TRPGのための諸人類学的設定の部屋 LOG 001

TRPGのための諸人類学的設定の部屋の1999年02月28日から1999年05月24日までのログです。


1999年05月24日:07時59分35秒
ルールブックに説明のない世界設定の判断 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 TRPGでよく話題になることのひとつに「ルールブックに記述のない世界設定(世界設定記述の欠落部分)についての、妥当な解釈のしかた」につていがありますよね。
 少なくないルールブックでは、「(記述のない事項は)常識で判断してください」的なことが書かれていると思います。
 で、この「常識で判断してください」ですけど、実は、TRPG経験がある程度ないと勘違いが置き易い説明である気がします。
 今回は、文化人類学的事例を参照して、この件について考えてみたいと思います。
 
 あたりまえのことから確認してゆきますけれど。ルールブックの世界設定には、あらゆる事象についての記述が書かれるわけにいきません。
 そのため、通念的に読者が知っていると期待される事象から、記述が省略される傾向があります。
 まず、「記述のないことは常識で判断してください」にはこうした意味合いが認められます。
#外国製TRPGシステムの和訳の場合、この「通念的に読者が知っていると思われること」の内用が、日本のそれと、外国のそれで異なる可能性があります。この可能性は重大なポイント足り得ると思われますけれど、今はおきます。
 
 さて、今回話題にしたい文化人類学的題材は一夫多妻制度です。
 まず、現実に実在する(実在した)、文化で一夫多妻制度が許容されている事例についてみてみます。
 文化人類学者の報告によると世界各地の文化を比較してみた場合、一夫多妻制を許容する文化共同態は多くて、一夫一婦制のみの文化が18%であるのに対して、一夫多妻制も許容する文化は81%、多夫一妻制度も許容する文化は逆に少なくて全体の2%、という説があります。
 この報告の場合、サンプル数は238、で多いとは言えませんし。アタシもサンプルの内訳は調べられませんでしたので、例えば、百人程度の部族の文化が、ひとつの文化共同態、としてカウントされている可能性はあります。
 ですので、文化の数、ではなくて、世界中の世帯(夫婦)のありかた、を検討すると、一夫一婦制が優勢、とはい得るのではないかと思われますけれど。ただ、いまそこに論点を持っていくつもりはありません。
 
 一夫多妻制も許容している文化で、実際に多妻を家族に受け入れている事例は、当該の社会の内で富裕な社会層、または首長などの有力者にかぎられる傾向が認められるといわれます。目安として、ある共同態の内で、一夫多妻世帯に属する妻が、すべての妻の数の40%を越えている文化を「一夫多妻制が多い」文化とみなす、という意見もあるよぉです。
 
 これは基本的には、一般に人類のオス・メス比が、概ね当分であることに由来します。
#長期間の戦争などで、一時的にある社会の男女比均衡が乱れる、といったことはよくありますが。
 特に一夫多妻制家族が多い文化では、文化的に規定されている結婚適齢期に男女間で格差があることが顕著とされています。男性の結婚適齢年齢が、女性のそれより高いと、結婚適齢期にある男女比だけをみると、男性のほうが少ない、ということになるいわけで、こうした文化共同態では一夫多妻の世帯が多くなる理屈です。
 
 さて、例えば「人間の男女比が概ね、当分」というようなことは、通例ルールブックの世界設定には記述されないと思われます。これが、ルールブックの読者が通念的に知ってると期待されることの事例ですね。
 逆に、なんらかの理由付けがあろうとなかろうと、男女比が大きく偏ってる世界が設定されていたら、そのことはルールブックに明記されていることでしょう。
 
 ところで、今、ある架空のTRPGシステムの世界設定で、「一部の限定された領域(「国」)で一夫多妻制度が許容されていると設定されている」と仮定してみます。
 この場合、GMやプレイヤーに期待される通念はどこまでとされるのが妥当でしょうか?
 アタシは、「人類のオス・メス比は概ね当分」ってとこは確実に、通念として期待される思います。
 より精密に考えるなら、プレイヤーがもつ常識(通念)とPCが持つと仮定される常識(通念)の共有部分ってことですけど。
 
