TRPGのための哲学設定の部屋 LOG 001
TRPGのための哲学設定の部屋の1996年12月25日から1998年07月27日までのログです。
98年07月27日:13時56分45秒
ホフスタッターといえば / おがさわらなるひこ
「ゲーデル・エッシャー・バッハ (GEB)」と「メタマジックゲーム」が代表著作なわけですが、
GEB よりも、エッセイ風なメタマジ本のほうがとっつきはいいと思います。
でも GEB もすんごく面白かったのでぜひぜひチャレンジしてくだされ。
人工知能論について示唆的なのはやっぱり GEB のほうだと思う。
私はこの本で翻訳家の柳瀬尚紀さんと数学者の野崎昭弘先生を知りました。
野崎先生は大学の特別講義にいらっしゃったのでサイン貰いたかったんだけど、
恥ずかしくて断念しました (^^;)
柳瀬尚紀さんの著作はどれも面白いけど、将棋の羽生名人との対談、
タイトル度忘れ、がグーです。
野崎昭弘先生といえば中公新書の「詭弁論理学」ですな。RPG プレイヤー必読でわ (笑)。
ああ、もうアカデミックな世界からは遠く離れた職業プログラマだもんな〜、おいら。
なにもかもが懐かしい (遠い目)。
98年07月27日:13時31分31秒
ケベス、あるいはAIの臨界。 / 建.
ええと、岩波書店から「ゲームと計算」(飯田隆ほか)というのが出ているのを見つけました。ここにソクラテスが弟子たちとAIについて語り合う話が載っています。(大学図書館にあるとは・・・人に頼る前に自分で探せってば)
電卓は計算しているか、していない。ただプログラムをなぞるだけ。だがそれをいうなら人間の思考もすべて記号で表わせるのだから、人間は考えてはいない?と・議論が盛り上がっているところで突然ソクラテスの目の前に神様が現れて「おまえが議論していた二人の弟子のうち片方はコンピューターだ」と告げるのです。そしてソクラテスが考えた末、名を言おうとすると・・・
小難しくなくて結構面白いと思います。
>おがさわらなるひこさん
ホフスタッターの名前も中で紹介されてました。気合入れて夏中に挑戦したいと思います。
98年07月23日:21時56分52秒
感情 / 陽陰
うーん、哲学的だなぁ(^^;
まあ、人の感情だって、脳味噌の中で動く電子パルスと脳内麻薬物質の賜ですし・・・
機械って言えば機械ですが・・・
ただ、それを今の機械ではシミュレートできないと思うんですよ。
で、一部だけに限られた感情というモノが感情と呼べるかって言うのは、私は「言えない」と思います。
ただ、機械に感情が「ある」ように見える人にとっては、その機械に感情は「ある」と言い切れるでしょう。
ですから、そう見ることが出来る人にとっては、「機械がゲームをしている」という結論になるでしょうね。
ま、あくまで、私の意見なんですが。
98年07月23日:21時19分00秒
感情というのはコンピュータに表現できるパラメータにすぎない? / おがさわらなるひこ
……というテーゼがありますな。
思い切り単純化すれば、「楽しみ」というパラメータを内部に持って、
たとえば単純作業を一定時間行った場合はそのパラメータが下がり、
回復には何らかのゲーム的なことを行う必要がある、なんてモデルを作れば、
それっぽいことはできると思います。
ワープロ打ちしてる最中にコンピュータがやる気なくしてオセロを打ちたがる、
とか、棋譜からの学習機能を搭載しといて、
負けつづけると悔しがって密かに学習して強くなり、また誘ってくる、
なんてモノであれば既存の技術で十分可能でしょう。
まぁもちろん、この手の条件をひたすら列挙してくと爆発的になって、
コンピュータの処理が追いつかないっていう問題 (フレーム問題) があるんでアレですが、
でも特定分野に限っちゃえば「それっぽい」ものは出来ると私は思ってます。
その「それっぽい」ものができたとして、「現在のコンピュータはゲームを行わない」という結論になるんでしょうか?
いや、もちろん私は答えが分からないから聞いてるんですが。
98年07月23日:18時31分13秒
競技と遊技 / 陽陰
コンピューターがゲームをするということは、「自由意志を持って」行わない限り、それは偽だと思われます。
コンピューターで次の手を計算させてそこに打たせるという行動を「人が行わせている」限り、それはゲームではないでしょう。
競技には競争心が、遊技には楽しみたいという欲求がそれを行う理由付けとしてあるはずです。
つまり、感情によって行うわけでしょう。
ということは、コンピュータに感情がない限り、それはゲームではないのです。
そして、私は、現在のコンピュータには感情は存在しないと考えておりますので、現在ではコンピューターはゲームを行わないと言う結論になります。
98年07月23日:18時30分49秒
競技と遊技 / 陽陰
コンピューターがゲームをするということは、「自由意志を持って」行わない限り、それは偽だと思われます。
コンピューターで次の手を計算させてそこに打たせるという行動を「人が行わせている」限り、それはゲームではないでしょう。
競技には競争心が、遊技には楽しみたいという欲求がそれを行う理由付けとしてあるはずです。
つまり、感情によって行うわけでしょう。
ということは、コンピュータに感情がない限り、それはゲームではないのです。
そして、私は、現在のコンピュータには感情は存在しないと考えておりますので、現在ではコンピューターはゲームを行わないと言う結論になります。
98年07月23日:03時02分33秒
人工知能だったら / おがさわらなるひこ
ミーハーかつ古いですが、ホフスタッターの「ゲーデル・エッシャー・バッハ」「メタマジックゲーム」あたりとか、
ミンスキーの「心の社会」を読むと面白いと思いますデス。哲学的にも。
コンピュータ同士の対戦といえば、
将棋になりますが「コンピュータ将棋協会 (CSA)」
というのが存在しまして、ここが年に一度大会を行っています。
ワタシ的には (知り合いが関与しているという事実を抜きにしても ^^;)
チェスよりも将棋のほうがずっと AI 的に面白いと思います。
98年07月22日:18時48分43秒
猿はゲームをするか? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>建さんへ
面白いお話ね。アタシ、そぉゆぅ発想好き。だから、アタシも建さんと一緒に、おそわろっと。←知らないのだ、建さんのご質問の本(汗)。
で、あんまり関係ないのだけど(冷汗)、解剖学者の養老タケシ(←ど忘れ)さんが、「猿はゲームをするか」ってエッセイを書いてらしたのなら、記憶にあります(苦笑)。
お呼びじゃない、かな〜。
98年07月22日:18時44分53秒
Re:ロボットはゲームするか。 / アキト
します。
実際、世界屈指のあるバックギャモンプレイヤーはコンピュータープログラムです。そしてヤツの恐るべき点は、人間の手によって作られたのではないという点。彼はプログラム同志の戦いによって自分を改造し、その座を獲得したのです。
と、いう話が去年の「WIRED」に載ってた気がします(人工知能についての特集が組まれた号のはずなのですが、ちょっと見当たらないのです)。
98年07月22日:18時19分05秒
ロボットはゲームするか。 / 建.
チェスでコンピューターが人間に勝った、という話を聞きました。(詳しくは知らないけど)
で、ちょっと考えたんですけど、コンピューター同士が戦ったらそれはゲームしてることになるんでしょうか?プログラムの走らせあいに過ぎないのか、意志を持ってるとみなしてゲームしてることになるのか・・・。
詳しくは忘れましたけど、現代によみがえったソクラテスがコンピュータについて云々するという本をどこかで見たので・・・。
お教えいただけたら幸いです。
98年05月08日:00時29分40秒
物語と天皇制 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>とくさんへ
えぇと、考えてみたってゆうか、考えようとしたことはあります(汗)。
その、とくさんがおっしゃる「安易に肯定しても否定しても」ってあたりが、あまりに難物なもんで、途中でわけがわからなくなりました。
とくさんのおっしることは方向性としては正しかろうと、アタシも思います。
じゃぁ、どう対処しましょうか? って話になると、もう個人個人のリスクで、それぞれがそれぞれの場所でアプローチしてくっきゃないんじゃないかな、これが。
アタシの場合ですと、日本語の美感をもう破壊しないとアノ天皇制というヤツには歯が立たないのではないか、などと。
えぇ、天皇制が物語だ、とゆって間違いとは思わないのですが、それはもうかなり深層の物語ではないか、と。
ちっともゲームの話にならないですね(汗)。
とりあえず、こんなところで……。
ちょっと、びっくりしました。
P.S.赤坂憲夫氏の著作はお読みでしょうか? もしまだでしたらカナリ示唆的かと。
98年05月08日:00時03分07秒
質問 / とくさん
突然ですが、鍼原さん、物語と天皇制との関係って考えたことありますか?
