TRPGフリートーク LOG 011

TRPGフリートークの1998年04月11日から1998年04月15日までのログです。


1998年04月15日:16時43分21秒
他人の反応を良く見ること/聞くこと / ねこぱんち
 あー、それ賛成ですね。 
 あとは、、 
 キャラクターが嫌な(冷たい)やつであった場合には、プレイヤーからフォローを入れておくとか。やはり、せっかくキャラクターが話かけたのに「勝手にしろ」とか「知らん」とか言われると傷つきますもの。そのせいでセッション中、没交渉になっている人を何度も見かけました。 
 せめて「このキャラクターはこう言ってるけど、、」とか言ってくれればまたアタックする勇気も湧いてくるのですが、「君と話さなきゃならない理由はないし」とか「だってこのキャラクターはこういうやつだもん」とか”プレイヤー”に言われると、もう自分は止め刺されてショックです。 
1998年04月15日:16時00分16秒
さて、どうするか / Karma
 不快にさせずにすむかという方法なんですが、根本的な方法が一つあります。
 
 『他人の反応を良く見ること』
 
 で、問題ないと思います。まあ、簡単なところで『人の話を聞く』からいくのが最初かな?
 まあ、行き過ぎると『お地蔵さん』に近くなってしまうのは否めませんが(苦笑)
 でも、簡単なことだと思いますが?
 
 昔、天羅万象のプレイをうまくする(面白くする)方法として、こういったようなことが書かれていたような気がします。
 
 
 でも、これって最低限のマナーのような気がするのは俺だけ?(苦笑)
 皆様の考え方をお待ちしております。
1998年04月15日:15時21分15秒
ああ〜時間がたりない / YAN/矢野 聡一郎
> 嵐山 一人さん
>>「プレイヤーを楽しませよう」、「他人を不快にさせないようにしよう」とかいうのは、
>>そういう”奨励事項”という扱いで構わないのではないかと思います。
 
> コンベンションではそうすべきでしょう。
> しかし、しようと思って出来ないこともありますから(特に自分)、
> それ以外では各人の「努力目標」ということで、それ以上突っ込まないほうがよいと思います。
 
 同感です。私も(前に書いたことなんですけど;^^)、
 
> 友人と遊びに行くときに、「今日はお互い、相手を不快にさせないように気をつけながら遊ぼう」なんて宣言してたら、それは「粋」じゃない(=「無粋」)と思っていますし、
 
> 「他人を楽しませたいと思っているのに、楽しませられない」、「他人を不快にさせたくないのに(あるいは自覚無しに)、不快にさせてしまう」という方もいる、と思っていますから。
 
 嵐山さんの結論にも、異論はないです。
 
 で、今後は「どうやったら他人を楽しませることが出来るか(一緒に楽しむことができるか)」とか、「どういう事に気をつけたら人を不快にさせずに済むか」という話をしたいのですけど、如何でしょう?
 
 …って、自分からそういうこと書けば良いのだけど(;^^)、もうちっと待って下さいね。ではでは。
1998年04月15日:14時54分50秒
全員が主役、それはSMAP?(ごみレス) / 流れ桃
To嵐山さん 全員が安室・・・いや丸山(SAMの名字)さんな スーパーモンキーずというよりはSMAPでは。 どうでもいい事ですけど(^^;)
1998年04月15日:13時59分47秒
私なりに考えたこと / 嵐山 一人
更新速度の速いこと速いこと。取りあえず自分の意見をば。

>YAN様の発言から

>「プレイヤーを楽しませよう」、「他人を不快にさせないようにしよう」とかいうのは、
>そういう”奨励事項”という扱いで構わないのではないかと思います。

コンベンションではそうすべきでしょう。
しかし、しようと思って出来ないこともありますから(特に自分)、
それ以外では各人の「努力目標」ということで、それ以上突っ込まないほうがよいと思います。

(多分)GMN様の発言
>ソロパートに「俺も俺も」と皆が殺到すればみっともないですし、
>一人が延々と歌ってればそれはSPEEDではなくて安室奈美恵と
>スーパーモンキーなわけです(爆)

「スーパーモンキーズ」だったような・・・記憶があいまいですね。(汗)
それはどうでもいいとして、
そのご意見はごもっともです。ここで重要なのは、
   「バックダンサーやコーラスにはそれなりの楽しみ方がある」
ということです。
他人を引き立てることも結構面白いものですよ。
「主役な時」と「脇役な時」の使い分けが出来るのが理想だとおもいます。
全員が「俺が主役だ!」と暴れ回ると「安室奈美恵が5人のスーパーモンキーズ」とかが誕生するわけです(激爆)。

結論に入りますが
「他人を気遣う」のは「自分が楽しみたいから」、と考えてみてはいかがでしょう。
もめ事が起こったコンベンションは気持ちのいいものではありません。
常識はテーブルトークが「テーブルトーク」であるための「ルール」だと思います。
「楽しませる」と言うより「ルールを守り、自分が最大限楽しむこと」と言うのが私の意見です。
「他人の楽しむ姿を見るのも楽しみ」という精神を持っていたいものです。

P.S. う〜む、思ったことがうまく書けない。
改めて皆様が分かりやすい文を書いているのだな、と実感しました。
1998年04月15日:12時15分08秒
プレイヤーとしての楽しみ方 / 流れ桃
自分とマスターと自分が気に入った人さえよければ回りがどうなろうと構わないかな。 かなり嫌な姿勢で望んでいるのかもしれないけど皆で一緒に楽しむのもいいけれどどうしてもどこかに不満が残るんだよね。 だから自分だけよければいいという姿勢の方にアドバイス。
・GMを味方にしよう。
・他のプレイヤーにも楽しみという利益のおこぼれを。
・味方を一人でもいいから作ろう。
これは社会生活においても生きてくるよ。ただし人に何を言われようと気にしないのが肝心だね。
太く長く楽しもう。
1998年04月15日:11時59分57秒
楽しませるor一緒に楽しむ どっちだっていいじゃない / 流れ桃
マスターはプレイヤーを楽しませるものだと信じてきた、或は信じ込ませられてきた 人々にとっては「楽しませる」のが本当でしょうし そうでない人にとっては一緒に楽しむでいいんじゃないでしょうか。
答えはいくつもあってもいいんじゃないかな?
それに「楽しませる・一緒に楽しむ」の議論なんかしても無意味だろうしね。
疑問を感じる事はいいけれどそれは間違ってるなんて誰も言えないよね。
俺はそんな事は言ってないぞ〜なんてレスが来る前に確かに誰もそんな事まで言ってないけれどね。
私自身はGMとは楽しませるエンターテイナーであり一緒に楽しむプレイヤーの一人であると 思うようになったけどね。でもシナリオを一から十まで考えてくる人にとっては 自分が楽しむ事よりもプレイヤーが楽しんでくれたかどうかが一番重要な事なんじゃないかな?
まあ、どう感じるかは人それぞれだから解らないけどね。
1998年04月15日:11時36分06秒
>鏡様 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
○コラボレーション
×コレボレーション
ですの、アタシが書込に一カ所誤入力してました。申しわけございません。
  
>ねこぱんちさん
 こっちはよけいなお世話だけども
○ジャムセッション
×ジャズセッション
ね、いや、「ジャズのセッション」ってことばはアリだけど。ジャムセッションはそれとまた別の意味
なのよん。
1998年04月15日:10時11分01秒
では、場所替えってことで(笑) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 昨日、寝ながら「あぁ、今日お調子のってダ〜ッて書込んだ文章」、へたするとカンナの言い
たい趣旨誤読されかれないカ所があそことあそこにあったぁ」とか思って、フォローアップ
しなきゃぁ、と思ってました。今日見てみたら、グッとおとなな感じのナイスなコメントが入って
ますね。
TTBさんのお勧めにしたがって「フォローアップ」は「プレイング研究所」でしちゃおうと
と思います。みなさんよかったら見に来てくださいネ。←多分今日の夜とか、もしかしたら
明日とか。
 
 えと、言葉のもんだいなんですけど
>>「義務」とは「自分に課するもの」
 >私もそう考えますが。鏡さんのお考えは少数派ではない。と感じます。
 
 アタシも「少数派」ではないと思いますけど、大勢でもないんじゃないかしら。言葉の
使われかたってしゃかいの変化とともに変わっちゃうじゃないですか。例えば村上春樹
の小説の主人公たちはずっと「自分に課す為すべきこと」を「ジンクス」と呼んでいました。
 村上春樹の言語感覚がナイスかどうかはいろいろ意見のわかれるところでしょうけど、
やっぱ「義務」って言葉の使われかたかたには、ちょうど現在イロイロ不都合があらわに
なってるところじゃないのかしら? みたいな?
 TRPGって言葉を使う遊びじゃないですか。アタシ的にはそんなことも気になっちゃいます。
 
 もひとつ書いちゃうと、アタシは「義務」をプレーには持ち込まないでって思うだけで、例えば
セッションで寝ないとか、喫煙化の会場でも、となりの人が嫌煙家だったら譲り合うとか、
そ〜ゆ〜ことは全然オッケーで。←あったりまえですけど。YANさんがおっしゃるとおり「具体
的な話」が出てこないのはつまらないですね。
 以上は、プレイングの話ともちょっとちがうみたいな気がしたんで書いちゃいました。
 でわでわ。
1998年04月15日:08時52分56秒
「いっしょに楽しむ」って理想ですね / TTB
>「楽しませる」とかいう表現にちょっとだけ疑問
「一緒に楽しむ」を否定される方(私も含めて)は居られないと、これまでの書き込みで読みました。マスタリング研究室でも話題になりましたけれど、マスターのホスト化(或いはホステス化)、プレイヤーのゲスト化の現況もあるやに感じました。そこで、なんとか一緒に楽しむために、楽しませる手法などが話題になってくるのだと思います。
1998年04月15日:08時08分15秒
「楽しませる」じゃなくて・・・ / でぶ猫
 発言量がおおくて私もちょっとついてけないのですが、 RPGについてほかの人を(GMとプレイヤの関係でも)「楽しませる」とかいう表現にちょっとだけ疑問がありますね。
「いっしょに楽しむ」じゃだめなんでしょうか?
1998年04月15日:01時25分37秒
Re:アドリブマスターと一本道でちょっとだけ聞かせて下さい / 宇津見
 3327氏へ
 プレイヤーの判断を、セッションの展開へ正当に反映しないという点で、十分に悪いことだと思います。
1998年04月14日:23時47分02秒
アドリブマスターと一本道でちょっとだけ聞かせて下さい / 3327
アドリブを利かせてプレイヤーのどんな対応も自分の一本道にはめてしまうのは、いいことなの、悪いことなの?