 そーすると、あらゆる世帯(夫婦)で一夫多妻であるわけはないんじゃないか? って推論は妥当なものとして出てくるはずと思います。この推論も、プレイヤーもPCも持つ通念(世間一般的常識)の範疇ではあると思います。
#IQやINTなどの数値が低くて、そんなことも考えられないPCとゆーのはいる気がしますけど。それはやや、通念とゆーか、知的冷静さに欠けるPCとゆーことで(笑)。
 
 さて、次のステップとして、そのTRPGシステムで「一夫多妻制が許容されている領域(国)では、男女間の結婚適齢期に格差がある、との文化設定が為されている」と仮定します。
 このステップでは、あるPCが、その設定を知識として知っているか否かがもんだいになりますよね。
 もし、知っていれば、そのPCは、もんだいの国一夫多妻制にある程度正確な理解を抱く可能性が出てきます。
 もし、知らなければ、そのPCは、その国の一夫多妻制にある種の疑問を持つかもしれません。
#もちろん、PCにあまりめんどーなことを考えさせないで「変わった風習の国だなー」的に珍しがらせるだけでも、構わない場合も多いでしょぉ。
 
 つまり、「ルールブックでの世界設定記述の欠落部分(記述の無い事項)についての、妥当な解釈のしかた」としてよく言われる「(記述のない事項は)常識で判断してください」を、精密に見てみると、「プレイヤーが持っている通念(常識)的知識を、PCが持ってると仮定される架空世界内の知識や、判断基準で解釈してください」とゆー意味になるのだと思われます。
 なんか、あたりまえのことしか書いて無い気がしますけど(汗)。従来、「システムの世界観から判断」とも言われることがあった、この件。「システムの世界観」って物凄くいろんな要素が含まれた(含まれ得る)、その意味で便利な表現だと思うんですね(私見)。
 TRPG経験ある程度ある人でないとピンとこない言いかた、とゆー気もします。
 その辺、気になっていたので、割とあたりまえのことですけど、作文してみました。
 
 ちなみに、今回の「一夫多妻制がある領域(国)」の思考実験では、一応、世界設定にリアリティとゆーか、実在感〔アクチュアリティ〕が認められるケース、を念頭においています。
 たとえば、『アラビアン・ナイト』的な物語の実在感〔アクチュアリティ〕とか、『ほら男爵の大冒険』的、荒唐無稽な物語の実在感〔アクチュアリティ〕を仕組むシステム、といった類のものがあったら、全然話しは変わってきちゃいますです。
1999年05月17日:21時36分39秒
書誌情報に関する訂正 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 「『法』の系統に注目した、人間集団の諸段階(長文)」の参考図書、書誌情報に誤りがありましたので正します。

 カトリーヌ・ルブタン;著,知の再発見双書36『ヨーロッパの始まり 新石器時代と巨石文明』
 クリスティーヌ・エリュアール;著,知の再発見双書35『ケルト人 蘇るヨーロッパ<幻の民>』
 ミシェル・カプレン;著,知の再発見双書28『黄金のビザンティン帝国 文明の十字路の1100年』
 ピエ−ル・ブリアン;著,知の再発見双書57『ペルシア帝国』
 
 上記4冊の書誌情報ですが、「創元社,Tokyo」は誤りです。
 正しくは「創元社,Osaka」でした。
#誤りを指摘してくれた、友人のイチローくんに感謝。
1999年05月17日:08時10分48秒
補足:原・習俗、原・戒律 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 昨夜IRCチャットで質問をいただいたので補足を書いておきます。
 