僕は個人的には、物語を安易に肯定すると(安易に否定してもですが)、天皇制を支えることになるんではないかと思っています。
もちろん天皇制はなくすべきだというのが僕の考えです。
98年05月07日:19時06分43秒
訂正:言語ゲーム/TRPG/ストーリー/物語 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
一カ所補足します。
>ズレや矛盾をもはらんだ、複数の存在の多声的な織物が<物語>だからである。
#ズレや矛盾をもはらんだ、複数の存在の生の軌跡、痕跡の織物が多声的な<物語>だからである。
太字部分が訂正個所です。
いじょう。
98年05月07日:16時02分12秒
言語ゲーム/TRPG/ストーリー/物語 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>規則はストーリーを支援する為にある。ストーリーとはロールプレイングとマスタリングの集合である。
ストーリーが暗示する“こと”の総体を<物語>と呼んでみたい。
ストーリーは単一の視点からの解析が可能だが、<物語>を単一の視点から語り尽くすことは不可能である。
なぜなら、ズレや矛盾をもはらんだ、複数の存在の多声的な織物が<物語>だからである。
ストーリーが暗示する“こと”の「総体」とは言うまでもなく、矛盾やズレをもはらんだ「総体」を意味する。
<物語>からみれば「ストーリー」は、<物語>の表層にすぎない。
<物語>にとっては、「ロールプレイング」も「マスタリング」も部分となる。
<物語>からかえりみたとき、はじめて「ロールプレイング」や「マスタリング」もその隠された含み、避けがたいぞんざいの矛盾、すなわち、「個々の『ロールプレイング』や『マスタリング』が暗示してしまう“こと”」の相を露わにすることができる。
あぁ、頭が疲れた(笑)。
まさとさんの猿まねしてみたんです。
実は、まさとさんの文章読んでて、「TRPGの実践がストーリーなんだったら、それをテクスト批評してみることってできるはずよね」って思って。だったらソシュール(←ミーハー;笑)とか。
で、それって言語ゲームと関係ないのかなぁ? とか思っちゃって。そうですかぁ、まさとさんのご意見は3ですかぁ。
あの、ホントにアタシはいつでもかまわないんです。よかったら、まさとさんの「ゲームとは何か」の解説、お願いしちゃいたいです。あと、「TRPG」と「言語ゲーム」に関するまさとさんの今のご意見も、教えていただきたいし。
ほんとに、また。
98年05月06日:21時37分22秒
あ、宿題忘れてた(^^; / まさと
うーん、気が付けば、終わってるじゃないですか。ゴールデンウィーク(^^;
しかも、宿題あるし。
ソシュール、ですかぁ……こりゃまた、私には縁のないところを持ってきましたねぇ(^^
えーと、あれですよね。
ソシュールってぇーと、ラングとバロール……バロールはダヌー神族の魔神か(^^;
言語ゲームの無根拠性と記号の恣意性。
とりあえず、これは未熟な私の無知を露呈するコメントになってしまいそうなので、傷の浅いうちに、簡潔にまとめさせて頂きます(^^
えーと、これは鍼原さんの4択でゆーなら、3、ですかね。
まったく、といー張るには、ちょいとばかり説得力に欠ける話になってしまいますが、えーとですね。
まず、言語ゲームの無根拠性、とゆーのは、まぁ、そのまんま、言語ゲームには根拠がない、とゆー話で、私的には、ウィトゲンシュタインは、結局、語り得ぬものには沈黙せねばならない、の人なのか、と思わないでもないんですけど、まぁ、意味が違うか。とりあえず、そこでいわれているのは、言語ゲームを言語ゲームたらしめているものはない。ただ、それはそこにあるだけだ、とゆーものだったよーな気がします。
んで、記号の恣意性、でいわれているのは、確か、意味するものと意味されるものの結び付きの曖昧さ、とゆーか、モチベーションのなさ、みたいなもの、ですよね?
うーん、両方とも、無根拠性、について語ってるような気もするんですが、なにが無根拠なのか、とゆー指し示す部分が全然違うのではないでしょーか。
まぁ、これは、論理的な、とゆーか、文法的な問題かも知れませんけどね(^^;
ふんじゃ、また、機会がありましたら。
98年05月02日:12時39分11秒
言語ゲームの無根拠性について>まさとさんへ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
わ〜い、まさとさんだぁ(嬉)。
>まさとさんへ
>数日中に一回くらいならなんとか書き込めると思います。
>そんときはよろしくお願いしますね。
でわ、まさとさんにしゅくだいをだしたいと思います(笑)。←じょうだんです。
お忙しいところ恐縮なんですけれど、今回のまさとさんの書込み読んで、できたら次回のときに教えていただきたいことができちゃって。
「言語ゲームの無根拠性」とソシュール系言語学でいう「記号の恣意性」は同じなのでせうか? 違うのでせうか? 違うけど関連してるのでせうか?
ミーハーはミーハーなりに考えてみました(笑)。
1)同じ事態を言い表している
2)同じ事態を別の視座から記述した、(同じ事態の)別の現れである。
3)まったく異なる事態を別の視座から記述した別個のもんだいなのだが、たまたまちょっと似てる感じがするだけ。
4)別個の事態なのだけど、にんげんの言語行為の総体の内で密に連動している。
えぇと、おバカなカンナは4)じゃないっかなって思いました。理由はうまく言えないですけど。
また、「そんなのは私見では応えられません」って言われちゃう気もしますけど。それならそれでもオッケです。でも聞いてみたい(笑)。
いじょうです。
98年05月02日:12時14分08秒
なんだか、久しぶりなよーな気がする(^^; / まさと
うーん、気が付いたら、以前の私の書き込みが随分と下の方になっちゃってまして、自分も書き込みしている掲示板が多少なりとも賑やかになるのは、なんとなく嬉しいですけど、一週間しかたっていないのに……なんだか、久しぶりのよーな気がします(^^;
しかし、なんの話をしてるんだかさっぱり分からない展開ですねぇ(^^
>鍼原さま
私の駄文を10回も読んで頂いてありがとうございます。書いた本人も気恥ずかしくて満足に読み返していないものを……頭が下がります(^^;
>ゆみさま
う、うーん、マッチョな感じ、ですか(^^;
書いた当人としては、そのへんをもーちょっとお伺いしたかったんですが、既に話は終わってしまってるみたいなんで、ちょっと残念です。
えーと、TRPG(いや、まぁ、ある種のゲーム全般、とゆーべきか)、とゆーのは、実際、他人に語るには非常に困難な類のものだと思います。その理由は、まさに言語ゲームの無根拠性にあるものと同じく、なんでやってるのか、なんで楽しいのか、やってる当人たちもよー分からん、とゆーところにあるからだと思います。
いや、これでは、言語ゲームの無根拠性を引き合いに出す意味がないな。
えーと、何がいーたいのかといいますと、前述の私の書き込みは、結論の箇条書き、のよーなものでして、定義、と、論証、を無視して進めておりましたし、語られている事に関してのある程度の了解(まぁ、少なくとも、TRPGと「論考」、「探求」等)を前提にしておりましたので、理解困難、理解不能、とゆーのはちょいとばかりご容赦下さいな、とゆー事です(^^;
ありゃ、もー時間がないや。
いかん、言い訳しかしてないぞ(^^;
えーと、辛うじて私もゴールデンウィークに参加する事のできる類の人間なので、数日中に一回くらいならなんとか書き込めると思います。
そんときはよろしくお願いしますね。
98年05月02日:08時37分51秒
またいつでも覗いてみてくださいね>ゆみ様 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ゆみ様
よかったら、気がむいたとにに、また覗いて見て下さいね。
アタシの個人的意見ですけど、TRPGの人はアタシも含めて、TRPGのこと、もっと“外部”の人に伝えられる表現を育てるべき、って思ってるの。
ですから、気が向いたときには気軽に覗いてみてくださいね。 でわでわ。
98年05月01日:23時52分23秒
鍼原神無さま / ゆみ
そろそろしんどくなって来ましたので、このあたりで門外漢は手を引こうと思いますが、
あと一度だけ。いきなり花鳥風月が出てきたんでびっくりしました。どうやら連歌、俳句で花鳥風月なんだなとわかるのに少し時間がかかっちゃいましたよ。
簡単に言いますと連歌は実際に複数の人が参加するんで多声的になりうるが、俳句は連歌の発句のみという、形式的には後に続く他者の声を予感させながら、
あくまでそれひとつで独立している。つまり作者は一人でも多声的である。それに対して、短歌(花鳥風月)は自己完結的で自己満足(モノローグ的)だ、とこんなようなことを言いたかったわけです。
複数の人が参加すればた多声的、対話的という単純な話ではもちろんないし、逆に多くの人間が好き勝手をやっているのに、結果としてみんな似たようなことをしていたということになってしまうことが多々あるようで、それが不思議でもあり、恐ろしくもあり、甘美でもある。
多声的であるということは収拾がつかなくなることでもあるので、いろんな方向に枝分かれしてあちこちさまようけど、最後はハッピーエンドみたいなのはむしろ単線的というべきでしょう。
ドストエフスキーの「悪霊」が未完なのはそういう意味では当然なんです。
鍼原さん、邪魔してごめんなさいまし。
98年05月01日:20時27分33秒
「ゲームとはなにか」十回読みました>まさとさんへ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>まさとさんへ
えぇと、少しにぎやかになりました。
ちょっと意外な感もしましたけれど、アタシ的には嬉しいです。けれど、まさとさんはどうかなぁ?
「ゲームとは何か」がマッチョな感じ、って声がかかっちゃいました。
えぇと、この声を誘発したとこまではアタシも責任あるかなって思うんですけど。そっから先は……。
マジメに男性的だっては思ってるんですよ、アタシ。ご迷惑でしょうか?