1998年04月14日:22時31分34秒
「アドリブマスターに相対するものとは?」回答御礼、他 / 鏡
 鍼原神無さん、ぴゅうたさん、ねこぱんちさんへ。難しい質問にお答えいただき、 ありがとうございました。「アドリブマスター」なる ものについてあまり考えたことが無かったので、無茶な質問だったかと思い、恐縮 しておりましたが、お答えいただき、胸をなでおろしております。
 「一本道マスター」は以前議論されましたね。「コレボレーション苦手 マスター/プレイヤー」や「一本道プレイヤー」(?)については自分の経験も重ね、色々 と考えてみたいと思います。「シナリオ/システム/アドリブの比率」というのは興味深い 発想で、これも良く考えてみたいところです。大変参考になりました。
 
 宇津見さんには、アドリブ主体のマスタリングについて具体的に例示して いただき、大変勉強になりました。おかげさまで我が振りを見直す事ができました(笑)。御礼申し上げます。
 
 悪い意味での「アドリブマスター」は、彬兄さんおっしゃるところの「アドリブ偏重マスター」と 言う名称がふさわしいようですね。要はバランス、と言うことでしょうか。何をアドリブとすべきか、何をすべきでないか、 は今後の研究課題としていきたいと思います。
 
 今回のところは、如月恭一郎%ているさんおっしゃる通り、「言葉の定義ってむずかしい」で お茶を濁させてください。
 
 みなさん、ありがとうございました。
1998年04月14日:22時18分48秒
義務と演技 / TTB
こんにちはTTBです。(^o^)
>「義務」とは「自分に課するもの」
 私もそう考えますが。鏡さんのお考えは少数派ではない。と感じます。これまでの書き込みを見せていただいて、「義務」と言う単語が多少の誤解を生んだかもしれませんが、皆さんはまず自分に課せられたもの(楽しませよう、楽しもう)を考慮し、他人には無理に自分に合わす必要を感じていない点で、一致しているのではと思います。
 
 私自身コンベンションなどでは、まず「義務」を考えますし、一緒に楽しもうとする「演技」をする事もあります。TRPGに限らず多人数で行うプレイに参加することに関して、これらは必要最小限のことのように思うのです。
 これからはプレイヤーの義務については、プレイング研究室で、マスターの義務についてはマスタリング研究室でなさるのが、議論の発散を避ける点では、一つの方法と思います。
 
 では、失礼します。
1998年04月14日:21時59分16秒
何で皆「義務」を毛嫌いするのかと思ったら / 鏡
 ほとんどの方は、「義務」を「強制されるもの」「一度決まったら自分の意志に 関わりなく守らねばならないもの」として考えていらっしゃるのですね。
 私にとって(少なくともRPGにおける)「義務」とは「自分に課するもの」であって、何人たりとも 強制できるものでは無いと考えていたので、少々混乱しておりました。
 互いに「義務」を論じ合うことは、自分の「すべきこと」を決め、見直すことに 役立つと考えていた私にとって、「義務」を忌避する理由が分からなかったの です。(最初は自分の行動にいかなる制限もつけたくないのか?と。しかし 書き込みには、ちゃんと「すべきこと」を言及しているし・・・。)
 
 つまるところ、私のような用語の使い方の方が少数派だったわけで、用いることばを変える 要があったようです。
 
 ・・・どちらにせよ、自分がなすべきことは、自分以外が決めることは出来ないと思うのだけれど。
1998年04月14日:20時55分16秒
他人を楽しませながら自分も楽しむ / 寺田大典
 いやぁ、最近の更新速度はすごいですねぇ。私にとって、ちょっと個別にレスできるスピードでは
 ないので、現在の話題であがっている「他人を楽しませながら自分も楽しむ」って事に関してちょ
 っと書きたいと思います。

 基本的にGMは、プレイヤーを楽しませようとしつつ自分も楽しむべき。
 プレイヤーは、GMと他のプレイヤーを楽しませようとしつつ自分も楽しむべき。
 と思います。で、これに関して各個人のテクニックができてくると思うのです。

 結果として、理想なセッションは、「各個人がやりたい事をやって参加してい
 る全員が最高に楽しめる」セッションだと思いますが、各個人のやりたい事に
 大きな開きがある場合、難しい場合もあります。似通っていたとしても、最高
 に楽しめたと全員が思えるのは毎回のことではなく、正に「奇跡のような」事
 だと思います。

 その場合、(1)自分のやりたい事をやりつつ、他人のやりたい事を尊重でき
 るように方向修正する。(2)他人がそのセッションで求めている(やりたい)
 事を見ながら、それをつぶさずに自分のやりたい事をやる。というのが、楽し
 む為のテクニックの下地となる考えだと思います。

 この場合の他人とは、GMも含めばプレイヤーも含むわけですが、これを全員が
 意識した場合、そのセッションは「気持ち良く遊べる環境」になり易いと思う
 のですが、いかが?で、これは一つの制約となってしまいますが、そんなに難
 しい制約(個人に負担がかかるという意味で)では無いと思います。ただ、な
 かなかいつもできるかといえば、難しい。

 言い換えれば、「TRPGって、自分だけで楽しむのは難しいから、周りとの兼ね
 合いを考えた方が結果として楽しいよ」って事なのですけどね。

 コンベンションだと、たまに見かけるのですが、その日のコンベンションで自
 分のやりたい事しかやろうとしない故に、他の人の反感を買ってしまい、セッ
 ションを楽しめたかというとそう楽しめなかったという人。それよりかは、周
 りの様子を見ながら、その中でやれる事として自分のやりたい事をやった人の
 方が楽しめるように見受けられます。TRPGのセッション内では、必ず他のプレ
 イヤーと関係するはずですし、皆が自分の子分ではなく対等だと考えると、コ
 ンベンションで100%自分の意図する行動と反応と結果を求める事には最初
 から不可能なところがあると思うのでした。

 うーん、的外れな事書いているかな?もし、何か御意見あれば、言っていただ
 けると嬉しいです。
1998年04月14日:20時31分56秒
ああ〜、なんか堅苦しい… / YAN/矢野 聡一郎
 うう、さっきの私の文章って、妙にカタイですね…。まあ、とりあえず「義務」関連のお話はあれで最後にしますんで、どうかご容赦のほどを。
 
 えと、GMNさん、鍼原神無〔はりはら・かんな〕さんの意見を読んでいて思ったんですけど…
 
 他人のプレイを不快に感じても我慢する…いや、我慢するんじゃなくって、「くじけない」って事も大切かな、と。不満に思って一日嫌な気分になるより、そこで踏ん張って「絶対楽しいセッションにしてやる」、という意気込みというか。
 
 結局、「人を不快にさせている」時って、本人に悪気のない場合も多いと思うのですよ。たまたま、ちょっとしたすれ違いで、他の人が不快になってしまう事とか…。
 だから、ちょっと不快に感じても、「さっきのはたまたま」だからと、さらりと流してしまえば、なんてことはないのかもしれません。(トータル的に楽しかったのならオッケー、という感じ?)
 
 あと、「はじける」っていうか、テンション高めるのもいーかなー、と。
 
 コンベンションだと、初対面の方とプレイすることが多いから、皆さんつい遠慮しがちなんですが、新人同士の飲み会の時みたいに、盛り上げ役をやる、っていうのも悪くないかな〜、みたいな。
# 普通そういう盛り上げ役は、GMがやるものでしょうけど。(…私の場合、先日GMをやったとき、「マスターのしゃべり方が丁寧すぎて、なんか困る」と言われちゃいました(汗)。これはいかーん)
 
 でも人には向き不向きがあるし、無理に盛り上げ役をやる必要もないけど、誰かが盛り上げ役をやってくれてるときに、「なんだこいつ。あつかましいやつ」とか思わずに、一口のってみるのもアリかな、と思いました。
 
 あ、でも、初対面でいきなり肩に手をかけられた時はびびった(;^^)。まあ、程度問題ということで。
1998年04月14日:19時24分22秒
明文化、ですか…。 / YAN/矢野 聡一郎
>  有馬次郎さん
>> 「思いやりは”大切”だね」とか、「みんなを不快にさせないよう”気を付けよう”」
>> くらいの言いかたで十分なのでわ。
 
>  多分、上のYANさんのカギカッコの文章の最後に、
>  (だから必ず実行しましょう。)の文言を明文化するか、
>  不文律とするかの違いのように思えます。
 
 明文化、ですか…法律とか、会社の規定を連想しちゃうなあ(;^^)。
 
 ええと、会社の規定についてですが、中小企業の中には「あえて規定を作らない」ことで、自由な社風を作り出している所もあります。ただ、規模がある程度大きくなると(人数が多くなると)、それぞれの社員の考え方の相違も大きくなるため、不都合が生じる可能性も高くなる。その為に規定を作っているわけです。
 
 TRPGにおいても、コンベンションなど沢山の人が集まる場所では、確かに規定が必要かもしれません。
 しかし、「規定」を作るということは、「規定が守られているか監査する」こと、及び「規定が守られなかった場合の罰則規定」が必要になります…。
 …自分の場合、「義務」、「明文化」という言葉からは、そういうものを連想しちゃうんですよ(;^^)。
 
 ところで会社での決まり事というのは、明確な「規定」だけじゃなくって、「節電しよう」とか、「電話は早めに取るようにしよう」とかいう、推奨事項のようなものもあります。これらの推奨事項はいちおう明文化されていますが、強制力はありません。
# 「プレイヤーを楽しませよう」、「他人を不快にさせないようにしよう」とかいうのは、そういう”奨励事項”という扱いで構わないのではないかと思います。
 推奨事項の明文化が必要かどうか、については…先ほど書いたように、「人の集まるコンベンション等では」、ある程度必要かとは思います。実際、参加者の中には常識の乏しい方もおられるでしょうし(若い人の場合はある程度しょうがない)、「一般常識ではないけど、ちょっと気を付けた方が良いこと」というのはあると思いますから。
 
 …む!ここでようやく気が付いたんですが、今まで「他人を楽しませる」にはどうしたら良いか、「他人を不快にしない」ためにはどうしたら良いか、というような、具体的な話をしていませんでしたね(;^^)。
 
