TRPG総合研究室 LOG 111

TRPG総合研究室の2005年07月19日から2005年09月10日までのログです。


2005年09月10日:01時37分12秒
【ゲーム論】「パラノイヤ」の公平・フェア / 紙魚砂
 ども。

>花鳥風月さん
>ところで、皆さんのご意見は『パラノイヤ』の場合どのように考えればよいのでしょうか?
 『パラノイヤ』って和製の方なんですかね(^^;?「PARANOIA」の場合は完璧なので以下のように処理すると思います。
#半分与太が入ってますがw

#1.機会均等の原則
#1−1.セッション前
 均等など不可能である。そもそもルールをよく知っている人間と初めてプレイする人間では前提条件からして均等ではない。もちろんComputer様(GM)の靴を舐めて自分に利潤が向くよう取り計らってもらうことも可能であるが、靴を舐める機会は各PLに均等にすべきである、という意味で完璧に均等である。また、Computer様(GM)に断りなくルールブックのセキュリティクリアランスで閲覧不可の部分をたまたま見てしまう機会も「Computer様(GM)は何もしない」という意味で均等に与えられる。

#1−2.セッション中
 基本的にパーティー制システムであり、機会は均等である。秘密結社絡みの処理は均等になるとは限らないが、均等にしないとゲーム的に面白くないので、たぶん機会は均等に与えられる。もちろんComputer様(GM)の靴を舐めて自分に利潤が向くよう取り計らってもらうことも可能であるが、靴を舐める機会は各PLに均等に与えるべきである。

#2.同質の処理原則
 同じような言動は、ルールを踏まえて同じように処理される。同じように処理されたくなければComputer様(GM)の靴を舐めればよく、その機会は各PLに均等に与えられる。

#3.差違の処理原則
 違う面のある言動は、ルールを踏まえて違うように処理される。積極的にComputer様(GM)の靴を舐めたプレイヤーには、そうでないプレイヤーより多くの利便が与えられてしかるべきである。

#4.異同の評価
 言動の異同の評価は、必ずワールド設定と、セッションの主旨を踏まえて判断される。「ワールド設定と、セッションの主旨」とは「PARANOIA」では「Computer様(GM)の意志」と同義である。

#5.オープンの原則
 PCが知り得た情報はPLに対して常にオープンである。PCが知り得なかった情報はPLに対して常にオープンでない。単純にPCの感覚のシミュレートを行っているだけである。それ以上のことを知りたければComputer様(GM)の靴を舐めよう。きっと君の通信機に興味深い情報が流されるだろう。

…まあ、こんな感じに完璧に公平かつフェアはないかと(笑)。「Computer様(GM)の靴を舐める」は「チョコレートを渡す」でも代用可能ですかね。

 この手のゲームは「公平でフェア」という概念がPCの世界だけではなくてPLのレベルのメタな領域も含めて総合的に「公平でフェア」であるかどうかを見る必要があるでしょう。

それでは
2005年09月10日:00時30分17秒
【ゲーム論】PC間の競合、対立もスタンダードなTRPGセッションでの公正さ実現 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
花鳥風月さんへ
 どーもです。
 割と間が開いたレスになりますけど、よろしくです。
 
花鳥風月さんWrote>皆さんのご意見は『パラノイヤ』の場合どのように考えればよいのでしょうか?
今回の話題
 『パラノイヤ』を念頭に置いてはかんが得ますけど。『パラノイヤ』自体ではなくて、PC間の競合や対立も、システムが想定するスタンダードな遊びかたに含まれているTRPGのセッションについて、アタシの意見の応用を整理してみようと思います。
 
 花鳥風月さんのリクエストにストレートにお応えするわけでないのは、すみません。
 
 アタシは『パラノイヤ』プレイしたことすらなく、ルールも未読ですので、『パラノイヤ』自体については発言資格ありません。
 
 本当なら、レスすべきでないのはわかってるんですけど。
 
 「【ゲーム論】勝利条件ではなく、『ゲームの目的』の共通型」にて、遅れ馳せながら提示しましたように、一連の関連話題で述べて来てるアタシの意見は、「直接〔個別システムの〕実践に役立てようと言うのではなくて。例えば、システムごとや、遊び方ごとの実践論を検討するときに、偏りを回避するために役立つような基礎論として検討してるつもり」できてます。
 
 花鳥風月さんの質問を、だしに使うような型になるのは恐縮ですけど。いい機会ですので、「【ゲーム論】TRPGセッションでの公正さ」の応用事例を検討してみようと思います。
対象
 『パラノイヤ』を念頭に置いてはみますけど、検討するのは『パラノイヤ』自体ではありません。架空のTRPGシステムとみなしてもらった方がいいです。
 
 「念頭に置いてみる」とは言ってもNET上のコンテンツ記事などを参考にした、鍼原の類推に基づいています。「本当の『パラノイヤ』とは違う」、って可能性は大きいです。ですので、架空のTRPGシステムとみなしてください
 
 対象としては、次のようなタイプのシステムについて考えてみます。
a)PC間の競合や場合によっては対立が起こることが、システムの想定するスタンダードな遊びかたの内でも、ストライクゾーンの真ん中辺に来る。
b)いわゆる「プレイヤーとPCとの分離」の必要度が、他のTRPGとの比較において高い。例えば、プレイヤーが知ってることでも、PCは知らないものとしてプレイすることが求められる頻度が高い、など。
c)ゲームの処理に必要な情報の内、セッション初期にはプレイヤーに明示されていない情報の量が比較的多い(明確に不完全情報ゲームに偏っている)。当然、明示されていない情報はGMに管理される。
検討
 公正さを実現するための原則として、「【ゲーム論】TRPGセッションでの公正さ」で挙げているものについて考えます。
 機会均等の原則、同質の処理原則、差違の処理原則、及び、異同の評価、それと、オープンの原則です。
 
 検討するタイプのシステムで、セッションの公正感を実現するには、
 オープンの原則の適用法が、他のシステムとの比較で、より微妙になり、細かな運用が要求されるはずです。
 
 例えば、メンバー間(プレイヤー-プレイヤーでも、プレイヤー-GMでも)の間のやりとりで得た情報を、何の手続もなくPCやNPCのハンドリングに流用されると、不公正感を感じる人が出る可能性は高いです。
 
 ですので、「オープンの原則」の適用は、他のシステムのセッションより優先度が低くなります。
 
 何か不審があって、「なんで?」と聞かれたとしても、GMもプレイヤーも「それは今は言えない」とか「今は言いたくない」とか、で済ませなければいけないケースは、他のシステムのセッションより高い頻度で発生するでしょう。
 
 仮に、GMからの「なんで?」に対するプレイヤーからの回答が、他のプレイヤーに知らされない型で隠匿されることが生じても、それも、公正なプレイング、マスタリングの内、としなくてはなりません。
 
 このように、オープンの原則の優先度はかなり低く押さえて運用されますが、原則論の整理としては、「それでもゼロにはならないはず」、と考えたいと思います。(今回は、その辺の検討は保留します)
 
 オープンの原則の優先度が低く押さえられる代わりに、アイディア・ロールに類した判定で、PCが何かを知ってたこと、あるいは気づいたことにしていいか?の判定は重視され、多用されなければならないはずです。
 
 このことは、GMだけが重視するのではなく、プレイヤーも重視し、判定に失敗すれば、プレイヤーやGMから分離した方針で、NPCもPCも扱わなくてはいけない、と納得しているべきです。
 
 以上のことは、同質の処理原則、及び、差違の処理原則の運営に影響を及ぼします。原則的な異同の評価から見れば、同質と思えるプレイヤーの言動(行為申告など)であっても、他のシステムよりも、もっと細かな違いを捉えて、差違を評価するのが当たり前になるでしょう。つまり、GMもプレイヤーも、発言の細かな部分まで意識しないと、公正感が阻害される可能性が生じます。
 
 話の前後が逆かもしれませんけど、前記のアイディア・ロールに類した判定が充分整備されていないシステムで「PC間の競合や場合によっては対立が起こる」ことが当然のシナリオを遊ぶと、セッション失敗の危険度が高いでしょう。
#実際の『パラノイヤ』システムのアイディア・ロール関係の整備の程度については、アタシは知りません。
 