えぇと、まさとさんが、あきれてなければ、先日お約束した「ゲームとは何か」読ませていただいてアタシが考えたこととか読んでいただきたいです。
つっても、この掲示板の書込みに既に書いちゃってるんですけど、まとめなおします。
「ゲームとは何か」は「ゲーム(というもの)の一般論」というお話でした。
何度か読んでその射程の長さを感じました。
論じられてる「ゲーム(というもの)」は「カードゲームがあって、ボードゲームがあって、コンピュータゲームがあって、etc」って視座ではない、もっと根本的に「スゴロクやカルタ取りから『パワーゲーム』、『マネーゲーム』、etc」、つまりは、「ゲームというもの(=実践)」とはなにかを考察する視座なのね、と。
ここまではちょっと自信あるんですけど。間違ってたら修正していただくってつもりで続けちゃいます。
えぇと、論じられてる「ゲームというもの」の範疇内でTRPGがどのように位置づけられてるかがわかんなかったです。「言語ゲーム論を用いてTRPGをより深く理解する」ってお話もあったんで、「言語ゲーム論」との関わりかたとかのもんだいなのかしら? っては思ったのですけれど。
>規則はストーリーを支援する為にある。ストーリーとはロールプレイングとマスタリングの集合である。
これってTRPGのことですよね。すごく好きなんですけど。
アタシ、やっぱ“好き”とか“カッコイイ”とか感覚的な反応しか出てこないですねぇ(苦笑)。困っちゃうわぁ。
細かいところで、わかんないことはいっぱいあるんですけど、それより先に大づかみなところで聞いちゃえ、って思って書いちゃいました。
あきれてます?
まさとさんの「今のお考え」と併せてお教えいただけると嬉しいです。いじょう。
98年05月01日:12時08分44秒
花鳥風月からは逸脱したいな、アタシ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ゆみ様、>ヌケサク様
いや、もう表記のとおりなんですけど(笑)。
アタシは花鳥風月的風景からは逸脱してきたい、ってだけなんですけど。アタシみたいにもともと伝統美を知らないと比較的楽ちんに(笑)逸脱できるような。
日本語の空間で対話ってけっこう成り立ちがたいではないか、とか思っちゃってるのですけど。
いかがでせうか?
え〜と、ゲームの話しなきゃね、うみゅ(笑)。
ヌケサクさんWrote
>TRPGは、それが、いっそう小説に近くなったゲームです。人間の対話的営みです。
いいですね。アタシもゲームするときはそうありたいな。
98年05月01日:08時25分39秒
Re:ヌケサクさま / ゆみ
連歌より俳句のほうが、わたしの言う対話に近いんではないかという気がしますが。
98年05月01日:06時29分41秒
すんごい流れだ。 / ヌケサク
バフチンとは、「詩って、一人語りだ。ひとり言だ。
でも、小説は、複数の存在の主張(声)が混交して
いるんだなこれが。」とかなんとかいった人です(よね、ゆみさん)。バフチンの「対話」概念は「自分がまともでいるためには、ほかの存在を認識していないとだめだね。ほかの存在と出会い、触れて、互いに変わり合うこと、対話なんだなこれが」というような。
TRPGは、連歌みたいなもんですよ、ゆみさん。
詩のくせして、対話に近づいてゆく連歌。TRPGは、それが、いっそう小説に近くなったゲームです。人間の対話的営みです。
98年05月01日:00時56分02秒
Re:鍼原神無さま / ゆみ
メタ・ゲームに関するお返事、とても参考になりました。ありがとうございます。
おっしゃるとおり、わたしゲームに関しては門外漢もいいといこで、正直言ってあんまり興味ももてないんです。
バフチンのいう「対話」、あるいは外部に開かれているといってもいいんですけど、そういうものがゲームに感じられなくて。偏見なんでしょうけど、
どうも肥大したモノローグの世界というイメージが強いんですよね。
ゲームといっても、いわゆるTVゲーム的なやつです。なんと呼ぶのかはせいかくには知りません。セガサターンとかプレイステイションでやるようなゲームです。そもそもTRPG
のTがなんなのかもわたしは知りません。わたしが唯一ゲームに興味を持つとすれば、クリティカルな意味でのメタ・レベルのゲームということです。
まさとさんの論文、わたしには理解不能です(じっくり読んではいませんが)。それに男性的というより、マッチョという印象を受けます。
ゲームに関して素人でも、何らかの意味で「外部」からの刺激になればと思って、書き込みしました。
98年04月29日:19時14分27秒
もうひとことだけ補足させてください>ゆみ様 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ゆみ様
「規則に即しつつ規則を刷新していく意志」は、まさとさんの書込みに対するアタシの感想です。ですから文責はアタシにある。でも100%アタシの頭からひねり出した言葉ではない。だからあれこれ惑ってしまう。
アタシの感想が集中的に結びついてるまさとさんの元テクストは以下の箇所です
>新しいゲームになろうとする意欲がゲームである。
まさとさんのテクストの別の箇所も参照すると、アタシの感想
#規則に即しつつ規則を刷新していく意志
、は
「規則を乗り越え刷新する実践」が、ゲームというものだ。
、とこのほうがまだまさとさんの本意に近いかと思います。
どうでしょう? >まさとさん
98年04月29日:08時00分50秒
まさとさんの書込みを補完しちゃいます>ゆみ様 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ゆみ様
えぇと、ゆみさんがこだわって考えたいことはなんとなぁ〜くわかる気がします。
アタシはミーハーだし、オタクなんでアッバス・キアロスタミの三部作ってどんなのなのか知らないです。中上健次はすごい、かっこいいって思うけど、蓮實重彦はすごい人だと思うけど好きになれないわぁ。←まぁ自己紹介のかわりってゆぅか(汗)。
ゆみさんが最初にコメントされたまさとさんの書込みはアタシがおねだりして書いていただいたものなんで、もし、ゆみさんのほうに誤解があるようだと、アタシまさとさんに申し訳ないんで、こないだのアタシの書込みを補完させてくださいね。
まさとさんの書込みは「『ゲーム』というものの一般論」なんです。
じゃぁ、ゆみさんの「物語」をキーワードにしたコメントは見当ちがいかっていうと、アタシとしてはそうでもない気もするのだけど……ちょっと自信ないです。
まさとさんは哲学の人なんで「『ゲーム』といううもの」っていってもカードゲームがあって、ボードゲームがあって、コンピュータゲームがあって、と←こういうものではないと思うんです。
「マネーゲーム」とか「パワーゲーム」とかからスゴロクとかまで一挙に説明できちゃうってのが「『ゲーム』というものの一般論」、ですよね?
だからアタシ的にはゆみさんのようなこだわりのある人がヒッカカリを感じられるのもわかる気するし、ゆみさんのコメントもなんとなぁく、何を気にされてるのか想像はできちゃいます。
えと、でも、ゆみさんが考えたいこととまさとさんが考えたいことがうまく関係するかっていうと、ちょっとアタシにはわかんないし、保証の限りではないです。ん〜、アタシなんかまさとさんの書込み誤読してるかしら?
ちょっとこないだのコメントはハショっちゃってたんで、蒸し返しになっちゃいました。ごめんなさい。
>メタ・フィクショナルなゲームって可能でしょうか? あるいはわたしが知らないだけかもしれませんが、もしそういうゲームがあったら教えてください。
えぇと、映画のボードからいらしたってことはゆみさんはゲームの人ではない? ないって仮定してお応えします。以下は、すっげ〜偏ったアタシの私見です(笑)。
「メタ・フィクショナルなゲーム」は理屈のうえでは可能かもしんないですけど、それがクリティカルな作品になるか? と、商品としてとして成り立つか? は、どっちもとても難問があるみたいな気がします。両立させるのはもっとむづかしい(笑)? みたいな。
世界のどこかには、メタ・フィクショナルなゲームがあるかもしんないですけど、日本語で遊べるものはないんじゃないかなぁ。←アタシこないだまでビギナーだった(笑)んで、あんましアテにしないでね。
ゆみさんには説明の必要ないはずですけど、「『お約束』とか呼ばれる『自己模倣』」と「模倣としての逸脱;←(C)笠井潔」との微妙な差はバンバン無視されるのが、物語-商品を消費する/させることで成り立つ現在の娯楽市場でしょ。ゲームはまだまだこれからだと思う。
ゲームの世界でもメタ・ゲームをキャッチコピーにした商品はいくつかあります。私見ですけれど、これらには、「物語の再話-模倣-批評的逸脱」とかそういう問題意識では全然ない、と思います。
えぇと、ゆみさんの趣味にあうかどうかわわかりませんけれど、おすすめできるとしたら、アタシがいま一番ハマッてるゲームはメタ・フィクショナルではありませんけれど、プレイヤーが生成に参与する物語に対して批評的でありうる、あるいわ批評的な視座を持ちやすい、そんなゲームである気がします。
それは「深淵」と題されたゲームなのですけれど→こちらに昨年アタシが書いちゃった批評文もどきの作文、Critical Review TRPG『深淵』 〜 「言語ゲーム」の不透明な戦慄 〜、があります。とっても読みづらいんで恐縮なんですけえど、よろしかったら読んでやってください。
なんか今回のコメントは一方的にこちらの言いたいことばっかになっちゃいました? これにこりずにまたよろしく。
98年04月29日:00時49分45秒
模倣しつつ批判する・・・ / ゆみ
>鍼原神無さま
少し言葉が足りなかったかもしれません。わたしとしては、物語を模倣しつつ批判する、
というほうがしっくりします。解体するというのは、叩き潰すとか、否定するとかいう意味で言ったんではないんです。
わたしが考えているのは、物語の振りをしつつ物語を不意打ちするということで、完膚無き解体ではありません。
わたしは物語を否定してるんではなくて(もちろんありふれた物語を反復することはなんとしても避けたいのですが)、
なんと言ったらいいんでしょう、物語=規則(コード)を不意に非規則化するというか、
うまく言えないんですけど・・・。
映画雑談所でも書いたんですが、アッバス・キアロスタミの三部作のような、メタ・フィクショナルなゲームって可能でしょうか?