 そういう話もしておかないと、「他人を楽しませたいと思っているのに、楽しませられない」、「「他人を不快にさせたくないのに(あるいは自覚無しに)、不快にさせてしまう」という方にとってはツライ(あるいは自分と関係ない)議論になってしまうのではないでしょうか。
 
 …ええと、「他人を楽しませるためにはこれこれこういう事をしなければならない」とか、「自分はこういうの嫌いだから、やっちゃ駄目」とかいう言いかたじゃなくて、
 「こういう事に気をつけたら、みんな楽しんでくれたみたい」とか、「自分はこういう事をさせると不快です。どうかご参考までに」、という角の立たない言いかたなら問題も少ないかと。どうでしょう?
1998年04月14日:19時22分48秒
ひとりつっこみ(笑) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
★アタシのひとつ前の書込に補足させてください。
 
>当然ぶつかりあいます。それもまたゲームの楽しみにしてしまいましょう
 
、を当然ぶつかりあいます。そうしたぶつかりあいを克服することもまたゲームの楽しみに
してしまいましょう
、に補足します。
1998年04月14日:19時17分33秒
Re:Re:奇跡じゃないとしたら#2 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>有馬次郎様
 えと、先の「Re:Re:奇跡じゃないとしたら#1」は、ちょっと急いでたんで有馬さんが
くだすった「いろいろレス」の方には応答しきれませんでした、ごめんなさい。よろしけれ
ば応答を補完させていただきたく思います。
 
>皆が本当に自分のことだけを考えて、好き勝手な楽しみかたをして、それぞれにして
>本当に楽しめるのですか?
 はい、楽しむことできますよ。ただ、既に書きましたけど アタシがいう「好き勝手」は
「ウケをとるなら(とれる自信があるなら)なんでもアリ」の意味なのでした。
 
>それぞれが好き勝手な行動をしていても、どこかでぶつかったりして阻害してしまい
>ませんか?そのときはどうするのでしょう?
 当然ぶつかりあいます。それもまたゲームの楽しみにしてしまいましょう、ってことです。
 アタシ的にははプレイヤー発言で「義務感」を促したり、「注意」を促したりするのはヤボ
なことかと思ってますので、具体的にはできる限りPCのセリフに「忠告」や「警告」なども
込めてしまいます。マスターさんがNPC発言でなくって素〔す〕の言葉で「注意」とか「警告」とか
出すことはアリかと思いますけど、プレイヤーとしてはあくまで緊急事態に際しての非常
手段に限定していただきたいと(いつも)願っています。だって「注意」や「警告」とか
連発されたら楽しくないじゃないですか。
 
>そうしたら、好き勝手にできなくなって楽しめなくなるのではないでしょうか?
>最終的には譲り合わなければ成り立たないのでは?
 「譲り合い」に関してはすでに書きましたので繰り返しはひかえます。補足しますと
「譲り合い」より「なんでもアリ」のほうがセッション楽しくなるわよ、ってことです。
 アタシはカラオケBOX大好きなんですけど、有馬さんはどうかしら? 有馬さんのお仲間
にはカラオケ盛り上がるとテーブルの上やモニターの上にのぼっちゃって、シャウトし
しちゃう人いませんか? いない? それは残念(笑)みたいな。テーブルのぼりや、
モニターのぼりはなかなかびぎなぁにはできない芸でして、←誰だってお店の備品
壊して弁償とかしたくないですし。アタシのカラオケ仲間でもカラオケがうまい人しか
できません。アタシはテーブルのぼりはやりますけどモニターのぼりはちょっとまだ未熟(笑)
で。カンナの行きつけのカラオケBOXの店員さんはいつも「今日はテーブルのぼり出た?」
とか笑いながら聞いてきます。アタシがいうなんでもアリってこ〜ゆ〜パフォーマンスの
ことです。「配慮」は大事ですけど「遠慮」や「譲り合い」は「なんでもアリ」の発想を
妨げるように思えますが、いかがかしら?
 TRPGでもカンナがこれはって思ったプレーをキメれた時は(Conventionとかではじめて
会った人でも)「そんなん、アリ〜?」ってウケることありますよ。この瞬間が最高にハッピーです。
1998年04月14日:16時37分15秒
re:re:いろいろレス / GMN
>#少なくとも、「人に不快なことをしない」、「人に迷惑かけない」とは、思いませんか?
 
 こりゃ「義務以前の最低限のライン」に含まれてると思うのです。
 
>その例でいうと、常にそこが誰のパートなのかを考えましょう。そうして、他人のパートだったらバックコーラス、バックダンサーとして他の人を輝かせる。自分のパートになったら思いっきりがんばりましょう。そうして、最終的には1つの楽曲としてすばらしいものに全員が協力して行くようにする。実際にそうするにはそう考えていないとやっていけない。 以上のことを個人的には申しているつもりなのですが、いかがでしょうか?
 
 なんかすごく贅沢な気もしますが(^^; 私は雲のジュウザのように誰が何を考えようが全然構わんのです。ただ、「みんなこうすべきだ」とか「これは当然の義務だ」とかいうラオウのような世紀末覇者的意見には撃壁背水掌で抵抗してみますけど(^^;
1998年04月14日:16時06分38秒
re:「粋」じゃない、かも / 有馬次郎
YAN様
 ところで、最近の「義務」論争(?)ですが、結局のところ「”義務”がある」「”義務”はない」という、言葉のニュアンスが互いの反感を買っているだけのように思えます。
 
強く同意致します。
多分、思っているようなことは同じように思います。

 「思いやりは”大切”だね」とか、「みんなを不快にさせないよう”気を付けよう”」くらいの言いかたで十分なのでわ。

多分、上のYANさんのカギカッコの文章の最後に、(だから必ず実行しましょう。)の文言を明文化するか、不文律とするかの違いのように思えます。
 
 「義務」という言いかただと、義務を果た「せ」なかった時は責任を取らされる、みたいなイメージがありますから…。(「よくも俺を不快にさせたな〜!責任を取れ、責任を!」「そんなぁ〜。わざとじゃないんだよぉ〜」)

多分、そうなったら自然と責任を取る結果となるのでは、ないでしょうか? 約半日かけたセッションを終えて、楽しくなかったと言うことで。
1998年04月14日:15時49分19秒
re:いろいろレス / 有馬次郎
GMN様
 おっしゃることはごもっともなのですが、早い話「どんなに気を使っても不快に思う奴は不快に思う」んです(^^; 何で不快感を得るかも人それぞれなわけでそんなもん全部汲み取れないです。もちろん、最低限のラインはありそれは守るべきだと思ってますよ
#それでよいのではと思います。
#人の反応は千差万別なのですから、最低限のラインが守れればいいのでは?
 私ら(少なくとも私は)別に「他人を楽しませる義務がある」と肝に銘じて友人と遊びに行ったりしてないんですけど(^^; TRPGも一緒では?
#少なくとも、「人に不快なことをしない」、「人に迷惑かけない」とは、思いませんか?
#できれば、前に書いた方の文章の前半だけではなく、後半(GMN様がカラオケに例えられたことにおける返答)についてもレスがいただければ幸いですが。(レス書く意味もない位無意味でしたら、結構ですが。)
失礼します。
1998年04月14日:15時38分17秒
おやおや / Karma
 久しぶりにやってきました。いろんな話が行われているようで、うれしい限りです。
 
 義務について
 義務って言うほどのものではないような気が俺はしますが。
 どっちかっていうと不文律に近いものでしょう?それなら『常識』ではないのでしょうか?
 俺自身、「他人を楽しませる義務がある」と肝に銘じていったことはありませんな。
 そもそも、多人数でやるゲームなんですから、そこそこのところで妥協することは必要なのはないのでしょうか?
 
 でもそれならば、『普通』のことですよね?
 
 じゃあ、それができないのはどうしてなんだろう?
 単に『常識』が無いだけではないのでしょうか?
 
 俺はそういうプレイヤーさんにはあんまりあたったことが無い(と、いうかほとんど無い)ので良く分かりません。
 
 皆さんはどう、お考えなのでしょうか?
1998年04月14日:15時29分16秒
Re:Re:奇跡じゃないとしたら / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>有馬次郎様
>でも、他人のこと思いやって好き勝手するって、
>すごく矛盾する気がするのですがどうでしょうか?
 
 はい、有馬さんのおっしゃるとおり矛盾しますわ。
 これは先の書込、アタシの書き方が悪かったんです。アタシ式のプレーでは
「他人にウケようと思って(ウケるためなら)なんでも(好き勝手)する」なんです。
 えと、言葉遊びに耽る気はないですけど、あまり「譲り合」ってると気づかぬうちにセッションが萎縮する?
みたいな? ←アタシの経験的意見ですけど。
 アタシのやり方ではうまくいくときは参加者みんな、メチャクチャハッピーです。
補足しますと、バックコーラスでも(有馬さんも言われるように)もちろんウケはとれます。
でもアタシの場合は他のPCをサポートするときは相手プレイヤーさんのことよりも(苦笑)
まずは相手PCとセッションのことを、考えてサポートしちゃいます(←やっぱ、アタシって
ヒドイヤツ?;笑)。例えば、(ここで、あのPC失敗したほうが話が盛り上がるし、参加者
みんなにウケるな)って確信持ったときは……、ウフフ、いろんなことしちゃったりなんか
することもあったりして(笑)。←もちろん後でちゃんとフォローはいれますのよ。

 当然このやり方はうまくいかない時もありますけど、「必ずうまくいく確証はないけどチャレンジ
する」←これもまたゲームかと。
 もうひとことだけ、申し添えますと「奇跡のようなセッション」がうまくいかないときも、アタシは
ストーリーが空中分解しないようには全力でつとめますし、←こっちの方は“奇跡”でも
なんでもなく充分可能なことかと。

追記:YANさん、ナイスフォロー、サンキュッ(ハァト)。
1998年04月14日:15時26分30秒
「粋」じゃない、かも? / YAN/矢野 聡一郎
 うう…今日はなんだかレスが速いですね。
 
> 有馬次郎さん
 
> #でも、他人のこと思いやって好き勝手するって、
> #すごく矛盾する気がするのですがどうでしょうか?
 
