野望日記旅行日記からほぼ一年、地方派遣を前に、果たしてD16はいかなる野望を抱いたのか? 五省一、至誠に悖るなかりしか一、言行に恥づるなかりしか 一、氣力に缺くるなかりしか 一、努力に憾みなかりしか 一、不精に亘るなかりしか 2004/03/25(野望日記)悪い週間本日は伝奇思考実習を休んで、雑談を。ここ最近、「わたおに」って言ったら、あの「週刊わたしのおにいちゃん」だと思うじゃないですか(リンク先は2004/07/30発売予定の特別増刊号だそーで)。「わたしのおにいちゃん」略して「わたおに」。ぐぐったってトップはこれですよ。だから、「渡鬼」ショップ・ドット・コムとか言ったら、2chずれしていなくたって、 「ああ、『わたしのおにいちゃん』の中古販売か、妹モノ専門店だな」って思うと思うんですよ。 間違ってないですよね。ね? ほんとに、「渡鬼」でした。 いや、僕は妹属性無いから特にがっかりもしなかったんですが、もしかしたら結構な人ががっかりしているんでしょうかね? 僕、大学入ってから悪い先輩達にアニメの見方教わったんです。ええ。単位と引き換えに。 いや、選択をしたのは自分ですけどね。セッションのたびに80年代OVAの名作、奇作、怪作、ケッ作を取り混ぜていやおうなしに魅せてくださった先輩方には感謝を通り過ぎて、怒りさえ覚えることがありました。特に破邪大星ダンガイオーの第二話『涙のスパイラルナックル』とか見せられた日には。(獣兵衛忍風帖とかは感謝してるんですけどね) けど、最近の自分の生活というか志向を鑑みるに、一番ひどいことをしでかしてくれた先輩は、別の先輩でして、その人が教えてくれたのは一年間なり、2クールなり一つの番組に付き合うってことなんです。 ただね、考えてみてくださいよ。 自分が大学1年当時で一年通してやっているアニメって、種類が限られてくるじゃないですか。 ぶっちゃけ、勇者シリーズやセーラームーンや名作劇場やNHK教育だったりするわけですよ。 これがね、Evaだとかカウボーイビバップだとか攻殻機動隊SACだったら自分なりに言い訳つくんですよ。「ジャパニメーションは今や国際的に認められた云々かんぬん」とね、見苦しいですけど。 けど、ガオガイガーを除く勇者シリーズや、NHK教育のアニメや掲載紙がなかよしだったり、てれびくんだったりするアニメをみてるってのは、さすがにもう言い訳できないと思うんですよね。少なくとも自分が親だったら『ちょっと来い』といいますね。学生だったら仕送り減らしますよ。ええ。 けどね、面白いんですよ。 これはね、個々の話だとか作家性であるとかそういう見方じゃないんですよ。一年間という歳月を作中の登場人物とシンクロして、つまり、一年間自分にその作品と向き合うって言うタスクを課したとき初めてわかる見方だと思うんです。 ウルトラマンティガを一年通してみていなければ、ラスト数回のあの怒涛の興奮、感動は得られない。 勇者指令ダグオンも一年付き合ったから、あの高校生達の生活とラストの作画に泣くことができる。 個々の回や全体としての質に上下はあっても一年通して物語に付き合うっていう姿勢、よりによって僕は教わっちゃったんですよ。悪い先輩から。 知り合って7〜8年経ってようやく、セーラームーンの第2クールを見せてくれた先輩なんですけどね。 その先輩があの13話から26話を見せてくれるっていった時、多分先輩の中でも何か雪解けがあったのかもしれないけれど、僕の中でも「ああ、少しはこの人の見かたに近づけたんかな」と。 近づかんでも、凍ったままでも良かったのかもしれませんが。 とにかく、そういう意味でアニメを見るという習慣を教えてくれたんです。その先輩が。悪い先輩でしょ?おかげでカタギには戻れない身体になっちゃったですよ。 でも、僕が自身で「一年間付き合いたい」って思ったアニメって少ないんですよ。ぱっと見て雰囲気が合わなかったり、録画するのがめんどかったりで。 その僕にして数少なく、(遅れはしたけれど)つき合えたアニメがMRRであり、多分これから付き合っていくであろうアニメがプリキュアじゃないかなと。 プリキュアが一年続くのかどうか知りませんし、ピーサードが5話退場って何よとか思わないでもないんですが(ぶっちゃけ不安ですが)。なんか、気になっているんですよね。 それが、その記事まで書いちゃった理由かなと。 2004/03/18(野望日記)Red Alert注・本日の掲載文は多分に精神汚染の可能性があります。記さなければならない。