あるいはわたしが知らないだけかもしれませんが、もしそういうゲームがあったら教えてください。
98年04月28日:08時48分07秒
解体? 刷新?>ゆみ様 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ゆみ様
>物語に寄添いつつ物語を解体する、というような発言を思い出しました。
>刷新するだけでいいんでしょうかね?
えぇ、そこがほんとぉに悩ましいところかと。逆に、物語を完膚無きまで解体することが可能だとして、解体され尽くされたときににんげんはどこへ行っちゃうのか? 何になっちゃうのか? って思弁もありえるでわないですか?
もちろん、にんげんは物語がなくっちゃあり得ないそんざいですんで、上にアタシが記した問いはただの思弁にすぎないのですけれど。
まぁ、それもこれも含めて「規則に即しつつ規則を刷新していく意志 」って男性的だわ、とか思ってしまうカンナでした。アタシも解体嫌いでわないですけれど。←でも、バッドトリップはイヤです。
ゆみさん、アタシ的には結論付けとか全然急ぐ気はありませんので、気が向かれたときにいつでものぞいてみてくださいね。まさとさんがアタシにつきあってくだすってる間は当分アレコレやってるつもりです。
まさとさん、ちょっとヒヨッちゃいましたぁ(笑)。
98年04月28日:01時52分59秒
ゲームの規則? / ゆみ
規則に即しつつ云々というのが目にとまったので覗いてみました。私は別に現代
についてどうこう言える人間ではありませんが、規則に即しつつ規則を刷新していく
意志、という言葉から、中上健次と蓮實重彦との対談で、どちらが言ったのか忘れま
したが、物語に寄添いつつ物語を解体する、というような発言を思い出しました。
刷新するだけでいいんでしょうかね?
そうそう、「ゲームの規則」という映画もありますよね。
98年04月27日:09時24分30秒
規則に即しつつ規則を刷新していく意志、とか?>まさとさんへ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>まさとさんへ、
うわぁ、やっぱすごいやぁ。
「ゲームとはなにか」前からずっと考えてらしたこととは言え、一気に書いちゃったんですよね。すごいすごい。
>論証をすっ飛ばしてるから、何が書いてあるのかよく分かんないかも知れませんしねぇ。
いや、これはアタシみたいなおっちょこちょいは、簡単に「わかった気」になっってはいけない。そぉゆぅ類のアレですねぇ。3回読んだけど、わかんないです(笑)。でも100回読んだらわかるかもしんない? みたいな感じです。
えと、現代思想ヲタク的には、
>新しいゲームになろうとする意欲がゲームである。
、がカッコイイ! ステキッ!! とか思っちゃいました。えぇと、こぉゆぅ言いかたしていいかわかんないんですけど。男性的ねぇ、って感じました。「規則に即しつつ規則を刷新していく意志」みたいなイメージでしょうか? まだ良くわかんないや。もっと何度も読ませていただきます。
カンナの書いたことにくだすった、お返事なのですよね。うむむ。
あの読ませていただいて考えたこととかを今週末くらいに、ここに書込ませていただこうかと、思ってます。よろしくお願いいたします。
P.S.「指輪物語」いかがでしたか?
98年04月25日:23時16分59秒
私の卒論を一言でゆーと(^^; / まさと
>P.S.ほんとのこと言うと、まさとさんが卒論にどのようなことを書かれたのかお尋ねしたい欲求にかられました。
う、うーん、私の卒論ですかぁ?(^^;
ゲームとはなにか。
ゲームとは何らかの方向性のある活動とそれを浮かび上がらせる背景である。それは規則(ルール)と実践(プレイ)という側面を持つ。そして実践に際してはゲームプレイヤーは規則に従わなくてはならない。しかし規則に従うという事は規則そのものではない。
「論考」が規則で、「探究」が実践なのである。
TRPGにおいてはそれが顕著にあらわれる。規則は世界を論理的な態度で記述しようとする。対象を文節化し、その役割を特定し、それを名辞し、それによる行動を限定する。それらはひとつの規則によって動かされようとする。規則はゲームプレイヤーがそれに従う事を要求する。規則がゲームを支配しているかのように記述される。規則は世界を論理そのものにしようとするかのように見える。規則は論理的である、あるいは、論理的であろうとする。
しかしゲームはその方向性・擬似性によってゲームプレイヤーを作る。ゲームプレイヤーが遊ぶのは実践としてであって規則としてではない。規則は実践の抽象なのでありその名辞された対象は行動の焦点なのである。そして規則はストーリーを支援する為にある。ストーリーとはロールプレイングとマスタリングの集合である。その集合がTRPGにおけるゲームプレイヤーの実践となる。TRPGの規則はどんな些細ものであってもロールプレイングを、あるいは、マスタリングを誘発する。
彼はどれだけ力強いのか、賢いのか、素早いのか、どんな容貌なのか、過去にどんな事があったのか、ラテン語を知っているのか、正直なのか、神を信じているのか、凶暴なのか、嘘つきなのか、幸運なのか、何処に住んでいるのか、家族はいるのか、夢を見てるのか、フッァクスを使う事ができるのか、誰かを愛しているのか、等々。
ゲームにおいて実践が表現しようと思ってるものはすべて規則によって記述されておりゲームプレイヤーはそれを選択する。それらは実践に利用されるのである。それらは実践の為にゲームプレイヤーを利用しない。実践によってのみ規則は規則という形態を保持し得る。
ゲームのデザインはデザイナーの主観による世界の翻訳作業、あるいは、主観の表記・表現方法である。そういった翻訳作業による擬似性がそのTRPG世界をあるように見せ、世界をひとつの世界観にする。
TRPGは貪欲なゲームである。それは実践に際して現実世界を模倣するかのように思われ、日常会話を模倣するかのように話され、小説を模倣すかのように書かれ、映画を模倣するかのようにドラマティックになろうとする。それらは互いに違うゲームである。そしてそれらはゲームプレイヤーを作る。
実践は規則を越える。
越えられた規則は過去のものとなり新たな解釈により再び規則化される。それは明文化されなくともそうやって記憶される。ゲームはそれ自身が持つ方向性に導かれつつも自らを新しく定義し直す。その定義し直された規則による実践は以前のゲームよりも何らかの形で向上している。そして根本的なその態度の精神はそれをさらに向上させようとする。ゲームを遊ぶ事は虚構の活動かも知れないが、ゲームは世界の中で向上する。それは同じ規則によって記述された別のゲームである。
新しいゲームになろうとする意欲がゲームである。
意欲をなくしたゲームは戯れとなり、方向性を持たず、自動化され、膠着状態に陥る。それはそのなかでは加速を続けるが活動そのものであるゲームは向上しない。
規則はゲームデザイナーによる世界のなかの標識であり規則に刺激されたゲームプレイヤーはそれに向かう。標識はゲームデザイナー、ゲームマスター、ゲームプレイヤーの共有された経験、一致、慣習、規則の上で成り立っている。彼らがそれらの方向性を認めないとゲームはゲームとしての活動を止めてしまう。
世界の中には生活用式という背景がある。その背景の発見がゲームである。
つ、疲れた。しかも、長くて、なんちゅー読みにくい文章じゃ(^^;
論証をすっ飛ばしてるから、何が書いてあるのかよく分かんないかも知れませんしねぇ。
すいません。いちおー以上が、私の卒論の結論(一部、とゆーか、かなり省略)、です。これは、TRPGについての結論、とゆーよりは、ゲーム全般についての結論、なんで、ちょっと本題とズレてしまってるかも知れませんが、鍼原さんのお話に対しての私なりの意見とゆー事になると思っております。
いや、なってないか(^^;
ま、結局、一般論以上の事はゆーてないですし、当時と現在とは色々と思ってるところが違う部分もあるのですが、とりあえず、今回はこれでご容赦下さい、とゆー事で。
あ、それと、文章を読み直してないので、誤字脱字変換ミス等あると思いますが、それらは笑って許して下さいな。
明日、朝早いんですわ。いや、指輪物語、やるだけなんですけど(^^;
98年04月22日:16時12分18秒
リンクはりに再挑戦 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
はうッ、ひとつ前のアタシの書込みで、さっそくリンクはりを失敗しました(泣)。
も一度挑戦。えいッ。
>よろしければ→「簡易掲示板について」をご参照ください。
あ、できた〜(嬉)。
98年04月22日:16時03分30秒
TRPGの哲学的解釈>まさと様 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>まさと様
まずお知らせを、この掲示板で「TRPGの哲学的解釈」について話題にしてもよい旨、管理人のsf氏に了解をいただきました。よろしければ→「簡易掲示板について」をご参照ください。
アタシのデタラメなお問い合わせに、素早いレスありがとうございました。アタシ的「言語ゲーム論」理解は、まあレッドカードは出ないってことで、とりあえず一安心しちゃいました。
>ルール改変的ゲーム、という言い方は、橋爪大二郎氏独特(もしくは、ウィトゲンシュタインとしてのではない)言い方なんでしょうか? 上手いなぁ、とは思いますが、ちょっと記憶にない言い方だったもので。
>誰それがあーいってるこーいってる、とゆー文章を公的な場で持ち出すのは、ちっとばかり神経を使う(いや、使わない人もいますけど(^^;)事なんですよ。
橋爪さん独特かどうか、逆にアタシにはわかんない(笑)です。けど、氏は「ルールを改変するときに改変された(新)ルールの妥当性の根拠はとうの(旧)ルールの内では根拠づけることができない」旨、書いてました。
ただ、こんなふうに乱暴に要約しちゃうと、例えば「それってゲーデルとどう違うんだ?」とか茶々入れられちゃうかも、ってことですね。う〜ん、これまで、「アタシ的整理」ってつもりで、いつもそのような注釈つけてそれでよしとしてたんですけど、まずいんですね。うむむ。
質問2と質問3の件もありがとうございました。こっちはイエローカードだったみたいですね。アタシ英米系の「分析哲学」にちょっとヘンケン入ってるんで、なんか勘違いしてるみたい。いろいろ調べてみます。
>返答が私見で構わない質問だと、もっと気楽に答えれれるんですよねぇ。
じゃ、じゃぁ、お言葉に甘えちゃっていいですか?