 情報の獲得、及び、その流通についても、細かな運用が要求されるでしょう。例え、同じ架空状況に直面したPCでも、あるPCが気づいたことを他のPCは気づけなかった、と言うこともあるかもしれません。(これは、個別システムの判定系の仕組みによります)
 
 また、あるPCが気づいた情報は、他のPCと共有されて当然、との通念は棄てる必要があります。
 検討しているタイプのセッションでは、PC間での情報の提供/隠匿を、プレイヤー間の駆け引きの材料として使うことも、「公正なプレイ(フェア・プレイ)」の範疇とみなさなければなりません。

 とりあえず、想定した架空システム――、と言うよりは、「条件に定めたような傾向性を持つタイプのシステム(群)」と言った方が正確ですが、――について、「公正さ〔実現のため〕の共通項」の適用で言えることはこの辺かと思います。(他にもあるかもしれませんけど)
 
 ちょっと、GMのマスタリングについての考察が薄いですけど。これについては、シナリオの傾向を大まかにでも絞り込まないと、より突っ込んだ検討はできません。
 
 シナリオの傾向を絞り込むには、世界設定、及び、世界設定とPCの原則的立場との関係を決めないとなりません。ですから、今回の「対象」の規定では充分な検討をすることはできません。
 
 また、個別のシステムを見れば、判定系の特徴や、ユニークな属性、または所属クラスに類した設定の特性などから、「公正さ〔実現のため〕の共通項」には挙げていない特殊なチップスが重視される可能性はあるでしょう。
 
----
 あれこれ理屈をこねた割には、当たり前のことをまとめただけになりました。
 本当は、システム傾向や、遊び方の違いに応じて、フェアなプレイの進め方が、同じような原則のブレンド加減で、結構変わることを示したいんですけど。
 
 まだ、そこまでは至れなかったようです。お粗末。
2005年09月03日:21時34分22秒
【セッションでの責任分担】GMとプレイヤーとの責任分担 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
ashさんwrote>TRPGにおいて公平さを出すためには、GMの役割が重要になると思います。
 
 これについては、実践論との関わりが大きくなると思うので、アタシとしては関連別話題に分けていきたいんですけど。(試みに分けてみただけなので、ashさんの方の論旨で必要があるなら、別に分けなくても構いません)

 とりあえず、次のように考えてみるのはどうでしょうか(?)。
考え方  
 セッションの公正さを実現してくための責任は、GMにもプレイヤーにもそれぞれにある。例えば、プレイヤーには、マスタリングに不審感を感じたとき、適切なタイミングでうまく質問してくべきだ、という責任がある。
 
 なぜこれを「責任」と呼ぶかと言えば、まず「義務」ではないからだ。つまり、不審感を覚える局面があっても、「いずれわかるだろう」と期待して、その場では不問に付すのもプレイヤーの選択である。
 次に、適切なタイミングで疑問を差し挟まずに、後から文句を言うとしたら、それは「無責任な言動」になるので、適切なタイミングでうまく質問をしていくのは、プレイヤーの側の責任と言える。(もちろん、セッション中は質問をしなかったけど、セッション後の感想会などで批評的なコメントを言うのは、その目的に適したコメント表現を工夫していけば別に無責任ではない)
 
 上のように考えたうえで、GMと個々のプレイヤーの責任とどちらが大きいか、と言うと、普通はGMの責任の方が大きいだろうと、予想される。
 
 と言うのは、普通はTRPGセッションはGM1対プレイヤー複数のスタイルが多数例で、GM1対プレイヤー1というセッションは少数例(あえて例外形とは呼ばない)だから。
 GMとプレイヤーとの責任分担の比率は、比喩的に言って、どんな遊び方でも、プレイヤー全員が分担する責任とGMが概ね等しいくらいのバランスを、基本型としてイメージして構わないのではないだろうか(?)。

 つまり、セッションでの公正さ実現についての責任は、GMが負うべき割合のが、他の種類の責任と比較して特に大きいとは言えないと思います。
 
 コンベンションの場合、GMの責任が大きくなるのは、仲間内でのセッションよりも、事前のシステム理解共有や、相互理解が期待できないので。多分、その分GMの責任が大きくなりがち、って事情によるのだろうと思えます。
2005年09月03日:21時28分51秒
【ゲーム論】相互理解と公正感実現の基礎論(Re:TRPGでのフェアプレイの責任分担) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ashさんへ
 どーもです。
 
ashさんwrote>今回の書き込みを見て、相互理解した上でのプレイスタイルを思ったのですが間違っているでしょうか?
 
 えーと、【ゲーム論】TRPGでのフェア・プレイとコミュケーションに記した、遊び方Aと遊び方Bとでの、公正さ実現のヴァリエーションについてですね。(そう思ってレスさせてもらいます)

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 間違っているとかではなくて、相互理解の限界のようなことを意識したた意見と採ってもらえるとありがたいです。
 
 前挙げた、遊び方A、遊び方Bの話題とは少しズレるんですけど、たまたまアビスの風さんにレスした関連別話題の投稿に、いい話題を出してました。こっちの話題でも再利用することにします。
 
 『ガープス・ベーシック【完訳版】』(スティーブ・ジャクソン、著,安田均、監修,黒田和人、グループSNE、訳,富士見書房、刊)のP.232「1つのセッションが終了したらGMは以下の行動をとらなければなりません」からの引用になります。
>冒険についてプレイヤーと相談する:なにがうまくいって、なにがうまくいかなかったかを検討する。そのセッションがキャンペーンの途中であったときには、GMは余分な情報をあかさないように気をつけなければなりません
 
 例えば、この「余分な情報をあかなさい」ようにする場合、GMが上手にやらないと、プレイヤーの方で不公正感を抱くこともあるんですよね。
 
 逆に、「あかすべきでない余分な情報」なんかないセッションでは、GMは細かな語り口の実践工夫なんかしなくても、比較的楽に公正なマスタリングを狙っていけるはずです。
 
 これに類した、実践テクニック(公正さを実現するテク)の差違が、前挙げた遊び方Aと遊び方Bとの間にもあるはずです、って指摘を、【ゲーム論】TRPGでのフェア・プレイとコミュケーションに書いたつもりでした。

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 そうしたセッション主旨まで含めて、セッション前に相互理解を計っておくべきだ、と言われれば、それも正論なんですけど。
 
 アタシが思うには、実践論レベルの対処は、もっと簡単に考えた方が、楽にTRPGを楽しめると思ってます。
 
 プレイヤーは、GMの事後評価に不審を覚えたら、まず「なんで?」とか質問する。
 
 質問を受けたGMは、例えば「それは、今回のセッションで確かめられてない事柄に関係してるから、今は言えない」とまでは告げてあげる。
 
 これで納まるときもあれば納まらないときもあるんですけど(苦笑)。実践論てのは、所詮そうしたものでしょう。(チップスのようなものだと思います)
 ともかく、こういう対処をしてった方が、何から何までセッション前に相互理解を計っておくよりも、セッション現場での実践では、スマートに処理してけるだろうと思います。
 
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 アタシが難しいと思うのは、例えばGMの方が、どういう場合に「それは今は言えない」と言うのが適当か、あるいは、ある程度ネタバレしちゃって方がいいか、とかの考え方(判断基準)を文章整理するのが、実践論と別レベルで難しいと思うわけです。
 
 この前の投稿でも示唆したつもりだったんですけど、アタシとしては「事情が許す限り」的な曖昧表現よりもう少し明確に整理できるといいなー、と思うんですけど。難しいです。
(それでも、「システムごと、シナリオごとにいろいろです」と言って済ませてるよりは、「事情の許す限り」の方が、少しはマシだと思ってますけど)
 
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>説明責任の限度については・・・難しいですね。ここに関しては、システムを販売する側に責任がある気がします。
 