自分の欠損部を、なくした何かを記さなければならない、記述しなければならないかたどらなければならない。 だが、これは本当に欠損部なのか。こんなものはなかったのではないか。私は何かを失ったのではなく私には本来備わっていなかったのではないか。ちがう、そうではない。父母は私を満足に育ててくれた。責を父母に問うな。 こうなったのは私自身の行いと思索と逃亡と欺瞞と虚勢とそしてこの人生にはわずかの間しか関わらないそれにも関わらず私のあり方を鎧袖一触で矯正していった行きずりの他人の本人も覚えていない言説でしかない。 弱さを外に求めるな。弱者は生きるための精力の多くを釈明と責任逃れに費やす。私はその意味において間違いなく弱者であり、弱者であり続ける限り、弱さを外に求める限り変われない。 痛いのだ、苦しいのだ。それ以外に悲鳴を上げる理由などあるものか。 憐れみを垂れられたいのだ。慰めの眼差しを投げかけられたいのだ。そしてその上でそれを拒絶してみせるのだ。ちっぽけな自我を保つために。なんと見苦しい様か。あがくでもなくすすり泣きつつ拗ねて見せているだけの私は。 応えろ応えろ。私を私とするものよ。すでに私は統合を失って久しい。私には私はない。観察者の無い私はない。私の総体は私が面する人々の前でとってみせる媚態の総和に過ぎない。後輩としてのD16、先輩としてのD16、労働者としてのD16、息子としてのD16、兄としてのD16、男としてのD16。関係の中でしか自分を規定できない私が私を必要としない、私を厄介者と見なす、一瞬といえど私を異物と見なした者達の中で過ごすのは、身に悪性の腫瘍を抱えて生きることだ。その関係体の中で形成されるD16は自ずから、その媚態の総和たるD16に瑕疵を亀裂を腫瘍をなして生成されるのだ。 私はどこだ。私はどこだ。書いている私はかろうじて私なのか。全ての媚態を取り払った先に残っているのは「私はここにいる」という形での叫びでしかないのか。悲鳴でしかないのか。 ならば、私は何だったのか。よってたつ全てをはぎ取られて残った唯一が悲鳴であるなら、三十年に渡る月日を重ね私は悲鳴だけを残してきたのか。赤子か。 ちがう、赤子の悲鳴は純粋だが、私の悲鳴は純粋でなど無い。ひずみ、ひび割れ、色あせたうえにシリコーンとペンキを充填し塗り重ねた、悲鳴だ。 赤子の産声に肉身がついて自我となっていったのなら、今ある私の悲鳴のまがい物についていたハズの肉、膿崩れ流れ去り足下で泡立つこの腐れ汁はなんだ。これは私であったかも知れない者なのか。私はこれを本当に失ったのか。これは私の肉身などではなかったのではないか。 私は言葉を与えられた、私は人と関係を結ぶことを覚えた。自己表現として自分を作っていった。そしてその作ってきたものは今腐れ汁となり、悲鳴だけがここにある。 無くしたのか、失ったのか、無かったのか、捨てたのか。 記さねばならないのは何か。 それは私が失ったものか、失ったという事実か、失ったという事実を喧伝せずにいられない卑小な自己か。 現実が押し寄せてくる。空腹が渇きが、それよりも世俗的なタスクが押し寄せてくる。媚態の総体としての私にタスクが押し寄せてくる。媚態を支えてきたものはドミノ倒しの要領で崩れ去り何も支えるものは残っていない。 繰り返す、残っているのは悲鳴を上げる自分だけだ。悲鳴だけが自分なのだ。 おかしい、可笑しい。 キャラクターは六種のアビリティではなかった、特技ではなかった、技能でも呪文リストでも、アイテムリストでもなかった。 ただ正気度だけがキャラクターだった。 ファイターが、ウィザードがロールプレイだったのではない。ただ、一時的狂気の示すフォビアや緊張症が心底キャラクターのロールプレイだった。 得心がいった。私はいま、多分一時的な狂気の中にいると装っているのかそれとも本当に一時的狂気の中にいるのかそれともすでに正気度がゼロになっているのに外部刺激に応答して媚態を繰り返しているだけなのか。 そのいずれかでありいずれでもないのだ。 おちついたか?D16。自分の分野になると得心言って落ち着き払う、見栄っ張り。いいか、お前が世界をどのように理解しようが、解釈しようが、そしてこんなwebの片隅で異議を上げようが、実の世界には何も影響ない。 降りかかるタスクは変わらず、求められるクォリティもくぉんていていも変わらない。 お前が悟ろうが狂おうが、世界は回るのだ。お前はそこでバケツをリレーすればいいのだ。 もうバケツはつかめないんです先生。 なら、リレーからはずれるのだ。有情世間の火事を消すのにはいっぱいでも多くのバケツの水が必要なのだ。