TRPG総合研究室 LOG 108

TRPG総合研究室の2005年05月11日から2005年06月23日までのログです。


2005年06月23日:21時40分55秒
【ゲーム論】ゲームの面白さは難しさにある / Purple
 私> ゲームは、「難しい」から面白いのです。
 Logさん>これが正しいとするかどうかは若干疑問です。
 
 将棋でも、オセロでも、マージャンでも、簡単に勝つ方法がわかってしまえば、ゲームとしての面白さは味わえません。
 勝つのが面白いのではなく、勝つために考えることが面白いのだから。(赤ん坊や幼稚園児相手にゲームをして、勝てたとして、楽しいですか?)
 
 勝ち方がわからない難しさがあって、難しいことに挑戦するのが、ゲームの本質的な面白さなのです。
 
 もちろん、難しすぎるとそれはそれで、面白さが減ります。
 
 そして、この「難しさを面白さと感じる度合い」は個人差があります。(ある人にとって適度な(=面白さを生む)難しさが、別の人には面白さを減らす場合もあります。)
 
 Logさん>今まで出会った人の中には「難しいのは面白くない」という感覚の人が少なくありません。
 
 上でも述べた様に、「難しすぎるのは面白くない。」なら、その通りだと思います。
 まあ、面白いと感じている間は、「ちょっとぐらいの難しさ」は「難しい」のうちに入らないと思っている人たちが多いのかなぁ・・・。
 
 Logさん>GMのシナリオをなぞるだけのPLが難しさを楽しんでいるようには思えない気がします。
 
 その状況は、いわゆる「1本道シナリオで、プレイヤーの選択肢がない。」なのではないかと思うのですが?
 一本道シナリオが良くないというのも、結局は適度な難しさをプレイヤーに与えられないからです。
 シナリオが分岐していれば、「一番よい結果を得るために、どの分岐を選ぶのがよいのか」を考えさせられますので、(適度かどうかは別として)そこに難しさが存在します。
 
2005年06月23日:20時54分36秒
極端な例は納得できないのです。 / Purple
 >Purpleさんが仰っているのは「経験年数だけで比較するのはおかしい」ということではないですか?
 >ならば、同様に「プロ/アマだけで比較するのはおかしい」というのも成り立つのではないでしょうか?
 
 そこまでわかっているのなら、やはり卑怯な論法と思います。
 
 極端な例を持って相手の論を封じようとしても、私のように納得しない人が出てきますので、あまり建設的ではないと思います。
 
 #サトーさんもおそらく、納得できないのではないかと思いますし。
 
 サトーさんの論も、
 「アマ(の平均)はプロ(の平均)よりずっと劣っている」
 ぐらいに、補完すればそんなにおかしくないと思うのですけど。
 
2005年06月23日:18時42分53秒
Re:デザイナーの問題点などなど / でみ
 鍼原神無様へ
 こんにちは。はじめまして。
 
 ●デザイナーという言葉の定義
 ご指摘ありがとうございます。 確かにデザイナーという表記の範囲の定義については記載していませんでしたので、
 分かりにくくなり申し訳ありません。 
 
 私の文章中ではデザイナーという表記は「そのルールのメイン部分をデザインした個人及び関連グループ」との意味合いで
 使用しています。
 サトーさんが意図した『デザイナー』の範疇については私も推測するしかないのですが、TRPGのルールを完全に個人で
 デザインし販売、サポートするのは、現状では実質不可能ですから、デザイナーグループを意図されているのではないかと。   


 ●デザイナーに期待する範囲。
 サトーさんの上げた話題が収束する前に、新しい話題に進んで良いのか少し不安ですが。 
 
 デザイナー(デザイナーグループ)「だけ」にGMの技術向上の努力をして頂こうとは私も考えていません。
 逆に、デザイナーだけに頼らず、個々でも技術向上の道を模索していくべきだと前回、前々回とも書いたつもりです。
 (もし私の書き込みにデザイナー「だけ」と読めるような表記があればご指摘下さい。 すぐに訂正させて頂きます)

 とはいえ、同時にデザイナー側からのアプローチがまだ不足していると考えているのも事実です。

 TRPGのルールには、各々もっともと得意とする遊び方が想定されている筈です。
 そして、このコンセプトは、デザイナー自身がもっとも良く理解しているだろうと思います。
 であれば、そのルールをどうすれば楽しく遊べるのかを一番良く知っているのはデザイナーな筈です。

 現在、特定のルールの遊び方は、まずルールブックに記載されており、ご指摘の「◎◎がよくわかる本」や雑誌の記事や特集、
 リプレイやFAQなどで開示されています。
 ですが、GMやPLの技術や性格、お互いの人間環境などに大きく影響を受けるTRPGが、上記の様な不特定多数向けの
 コンテンツだけで十分デザイナーの意図を伝え、熟練のGMやPLを育てられるでしょうか?
 
 残念ながら私には「当然だ。デザイナーは既に十分な事をしている。問題はGMやPL側だけにある」とまでは言い切れません。
 個々の環境にあった(極端な話、個人向けの)サポートが必要だと思いますし、そのサポートを行なうのにもっとも相応しいのは
 デザイナー側だと考えています。
   
 そのルールのコンセプトを正確に理解した熟練GMが指導をする、というのでも同じ効果が見込めるかも知れませんが、
 残念ながらそのGMがコンセプトを正確に理解している事を証明する手段が限られていますし、交流する手段も少ないですから。
 (次善の手としては、多くのGMがお互いの経験や考えを話し合ってより正しく理解出来るように論議する方法はあるかな)

 デザイナー自身によるPLやGMの個別対応というとあり得ない夢物語に聞こえるかも知れませんが、一部のルールでは部分的に
 実現していますし、今後のTRPG環境を考慮するのであれば、デザイナー側が積極的にGMやPLを育てていく動きは、
 十分可能であり、意義のある事だと考えます。

 ●締め
 これでご質問の回答になったでしょうか?
 もし、鍼原さんの質問の意図が「デザイナーグループとメーカーは異なる」「メーカーももっと頑張るべきだ」という主張なのでしたら、
 私は別にそれを否定する意思はありません。ただ「メーカーが動かないならデザイナーグループがメーカーを動かすべきだろうな」とは
 思いますし、それとは別に「デザイナー側が動くのが最善だろう」という意見に変更の必要も無いと考えます。
2005年06月23日:18時35分31秒
Re: Re: やはり「責任の一端はデザイナーにもある」くらいしか言えないと思います / Log
Purpleさん>

> #TRPG暦20年で「素人」なんですか?っと言う突っ込みもあるけど。

そもそも、素人(=経験が浅い人)とプロ(=職業としている人)を比較する事がおかしいのです。

> これは卑怯な比較ですよ。

今回の話は個人の「シナリオ作成能力」の比較です。
Purpleさんが仰っているのは「経験年数だけで比較するのはおかしい」ということではないですか?
ならば、同様に「プロ/アマだけで比較するのはおかしい」というのも成り立つのではないでしょうか?
とはいえ、判断材料が少ないことを「卑怯」と表現するのは間違っていると思います。

とりあえず、「一般のGMは無能だ」と言われていて、黙って見過ごす気にはなれないだけです。

理想は理想であり、現実ではありません。
この議論は現実を理想だけで話し合おうとしているから、無理があるんだと思いますよ。

---

ついでなので、余計な突っ込みなど

> ゲームは、「難しい」から面白いのです。

これが正しいとするかどうかは若干疑問です。
今まで出会った人の中には「難しいのは面白くない」という感覚の人が少なくありません。
GMのシナリオをなぞるだけのPLが難しさを楽しんでいるようには思えない気がします。

とはいえ、本筋の意見には概ね同意していますけど。
2005年06月23日:13時57分40秒
Re:デザイナーの問題点など / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>でみさんへ
 こんににちは。
 
>『GMの腕が未熟なのは、全てデザイナーが原因である』については、部分的に賛成です。
>これも前回のとおり、デザイナー側からのアプローチがまだ不足していると考えています。
 
 横合いから申し訳ありませんが。質問を許してください。
 
 『GMの腕が未熟なのは、全てデザイナーが原因である』については、部分的に賛成
――、とのご意見ですが。
 
 デザイナーと、メーカー、及びパブリッシャーの混同されてはいないか? 気になったのですが。いかがでしょうか?
 