えと、次のような会話ってありがち、ってゆうか蓋然性あると思うんです、
「キミがやってるそのTRPGってのは何をするのかね?」
「はぁ、役割を演技する遊びですが」
「そんな新人会社員の研修みたいなことをして面白いかね?」
「いや、ゲームですからストーリーがあるんで面白いです」
「ストーリー? 誰かが脚本でも書くのかね?」 以下略
私見ですけど、アタシもふくめてTRPGerは、TRPGを経験したことないと意味が通じない用語法でしゃべっちゃうこと、多いと思います。
例えば、上の例の「『役割』を『演技』」するですけど、TRPGセッションの現場で起こる事態をを説明するには、実はどちらも不適切なんじゃないかしら? ってアタシは疑ってます(近似ではあるんでしょうけど)。
えと、例えばTRPGプレイヤーが遊ぶ行為は、「演技=プレイ」じゃなくって、「役づくり」なんじゃないか? とか、←この件は今考え中なんで現時点では仮説、ですけど。
「シナリオ」って言葉も日常会話で使われるのとはまったく違う意味を担ってる気が。いや、TRPGに限らず、演劇、コンピュータRPG、コンピュータSLG、etcで「シナリオ」はそれぞれ違ったものを指し示してるはずなんで、「日常的用語法」と「TRPG用語法」の意味のズレ自体はいいんです。でも、「TRPG用語法」がある種、思考に枷をはめてるとしたら(その可能性は疑ってみるべきかと思うんですけど)、なんか別のメガネを持ってきてTRPGを見なおしてみるのも試みとしてはよいかも、とか思って。
例えば、一般に「お約束プレー」とか「一本道シナリオ」とか呼ばれて問題視される事態があります。これらを技術やセンスのもんだいとして見るアプローチもあるでしょうけど、アタシ的には、TRPGのプレーは「(解釈学でいうところの)『先行予見』を修正していく解釈行為」なのだ、って視点を導入できればと、何が問題視されるのか割とスッキリするんじゃないかしら、とか思うんです。←これ、アタシのGM経験が一度だけでしかも大失敗だったんで未だに断言はしないでいるんですけど。
で、やっと「言語ゲーム論」なんです(笑)けど、「セッションに参与する全参加者(含むGM)が当初は個別に抱く『先行予見』を共同で修正してく『共同解釈行為』」がTRPGであり、この「『共同解釈行為』のルール」が「ルール改変的ゲーム性を内包した<言語ゲーム>」なのだ、とか。アタシ、ここ1〜2年大まかな見通しとしては、こんなことを考え中だったんで(←現在進行形)です。
いかが思われますでしょうか? あの、当然なんですけど、急いで検討しなきゃいけないとかは、全然思ってません。まさとさんが気が向かれたときにでもご意見などお聞かせいただければ、とても嬉しく思います。
>しかし、読み辛いなぁ。
あぁ、ごめんなさい、ごめんなさい、読んでいただいてる作文はもうかれこれ半年以上前のもので、あれでもVr.3.3くらいなんですけど(汗)。えぇと、アタシの文章の読みづらさはほかのかたにもご指摘いただいてまして、いまも鋭意努力中なのです。ごめんなさい。
長い文章でごめんなさい。でも、本論は後半部に集中させたんで、お許しいただければ。でわいずれまた。
P.S.ほんとのこと言うと、まさとさんが卒論にどのようなことを書かれたのかお尋ねしたい欲望にからえれました。でもきっと何十枚も、もしかしたら百枚以上ある論文ですよね? 「一言でいうと?」とかお聞きするのは失礼よね、って思ってガマンしました(←でも、ほんとはお聞きしたいです;笑)。
98年04月21日:21時11分16秒
む、難しいなぁ>鍼原神無さま / まさと
>まさとさんがどんな暮らしをされているのか存じあげませんし、ほんとに可能な範囲でお願いしたく思います。
私、今日、仕事休みだったんで、こーやって、Resしてるんですけど、普段は、寝てばかりいるんで、まぁ、時間的な話でもそーですけど、知識の方もそんなにあるわけではないんで、あんまり期待しないで下さいね(^^;
いや、これは謙遜とか遠慮とかじゃなくって、ホントの事ですから。
えーと、まず、橋爪大二郎氏の話ですよね。
あの人の文章を読んだのは……青土社の「現代思想」が最初で最後じゃなかったっけなぁ……えーと、なになに、「仏教の言語戦略」。
記憶にねーな(^^;
ま、まぁ、とりあえず、質問1、についてですが、橋爪大二郎氏が整理している「言語ゲーム論」とゆーのを、私、知らないので、なんともいいようがないのですが、鍼原さんの文章をざっと見る限りでは、そんなに大きな脱線はないと思いますよ。
いや、少なくとも、私の知識の程度では、の話ですが(^^;
言語ゲームとサブ言語ゲームの関係については、集合論あたりを持ち出して厳密にやればもーちょっと面白い結論が導けると思うんですが、まぁ、ここで聞いてるのはそんな話ではないですしね。
えーと、勉強不足で申し訳ないんですが、ルール改変的ゲーム、という言い方は、橋爪大二郎氏独特(もしくは、ウィトゲンシュタインとしてのではない)言い方なんでしょうか?
上手いなぁ、とは思いますが、ちょっと記憶にない言い方だったもので。
全然、答えになってないなぁ(^^;
と、とりあえず、次、質問2。
言語ゲーム論の評価、ですか……えーと、鍼原さんは、所謂、前期ウィトゲンシュタイン、とゆーものについて書かれた本を読んだ事がありますでしょうか?
あの、語り得ぬものに対しては、沈黙せねばならない、とゆー感動的なヤツですな。
私がウィトゲンシュタインについて興味を持ったのは、その前期と後期の落差(とゆーか、差違)故、だったんですが、まぁ、読んでいただければ分かるんですが、あれは哲学書、とゆーよりは、神話、なんですよね……いや、文学、くらいにしておくべきか……私としては、ニーチェのツァラトゥストラ、を読んだ(とゆーか、眺めた)ときと同じような感想を持ったんですが、えーと、つまり、前期ウィトゲンシュタインの支持者、とゆーのは、ウィトゲンシュタインの信者、が多かったよーなんですよ。
そーゆー人たちからすれば、後期の彼の著作は、あんまユカイなものではなかったよーで、批判されたり、無視されたりしたらしいです。
さて、では、分析哲学や形式論理学をやっている人たちはどーなのか、となりますと。
直接的な言い方を避ける事になりますが、確か、言語ゲームの考え方、とゆーのは、分析哲学の源流となったんじゃなかったでしたっけ?
