TRPG改善委員会 LOG 001
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TRPG改善委員会の開設以来1998年01月06日までのログです。
1998年01月06日:22時59分48秒
ふと思う事 / 寺田大典@BLOSSOM
サークルで遊んでいると、そういう事が起こらないのが当たり前になってしまうんだけど、コンベンションなどで「お互いの考えているTRPGの相違」は結構問題になりますよね。難しい話ではなくて、「うわっ、マスター紹介だとこーゆーマスターとは思わなかったが......」てな事です。経験が培われてくると、GM紹介だけで「合わないGM」が分かってくるんですが、初心者の方やコンベンションに行かない方は難しいでしょうし、慣れていても更に難しいでしょう。(だから事、昔からコンベンションは当たり外れがあると言われてきた訳ですが)なので、「GM紹介の効果的な仕方とGM紹介からのセッション内容の判断方法」って結構重要なのではないかと思う次第です。
逆説的に「あ、自分はまずい紹介をしていたのか!?」という事も分かったりするかも。今日はちょっと考えつかないので、今度具体的な内容を書きますね。
うーん、常識関連の話に関しては、「その卓にいる人の事を良く知らなければ、その卓の全員のTRPGの経験、その日に行うシステムの経験、年齢の三つを事前に聞いて、最も低いレベルに合わせての説明を心掛ける」というのが昔コンベンションに良く行ってた頃のテクニックでした。プレイヤーの立場であれば、限定された時間内で楽しもうとするべきコンベンションであれば、自分が持てる最大限(様々な意味で)を発揮できる事を期待するのがまずいのであって、それは仲間内or余裕の時間を取って行うべきだと思います。
また、よくある話ですが「議論とTRPGは違う」のですから、議論を引き起こすレベルの対立を引き起こすのは普通のRPGでは避けるべき。ただ、そういったRPGも「アリ」だと思いますし、その場合は、「それゆえのデメリット」を覚悟できる人を集めて覚悟して行えば良いのではないでしょうか。セッション中途で死んでも、行い事が行えたのならOKという風に。
1998年01月06日:22時38分53秒
初心者に関して / 寺田大典@BLOSSOM
明けましておめでとうございます。いつの間にかに、このボードも活発になっているようで、私も御邪魔させてもらいますね(^_^;)。
nonakaさんに対する質問のレスです。
>1.初心者を「こちらがわ」に引き込む方法があれば教えてください。またはあなたはどうしてこの世界に?
私は、具体的には、現在のTRPGで考えれば二タイプあると思います。一つは、お約束的RPGが理解できるオタクな人にお約束的RPGをノリノリで楽しんでもらう。
二つ目は、アニメやマンガなどにあまり親しくない人を誘うのであれば、ゲーム性を強調したシステムからの行動の強制が少ないRPGを遊ぶという事です。
うーん、あとは「ナンパ」と一緒だと思うんですよ。不遜な言い方をしますが、同じセッションを同じ場所でやっても人を再度呼べる人と二度と来ない人っていると思うんですよ。つまり、「RPGは面白いから人は後からついてくる」という考えでなく、RPGに直接関係しない部分にも気を配った方が良いと思います。
>2.初心者が「こちらがわ」に来られなくしているものがあるとすれば、それは何だと思いますか。
他の人も書いていますけど、やっぱ「オタクっぽさ」では無いでしょうか?あと、「面倒臭さ」かな(そういう事が少ないゲームもありますけどね)?
>3.初心者向けのゲームについて、あなたが重要なポイントだと思う点をあげてください。
分かり易さです。私は、初心者向けのゲームは、陳腐でも良いと思っています。初心者の1回のセッションで必要とされるのに充分な奥の深さだけあれば良いと思うのです。慣れてくれば、奥の深いゲームをやり始めれば良い。覚える事が少なく、システムが安く、面白い。それが初心者に適したシステムだと思っています。
>4.そのほかあなたが「RPG初心者」について思うことをあげてください。
うーん。率直な感想を言えば「かわいそう」と思っています。場があれば、もっとたくさんの初心者と遊び、「RPG」という遊びを知ってもらいたいです。
1998年01月06日:04時22分05秒
過去から持ってきたモノ / KZ
TRPGのための科学技術設定の部屋 LOG 001にクローン問題
についての部分が載っています。
何かもう一度読み直しても寂しいモノになっていると思います。
1998年01月06日:02時02分04秒
用語辞典とかもその一つかなあ? / 蒼
ぴゅうたさんの発言に対してのレス。
ちゃちゃとか入らないもの(ちゃちゃは知っているひとじゃないと雑音になるから)
ならば、用語辞典とかの編纂もその一つなのではと思います。
すでにsf氏がやっておられることですけど。
ところで、どなたかクローン問題とやらがいつ、どこで行われたか教えて頂けませんか?
話がまったく見えないもので。
1998年01月06日:00時52分36秒
長くてごめんなさい / ぴゅうた
勝ち誇って云々は言いすぎでしたね。ごめんなさい。頭に血がのぼって書いてしまったもので。
しかし、(いいわけになってしまいますが)意見を言う前から却下されては、良い心持ちで書ける人もなかなかいないと思うのです。
?・・・冷静になって考えてみると、前回の質問には反省の色が見えない何かがあった訳ですよね。確実な何かが。よかったら、教えて頂けますか?
反省をしたというアピールは難しいものです。関係した事で言うなら、Dr.李さんの言っているように
> ことばの行き違いとか、
>意見のすれ違いからくる不幸はなかなかなくなりませんねぇ。
確かに残念なことです。しかし、だからこそこういう出来事は必要であるとは思いませんか?こういう出来事によって私は自分のコミュニケーションの方法を反省し、これを見ていた人のいくらかの(Dr.李氏のような)人々は、良き道を模索する。
私は、苦しい時にぐらいしか神様を信じない方ですが、信心深い人からこんな話を聞いたことがあります。
「もしあなたが、何の悩みも無く、どんな障害や問題も身の回りにみつけることが出来なければ、『主よ、どうなさったのですか?もう私を信じてはいないのですか?どうぞ私に問題をお与えください。』と祈りなさい。この世において何の問題も本当に無いというのは、生きているとは言えない。」
もう10年ほど前の話ですが、今でもその時のことははっきり覚えています。
私は、全くその通りだと思っています。(神様に祈る云々はともかく)
むう、ちょっとした謝罪だけでやめておこうと思っていたのに長くなってしまいました。すみません。
このままでは、ここに載せるのに心苦しいため、前言を曲げ書こうとしていたことを要約して書きます。
私が、”1+1”で言いたかったのは、前にも出ていました”教科書”の必要性を私なりの意見で言いたかったのです。その執筆の方法も、何人かの人が書くのではなく、”TRPG格言研究室”のように沢山の人の意見を出してもらい、それを有志の何人かの沢山のグループにより、色々な教科書を出してもらって、それから徐々に一つ(若くは数冊)のものにしていけばどうなのかな?ということです。
この方法では時間もかかるでしょうし、混乱もあるでしょう。しかし、こういうものは一朝一夕に出来るものではありませんし、また時間や手間を惜しんだら、これからのTRPGの歴史の重さに耐えきれるものは出来ないと思います。
ここで言う教科書というものは、「常識」の範囲を(よほど突飛な人でない限り)ある大体の方向に向かせるものと私はイメージしています。(ま、一言で言うと、未だよく考えていないということです)
私も、もっともっと多くの人とこの楽しみを共有したいですから、色々考えてみたいと思っています。
もっとも、これ以後の意見を書くかどうかは分かりませんが。
1998年01月05日:08時59分10秒
ちょっとした茶々 / Dr.李
よくあることではありますが、
ことばの行き違いとか、
意見のすれ違いからくる不幸はなかなかなくなりませんねぇ。
残念なことです。
1998年01月05日:08時32分09秒
あーなんとなく / でぶ猫
見えたような気がする(^^;
要するに一つは「常識論」の話ね。
「そんなの常識じゃないか」「でもこれも常識じゃないか」「そんな常識しらねーぞ」
てなやつですな。
(で、「常識」の前に「ファンタジー世界の」だの「サイバーパンクの」だのついたりするわけだ)
こりゃ議論するだけ不毛だし、そもそも「議論」になりませんな。
(だって、お互いに相手の思い込みをやっつけようとしてるだけだから)
でもってもう一つはルールのレギュレーション、と。
こりゃ事前確認しとくものだし、途中で出てもマスターが判断することですな。
1998年01月05日:02時39分22秒
nonoka氏へ / クワバラ
なんともまぁ、また情けない話だったな。
プレイ開始前のレギュレーション決めというものを知らないのか?
今時の非常識な連中はしないのかもしれないが、ちょっと前までは必ず行われていたプレイ前の不可欠な「常識」だったんだが…。
どのルールをどう使うか?
何にどう影響し、どのような変化が発生するか。
これを理解していれば、「今日はこのルールで行くね」と言われてだけで、その日のプレイスタイルが分かるだろう?
例えば、ある種の魔法を制限すると「脱出・撤退」が事実上の不可能になったりするだろう?
マスターが手抜きしてデキレースするならともかく、デキレースと知らないキャラクタを扱っているのだから、何もかも全く変わるだろう?
SLG的に言っても、演技的に言っても、決定に関しても、何もかも全部違うだろう?
退路の確保 (戦闘前の準備) や戦闘に際しての覚悟(殺すか殺されるかしかなくなるからな)が、全く変わるだろう?
こういった要点をプレイ前に「確認」するのは「常識」だろ? 「当然」だろ?