 アタシの思い込みで、先走った決め付けになっていましたら、申し訳ございません。
 
 ただ、「多くのGMの腕の未熟」ということが言えると仮定しますと、
 アタシなどは、例えば、かつて類書がいくつか刊行されていた時期もあった「◎◎がよくわかる本」(←◎◎の部分には、通例TRPGタイトルが入ります)の類の新刊刊行を期待してしまいます。
 
 しかし、こうした方面の対応を、デザイナー職の方々「だけ」に集中して期待するのは、稚拙なようにも思っております。
 
 いかがでしょうか?? もちろん、「よくわかる本」刊行のほかにも、デザイナーの方に期待してもよい策はあるだろうと思いますので、それらについての検討は歓迎です。
 
 しかし、セッションのおもしろさ云々ではなく、GMの習熟という状況論関係の話題でしたら、デザイナーとメーカー、パブッリシャーを分別したうえで、関係づけも検討する整理は、個人的には、是非必要と考えます。
 
 あえて、予断も含めた質問をさせていただきまして恐縮です。
2005年06月23日:12時29分42秒
デザイナーの問題点など / でみ
 何か大盛況ですね。
 
 >ループなんてしてませんよ。全然通じないので、切り口を変えて何度も同じ内容の説明をしているだけです。
 失礼しました。
 
 ●デザイナーの問題点について
 【前提】・セッションの面白さは、全てGMの腕によるものである。
   ・GMの腕が未熟なのは、全てデザイナーが原因である。
 【結論】・ゆえに、面白さについてはデザイナーに全責任がある

 こんな感じでしょうか? 

 【参考】・優れたGMがほとんどいないのは、デザイナーが責任を人任せにしているからだ。
   ・優れたGMがほとんどいないのは、GM役が楽しいという人間もほとんどいない事から明らかである。
 
 括弧内については、こんな感じでまとめて問題ありませんか?
 
 
 一応、上記の把握が正しいとして考察をしてみます。
 今回も前提が是であれば、結論に到る論理展開には問題が無いようです。
 前提については、まず『セッションの面白さは、全てGMの腕によるものである』の根拠が不明です。
 
 これについての私の意見は前回のとおり、GM+デザイナー+PLによる物だという物です。
 この根拠については、ルールブック(例えばアリアンロッドとか)に記載されている事と、私自身の体験や見聞によります。
 証明が不足である場合は、どこかで「セッションの面白さは全てGMの腕によるか、参加者全員によるか」という
 アンケートでも取れば証明できるでしょうか。
 
 次に『GMの腕が未熟なのは、全てデザイナーが原因である』については、部分的に賛成です。
 これも前回のとおり、デザイナー側からのアプローチがまだ不足していると考えています。
 ただ、『全て』と言い切ってしまうには、根拠が不足していると思われます。
 笛吹けども踊らず、と言いますし、上達する気の無いGMの腕を上げるのはデザイナーにも難しいでしょう。
 
 
 『優れたGMがほとんどいないのは、デザイナーが責任を人任せにしているからだ』
 これについても上記の通りです。
 GMの腕を上げる為には、例えば、今行なっているような討論をする事で自分のマスタリングを振り返り、自戒と反省を
 繰り返し、工夫する事が有効だと考えています。 デザイナーが何かしてくれるのを待つだけでは上がらないんじゃないかと。
 
 『優れたGMがほとんどいないのは、GM役が楽しいという人間もほとんどいない事から明らかである』
 これについては主観のようですので、コメントを差し控えさせて頂きます。
 
 
 ●全ての人を楽しませるゲームについて
 「全ての人を楽しませるゲームについて」は、私の考えも「参加した人達全員の嗜好の範囲内のゲームの実在は可能」だと
 思ってますので、「全ての人を楽しませるゲームは存在できない。それゆえデザイナーに責任は『まったく』ない」という
 論が、誤っているという意味であれば、サトーさんの意見に同意です。
 
 ただ、前回の論理展開では『デザイナーに全責任は無い』『デザイナーに全責任は有る』という点については、証明が
 不足しているようです。
 でも、この発言をした元々の人の意図が正確にはわからないので、こっちは棚上げかな。
 
 
 ●「セッションがつまらないのは全てGMのせいだ」論への反論
 反論の方向が「セッションがつまらないのは全てGMのせいな訳じゃない、全てデザイナーの怠慢だ」というのであれば
 それは極論から極論に走っているのではないか、と思いますよ。
 私も『全てGMのせい』論は間違っていると思いますし、極論を語る事で論議を活発化させる狙いなら有効ですが。
 『デザイナーの怠慢な部分がある』というのは私は正しい指摘だと思いますし、もっと改革の余地はあると思いますが。 
2005年06月23日:12時14分26秒
「セッションがつまらない」関係の所見 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
サトーさんWrote>自動車の喩えがありますが、喩えだけではさすがに分かりません。本論をお願いします。
>また、鍼原神無さんが言う「遊び易さ」はどういうものでしょうか?(※具体例は不要です)
>最後に、鍼原神無さんは私の問題提起や結論を、どのように把握したのでしょうか??

 
 名指しで、レスをいただきましたので、他の方の投稿内容とダブる部分もでますが、お応えしてきます。
 
【お応え1】
>鍼原神無さんが言う「遊び易さ」はどういうものでしょうか?
 
 とりあえず、極、シンプルなところで。アタシにとっての遊び易さ、ですよ。(ここで一般化して論じるつもりはありません)
 
 ルールやワールド設定の分量が多いよりは少ない方が遊び易いですね。
 
 その代わり、ルールやワールド設定の分量が多い方が、おもしろくなることも多いですので、いつも困ってます(笑)。
 
【お応え2】
>鍼原神無さんは私の問題提起や結論を、どのように把握したのでしょうか??
 
 すでに記しているつもりですが。ご質問をいただいたので敷衍しますね。
 
 まず、サトーさんが、問題提起と言われるものについては、問題提起の体を成していないように思えます。
 
 以前書いてられた、「ジャンルが閉塞する」などの予想も根拠不明ですので、今のところ問題提起としては受け止めておりません。

 サトーさんの個人的なご意見として承っています。
 
 多くの方が根拠不明(とまでは言わず遠まわしに)ほぼ同様の疑問を示唆してられましたが、サトーさん、根拠を説明なさっていませんよね(?)。
 
 サトーさんの脳内では、「ゲームデザイナーに全責任がある」というのが「ジャンルが閉塞する」という予想の前提になっているのかもしれませんが。そうだとしたら余計、「ジャンル閉塞説」は根拠薄弱と言わざるを得ません。
 
 結論については。

 まず、仮に「ゲームデザイナーに全責任がある」論がサトーさんの結論だと捕えてみますと。これもすでに書いたことの繰り返しになりますが、今のところ、説得力が感じられません。
 