 ていうか、あえて意識しなくても他人を不快にしないというか…。GMNさんの書かれたように、
 
>  別に「他人を楽しませる義務がある」と肝に銘じて友人と遊びに行ったりしない
 
 という状態はありえるんじゃないでしょうか?逆に言うと、友人と遊びに行くときに、「今日はお互い、相手を不快にさせないように気をつけながら遊ぼう」なんて宣言してたら、それは「粋」じゃない(=「無粋」)ですよね。
 
 ただ、有馬さんの言い分も分かる気もします。
 サークルのメンバーや学校の友人など親しい間柄ならともかく、コンベンション等で知り合ったばかりの人と、ツーカーの仲に…ってわけにはいきませんから。
 親しい友人とプレイするのでなければ、少しくらい緊張した方が良いかもしれない、とは思います。
 
 ところで、最近の「義務」論争(?)ですが、結局のところ「”義務”がある」「”義務”はない」という、言葉のニュアンスが互いの反感を買っているだけのように思えます。
 
 「思いやりは”大切”だね」とか、「みんなを不快にさせないよう”気を付けよう”」くらいの言いかたで十分なのでわ。
 
 「義務」という言いかただと、義務を果た「せ」なかった時は責任を取らされる、みたいなイメージがありますから…。(「よくも俺を不快にさせたな〜!責任を取れ、責任を!」「そんなぁ〜。わざとじゃないんだよぉ〜」)
1998年04月14日:14時38分56秒
re:いろいろレス / GMN
>故に、他の人とゲームをするにおいて、「自分が楽しみたい」という権利を主張するならば、「他人も楽しませる(不快にさせない)」(一部言葉変えました)ことは、必須だと思うのです
 おっしゃることはごもっともなのですが、早い話「どんなに気を使っても不快に思う奴は不快に思う」んです(^^; 何で不快感を得るかも人それぞれなわけでそんなもん全部汲み取れないです。もちろん、最低限のラインはありそれは守るべきだと思ってますよ。
 
>そこら辺は社会生活一般と変わらないと思いますがいかがでしょうか?
 
 私ら(少なくとも私は)別に「他人を楽しませる義務がある」と肝に銘じて友人と遊びに行ったりしてないんですけど(^^; TRPGも一緒では?
1998年04月14日:14時35分49秒
Re:奇跡じゃないとしたら / 有馬次郎
YAN様
 つまり鍼原さんのところでは、一見みなさん、自分の好き勝手やっているように見えて、水面下では実は、他人の事も思いやっている部分があるのではないでしょうか?
 
 だとしたらそれは、まさに「粋」なプレイですね。
 
 …しかし、そういう「粋」って、言葉で説明するのは難しそうですね(;^^)。

#そうだとすれば、本当にすごいと思います。
#でも、他人のこと思いやって好き勝手するって、
#すごく矛盾する気がするのですがどうでしょうか?
1998年04月14日:14時24分56秒
奇跡じゃないとしたら… / YAN/矢野 聡一郎
> 有馬次郎さんWROTE
> 結局、好き勝手にやって奇跡的に話が成り立つなんて、それこそ奇跡なのでは?
 
 逆に言うと、「奇跡なんかじゃない」のではないでしょうか。偶然ではなく、必然として話が成り立っていると。
 
 つまり鍼原さんのところでは、一見みなさん、自分の好き勝手やっているように見えて、水面下では実は、他人の事も思いやっている部分があるのではないでしょうか?
 
 だとしたらそれは、まさに「粋」なプレイですね。
 
 …しかし、そういう「粋」って、言葉で説明するのは難しそうですね(;^^)。
1998年04月14日:13時49分35秒
いろいろレス / 有馬次郎
GMN様
他人を不快にさせてやろう、と参加する人はいないと思うのですが(^^; 義務とかまでになっちゃうのはちょっと・・・

当然、そんな悪意を持っているような人はそんなにいないと信じています。
ただ、他人と楽しもうと考えていないような人は、よく見かけられます。
故に、他の人とゲームをするにおいて、「自分が楽しみたい」という権利を主張するならば、「他人も楽しませる(不快にさせない)」(一部言葉変えました)ことは、必須だと思うのですが、そこら辺は社会生活一般と変わらないと思いますがいかがでしょうか?

 セッションてSPEEDとかV6とかSMAPの歌みたいなモンで、皆でハモるパートもあれば、ソロのパートもあるわけです。ソロパートに「俺も俺も」と皆が殺到すればみっともないですし、一人が延々と歌ってればそれはSPEEDではなくて安室奈美恵とスーパーモンキーなわけです(爆) 自分が前に出たいと思えば出ればいいですが、ここは他人のパートだと思ったときはバックダンサーに徹する。なんつ〜か自分も目立つけど他のメンバーも精一杯目立たせてやる、ってのがいい関係じゃないかと。それは強制させてなるもんじゃないと思うんです。

その例でいうと、常にそこが誰のパートなのかを考えましょう。そうして、他人のパートだったらバックコーラス、バックダンサーとして他の人を輝かせる。自分のパートになったら思いっきりがんばりましょう。そうして、最終的には1つの楽曲としてすばらしいものに全員が協力して行くようにする。実際にそうするにはそう考えていないとやっていけない。
以上のことを個人的には申しているつもりなのですが、いかがでしょうか?
それに、義務は(強制は)ちょっとと言う意見がありましたが、一般社会においても生きていくにおいて何らかの義務(不文律)は生じています。TRPGやるにおいて「他人を不快にしない」ことはまさにそれだと思うのですが、いかがでしょうか?

鍼原神無〔はりはら・かんな〕様
 その、「TRPGはみんなで楽しむもの」は悪くはないんですけど、この主張は>「とられようによっては、みんなで=おんなじ楽しみを共有する」ともとられかねないことは注意されるべきかと。

同じテーブルで同じシナリオで遊ぶのですから、「みんなで=おんなじ楽しみを共有する」ような楽しみかたの要素も含まれると思うのですが、それはいけないことなのでしょうか?
私が頭悪いから理解できないのかもしれないので分るように説明いただけたら幸いです。

アタシ的には、「TRPGってみんなが好き勝手な楽しみかたをそれぞれにしても奇跡のように話がなりたつ(ことがある)からスゴイ」なんですけど←これにはいろんな異論があるかもしんない? みたいな?←実はカンナが一番気になるあたりがこれなんですの。

皆が本当に自分のことだけを考えて、好き勝手な楽しみかたをして、それぞれにして本当に楽しめるのですか?
それぞれが好き勝手な行動をしていても、どこかでぶつかったりして阻害してしまいませんか?そのときはどうするのでしょう?そうしたら、好き勝手にできなくなって楽しめなくなるのではないでしょうか?最終的には譲り合わなければ成り立たないのでは?
結局、好き勝手にやって奇跡的に話が成り立つなんて、それこそ奇跡なのでは?
そう思いますが、どうでしょうか?
1998年04月14日:13時03分47秒
イキ? かもしんない?(ど〜かしら) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
★ひとつ前の書込の続きで〜す
 #(セッション中に他のプレイヤーさんのプレーに不快感を覚えたしたら)何もしないでガマン
 しちゃうのって精神衛生上(?)よくない? みたいな?(笑)
 #アタシ的には「できるだけPCのセリフとして不自然でないもの」に翻訳して、不満もプレー
 にのせて、当の相手に送ってしまいます
 
 アタシの経験でこういうことがありました。Conventionで「妖魔夜行」(←別のところに書いた
 熱血クンの話とはまた違うセッションです)にプレイヤー参加したときのことです。パワーハウス
 な妖怪やってる人がいました。ときどきいるタイプのプレイヤーさんなんですけど、彼のPCは
 事件の謎解き調査に非協力的だったもんで、マスターさんとかもちょっと困ってたみたい。
 プレイヤーさんご本人がどう思ってたかは知りませんけど、小説版に出てくるやっぱパワー
 ハウスなキャラにちょっと似たとこあるキャラシー持ち込んでました。古武術の道場にいそう
 ろうしてて、そこの道場主の娘を「足手まとい」にしてたんだっけな。
 で、アタシはマイキャラを道場にやりましてパワーハウスクン(PC)に「みんなで手分けして
 調査してるんだけど手伝ってくれない?」。彼は「オレは探査には向いてないし、道場の娘の
 面倒をみなくちゃならない、オレの力が必要になったら呼びに来い」ですって。(ふ〜んキミ
 (プレイヤーさん)はそ〜ゆ〜のが「かっこいい」って思ってるわけね)←TRPGってほんとうに
 面白いですね、プレーしてると相手のいろんなことがわかっちゃう。
 アタシは実は内心シメシメって思っちゃいました。みんなで手分けして調査を続けてましたら、
 例のPCクンから電話かかって来まして「そろそろオレの力を貸してやってもいいぞ」みたいに
 おっしゃいます「あぁ、アレまだ調査中なの、キミも道場が忙しいんでしょ、うん、もうちょっと
 調査進んだら連絡するわね」とか。←アタシってひどいヤツ(笑)? いや、こんなイジワルは
 (このセッションでは)一度しただけです(一度で充分)、だいたい他のプレイヤーにもウケてた
 し←ウケる自信なきゃやんないし、もし別のPCがアタシのイジワルに「ちょっと」って思って
 (プレーで)介入してきたら、そこはプレーですぐ譲るつもりだったし。ちゃんと最後の決戦には
 パワーハウスクンも参加してきたし、見せ場もとったし、アタシ的にはこの時はこれでオッケー
 みたいな。
 
 アタシ的には、「自分で作った設定に自分が縛られちゃってるプレイヤーさん」ってホントは
 かわいそうなんだと思います。その人が脳裏に持ってるキャラのイメージは実は、ご本人
 以外には無いも同然なんだもの。パワーハウスクンも自分のPCのイメージをストーリーや、
 他のキャラとのかかわりを通してプレゼンテーションしてたら、そういう工夫してたら、イキだった
 のに、おしぃわよね、って思いますの。
1998年04月14日:12時41分10秒
Re:いろいろレス / GMN(さんへ) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 ほんとにGMNさんのおっしゃるとおりなのですわ。
 アタシの場合はこ〜ゆ〜性格なんで、「自分はワガママなヤツんだ」ってはいつも忘れないよう
に(笑)心がけたいと思ってはいますの。
 で、カンナ的ワガママ→アタシはGMNさんとお話するの楽しくって好きだから、GMNさんの
おっしゃるとおり、ってわかってはいますけど、ちょっとわざとダダをこねてみよう
かしら(←子ども;笑)、みたいな。さて、話は面白くなりますかしら?