何が「認識論に繋がる大論争」だ、笑っちゃうよ。
君がいままで事前の準備とか確認をしないで遊んできたのは哀れんであげるが、インターネットで世界に向けて青臭さを広報しなくても良いよ。
麻雀なら「ありあり」「なしなし」を決めないで始めれば問題があるだろう?
この辺を決める話を、「認識論に繋がる大論争」だからしない?
始める前の、ちょっとした確認を大論争と呼ぶ辺り、口先ばかりの青臭いオタクだってのがバレバレだな。
それとも、覚えたばかりの理論を振り回したがる小学生的心理?
麻雀した事ある?
ルール決めるとき、大論争だった?
どっか「論争」になった?
そもそも「論争」じゃないんだよ!
単なる 「確認」 だろう!
行き違いがあったら、それは 「確認不足」 なんだよ!
最近すこしはまともになってきたと思って普通にしゃべってきてたんだが・・・
あと、「楽しさ」だけどさ、あれだけ書いても何が楽しさなのかわかんない?
選択肢を出されて、それに対して苦悩したり喜んだりいろいろするだろ?
その選択肢に対して行動して、結果を享受するって事が「楽しみ」なんだよ。
「たのしけりゃいいや」の「たのしさ」と混同してない?
理解できる?
小難しそうな理屈ならべたって何の意味もないぜ?
1998年01月05日:02時37分09秒
RE:出て行けとは言っていない / 陽陰
>>宇津見さん
>そんな事は言っていませんよ。
確かにその通りです。
しかし、人にはそれぞれの、理論展開法があり、それを無碍に切ってしまうのはどうかと思っただけです。
実際、ぴゅうたさんは、「でて行け」と取られたようですし。
1998年01月05日:02時17分42秒
出て行けとは言っていない / 宇津見
陽陰氏へ
> 宇津見さんも、発言した人に対して出ていけはないんじゃないですか?
> まだ、本論にも入ってないのに。
そんな事は言っていませんよ。「以前やった失敗を反省していないようなら、二度とああいった真似は止めてくれ」と言っただけで。でもってぴゅうた氏がそれを「勝ち誇って云々」としか考えられないのも、正直やめて欲しい事ですし。
1998年01月05日:00時35分07秒
ちょっと待ってよ / 陽陰
>>ぴゅうたさん
>私は二度と意見をいいません由。
ちょいと待ってくださいよ、ぴゅうたさん。
誰でも書けるってのが、此処のいいところでしょう。
宇津見さんも、発言した人に対して出ていけはないんじゃないですか?
まだ、本論にも入ってないのに。
ま、好き嫌いはさておき、まだ、不毛な論議には入ってないんだから、「出ていけ」、「出ていく」というような、会話は止めましょうよ。
でないと、本当にいい意見は来ませんよ。
1998年01月04日:23時59分12秒
やめた / ぴゅうた
書こうと思っていましたが、やめました。
一度、意見が飛躍しすぎたと(回りには)思われている人物は、その他の意見であっても、展開の方法さえ制限されてしまうとは。
ま、いいか。無理に聞いてもらわなくちゃいけないような意見でもないし。
”1+1”についてまじめに考えて下さった、蒼さん、 sfさん、ありがとうございます。そして、ごめんなさい、質問投げかけるだけでやめてしまうなんて。
これを見た、クローンの話題の事で私を苦々しく思っている方々、勝ち誇って下さって結構です。
私は二度と意見をいいません由。
では。
1998年01月04日:22時58分00秒
メタ理論ですか・・・ / 鏡
nonakaさんへ。
術語の内、別ページの「RPG百科事典」にあるものは、そこに書かれている意味で扱う、という了解はあるようです。
また術語統一については私も以前他の雑談所で二〜三度提案したことがありますが、その際には特に誰の興味も
ひかなかったようであることを付け加えておきます。
ところで、「考え方の違い」とか「くまさん」とかまでなら分かったのですが、
最近のはちんぷんかんぷんです。門外漢はしばらく黙っていた方が良い、
ということですかね?
少なくとも最近のこのページを見た「初心者」はすぐに逃げ出すと
思います。(茶々のつもりはありませんよ。)
あまり専門用語が出るようなら
このページで続けるべきかどうか考え直した方が良いのでは
ありませんか?「初心者」の件が埋まってしまいそうですので。
1998年01月04日:22時44分41秒
Nonakaさんの質問に対して / 鏡
nonakaさんの質問に私なりに答えさせていただきます。
>1.初心者を「こちらがわ」に引き込む方法があれば
教えてください。またはあなたはどうしてこの世界に?
最近考えていることは「こちらがわ」のふところを“広く”することです。
“深い”のは悪いことではありませんが、“狭い”とどうしても“選別された初心者”しか
相手に出来ないと考えます。
私自身はアドベンチャーゲームがやりたくてコンピュータを買って、一緒に買ってきたRPGの方に
はまって、コンピュータ雑誌(ログインだったかな?)で元祖RPGのことを知って、おもちゃ屋で
新和版D&Dを見つけて買って、近くの友人(マンガ好き)を誘って遊んで、全員もろともに抜けられなくなった、と。
>2.初心者が「こちらがわ」に来られなくしているものがあるとすれば、それは何だと思いますか。
学ばなくてはならないことがあまりに多いことだと思います。
上手く短く説明しないと大抵の人は嫌になってしまう。
ですから私はファンタジーRPGは本当の初心者向けではないと考えております。RPGの遊び手を
ファンタジーにすんなり入れる者だけに限るのでなければ。
申し訳ありませんが、3と4についてはまた後日書かせていただきます。
1998年01月04日:16時10分13秒
世界観の不一致による予測不能性問題 / sf
つらつら見ていて思ったのですが。
今までのTRPGでは、必然的に生じる世界観の違いをどのように解消、どのように対処していくかについてのルールが不足していたみたいですね。違いを解消するための方法論は、議論のための方法論とにたような物なのかもしれないけど、それは詳しくないのでだれか参考になるものを紹介してくれると嬉しいかも。
1+1ですが、単純に解釈してもいくつもの捕らえかたはありますね。図形としてみたら、ひとまとまりの漢字とも見えます(パソコン通信で良く使われた二文字でひとつの漢字を表現する『火暴』で爆みたいなもんです)。数式として把握した場合にも、=0もしくは=10とみる場合もあるのはコンピュータやってればわかりますよね。(なんか1+1=−1な数学体系も合ったような記憶が) テキスト解釈は難しいですわな。
TRPGがゲームとして成立するための条件として、プレイヤーの判断によって生じる結果のある程度の結果の予測可能性が必要になる(予測が困難であればあるほど単なる投機的選択になるが、予測が完全であれば単に作業になる)わけですが、世界観の不一致は予測可能性を減らしてしまう大きな問題なんですよね。
解決策としてのクラス制の利点として言われているのは、何ができるかを明確化したルールにより、できることを組み合わせて問題解決することで、ルールに基づいて展開を予想可能な範囲内に納めることができるからなんでしょうね。スキル制でもきちんとルールを作れば可能ですけど、スキルを増やしていくと人間に把握しづらくなってしまうしわけで……。
1998年01月04日:15時27分36秒
nonaka氏のアンケートに対する回答 / 陽陰
皆様、明けましておめでとう御座います。
新年一発目はまず、nonaka氏への回答をします。
メタ理論関係は、ちょっと脳味噌が拒否してるので、お休み(^^)
ただ、ヴィトゲンシュタインが出てこないことを祈ってます。
>1.初心者を「こちらがわ」に引き込む方法があれば教えてください。またはあなたはどうしてこの世界に?
引き込む方法 − 地道な教宣活動。
どうやって入ったか?
ボードSLGとゲームブックをしてたのが、友人に誘われて。
元々小説が好きだったので、最初にマスターをやらされ、はまる。
>2.初心者が「こちらがわ」に来られなくしているものがあるとすれば、それは何だと思いますか。
偏見、妙なノリ、マニアックな会話、姿形(一部のね)、女性に対するセクハラ等々に代表されるごく一部の人間のオタクっぽさ。
存在のマイナー性。
勧誘の場の不足、専門誌の減少、販売店の減少。
黎明期のように、ボードのSGやゲームブックが存在しないこと。
遊びの形態の変化。
>3.初心者向けのゲームについて、あなたが重要なポイントだと思う点をあげてください。
判りやすいルール、汎用性、書き込まれた世界観、想像を刺激するいくつかの概念(ただし、理解できるもの)、豊富なモンスター&アイテム、豊富な追加シナリオ、キャラクターが出来ることが判りやすいシステム。
ということは、D&D・クトゥルフ・RQあたりになるんだよなぁ。
>4.そのほかあなたが「RPG初心者」について思うことをあげてください。
大丈夫、怖くない。(^^)
イヤマジで。面白いから、やってみな。
面白くないというのは、周りが悪いんよ。
1998年01月04日:14時57分33秒
あえて別のとこから用語引っ張ったのです。 / 蒼
前の書き込みの「コード的解釈・・・」の目的は学問的な用語つかって話し進めたら
結論らしきものがでるのではないかというものです。
言い方かえればわりと簡単
「人それぞれ世界観もってるんだから他の人の世界観も認めていきましょうよ。
世界観の押し付け合いするよりも、少しずつ取り入れてやる方がセッションも楽しいっすよお。」
んな内容自体はたいしたことではないけど。
あえて記号論の用語を使い、わかりにくくなる事は承知の上で書いたのです。
学問にのし上げるのは比較的簡単なんですよね。
理解してくれる人を減らして行けば。
全ての人に理解させようと思ったら生半可な事じゃあすまないでしょうが。
ここまでがnonakaさんの質問への解答かな。
俺はRPGに関してはコードの推論的解釈を重要視するからってことで。
>ぴゅうたさん
>1+1は、何?