 仮に、サトーさんがデザイナーさんで「デザイナーが全責任を追うTRPGをこれから作るゾー」ってお話なら、アタシも死なない程度に頑張ってください、と応援します。
 
 サトーさんも1ファンだ、とお見受けしていますので。デザイナーの責任領域を明確にするなら、プレイヤーやGMの責任領域も同時に明確化する検討が必要だと考えています。
 
 デサイナーかユーザーか、常にどちらかが100%の責任を負うべきだ、という発想は、ナンセンスと言わざるを得ません。
 
 次に「デザイナーさんは、万人が楽しめるゲーム作りをを目指すべきだ」をサトーさんの結論と仮定しますと。
 
 それは、個々のデザイナーさんが考えられるべき事柄で、ファンが「べきだ」と言ってもナンセンスだと考えます。
 
 平たく言えば、サトーさんがデザイナーを目指されるなら、個人的エールは惜しみません。
 
 けれど、デザイナーになった後のサトーさんが、アタシの好みに合わないシステムを作られるなら、アタシは声援はしても、商品を買わないだけです。
 
 リクエストはありませんが、「万人が楽しめるゲーム」について個人的意見を書いておきたいと思います。
 
 個人的意見ですので、他の方が「そういう万人が楽しめるのがいいね」って好みについてまで、どうこう言う気はありません。
#べき論で言われるとしたら反発するかもしれませんが。
 
アタシ個人は、「万人が楽しめる」って触れ込みで、似たようなTRPGばかりが沢山作られる(ゲームソフトでは、かつてそんな状況もありましたよね?)よりは、
「いろんな好みを想定した、いろんなタイプのTRPG」がいろいろあってくれた方が嬉しいです。
 
 だって、買うときに選ぶ楽しみがあるではないですか(笑)。
 
【お応え3】
>本論をお願いします。
 
 本論と言われても、すでに書きましたように、「サトーさんのデザイナー100%責任論の主張は『一般論で断定できる話題ではありません』」につきます。敷衍してみましょうか。
 
 「セッションがつまらないのはすべてGMのせい」というのは間違いですが。
 
 だからと言って「すべてデザイナーのせい」と言えるわけではありません。
 
 個別のシステムなり、マスタリングなり、セッション進行なりを踏まえて論じないと、真偽の検討すらできません。
 
 補足しますと、デザイナーに100%の責任が生じる「ケース」があるだろう可能性は、アタシも否定していません。他の方も否定されてはいないでしょう。
 
 けれど「常に100%」という論法は、ナンセンスですし。実態に即した整理でもありません。
2005年06月23日:11時51分29秒
「セッションがつまらないのは全てGMのせいだ」論とは誰の論でしょう? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>サトーさんへ
名指しでレスをいただけましたので、他の方の発言とダブる部分もありますが、お返事はさせていただきます。

その前に、アタシの方からもサトーさんにお願いがあります。

サトーさんの最新の投稿は「『セッションがつまらないのは全てGMのせいだ』論への反論」とされていますが。

この場での、話題の流れをみるに、このタイトルは不適当です。

少なくとも、アタシは「セッションがつまらないのはすべてGMのせい」も「全てデザイナーのせいも」どちらも、それぞれに間違っていると考えていますし。そのように論じています。
#アタシのみるところ、他のみなさんもそのように論じられています。

ですので、サトーさんには「セッションがつまらないのはすべてGMのせいだ」という意見をご紹介いただいたうえで、サトーさんのお考えを書いていただく、という体裁を希望したいと思います。

言ってもいない意見に反論をされても、アタシだけでなくみなさん困るでしょうから。

できたら、どの辺で、どんなタイプの方が唱えている論かも、教えていただきたいですが。こちらは、できたらで結構です。
2005年06月23日:09時53分02秒
セッションが詰まらないのはマスタとプレイヤの双方に責がある / アキト

≫サトーさん

 どもども。横レスしてみます。内容は題名で終わりなんですけど。

>と、書いてるところで、私の論は「セッションがつまらないのは全てGMのせいだ」論への反論としてまとめた方が分かりやすいと気づきました。書き直してみるつもりですが、とりあえずはそういう見方で読み直してみてください。

 たしかに「セッションがつまらないのは全てGMのせいだ」という論があったとしたら、ボクも反論することでしょう。「セッションが詰まらないのはマスタとプレイヤの双方に責がある」と。実際には「シナリオ作者」もこれに付け加えて三者が責任を負うという論調になるかなー。


2005年06月23日:03時50分33秒
「ゲームが面白いかは、デザイナーに全責任がある」という論理は誤りである / anonymouse
簡単に、前提の不備だけ挙げておきます。

●デザイナーの問題点について
>RPGのセッションがGMのシナリオやマスタリングによって面白いかどうかが決まるとするならば、

GMのシナリオやマスタリングによって“のみ”RPGのセッションが面白いかどうかが決まるのではありません。
セッションが面白いかどうかを決める要素の一部のみを取り出して結論づけることはできません。

●全ての人を楽しませるゲームについて
>「Aが好きな人」と「Aではないのが好きな人」を同時に楽しませるシステムをつくることは不可能であり、

嗜好の要素は無限にあるため全要素を満たすシステムを作ることは不可能ですが、特定の要素にのみ着目して可否を決定することはできません。
「Aが好きな人」と「Aではないのが好きな人」の両者が「Bが好き」である場合、Bの要素を持つシステムは両者を同時に楽しませることが可能です。

・・・従って、どちらの前提も正しくないので「この論理は誤りである」ということになります。
2005年06月23日:02時30分59秒
「セッションがつまらないのは全てGMのせいだ」論への反論 / サトー
むー。
まあ、誤解が解けるまで根気よく何度も繰り返し説明するしかないですね。
・・・気力がもつか分かりませんが・・・。

さしあたり、レスを3つ書いておきます。

>鍼原神無さんへ
自動車の喩えがありますが、喩えだけではさすがに分かりません。本論をお願いします。
また、鍼原神無さんが言う「遊び易さ」はどういうものでしょうか?(※具体例は不要です)
最後に、鍼原神無さんは私の問題提起や結論を、どのように把握したのでしょうか??

>Demiさんへ
 ループなんてしてませんよ。全然通じないので、切り口を変えて何度も同じ内容の説明をしているだけです。

 さて「デザイナーの問題点について」の結論はDemiさんの把握とは違い、「面白さについてはデザイナーに全責任がある」なのです。(で、デザイナーが責任放棄をして人任せにしているのが問題なのは、優れたGMはほとんどいないからです。「GM役が楽しいという人間もほとんどいない」も付け加えた方がいいかもしれません。)

 と、書いてるところで、私の論は「セッションがつまらないのは全てGMのせいだ」論への反論としてまとめた方が分かりやすいと気づきました。書き直してみるつもりですが、とりあえずはそういう見方で読み直してみてください。

 なお、デザイナーの怠りにはDemiさんが言うことも十分に含まれると思います。また、「全ての人を楽しませるゲームについて」は、「『全ての人を楽しませるゲームは存在できない』それゆえ『デザイナーに全責任は無い』」という論への反論です。

>通りすがり2さんへ
 既に書いた通り、何が楽しいかは人によって違うからです。が、実のところあれは人によっては難解でしょう。なので、どうすれば書いてる内容をすんなり理解させることができるか苦慮してるところです。誰か良いアイディアありませんか?


2005年06月22日:21時33分19秒
そもそも、デザイナーが全責任を負うRPGは存在価値があるの? / Purple
 セッションの面白さが、ゲームマスターが作るシナリオ・ゲームマスターのマスタリングによらないRPGができたとして・・・、はたして、ゲームマスターがそのようなRPGを遊ぶのか、はなはだ疑問です。
 
 ゲームは、「難しい」から面白いのです。
 
 ゲームマスターが何の努力もせずとも、プレイヤーを楽しませることができるとしたら、ゲームマスターとしては、面白くないです。
 「プレイヤーを楽しませているのは、自分の力ではなく、ゲームの力なんだなぁ」
 っておもったら、ヤル気がおきません。そうなると、ゲームマスターがそのようなRPGをマスターしなくなりますので、遊んでもらえなくなります。
 
 よって、「セッションの面白さに対し、デザイナーが全責任を負うRPG」というのは、存在価値を失うと思うのですが。
2005年06月22日:20時55分47秒
Re:やはり「責任の一端はデザイナーにもある」くらいしか言えないと思います / Purple
 #TRPG暦20年で「素人」なんですか?っと言う突っ込みもあるけど。
 
 >TRPG暦3ヶ月のアマチュアとTRPG暦20年のプロでは、プロの方が優れていると思いますが、
 >TRPG暦20年のアマチュアとTRPG暦3ヶ月のプロでは、プロの方が劣っていると思います。
 
 これは卑怯な比較ですよ。
 じゃあ、
 TRPG暦5年と3ヶ月のプロは、TRPG暦25年のアマチュアよりも、劣っていていいんでしょうか?
 いつまで経っても、「先にRPG暦をはじめたアマチュア」に追いつけない「プロ」って、いいの?
 