 そうですね、、、システムを制作、販売する側の責任は、アタシ的には、まず、システムがスタンダードな遊び方として許容する範囲の遊び方を分かり易く、できるだけコンパクトなコーナーにまとめて掲載してほしい、と思いますね。
 どうしても、関連したルールや設定を参照しなくてはななくなるでしょうけど、参照指示も明示して、許容する遊び方の範囲をまとめたコーナーを公開してほしいです。
#実際、そういうのがうまくできてるルールブックもあると思ってます。
 
 その上で、GMにも、プレイヤーにも選択し合意した遊び方に応じた責任は、発生すると思います。
 
 人によっては、「そんなスタンダードな遊びかたが規定されると縛りになる」みたいな意見を聞くこともあるんですけど。アタシは逆だと思ってまして。
 システムが許容する遊び方の範囲が分かり易く示されてい方が、ユーザー側の自己責任で、システム想定外の遊び方を選択する場合の判断もつけ易くなるはずだ、と思います。
2005年09月02日:18時32分03秒
【ゲーム論】勝利条件ではなく、「ゲームの目的」の共通型 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
話題
 TRPGでのゲームの勝利条件は、ジャンルに属すあらゆるシステム、あらゆる遊び方について共通するものを「勝利条件」と呼ぶに相応しい型で言う事はできない。
 
 上は、この掲示板での一連の話題で、何度か繰り返し主張してるアタシの意見です。
 この意見については、例えば、是通さんから異論が出されています。
 
 別投稿の話題にしてますけど、アタシが思うには、是通さんが挙げられた「『又、この人と遊びたい』と、他の参加者に思わせる」は、TRPGの遊び方を考えてくうえの重要なポイントだけど、でも、これを「勝利条件」って呼ぶのは、あくまで比喩的な言い方だろーなー、と思います。
 この件は、必要があれば別投稿で検討を続けられるといいと思ってますけど。
 
 是通さんの異論について考えてる内に、TRPGの勝利条件について、これまでとは別アプローチでの整理法を思いついてみたので、試みに提示してみることにします。これがこの投稿の話題です。
 
狙い
 これまで、一連の話題では明確には言わずにきてましたけど。
 「ゲームの勝利条件」や「セッションの達成度」の共通パターンの整理、アタシとしては、この話題、直接実践論に結びつけられる話題として検討しているつもりはありません。
 
 だって、「共通の勝利条件は言えない」の立場での検討ですので、元々、実践論には、直接役にたたないと思ってます。(参考程度にはなるかもしれません)
 直接実践に役立てようと言うのではなくて。例えば、システムごとや、遊び方ごとの実践論を検討するときに、偏りを回避するために役立つような基礎論として検討してるつもりでいます。これが一連の話題に臨んでのアタシの今のところの狙いです。
 
 例えば、「TRPGはゲームである」という定義は、それだけではもちろん正しいわけですけど。
 「ゲーム」の定義内容や、ゲームとゲーム以外の要素との関連付けの整理によっては、偏った実践論が導かれる可能性があります。
 
 そうした「偏り」をチェックしたり、避けたりするのに役立つ基礎的整理を、狙いにしてます。
 
 「直接には」実践論に役立たないと思いますけど、間接には役立つはずですので、無駄な検討ではないでしょう。
 
TRPG共通ゲームの目的(仮)
 以下で言う、「ゲーム」とは、とりあえず「ルールに含まれるワールド設定を踏まえて用意された架空状況に、ルールに基づいて作成された架空キャラが、ルールに許容される範囲内で、対処していく架空の対処の連鎖」とあえて、緩い仮定義を作業仮説として規定しておく。
 
 その上で、とりあえず、TRPGシステムごとにスタンダードな遊び方として許容される範囲のTRPGセッションについて、ゲームの目的の共通型整理を試みてみる。
 
 あらゆるシステムの(システムごとにスタンダードとみなせる範囲での)あらゆる遊び方に共通な「ゲームの目的」とは――
 
 セッションで扱われる架空状況の初期状況に、潜在あるいは顕在している特定の状況を課題として整理・把握し、ルールに従って作成されたPCに、ワールド設定とルールとに即した範囲での架空の対処をさせることで、架空状況になんらかの状況改善をもたらすことである。
 
 架空状況にもたらされる「なんらかの状況改善」とは、当初整理された課題の達成とは限らない。当初の課題より根本的な状況の改善であっても構わないし、当初の課題の解消であっても構わない。
 
 どのような方針での状況改善を考えるべきかは、システムごとのルール系とワールド設定とを複合した解釈に基づいて判断できるはずである。
 
 セッションを通じてなされた「なんらかの状況改善」が、ゲーム的にどの程度の達成度であるかも、システムごとのルール系とワールド設定とを複合した解釈に基づいて判断される。
 
 すなわち、TRPGにおける「ゲームの勝利条件」は、勝利条件と呼ぶに相応しい型では、共通な文章表現で整理することはできない。ただし、システムとセッションとの関係性の共通パターンを整理することができると思われる。
 
補足検討A 例えば、いわゆる「フリー・プレイ」のように、シナリオらしいシナリオが用意されていない遊び方の場合はどうだろうか?
 
 「フリー・プレイ」の類がスタンダードな遊びかたの内に想定されているかどうかは、個別のシステムごとに判断するしかない。(すなわち、ジャンルに共通した判断を断定するべきではない)
 
 仮に、「フリー・プレイ」をスタンダードな遊びかたの内に許容するシステムを仮定してみる。この場合、仮に整理してみた「ゲームの目的」はどうなるだろうか?
 
 例えば、セッションの初期状況におけるPCとPCとの人間関係、あるいはPCとNPCとの人間関係に、なんらかの課題が発見(把握整理)され、それについてのなんらかの改善がセッションを通じてなされたとしたら、共通ゲームの目的の1ヴァリエーションを満たす展開になるかもしれない。
 この場合、フリー・プレイであっても、冒頭で挙げた緩い定義のゲームの条件を満たす可能性はある。(実際は、システムの解釈に基づく達成度評価によって、充分ゲームになっていたかどうかまで判断されることだろう)

 繰り返しになりますけれど。アタシとしては、あらゆるTRPGシステムのあらゆる遊び方に共通する「ゲームの勝利条件」は、「勝利条件」と呼べる型で整理することはできない、と考えています。(この件は、必要に応じて別途検討できるといいですね)
 
 そこで、これまでは、「ゲームとセッションとの関わり方についての、あらゆるTRPGシステムのあらゆる遊び方に共通する共通型」を「勝利条件と言う型ではなく、セッションの達成度評価という型」にて整理できるのではないか、との目論見の試みを断続してきました。紙魚砂さんとの一連のやりとりなどが、その検討です。
 
 こちらのアプローチ、アタシとしては、必ずしもあきらめたわけではありませんけれど。
 今回提示してみた「ジャンル共通ゲームの目的」の整理の方が、分かり易いかもしれません。どうでしょう?
2005年09月02日:18時19分27秒
【ゲーム論】Re:TRPGでの勝利条件 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>是通さんへ
 どもー。お久しぶりです☆
 
是通さんWrote>「TRPGを遊ぶ参加者(GM/PL)共通の勝利条件」ですが、長いので省略。 それは「『又、この人と遊びたい』と、他の参加者に思わせる」ではないかと。
>遊べる環境をそれぞれで継続できれば“TRPGの勝利条件”をクリアーできるかと思います。

 
 えーと、すでにLISTさんが書かれたことと同趣旨の内容を、別の言い方で言うだけになる可能性もありますけれど(困)。
 
 是通さんの挙げられた「『又、この人と遊びたい』と、他の参加者に思わせる」も重要と思います。
 
 ただ、――
ゲームの勝利条件(ジャンルに共通なものとしては言えない@カンナ意見)→ セッション(個別セッション)と、ゲームとのの関わりなら言えるかもしれない
 
――、ってアプローチから言わせてもらえれば。
 
>遊べる環境をそれぞれで継続できれば“TRPGの勝利条件”をクリアーできる
 
 ってアプローチは、実践の場では参考になると思いますけど、今この場の議論の流れではちょと困る論旨です。
 
 乱暴に要約すると、「うまくセッションを重ねていけば、その内(TRPGの勝利条件も)みえてくるよ」ってことにもなると思いますので。ほんとに、それも実践の心構えみたいな面では同感なんですけど。
 