>鍼原さんが楽しんでる裏で不快に思ってる人がいるかも知れないです。
>だから逆に鍼原さんが不快に思ってもその人は楽しんでるんだから
>しゃ〜ないか、とお互い百歩ずつ譲りましょう

 ホントにセッションは参加者全員にとって得難い機会ですし、最低でも半日〜一日を
費やしますし、ギリギリ最後のとこで「しゃ〜ないか」と譲らざるを得ないですよね。
 でも、第一印象とかで(きっとあの人はしゃ〜ないんだわ)とかこっちが勝手に思って
何も働きかけずに譲っちゃうのって、ちょっとシャクなんで(←ワガママ;爆)、アタシ的には
できるだけ、「なんであなたはそんなことするの?」みたいに一度は働きかけるように
してますの。←ただこれ、プレイヤー発言でやっちゃうと、とてもヤボですよね。ですので、
別なとこにも書きましたけどアタシ的には「できるだけPCのセリフとして不自然でないもの」
に翻訳して、不満もプレーにのせて、当の相手に送ってしまいますの。

 ホントはGMNさんへのRESでこんなこと書く必要ないことなのですわ。
 別のとこでGMNさんが書かれてた「(ばっちぃ人にキャラのセリフで)『あなたはどうして
そんなにばっちぃの?』って問いかける」って話、アタシ大ウケしちゃいました。
グゥですよ(はぁと)。

 アタシ的には、もしアタシのプレーに不快感を感じる人いるなら、「イキな方法で意志を
伝えてきちょ〜だい」です。「アタシもそ〜する〜」ですから。←ちょっと、プレーにディー
プにトリップしすぎちゃってると、とっさに気づかないこともあって(汗)ヤバいんですけど
(大汗)。

>他人がどう思おうが私が楽しむのが第一。
>でも私を不快にさせる楽しみ方をするプレイヤーはイヤってのが最悪の
 ワガママプレイヤーです。

 ほんとに、おっしゃるとおりかと。でもイヤって感情はわくことはありますし、何もしないで
ガマンしちゃうのって精神衛生上(?)よくない? みたいな?(笑) TRPGって(「ディプロ
マシー」とかとはきっとちょっと違うんだろうけど)“駆け引き”っていうか、コミュニケーションで
遊ぶものじゃないですか。ですからセッションの限られた時間ではありますけど、アタシの場合、
一度はコミュニケーションを試みて、それでらちがあかなかったらはじめて「しゃ〜ないか」と。
もしくは、イキなコミュニケーション方法(いいPCのセリフ)を思いつかないときは、まぁ
「しゃ〜ないか」と。

 アタシ的には、アタシとGMNさんとだけでわかりあってても、ちょっとだけもの足りない
気もするんで、この掲示板に来てるいろんな人にも突っ込んでもらえたほうが楽しいんで、
ひとつ具体例を書いちゃおうと思います(続く←ワガママ;笑)。

追記:>GMNさん
「re:舌足らずでしたね / GMN」の
>ソロパートに「俺も俺も」と皆が殺到すればみっともないですし、
>一人が延々と歌ってればそれはSPEEDではなくて安室奈美恵と
スーパーモンキーなわけです(爆)

 、は、カラオケ(BOX)ス〜パ〜ラヴ(はぁと)なカンナにはとってもわかりやすい、お話
でした(大ウケ)。
 その、「TRPGはみんなで楽しむもの」は悪くはないんですけど、この主張は>「とられよう
によっては、みんなで=おんなじ楽しみを共有する」ともとられかねないことは注意されるべき
かと。アタシ的には、「TRPGってみんなが好き勝手な楽しみかたをそれぞれにしても奇跡
のように話がなりたつ(ことがある)からスゴイ」なんですけど←これにはいろんな異論が
あるかもしんない? みたいな?←実はカンナが一番気になるあたりがこれなんですの。
1998年04月14日:11時15分33秒
Re:「アドリブ」に相対するものは? / ねこぱんち
 >アドリブマスターの反対は? 
 ねこは・・うまく思いつかない。 
 “アドリブマスター”と“アドリブ”は区別した方がよさそう。アドリブはマスターが“する”ものだし、アドリブマスターは本人や人がそう“呼ぶ”ものですよね? 
 
 たいていのマスターは、セッション全体を10として、そのうちの3〜4程度をシナリオ、1〜2ぐらいはシステムとして想定していると思う。これは紙に書く書かないの問題ではなくて、どれだけその回のお話のことを考えているか?といったこと。この10が、実際のセッションではかけ算(マスターやプレイヤーの遊び方)しだいで、50にも100にもなるのだと思うの。この考え方は、はりはら・かんなさんの言う“ジャズ・セッション”に近いのかな?。 
 どんなにシナリオを作るマスターでも、プレイヤーの言動があらかじめ分かっているわけでは無い以上、半分くらいはアドリブになるはず。 
 例えば、シナリオを5作ってきたマスターが、残りの5(プレイヤーのアイデアなど)を認めないと、いわゆる「一本道マスター」ができあがると思うの。全体の楽しみの半分以下しか許さないのだから、プレイヤーは当然楽しめないよね?。 
 逆にシナリオを考えずにセッションを始めるとしたら、10全部をアドリブでまかなわなければならないと思うの。それがうまく行かないと、本来10あるはずのものが7とか8までしかいかないの。これが気心の知れた仲間だと(今までの蓄積があるから)残りを補ってくれるかもしれないけど、コンベンションなどではあまり期待できない。それが“自称”アドリブマスターが嫌いな理由。10をアドリブでまかないますって言っておきながら全然足りないのだから、当然だよね?。 
 数式にすると、こんな感じ。 
 セッションの楽しさ=(システム+シナリオ+アドリブ)*遊び方 
 要は比率の問題だと思うの。 
1998年04月14日:10時41分26秒
re:舌足らずでしたね / GMN
>それでも、他人を不快にさせないように努力を払うべきだと思います。
 
 他人を不快にさせてやろう、と参加する人はいないと思うのですが(^^; 義務とかまでになっちゃうのはちょっと・・・
 セッションてSPEEDとかV6とかSMAPの歌みたいなモンで、皆でハモるパートもあれば、ソロのパートもあるわけです。ソロパートに「俺も俺も」と皆が殺到すればみっともないですし、一人が延々と歌ってればそれはSPEEDではなくて安室奈美恵とスーパーモンキーなわけです(爆) 自分が前に出たいと思えば出ればいいですが、ここは他人のパートだと思ったときはバックダンサーに徹する。なんつ〜か自分も目立つけど他のメンバーも精一杯目立たせてやる、ってのがいい関係じゃないかと。それは強制させてなるもんじゃないと思うんです。
1998年04月14日:10時17分33秒
私の考えるところのアドリブ主体 / 宇津見
 私の考えるアドリブ主体のマスタリング/セッションとは、以下に挙げるような要素が、シナリオ準備の段階で用意されていなかったり、あるいはセッション中にアドリブで頻繁に変化してしまうような物と考えています。逆に言えば、こうした要素をある程度しっかり準備しておけば、別にアドリブ主体というほどでもないと思います。

・主要NPCの基本設定(背景、信条、能力)
・事件の背景、構造
・重要なマップ
・キーとなる手がかりや、アイテム、弱点等の存在

 具体例を挙げると、以下のようになります。

・ダンジョンセッションで、ダンジョンのマップを用意していなかったり、あるいはセッション途中で通路や部屋や罠がアドリブで頻繁に変化、追加されたり、相手の戦力が大幅に変化してしまうことが頻繁にあるようなケース。

・怪奇事件の真相突き止める探索型セッションで、真相や集めるべき手がかりが、用意されていなかったり大きく変化してしまうケース。プレイヤーは事件の真相を突き止めるために、聞き込みや、手がかりの創作などを努力して集めて推理しているのに、実は真相や手がかりは用意しておらずに、その場その場で手がかりをアドリブで出して、真相は成り行きで最後に決めてしまう、あるいは人物Aが陰謀の首謀者なのに、途中で被害者に変更されていつの間にか人物Bが首謀者になってしまう、など。

・入念な下見と計画を立てて、敵のアジトから重要な品を奪取しようとしているのに、肝心のアジトの地形や構造、戦力などが、準備されていなかったり、セッション中に頻繁に変化したり、あるいは目的の品についてもほとんど設定していない。

・行方不明の人物を探すセッションで、肝心の人物の行き先や、行方不明の原因などが用意されていなかったり、変化してしまうようなケース。

・怪物退治物で、ボス怪物の弱点がアドリブで決まってしまうようなケース。

・重要NPCとの対話で、相手の信条や背景等を考察しながらロールプレイをしているのに、そうしたものが(以下略)。

 以上の挙げたようなマスタリングでも、うまくやればセッションは成立しますが、私個人としては強く遠慮願いたいです(『深夜俗悪三流映画の逆襲』等は例外としてですが)。なぜなら、セッション中に自分のとった行動に対して、何らかの判断基準があってリアクションが帰ってきてくるのを期待し、それが巧く行けばこそ嬉しいのであって、その判断基準が存在しないというのでは努力の価値がないからです。親しい間柄の仲間の合意の上でやる分にはまだ良いでしょうが、コンベションなどでは止めたほうがよいでしょう。
 このあたりは、馬場秀和ライブラリに収録されている『馬場秀和のマスタリング講座』の第二章でも、より詳しく述べられていますし、私も概ね同感です。


1998年04月14日:10時02分41秒
舌足らずでしたね(RE:義務と権利) / 有馬次郎

文章を送信した後に、これってもう終わってたのを蒸し返したのかなと思ったのですが、リアクションがあったので驚いています。
「他の参加者を楽しませる(不快にさせない)。」義務についてですが、ある意味、他の人間と遊ぶのですから当然だと考えていましたが、他の方の意見を聞いているとそうなのかなと考えます。しかし、コンベンションを見ている限り、自分だけが楽しむ権利を主張していて、他の人が楽しむのを阻害しているのが目立ち、少なくとも義務と思うくらいに強く意識付けないと無理なのではないかと考えます。
GMW様
何度も言ってることですが、世の中にはいろんな人がいまして、こっちが普通にプレイしてるつもりでも「こいつ超MM(爆)」と思
われてるかも知れないわけで、もし「他人を不快にさせない義務」があるのなら「TRPGに参加しない」のがベストの方法でしょう。
 
それでも、他人を不快にさせないように努力を払うべきだと思います。
少なくとも、楽しい環境でRPGやりたいなら。ある意味、できないなら足の洗い時かもしれませんね。
それは冗談として、他の人間と同じ時間を共有するなら義務とくらい考えて、ちょうどいいと考えます。