 現実にはたくさん居るかもしれないけど、それは「プロとして甘えている」と責められてもおかしくないと思います。
 
 「素人が作ったものはプロが作った物よりもずっと劣っているはずです」
 
 は、1つの理想論(目指すべき状態)としては、そんなに、おかしくはないと思います。
2005年06月22日:17時31分59秒
やはり「責任の一端はデザイナーにもある」くらいしか言えないと思います / Log
サトーさん>

以前も今回も、「理論と論法が正しくない」と思うので、同意できません。
ここの傾向として、「意見が正しいか、共感できる」場合は賛同を得られますが、
そういう意見がないということは、サトーさんの意見が誤りなのだと思います。

自動車の例が出ていますが、自分は今回「教科書」を連想しました。
「僕のテストの点が悪いのは教科書メーカーのせいだよ」と言い出す子供がいたら、
「何馬鹿なこと言ってるの。アンタが勉強しないからじゃない!」と怒られるでしょう。

親や生徒の中には「教える先生が悪い」と言い出す人もいるでしょう。
先生や親、生徒の中には「生徒の努力が足りない」と言う人もいるでしょう。
ここで「教科書メーカーの努力が足りないせいだ」と考える人は多分少数派でしょう。

これを「教科書メーカー=デザイナー、先生=GM、生徒=PL」と置き換えて考えると・・・。
結構似たことを言っているような気がします。(親=PLの知人という感じですかね?)

やはり「責任の一端はデザイナーにもある」くらいしか言えないと思います。

---

ちょっと気になった部分

> 素人が作ったものはプロが作った物よりもずっと劣っているはずです

これは、アマチュアとプロを比較していると捉えればいいのでしょうか?
TRPG暦3ヶ月のアマチュアとTRPG暦20年のプロでは、プロの方が優れていると思いますが、
TRPG暦20年のアマチュアとTRPG暦3ヶ月のプロでは、プロの方が劣っていると思います。
市販のシナリオは、ある程度無難にならざるを得ないため、それほど面白さが特化されていないと思います。
無難な作りのものが優れているとは特に思えません。

アマチュアとプロの違いは、それを職業に選んだかどうかではないですか?

2005年06月22日:13時31分41秒
「責任」と言う言い方は気持ち悪いので、是非やめて欲しい / 混沌太郎
相手が元々目指してないことをやってないからと言って
「責任を果たしてない」というのは違うと思いますが。

例えば自動車メーカーに対して
「あなたの会社の車には燃料を入れないと走らないと言う欠陥がある。これは問題です。」
というようなもの。
燃料の要らない車など元々目指してないわけで、燃料が必要なことを非難されても困ると言うか。
もちろん燃費の良い車は(ほかの条件が同じなら)好意的に受け入れられるでしょうが、
責任とは全く関係のない話です。
目立った特長もないのに燃費の悪い車があったとすればそれは売れないかもしれませんが、
そのことでユーザーに責任を問われるいわれはありません。
単に性能が高いか低いかの問題ですから、ユーザーは好きなのを選べばいいだけの話です。

「燃料なしで走る車」は坂の上にでも停まってない限り物理的に不可能ですが、
「ユーザーが燃料を補給しなくても走る車」なら理論上は可能でしょう。
空気中の水分で核融合を起こさせたりとか。いつの未来になるかわかりませんが。
ですが今現在、「燃料を入れれば走る車」を作っているメーカーが責任を果たしてないわけでは全然ありません。
「燃料を入れずに走る車」として売り出したりしない限りは。

まあ比喩なので完全に符合しているわけではありませんが、要するに、
仮にGMやプレイヤーの創意工夫が要求されるのを純粋にマイナスの特徴と捉えたとしても、
それでもなお単にスペックの話であって「責任」云々とは全く関係ない、と私は思います。
2005年06月22日:10時53分07秒
しっつもーん / 通りすがり2
>「“ある楽しみ”には、そうでない人間が必ずいる。だから同時には楽しめない」という論法を続けていくと、最終的に一つのゲームは一人の人間にしか楽しめないことになります。

なんでそうなるの?楽しみを楽しめない人がいることと、最終的にひとつのゲームは一人の人間にしか楽しめない、という考えは別じゃないの?

ある楽しみを楽しめない人がいる→(なんかすごいサトー氏の論理)→ひとつのゲームは一人のゲームにしか楽しめない

にはならないですよ。なぜなるんですか?その最終的にはそうなる、というまでの発想の流れを教えてください。


2005年06月22日:09時34分18秒
「ゲームが面白いかは、デザイナーに全責任がある」についての確認と私見 / Demi
 すでに散々ループしている話題で、あまり建設的な意見は出ないかも知れませんが、
 何らかの実りはあるかなぁと思うので、話題に参加させて頂きます。 
 
 ●デザイナーの問題点について
 【前提】・セッションの面白さはGMのみに依存する。
     ・セッションは、GMとデザイナーだけで成立している。
 【結論】・ゆえに、デザイナーは面白さを人任せにしている。
 前提と結論は上記の通りで間違いないでしょうか?
 
 サトーさんの言われる前提が"真”であるなら、結論に異存はありません。
 ですが、今ひとつ前提の正しさが納得できないのですが。
 
 前提の正しさの根拠は『セッションがつまらないのはGMが無能だからだと責める人は多い』ですか?
 そうだとすると、一方的な意見を無批判に受け入れて、それを前提にするのは根拠として薄いと思います。
 
 私見としては、セッションはGMとデザイナー、プレイヤーによって成立する物だと思っていますし、
 セッションの面白さも、また三者(+α)に依存する物だと考えています。
 
 正直、デザイナーの行いにはまだ改善の余地があり、とても十分だとは言えないとも思っています。
 特にGMやPLを育てたり、相互の交流を促す面では(一部を除き)何もしてないと言える気がします。
 その意味では、サトーさんの『デザイナーへの不満』に頷ける面もあります(誤解かも知れませんが)
 ですが、私自身も主義主張を持つ一個人でありますので、デザイナーの行いを首を長くして待つだけでなく。
 GMとして、プレイヤーとして、上達への道を模索して行こうと考えています。
 
 
 ●全ての人を楽しませるゲームについて
 【前提】・人の嗜好には多様性があり、完全に同じ事は無い。
     ・単一のゲームは単一の嗜好しか満たさない。
     ・完全に同じ嗜好を持たない限り、楽しく遊ぶ事は出来ない。
 【結論】・ゆえに、全ての人が楽しく遊ぶゲームはデザイン不可である。
 これが「デザイナーの責任を軽くしようとする意見」という事でしょうか?
  
 【前提】・多くの人を楽しませようとするデザイナーの挑戦に意義がある
 【結論】・ゆえに、いつか「全ての人を楽しませるゲーム」に達する
 サトーさんの意見は、これで良いでしょうか?
 