 「人類学的にみた『法』の系統」
>部族段階のプリミティブな共同態では、非常時態に際しての「掟」の解釈・運用に、土俗信仰の継承者(継承集団)が関与することはあり得ることですので、この段階では「掟」と「戒律」の間の関連はとても強いと言えます。
>いうまでもなく、うえで、述べている「戒律」は、ユダヤ民にとっての「律法」や、イスラム教徒にとっての『コーラン』などと比較するとはるかにプリミティブな段階のものをイメージしています。その意味では「原・戒律」とでも呼ぶべき概念かもしれません。
 
 ここで使ってる「原・戒律」ってのは、プロパーな用語ではありません(「原・習俗」もです)。
 ニュアンス的には、「原」 でプロト、と言った意味を付与しよぉとしています。
 「原・戒律」に関して言えば、高度に展開した宗教(宗教教団)の戒律に比較して、“プロトな”戒律ってことです。
 
 「『法』の系統に注目した、人間集団の諸段階」
>バンド集団(群団)の段階:この段階では、「原・習俗」での統合が優勢で、「掟」と「原・戒律」の分化があるとしても、比較的たんじゅんな分化で、その境界も曖昧なものが多いと思われます。
 
 バンド集団では、タブーの体系を含んだ習俗に、集団統合のいろいろな手段がプロトなまま埋没していると言えます。
 具体的には、期限神話の形で、タブーの根拠づけが説明され、タブーの侵犯が、即、共同態からの放逐や場合によっては死を含んだ処罰につながる、などですね。
1999年05月16日:23時30分58秒
「法」の系統に注目した、人間集団の諸段階(長文) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 さて、「原・習俗」(「『親族制度』を含んだ『タブー(タブー)の体系』」段階の「習俗」)と「掟」、「原・戒律」、「法」、「(高度に展開した)戒律」を、「にんげん集団統合形式の諸段階(長文です)」(当掲示板,カンナ記,99年05月09日:14時17分00秒) と関連づけてみたいと思います。
 
バンド集団(群団)の段階:この段階では、「原・習俗」での統合が優勢で、「掟」と「原・戒律」の分化があるとしても、比較的たんじゅんな分化で、その境界も曖昧なものが多いと思われます。
 
部族段階:この段階では、「掟」と「原・戒律」の分化はより明確になってきています。特に、首長制の段階になれば、さらにはっきりするでしょう。
 他に重要なポイントしては、部族段階の共同態が、たんじゅん国家や帝国との交流・緊張関係などにあるとき、場合によっては「見よう見真似」って感じで「法」が導入されることもあります。この場合導入された「法」もプリミティブなものですし、場合によっては共同態の内部に新たな緊張や矛盾を生じることもあります。
 一般に、部族段階の共同態が、たんじゅん国家や帝国との交流・緊張関係にあるときは、部族の土俗信仰と、国家、帝国の宗教ともなんらかの緊張関係を持ち易いです(緊張関係の程度は様々ですが)。例外は、ある文化圏の内で当初から強制関係にあった諸部族の内のある部族から、国家に転じる動きが出た場合でしょうか。この場合、複数の土俗信仰が、混交、再編成され新たな段階に展開されることもあり得ます。
#この辺の感じは、フィクションではありますが、白土三平・作のマンガ「バッコス」連作の、『バッコス』編(全5巻)に、よく描かれています。
 