 アタシとしては、個別セッションをうまく運ぶ考え方をチェックしてくには、どんな面に気をつけてけばいいか、って基礎論検討のつもりでいますので、ちょと困ります(笑)。 ----
 
 それから、「『又、この人と遊びたい』と、他の参加者に思わせる」は、単独では、「ゲームの勝利条件」と呼びづらい気もします。アタシなりの言い方では、これも「セッションの達成度評価の目安の1つ」にはなりそうに思いますので。重要とは思ってますです。
 
 では、
「『又、この人と遊びたい』と、他の参加者に思わせる」を、他の勝利条件と複合させて、ゲームの勝利条件の一要素として組み込むことはできるか? と言うと、できる場合もあると思います。
 
 これに類したこともゲームの「目標」として考えることが、スタンダードな遊びかたとして明示提唱されてるシステムもありますよね。
 
 でも、TRPGジャンルに属す、あらゆるシステム、あらゆる遊び方に共通して、ゲームの勝利条件の一部に組み込めるか? と、言うと――
うーん、今段階で、軽々しく断定するつもりはないですけど、どうも、比喩的な言い方で“勝利条件”って言われてる、って考えた方が無難かなー、って気がしてますです。
 
 どうでしょう?
2005年08月30日:12時37分53秒
Re:Re:【ゲーム論】ところで / Log

花鳥風月さん>

タイトルの途切れ方から察するに、"皆さん"に含まれそうなのでレスを返しておきます。
残念ながら『パラノイヤ』については、ジャンル的に詳しくないので、レスがつけられません。

「どのように考えればよいのでしょうか?」については、もう少し話題を限定して頂けると答えやすいかと思います。
【ゲーム論】というタイトルの投稿は、最近だけでも話題に変化があるため、どれを論じればよいかが伝わりません。
一番最近のものを抜き出すのであれば、「パラノイアにおける公正さ」について、他者の意見を伺いたい旨でしょうか?
2005年08月30日:00時57分51秒
Re:ゲーム論】ところで / 花鳥風月
有意義な議論が続いていますね。 興味深く拝見しています。
ところで、皆さんのご意見は『パラノイヤ』の場合どのように考えればよいのでしょうか?
2005年08月29日:12時52分45秒
Re:ゲーム論】TRPGでのフェアプレイの責任分担 / Log
■公平さについて

サッカーに例えれば、アピール上手なプレイヤーとアピール下手なプレイヤーがいます。
通常は前者の方が審判に認められやすく、後者の方が審判に認められにくいかと思います。
審判も人間ですので、好きなタイプには判定が甘く嫌いなタイプには判定は厳しいかもしれません。
が、これはashさんの仰る「不公平」に見えるんじゃないかと思います。

しかし、アピールにより力を注ぎ込んだほうが、相手に伝わりやすいのは間違いありません。
努力に見合った結果を受け取れるというのは、自分は「公平である」という風に思います。

で、一応確認ですが、「公正さ」か「公平さ」か、どちらをメインに置いて話していますか?
初めは「公正さ」という言葉で論じていたように思いますが、今回は「公平さ」になっています。

■原則について

これについては誤解しているように思います。

国語的な意味として「原則」という言葉は適切ではないのではないかと言っております。
例外があまりにも多い規則や法則は、そもそも「原則」とは言わないんじゃないかと思います。

■公正さについて

公正さが不要だと言っているわけではなく、「通常自然に適用されている公正さ」は考慮の必要がなく、
「自然に適用されていない公正さ」については、議論に見合うほどの効果が得られないと思うので、
論じる価値を感じない、と今回は考えているわけです。

この議論を行った上で、問題が解消されるかと言うと、多分無理なんじゃないかと思います。
この問題を自己解決できない人は、「人の意見を聞かない」「自分の意見を優先する」などと思われ、
そういう人がこの掲示板の内容を熟読し、自分に適用しようとは思わないと思うからです。

「議論の価値を感じない」のであって、「公正さに価値を感じない」ということではないですよ。
2005年08月28日:07時07分30秒
【ゲーム論】TRPGでのフェアプレイの責任分担 / ash
私なりの意見を書かせていただきます。 TRPGにおいて公平さを出すためには、GMの役割が重要になると思います。 公平さだけを抜き出して例えるなら GMはサッカーの審判でプレイヤーはフィールドプレイヤーだと思うのです。いくらプレイヤーがいいプレイをしても、ジャッジするGMが不公平であるならば、そのプレイヤーの行動は意味がなくなると思います。 ただし・・・私は最近コンベ中心で遊んでいるため、過度にGMの重要性を意識しすぎているかもしれません。

>鍼原神無さん
本当にTRPGで例えだすのは難しいと思います^^; 今回の書き込みを見て、相互理解した上でのプレイスタイルを思ったのですが間違っているでしょうか? 説明責任の限度については・・・難しいですね。 ここに関しては、システムを販売する側に責任がある気がします。

>Logさん
原則に関して・・・TRPGは例外が多数発生するとは思いますが、それぞれの優先順位が違うだけで多少は原則あると思います。 あと、公正さはTRPGを楽しく遊ぶための要素の一つだと思います。

2005年08月26日:22時03分43秒
【ゲーム論】TRPGでのフェア・プレイとコミュケーション / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ashさんへ
 こんにちは。はじめまして。
 
ashさんWrote>TRPGセッションでの公正さを保つために、お互いコミュニケーションを取り、出来る範囲での理解を深めるよう努力する。
 
 また、「オープンの原則については、私なりにコミュニケーション能力ととりました。今読み返すと、私の解釈が違っていると思います」とのことでもありますけれどす。
 
 思うに、この辺については、アタシの方の投稿に未だ整理が不充分な部分がありました。
 
 TRPGを他種のゲームと比較すると、いろいろな様態のコミュニケーションをとりまぜて使うところ、取り混ぜていかないとセッションをうまく進められないところに特徴があります。
 
 ですので、TRPGセッションでのフェアさやフェア・プレイについても、種種のコミュニケーションをどう使い分け、どう活用してくか、って観点は重要になるはずです。
 
 そうした点を前提にしても、「オープンの原則」は、TRPGならではのフェア・プレイを実現していくための、コミュケーション運用の原則の1つとして位置づけられると思ってます。
 
 普段の遊び方によっては、暗黙の了解になっていて意識することがマレって、こともあるでしょうけれど。セッションが旨くいっている場合には、意識せずとも暗黙の内に実行されているのだろう、と推定されます。
 
ashさんWrote>ゲームに参加するプレイヤー特にGMがきちんと説明、理解するべきではないでしょうか?セッションの公正さを乱す例外とはならないかと思います。
 
 こちらは、多分、セッション開始後、ゲーム・プレイに入るまでに、GMが説明すべきという指摘と思います。そういう理解で、コメントさせてもらいますと。
 
 えー、先の投稿で書きましたのは、「遊び方A」と「遊び方B」とで、どちらかがどちらかの例外、という整理けを提案したつもりはありませんです。つまり、どちらかがスタンダードで、どちらかがヴァリエーションという位置付けをするつもりはありません。
 
 公正感が充分あるセッションを成り立たせるために、必要な原則は、要素として共通だと思えます。
 
 ただ、遊び方や遊ぶシステムに応じて、ある原則の実現に微妙な運用が必要になったり、ある原則の実現はさほど意識しなくても自然におこなえるようになったり、――比喩的に言って、共通に認められる諸原則のブレンドの仕方が違うような、そうした性質の差違が生じるだろう、と言った意見を述べたつもりでした。
 
 それから、特に「(先の投稿で挙げた)遊び方B」の場合、(遊び方Aの場合以上に)、ゲーム・プレイ以前のGMによる説明、重要と思います。その点はashさんの指摘に同感です。
 