 「デザイナーの責任を軽くしようとする意見」については、前提が弱いと思われます。
 人の嗜好には幅がある為、重複する部分もあるでしょうし、明確に固定化しているものでもないので、
 新しい楽しみを見つける場合もあるでしょう。
 一つのゲームでも、複数の魅力を持つゲームの存在も実在しています。
 ゆえに「参加した人達全員の嗜好の範囲内のゲームの実在」は不可能ではないと思います。
2005年06月22日:00時47分41秒
「ゲームが面白いかは、デザイナーに全責任がある」とは言えないでしょう / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
サトーさんWrote>RPGのセッションがGMのシナリオやマスタリングによって面白いかどうかが決まるとするならば、
>デザイナーはゲームが面白いかどうかの肝心な点を人任せにしているということになります。
 
 そうは思えません。
 
 例えば、自動車の運転がおもしろいかどうかが、ドライバーのテクで決まるとするならば、
 自動車メーカーはおもしろいかどうかの肝心な点を人任せにしているということに……なるとは限りません。
 
 一般論では、断定することができない話題です。
 
>デザイナーは、遊び手を楽しませる努力をしていません。これは問題です。
 
 アタシにとって、遊び易いTRPG、遊びづらいTRPGというのは歴然としてあります。
 他の、ユーザーの方にもそれぞれあるでしょう。
 
 遊び易い上で、面白い方がいいに決まってますが。
 楽しさには、遊び易さも含まれますので。
 
 ですので、遊び易いものを作るだけでも、デザイナーの方は努力をされていると考えます。
 
 今回も、サトーさんの論法には、無理に問題を作り出そうとしてるかのような、あるいは、ことさらに問題を大事にしようとしているような印象を抱きました。
 
 申し訳ありませんが、この話題に関するサトーさんの論には、結論が先に決まっていて、結論に至る理屈を無理に組み立てている印象が拭えません。
 
 平たく言えば、今回のやさしく書いていただいた論も、説得力が感じられないものでした。
2005年06月22日:00時25分12秒
「ゲームが面白いかは、デザイナーに全責任がある」について / サトー
前にあった話題ですが、なるべく分かりやすくしようと書き直してみました。

●デザイナーの問題点について
 RPGのセッションがGMのシナリオやマスタリングによって面白いかどうかが決まるとするならば、デザイナーはゲームが面白いかどうかの肝心な点を人任せにしているということになります。デザイナーは、遊び手を楽しませる努力をしていません。これは問題です。
 まず、GMがシナリオをつくるとしても、優れた創作能力があり、なおかつ創作行為自体を楽しいと感じる人間はかなり少ないでしょう。しかも、素人が作ったものはプロが作った物よりもずっと劣っているはずです(というか、そうでなければなりません)。
 次にマスタリングには、優れた管理能力、調整能力、表現能力などが必要です。これらを習得するには、素質と熟練がいるでしょう。管理すべきものだけでも、キャラクターの行動、ストーリー、データ、ルール適用、時間、など無数にあります。
 セッションがつまらないのはGMが無能だからだと責める人は多いです。が、そもそも優れたGM自体が希少です。むしろ、優秀でないGMに任せきりにしている怠惰なデザイナーにこそ全責任を負わすべきでしょう。また、もしもデザイナーに全責任がないとして責任をより軽いものとするのなら、その分だけ(無償でゲームを主催している)GMが責められることになり、GM役を疎む人は増えるでしょう。


●全ての人を楽しませるゲームについて
 デザイナーの責任を軽くしようとする意見には、「全ての人を楽しませるゲームは存在できない」というものがあります。「Aが好きな人」と「Aではないのが好きな人」を同時に楽しませるシステムをつくることは不可能であり、それゆえデザイナーに全責任は無いとします。(そして、GMに調整能力を要求するわけです。)

 さてまず、RPGの楽しみの要素は多様で、しかも一人の人間の趣味はその多様さが様々な割合で絡み合って出来ています。ですから、何が楽しいかが全く同じな人間というのは存在しないと言ってもいいでしょう。
 そのため、「“ある楽しみ”には、そうでない人間が必ずいる。だから同時には楽しめない」という論法を続けていくと、最終的に一つのゲームは一人の人間にしか楽しめないことになります。つまり、「『Aが好きな人』と『Aではないのが好きな人』を同時に楽しませようとする挑戦は無駄な努力だ」という考え方は、閉塞への道です。

 逆に、そのような多くの人を楽しませようとするデザイナーの挑戦に意義があると仮定するなら、その努力を続けることによっていつか「全ての人を楽しませるゲーム」に達する、と考えざるを得ません。行くべき道はこちらの方でしょう。


2005年05月18日:22時03分59秒
【セッションの指針】Re:「広義の成長ルール」と呼ぶより… / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>boosukeさん
 いつも、どーもです。
 
>攻撃的な質問をした事をお詫びいたします。
 
 いえ。攻撃的な印象は抱きませんでした。お気になさらず。
 
>以後の成長ルールとキャンペーンに関する話については、原則的に「PCの成長ルールのあるシステム」が前提での話と考えて読む
 
 これについても、こちらの掲示板を読む人は、必ずしも以前からの話の流れを踏まえて読んでくれるとは限らないので、アタシこそ気をつけなくてはいけないと思ってますです。
 
 さて、
>「広義の成長ルール」と言うより、「PLに期待する、プレイへの方向付け」と呼んだ方がよりよいような気がします。
 
 そうですね。
 これについては、構わないと思います。――、と言うと無責任に聞こえちゃうかな?(困笑)
 
 えー、どんな話題を論じるかによって適した言い方も代わってくると思います。
 例えば、システム耐久度を考慮したシステム・デザインの話題や、デザイン・コンセプトを踏まえたシナリオ・メイクの方新についての話題だと、「プレイの方向づけ」だと、ちょっとフォロー範囲が狭いかもしれません。
 でも、プレイングについての話題なら「プレイの方向付け」で充分でしょう。
 
 多分、「システムのデザイン・コンセプトから期待される、セッションの指針」みたいな言い方が、比較的応用範囲の広い言い方だろうな、と思うのですが。
 オフ・ラインの知人に、「セッションの『指針』」と言われると、実際より強制力が強いように受け止められる、みたいに言われたことがあって困ってます(笑)。
 
 「ルール」と言っとけば、TRPGのルールでは、GM(あるいはシナリオ作者)に裁量権や解釈の幅がある、って考えは一般的かな、とか思って。それでアタシは、「広義の成長ルール」とか言ってみました。
 この辺は、細かなお話ですし、誤解が少なく、話題に則した言い方ができれば、それでいいと思ってます。
 
 当初は、ユーザーとデザイナなど(送り手はデザイナさんだけではないですよね)の責任分担の話題に繋げてけるといいな、と思ってまして「広義の成長ルール」と言ってましたが、
 「システムから期待されるセッションの指針」でも、普通はシナリオ作者や、セッション・メンバー(GM&プレイヤさんたち)に選択の幅が、ってとこさえ誤解されなければ、構わないと思ってます。
 
 デザイナさんの責任問題は、ユーザー側がどこまでやると、シナリオ作者やGMによる改造などの責任が生じるか、とか、その手のお話が一番面倒ですよね。
 「システムごとにいろいろあります」、と言っとけば絶対正しいですけど(笑)。
 
 ユーザー側のキャンペンの採否も含めた運営方針の話題も、検討の主題にできそうだな、と、一連のやりとりの間も思ってました。
 
 アタシの考えでは、キャンペーンを許容するシステムに成長ルールが組み込まれてる場合、それは「必ず」セッションの指針に関ってるはずなのですが。
#もちろん、成長ルールだけが関ってるわけではありませんし、プレイヤさんは、指針を意識した上で、あえて際どいプレイに挑んでみるって選択肢もあるわけですけど。
 
 次のようなことは言えると思います――、
・あらかじめルールにある成長処理を省略する遊び方で、ユーザーが単発セッションを遊ぶことを選択した場合は、セッションの出来不出来について、ユーザーの責任がある程度ある。
 
・成長処理がルールにあるのに、それを省略してキャンペーンを遊んだら、そのキャンペンがつまらなくなっても、それはほとんどユーザー側の責任。
 
・単発セッションを想定して遊んだけど、成長処理を省略してなければ、セッションがつまらなくなったら、デザイナさんの責任もあるかもしれない。
#成長指針を気にし過ぎてプレイが萎縮した結果つまらなくなった、なんてことならデザイナさんを責めるのは酷ですよね。
 