だから、評価されてない、とゆーよーな事はないと思いますよ。
最後、質問3。
自然言語の下論理性……こりゃ、完全に私では答えられない方面の話だなぁ(^^;
日常言語の(とゆーか、言語ゲームの)曖昧性、とゆーのは、その無根拠性に根付いている発想だと思うんで、もし、自然言語の下論理性、がそーゆーよーな事をいってるんだとしたら……いや、いいかげんな事をゆーたら、後で怒られるからな。
やめよう(^^;
うーん、まともに答えているのがないではないか(^^;
なーんか、噛み砕いた(もしくは、噛んで含んだ)話ばかりになってしまったのは、専門的な話をここで持ち出すのはどーかと思ったからです。まぁ、私としてもそーゆー話しかできないからなんですが(^^;
TRPGの事に関してならともかく、哲学の事に関して、掲示板とゆー公的な場で、断定的な事なんかいえませんからねぇ。
ここ、TRPGの掲示板ですし(^^;
とりあえず、鍼原さんの作文を拝見して、鍼原さんのベクトルを確認してから、本格的に、いや、時間と知識がないもんで、いつになるかは分からないんですが、解答させて頂きたいと……思っていいのか?(^^;
あと、返答が私見で構わない質問だと、もっと気楽に答えれれるんですよねぇ。
とゆーのは、誰それがあーいってるこーいってる、とゆー文章を公的な場で持ち出すのは、ちっとばかり神経を使う(いや、使わない人もいますけど(^^;)事なんですよ。
まず、正しい文章を探し出すのに手間がかかってしまう。
次に、間違った事をいってしまうと、自分の無知をさらけ出すようで、恥ずかしい(^^;
ま、まぁ、それはいーや。
さて、どーも見当違いな返答ばかりしてしまったような気もしますが、とりあえずはこのへんで(^^;
しかし、読み辛いなぁ。
98年04月21日:10時37分18秒
言語ゲーム論についてご質問させてください / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>まさと様
はじめまして、こんにちわ。わざわざありがとうございます。「すいません」だなんてそんな。石頭さんもありがとうございます。とってもたくさん感謝してます。
感激、まさとさんの書込み97年1月だったし、「これはムリくさい」って思ってたんですけど、あぁ、こうゆうことあるんですね。あぁ、どうしましょう。
>私は、言語ゲームを少しでも理解する為にTRPGを利用したのではなく……いや、勿論、卒論はそーゆ体裁をとってましたが……TRPGに対する理解を少しでも深めようと言語ゲームという方法を利用したに過ぎない
はい、よくわかります。アタシ的にも「言語ゲーム論」のコンセプトってTRPGの捉えかたを根本から編み直す可能性があるんじゃないかしら? くらいで。特に着目したいのは「言語ゲーム」が内包してる(って思うんですけど)「ルール改変自体をゲームに組み込んだ『ルール改変的ゲーム性』」なんですけど。
とりあえず質問させていただきたいんですけど、アタシはただの現代思想オタクですし、どっちかって言うと、批評-思想系のヤツなんです。好みは、笠井潔、小坂修平、竹田青嗣の旧「おるがん」三人衆ですとか、柄谷行人ははずせないわよね、とか最近は見田 宗介もいい感じよね、みたいな。
こんなヤツでですんで、ちゃんとした訓練受けてらっしゃるかたからすると、とっても乱暴な言葉の使いかたしてると思うんです。
ですんで質問させてはいただきたいんですけど、よろしければ、アタシの質問の文言をチェックしていただくところからはじめていただければ……、あつかましいご相談なんですけど、ゆっくり末永くおつきあいいただければ、と。アタシもちろん、まさとさんがどんな暮らしをされているか存じあげてませんし、ほんとに可能な範囲でお願いしたく思います。
質問1:橋爪大三郎が整理してる(橋爪流)「言語ゲーム論」をアタシ的には以下のように理解してます、この理解はヴィッドゲンシュタインプロパーからみると、オッケーでしょうか? まぁまぁアリでしょうか? イエローカード? それとも致命的な誤解? いかがでしょうか?
アタシ的には。→「言語にかかわる人間の様々な行為はそれぞれ「サブ言語ゲーム」と見なせる。例えば、「法の『サブ言語ゲーム』」、「学問の『サブ言語ゲーム』」、など、もちろん日常言もひとつの「サブ言語ゲーム」。あらゆる「サブ言語ゲーム」が複合したものとして<言語ゲーム>はイメージされる。なぜなら、あらゆる「言語ゲーム」は、<言語ゲーム>もふくめて各ゲームのルールを、とうの「ゲーム」の内部で根拠づけることができないから。<言語ゲーム>のルールの根拠は、「行為の妥当性がいかに(言語で)了承されるか/されないか」という場面まで遡ってしまう。「<言語ゲーム>としてのコミュニケーションは『ルール改変的ゲーム』だ」とは、こうした事態を言い表している。
質問2:分析哲学や形式論理学をやってる人たちの大勢としては「言語ゲーム論」はどのように評価されてる/されてないんでしょうか?
質問3:ヴィッドゲンシュタインが着目した(んですよねぇ??)「日常言語」の曖昧性は、イエルムスゥとかが言ってる「自然言語の下論理性」と同一の事態をさしてるんでしょうか? ヴィッドゲンシュタイン在命中は「自然言語の下論理性」は指摘されてなかったと思うんですが?
自分でもデタラメにいろんなこと(苦笑)お尋しちゃってるっては、わかってますです。あの、どんなささいなアドヴァイスでも結構です。例えば「○○の件だったら××の本を読みなさい」とかでも。
無理にはお願いするつもりはございませんので(でもお尋ねしてる質問は無理ってゆうかムチャですわよね;汗)、どうかご一考いただければ。プリ〜ズ、なのです。長文で恐縮です。でわまた、See You Aga〜in.
P.S.えと、アタシの質問のめざしてるベクトルが「?」、でしたら、以下のアドレスに、TRPG「深淵」と「言語ゲーム論」をアタシ的に絡めてみた作文がアップしてありますんで、ご笑覧いただければ、
クリティカル・レヴュー2:TRPG『深淵』 〜 「言語ゲーム」の不透明な戦慄 〜
アタシリンクのはりかたまだ覚えてないんでお手間おかけしちゃいますけど。
P.P.S.>石頭様、とってもたくさん、ありがとうございました。重ねてお礼申しあげます。
(sf:URLリンクにしときました)
98年04月21日:00時11分52秒
TRPGと哲学>鍼原神無さま / まさと
>もしこのコメントをお読みでしたら、Resをいただけるととっても嬉しいです。
>鍼原神無さま。
……あ、私ですか?
友人(最近、ガープスの掲示板になにやら怪しげな書き込みをしている石頭氏)からメールを貰うまで、呼ばれている事に気が付きませんでした。
すいません(^^;
うーん、ハーバマスはちょっぴり齧ったけど、授業はほとんど寝てたからなぁ(^^;
ニーチェにおける認識がどーたらとかゆー話があったのは覚えてるような気がするんですけど……いや、あれは、ハイデガーだったけか?
比較的、授業を聞いてたのは、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー、ニーチェ、キルケゴール、後は、マールブランシュ……いや、ホントに、比較すれば、の話ですよ……くらいなんで、理解がある、とゆーところまでは、到底行き着かないと思うんですが、まぁ、お力になれるよーであれば、と思いまして(^^;
とりあえず、今回は、鍼原神無さんのコメントは読みました、くらいのレスなので、実際にお伺いされても、うーん、よく分かんないや、とゆー事になりかねないと思うので、あんまり期待しないで下さい(^^;
やっぱり、私は、言語ゲームを少しでも理解する為にTRPGを利用したのではなく……いや、勿論、卒論はそーゆ体裁をとってましたが……TRPGに対する理解を少しでも深めようと言語ゲームという方法を利用したに過ぎないので、その差はけっこーあると思います。
結論を先にゆーてどーする(^^
98年04月20日:12時48分35秒
Re:TRPGと哲学>まさと様 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>私、大学で哲学やってたんですけど、卒論は、TRPGとウィトゲンシュタインについてでした
>まさと様、
もしこのコメントお読みでしたら、Resをいただけるととっても嬉しいです。
アタシは、橋爪大三郎がハーバマス系の法哲学理論を概説した本で、後期ヴィッドゲンシュタインの「言語ゲーム論」の(橋爪流)アウトラインを知ったヤツです。
もしかしたら、TRPGというゲームの理解は「言語ゲーム論」が新たにとらえ直すことができるかもしんない、って思ってます。
でもアタシの正体は、ただの現代思想オタクなんで、哲学やってて、TRPGにも理解のある人をずっと(ここ1〜2年ほど)捜してたんです!