如月恭一郎%ている様
「他の参加者を楽しませる義務」云々についてですが、自分はそれは個人の心がけというか意識の持ちようであって義務ではないと思っています。「義務」と言ってしまうと、どうしてもそうでなければならない、と言う事になって「他の参加者を楽しませる」と「自分も楽しむ」が両立できなくなっても困りますからね。だから、自分が楽しむ事を前提に、他人も楽しませる事が出来たらいいよ〜っていう感じで、各々が心に留めておくといいのでは、と思う訳です。「他人を不快にさせない」も、不快に思う基準も人によってさまざまですから、まずは「自分がされて嫌と思う事は他人もされて嫌だ」とと言う事を心に留めてやるといいんじゃないでしょうか。

少なくとも、私はTRPGやるのでしたら、同じテーブルについた参加者全員が楽しむことを前提にしたいし、そうすることを考えます。
だって、プレイ中に不満そうな参加者の顔見てるとこちらも嫌ですし、自分が楽しくてもそれだったらどうしようもないと思います。
実際に自分だけが楽しもうとする方が、皆で楽しもうとすることよりも容易ですし、自分が楽しむことを前提にしているとそちらの方に流れて他人が見えなくなり易いです。

しかし、こんなことを書いている私自身、実際やれているのか自信はありません。

ではでは。ご意見、反論、異論、ありましたらお願いいたします。
1998年04月14日:09時53分19秒
悪い意味でのアドリブマスターについて / 彬兄
こんにちわ、久々に書き込みの彬兄です。

アドリブマスター論争、興味深く読ませていただきました。
彬兄の中でのアドリブマスターとはストーリーラインそのものを 即興で決めてしまうマスターのことです。

「これこれこういうストーリーラインになるから、事前には考えてなかったけど こんなシーンを追加しよう」というのは、悪い意味でのアドリブには 当たらないと思います。
問題なのは「この先どうなるか考えてないや。ま、いいか。プレイヤーの 反応を見て決めよう」というタイプのアドリブだと思います。こちらも絶対 やっちゃだめってわけでもないでしょうが、こればっかりだと困ります。
最終的にはバランスの問題でしょうから、悪い意味でのアドリブマスターのことを
「アドリブ偏重マスター」
と呼ぶのはどうでしょうか?
1998年04月14日:01時56分22秒
Re:「アドリブ」に相対するものは? / ぴゅうた
ぬー、難しい問題でんな。
  一言で言うと、「一本道マスター」?
  (注)これで言うアドリブは、シナリオの多彩な分岐性です。
  一応、一本道シナリオから離れることの出来ない人も、「アドリブ」がきかない、と言う場面もありますから。
  この場合で言っておかなければならないことがあります。
  >アドリブはマスターにとって当たり前の作業なのだから、それをわざわざ強調する意味はない。よって「アドリブマスター」などという表現は妥当ではない。 よってその対極も存在しない。
  ぬー、その通りなんですけれども、本来はそうあらねばならないのですが、本当に「アドリブ」の出来ない人も若干名いるのです。マスターの予定していなかった行動はすべて、「できなかった」とか「それによる効果は無かった」だけですますのです。
  それらを使ってはいけないとは言いませんが、それだけというのも困りものです。
  
  さて、その人がプレイヤーとなるとどういう行動をとるかといいますと、「ファンタジーRPGクイズ」のフンバルトのような人になります。真剣に無理、無茶、無謀を貫き通し、勝者は自分であることを疑ったことすらありません。
  そういう人の思い描く標準的なキャラクタータイプは、戦士であれば「バンパイヤハンターD」のD、魔法使いであるなら「バスタード」のダーク・シュナイダーといった具合です。
  しかし、だからといって彼らはマンチキンではありません。それは、マンチキンになれるほどルールを知らないからです。いや、「知らない」というのは適当ではありません。知ろうとしないのです。知ってしまうと、自分の思い描く標準的なキャラクターが、存在し得ないということを知ってしまうことになるからです。
  シナリオの柔軟さというものを持っていないということをアドリブがきかないとしたときの場合なんですけどね。
  はっきり言って、これだけでは、完全な「アドリブ」に相対するものとは言えませんが、私の今のところは、こんなとこです。
1998年04月14日:00時38分13秒
いろいろな取り方・考え方が… / 如月恭一郎%ている
しばらく見れなかったら書き込みが速い………。

みなさん、アドリブっていってもそれぞれにいろんな取りようがあるんですね。自分はアドリブって「シナリオにないストーリーやデータを即興で考えてマスタリングする」ことと「なんの前準備もせずに即興でプレイのノリ等でシナリオを作る」としか思ってませんでした。その微妙に異なる両者も共にアドリブと言うようですし、言葉の定義ってむずかしいですね。どのアドリブが良い・悪いなどの意見はあるようですが、その良い・悪いを判断する基準もやっぱり人によって違いますし、なかなか難しいですね。


「他の参加者を楽しませる義務」云々についてですが、自分はそれは個人の心がけというか意識の持ちようであって義務ではないと思っています。「義務」と言ってしまうと、どうしてもそうでなければならない、と言う事になって「他の参加者を楽しませる」と「自分も楽しむ」が両立できなくなっても困りますからね。だから、自分が楽しむ事を前提に、他人も楽しませる事が出来たらいいよ〜っていう感じで、各々が心に留めておくといいのでは、と思う訳です。「他人を不快にさせない」も、不快に思う基準も人によってさまざまですから、まずは「自分がされて嫌と思う事は他人もされて嫌だ」とと言う事を心に留めてやるといいんじゃないでしょうか。

自分もまだまだ若輩の身なので偉そうな事は言えませんが、参考になれば幸いです。ご意見があればどうぞ。
1998年04月13日:20時55分00秒
Re:「アドリブ」に相対するものは? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 とりあえず、お調子者の新参者からいきま〜す(笑)。sfさんの「TRPG百科事典」ってアタシ
存在もしらなくって(汗)、へ〜、ふ〜ん、なるほど〜、みたいな。ごめんなさい、
新参者です(大汗)。
 えぇとsfさんの説では、プレイヤーには「アドリブ」とは言わない、と。なる、ほど。
でもアドリブに似た感覚→ライブ感覚はプレイヤーにもあり得るし、アタシ的には大事かと。

 鏡さんが引用された中に「アドリブ」とジャズの親近性を暗示しているカ所がありま
すね。アタシ的にはTRPGのプレーがセッションと呼びならわされてるのって、なかなか
含みがあるわよね、みたいな。
 ご存じのようにある種のフリージャズではジャムセッション、って演奏・パフォーマンスがあります。
 ん〜、いろいろあるみたいだけど、スタンダードなところでは、キーになる
主旋律(とはいわないのかしら)、メロディラインみたいのがあって、セッションに
参加する演奏者が次々にそれをアレンジしてって、そのアレンジの応酬で、「それ
まで誰も聞いたことのない演奏」を即興でやってしまうとゆ〜。これってTRPGに似てる
ような気がします。
 世間では「何も用意のなくって思いつきでセッションを仕切るマスターさん」のことを
アドリブマスターと言うのかもしれませんけど、ジャムセッションのアドリブ性は
そういうのとは違いますよね。
 ところで、ジャムセッションでは、アドリブと同じかそれ以上に重要視される概念があります。
 それはコラボレーション、辞書的には「共振」ですか? ひらたい日本語にすると、「掛け合い」、みたいな?
ただし、掛け合い漫才ではな〜い。
 えと、アタシ的にはTRPGセッションの理想はジャムセッションみたいなの。
GMが投げかけた材料をプレイヤーが(GMも)次々処理していって、その「掛け合い」で
誰も予想しなかったお話を作っちゃう、みたいな。そうゆう経験したことマレにあります。
後で、GMに聞くと、「いや〜あんなんなるとは思ってなかった(笑)」みたいな。
 
 だから、アタシ的には「アドリブマスター」でないマスターさんとは、「掛け合い」への反応が鈍い
→コラボレーションを生んでくれないマスターさん、とか。
 これは性格ではないと思います。コラボレーションが苦手なマスターさんはプレイヤー
してもやはりコレボレーション苦手かもしれません。←ちょっと自信ないですから、
断言はしませんけど。
1998年04月13日:20時42分05秒
いろいろレス / GMN
>>有馬さん
>「他の参加者を楽しませる(不快にさせない)」義務
 
 何度も言ってることですが、世の中にはいろんな人がいまして、こっちが普通にプレイしてるつもりでも「こいつ超MM(爆)」と思われてるかも知れないわけで、もし「他人を不快にさせない義務」があるのなら「TRPGに参加しない」のがベストの方法でしょう。
 
 じゃあどうするねん、と言う話になりますが
 
 
>>鍼原さん
>アタシ的には自分がまず楽しむの部分が第一なんですけど、これってワガママかしら?
 みんなそんなもんでしょう(^^; ただまぁ鍼原さんが楽しんでる裏で不快に思ってる人がいるかも知れないです。だから逆に鍼原さんが不快に思ってもその人は楽しんでるんだからしゃ〜ないか、とお互い百歩ずつ譲りましょう、でいいんじゃないかと。もちろん極端な例は除いてですが。
 
#他人がどう思おうが私が楽しむのが第一。でも私を不快にさせる楽しみ方をするプレイヤーはイヤってのが最悪のワガママプレイヤーです。
1998年04月13日:20時13分18秒
質問:「アドリブ」に相対するものは? / 鏡
 「アドリブマスター」に対する皆さんのお考えを読んでいて、頭に浮かんだ疑問が あります。それは、
 
 1、「アドリブマスター」でないマスターとはどんなマスターなのか?
 
 という疑問です。合わせて、
 
 2、その性格は、その者がプレイヤーとして参加する場合にも現れるか? もし現れるとしたらどのように?
 