えーと、質問の意義には反してるような気がしますが僕の答えは
「1+1=a+b=a*b=?」
ちょっとね。前提のためには1+1≠2としたほうがいいとおもうんだけど。
あえてひねた解答をあげとく。
以前に書いたのも考えるとこうなるっちゅーことで。
この質問、深読みして行くとRPGに対する本質的な質問とも考えられるなあ。
1998年01月04日:07時42分32秒
前振り却下、本題で勝負すべし / 宇津見
ぴゅうた氏へ
クローンの話題の失敗を反省していないようなら、つまらない真似はやめておいてくださいね。
1998年01月04日:02時31分21秒
ネタの前振り / ぴゅうた
こーど的かいしゃく?
(読んでる)
うーん、俺、頭悪いからよく分からないけど、俺なりの意見出したいから前振りをしときます。
そして今度、書き込みたいと思います。
1+1は、何?
この質問は、今私によって出されたもので、過去のものを見ても何にも無いよ。
純粋に”1+1”について聞いているだけだからね。
わがままですけど、沢山の人に答えて欲しいな。
気負わず、簡単に答えてくれてO.K!
んじゃ、また今度。
1998年01月03日:17時00分44秒
失礼しました。 / nonaka
ごめんなさい。二重投稿をしてしまいました。
ちょっとキカイの調子がおかしいようで「確定」のキーをヒツコク押していてなった次第です。
1998年01月03日:16時47分37秒
re:コード的解釈から見た(T)RPG / nonaka
蒼さんのご意見を拝見させていただきました。
明晰でよくまとまっている模範的解答だと思います。
「くまさん問題」の結論的なご意見なのではないかと考えています。
ところでまとめの項の「コードの統一」についてですが、蒼さんはプレイの現場において世界観の統一を進める事に
否定的な見解を示されていますが、理論研究の分野においてはどのようにお考えでしょうか。
前回、私はパラダイム(ある期間を通して科学研究者の集団に問題や解法のモデルを提供する普遍的に認められた科学的成果)という言葉を使って「理論言語」の統一を提案しましたが、この文脈からでも言葉の統一は難しいでしょうか。
急いで回答のいることでもないので、お手隙のときにでもお答えいただけると幸いです。
あと今更ですが僕の設問の拙さ(現場の例からメタ理論の問題を引きだそうとしたり、現実問題とのとりあわせがおかしかったり)のこともお詫びします。
ごめんなさい。ややこしくしてしまいました。
1998年01月03日:16時46分25秒
re:コード的解釈から見た(T)RPG / nonaka
蒼さんのご意見を拝見させていただきました。
明晰でよくまとまっている模範的解答だと思います。
「くまさん問題」の結論的なご意見なのではないかと考えています。
ところでまとめの項の「コードの統一」についてですが、蒼さんはプレイの現場において世界観の統一を進める事に
否定的な見解を示されていますが、理論研究の分野においてはどのようにお考えでしょうか。
前回、私はパラダイム(ある期間を通して科学研究者の集団に問題や解法のモデルを提供する普遍的に認められた科学的成果)という言葉を使って「理論言語」の統一を提案しましたが、この文脈からでも言葉の統一は難しいでしょうか。
急いで回答のいることでもないので、お手隙のときにでもお答えいただけると幸いです。
あと今更ですが僕の設問の拙さ(現場の例からメタ理論の問題を引きだそうとしたり、現実問題とのとりあわせがおかしかったり)のこともお詫びします。
ごめんなさい。ややこしくしてしまいました。
1998年01月03日:16時46分13秒
re:コード的解釈から見た(T)RPG / nonaka
蒼さんのご意見を拝見させていただきました。
明晰でよくまとまっている模範的解答だと思います。
「くまさん問題」の結論的なご意見なのではないかと考えています。
ところでまとめの項の「コードの統一」についてですが、蒼さんはプレイの現場において世界観の統一を進める事に
否定的な見解を示されていますが、理論研究の分野においてはどのようにお考えでしょうか。
前回、私はパラダイム(ある期間を通して科学研究者の集団に問題や解法のモデルを提供する普遍的に認められた科学的成果)という言葉を使って「理論言語」の統一を提案しましたが、この文脈からでも言葉の統一は難しいでしょうか。
急いで回答のいることでもないので、お手隙のときにでもお答えいただけると幸いです。
あと今更ですが僕の設問の拙さ(現場の例からメタ理論の問題を引きだそうとしたり、現実問題とのとりあわせがおかしかったり)のこともお詫びします。
ごめんなさい。ややこしくしてしまいました。
1998年01月03日:01時23分06秒
一方現実問題としてみたくまさんへの対応。 / 蒼
人食いくまさんか手負い/子供を抱えているなど気が立っているくまさん以外だったら
大声を揚げる/爆竹などで大きな音を立てるなどして驚かす方が現実的です。
なまじっか背を向けて逃げ出したりしたら、逆に追いかけられて一撃です。(反射的に)
くまさんの走るスピードは結構速いんです。
故に逃げ出すのは必ずしも得策とは言えません。
意味のないことですが。いちおう。
1998年01月03日:01時12分52秒
コード的解釈から見た(T)RPG / 蒼
「制限だけじゃあ」、「制限なしにやっては・・」って訳でもない。
「効率性の重視」が間違いとは言わないが、それだけが良いとは思えない。
そして誤解が無ければそれで良い?
全ては容認できない、でも制限だけじゃあ何も生まれない。
曖昧にすればすむことじゃあない。
だが明確に分けられるものとは思えない。
では、視点を変えて見てみれば一面は見えるかもしれない。
というわけで考えたのが(不達につきURL削除)これ
これだけじゃあないとは思っていいるけどね。
1998年01月02日:18時43分22秒
くまさんによる共約不可能性への挑戦 / nonaka
最近「くまさん」問題にいただいたお答えへのレスです。
ええ実はこの問題には元ネタとタクラミがありまして、それに向けての誘い水にネタ振りをしてみたのですが、どうにも予想外の反応も引き起こしてしまって
驚いています。いや、まぁ別の意味で面白かったりしたのですが(とくにでぶ猫さんのマスタリング論が面白かったです)。
自分が「くまさん」問題でやりたかったのは言語学なんかでやっているパラダイム論でした。
「違うパラダイムに属するものどうしは互いに相容れることができない」
…というクーンのパラダイムの共約不可能性の議論です。この分野ではもはや古典になってしまったようですが。
ひとつの言葉もそれを構成する概念が違えば伝わらんよ(というか違う言葉だよ)、というハナシ。
事物に関しては「くまさん」問題さえ伝えられない可能性があるよ、さらにゲームに向かって還元すればさらに伝わらんよ、ということを指摘したかった。
例えば、有名な「馬場理論」ですが(今回の完結編、刺激的でした)これも「ゲームの本質は意思決定である」という「馬場パラダイム」を理解していない人にとっては、なんか偏った
理論的整合にしか見えないのではなかろうかと思います。あるいは数学やってる人がいうところの「証明をフォローしただけ」状態、文脈の理解には至らない状態にとどまるか(馬場亜流の大量発生が結構この事実を物語るのではないかと)。
さて、こちらの場所をお借りしてモノを書くようになってから常々思っていたことは、議論にあたって皆様の使っている言葉の概念が違いすぎている、ということでした。
ために誤解があったり、生産性のない議論になったり、トリビアルになったり、言葉あそびやトートロジーや喩えの詭弁にハマったり…。
「こりはあかん」と思うたワケです。まずは同じ言葉でハナシをせんと。
かくてくまさんなる次第。なんとかツボついたろ、と。ツボついてRPGにメタ理論(超理論。理論そのものの研究。ここではRPG研究の基本になる概念の構築を指す…指せればいいなぁ)の分野を起こしたろ、と。
幸い陽陰さんという優秀な論敵にも恵まれたことですし、戦線構築にかかろうとしたのがクレまでの活動でした。とにかく共通理解のある言葉、概念をつくる。
結果、同意をとりつけることができるにしてもできないにしてもよし。とにかく係争に値する言葉の概念をつくる、と。
ええ、正確に言葉の本来の「一義的」ではないにしても多義性・曖昧性を減少させることには意味があるんではないかと。
ひとつの言葉にいくつもの意味がない→誤解がない→効率がよい、と。
「教科書」と呼べるようなものが存在するグループではどこでもやっている作業です。
今回はその実験編でした。
…これからRPGは大規模な再開発をして環境を整えなければいけない時期にきていると考えます。
初心者がこちらがわに渡れるようなでっかい橋を、それから大陸へ続く長く大きな道を。
作らないことには自然減で人がいなくなる。MTG国へみんな出ていってしまう。
それはまずい。工事はなんとしても成功させねば。
で、この工事を成功させるために現地測量にかかりました。
ここぞという場所にポールをもって立つ。
んで、こちらの掲示板に来られている測量士のセンセイに計ってもらう。
これが今回の試み/タクラミでした。
1998年01月02日:16時36分24秒
あけましておめでとうございます / nonaka
皆様、本年もよろしくお願いします。
さて、今年の一発めは陽陰さん−でぶ猫さんのラインで浮上した「初心者」のお話でいきたいと思うのですがいかが。
RPGの環境改善のための構造的なアプローチ。いいなぁ。建設的だなぁ。
皆様のご意見をお聞かせください。
1.初心者を「こちらがわ」に引き込む方法があれば教えてください。またはあなたはどうしてこの世界に?