たんじゅん国家の段階:この段階では、少なくとも「掟」と「原・戒律」の分化は明確になっているはずです。
 また、土俗信仰の継承団体が高度化し、組織分化が進んだものが、主要統合手段になっているケースでは、「原・戒律」がより高度に展開していることもあり得ます。この場合「掟」と「戒律」の相補的な関係の制度化も始まっているかもしれません。「掟」と「戒律」の間に緊張関係があることもあれば、「戒律」が「掟」を下位に従属させていることもあり得ます。
 たんじゅん国家でも、統治者(または統治集団)への権力集中が進めば、プリミティブな「法」の発布がおこなわれていることはあります。しかし「法」の発布の初期段階では、「法」は多くの場合「習俗」や「タブー(タブーの体系)」、または「掟」との間で緊張感系を持ちます。この緊張関係が矛盾関係に転じるときに、共同態成員に土俗信仰の介入が望まれることは比較的一般的です。
 他に重要なケースとしては、たんじゅん国家が、高度に組織化された宗教を持った帝国との交流・緊張関係などにあるケースがあります。このケースだと帝国側の宗教の戒律に刺激を受けて、たんじゅん国家の側の「原・戒律」がより高度に展開されることがあります。
#例えば、ニホンの古代国家が、いつから「国家」と見なされるに相応しい段階に達したかは、諸説が併存する話題なのですが、仏教の組織的伝来が刺激になって、ニホン側の土俗信仰が、「神道」という形式への編成へと進められた、とは言ってよいでしょう。
 また、高度に組織化された法を持つ帝国との交流・緊張関係などにある、たんじゅん国家では、「掟」から「法」への組織化が促進されることがあります。多くの場合、この過程はたんじゅん国家の内部に矛盾を生み出しかねません。
 
 さらに、高度に分化・組織化された宗教を統合手段とした帝国が解体する過程で発生したたんじゅん国家では、「法」と「戒律」の関係性に不整合が生じ易いですし、相補関係が安定しがたい傾向があります。
#初期西欧中世の諸国家は、単に古代ローマ帝国が解体したものではありません。従来の歴史学的通説では「ヨーロッパとは、ローマ、ゲルマン、カソリックの複合から生じた複合態」と、言われていました(現在の歴史学・人類学的話題としては、ケルトなどゲルマン以外の先ヨーロッパ的要素の再評価が重大課題になっています)。しかし、西欧初期を通じての皇帝権と教皇権の相補的緊張関係を文化人類学的にみると、「ゲルマン的に理解された皇帝権」と「末期ローマ帝国的キリスト教からの分離を図ったローマンカソリック」の間の緊張関係と見ることができます。
 また、高度に組織化された「法」を統合手段とした帝国が、解体する過程で発生した国家では、「法」の運用組織が衰弱、または解体する関係で、「法」が単なる形式になったり、「法」の内実が変質したりもします。「法」の衰弱によって、「戒律」の権威が相対的に上がることもあるでしょう。
#通念的には「ビザンティン帝国は古代ローマ帝国に比較して、神の代理人としての皇帝の権威が宗教的に高く、神権国家」とも見なす意見も少なくありません(もちろんビザンティン帝国史でも、時期に応じて様相は様々ですし、旧弊な説として批判する有力意見もあります)、この例などは、「法」と「戒律」の関係が変質した例と言えます。
 
 帝国段階の国家は、多民族を統治する複合国家ですので、一般に「法」の組織化も、「宗教」の組織化も進みます。「法」と「宗教」との間の相補的関係も、必ずしも安定したものとは限りませんし。王権(皇帝権)と「宗教」の権威が近しいときは、「神権国家」の態勢が採られます(古代エジプトの諸王朝など)。
 また帝国段階の国家でも、その態勢が脆弱な場合、皇帝権は、統治下の諸国家の統合形式への人為的改変をあまり積極的にはおこなわず、諸国家の自律性を部分的に容認することがあります。(このケースの事例としては、ペルシァ帝国のダレイオスの事跡などが挙げられます)。
 特に、「宗教」に関してみますと、帝国の版図拡大に応じて、帝国本来の宗教は民族宗教的狭量さから脱する必要に迫られるのですが。この飛躍に失敗すると、教団の権威低下や、場合によっては多民族統治の矛盾を深刻化させますし、帝国自体の衰微の遠因ともなりがちです。
#例えば、戦前の大日本帝国が、統治下の異文化領域に神社をたてたなどもこの事例に近いかもしれません。
 また、高度な神権態勢が優勢である帝国が長期間続くと、その統治下では民族の混交、場合によっては新民族の形成が、促進される傾向があります、これは、帝国の「法」は異文化間の矛盾を調停することがその機能であるのに対し、一般に宗教教団には、信者の帰属意識を単一化しようとする強い傾向が認められるからです。
#民族の混交による、新民族の形成の顕著な事例が、近代西欧の諸国の形成過程の見られます。西欧の事例では、たんじゅんに、「高度な神権態勢が優勢である帝国が長期間続くいた」とは言えませんが、皇帝権と教皇権の、緊張しつつ、相補的な関係の展開から、西欧近代が準備されたという面は重要ではないか、と思われます。
 
