでガスターなどにお世話になっていた。大学生活の初期は部活とゲームと飲み会と先輩の家で煮えるの繰り返しだったのだけど、その分講義に出ることとかに関してえらくプレッシャーがあってテスト近辺や留年時にはそれなりに胃が痛かった。
#もっとも、大出血して病院送りになったのはWizのBCF、三日徹夜のせいだが。
で、その頃にはD16はこういった精神安定のための薬は使ってなかった。今にして思うと、自分の容量を越えるプレッシャーがかかると十二指腸の方で音を上げて、そこで休養を取ることができたのだと思う。病気ということで大手を振って(自分的に)休めたわけだ。
その後、D16の消化器にいたヘリコバクターピロリ菌は抗生物質で駆逐され、D16の平均余命は多分少しばかり伸び、あの腹痛に悩むことも無くなったわけだ。
そしてプレッシャーにも負けない体になった。ハズだったのがうつ症になってしまった。なんとも世の中は上手くいかない。
しかし、ここ最近のようなメンス前のハマーン・カーンに面しているようなプレッシャーの元だと、ピロリ菌を放逐したことが失敗だったと思うようになった。多分前の自分だったら胃カメラ飲んで倒れてるはずであり、そのおかげで休めたかもしれない。
なんとも社会人にあるまじき健康管理体制だが、そんな事を思うくらいには滅入ってる。
ただ、こうした病のおかげでものの見方が広がったと実感することもある。胃袋を絞り上げられるような焦燥感というのは比喩でもなんでもなく、事実描写だとわかるようになったり。
本日は昼過ぎからずっと緊張のせいで吐き気がしてました。そのうちこのあたりを上手に小説に生かせたらなと思います。
ようやく、『王の帰還』を読み終わろうとしています。
ファンタジーRPGのマスターをしている人間としては「今まで読んでいなかったんですか!?」とか言われそうだけど読んでいなかったんです、ええ。正確には『二つの塔』に入るあたりでいつも止まってしまっていたんですね。
D&Dの元になった小説はいろいろありますが、『指輪物語』、『コナン』、『ファファード&グレイマウザー』、『エルリックサーガ』、あとは『終末期の赤い地球(未読)』あたりなんで押さえておくべき作品の一つだったんですけど。ほかの作品に比べ何故か読みにくく思った覚えがあります。特に『旅の仲間』の前半部と『二つの塔』で一行が分散してからの話がもどかしかった。今思うと中つ国の道行きの描写を頭に描けていなかったからじゃないかって気がするんですが。
読み直しのきっかけはわかりやすく、映画版の『指輪物語』を見たからです。
僕が『旅の仲間・映画版』を見たときに思ったのが、
「ファンタジーは絵だなぁ」と「こんなに冒険小説な話だっけ?」という二つ。
D16はファンタジー映画では、ハリー・ハウゼンの神話ものが大好きなんで怪物が出てくる映像だけでワクワクするんですが、『旅の仲間/映画版』では加えて一行が旅をする中つ国の描写が素晴らしいのです。遠く連なる丘陵、空を刻むカラズラスの山々、美しい裂け谷に、薄暗くひろいモリア(これはマットアートですけど)。D16が悶えたのはロスロリエンからアンドゥイン川をゆく際のアルゴナスの門です。
読み返してつらつら思うに、当時の僕がなぜ『指輪物語』を読み通せなかったの理由が先ほどの「道行きの描写を頭に描けなかった」であったと思います。で、映画でその風景の映像を補完したので読みやすくなったんじゃなかろうかと。最もこれはある意味損をした読み方でこの時点で僕の頭の中はトールキン・瀬田貞二の指輪物語ではなく、ピータージャクソンの指輪になっているわけです。自分で映像化する際に他人の映像を借りてしまったので(ウルクハイなんて映画版でしか想像できなくなってます。侵蝕)、せっかくの原作に対して勿体無いのかも。
でまぁ読み終わっていないけど感想というかなんと言うか。
ああ、こりゃすげーわ。
バックグラウンドの稠密さ。複数の物語を同時進行させて指輪戦争を描くやり方、善悪それぞれのキャラクターのキャラ立ち。丁寧なですます調にもかかわらず手に汗握る合戦の描写。
いまさらいうまでもなく面白いわ、うん。
ただね、その、こんなこというとまじめなファンの人に怒られるかもしれないのだけど、なんと言うか「冒険小説風」に翻訳した、「品の悪い」指輪物語ってのももしかしたらおもしろいんじゃあとか、思ったりするわけです。
これはでんこうじさんとたっちーさんがいたところで出た話題だったと思うのですが、かのモリアにてバーリンの墓所を後にした旅の仲間はオークたちに襲われる際、戦太鼓の音を耳にして、(以下引用、評論社新版指輪物語、旅の仲間・下2。p12)
「今や彼ら至れり!」と、レゴラスが叫びました。
「我ら出ずること能わず」と、ギムリがいいました。
と言うシーンがあります。ここの二人のセリフはバーリンの墓所で見つけた記録文書の書き様を復唱したもので、えらくカッコイイ。(ちなみに、記録文書は文語体で翻訳されていました)ところが、原作ではこのセリフは
"Now they are Come!" "We can not get out"だったとか。(手元に原本がないのでおぼろげな記憶です)指輪物語の英語は非常に簡単な英語だと聞いていましたが、これを聞いたときにはかなりびっくりしました。
で、これを品悪く訳せば「とうとう、奴らが来た」「逃げられねえ」となるわけで。その、とてもD&DっぽいというかTRPGヲリアーっぽいよなーとか。
で、映画版のスタッフのうちいくらかはそういう風にあの話読んでるんじゃないかって気がしてます。そのうち、ひまがあったら原作を英語で読んでみればいいのかも。
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