2.初心者が「こちらがわ」に来られなくしているものがあるとすれば、それは何だと思いますか。
3.初心者向けのゲームについて、あなたが重要なポイントだと思う点をあげてください。
4.そのほかあなたが「RPG初心者」について思うことをあげてください。
こんな具合でどうでしょうか。アンケートではありませんのでご自分で答えやすい質問だけをお答えいただいて結構です。
愚問ゆえに賢答を期待しつつ。では。
1998年01月02日:16時03分35秒
麻雀にたとえるなら / nonaka
クワバラさんへのレスです。
麻雀の例を引いてお話いただきましたので、同じ麻雀の例から意見を。
私が出した「くまさん」のお題は複数の「真理」がひとつのテーブルに存在する状態についての問題提起でした。
麻雀に例えるなら「アリアリ」と「完全先付け」のふたつのルールがプレイヤー間の了解のないままひとつの卓で混在しているという状況についてのハナシということになります。この状況でゲームを進めるための方法を問おう、と。
…で、麻雀の場合はどちらのルールがお好みでもプレイヤー間の協議によってルールの統一をすることが可能だが、RPGの場合は往々にして個人の世界観が評価基準となってしまうためにルールの統一は不可能だ如何せん、ということを言いたかったわけです。
>失敗に気付いたら、誤って改善すればよいのです。
そうですね。無用のトラブルは避けるべきです。あくまで遊びなのですから。
「アリアリ」でも「完先」でもいいじゃないですか。楽しければ、ねぇ。
「楽しければ」、ですか。
自分のアイデアがマスターの理不尽なジャッジメントにツブされた場合、それでもいRPGは「楽しい」か?
確定していないタンヤオ・ドラ3にマンガンを請求された場合。「完先の人」にとってその麻雀は「楽しい」か?
麻雀なら牌を倒す瞬間までにはルールの共通理解が成立しているのが普通ですが、RPGではそれができません。
私は「ルールが混在している。これでは困るので方策を考えよう」という現況の整理と試案の提出方向で話を進めています。
クワバラさんは「アリアリは楽しい。ルールはアリアリがよろしい」という変革の方向で議論を進められています。
…これでは議論になりませんね。かみ合ってないです。
あえて僕がクワバラさんの考えに反論を加えるのならこの論争は認識論から始まる大戦争になります。
でも僕はそういう「大戦争」は避けたいです。
やっても僕の利益になりませんので。
重ねてこの場でやる議論でもないのではないかとも思います。
1997年12月31日:02時26分03秒
RPGの補完 / でぶ猫
馬場秀和氏のマスタリング講座でも指摘されていることですが、TRPGは
シナリオによって補完されることで初めてゲームとして機能します。
すなわち、TRPGを遊び続けるために見逃せない要因としてシナリオの確保と
いう問題があります。ところが、おもしろいシナリオ、破綻しないシナリオを十分に
確保できるほど市販シナリオがない場合、自作ということになります。
これは初心者に限らず、かなりやりこんだ人にも大変なところがあります。
(知らない間につまらないシナリオを連発して気付かない危険もあるんですね)
この点で、FEARのトレイダーズはイベントピースという形でシナリオを構成する要素を
部品化して、あたかもレゴブロックのように組み合わせることで導入をやりやすくしたり、ランダムな
イベントを用意できたりして、ゲーム性を高める上で興味深い試みと言えるでしょう。
(欲をいえば、あと一歩踏み込んだ工夫が欲しかったような気もしますが)
しかし、このようなRPGの構造化は歓迎できることです。
ゲームそのものについて着目してみれば、初心者向けのシステムとはどういうものかという点に一つの
問題点を見出せます。
すなわち、それは「初心者にはおもしろく、RPGをやりこんだ者にはおもしろくない」ゲームなのでしょうか?
それではただの「子供だまし」でしょう。ゲームに対してセンスのある人なら「なんだこんなものか」でRPGにそれ以上踏み込んで
こない危険のほうが高いでしょう。それでなくとも、初心者が「RPGなんてこんなものか」と早々に見切りをつけてしまいかねません。
もし、そんな「初心者向け」TRPGがあるなら、それは新規ゲーマーの獲得という目的を達成できないばかりか、かえってRPGから遠のかせる
有害なシステムということになります。
では、どんなゲームがいいのでしょう?
初心者をして「RPGとはこんなに奥深いのか」と思わせ、挑戦する意欲を持たせるシステムです。
そのようなゲームは、初心者ばかりでなく、RPGをかなりやりこんだ人間にもおもしろいシステムでしょう。そして、多くの競技人口を有している
システムと同じようにある程度のプレイヤー間のディレンマを感じるものがよいのではないかと思います。
(先立って例にあげたトレイダーズは、完全協調型で、ディレンマをもたらすのはイベントピースのみという状態です。ここはナポレオンのように、
利益を同じくするもの、異とするもの、無関係なものが不明確でプレイヤー間にもディレンマが発生するほうが
盛り上がりがあってよかったのではないかと思っています)
結論をいえば、本当に初心者むきのゲームとは最も洗練されたゲームと言えるでしょう。
(洗練されたゲーム、には ルールが明快 という項目も追加して評価してます)
1997年12月30日:21時37分39秒
人は環境に適応するのではなく環境を適応させる生き物 / 陽陰
>>nonakaさん
>「RPGの環境改善には何が必要か」
に対する回答を、遅ればせながら。
実は、大掃除が嫌になったので気分転換に。
現状における問題点はまず、入ってくる人より出ていく人の方が多いということでしょう。
これが、集団として不健全になる一番大きい原因です。
これは、ひとえに、以下の理由によると思います。
1.「初心者/初級者向けのシステムの不在」
天羅や深淵などは、今のニーズに合っているが、実は、初心者などには向いていない。
同じ理由で、セブン=フォートレスや熱血専用、番長学園、マギウスも、癖が強いので、RPGの入門にはあまり向いていない。
つまり最近出たゲームで、初心者向きのものが少ないというか、殆どない。(放課後怪奇クラブぐらい?)
D&DやT&T、RQ、クトゥルフなど過去の名作(日本では手に入りにくいという意味ね)に匹敵する初心者向けのゲームが少ない、というか、あまりやられていない。
2.「基礎的な手法の未確立及び、入門書・How toの減少」
過去のように、予備軍を育てるゲーム(ゲームブック・ボードSLG・マルチゲーム等)がほぼ消滅しているのに、入門書のたぐいが殆ど絶版状態である。
これでは、新たに始めることが難しく、試行錯誤以外の手法の研究にも支障をきたす。
特に、シナリオ作成などのマスタリングに関する手法が新たにGMを始めた/始める人に伝わっていない。
3.「その他殆どどうしようもないものたち」
時代の変化、コンピュータRPGという同名異曲の台頭、勧誘の場の不足、高齢化(20台・30台に向かってそれを言うのはとも思いますが)、オタクと呼ばれる人達による浸食(それ自体は悪いことではない)、メーカーの脱落、適正な進化からの逸脱、商業的失敗等々
悪意に満ちているように見えるかもしれませんが、システム等をけなしているわけではありませんし、昔は良かった症候群でもありません。
そして、環境改善には、1.および2.の点に対する対応を考えることが一番だと思います。
1997年12月30日:01時10分06秒
くま / 鏡
あまり深く考えずに、私の対処法も。
>森の小道を単独行するPC(LV1)が「偶然の遭遇」で冬眠前の熊に出会ってしまったとします。
>PCがその場で死んだフリをした場合。
>あなたがマスターならどんな形の裁定をしますか。
寝たふりをしても無駄だ、ということをプレイヤーが知らないことは明らかなので、
「熊は本当に飢えている時は死体でも腐ってなければ食うそうだよ(根拠無し)。その熊の腹具合は君の幸運で決めようか。」
(幸運判定もしくはそれに類する判定をさせる。成功なら満腹の熊は(PCに小便でも掛けてから)姿を消す。失敗なら、次へ。)
「失敗?その熊はよだれを口からあふれさせながら近づいてくる。大きな腹の虫の音まで聞こえてきた。どうする?」
そう言って最初の行動の結果を一旦出して、しばらく考えさせ、何か行動するよう促します。
これで何も行動が無ければ「じゃあせめて不味そうに死んだフリが出来るかどうか演技判定」をさせるか、
さもなくばそのPCが骨になるまでの熊の動作のひとつひとつを丁寧にじっくりと時間を掛けて描写し続けます。
それでも何もしなければ「骨」ですね。
行動を決めるまでじっくりと追いつめ続けるのが私のやり方です。
(「くま」というと最近ポストペットのモモのイメージが強くて想像して笑ってしまった。)
1997年12月30日:00時47分21秒
失敬:でぶ猫さんへ / クワバラ
いや、書いてる最中に同じようなタイトルが発生しているとは・・・
分かってもらえると思いますが、でぶ猫さんへのレスではありません。
失礼しました。
1997年12月30日:00時41分04秒
RE:くまさん / クワバラ
超長文スマヌ
半殺しにして、なにか救済策を打ちます。
ただし、私がマスターなら最初からそんな選択肢を与えません。
プレイヤーに選択肢を与え、あるいはマスターから選択肢を与えられ、プレイを (馬場講座で言えば意思決定を) 楽しんでもらう (楽しむ) 。
これがゲームです。
彼が受ける結果がいかなる物であろうとも、彼らは自分の意志で下した決定を(決定に対する対処を)受け止めなければいけません。
順番が変わるだけで、マスターもプレイヤーも同じ事です。
例えば麻雀で、親のリーチに何を切るでしょうか?