 ただ、遊び方Bの場合、説明の仕方自体にいろいろな工夫が必要になると思います。
 
 それから、説明責任の限度の規定も難問ですね。
 
 アタシもashさんも、今のところ「事情が許す限り」とか「できる範囲で」といった曖昧条件を組み込むことで、留保をつけている型ですが。
 
 この件をどう整理して文章表現するかは、紙魚砂さんから出されてる疑問にも関係して難問になってると思われます。
2005年08月26日:15時20分48秒
Re: 【ゲーム論】TRPGならではを探しているのでは? / Log
LISTさん>

お久しぶりです。
今回の是通さんの意見については、何気に共感を得たのでコメントさせて頂きます。

>「『又、この人と遊びたい』と、他の参加者に思わせる」
> こちらのご意見ですが、これは余りにも一般論すぎるのではないでしょうか。

「思わせる」ではなく「思われる」ならば、多少は一般的かと思いますが、
意図的に「『又、この人と遊びたい』と、他の参加者に思わせる」と考えて遊ぶのは、
TRPGの他にはそんなにないような気もします。
※結果的に次も遊びたいと思われる人はいても、意図的に思わせようと行動する訳ではないと思います。

なので、TPRGの勝利条件として、上記の意見はありだと思います。

LISTさんの上げた項目で言うならば、二番目の階層、
つまり「TRPGとしての勝利条件」そのものであるように思うのです。

勿論、この勝利条件はあくまでも特定の個人のそれであり、
すべてのTRPGゲーマーにとっての勝利条件ではないと思いますが。
2005年08月25日:22時42分03秒
【ゲーム論】TRPGならではを探しているのでは? / LIST
 ども、LISTです。こちらの板ではご無沙汰しています。
 
 是通さんの挙げられた、
「『又、この人と遊びたい』と、他の参加者に思わせる」
 こちらのご意見ですが、これは余りにも一般論すぎるのではないでしょうか。
 これは一人遊び以外の全てに当てはまる、大きすぎる条件で、とてもTRPGの勝利条件とは言えないでしょう。
 例えば球技でも陸上競技でも水泳競技でも、はたまたTVゲームであっても、なんにでも適用できます。
 
 話の視点というか、いまここで話されている話題としては、TRPGというジャンルでの勝利条件を探しているわけですよね?
 
・遊び(ゲーム)という視点
 言い換えれば、仕事や遊びという階層
 
・ゲームのジャンルごとの視点
 言い換えれば、球技とかTRPGという階層
 
・ジャンル内部での各ゲームごとの視点
 例えばD&DやARAという具体名の階層
 
・当日の現場レベルという視点
 シナリオレベルの目的や、初心者受け入れという階層。
 
 これより下の、個人レベルの階層もあるだろうけど話の流れと関係ないので省略。
 
 ***
 
「『又、この人と遊びたい』と、他の参加者に思わせる」
 
 この勝利条件は、私が挙げた例では一番上にも適用できますよね?
 これでは範囲が広すぎる。広くて悪いかといえば、いまはTRPGの勝利条件の話をしてるワケですから、範囲からずれてるので悪いですね。
 
 以下は厳しい物言いなってしまいますが、別に誰か個人を責めたいのではないのでご了承ください。あくまで一般論のつもりです。
 
 ネット上での話し合いに限らず、話し合いは、その視点(あるいは階層)を切り分けて考えないと、混乱します。
 混乱したまま話し合いが続き、感情がヒートアップすればケンカが起こるのが関の山でしょう。善意が暴走すれば精神論的な善意ある達成目標が示されて終わるでしょう。
 つまり今回のような、誰からも文句のつけようがない意見が出るわけです。
 そして、階層がズレてることに気がつかないと、文句のつけようがないのでなんとなく話し合いが収束します。 …終息かな?
 
 ***
 
 ようやくタイトルが出せる。
 TRPGならではの勝利条件を探しているのでは?
 
 とりあえず、以上です〜
2005年08月25日:15時19分57秒
【ゲーム論】TRPGでの勝利条件 / 是通
 ども、是通です。
 
>鍼原さん
 
 お久しぶりです。(他の皆様もお久しゅう)
 
>あらゆるTRPGのあらゆる遊び方を対照として、共通なゲームの勝利条件は、共通なものとしては言えない。
 (【ゲーム論】セッションの達成度についての再説(Re:お詫び)より引用)
について、ちょこっと異論を。
 
▼TRPGでの勝利条件
 厳密には「TRPGを遊ぶ参加者(GM/PL)共通の勝利条件」ですが、長いので省略。
 それは『又、この人と遊びたい』と、他の参加者に思わせる」ではないかと。
 TRPGが多人数で何度も遊べるゲームである以上、参加者は如何なる立場であれ、自分と一緒に遊ぶと楽しい時間を過ごせるという事と、私は貴方にこれだけ楽しませてもらってますよ、という事をアピールし理解してもらって、相手の言い分を理解してリアクションする。
こういった行為を行って、遊べる環境をそれぞれで継続できれば“TRPGの勝利条件”をクリアーできるかと思います。
2005年08月23日:19時29分55秒
誤記載の訂正 / Log
申し訳ないです。 鍼腹さん(×)→鍼原さん(○)
2005年08月23日:19時27分48秒
Re:Re:【ゲーム論】TRPGセッションでの公正さ / Log
ashさん>

了解いたしました。引用符のない部分が引用だったのですね。
もしよろしければ、タイトルに「Re:○○」などと書いていただけるか、
もしくは、コメント元のリンクなどがあれば更に嬉しいです。
(直前の議題に関連してコメントしたのかと勘違いし、新しい論かと思ってました)


「○○の原則」については、鍼腹さんのコメントの引用だったようですが、
やはり、「原則」という言葉を用いるのはおかしいという気がします。
ですが、公正さの議論についてはそれほど重要視していないのが実情です。
2005年08月22日:18時07分41秒
Re:【ゲーム論】TRPGセッションでの公正さ / ash
Logさん>
はじめまして。記載方法についてのアドバイスありがとうございます。参考にさせていただきます。

○○の原則のくだりについては、鍼原神無さんの書き込みから引用させて頂きました。 記述については、そちらを参照していただけたらと思います。
オープンの原則については、私なりにコミュニケーション能力ととりました。今読み返すと、私の解釈が違っていると思いますので、下記に訂正させていただきます。
TRPGセッションでの公正さを保つために、お互いコミュニケーションを取り、出来る範囲での理解を深めるよう努力する。

2005年08月22日:13時37分51秒
Re:【ゲーム論】TRPGセッションでの公正さ / Log
ashさん>

まずは、初めまして。
内容に対する議論の前に、記載方法について一言書いておきます。
基本的に引用符(>)は、別の方の文章を用いる場合に使用するもので、使い方が誤っていると思います。
段落のタイトルのように使用する場合は、(・)や(■)などを使用するほうがわかりやすいかと思います。

次に内容に関して。

「○○の原則」という記述が見られますが、これらの「原則」がTRPGにおいて一般的だと思えません。
念のため、ググってみましたが、「オープンの原則」については、政治関連っぽいページしかヒットしません。
これらの原則は、TRPGにおいてはあまり一般的ではないと思うので、用語の説明が必要かと思います。

「オープンの原則」は、GMやPLのスタイルにより、必ずしも守らなくてはならないようには見えず、
人によって守る人も守らない人もいるものを「原則」と書くのは、あまりよろしくないような気もします。
(まるで、守っていない人を完全否定しているかのようにも読み取れます)
2005年08月22日:02時37分42秒
【ゲーム論】TRPGセッションでの公正さ / ash
はじめて書き込みさせていただきます。引用間違っていましたらご指摘お願いいたします。
鍼原神無さんはじめまして。よろしくお願いします。
公正さの差違(ヴァリエーション)の遊び方Aと遊び方Bについて
ここの差異については・・・
オープンの原則 GMのマスタリング、及びプレイヤーのプレイングは、事情が許す限り、オープンにおこなわれ、説明責任を果たすべく勤められるべきである。ただし、セッション遊び方によっては、直截なオープンさを避けるべき場合もある。その場合でも、遠回しで暗示的なやりとりや、曖昧化下やりとりは活用されるべきである。
この段階で、ゲームに参加するプレイヤー特にGMがきちんと説明、理解するべきではないでしょうか? セッションの公正さを乱す例外とはならないかと思います。
個人的に公正さを保つためには・・・
セッション前
>オープンの原則
セッション中
>オープンの原則
>機会均等の原則
>同質の処理原則
>差違の処理原則
>異同の評価
が適用されるんじゃないかなって思います。 