・キャンペーンを想定して遊んで、成長ルールをルール準拠で使ってたら、キャンペンがつまらなくなったら、デザイナさんの責任もあるかもしれない。
#これも一概に100%デザイナさんのせいとは断定できないわけで。例えば、成長に伴うゲーム・バランスの変動などは、元々何かの狙いで調整されたバランスなのか、それとも単にデザイナさんの計算ミスなのか、判断が微妙なこともありますよね。ただ、後者が確かに言えるなら、そのケースはデザイナさんの責任が大きい、と言えると思います。

2005年05月16日:00時09分26秒
「広義の成長ルール」と呼ぶより… / boosuke
>鍼原神無さん
ご返答、ありがとうございました。
始めに、自論が正しいと思う余り、攻撃的な質問をした事をお詫びいたします。

>(本来の)成長ルールが組み込まれてはいないけど、キャンペーンを許容するシステムについても、
>広義の成長ルールにあたるものがあるはずだ、
>――との意見は、取り下げさせていただきたい、と思います。
>よければ、成長ルールのないシステムについては、もう少し考えてみたいと思ってます。
了解いたしました。
以後の成長ルールとキャンペーンに関する話については、
原則的に「PCの成長ルールのあるシステム」が前提での話と考えて読むようにいたします。
そう考えると、鍼原神無さんのおっしゃる事は理解できます。

>言い訳にしかなりませんが、
>元々この話題、自分で、「成長処理がデザインされてないシステムはジャンルの例外とみなさせてもらう」って
>条件をつけた上で、書かせてもらってたものだったんですが。
それに関しては鍼原神無さんが言及されていたのを認識しておりましたが、
私は過去のご意見を伺う限り、その例外を前提にした書き方をされていないように感じましたので、
あえて全体を視野に入れた議論として扱っておりました。

それはともかくとして、
>成長ルールが組み込まれてて、キャンペーン・プレイを許容するシステムについては、
>広義の成長ルールにあたるものは、必ずシステム内に組み込まれてるはずだ、と確信してます。
このご意見は非常に興味深いものだと思います。
私には、「広義の成長ルール」と言うより、「PLに期待する、プレイへの方向付け」と呼んだ方が
よりよいような気がします。

つまり、「こうプレイして欲しい」と言うデザイナーの思いの一端が「成長ルール」に含まれている事もある、
のではないかと思います。
そして、「こうプレイして欲しい」の中に「キャンペーンプレイはこう言う感じでやって欲しい」事が含まれた場合、
流れから言って「成長ルール」の中にもそれが影響する事がある、と考えれば、私にはわかりやすいです。
2005年05月14日:21時44分57秒
【デザイナーの焦点】Re:セールスポイントとの関係 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Purpleさんへ
 レスをいただきまして、恐縮です。
 
PurpleさんWrote>私は、「デザイン・コンセプト」という単語は使っていない
 
 なるほど。
 もちろん意図してたわけではないのですが、イチャモンみたいになっちゃってた質問にも丁寧なレスをいただきまして、本当に恐縮です。
 
 その上で、デイザイナーの焦点(個別デザインワークの焦点でいいでしょうか?)とセールス・ポイントとの関係は、分かり易かったです。

 一連のやりとりでは、Purpleさんだけでなく、他の方にもご迷惑おかけしまして、申し訳なかったです。
2005年05月14日:21時30分07秒
Re:「広義の成長ルール」がキーポイント / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>boosukeさんへ
 たびたび、どーもです。
 
boosukeさんWrote>「状況の変化は単なる状況の変化であり、成長とは言えない(そのため、広義の成長ルールは存在しない)」について、
>「そうではない」事をご説明いただきたいと思います。

 
 お問い合わせの件については、一度アタシが出した意見を、一旦、取り下げさせてもらいたいと思います。
 たびたび投稿のお手間をおかけして、すみませんでした。
 
 話題を特定させてもらうと、――
(本来の)成長ルールが組み込まれてはいないけど、キャンペーンを許容するシステムについても、広義の成長ルールにあたるものがあるはずだ、
――との意見は、取り下げさせていただきたい
、と思います。よければ、成長ルールのないシステムについては、もう少し考えてみたいと思ってます。
 
 「状況の変化は単なる状況の変化であり、成長とは言えない」というboosukeさんのご意見には、スッキリした分かり易さを感じました。
 
 一方で、
成長ルールが組み込まれてて、キャンペーン・プレイを許容するシステムについては、
広義の成長ルールにあたるものは、必ずシステム内に組み込まれてるはずだ、と確信してます。

 なぜかと言うと、広義の成長ルールがなければ、本来の成長ルールに、成長の段取り、成長のレギュレーション、条件、etcが定められてても、うまく機能させられないからです。
 
 言い訳にしかなりませんが、元々この話題、自分で、「成長処理がデザインされてないシステムはジャンルの例外とみなさせてもらう」って条件をつけた上で、書かせてもらってたものだったんですが。

 さすがに、旧版トラベラーのことはアタシの方でも気になってあれこれ考えてはいたものですから、
 boosukeさんに質問をもらったときに、考えの至らない意見を、つい、ポロリと書いてしまいました。
 申し訳ない。
2005年05月14日:21時09分29秒
Re:re: 成長処理とキャンペーン / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
AnonymouseさんWrote>このあたりの突っ込んだ話をするならルールデザイン系の掲示板に移ったほうが良いかもしれませんね。
 
 そうですね……、移った方がいいかもしれませんが。アタシとしては、純然たるルールデザインのお話とは、少し別なお話のつもりでいました。
 
 デザイナさんが、従来にないまったく新しいシステムを作ろう、とかって目論見でデザインしようって話題だったら、アタシも「成長処理を入れたからにはキャンペーン許容にしてくれ」みたいな言い方はしないと思います。
 
 聞くとしても、多分、「成長処理を入れると、ユーザー独自のシナリオ拡張性や、キャンペーン・プレイを期待するユーザーさんが少なからずいるはずと思われますが、そちら方面の対応は?」みたいな聞き方をしそうな気がします。

 おそらく、この話題をはじめたときに、アタシの内で、現状では、キャンペーンを許容しないシステムって例外的、って認識があったと思います。
 その上で、デザイナさんが、「今度作ったシステムの楽しみ方について」公に述べる意見と、ユーザーの方で、「今度作られたシステムを楽しんでいくには」って話題とは、間をブリッジさせる検討が必要ってことを言いたかんです。(いつもいつもデザイナさんが言ってる通りってわけにもいかないってことです)
 
 その後、purpelさんのご質問や、anonymouseさんのご意見を読んだ後も、はじめは自分の最初の書き方にうかつなとこがあったって気づかずに応答しちゃってたもんですから。
 不用意にお話を広がっちゃいました。これについては申し訳なかったです。
 
 ……、でも、正直言って、成長処理を採り入れたシステムで、キャンペーンを許容しないTRPG、ってのは個人的には考えづらいです。
 
 例えば、大昔バンダイから出てた『スペース・コブラ 最終兵器』って、ワン・コンポーネントなシステムでは、確か……ユーザーによる独自シナリオ拡張性は考慮されてなかった気がします。
 「スペース・コブラ」は1度遊んだだけですし、当時のアタシはTRPGってどんなものかまったく理解してませんでしたし、システムも所有してないので、記憶は曖昧ですが。

 記憶が曖昧なので、仮想の話題としますが。ワン・コンポーネントでワールド設定をミニマムにおさえ、ユーザーによる独自シナリオの拡張性を考慮しないシステム。こういうシステムを新たに作るなら、例えば、フェイズごとに、成長処理を組み入れても、よくあるTRPGで許容してるようなキャンペーンには対応してない、と言えるわけで。
 そのタイプのシステムなら、デザイナさんが「キャンペーン? 想定してないんで、やるならユーザーさんの責任で、システム改造してってください」と言えるはずと思います。
 仮にそういうふうに言ったとしても、この場合は、無責任ではない。
 キャンペーンをしても、しなくてもどちらでもいいシステムとは違いますので。
#でも、製品できちんと断って欲しい、独自シナリオの拡張は考慮していません、と。
 