リレーからはずれろ。 リレーからはずれた私は何をすればいいんですか、先生。 答えなど無い、火を消すのに忙しいのだ。 それに俺は知っているぞ。D16。 お前は、はずれたのではない、ただつかれて怠けたかったのだ。怠けたお前に行く場所など無い。「もうバケツがつかめない」のではない、つかみたくなくなった「面倒くさくなった」だけだろう。役に立たなくなったと言えばはずしてもらえる。 そして戻るのを恐れているだけだ。 恐れている、恐れている。そう、恐れている。 けれど、意志セーヴで1がでたのは私のせいですか。 書き留めろ書き留めろ。それが今の私を保つためならば、草木金石禽獣蟲魚の薬を使い魔境に至ろうとも書き留めろそして眠れ。 そう、眠ろう。明日の朝までは乱されず許される。 この中途半端な悲鳴をwebに上げて、未練がましく泣き目を腫らしてなま暖かい万年床に潜り込もう。明日には山が崩れているかも知れない、明日には世界が滅んでいるかも知れない。明日には日が昇らないかも知れない。 明日には雨が降らないかも知れない。 疲れたので寝ます。04/03/18、23:25 2004/03/17(野望日記)テケレッツのパァ昨日病院で先週からのテンションの下がりを訴えたところ、調剤が変わり、アナフラニール10mg*2、レキソタン2mg*1、パキシル10mg*1を食後に、睡眠前に同量のアナフラニールとレキソタン、そして眠剤としてマイスリーとレンドルミンを頂く。不安の頓服にはコンスタン0.4mg。で本日は天気もよく、書類整理などしつつ、たまってた書き物を片付け図書館へ。創世日記の方での神官への問いのネタを仕込むためにヨーロッパの哲学をさらっと斜め読みしようと考えたのだ。東洋神秘思想から印哲に関しては良い師匠と教科書にあたったのでゲーム上のはったりを利かせるには何とかなるのだけれど、洋物の方はトンとご無沙汰だったので。 いろいろあってもわからないから、司書さんにうかがい、ソフィーの世界とビジュアル版哲学入門知の歴史と言うのを借りる。なお、帰宅時にばんがいちの新刊及びチャンピオンの早売りもゲットした。 で、家に帰ってから読み始めた。 話題になるだけあってソフィーの世界は読みやすく牽きこまれていく。と、ここで異常に気がついた。 何かに集中して本を読んでいるとき、僕は身体感覚として、文章の内容が視覚から直接おでこの裏に流れ込んでくる感じを得るのだけれど、それが暴走しているのだ。 ありていに言って、見る文字見る文字がかってに僕の頭の中に流れこんできてしまう。そして僕の部屋は活字だらけだ。本に集中すると、内容は面白く、まさにスポンジで水を吸い込むように書かれている内容が僕の中に入ってくる。けれど、それが、速過ぎる。理解のテンションは追いついていっているが明らかにオーバーペースだ。偏頭痛がしてくる。 たまらず僕は本を閉じ。目を閉じた。精神集中はふだんから行なっているので、その調子で意を眉間に持って行き、そこで浮き上がる想念を浮かぶがままにしてゆく。やがて、目を閉じているにもかかわらず、両の眼とこめかみそして後頭部をつなぐ意識平面が形成され、それが僕の中から広がってゆく。まるで、意識がどんどん外に拡大していく感じだ。 「魔境」に入ってしまったらしい。この程度の認識感覚の誤動作は今に始まったことではないが今回は伸びやかな達成感を伴っており、これが剣呑だ。クセになりそうな気持ちよさだ。 感覚としては脳がストレッチををしている感覚に近い。もちろんそんなことありえないのだが、頭の一部がそういった感じのテンションをうけ、血行が強まり、意識が変質する感じだ。これが、気持ちイイのだ。 多分、二時間くらいコタツに丸まって目を閉じてひたすら内観していたけれど、そのうちに転寝をしてしまった。その間、ひどく歯軋りしたり、吠えたり、何かを引っかいたりと忙しかった。 目を醒ますと先ほどの高揚感はさすがに失せていたが、張り詰めたテンションはまた気を抜くと騒ぎ出しそうでとにかく安静にするほか無かった。薬を飲んで抑えていいのか、これが薬のせいなのか。問い合わせようとした知人に連絡が取れず、ほとほと参ってしまった。 直截な物言いになるが、息子が起ったまま収まらないと言った感じ。息子と言うよりも頭の一部なのだけれど。 それが5時間ほど続いて連絡をとり薬を飲んで寝ることにした。結局薬の副作用による躁転であったらしい。 電話に付き合っていただいた皆様、ご迷惑をおかけしました。 D16'HomePage Diary |