2005年08月20日:22時31分22秒
【ゲーム論】セッションの達成度についての再説(Re:お詫び) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>アビスの風さんへ
 どーもです。なかなか時間がとれなくて、少し間のあいたレスになります。
 
 さて、先の投稿では「主観性を含んだ客観的評価による勝敗において、異議は無い」とのこと、承りました。
 
 これで、アビスの風さんの論点が1つ理解できましたので、お話を進め易くなりました。
今回の話題
アビスの風さんWrote>過去の記述を見てみると、「自己満足」や「納得」といった、主観的なもののみを要素として勝敗を語る部分が多くあった
 
 率直に言わせてもらうと、引用部分のアビスの風さんによる「過去の記述」の整理は、アタシには不本意なものです。
 
 また、引用箇所に続くヵ所でのアビスの風さんの意見も、意味はわかっても、なぜ、「過去の記述」について、そのような意見が持ち出されなければならないのか? 論旨も意図もわかりません。
  
 ただし、
なにかの誤解があって、そのようなことが言われるのか、
それとも、
アタシなどの書き方にまずいところがあって、指摘されざるを得ないのか、
アビスの風さんの投稿からではまだ判断がつきかねています。
 
 そこで、少し前の、この掲示板のやりとりで、アタシが主張していたことを再説してみようと思います。
(ただし、再整理の都合で、以前は書いていないことも盛り込むかもしれません)
 
意見(再説)
 あらゆるTRPGのあらゆる遊び方を対照として、共通なゲームの勝利条件は、共通なものとしては言えない。
 なぜなら、
1.「TRPGシステムに応じて、スタンダードとされる遊び方は、システムごとに様々」だし、
2.「システムごとに許容される遊び方には幅があることが多い」し、
3.「同じシステムでも、セッション参加メンバー(GM&プレイヤー)が、習熟するにつれて遊び方が変質していくこともある」し、
4.「TRPGというジャンルでは、ユーザー側の自己責任で、システムがスタンダードとして想定していない遊び方をすること(変則的な遊び方やハウス改造など)もよくあること」だからだ。
 
 しかし、セッションの勝利条件のようなものなら、あらゆるTRPGのあらゆる遊び方に共通するものを言葉で整理することができるかもしれない。
 なぜなら、TRPGがTRPGである以上、セッションには共通の構造のようなものが想定できそうだからだ。(この件については、「【ジャンル論】形態論的ジャンル整理(仮称)改訂第2版」を参照されたし)
 
 ただし、「セッションの共通勝利条件のようなもの」も、勝敗を明確に線引きするような型には、共通なものを整理することはできないだろうと予想される。
 
 あらゆるTRPGのあらゆる遊び方に共通するものを文章で整理するには、「勝敗を明確に線引きする勝利条件」ではなく、もっとアナログな「達成度評価の原則」として整理する方が相応しいと思われる。

現時点での感想
 まず、アタシや紙魚砂さんが「セッションが成功する条件(アタシなりの言い方では達成度の評価原則)」についてやりとりしていた話題を、アビスの風さんは「ゲームの勝利条件」についての話題と勘違いされたのかもしれません。
 
 あるいは、勘違いではなく、アビスの風さんにとっては、「ゲームの勝利条件」と「セッションが成功する条件」とを、とりあえず分けて考えてみる必要性が認められないのかもしれません。
 
 どちらかは、お聞きしないとわかりませんが。
 前者なら、たんじゅんな勘違いで済むお話かもしれません、
 後者なら、分けて考えてみる必要性について、有無の含めたやりとりをした方がいいのかもしれません。
 
----
 とりあえず、アビスの風さんのご意見がもう少し詳しくわかるまで、
アタシとしては「『「自己満足」や『納得』といった、主観的なもののみを要素として勝敗を語る部分が多くあった』との整理は不本意だ、との意見を表明しておきます。
 
 まず、アタシは「自己満足」については論じていません。
 関連のやりとりでも、他のどなたかが論じている箇所があるのか探してみましたが、よくわかりませんでした。いったい、どの部分のことでなのでしょうか??
 
 次に、アタシたちは、「納得を直接に勝敗の要素として」論じていたわけではありません。
 例えば、「ゲームの勝利、あるいは敗北に納得がいかなかった場合」参加メンバーはどのように考え、どのように振る舞えば、セッションを少しでも成功に近づけることことができるか?といった話題についてやりとりをしていた途中でした。
 
 最後に「納得」について語れば、それが直ちに主観的だ、と決め付けられてるような論旨にも納得がいかないものを感じています。
 前回までのやりとりで了解がとれた、ゲームの勝利条件についての「客観的要素と、客観的とは言えない要素との複合」と似てはいますが、別の論点についてなので、書いておきます。
 
 例えば、アタシが実際に立ち会ったことのあるセッションで次のようなことがありました。
 
 ほぼ現代に等しいけれど、超能力者が実在し、超能力者の存在が社会にも認知されている架空世界を背景にしたTRPGでのセッションです。
 
 警察関係の嘱託のような型で、超能力者が関っていると思える犯罪の調査に従事することになったPCチーム。
 
 おそらく「現代によくにた世界」という条件が意識されたためでしょう。
 プレイヤーたちは、クレバーに立ち回り、結局は1度の戦闘もおこなわず(アクションはありました)、依頼にあたる事件の真相を暴露することに成功しました。
 
 アビスの風さんが、拘ってられる「状況の打破」は成し遂げられたと言えたと思います。
 
 しかし、セッション後、あるプレイヤーの事後感想として、「(強いて言えば)1度も戦闘がなかったのはものたりなかった」との感想がありました。
 
 この感想をもって、件のセッションが失敗だったと断定するつもりはありませんけれど。
 そのプレイヤーご本人にしてみれば、やや、納得がいかないものもあった、とは言えるでしょう。
 
 例示に類した事態は、TRPGではそう珍しいことでもないとでしょう。
 
 プレイヤーの方に、セッションの主旨についての誤解があったのか、あるいはGMの方がシステムのスタンダードからハズレすぎたシナリオを用意したのか、はたまたはセッション中のメンバー間(プレイヤー-プレイヤー間でも、プレイヤー-GM間でも)の意志疎通が不足していたのか……
 
 事例について、一概に、どこに問題があったと決め付けることも躊躇われますし、ここでそうした検討をしたいわけでもありません。
 
 ただ、TRPGゲームの勝敗に関らず、セッションに納得がいく/いかない、ということが起こりる得るということの一例を挙げてみただけです。
(大多数の普通のゲームでは、ゲームの勝敗がすべてだろう、と思います)
 
 そうしたことが、まま起こるなら、それを回避していくには、どう考えてどう対処していったらいいか、と言ったことを考えるのは有意義だろうと思います。
 
 ゲームの勝敗に関らず、セッションの展開に納得がいくか、いかないかは、重要な検討ポイントである、と思えます。
2005年08月09日:11時29分31秒
お詫び / アビスの風
>鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 まずは非常に詳細な返信に感謝すると共に、一部語弊があったようなのでそのお詫びを述べる。

 勝敗の客観性において、主観的な部分が入る自体があると述べられているが、それについては相違は無い。
 そうではなく、客観性を排除して、主観性のみで勝敗を語る部分に対しての指摘を書き込んでいるつもりだった。
 過去の記述を見てみると、「自己満足」や「納得」といった、主観的なもののみを要素として勝敗を語る部分が多くあったため、このような書込みをさせていただいた。

 ゲームである以上、「演技に対する自己満足」や「物語の辻褄が合っているから、これで納得する」など、主観的なものばかりを求め、「状況の打破」という部分を欠いた「ごっこ遊び」へとTRPGが成り下がるのは耐え難いものがある。