 という疑問もあります。
 どうも「アドリブ」というものに対する見方が人によって異なっていたことのせいで、 私なりに抱いていたイメージを考え直さなくてはならないかも知れない。少なくとも 他の意見を知っておかねばならない、と考えたのです。
 
 今までの私の考えというのは、
 1、アドリブはマスターにとって当たり前の作業なのだから、それをわざわざ 強調する意味はない。よって「アドリブマスター」などという表現は妥当ではない。 よってその対極も存在しない。
 2、プレイヤーも、アドリブをマスターと同様にしか使わない以上、 それを軸にしての分類はできない。
 というものだったのですが・・・。どちらも「アドリブマスター」と言う表現を認めて いなかったことが根底にあります。
 
 皆さんのお考えをお聞かせ下さい。
1998年04月13日:19時53分37秒
アドリブマスターについて回答御礼と定義 / 鏡
 metralさん、SHiNさん、ぴゅうたさん、ねこぱんちさん、鍼原神無さんへ。
 皆さん、お答えいただき有難うございました。
 
 あの質問をした背景には、私が抱いた疑問の他、諸氏のやり取りの中で本当に 同じ意味で使われているのかどうかを不安に感じたということがありました。
 
 その後、sfさんの力作「TRPG百科事典」の存在を思いだし、あわてて参照した ところ、同項目が存在しましたので、以下に抜粋します。
 
>アドリブ
>ad lib《用語》
> ラテン語の任意にという意味の ad libitum から来たらしい。英語では台本にないセリフをしゃべる事、ジャズな
> どの即興演奏のことだ そうです。この意味からいえば、TRPGをプレイする事とは、それ自体 アドリブの集積
> だといえるかもしれません。
> TRPGではシナリオで用意されていなかったデータや設定を即興で作 成したり、PCがシナリオからそれた行動
> をしたさいにもともと用意し ていたシナリオの方向に誘導したりする作業などを指します。
> アドリブはマスターが行なうものを指す用語であって、プレイヤー の行なう事はアドリブとはとくに呼ばないよう
> です。これはあらかじ めシナリオ作成などによってストーリーの概略を決定する作業をマス ターのみが行なう
> ため、プレイヤーは完全に(本来の意味での)アドリ ブのみでプレイを進めていくためだと推察されます。
 
>アドリブマスター
>ad lib master《用語》
> 単にアドリブの得意なゲームマスターのことを指すこともありますが、多くの場合にはシナリオを簡単なものし
> か準備せず、アドリブ主 体でゲームを進行させていくタイプのゲームマスターを指すようです。
> 準備が不足しているとシナリオの整合性や一貫性、障害の緻密さな どが不足して面白くなくなることも多いた
> め、「あいつはアドリブマ スターだ」なとどと言う場合には非難の意が込められていることもあ ります。逆に自
> 称アドリブマスターの場合には、実際には文字化して いないだけでシナリオ自体は頭のなかでしっかり構築さ
> れているとい う人も結構いるようです。
 
 私も含めてですが、同じ言葉に微妙に異なったニュアンスを含めて話していたように思われます。 皆さんのお考えは大変参考になるものでした。重ねて御礼申し上げます。
1998年04月13日:19時05分54秒
アドリブもシナリオも大事やね / YAN/矢野 聡一郎
> SHiNさん
> これはマスタリング研究室の方で以前書いたことだけど、
 
> 「アドリブマスター」も、シナリオを作った方がいいし、
> 「シナリオ重視マスター」も、アドリブの技は 磨いた方がいいと思います。
 
 そうですね。…私、昨日GMやったのですが、アドリブ力の無さというか、「本番での弱さ」を痛感いたしました(苦笑)。
 それほど、緊張してるつもりはないのだけど…修行が足りないなあ。
 
 まあ、どんなことでも「両立させた方がいい」のは間違いないんですが、その分、労力が増しちゃうのが難点です。
 「楽してもうかる方法は無い」とは言え、もちっと要領よく立ち回りたいですね。
1998年04月13日:18時41分32秒
アタシ的権利と義務ワガママふう / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 アタシ、カラオケが大好きなんですけど、よく友達に「おまえは歌はへただけど
カラオケはうまい」って誉められ(?)ます。エッヘン(笑)。
 もしTRPGプレイヤーに義務と権利があるとしたら
アタシ的には、「他のプレイヤーにウケるように自分がまず楽しむ」みたいな。
 アタシ的には自分がまず楽しむの部分が第一なんですけど、これってワガママかしら?
 えと、「不快にさせない」はとても大事ですすけど、もしそのためにセッションがお行儀
よくなりすぎてハジケないとしたら、アタシそれはちょっとつまんない、みたいな。
1998年04月13日:18時02分53秒
義務と権利 / 有馬次郎
浦島フォローを許してください。 やっぱり、RPGやってるのならば、最低限の義務は生じるのではと考えます。
「他の参加者を楽しませる(不快にさせない)」義務

「自分が楽しむ」権利
権利を主張するなら義務は果たさないといけないし、人を相手にするのですからそのくらいは、 守れないと辛いのでは?基本はコミュニケーションですから。
1998年04月13日:15時34分06秒
アドリブマスターのお話混ぜてくださ〜い / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 こんにちわぁ、まぁ、はじめましてのかたがたくさん、「深淵雑談所」から流れて来ました。
お話混ぜてくださ〜い、アタシの場合、マスター経験ほとんどゼロなんですけど(一度だけ
トライして大失敗←ちょっとトラウマってるの)。
 
 えと、とりあえず、アタシがすきな「アドリブマスター」ってお話をしてみます。
 えっと、アタシはトリップ系プレイヤーとか言われちゃてて、「セコセコミッション達成するより
キャラクターのイメージらしく失敗したほうが気持ちいいや」、なんで(セコセコした性
格のPCを作ればセコセコプレーすると思うんですけど、趣味の問題でめったにそう
ゆうのはやんないです;笑)、だから、失敗するときや死んじゃうときに「見せ場」を
くれるアドリブマスターさんが好きなの(はぁと)。
 逆にそうしたアドリブの薄いマスターさんや、かっちりしすぎたシナリオとかはちょっと苦手、
みたいな感じで〜す。
1998年04月13日:11時58分01秒
アドリブマスター / ねこぱんち
 >ぴゅうたさん 
 よろこんでもらえると、ねこぱんちも嬉しいよ。 
 ねこぱんちがゲームマスターしてるのも同じ理由だもんね。 
 人に喜んで貰えることがしいってことだよね。
 >アドリブマスター 
 自分のホームグラウンドは、主にコンベンション巡りなのでそこから見た場合ね。 
 どんなマスターにせよ、多かれ少なかれ”アドリブ”ははいるはず。 
 だからねこは、楽しかったゲームが「実はアドリブだった」と言われても気にしない。それが気にならないくらいたのしかったって事だから。 
 要は”楽しさ”が”ストレス”よりおっきければ気にならない。 
 ただ、 
 A:「システム・ルールを無視する」 
   ねこは○○といったゲームがしたかったのにそれを無視されたら、、、。 
 B:「キャラクターの行動が刹那的にしか対処されない」。 
   キャラクターの努力が、その場のノリで無駄になる。
 C:「寝不足でシナリオ書いてないからアドリブ」 
   先に言ってくれ、、、、。 
 といった”自称”アドリブマスターに何度も遭遇してしまったから、悪いイメージがどうしてもついちゃったの。だからねこは、そんなマスターを”えせアドリブマスター”だと思ってる。 
 逆に言えば、
 D:「プレイヤーの意図・願望を見抜く(または引き出す)事ができる」 
 E:「十分なケーススタディが経験的に蓄積されている」 
 F:「常に、ゲームの”先”を考えて対処してくれる」 
 ようなマスターは、たとえフルアドリブであっても、それを感じさせないです。
1998年04月12日:03時21分13秒
アドリブマスターへの道(笑えん) / ぴゅうた
ども、ぴゅうたです。
 まず、個人的なことを。
  ねこばんちさん、ありがとう。最近、何か書く度に私の一言が色々問題や論争(しかも本題とは関係のない)を少なからずとも起こしてばかりいたので、少々弱気になっていてあんな題名をつけてしまいました。
  なので、あのレスはちょっと嬉しかったです。
  
  さて、本題です。
  アドリブマスターとは如何なるものか?
  
  アドリブマスターと名乗りを上げた以上、自分の例を書かずにはおれませんな。自己顕示欲の弱くはない(婉曲的表現)私ですからな。
  
  私の場合は、仲間内でキャンペーンぶちかますことがほとんどなので、以下の方法はそのような状況の場合のみ適用されます。
  
  事前には、本当に何一つ考えていません(そういうこともあまり無いが、あるのも事実)。そして、マスタースクリーンを広げつつ思い起こします。キャンペーンのテーマを。
  (注)私は、キャンペーンを始める際に、テーマを決めています。(例:「愛」など)
  そして、テーマとは全く関係のない事柄を思い浮かべてスタートします。もちろん、最後まで関係がなくて困るのは私なので、気楽にマスタリングしているように見える時さえ、頭脳はフル回転しつつ、テーマとどう繋げていくかを考えています。
  その際に、PCの行動や自分の言ったことなどで伏線や、つじつまを合わせなければならないことなどを、その場でメモっときます。
  すると、私の場合は、ある一瞬にお話がひらめきます。
  そうしたら、もう大丈夫。メモを見つつ矛盾がないように、ひらめいたお話をやればよいのです。
  このようなことをやっていると、自分さえ知らなかった衝撃の事実、というものが時々出来上がります。しかも、ちゃんとつじつまもあう。(そのうえ、だいたいそういうものはプレイヤーから言われて初めて気がつく)
  
  もちろん、以上の事はプレイヤーには秘密です。もともと考えていたんだよ、って顔をして終わるわけです。
  残念ながら、面白くないお話になる場合もあります。しかし、私は事前にシナリオを用意しようとすると、完璧を狙い過ぎて、膨大な時間と手間をかけてしまいます。
  マスターに向いてないのかも。
  以上が、私の通常のマスタリング風景です。分かりにくいかもしれませんが。
  
  よーするに、アドリブマスターというのは、シナリオそのものがアドリブであるってことだと私は思っている。
  
  長文陳謝。
1998年04月12日:01時18分26秒
皆様へ / 数の子
 ををう。なんか数日の間をおいただけでこんなに書き込みが。
 皆様、励まして(?)くださってありがとうございます。(*^_^*)
 なんかちょこっと照れてます(笑)。
 「語り部日報」見てなきゃ、きっと未だに気づかなかったことでしょう。(^^;
 あれを書き込んだことで、気分は少しづつだけれど持ち直してきてたんです。やっぱり、一人でため込むのは良くないですよね。本当にありがとうございます。(^^)

>YANさんへ
 電話の相手とはその後(っていってもあんまり時間たってないですが)、話はしてないです。
 まぁ、たかが電話でのやりとりだし、彼の言い方は常にあーゆー感じなんだし、と。思っておこうかと(いいのか、そんなんで!)。それで自分のマスタリングスタイルを突如変えても、私が今やっているキャンペーンに参加してくれている友人達が困るだけだし。(^^;
 やっぱり詰まるところ「他人の振りみて我が振り直せ」かな、と。良いところは吸収し、悪いところは改善しながらいこうかと考えてます(今まで以上に)。
 ちなみにその人は私より5才年下です。(^^; やさしい大人モードで話を聞いていたのが良くなかったんだろうか...?