補論:
 この投稿では、「法」の系統に注目して、にんげん集団統合形式の諸段階である、バンド集団(群団)/部族/たんじゅん国家(王国)/帝国(複国家統治)、のカテゴリーを詳細化してみました。「にんげん集団統合形式の諸段階」は抽象的なカテゴリーで、厳密には、論証された過去の事象から抽出された歴史概念とも言い切れない面も含まれます。しかし、完全に理論的な抽象概念でもありません。
 さしあたり、文化人類学的知見が歴史学にフィードバックされる過程で生じたカテゴリー、と捉えてみるのがよいと思われます。今回の書込で挙げたよぉな論点は、そのほとんどが、諸人類学が、19世紀的な歴史学に批評的に貢献する過程で発見された論点と言えます。
 「にんげん集団統合形式の諸段階」の諸カテゴリーは厳密には歴史概念ではありませんので、今回の「法」の系統についての検討のよぉに、歴史的にも同時代的にも関係の深い諸集団の間での影響関係によって、文化を構成する諸要素のレベルでも、要素間の関連のレベルでも、無数のバリエーションが生じるわけです。
 なお、この投稿で論じた詳細化だけでは、人類史的に唯一の事件であった、近代西欧の発生過程は充分説得的には説明しきれないと思われます。まー、西欧近代ってゆーのは、それくらい異例の社会形態だ、ってことですね。
 
参考図書:
白土三平;作,『バッコス』1〜5(BIGCOMICS、BC114〜118),小学館,Tokyo,1978〜1979.
※アタシの所有する版には記載がないため,ISBNコードは略します.
 
高取正男;著,『神道の成立』(平凡社ライブラリー、た-1-1),平凡社,Tokyo,1993.ISBN4-582-76005-8 C0314
堀米康三;著,『正統と異端ヨーロッパ精神の底流』(中公新書57),中央公論社,Tokyo,1964.ISBN4-12-1000576-9 C1222
カトリーヌ・ルブタン;著,知の再発見双書36『ヨーロッパの始まり 新石器時代と巨石文明』,創元社,Tokyo,1994.ISBN4-422-21086-6 C0322
クリスティーヌ・エリュアール;著,知の再発見双書35『ケルト人 蘇るヨーロッパ<幻の民>』,創元社,Tokyo,1994.ISBN4-422-21085-8 C0322
ミシェル・カプレン;著,知の再発見双書28『黄金のビザンティン帝国 文明の十字路の1100年』,創元社,Tokyo,1993.ISBN4-422-21078-5 C0322
ピエ−ル・ブリアン;著,知の再発見双書57『ペルシア帝国』,創元社,Tokyo,1996.ISBN4-422-21117-X C0322
1999年05月16日:23時25分47秒
人類学的にみた「法」の系統 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 「TRPGのための法学的設定の部屋」でラウールさんの投稿、「法の属人主義」(99年05月12日:00時36分40秒)をきっかけに、らむださんも交え、法の属人主義をめぐるやり取りがありました。法学的な考えかたは、アタシよく知らないのですが。おそらく、人の手で制定され、そのために改変の可能性が広く承認されている「法」と。いつから定められているか、定めた主体が誰なのかが定かでない「掟」の類は別概念、とされるのではないかと思います。
 西欧的な「慣習法」の概念も、「掟」の類とは違って、法律と判例の集積といったものであるようです(法学からみると曖昧な理解かもしれませんが)。
 