 繰り返すが、主観性を含んだ客観的評価による勝敗において、異議は無い。
 客観性を欠き、主観的部分のみで勝敗を語る部分に対しての意見だと思っていただきたい。

 簡潔に意見を述べたため、語弊を招いたものと思われる。
 大変失礼した。
2005年08月05日:20時27分37秒
【ゲーム論】TRPGセッションでの公正さ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
話題
 TRPGセッションで、メンバー(プレイヤーとGMと)に期待される「公正(フェア)さ」について、あらゆるシステムのあらゆる遊び方に共通する共通項と、遊び方によって差違が生じるヴァリエーションとについて、整理を考えてみます。
 
公正さの共通項
 TRPGセッションで期待される「公正(フェア)さ」には、共通項として次の原則が関り、各原則の間でバランスをとることも期待される。
 
機会均等の原則 機会の均等が理想であり、結果の平等よりも重視される。
同質の処理原則 同じような言動は、ルールを踏まえて同じように処理される。関与する条件に差がないのに、処理が異なることは好ましくない。もちろん、一見同じように見えても、関与する余条件が異なれば、異なる処理がなされてしかるべきである。
差違の処理原則 違う面のある言動は、ルールを踏まえて違うように処理される。積極的にセッションに参加したプレイヤーには、消極的なプレイヤーより多くの機会が与えられてしかるべきである。
異同の評価 言動の異同の評価は、ワールド設定と、セッションの主旨を踏まえて判断することが求められる。
オープンの原則 GMのマスタリング、及びプレイヤーのプレイングは、事情が許す限り、オープンにおこなわれ、説明責任を果たすべく勤められるべきである。ただし、セッション遊び方によっては、直截なオープンさを避けるべき場合もある。その場合でも、遠回しで暗示的なやりとりや、曖昧化下やりとりは活用されるべきである。
 
公正さの差違(ヴァリエーション)
 TRPGセッションで期待される公正さは、いくつかの原則間のバランスの取り方が、セッションの遊び方や、遊ぶシステムの特性に応じて変化する(ヴァリエーションがある)。また、共通原則以外にも、遊び方や、システム特性に応じて追加される特殊な原則が認められることもある。

 私見ですが、おそらく、公正さのヴァリエーションを招く、一番大きな違いは次のような遊び方の違いから生じるのではないか? と、思います。
 
 話の都合上、差違を際立たせる極端な整理を比較してみます。
 
遊び方A:セッションに参加するメンバーは、プレイヤーもGMも、予めルール、及びルールに含まれるワールド設定を充分に理解、把握してセッションに参加するべきである、とする遊び方。
 
遊び方B:セッションに参加するメンバーは、プレイヤーもGMも、ルール、及びルールに含まれるワールド設定は最低限の理解、把握で参加して構わない。しかし、何度か遊びを繰り返す内に、より完璧な理解、把握を目指すべきである、とする遊び方。
 
 上記Aの遊び方の場合、「同質の処理原則」が「差違の処理原則」より優先される傾向が生じるでしょう。「機会均等の原則」や「オープンの原則」は、意識しなくても、自然に達成されると期待されると思われます。
 
 上記Bの遊び方の場合、「同質の処理原則」と「差違の処理原則」との兼ね合いに注意される必要が生じるでしょう。関連して「機会均等の原則」の適用についても、配慮が必要とされることがあります。「オープンの原則」については、場合に応じて、明示的、暗示的な方針公表の使い分けを考える必要が生じるでしょう。
 
 もちろん、公正さのヴァリエーションには、他にも細かなタイプが種種生じるはずですが。

 基本として分別できる大きな区別は、上記A、Bの遊び方の違いによるものではないか(?)、と思います。
2005年08月05日:20時20分33秒
【ゲーム論】客観的判断と説得力との複合(Re:勝敗) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>アビスの風さん
 はじめまして。こんにちは。
話題
アビスの風さんWrote>勝敗とは、客観的事実の上に設けられることで、納得やら満足感やら、主観的なものの上にあるべきものではない。
 
意見
 話題の件についてですけど。
 まず、アタシも、TRPGで扱われるゲームの勝敗は、客観的な判断の上になされるものだとは思います。
 
 しかし、客観的な判断「だけ」では決さないことは多いです。
 
事例 例えば、『ガープス・ベーシック【完訳版】』(スティーブ・ジャクソン、著,安田均、監修,黒田和人、グループSNE、訳,富士見書房、刊)のルールブックには、P.233に次のような記述があります。
 
>経験点のだいたいの目安を書いておきます
 
>特に優れた演技:4〜5点
>まずい演技。キャラクターの性格や目標に反したか無視した:−1〜−5点
>使命を達成した、あるいは進展させた:2〜4点
>使命を部分的に失敗させた、あるいは大幅に後退させた:−1〜−2点
>使命の完全な失敗:−4〜−5点
>賢明な行動をとったり、特殊な問題を解決した:行動ごとに1点
 
事例の検討 この事例だと、「使命の達成」に関する評価は、客観的なものと思えますが。「優れた演技/まずい演技」の評価や「何が賢明か」の評価は、客観的な判断「だけ」では定まりません。
 
 繰り返しになりますけれど、客観的なゲームの展開を踏まえて、かつ解釈の余地が生じるという指摘です。
 事例の、ガープスの場合は、「客観的な評価、判断」と、「客観的とは言えない評価、解釈」とが複合してゲームの勝敗が決せられる遊び方が、スタンダードなものとしてルールブックにて提唱されているわけです。
 
 実際、同書のP.232には次のようにあります「1つのセッションが終了したらGMは以下の行動をとらなければなりません。
 
冒険についてプレイヤーと相談する:なにがうまくいって、なにがうまくいかなかったかを検討する。そのセッションがキャンペーンの途中であったときには、GMは余分な情報をあかさないように気をつけなければなりません」
 
 引用個所の記述では、2つの問題が複合して語られています。
a)ゲームの勝敗が、客観的な判断だけでは決さないからこそ、GMとプレイヤーとの検討が必要となる。ここで問題になるのが、説得力であるはずです。
b)特に、キャンペーン・プレイの場合は、客観的には開かされていない事情も踏まえてゲームの勝敗――、というより、正確には達成度の評価がなされる。
 
 このように、客観的な判断に、説得力の有無といった解釈が加味されて、ゲームの勝敗が決すことは、TRPGでは珍しいことではないはずです。
 
まとめ まず、TRPGセッションで扱われるゲームの勝敗に関る評価を、たんじゅんに、客観/主観と別けて論じていくことは、不適当と思われます。「客観的な評価、判断」と、「客観的ではない評価、解釈」との複合の仕方の方が問題であることは多いはずです。
 
 次に、扱うシステムや、遊び方を特定せずに、「べき論」にて「主観的なものの上にあるべきでない」と断定することも不適当だと思われます。
 
 繰り返しますが、上に書いた意見は、客観的とは言えない評価も、客観的な結果を踏まえてなされるということを否定するものではありません。
 
 しかし、「主観的なものの上にあるべきでない」との断定は、客観的とは言えない評価を排除するので不適当だ、という指摘です。
 
 また、上の意見は、客観的な結果のみに限定してゲームの勝敗を決するTRPGの遊び方があることを否定するものでもありません。
 
 ただ、扱うシステムや遊び方を限定せず、あらゆるシステムを使ったあらゆる遊び方を指して、べき論で断定することの不適当さを指摘しているだけのことです。
 
補足>TRPGにおいての敵は、「状況」。
 
 こちらについては、アビスの風さんが言わんとされていること、わかるつもりでいます。アタシなりに分かる範囲では賛成です。

 ただ、アタシは別に架空の状況が「敵」だとは思わないですけれど。アビスの風さんも多分、比喩的に「敵」と言ってられるんだろう、と思ってますですけど。
2005年08月04日:14時38分23秒
勝敗 / アビスの風
 勝敗とは、客観的事実の上に設けられることで、納得やら満足感やら、主観的なものの上にあるべきものではない。

 TRPGにおいての敵は、「状況」。
 GMから提示されたり、PLがもたらしたりした状況に対し、それを打破することが勝利。打破できなければ敗北。
 故に、GMもPLもその状況解決に向けて活動する。