お伺いしたいことがた〜くさんあります。
もしこのコメントお読みになられたら、当掲示板にレスをくださいませ!! プリ〜ズ。
98年03月03日:06時19分29秒
RPGで哲学する! / hoo
はじめまして
哲学が何かは難しいんで置いておきまして。
村人のために野生の怪物を殺めることに抵抗を感じるキャラクターだとか、アンドロイドのキャラクターだとか
お話の終わった後に、話し合わずにいられない様なセッションが開けたら良いなーと考えてます 反面、考えずに乗りで遊べるときも楽しすぎますが(苦笑)
97年07月05日:17時38分17秒
RPGにおける神の位置についての一考察。 / はまきち
RPGにおける神の位置についての一考察。
1.世界内存在としての神:世界の構成要素、人格的存在。
2.世界外存在としての神:世界の創造主、超越的存在。
3.純然たる信仰対象としての神:宗教要素のための神、非存在。
4.ニヒリズムの状況下における神:神の死による絶望的な世界観(→永遠性の喪失のため)。
っつーことで、御一考下されば幸いです。
※ちなみに、エヴァにおける神は、2の例です。
97年03月28日:14時16分42秒
世界の哲学 / 御剣
サイバーパンク2.0.2.0.の哲学「速さは強さ」
97年02月14日:00時53分01秒
世界の哲学 NOVA編 / ぴゅうた
「数の暴力にはかなわないけど、やったもんがち。」
ちょっと違う気も少し(?)する。
97年02月08日:00時13分18秒
知性と感情 / ナカザキ
ちょっと『知性』と『感情』という話がでたので。
この二つを対立するものと考えている意見がいまだ多いように見受けられるのですが、個人的意見として言えば、『知性』と『感情』はなんら違いのないものだと考えていいのではないでしょうか。
少なくとも、アルゴリズムを持つという意味では等価です。異なる点はそのアルゴリズムの構造と、それが先天的に備わっているものか、後天的に獲得されたものか、という点に過ぎません。むろんこの性質の違いを重視することはできますが、『アルゴリズムが存在している』という一点では全く同一です。
『知性体』を考えるときに重要なのは、むしろ『そのアルゴリズムの変化』だと思うのですが。
#・・・だからGAだの何だのが出てきたんですけどね。
#そういえば、わたしの卒論は一応、ニューラルネットワークに関連しているはずだが・・・
#全然哲学になってない(笑)
97年02月08日:00時11分17秒
Re:Re:人工生命体 / ナカザキ
KLAX>人工生命体の心がどのように作られたのか
『心』というものの定義という、非常に哲学にふさわしい(?)議論になると思います。
ただ、哲学者がどう考えているかはおいておくとして(門外漢ですので)、工学的に言えば『心』というのは『脳の機能の一種(機能そのもの)』と考えて良いもののわけです。
#『知性』と『感情』も、その『機能』であると言う点においては同一だと思います
まあとにかく、『心』を『機能』と考えれば、
- アルゴリズムとして実装されている
- 入れ物をつくったらついてきた
というのではなく、『自己の論理を変化させられる機能を持ったシステム』がある程度の複雑な機能を獲得した時点で、『心』ができた、とそいうことになるのではないでしょうか。
なにしろ最初からアルゴリズムとして実装するには複雑怪奇に過ぎるでしょうし(できるのなら苦労しないが・・・(^_^;))、入れ物があるからといってそれでどうなるものではないというのは、例の『コンピューター、ソフト無ければただの箱』という名文句が証明しているわけですし。
KLAX>「人類もまた自然のひとつであり、
KLAX>私はたまたま変わった生まれかたをした地球生命に過ぎない」
KLAX>という見解をもつに至るのでは無いかと考えています。
まあ楽観的とは思いますが、もっと楽観的に考えれば、この考え方は途中経過に過ぎないかも知れませんよ?
『我々の発生はたしかに他の種族と異なっているが、しかし進化の系統樹の最初に位置するものはいずれも、発生した時点ではユニークな存在である。
そして我々にユニークな特徴は、物理的に先行種族の特徴を受け継いだのではなく、機能面における特徴を受け継いだことにあるのである。
『進化』を『後継種族に、より生存に適した特徴を伝える』こととするならば、人類がその最大の特徴である『思考能力』を継承する我々を産み出したのは、所詮、自然界の法則に従ったに過ぎない』
#SF的な考え方ですが、宇宙規模で言って『変わった』存在はナマモノである我々の方かも知れませんよ(笑)?
『自己補修、自己改善、自己進化』する機械ができてしまえば、機械のほうが人間よりも寿命が長い可能性は多分に有りますからね。彼らの方が宇宙を席巻する可能性は高いような気が(笑)。
97年02月07日:19時50分35秒
Re:人工生命体 / KLAX
わたしも昔この手のことは考えたことがあります。
そのとき考えたことは、人工生命体の心がどのように作られたのかということです。
「どのように」とは、
1.アルゴリズムとして実装されたもの。
2.入れ物としての肉体をつくったら付いてきた。
のことで、もしも1ならばどのような行動を起こすかというのは作った奴次第ですし
2の場合なら、もしもその生命体に十分な知性があり、不当な扱いを受けずに教育されたならば
「人類もまた自然のひとつであり、私はたまたま変わった生まれかたをした地球生命に過ぎない」
という見解をもつに至るのでは無いかと考えています。
すごく楽観的な予想かも知れませんが。
97年02月04日:20時23分37秒
人工生命体 / ナカザキ
SF設定の部屋で出た話題ですが、『人工生命体が作られたとして、これが人間に対しどのような行動に出るか?』という問題について、ちょっとだぶりますが、考えられるパターンを列挙してみました。
- 創造手にひたすら奉仕する
- 創造手からの独立を目指し、これを積極的に排除しようとする
- 創造手からの独立を目指すが、排除しようとはしない
- 創造手と己は別個の存在であるので、創造手に構わず己が道をゆく
- 創造手を切り捨てることはせず、共存共栄をはかる
#むろん、これが全てではありません。
さて、ここで問題になるのは『創られた者達』ではなく、『創る者達』がどのような哲学を持っているかではないかと思います。
早い話が、どのような人工生命体に何を期待しているか、あるいは何を求めようとするのか、ということです。いくつか考えたことを下に挙げます。
- 人間に対する絶対的な服従者である生命体に、絶対的な服従を求める
- ひたすら奉仕してくれるので、問題ありません。
- (しかしこれって、本当に生命体の名に値するのでしょうか?)
- 自我の確立した生命体に、絶対的な服従を要求する
- このパターンの場合、人工生命体の『生存』が危険に晒される可能性がままありますから、いずれ人工生命体が人間の命令を拒否することが考えられます。これを反乱といってしまえば、反乱になるわけです。
- その場合に人間が
- 暴力を用いても、あくまで服従を要求するか、
- 多少のトラブルの後に相手の存在を認めるか、
によって、闘争・孤立・共存共栄などの選択肢が分かれるのではないでしょうか。
- 自我云々ではなく、そもそも人類を殺すように作られた生命体
- 生体兵器という奴です。
- 制御し切れないようなものを作った人間の責任になるのでしょうが、しかしこれは人類と生体兵器のせん滅戦になりますかね。
- 新しい生命体に、自らの後継者としての発展を要求する
- 人間が滅びた(いずれ滅びる存在ですから)後も、進化を続ける子孫としての役割を求めるわけです。
- うーん・・・このような存在が、せっぱつまった理由(食糧不足とか何とか)なしに人間に手を上げますかね?雀はヒバリと争わない(餌が充分にあれば)のと同じことが起きるように思うのですが。
- こういうのを作るのはまあ、難しいでしょうがね(^_^;) 。早い話が、『人間を越えろ』と最初から要求するわけですから、大多数の人間はいやがるだろうと。
つまり、人間が『どんな存在を』『何のために』作るか、そしてその存在にどのような初期ベクトルを与えるか、それこそが人工生命の後の行動を決定するものであり、人間の種としての哲学が問われるのではないかと、そう思いますが、いかがでしょうか。
#個人的な意見をいうならば、可能なら『人類の後継者としての』機械生命体、というものを作ってみたいものです。彼らならどこまでも行けますから。
97年01月31日:14時42分41秒
世界の哲学 / 熊谷健太郎
青森の哲学
陽王の場合:
ある意味力は正義.もしくは我は正義なり.権利は正義.シンボライズされ
ることは,他者に安心を与える.
月王の場合:
自己犠牲.他者の幸せを願うことこそ最大の美徳.
法王の場合:
知識こそ最も尊きもの.力は利用すべきもの.
火王の場合:
勝利が正義.個々の幸せより全体の利益.
森王の場合:
降魔は悪.その影響を受けしものは全て悪.慈しむべきものは身内.
海王の場合:
全てはたゆたうがごとく.(哲学があるのか不明(^^;))
幻王の場合:
現実は限定しないこと.限定することによりある意味側面に拘束される.
龍王の場合:
自己鍛錬.己の力は己のためならず.
闇王の場合:
降魔は悪.悪を滅するには悪である必要がでる.生きることは業を背負うこ
とである.
星王の場合:
歴史とは悲しみ.悲しみを背負うことは生きる力を持つということ.
風王の場合:
個々の切磋琢磨こそ尊きもの.勝利よりも努力の心.
氷王の場合:
嫌なものは中に入れない(^^;).
97年01月31日:13時53分33秒
TRPGと哲学 / まさと
こんなトコがあるんだ。えーと、私、大学で哲学やってたんですけど、卒論は、TRPGとウィトゲンシュタインについてでした。主査が、TRPGについて分かってくれなくて、大変でした。
97年01月15日:17時10分33秒
世界の哲学「れれれ」 / でぶ猫
「人気よければすべてよし」
97年01月15日:10時40分40秒
re.世界の哲学 クトゥルフ編 / 雄高
クトゥルフの哲学
「好奇心が猫を殺す(笑)」
たしか、アメリカの諺だと思ったけど・・・?記憶が曖昧。
ちなみにこの「猫」とは、「でぶ猫」さんぢゃないよ(笑)。
97年01月15日:02時01分36秒
Rabbits & Rats の哲学 / 村瀬
Rabbits & Rats の哲学
「一握りの知恵と勇気、そして野生の本能」
やっぱり獣が好き!