何を切るかは知りませんが、通れば通るし、当たれば当たりです。
出た結果が嫌なものだからと言って、
「それチャイ!」(注:見逃してくれよ!、の意)
とでも言うつもりですか?
言われたとして認めますか?
通ったときに自分の意思決定に快感(楽しさ)を得られるのは、当たったときの痛みを受け入れられるからです。
親の倍満だからイヤとかピンフのみだからいいやとか、そんな事を言うつもりですか?
ですから、どんなプレイヤーやマスターがなんと言っても関係ありません。
ただし、TRPGは麻雀ではありませんから違う解決方法が必要です。
麻雀なら単に連荘が発生するだけですが、TRPGではプレイヤーにとって今日のプレイは終了です。
場合によっては全体のプレイが終了です。リスクは同じです。
これは面白くありません。
楽しんでもらうための意思決定ですから、死んでも楽しければ良いと言えますが、今日、この先にも味わうはずだった楽しさ全てと引き換えに出来るほどだったかを考えるべきです。
引き換えに出来るならばそれでよし。死のうが何しようが好きにして下さい。
その日のゲームは成功でした。
そうでないなら、継続して楽しみに出会える(つまりゲームを、意思決定を続けられる)ようにして下さい。
ですから、最初に言ったような回答になります。
TRPGはゲームですから、参加者全員が参加者全員を楽しませなければなりません。
上手下手はともかく、かくあるように努力するのです。
二択 (などで) でキャラの運命が決まるようなら、コインを弾いて今日のプレイの結果を出せば良いでしょう?
最適手以外の選択をしてしまった時点でプレイが終わるようなら、それは紙芝居をどこまで見られるかということに過ぎません。
どうせマスターが助けてくれると思っての意思決定は、それはゲームではありません。
デキレースというのです。紙芝居と言うのです。
さて、問題の根本を考えましょう。
>プレイヤーの「真理」と対立することになります。
真理の対立などと言うものを起こす事自体が間違いです。
無作為な遭遇で今日のプレイを終わらせ、なおかつそれが今日のプレイと比較して面白さの相対量を超えないのであれば、その遭遇を引き起こした事事態が間違いなのです。
最初に言った通り、全員が楽しむ事を目的とした「ゲーム」というものの中で、楽しみを一方的に(高確率で、とでも言い換えるか?)奪うのなら、それはゲームをだいなしにします。
ですからそのような事態 (真理の対立とやら) は引き起こしてはいけません。
「だが、実際問題として起るじゃないか。長いだけで解答になってないぞ」
失敗に気付いたら(何が失敗なのかもうお分かりでしょ?)、謝って改善すれば良いのです。
判断基準は、楽しさの量です。
ただ、プレイヤーはちょっとだけ待ってみるべきです。
「今はこうなっているけど、このまま進めばすっごく面白い展開になるんだから勘弁してよ!」
つまり、「いきなりだが、君たちは牢屋にいる」 と言うシナリオスタートと同じですね。
こういうパターンでないとしたら・・・
悪いマスターに従ういわれはありませんし、プレイヤーはプレイするメンツの改善を口にするべきです。
1997年12月30日:00時33分44秒
くまさん / でぶ猫
そういや、うちの子のグッヅは熊しばりだなぁ
とと、関係ない親馬鹿披露はおいといて。
森の中でワンダリングくまさんにあった場合どうなるか・・・
これは現実がどうとかいうべきでなく、そのゲームがどんなゲームであるかを
考慮して処理すべきではないでしょうか?
一つ間違えば容赦なく殺されるゲームであれば、プレイヤーの意図を確認し、状況を
考慮して適当なテストをすべきでしょう。
(例えば知性値や賢明値で野生動物への知識についての判定を行う。など)
ヒーローものなら、死んだふり+ヒーローポイントの消費のような処理が適当です。
ここで注意しなければいけないのは、一度通用したからといって、次回も同じにはいくとはかぎらいと
いうことを意識しておくことです。特に呵責ない生死のあるゲームなら、必ず判定を行わせるべきです。
たとえば、幸運にも判定に成功し、この熊の状況では死んだふりで十分だと判定し、あたったとしましょう。
しかし次回は熊の観察の判定に失敗したとすれば、以下のどちらかの処理が適当でしょう。
・プレイヤーの次の行動は何であれ熊の襲撃を招くものだった。
・プレイヤーに提示された選択のどれか一つ以下が正解で、熊を刺激しないですむ。偶然プレイヤーがそれを選択
したなら何事もなくすむだろう。
ゲームは現実と必ず一致するものではありませんから、このへん柔軟に対処すべきでしょう。
大事なことは「そのゲームらしい」処理を行うことです。
1997年12月29日:20時39分58秒
神の摂理の前では如何なる常識も雲散霧消する。 / 陽陰
>>nonakaさん
>森の小道を単独行するPC(LV1)が「偶然の遭遇」で冬眠前の熊に出会ってしまったとします。
(中略)
>あなたがマスターならどんな形の裁定をしますか。
「現実」ならば、彼は此処で熊に食い殺されます。
ですから、本当に熊に出会ったら、「死んだ振り」をしてはいけません。
目線を離さず、じりじりと後退しましょう。そして、ある程度離れたところで、ダッシュする、というのが、「正しい」方法です。
しかしながら、これはゲームです。こんなところで「犬死に」をしても、楽しくもないでしょう。
ですから、「熊はPCを襲いませんでした」というのが、私の回答です。
もし、PCが森の住人(木こり、レンジャー系)ならば、知力(技能)判定をさせ、その前に間違いを指摘してやりますが。
こんな回答をしても仕方がありませんね。
では、nonakaさんの本当の問題への回答にうつります。
さて、先ほどの回答でマスターが裁定したことは、「実際には間違っていること」ですね。
故意にしろ、未必の故意にしろ。
そこを、プレイヤーにつかれたときの私の回答は、
「私が神であるこの世界は、こうなんです。別の神(マスター)の世界では違うかもしれませんし、もちろん、現実とも違うかもしれませんが」
です。
さて、物理法則及びそれに準じているものに対しては、それでよいでしょう。
ところが、思想に関わってくるものとなると、譲れないものとして、そこにいる人同士の議論となる可能性があります。
それを避けるために、私は、思想に関わるものは、「あくまでもそのNPCの意見」として出します。
そして、「神」であるマスターは中立を守るのです。
それが、「神」の節度なのです。
「神」の価値観は、とりあえず、NPCに代弁して貰うことにして、全ての意見に対して、中立を守りましょう。
もちろん、全ての思想とは、善悪なども含みます。
どうも、変な意見で、建設的な答えになってませんね。
まあ、「貴方ならどうする」の答えということで、ご勘弁を。
1997年12月29日:16時20分06秒
re:HP / nonaka
すいません。HPを持っておられる方の前で「HPは無駄だし」は失礼ですね。
お詫びいたします。
1997年12月29日:15時58分19秒
ある日僕は森の中でくまさんに出会った。 / nonaka
いままでの議論とPLAYLABOのネタをからめて。あなたならどうする? の質問です。
森の小道を単独行するPC(LV1)が「偶然の遭遇」で冬眠前の熊に出会ってしまったとします。
ま、襲われて戦った場合基本的に勝ち目はない、と。
どうにかして逃げるしかない、という局面で。
PCがその場で死んだフリをした場合。そしてその局面の処理についてルールブックの指示がない場合。
あなたがマスターならどんな形の裁定をしますか。
この質問の趣旨は事物の真偽の認定ということについての質問です。
俗に「熊に襲われたときには死んだフリをするとよい」と言われています。熊は動かないものには興味を示さないからだというハナシです。
しかしまぁ連中は相手をエサとみれば別に生きていようが死んでいようが構わんようですし、このハナシもちょっと真偽のほどが疑わしい。
熊が人を見てビビって逃げることはよくあることの様ですが、仮に「やる気満々状態」の熊さんが目の前にいたとしてこの「死んだフり作戦」が通用するか?
わからんですよね。
ここでまず、いちど「通用する/通用しない」の議論はいっぺん置きます。
この場合、重要なのはどちらが正しいかという事実の確認ではなくて、「熊の習性」というひとつの事象に対してふたつの認識があるということです。
つまりこの場合、少なくとも論理学的にはふたつの真理が発生したことになるわけです。
さぁ、困りました。どういった裁定をしてもあなたは他者の不満を引き受けることになります。
「死んだフリなんか通用しない」:熊がPCに襲いかかった場合、「熊は動かないものに興味を示さない」と考えるプレイヤーの「真理」と対立することになります。
「死んだフリが通用する」:熊がPCを無視して立ち去った場合、「熊は死んだものでもエサと見れば貪欲に食らい付く」という他の誰か(あなた自身やその場にいるほかのプレイヤーまたはそのプレイをリプレイ等で読む者)の真理と対立することになります。
こういう場合、世間的には「マスターの裁定にしたがう」ということになっているわけですが、果たしてこの方法は正しいのか?