 ただ、今さら、シナリオ拡張性のないシステムを出してもらっても構わないんですけど。個人的予想としては、ジャンル内で、行っても、傍流のサブ・トレンドをなす程度ではないかな? って気がしますです。
 つまりは、当面は、ジャンルの例外と予想しといて構わなかろうと思ってます。
 
 後は、シナリオ拡張性はあるけど、キャンペーンは許容しないシステムですね。
 こっちの路線も可能性はあっても、極、特殊なシステムになりそうな気がします。例えば、簡単にGMにチャレンジできますよ、ってのをウリにしての、極コンパクトなシステムとか、あってもいいとは思います。(売れるかどうかは、又、別問題ですけど)
2005年05月13日:23時25分13秒
楽しくする理屈について考えることもまた一興 / anonymouse

>ちゃんと元から「何度も遊ばれる事」で考えていたはずなのに「キャンペーン」いう言葉で書き始めてしまったが為に

「キャンペーン」という言葉は元々の話題の中に既にあり、また、意見の中で「2本のシナリオを連続して遊ぶこと」や「サプリメントの連続シナリオ」が取り上げられていたことを踏まえると、「何度も遊ばれる事」ではなくはっきりと「キャンペーン」に着目されていたように見えましたが、それはそれとして。

>キャンペーンを行う事と成長ルールを採用する事が必ずしも繋がらない。とは僕も解ります。しかし〜
>「全ての場合において必須」では無いが、「ほぼ必須」ぐらいは言えると思います。

「キャンペーンをするには成長ルールはほぼ必須」だとしても、「成長ルールがあったらキャンペーンはほぼ必須」ではないので“両者の採否は別物”と言っているのですが、そこはわかってるんでしょうか?
#続く一文を読むと前者しか考えていないようですけど。まあ今はもう“どーでもよい”のか(苦笑

>大抵の人は理屈をこねるよりも楽しいセッションを優先しますので。

そうですね。でも、より楽しくしたいから理屈(分類や手法など)を考えようとすることもあるでしょう。
現状で満足できているならそれはそれで幸せでしょうが、楽しさがある程度満たされてくると“より違った楽しさ”を求めようとする(そしていろいろ考える)のも人情というもの。
何も考えず手探りで遊ぶよりは、少しは考えながら遊んだ方がより楽しくなるんじゃないかなぁ、と。
2005年05月13日:04時47分39秒
重要な事は「何度も遊ばれる事」でした / エグザイル
 あえてこの場から離れて友人たちと話し合って考えがまとまったのでまた書き込んでみます。

 結論から言うと「デザイナーはキャンペーンを前提にしている」は僕の勘違いでした。正確には「何度も遊ばれるゲームを作る事」を目指している。と言うべきでした。
 これは「何度も遊ばれる事」と「キャンペーン」を安易に結びつけてしまった為に起こった勘違いでした。確かにキャンペーンは何度も遊ぶには適した手段の1つですが、所詮手段の1つにすぎず他にも手段(いわゆる単発とか)はある訳で、そういう事を全部まとめて「キャンペーン」と括ってしまっていたのです。
 ちゃんと元から「何度も遊ばれる事」で考えていたはずなのに「キャンペーン」いう言葉で書き始めてしまったが為に視野が狭くなっていたようです。常に広い視野を持ち、同時に狭く集中して見る視野の両方を持つ事が大事なんだなと友人達から気付かされましたがそれはそれとして。
 
 と考えを整理して改めて考えてみると、キャンペーンとか単発とか成長ルールとかについて考えるのがどーでもよくなってきましたw
 「全てのルール、テキストはそのゲームが何度も遊ばれようする為に存在する」(ルールブックから読者に向かって遊んでーと言ってくるのですw)
 今はこうはっきりと言えます。
 もちろんルール、テキスト類にはこれ以外の狙いもあります。キャンペーンを遊びやすくしたり、ある原作を再現したりなど。ただこの辺は今の僕には細かい事になってしまうのでここでは割愛させて戴きます。ただこういう細かい事が沢山集まって1つの作品を成している。という事は解ります。決して軽視している訳ではありませんので。(ゲームのテーマとかディテールとかいう奴ですね)

 余談ですが、1回のセッションの面白さの密度を極限にまで上げてそのゲームを好きにさせていき何度も遊ばれるようになる。というやり方もあります。

>キャンペーンと成長ルール
 キャンペーンを行う事と成長ルールを採用する事が必ずしも繋がらない。とは僕も解ります。しかしPL側からすれば「セッションを終えたらPCのデータをもっと良くしたい」と考えるのは自然な事で、その声に応える形で現在ある大抵のTRPGが成長ルールを採用している訳でして。これは大抵のユーザーが「成長ルール」を楽しいと思っていてだから存在する。ではないかなと。
 「全ての場合において必須」では無いが、「ほぼ必須」ぐらいは言えると思います。
 また、これは他のケースの場合にもかかるのですが、「理屈上はソレ(成長ルールなど)が無くてもコレ(キャンペーンなど)を行う事は可能だが、楽しくならないのでやらない」とも言えるかと思います。
 大抵の人は理屈をこねるよりも楽しいセッションを優先しますので。
2005年05月13日:00時46分35秒
【デザイナーの焦点】 セールスポイントとの関係 / Purple
鍼原神無さんの2005年05月11日:06時07分19秒の書き込み
 >例えば「デザイン・コンセプト」と言って、あるシステムのセールス・ポイント(売り)のようなことを言ってられますでしょうか?
 
 いちおう、名指しで質問されましたので回答しようと思いますが、私は、「デザイン・コンセプト」という単語は使っていないですので、「デザイナーの焦点」という意味で解答します。
 
 そのうえで「デザイナーの焦点=セールスポイント」というのは、ちょっと違うような気がします。ただ無関係でもないとは思います。
 
 「デザイナーの焦点」というのは、「デザイナーの興味」あるいは「デザイナーの目標」と言い換えてもいいかもしれません。デザイナーがなにか新しいゲームを作るときに、着目する部分が「デザイナーの焦点」です。
 
 「従来よりもキャンペーンとしての面白さを増やしたRPGを作る」ことを目標としたデザイナーは「キャンペンとしての面白さ」に焦点を当てるでしょう。
 「原作のあるRPGを作る」ことを目標とすれば、「原作らしさをだしつつ、ゲームとして楽しめること」を焦点に当てるでしょう。(もし、原作のあるRPGを作ろうとしているにもかかわらず、ほかの事に焦点を当ててしまい、原作らしさを失ってしまうことになれば、それはダメなデザインですよね?)
 