97年01月15日:01時34分07秒
世界の哲学 / でぶ猫
Twerpsの哲学
「力が正義、生まれもった力の差はただより力ある者を利用することでしか埋められない」とか(笑)
深淵の哲学
「人生生きてせいぜい五十年、翻弄し、翻弄され、そして遅かれ早かれみな破滅へとむかう。選べるのは、ただいかに破滅するかである」
RQのオーランシーの哲学
「俺がルールブックだっ」
真女神転生TRPGの哲学
「あなたの日常? あなたの現実? それは、本当に見たままのものなんですかねぇ」
コンピラXの哲学
「気をつけろ。あなたの陰謀がうまくいっているように見えるなら、それは誰かの陰謀だ」
パラフリのしきがみ
「人(社員)の価値はもうけてなんぼ、社員も備品じゃ」
アースドーンのオークの哲学
「人生の価値ってのはよくも悪くもいかにアツく濃く生きたかだぜ」
クトゥルフやNOVAはちょっとくわしくないので、誰かやらない? あと蒼森も
97年01月14日:18時01分57秒
Re:世界観の魅力 / 漆黒の破壊者
宴会芸とは、手厳しい。(^_^;)
マスターの用意したシナリオのネタを100%生かした即興劇をそう言われると
悲しいですなぁ。もっとも、私自身、悪乗りし過ぎの感があったことは認め
ますが..、
ルールを無視するなら問題ですが、それに抵触しないように掻い潜り、現実
の壁を盾に遊ぶのも楽しいもんだと思います。
しかし、前の書き込みは誤解を招くか、やはり...(^_^;)
97年01月14日:15時38分05秒
世界の哲学 / malraux
- PARANOIA世界の哲学
- 「警戒せよ! 誰も信じるな! レーザー銃を手放すな!」
- Shadowrun世界の哲学
- 「タフでなければ生きていけない。スタイリッシュでなければ生きていく資格がない」
- トラベラー世界の哲学
- 「人生は重き借金を背置いて坂を登るがごとし」
さあ、みんなも「ウィッチクエスト世界の哲学」「深淵世界の哲学」
などなどを考えてみよう!
97年01月14日:12時22分21秒
Re: 世界観の魅力 / 武藤 潤
私はそういう宴会芸の域を一歩も出ていない遊び方は子供っぽくて嫌いですが。
97年01月14日:12時16分31秒
Re:世界観の魅力 / 漆黒の破壊者
世界は、キャラクターに付属する(笑)が信念なもんで...。
結構、オフィシャルな世界をぶち壊したり(笑)、ルールを90%以上使用せず、
まさに、ロールだけでゲームをしたりするとねぇ(笑)
行為判定なしTRPGって、楽しいですよ。メンツさえ揃えば。
しかし、多少の破綻は勢いで突破すると言うのがゲームしょ。
97年01月13日:23時37分45秒
世界観の魅力 / でぶ猫
好きなゲームの世界観を哲学すればいいと思いますよ。
だって,そのゲームが好きだということは,そのゲームが表現しようとしている(ルールなどを含む)世界観が好きだということですから。
どのRPGも嫌いだというなら,別ですけどね。
★結構如実に現われるのは「魔法」や「特技」かなぁ
(コミックや小説って,話として完結していれば多少の破綻も許されるからなぁ。ゲームの場合は,それがあると途端に問題が出るし)
97年01月13日:17時55分14秒
Re:世界観にみる哲学 / 漆黒の破壊者
ゲームの世界観が魅力的って、感じることは無いですね。これまでは...、(^^;)
で、いまちょっち、気が惹かれるのが天羅ですか..、もっとも、これもサムライって
奴の生きかたってとこに惹かれるんですけどね。
まぁ、実際ゲームの世界観よりコミックなどの方が世界としては閉鎖(完成されてる)
されてて、魅了的だと思いますね。結構、作者自身その中のキャラクターで語ってるし
ねぇ。
例えば、バスタードなんか、結構、その辺の語ってると思いません??
>では仮に満たされた人間がいるとして、それはどういう人間になるのでしょう?
推定ですけど、求める必要が無いので向上心が無く、満たされてるので外部から
の反応に対して冷淡、ってとこですか。 私が考えるところでは、
97年01月11日:13時35分26秒
世界観にみる哲学 / でぶ猫
しかし、こう(話は変わるのですが)思うのですが、ある程度以上の人が魅力を覚える世界観の
RPGって、やはりこうその世界観に一本デザイナーの哲学のようなものが通ってるんじゃないかと
思います。それは「実践理性は純粋理性に云々」だのなんだのいうような小難しい体系だった哲学じゃ
なく、わりと誰にでもわかりやすい、日常的なものじゃないかと思うんですよ。(まあ、ポリシーみたいなもんかのう)
みなさん、世界観の魅力的だと思うRPGを紹介して「ここんとこがこういうわかりやすい哲学になってて、この
世界の人はだいたいこれに従ってる」というのを紹介なり分析してみませんか?
そう、それがわかれば、きっとその世界の人々の考え方も理解でき、ロールプレイにきっと役立つでしょう。
97年01月11日:13時24分12秒
Re:では / でぶ猫
おなかいっぱいになって、幸せな気分の時のようなもんでしょう。
97年01月11日:09時52分10秒
では / ジョーカー
では仮に満たされた人間がいるとして、それはどういう人間になるのでしょう?よくわかんないんすよね。
97年01月11日:08時02分37秒
渇き / でぶ猫
心理学な話だなぁとおもいながら雑感。
満たされて、なお満たされぬというのは、それがただの補償だからぢゃないかな、と思います。
テオリア(まあ、「理想」ってやつですね)に向かって漸近してゆく、つまりより改善してゆくというのは、「向上」という
健全な傾向だと思います。これはむなしいものではなく、達成感がともなうもののはずです。
これが破滅的ともいえる「欲望の権化」となるのは、強いトラウマでしょう。トラウマを補償するために間違った方法を取る。→根本解決にならず、よけいひどくなる。水虫を
ただひっかいてなおそうとしているがごとし、ですな。
ヒトラーがどんなに虐殺と侵略を行おうと、彼のトラウマである第一世界大戦の敗北とみじめなドイツ、そしてその貧困の中でより巧みに生きたものにユダヤの民があったという事実はくつがえせないでしょう。
喜びより苦しみのほうがより人を激しく動かすでしょう。しかし、それはその人とその周囲に破滅くらいしか与えますまい。ヒトラーは自らのコンプレックスに鞭打たれる奴隷だったわけですな。
そして喜びというものはいわゆる「健康で文化的な最低限の生活」ってやつの上にたつわけです。「衣食足りて礼節を知る」とも申しますし。
(「補完計画」って名称は朝鮮戦争などで米国の対敵工作などを担当したというちょっとすごい経歴を持つ作家、コードウェイナー・スミスのもののぱくりだったように思います。人類補完機構シリーズね。このシリーズ、結構古いのに非常にジャパニメしてるんじゃないかと思います)
97年01月11日:04時19分53秒
満足感 / sf
実際にはある程度満たされると、極度の欲望ってのは無くなって推進力としては弱いように思います。
個人的には失うことへの恐怖のほうが推進力としては使いでがあると思います。物語を駆動するもの――恐怖でも書きましたが。
……引きよりも押しのほうが使いやすい、ってことだな、これ。(;^^)
97年01月11日:00時34分33秒
心と満足 / malraux
いかにもフロイトの思う壺って感じであんまり賛成できないっす > 全ては心の満足のため説
でも心理学の部屋向きの話題という気もする。
97年01月10日:21時49分33秒
補完計画 / ジョーカー
エヴァを見ていた僕も実はよくわからなかったのですが、補完するというのは確か全人類の心をつなぎ合わせて、個人個人の心の欠損を埋める、ということでしたっけ?
しかし心の欠損というのは周囲の環境により生じる訳ですから、それを改善しない限りイタチごっこなのではないでしょうか。素人の言うことですから、はっきりとわかっている訳ではありませんが。
97年01月10日:12時44分23秒
re満たされぬ心 / 漆黒の破壊者
EVAは、見てないのでわからないけど....、そんなに凄いことを庵野さんは、語ろうとしてたの?
まぁ、「補完計画」でしたっけ?、最後までその意味、位置づけ等は不明だったと我が知人は言ってまし
たが...。
基本的に、「心が満たされない限り、欲望が暴走し破滅を招く」という考えは、否定しませんが...、
もし、暴走する欲求を押え込めたら、それはそれで穏やかな破滅でしか無いと思うのですが。
私はこう思います。
「どの道、人は安定を求めるしかないのさ、そして、過剰なまでの幸せを求めて、幸せの階段から転げ
落ちちまう。ごくまれに、途中で満足する奴もいるさ、そいつらは、静かな破滅へのエスカレーター
に乗ってるのさ...。いずれにしても、人っていう種の限界なのさ」
昔の私のPCの台詞ですが..(^_^ヾ
◎フェイト=フェイト=●カタナ 不破”J.J”疾風
97年01月10日:11時24分39秒
満たされぬ心 / tomy
結局のところ「人間は心の充実感を得るために行動している」んですよね。その手段として、欲望を満たしたり、仕事に打ち込んだり、恋愛したり、宗教に心をゆだねたりしてるわけです。「際限ない欲望」は「満たされぬ心」から生れるわけですね。こう考えると、「人類保管計画」を考えた庵野監督はすごいですね。心が満たされぬ限り、欲望は果てしなく増大し、人類を自滅に追いやるんですから。
96年12月25日:07時16分58秒
TRPGのための哲学設定の部屋 / sf
TRPGに哲学を利用するための話をしましょう。
……どう利用するんだろうか。(;^^)
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