>SHiNさんへ
>馬場さんのマスタリング講座や、ネット上の議論に かぶれた人の、勝手な言い分じゃないでしょうか。
 ...すごいですね。私のあの短い文章でなぜそれが解るんでしょう。(尊敬のまなざし)
 確かにその人は馬場さんのマスタリング講座を読んでます(苦笑)。...しかも、読ませたのは私ってところがなんとも...。若いからすぐに影響されるんでしょうね。
 実際、マスタリングにしろプレイングにしろ、自分のスタイルを確立するための参考情報が、インターネットやパソコン通信でもやっていないと少なすぎてかわいそうだと思ったんですよ。それで「こんなのがあるよ」と見せたところ、いたく感動してまして。その時は「良かったね」と思ってたんですけどね。こんな風に、よかれと思ってやったことが裏返しで返ったことは初めてでした。(^^; 

#そういえば、あんまり友人からマスタリングでの不満って聞いたことないな...。うみゅう。
#しかし、なぜTRPGをやるひとには、ああいった「俺の知識/やり方が絶対正しい。間違っているのはそっちの方だ」と言い切れるひとが多いんだろう...(別に答えは複数あってもいいのに。不思議だなぁ)。
#ついでに、上記のタイプは人を傷つけても、傷つけたことに気づかない人が多い...。「自分の意見を述べて自己満足型」かな? その人はそういうタイプではないと思ってたんだけどもなぁ。うーむ。

 とりあえず、おさわがせしました。まだ時間かかりますけど1・2週間くらいで回復しますんで。(^^;; おそらく。
 乱筆乱文(しかも、私にしてはかなりの長文)おつきあいいただき、ありがとうございます。
1998年04月11日:15時51分37秒
追補 / SHiN

これはマスタリング研究室の方で以前書いたことだけど、

「アドリブマスター」も、シナリオを作った方がいいし、
「シナリオ重視マスター」も、アドリブの技は 磨いた方がいいと思います。


アドリブマスターの本来の使われ方は、 学生のころとか、狂ったように、毎日TRPGをやりたがった 時代ってみなさん、ありましたよね?

そんなとき、マスターは、「無理だ、毎日、シナリオなんて 作ってるヒマあるもんか」って言ってたはずです。

そんなとき、
「アドリブでいいよ、アドリブで!」って感じで、 アドリブマスターが誕生したんじゃないかな?

特にD&Dとかが出始めのころは、それで、よかったんですよ。 だって、ダイスさえ振れればプレイヤーは、それで楽しかった んだもん(笑)

ところが、みんな、舌が肥えてきて(食傷してきて?) ダイスをふる以上のものを求めるようになってきた。

そうなると、いわゆる「アドリブマスター」は、嫌いに なってくる・・・・

一方、かつての「アドリブマスター」の方は、 楽して、プレイヤーが楽しんでくれるんだから、それが、 もう、からだにしみこんでしまう。

しかも、一部の人間は、それでも、十分、慣れてくると
「俳句」のごとく、その場で、ある程度、浮かぶように なってくるので、シナリオ作りなんて面倒なことは しなくなるんですよね。

もう一度ハッキリいうと、

アドリブマスターも、シナリオを作った方が「ベター」です。
シナリオなしで「やれる」ことは、確かに自慢になるかも しれませんが、
シナリオなしで「やる」ことは、ただの手抜きです。 自慢できることではありません。

また、事前に設定した周囲の状況から、その場、その場で プレイヤーの行動結果などを加味していくタイプのアドリブは、
別の呼称が必要でしょう。

状況追記型って言葉、誰かつかってたっけ? まあ、わたしは、あまり、いい名前うかびませんでした。
1998年04月11日:15時05分37秒
エトセトラ / SHiN

ほんとは、GMの義務なんてものはないし、
プレイヤーの権利なんてのもない、って私は思うのです。

結局、義無や権利なんてものが生じるとしたら、
それは、個人対個人の関係の中でしかありえない。

「あのプレイヤーは、いつも、積極的に参加してくれてる のに、私のシナリオは、いまいち、好みにあわないみたい。 かっちり作りこんだシナリオが好きらしいし・・ たまには、そういうシナリオもやってやるか。」
ってケースはあるだろうけど・・・
別に、何の恩も義理もない相手から、
「ちゃんとシナリオを作るべきだ!」って 言われてもねえ・・・

そういう要求を出せるのは、プレイヤーの権利なのかな?

私が思うに、要求には代価があるべきで。

権利を主張するなら、義務を果たせ・・ではなく、 代価をよこせ!が正しいんじゃないかと思います。

もっとも、この代価は、
一生懸命シナリオをプレイしてセッションを盛り上げてくれる ことでもいいわけだけど。 もしくは、GMの労をねぎらうとか、賞賛の言葉とか・・ 欠点の指摘でも、うまくやれば、喜んでもらえるかも。

そういう好感をもて、なおかつ、 得難いプレイヤーの要求なら、GMも飲むでしょう。
義務としてでなく、彼とうまくつきあっていくために。

(YANさん)
>自分もそういう押し付けがましいことを言 ってるかもしれないですね…(強要はしてないはずだけど、虫の良い提案あたりは、や ってるかも…)。

別に、自分の周囲を、自分の理想通りに作りかえようという 試みは、人間の動機として、当然、納得いくものだと 思います。このこと自体、私は悪いとは思いません。

ただ、その相手に対し誠実であろうとするなら、 その提案が、基本的に、自分の利益を考えてのものである・・ ということを、はっきり言うんでしょうね。
そして、その上で、「私だけでなく、あなたの利益にも なると思うのだけど・・」という形で、提案する。

まあ、商売と同じです。

「一緒に儲けましょう」でなければ、パートナーシップ なんて得られない。現実のビジネスなら、 力関係から、強引にねじふせることも可能だけど、 遊びをベースにつきあう、対等な友人に、それを行うのは、 双方にとって不幸なことになるでしょうね。

(hatさん)
>いや(^_^;言い方悪かったので言い換えると、公正な立場として、プレイヤーに罰を 与えるようなことってできるんでしょうか?

MARSさんもおっしゃってるとおり、 シナリオを、かっちりした形で作るか、 アドリブで処理するかと、 プレイヤーに対し、公正であるかどうかは、まったく 無関係だと考えます。

(一般的なイメージの)アドリブマスターが、信用とか信頼を失うとすれば、 それは、プレイヤーが
「自分の行動は、シナリオに、ほとんど反映されないのでは ないか?このシナリオの結果は、マスターの勝手に決めたもので、 私たちの行動は、まったく無関係なのでは?」 と思いはじめること。

これは、逆に、シナリオをきっちり作るGMに見られる 傾向と思えます。

プレイヤーの行動の結果を、自分に都合のいいように、 処理しようとするタイプのアドリブは、プレイヤーから 不評をうけるでしょうが、
プレイヤーの行動の結果を、公正に、セッションに 反映させるようなアドリブは、プレイヤーから、 好意を持って受け入れられるはずです。

アドリブというものは、
「する、しない」、で語られるものではなく、
「良いか悪いか」で、本来語られるものだと思います。

そろそろ、アドリブマスターという言葉の定義を 見直したほうがいいんじゃないかなあ?
1998年04月11日:08時46分59秒
Re:「アドリブマスター」って何? / metral
 どもmetralです。

「アドリブマスター」って良く口にしますが、実際人によって
大きく認識が違うと思います。どこかに明確な定義があって
それを遵守して使用しているわけじゃありませんしね

(実は有ったりして(^^;)

 私が、「アドリブマスター」というときには大体次のようなことを
考えています。

・シナリオは(ネタ以上のものは)用意していない

・プレイヤーのリアクションによって、ストーリーの性格は全く変化する

・シナリオ準備が要らない分、その日のマスターの体調精神状態に

 左右されるウェイトが高い

・「ゲーム」より「ロールプレイ」を重んじる。逆をやるのは難しい

( ”この場合”の「ゲーム」とはシミュレーション性や、戦闘における戦術面の
優劣を競うものを指す。”この場合”の「ロールプレイ」とはドラマやごっこ
遊び的な部分を指す)


 私がアドリブマスターを前面に押し出しているのは、このやり方が性に
合っていて、しかもそれを自慢に思っているからです。

 以前SHiNさんに指摘されましたが、この自慢はすごく甘美な誘惑です。

 ”私の場合は”、自己顕示欲の現れであると思ってます。

1998年04月11日:01時58分05秒
成長、義務、強要に対する肯定 / 鏡
 私は標記三件の用語に対しては肯定的な見方を持っています。
 
 私はプレイヤーとしてもマスターとしても「成長したい」と考え、日々努力するように 心掛けています。誰とでも最高の時間を過ごせるようになりたいからです。それには 技術の習得のみならず、方法論の確立が必要ですが。
 もし誰かに「成長しなくても今楽しければ良いじゃないか」と言われたら、残念に思う でしょう。なぜならその者は私と今以上の楽しみを得ることを望んでいないことに なるからです。すべてをRPGに捧げるのは無理ですが、可能な範囲での試行錯誤 はすべきだと考えます。
 
 マスターのみならず、「すべての参加者には互いに楽しませ合う義務がある」と 考えます。「義務」と言う語の意味するところは、「そうあるよう努力すべきだ」という ことです。(ですから、MARSさんの意見には賛成です。)
 もちろんそれには失敗が付物です。しかしその失敗は検討課題となり、努力を 実らせる助けになるでしょう。義務を互いに課す者はその失敗を許し合うことが できる、という前提の下にではありますが。
 
 私は自分のスタイルを他の者に強要できるようになりたいと思います。それが 理想です。ただし、今の私のスタイルは、それができるレベルには遠く及んでいません。 これは非常に残念なことですが、いつか克服したいと願っています。
 
 以上、私見を述べました。こういう意見の者もいるのだ程度にでも覚えていただければ幸いです。
1998年04月11日:01時08分21秒
「アドリブマスター」って何? / 鏡
 基本的すぎて恐縮する疑問なのですが・・・。
 
 「アドリブマスター」って何ですか?
 
 アドリブなしにマスタリングするのは不可能だと思うので、 わざわざそれを前面に出す意図がわかりません。
 可能性として「他の者ならあらかじめ決めておくであろう事柄も、その場で 決めてしまうマスター」と読み取れるのですが、そうなんでしょうか?
 
 「私はアドリブマスター」と自称しておられる方に説明していただけると有難いのですが。
 ・・・ほとんどの方は承知の事なのでしょうけれど。

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