 勝負というと、すぐにゲーム参加者を対戦相手に見立てたり、目に見える物を敵に見立てたりすることが多いが、敵はよく確認するべきだ。
2005年07月23日:22時16分25秒
【ゲーム論】特殊型と共通パターンと / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>紙魚砂さんへ
 どうもです。質問へのご回答ありがとうございました。
 
 書いていただいたお話は、アタシのセッション体験に照らしあわせて、とてもよくわかるお話でした。
 
 体験的な理解ですので、必ずしも紙魚砂さんの意図された通り、ピタリと理解できてるかは保証の限りではありませんけど。
 
 自分では、かなり理解できた感触です。
 
 公正さ(フェア)とは何か、ってお話と、納得の内実とがポイントになりそうですね。
 
 前者はなんとか整理できると思いますが、後者を整理するの難しいそうです。
 
 ちょっと時間かかりそうですが、「セッションの達成度評価原則 4訂版」に取り組んでみようと思いますです。
 
 んで、以下には今回いただいたレスについての感想ということで、書かせていただこうと思います。
----
 
 まず、「セッションの結果として得られる効果」の3大別は、参考にさせていただきたいと思います。
 
 アタシが考えてます「納得」は、強いて言えば、1+3の線で、2については、1+3が優先される型でないと、得られる理解も得られない、て線で考えてます。
----
 
 次に、「あらかじめ事情を告知して嗜好の合わない参加者は除外する」手法も、予定調和に含められるのは、ちょっと厳しい整理ではないかなー、とは思いましたです。
 
 紙魚砂さんがセッションに込めてる狙い(GMとして、でいいでしょうか?)からすると、予定調和とも言える、って線では理解してますので。その意味では了解ですが。印象論としては厳しいなぁ、と感じました。
----
 
 後、紙魚砂さんが書かれたお話「特殊なケース」かもしれないとのお話ですが。
 
 アタシも多分、特殊型の一例だろうとは思いますです。
 
 ただ、例えば、「TRPGを限りなく完全情報ゲームに近い遊びとして遊ぶ遊び方」も、また別の特殊型と思うのですね。
 
 例えば、「セッションをGMとプレイヤーの知恵比べ」と定義する遊び方は、本来不完全情報ゲームに向いている傾向を持つTRPGジャンル(とアタシは思うのですが)を、限りなく完全情報ゲームに近づけるべく、いろいろな準備をしなくてはならない。セッション参加メンバーも選別される、などの特性を持ちます。
 
 月並みなことを書けば、それぞれが、どの程度特殊かは、使うシステムとの関係でしか論じられない。例えば、判定系のボリュームと、ワールド設定のボリュームの比率などは、多少の目安になるかもしれません。 #ワールド設定の記述方式や、ワールド設定に占める、数値データの比率の方が、重要だと思うのですが、記述方式や、数値の形式はシステムごとに様々なので、比較する手法が簡単に見出せるとも思えません)
 
 えーと、、、アタシとしては、一般達成度評価原則では、いろいろある考え方に共通する「パターン」のようなものを括り出してみたいです。
 
 比喩的にいって最大公約数といいますか。

 何かを、実体的に基本形だ、と定義して、それ以外を特殊と分類するアプローチは、もう古臭いと思ってますので、、、ってこれは紙魚砂さんにいただいたレス向けてのお話から、脱線ですね。失礼いたしました。
----
 
 てなところで、よもやま話風に流してしまいましけれど。とても参考になるレスをありがとうございました。よければ、また、よろしくお願いいたしますです。
2005年07月19日:01時14分02秒
れ:【ゲーム論】セッションの達成度評価原則 3訂版 / 紙魚砂
ども。回答遅くなりました。
とりあえず鍼原さんの言われる「納得」というのが厳密にどういう領域を指しているのか不明なので実際はすでに含まれてるのかも知れませんけど、僕はセッションの結果として得られる効果を

1)「頭で論理的に理解する」
2)「感情的に受け入れる」
3)「衝撃を受ける。あるいは感動する」

の3つに分けて考えています。(1+2≒納得?)

--
>鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん
>あえて話題にしますのは――、フェアさを心掛けて、決着を求めていけば、自ずとセッション参加メンバーの間での了解は成り立っていく、と思うのです。
>これについては、そう理想論とも思ってないのですが、紙魚砂さん的にはいかがお考えでしょうか?

 ここが一番の理想論と思っていますw。というのは、公平かつフェアにセッションを運営するというのは、ここの判定や結末がこうなったのはこういうポリシーに則ってプレイしたからである、という理由付けを一貫したものにしてくれるので

「そうなった事情は理解できる」

ようにはしてくれるけれども

「感情的にそういう論理を受け入れられる」

ようにしてくれる保証は全然ない、と思うからです。(体験上)

 具体例をあげると(極端な例ですが)

・完璧にルール通り運営し全力を尽くしたが、ダイス目などの不運が積み重なってPCたちが全滅してしまった
・権謀術数のPC同士が対立し合うセッションで最後の最後で敵(PC)に裏切られた
・GMが序盤で顔見世でラスボスを出したらクリティカルでボスが即死してキャンペーンが終わってしまった(笑)
・目的の達成のためにPC(≒PL)にとってもっとも大切なものを代償にしなくてはならない

…というようなセッションをプレイした場合「そうなった事情は理解できる」が、「感情的にそういう論理を受け入れられ」ない、という人が必ずある一定の割合で現れると思うのです。だからと言ってそのセッションは失敗と言えるでしょうか?

 僕の場合、むしろ上記のような「ギリギリの状況」で「人それぞれ受け止め方が違う」セッションこそTRPGでプレイするには“有意義である”と思っています。上記のような「事故」(僕は事故とは思いませんが)を避けようと思えば

・あらかじめ事情を告知して嗜好の合わない参加者は除外する
・上記のような微妙なネタはシナリオとしてプレイしない

という対策が可能と思いますし、予定調和なシナリオ/セッションというのはまさしく「そういうもの」だと思います。が、僕はそもそも個人的な志向として、予定調和なセッションをやろうという気は全くなく、僕がやるのは常に「ギリギリ」で「人それぞれ受け止め方が違う」状況で、そこで得たいと思うのは「納得」というようなわかった風な感覚ではなく「衝撃」「感激」「感動」といったようなプレイする人間の心を突き刺す“感覚”なのです。

--
>>他のPLがそれぞれ担当のPCに対して付けた決着に文句は言わない
>やはり、ゲームではある以上、メンバーのそれぞれが目ざした目的が達成できないこともありますよね。
>その場合、紙魚砂さんや、お仲間の参加者の方はどう処理されてるでしょうか?
>もしかして、みなさん充分慣れてるから、なぜ目的達成ができなかったか、自己判断できるから、納得できないてことはない?
>それならわかりますです。そういうことは充分あります。
>だとしたら、かえって、充分慣れてない人も視野に入れて「セッション達成度の評価原則」を文章整理することに意義があると考えます。
>アタシの個人的感覚ですと「納得のいかない達成」より「納得のいく不達成」の方がマシ、て感覚がありまして。

…というわけで「僕の」セッションで達成できたらいいなと思っているのは「納得」ではなくて「衝撃/感激/感動」なので、つまり、

>もしかして、みなさん充分慣れてるから、なぜ目的達成ができなかったか、自己判断できるから、納得できないてことはない?

というときには、「目的が達成できなかったから悔しい」と感じてもらうのが目的であって、そのあと「自己判断して納得してもらう」かどうかは保証しないのです(まあ聞かれれば解説はしますが)。

--
 僕が言っている話は特殊なケースかもしれないので「一般的なセッションの達成度」を考える上ではあまり役に立たないような気もしますが、TRPGというのは「物語を体感させる」というエンターテインメント的な側面があり、論理的に単純に割り切ることができない部分が常にあって「納得する」とか「共感する」という以上に、率直に

・あなたはそのセッションのプレイを通して感動しましたか?

という“艶”みたいなものが欲しいというか。で、こっちの方向を志向すると「納得」という段階はすっ飛ばしてしまうことがよくあると思うのです。

#何かますます話が拡散しそうで訳わかりませんな(^^;。

それでは

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