 他にも、「新しい判定システムを試す」とか「キャラクタープレイをすることがゲーム的に意味のあるものにする」とか。いろいろなものがあると思います。
 
 デザイナーの焦点とセールスポイントが無関係ではないというのは、次の理由からです。
 デザイナーが焦点を当ててデザインした部分というのは、必然的に、「そのゲームの肝」・「そのゲームらしさが出てくる部分」になると思いますので、ゲームを発売するときになって、焦点を当てて作った部分がセールスポイントとして紹介される。ということになるとは思います。だから、無関係ではないと思います。
2005年05月12日:10時42分09秒
レギュレーション設定指針としての成長ルール / アキト

 なんか久方ぶりにみたら、また違う方向性の話になってますな。

 で、題名内容について。成長ルールには「レギュレーションを設定するための指針(ルール)」という側面もあるんじゃないかしら。低レベルのPCで遊ぶのと高レベルPCで遊ぶので、いちいち個別のキャラ作成ルールを提供するのではなく、低レベルPCを作成してから成長ルールを利用して高レベルPCを作成するというのは良く見られる風景だと思うのですけど。

# レギュレーション設定ルールとして機能する度合いはシステムによって差があります。

 「キャンペーンでなく使用する成長ルール」の例にあたるんじゃないかしらん。


2005年05月11日:20時39分20秒
「広義の成長ルール」がキーポイント / boosuke
>「キャンペーン・プレイを許容するシステム(してもしなくてもいいシステム)をデザインしたデザイナさんは、
>当然、キャンペーン・プレイまで見越して、デザイン・コンセプト考えてるはずだ
>(してくれなきゃユーザーが困る)」と言いたかったんです。
「広義の成長ルール」についてはまだわからないため、
「キャンペーンプレイに成長ルールが必須条件ではない」と言う事と、
「キャンペーンの採否と成長ルールの採否は別である」と言う事にも
しっかり説明がついていない状態のため、鍼原神無さんのご意見を理解できていませんが、

とりあえず、なんとなく鍼原神無さんの意図される所は理解しました。

できれば、私が述べました、
「状況の変化は単なる状況の変化であり、成長とは言えない(そのため、広義の成長ルールは存在しない)」について、
「そうではない」事をご説明いただきたいと思います。。

これさえ説明が付けば、anonymouseさんにも「キャンペーンの採否と成長ルールの採否は別とは言えない」と
もっとはっきり回答できると思います。

なぜなら、「広義の成長ルール」が存在するとすれば、
「成長ルールが存在しないが、キャンペーンプレイを重視するシステムにおいても、
広義の成長ルールを水面下に作っているのだから、
キャンペーンプレイをシステムデザインをする場合、成長ルールを分けて考えられない」
と言えると思うからです。
2005年05月11日:09時35分39秒
re: 成長処理とキャンペーン / anonymouse

>結論から書くと、「採否が別」とは言えないと思います。
>一旦わけて検討してみるにしても、結局はシステム的な関連付けもコンセプト段階から検討してくはずと思えます。

なるほど。「一応、別物と認識はしているが、切り離して考えられない」 というわけですね。了解しました。
#あとはエグザイル氏にも意見をいただければ良いのだけれど、無理強いはできないし、ね。

>TRPGのシステムに成長処理を採り入れるなら、デザイナさんにはキャンペーン・プレイのことまで見越してコンセプト練ってもらえないと、ユーザーが困るでしょう

本当にそうでしょうか? ユーザーが困るのは、その成長処理の使用目的や存在理由が不明瞭な場合でしょう。
デザイン手法上、「成長処理は必ずキャンペーンに使用されなければならない」という法則があるのなら別ですが、そうでなければ、キャンペーン用途でない成長処理というものがあっても良いのでは?
ともあれ、このあたりの突っ込んだ話をするならルールデザイン系の掲示板に移ったほうが良いかもしれませんね。

2005年05月11日:06時19分39秒
Re:状況の変化はあくまで単なる状況の変化である。 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>boosukeさんへ
 どーもです。
 
>「報酬配布等による状況の変化も成長処理と考える」とするご意見を、別のシステムで考えた場合、
>「広義の成長ルール」を当てはめる事が可能になってしまうため、恐らく全てのシステムが
>「成長ルールがシステムに組み込まれており、キャンペーンプレイ重視でデザインされている」事に
>なってしまうと思うのですが
 
 えー、申し訳ありません「広義の成長ルールがあれば、キャンペーン重視でデザインされている事になる」って主張をするつもりは、なかったんです。
 きっかけになった投稿で、うかつにも曖昧な書き方をしてしまいました。
 そのようにとられても仕方ない書き方だったと思ってます。すみません。
 
 訂正や、再整理をさせてください。
 
 「成長ルールがあるシステムのデザイン・コンセプトは、キャンペーン重視」と、言いたかったわけではないんです。
 
 まず、
 「キャンペーン・プレイを許容するシステム(してもしなくてもいいシステム)をデザインしたデザイナさんは、当然、キャンペーン・プレイまで見越して、デザイン・コンセプト考えてるはずだ(してくれなきゃユーザーが困る)」と言いたかったんです。
 
 それは、デザイナさんの責任だと思ってます。
 
 例えば、仮想の話ですが、
 「今度のシステムは、キャンペーン・プレイしなくても充分楽しいシステムを意図しました。キャンペーンは、してくれてもいいんですけど、そっち関連はデザイン・コンセプトあまり詰めなかったんで、成長させてったら、どんなセッションになるちょっとわかんないですよー」
 もし、そんなデザイナさんいたら、ダメなデザイナさんでしょ(苦笑)。
 
 で、あるシステムのデザイン・コンセプトを、ユーザーが、ルールブックから解釈してくには、例えば、成長処理ルールやその関連ルール(広義の成長ルール)をキーにしながらルールブック読み込んでくといいです、ってお話をしたかったです。
#それから、属性の類があれば、その関連のルールも、デザイン・コンセプトを解釈してくキーになります。(これは、関連の話題では、ここではじめて書きました)
 
 というところで、今回は、訂正と再整理編、booskeさん向けとさせてもらいたいと思います。
 今回boosukeさんにもらったご質問に、ほとんどお返事してないのは、悪いんですが。お返事する前に訂正などさせてもらいたかったです。
 
 この投稿で書かせてもらった訂正、及び再整理に、なお疑問をお持ちでしたら、お手数ですが、再度お問い合わせいただけるとありがたく思いますです。
2005年05月11日:06時07分19秒
成長処理とキャンペーン / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>anonymouseさん
 >デザイン・コンセプトに関する話なら“「キャンペーンプレイの採否」と「成長処理の採否」は別物”ということが認識されているのかどうかだけ確認できれば結構です。
 〔中略〕この回答一つだけで充分です。
 
 なるほど。お応えしづらいご質問いただいちゃいましたが。試みてみます。
 結論から書くと、「採否が別」とは言えないと思います。
 
 【お応え】 TRPGのシステムに成長処理を採り入れるなら、デザイナさんにはキャンペーン・プレイのことまで見越してコンセプト練ってもらえないと、ユーザーが困るでしょう、一旦わけて検討してみるにしても、結局はシステム的な関連付けもコンセプト段階から検討してくはずと思えます。
 
 リクエストに沿ったお応えは、以上です。
 もし、上のお応えが、質問の前提か意図を勘違いしたものになってたら、ごめんなさい。
 今さら恐縮なのですが、何かが食い違ったままお話してましたでしょうか??
 (困ったことに、どこで何が食い違ってるのか、今回かえってわからなくなりました)
 
 -----------------------------------------------------------------------
 今回いただいたご質問は、突き詰めて整理してもらったものと思います。アタシにしてみると、かえって意味がとりづらくなった感じでした。

 デザイナさんが、成長処理を組み込まずに、キャンペーン許容のシステムを組むことはあり得るのかもしれません。
 けど、逆の場合――デザイナさんが、成長処理をシステムに組むのなら、キャンペーンのことまで見越してデザイン・コンセプト考えてもらわないと、ユーザーが困ると思います。
 ですから、「採否は別と思うか」Yes/Noで回答することはできませんでした。
 
 この投稿を書くため、あれこれ考えたんですけど……、もしかして、Anonymouse さんやPurpleさんとアタシとでは、「デザイン・コンセプト」と言って、考えてる中味にズレがあったりするでしょうか?
 
 断定する気はありません。
 
 けど、食い違いがあるとして、すぐに思い当たるのは、「デザイン・コンセプト」の辺かな? くらいでした。
 例えば「デザイン・コンセプト」と言って、あるシステムのセールス・ポイント(売り)のようなことを言ってられますでしょうか?
 決め付けるつもりはないんで、勘違いならすみません。もしそうなら、話が食い違ったのも納得できるんで、お聞きしてみました。
 
 それから、ハンドル・ネーム間違いの件は、どうもごめんなさい、気をつけます。

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