…いや、まぁ結論から言えば正しいんですが、この辺のことに無批判になってよいものかどうか。
いかんと思うわけですね。僕は。
「そんなこと言うとったらゲーム進められんし−」。
ごもっとも。熊の習性についての議論なんてやってもしょうが無いわけだし。「おなかすいたくまさんの気持ち」。どっちゃでもエエよね。
でも事がそんなに深刻でない場合はイイけど、あなたの価値観の根底に関わる問題にまで言及してきた場合、あなたはそれを笑って受け入れられますか(しかも相手はそれがシリアスなことと気が付いてないということもあったりして)。
例えば、あなたのお気に入りのキャラクター(とくに原作ものなどで)がとんでもない××として扱われた場合、あなたの生活に関わっているキリスト教が宗教学4単位を自慢にしているマスターのそれと決定的に違っていた場合。
あなたのライフワークである民俗学がどこかのおたくのフリーライターが書いたムック本のそれとまぜこぜにされた場合。
僕には無理です…というかストレスを感じずにそれをするのは無理です。
RPGは所詮ゲームでリラックスしてやるのが身上だから、その場では気にしたフリさえも見せないでしょうけれど、件のマスター/プレイヤー/ゲームデザイナーに対する信頼はなくなるでしょう。
次からそのメンバーでするRPGには積極的になれなくなるかもしれません。
これではシャレにならないので、RPGには「マスターの裁定には無条件で従う」という安全弁が設けられているというわけです。
つまり「事物の真実」について結論が出せない場合、これに対する判断を停止して強引に一方に整合してしまおうという方法ですね。
ま、ちょっと面白くないですが一番妥当な方法でしょう。これ以外にものごとを整理していく現実的な方法はなさそうです。
しかしこの方法はあくまで代替案であり、RPGをゲームとしてプレイしやすくするための方便であることを忘れないでください。
事物の認識や価値観の差異について考え、論じることは決して無価値ではないのです。
「事実に即して根拠づけられる有用なことが与えられているのに、それがただのおしゃべりでこわされてしまった場合に、それはいったい誰の役に立つ、あるいは役に立ったのだろうか」
RPGを続ける限りどうしても他人の価値観に立ち入らなければならなくなることがあります…というかRPGという業の深い遊びは価値観どうしをぶつけ合って勝敗を競うような部分があります。
だからRPGのユーザーには日々論理を研ぎ、言葉を選び、見識を広げ、精進を続けて欲しいと思います。
なにしろこれは「真理」に関する係争であり、たとえ遊びであるにしてもかなりシリアスな勝負だからです。うかつなダメージは出したくない。相手にも自分にも。
「RPGはほかの何よりも「指向」や「思想」がむき出しになる遊技です」(陽陰さん)
この言葉を分岐点に僕と陽陰さんの道はふたつに分かれています。
陽陰さんはここからさらにタイトなRPGを目指し万年雪の峰へ、僕はここから距離を置くことを決めて風の鳴る谷に向かう。
…だけど多分、最後には同じ頂に向かって行っちゃうんだろうなぁ。
最近なんか弱いわ。陽陰さんのHP読んだせいでRPGになまじの希望を抱いてしまっている。こまったもんだ。
「反対派」はもっと強硬でないとアカンつーに。
1997年12月29日:13時48分26秒
技術の伝達 / 陽陰
今回は、抽象論から離れて、具体論を話しましょう。
良く、他のボードでも言われる、方法論の不在というものに対する解決法には、方法論の提示、若しくは、方法論の模索という二つの道があるでしょう。
方法論の模索というものは、通常、各人若しくは各グループで行うものですから、それに対してどうこう、というのは無意味です。
しかしながら、それを行った得た成果というものを、他者に提示することによって、学習期間を短くすることが出来ます。
ところが、現在では、この方法論の提示と言うものは不足しています。
確かに、プレイヤーは「横」を見ることで、自然と学べることもあるでしょう。
それに、プレイヤーの方法論というものは、元々が模索し易いものです。
それに対し、マスターの方法論の提示、というものが現在ほとんどないと言うことが、一番の問題なのです。
私が、「マスタリング研究室」で行ったアンケートによると、マスター未経験者や初級者にとって、一番問題である障害は、「マスタリングをどうやればいいのか判らない」「シナリオの作り方が判らない」「何をすればいいのか判らない」など基礎的な方法論の不足であることが判明しています。
これは、もう、方法論の模索以前の問題で、「お手本」などの「方法論の提示」が必要となるのです。
1997年12月29日:11時05分28秒
技術伝授とジェネレーションギャップ / KAZUKI
どうも、抽象論は苦手なKAZUKIです。
>「RPGの環境改善には何が必要か」
……「お手本」ですか。
最近私の周囲では「よき先輩」を求める人がいますね。
最も、この際問題となっているものが、「先輩」と「後輩」のジェレネーションギャップです。
無論、この問題は今までにさんざん論じられているため、話題としては不適切かも知れませんね。
話題が理解できない。発想が理解できない。前提条件が通用しない。ため口がむかつく。
こんな状況で技術伝達などできるのだろうか。また、しても意味があるのだろうか。
まあいいや。話題を変えます。
個人的な話をさせてもらえば、私は最近特定のテーマに沿ってシナリオを作ることにこっています。つまり、「家族愛」とか「滅亡」とかのテーマを設置して、それにPCがどう対処していくかと見る、というものですが。
これによって、PCやプレイヤーにそのテーマに向かわせ、結論を出させる、ということは可能だと思います。
つまり、価値観を押しつけるのではなく、自らをそのテーマに直面させ、答えを出させると言うことは可能なのではないでしょうか。
まあ、メッセージを伝えるまでは行かなくても、向き直らせるくらいはできるのでは。
それとも私は若いのかな?
1997年12月29日:02時58分45秒
HP / 陽陰
nonakaさん、褒めてくださりありがとう御座います。
HP作成についてですが、時間等の制約もありますし、難しいでしょう。
でも、無駄、なんていう風に思うのはちょっと・・・
確かに、感想が殆ど来なかったりして、めげることもありますが、だれもみてくれない、なんて事はないと思います。
私のページなんて、最初のうちは全然でしたが、いつの間にやら、なんとか見てくれる人もできてきたようで、カウンタが増えていくようになりました。
ですから、
>仮にできたとしても誰も見てくれんだろうし<
なんて言わないでくださいよ。
少なくとも、私は見ますよ。
まあ、無理に作れとはいいませんが。
(HP作り育てるのって結構しんどいですしね)
脳味噌が寝てるので、今日はここまで(^^)
1997年12月29日:00時05分27秒
待つべし! / Dr.李
HPかいて誰も読んでくれないというのは逃げでしかありません。
あなたがほんとに伝えたいことなら、いかなる手段を持ってしても伝えるべきではないでしょうか?
ないなら作ってしまうのがHPです。
ここで書くようなことじゃないかもしれませんが。
1997年12月28日:19時59分30秒
PLAYLABOの「では一例」を見てね / クワバラ
題名の通りです。PLAYLABOの「では一例」を見て下さい。多重書き込みだと思って下さって結構です。
1997年12月28日:19時10分32秒
目先を変えて…ああっでもなんかマイナス思考 / nonaka
しばらく観念論ばかりやりましたのでとりあえずちょっと目先を変えて別の話題を。
「RPGの環境改善には何が必要か」…というお題で一発どうでしょう。
ボクは現在のRPG環境に足りないものは「お手本」なんだと思っています。
例えば良質のリプレイ。小説ではなく実用書としてのリプレイ。キャラクターの行動を追うタイプのものではなく
プレイヤー/マスターのテクニックを紹介するタイプの解説書が要るのではないかと思います。
モノ書きの余技のリプレイではなく、ホントにゲームする人によって書かれた「お手本」のようなものが広く流布すれば
いまあるプレイスタイルの混乱の問題は多少なりとも改善されるんではないでしょうか。
…しかし商業誌はアテにならんしなぁ。どっか良いHPとか探すしかやることないのかなぁ。
自分でやるのはちょっと自信ないしなぁ(仮にできたとしても誰も見てくれんだろうし)。
…限りなく消極的な改善策でした。申し訳ない。
1997年12月28日:18時11分32秒
その美しき言葉こそが世界を切り取るナイフとなるのだ。 / nonaka
その文化が「それ」を定義するのにどのような言葉(概念)を持っているか。
世界からその事物を如何様に切り取るか。ナイフの先が鋭ければそれだけ鮮烈な切り口を残すことができるだろう。
より鋭利な言葉こそが世界を克明にする。
…この時間から酔ってます。陽陰さんのHP興味深く拝見させていただきました。まだ完全に読み込んでいないのでコメントはひとまず置きますが、印象はおおむね良し。
立場が違う関係上どうしても反論があります。でも拒否はありません。留保があります。でもその倍だけ納得があります。ということで陽陰さんのHPを推薦します。
同じ黄昏の荒野を渡る人々に。「この道をまっすぐ行けば道標がある」。
前回の続きです。トラベラーの有名NPCにご登場いただいて対話形式で。
「RPGとストイシズムそして真理というもの(…宗教・哲学に非ず。でもちょっとドロヌマ)」
「ゲームで何かを伝えようなんて考えは不遜さ」とジェレミィ船長。手のなかのグラスを弄ぶようにしながら続ける。
「スピンワードマーチはあくまで代用品のジャンンピングボードさ。それ自体がメッセージなのはいまさら否定したりしないけれど、それでも結局この世界がどう見えているかは君たち自身に委ねられている。マーク・ミラーは偉大な男だが、それでも今の君にまで声を届かせることはできない。
人はみなそれぞれの人生があり世界の見方もそれぞれに違っている。何かを伝えようなんてどだい無理なハナシ
さ」
「話せばわかってくれるさ」と、こちらは若い男。
「無理だね」
「どうしてさ。僕はこれでも相当フェアなレフりーのつもりだし、勉強もしている。みんなちゃんとわかっている」
「いいや、オマエはまだ嘴の黄色いヒョッコさ。何にも解っちゃいないんだ…フェアなレフりーだって? そんなものはありゃしない。レフりーなんてものはただ許されているだけなんだ。だれも真理を決めることなんかできっこないんだ」
「あんた酔ってるのか? 哲学の話ならパスさせてくれ」
「…論理学の真理と質料の真理を接合することは不可能さ。答に近づいていくことはできる。でもすぐに遠ざかってしまう。俺たちはルールだけを命綱に宇宙遊泳をしているに過ぎない」
「そんなに不確かなもんかね」
「俺にとっては何も見えないのと同じくらいさ。ほんと常識のようなことでも相手と議論になることもしょっちゅうさ」
「それが面白いんじゃないか」
「止しな、ボウズ。誰だってケンカはしたくねぇ。それが面白いのはオマエが若くて自信にあふれているからさ。オマエが世界を信じているから−世界を信じて他の誰かの価値観を受け入れる用意があるから言えることなんだ。
大概のやつはそうじゃ無ェ。みんな自分の信じる価値観はそのままにしておきたいんだ。RPGなんてボロ船でそこに行こうなんざおふざけもいいとこだ。俺たちできることはせいぜいとなりの星系に飛んで一山当てることくらいだ。」
「…あんたは敗北主義者だ」
「もういちど言うぜ。RPGで何かを語ることなんざ出来やしねぇ。そんなことをすりゃたちまちエンジントラブルさ。何かを伝えたくなってもじっと堪えるんだ。そしてゲームに必要な最低限の創作だけをするんだ。相手の価値観に踏み込んで得することなんかないんだ」
「そんなことはやり方ひとつだろ」
「俺たちの持っている時間には限りがある。その限りある時間をムダにしないためにも冒険はやめるんだ」
「退屈だよ」
「そうか? 俺には十分美しく見えるがね。必要以上のことは言わない。淡交は紳士の嗜みさ。シャープなゲームをして、それでもどうしようもなく伝わるものがあるそのとき、そのとき俺たちはその小さな花を愛でるのさ」
なんかヨッパライだなあ。いったいどっちの味方なんだボクは。次こそまともな「改善策」に行きますね。
1997年12月28日:00時56分53秒
美しき論理こそが非論理への扉を開く / 陽陰
いえいえ、nonakaさんの説明は上手でしょう。
どちらかというと、私の読解力の問題ですね。
さて、やっと互いの基盤の違いを示す言葉が思いつきました。
「リアリズム」と「シュールレアリズム」です。
「センス」と「ノンセンス」と言っても良いかもしれません。
でも、そういうことになると、私もオナニストになるのかな?
>「他者」を「第三者」と訂正します。(中略)
>大雑把に言えばRPGの内輪ウケ傾向のことを指します。(以下略)
さて、私の前の意見では、わざと、そう取らなかったのです。
RPGのプレイ、それ自体は、第三者に伝える必要はないし、伝えようがないと思うからです。
先の意見と矛盾しているように思えるかもしれませんが、だからこそ、創作の対象が、「その場にいる人」なのです。
そして、内輪ウケ傾向の例として、特殊概念と、世界観について述べられて居られますが、そういったことを伝える手法はすでにあります。
小説などでよく使われている情報を小出しにする手法ですね。
世界観を初めとしたものについて知らない人には、そういった手法を通じて教えることができるはずです。
「独創性」について
「独創性」についてのnonakaさんの意見には賛成です。
わたしのHPでやっているシナリオ講座(宣伝(^^;)でも述べているとおり、真の独創性というものについては、否定的な見方をしています。
しかしながら、「引用」という名の独創性はまだまだ、あると思いますので、「独創性のあるシナリオ」は可能だと思います。
>ゆえに「己が論理を美しく研ぐ」ということを考えるし、創作についてもストイシズムを…
此処から先について伺いたいですね。
どうも、考えが纏まらなくて、稚拙な意見ばかりですね。すいません。
しかし、おおむね相手の考えを認めあえているのだから、そろそろ別の方の意見も欲しいですね。
1997年12月27日:21時02分42秒
されば己が論理を美しく研がん / nonaka
どうもいけません。自分は自分で思うよりも物事を説明するということが下手なようです。何か肝心なことを伝え損ねている気がします。
まず前回の補足と釈明を。
「メッセージを他者に伝えるためには最低限のコードの正確さが要求されるが、RPGという媒体でこれをするのは限りなく不可能に近い」
…「他者」を「第三者」と訂正します。これで意味が通るかな。<ひとりよがり>の反意語として「他者」という言葉をあげましたがかなり説明不足でした。
大雑把に言えばRPGの内輪ウケ傾向のことを指します。陽陰さんが指摘されるように「キャラの行動を伝える」などという日常にある概念などは万人がコードを共有しておりまったく支障なく意味を伝えることができるでしょう。しかしそれ以外の局面についてはどうでしょうか。RPGの外堀ともいうべき専門用語や特殊な概念の数々とか。第三者に向かってこれらのことをルールブックの引用のみで説明できるでしょうか。例えば最近のゲームにある「アーキタイプ」とかいう手法などはそれなりにその道のツウでないと分からないようになっていますよね。元ネタを知らないと絶対に本当の意味は通じない概念…RQなんかもそんなカンジだな。
これらのことはもう伝えようのないことなんだと思います(「時代感覚」という言葉がありますけれどこれなど近い概念ではないでしょうか)。
もっともこのテの情報の段差はほかのどんな芸術にもあることですが、芸術はメッセージを伝えることを唯一の存在意義として「段差」を埋めるのに強くこだわり、より正確(リアリズム)になることを目指したりコードを揃えること(様式化)をしたりして高みを目指します。
対してRPGは…残念ですがこの分野は洗練を目指して何かをしているようには思われません。なんとなれば(現状では)ユーザーはRPGをプレイするにあたっていま自分たちのグループ/ゲームで通用している言葉以上の言葉や概念を紡ぎ出す必要がないからです。たしかに陽陰さんのようにRPGにほか芸術と同じ表現形態としてのありようを求められている方もおられますが、たいていの場合、数時間の余興には詩人の才能は必要とされません。
「洗練された演技」。
誤解がありました。陽陰さんの「劣悪な演技」という言葉にこだわってしまいヒツコク練ってしてしまいました(それから表現=演技という思い込みもありました)。RPGにおける演技の位置づけについては僕もほぼ同意見です。ただ、演技も程度問題で許されてもいいんじゃないかという位に思います。目的さえ見失わなければ。
「独創性のあるシナリオ」。
設問に独創性があるのならば解も難しくなる…。やっぱりそうなると思います…よ。「独創性」という言葉のいきちがいかなぁ。
普段なじみのない問題を出されたらやっぱり難しいと思います。
「独創性のないシナリオ」肯定派(なんかとんでもないな)の僕は、RPGは余興であるという認識を理由にあげます。
「独創性」はマイナー指向の映画館か古本屋の奥の棚から探すものだと考えています。たとえ遊びでもないソデを振るのはちと辛い(こんなこと書くと怠惰を叱られるかなあ)。
工夫のあるシナリオはほんと偶然できたときで十分なんでないかと思います。僕はマスターには才能ある芸術家であるよりも有能な執事であることを求めます。
「RPGにおける創作の目的という物は、その場にいる人に対して感銘を与える、というものであると思っています」。
今度は陽陰さんのご意見について。素敵な見識だと思います。ただ僕はこの創作というものがそれ自身によって評価されるべきものではなく、シナリオの解や問題解決に貢献したときはじめて評価の対象になるものだと考えています。
ゆえに「己が論理を美しく研ぐ」ということを考えるし、創作についてもストイシズムを…すいません。またタイムアウトしました。こおのメッセージは外で打ってます。尻切れで後免なさい。
1997年12月27日:17時39分50秒
愛こそが憎しみの源 / 陽陰
もうネタが・・・
どうやら、議論になりそうですね。
>僕の考えではここに存在する「創作」はゲームをするための手段でしかなく
>それ自身がいかに興味深いものであろうとも、それを目的にすりかえることは本末転倒だと思うのです。
同感です。
しかし、RPGにおける創作の目的という物は、その場にいる人に対して感銘を与える、というものであると思っています。
若しくは、創作自体が目的であるというかですね。
>RPGで「小説や演劇や映画のような作品は不可能」
その通りだと思います。
ただ、nonakaさんと違うのはRPGはそれ自体が一つの表現形態だと思っていることです。
だからこそ、nonakaさんの仰る<「他者を前提とした、洗練された演技および独創性のあるシナリオのあるRPG」は構造的矛盾である>ということに対して異なった意見を持っています。
>1.「他者を前提とした」というリアリズムの不能。
> メッセージを他人に伝えるためには最低限のコードの正確さが要求されるが、
> RPGという媒体でこれをするのは限りなく不可能に近い。
何故そうなるのでしょうか。
RPGでは自分のキャラの行動を「他者に説明」しなければいけないでしょう。
それをするには、正確なコードで伝えるということが必要でしょう?
>2.「洗練された演技」に至るための方法の不在。
> とくに演技は個人的体験の集積とならざるを得ないが、
この意見には賛成です。
しかし、設問の存在自体に異議があります。
RPGは演劇ではないので、洗練された演技は求められていないと思います。
私の意見を言えば、それができるのならば、すれば?という程度のものでしかありません。
ただ、言いたいのは、出来ないんだったらしない方が良い、というよりも、するべきではないものだということです。
>3.「独創性のあるシナリオ」という矛盾。(以下略)
独創性のないシナリオというものこそが問題であるという気がします。
独創性と難易度は無関係でしょう。
どちらかというと、「お手本」がある状況の方が、その個人の意見ではなく、お手本通りの回答を返してしまう確率が高いでしょう。
とまあ、反論に対しての反論で何も生み出せてない気はしますが、長くなりましたので、今回はこれで。
改善策は、また今度と言うことで。すみません。
1997年12月27日:14時04分50秒
愛は惜しみなくすべてを奪う。 / nonaka
…表題はあまり関係ありません。陽陰さんへのレスポンスです。ご意見ありがとうございます。
「議論にはならないかもしれない」とのことですが、まぁ必ずしもそうでも無いのでは? 多分、議論することはできると思います。
なんとなれば僕と陽陰さんとの間にはおそらく根本的な価値観の違いがあって現状の認識では近い立場にいながらも出てくる解答が違うように思われるからです。例えば、互いに同じ尾根を通りながらも全く違う頂を目指そうとしている山人のような具合に。
だからこそ 共通のテーマを持ち得るし、やりがいのある議論ができるのではなかろうかと思います。
では謹んで反論をば。勝手な解釈や誤解がありましたら厳しく指摘してあげてください。
「RPGは、他の何よりも思想や指向がむき出しになる遊技です」
…イエス。同感です。
「「それは、貴方ならどうする?」ということがRPGの根本であり、それを決定付けるのが、個々人の、それであるからです」
…イエス。
「そして、そこには、最低限のオリジナリティはあります。(中略)それだからこそ、マスターのシナリオは、創作の一つのタイプであり、皆でプレイした結果もやはり「創作」の一種でしょう」。
…留保条件付きでイエス。たしかにシナリオもプレイの結果も「創作」です。ただこの場合の「創作」が何のために存在しているのかについて再検討して欲しいと思います。僕の考えではここに存在する「創作」はゲームをするための手段でしかなくそれ自身がいかに興味深いものであろうとも、それを目的にすりかえることは本末転倒だと思うのです。
「ただ、問題は、「あくまでも<素人の独りよがり>である」ということと、「<アドリブのみの劇>は<台本及び演出がきっちりと決まった劇>に劣る」ということから目をそらし始め、何かのパロディをし、劣悪な演技及び、陳腐なオリジナルをすることこそが、良いことであると誤解し始めたことでしょう」
…ノオ。ここにあることをウラに返せば「他者を前提とした、洗練された演技および独創性のあるシナリオのあるRPGには価値がある」ということになりますが、それは果たして正しいのか?
正しいと思うからこそ陽陰さんは「作品」肯定派なのでしょうけれども。
僕は「他者を前提とした、洗練された演技および独創性のあるシナリオのあるRPG」なんて構造的矛盾なんだと思います。
なんとなれば、
1.「他者を前提とした」というリアリズムの不能。メッセージを他人に伝えるためには最低限のコードの正確さが要求されるが、RPGという媒体でこれをするのは限りなく不可能に近い。
2.「洗練された演技」に至るための方法の不在。とくに演技は個人的体験の集積とならざるを得ないが、悲しいかなRPGのプレイヤーにはそのお手本となるべきものがない。結局は陽陰さんいうところのパロディにならざるを得ない。それがコミックであれ映画であれ文芸であれ、模倣の演技から脱することはできない。
3.「独創性のあるシナリオ」という矛盾。本当に独創的なシナリオならそれを解くプレイヤーの負担は並み大抵のものではなく、何らかの救済措置や誘導なくしてはシナリオを解決することができなくなってしまう(そしてそれをすることでプレイは限りなく破綻に近づく)。映画のような筋立てでゲームを運ぶことはプレイヤーによほどの才覚が認められ、かつサイ運がないとできないと思います。
以上の理由からです。RPGで「小説や演劇や映画のような作品は不可能」という所以です。
…と時間がなくなりました。結構カタってしまったことですし続きはまたの機会に。改善委員会で改善策を出さないでどうすんだ。申し訳ないです。
1997年12月25日:21時34分55秒
愛だろ、愛(^^) / 陽陰
表題はあまり関係ありません。
初めまして、nonakaさん。
私は、RPGを一つの作品として捉えたがっている、というタイプです。
それでも、パロディをパロディとして自己認識していない輩は嫌です。
同じく、素人の演技、と言うものにも、何ら価値を置いていません。
ですから、あまり、議論にはならないのかもしれないですが・・・
RPGは、他の何よりも、「思想」や「指向」がむき出しになる遊技です。
それは、「貴方ならどうする?」ということがRPGの根本であり、それを決定付けるのが、個々人の、それであるからです。
そして、そこには、最低限のオリジナリティはあります。まあ、何かの劣悪なパロディしか見せない人は別としてなんですが。
それだからこそ、マスターのシナリオは、「創作」の一つのタイプであり、皆でプレイした結果もやはり「創作」の一種でしょう。
ただ、問題は、「あくまでも<素人の独りよがり>である」ということと、「<アドリブのみの劇>は<台本及び演出がきっちりと決まった劇>に劣る」ということから目をそらし始め、何かのパロディをし、劣悪な演技及び、陳腐なオリジナルをすることこそが、良いことであると誤解し始めたことでしょう。
90年代の特徴(プロはいらない)といってしまえば、それまででしょうがね。
そうなってしまうと、人に目を向けず、自分だけで満足なオナニストが増えてくることになります。
それは何故か。
素人の演技や陳腐なパロディはうんざりする、とnonakaさんも書いて居られるとおり、普通の神経では、耐えられなくなり、周りを見ない人だけが残ってしまうことになります。
そして、周りを見ない人は、ナルシストやら、オタクやら色々言い方がありますが、要は、セックスをしないオナニストなんですよね。
そしてそれは、閉じた世界であり、侵入者を受け入れはしないでしょう。
そして、オナニストからは何も生まれない。
一部のホムンルクスを除くと、芸術すら。
そして、RPGは衰退していくのでありました。
と、まあ、現状分析は此処まで。
次は、改善するには、というのを書きたいと思います。
でも、私こそ筋金入りのナルシストかもね(^^)
1997年12月23日:18時19分28秒
誰とでも愛を語れるわけではない。 / nonaka
一時期、商業誌などでRPGのシナリオやリプレイを他の創作の分野と同じように「作品」として扱う傾向が見られたが、このことが現在のTRPGの減速の一因になってしまっているように思う。
私見では、RPGを他の創作と同列(ないしはそれに準ずる)のものとして捉えてしまった結果、ユーザー達は「RPGをする=表現をする」という誤れる哲学を生んでしまったと考えている。
#以下、独白。
90年あたりを境に世のマスターたちは小説家か何かのようにオリジナル性を云々するようになった。プレイヤーもまた判で押したように個性的なキャラクターを「演じる」ようになっていった。
このころの僕と僕の友人達は熱心なゲーマーで、日曜日ごとに方々のコンベンションに出掛けていた。とにかくどこのコンベンションに出かけてもRPGは「活発な表現の場」だった。マスターたちは自作の資料の束を誇らしげに抱えて造語や固有名詞を連発したし、プレイヤーたちは誰もが研究熱心な俳優で
マンガや小説を細かくチェックしては役作りに励んでいた。絵心のあるものはキャラクターシートになキャラの自画像を披露した。
しかしそれら諸々の「オリジナル」や「個性」はスタージョンの法則どおりにクズばかりで、僕らに微妙なダメージを与え続けた(とにかく何もかもがウンザリするくらい陳腐だったのだ)。何年かするうちに友人たちはゴミ貯めに暮らすことにあきて「もうちょっとマシなところ」に引越してしまった。
僕は今でもRPGを続けていて、そのダメージを受け続けながら踏ん張っている…さすがにこのごろはちょっとメゲそうになることもあるが。こないだなんかローティーンにアニメ引用の「男とはかくあるべし」を語られてしまった(正直ちょっと辛かった)。
僕は、思想というものはセックスと似たものでイヤな相手とは絶対にイタシたくないものだと常々考えている(創作なども同じだ…というか創作なんてものはたいてい趣味という名のイデオロギーの喧伝に他ならない)。かわいい青春のナルシシズムを頭から押さえつけるつもりはないが(僕だって一部当事者だ。こうやって書き込みをしていること自体かなりナルだ)、矛先をこちらに向けてくるのなら話は別だ。
僕は創作に関してはプロか少なくともそのレベルに達した者の作品しか受け入れるつもりがないし、好きな時に鑑賞したい。
だからキミが創作の方便としてゲームをしているのなら、僕はまずそれを受け入れることはできない。ちょっとした茶目や余興ならぜんぜん構わないが、キミのストーリーの都合でゲームをすることは認めない。どんなキャラクターだって構いはしないがキミの「演技」そのものがゲームではないことを忘れないで欲しい。
僕はゲームをしたい。キミがどうしてもラジオドラマのアテレコをしたいのならここ以外のどこか防音の効いた部屋でやってくれ。それからRPGのカンバンは外しておいて。僕らにとってはとても大事なカンバンだ。
誰とでも愛が語れるわけではない。ゲームでも同じだ。
→ずいぶんと挑発的な表現を繰り返しましたが、特定の個人やグループに悪意があるわけではないことをお断りしておきます。
また特定のプレイスタイルへの批判については、自分自身も修正の余地があると考えていますが、ここではあえて書きませんでした。かりに議論に発展した場合、自分の立場が不鮮明になると思ったからです。基本的に自分の考えは上に述べたとおりでそのことで逃げをうつつもりはありません。
なんかカタっくるしいことを書いちゃいました。ごめんなさい。反論等いただけると幸いです。
1997年11月29日:06時47分40秒
TRPG改善委員会 / sf
これもTRPG Freetalkの分科会のようなものですね。
現状のTRPGを取り巻く環境の問題点と、その改善策について検討・行動していきましょう。
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