 また「『ローマ法大全』と西欧近代法学的思考の特殊性」(「TRPGのための法学的設定の部屋」,99年05月13日:18時06分09秒)で、らむださんが示唆しておられるよぉに。モーゼやムハマンドが神から授けられたと観念され、改変の可能性が承認されていない十戒や、コーランも、人の手で制定された知られている「法」とは別性質の類と考えるのが法学の前提なのではないでしょうか(?)。
 法学には法学が専門的に対処すべきもんだい領域があるので、そうした区別は重要なはずと思われます。
 
 人類学でも、うえにあげた「法」と「掟」と「戒律」の区別が無視されるわけではありませんが。特に、社会人類学的視点(「TRPGのための諸人類学FAQ」を参照されたし)からは、社会統合の機能を担う「法」の系統(「法」「掟」「戒律」、など)の類縁性も重視されます。
 特に重要と思われるのは、同じ「掟」や「戒律」を受け入れるにんげんは、同じ共同態に服する、と観念され、共同態への帰属意識を強める点です。この点は、異なる出自や利害関係を持つ者の間での調停手段、とゆー、近代以降の法の基本であり重要な性格とは異質な面です。この辺が法学的視点と、人類学視点の差違ではないかと思われます。
 
 「『文化』のカテゴリーと関連性について」(当掲示板,カンナ記,99年05月01日:21時18分04秒) で挙げた、「TRPGの世界設定に関して、重要だと思われる(アタシなり)文化カテゴリー」の中から見ると、図式的には、「親族制度」を含んだ「タブー(タブーの体系)」が変質し「掟」が形成されると見なしても、そぉはまずくないと思われます。
 
 さて「戒律」ですが、これはまず、共同態の内で土俗信仰を継承する集団が分化する過程で形成されると思われます。
 より精密に図式化するなら、まず、「『親族制度』を含んだ『タブー(タブーの体系)』」段階の「習俗」のみで統合されてる段階の共同態があり、社会的分化がやや進んだ段階で「(先の)習俗」が「掟」と「戒律」に分化すると見なされるべきでしょう。
 部族段階のプリミティブな共同態では、非常時態に際しての「掟」の解釈・運用に、土俗信仰の継承者(継承集団)が関与することはあり得ることですので、この段階では「掟」と「戒律」の間の関連はとても強いと言えます。
 いうまでもなく、うえで、述べている「戒律」は、ユダヤ民にとっての「律法」や、イスラム教徒にとっての『コーラン』などと比較するとはるかにプリミティブな段階のものをイメージしています。その意味では「原・戒律」とでも呼ぶべき概念かもしれません。
1999年05月12日:00時41分54秒
法の属人主義(掲示板移動) / ラウール
 はりはらさんの役には立たないと思いますが,ちょっと話題に出たので,法の属人主義について事例などを「TRPGのための法学的設定の部屋」に書きましたので,興味がありましたらごらんください。
 ちょっとだけ専門的な堅い話です。
1999年05月11日:22時10分09秒
事情説明:「国家の構成要素と諸類型」の個人的凍結 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>PALM-12さんへ
 混乱させちゃったみたいですみません。
 
 えーっと、「TRPGのための政治学的設定の部屋 LOG 005」,「『国家』の構成要素と諸類型」(カンナ記,98年12月26日:10時06分20秒) からはじめちゃった、[国家の構成要素と諸類型]ですけど、考え無しにはじめちゃった(苦笑)だけあって、個人的には当面凍結したく思います。
 PALM-12さんにはマージ文のコピーを投稿してもらったり、あと皇帝さんにも期待していただいたりしてすまないのですが(汗)。
#ただし、皇帝さんのご期待には別のアプローチでお応えしたく思います。まー、どこまでご期待に添えるかもわからないんですけれど。
 
 個人的な凍結でして、(まだ当面は)破棄ではありませんので、PALMさんに限らず、これまで公開しました関連作文への疑問やご意見には、できるだけお応えしてゆきたく思います。
 
 [国家の構成要素と諸類型]のアプローチにはいろいろもんだいがあって、ゆきづまっちゃったんですよね。
・ともかくどんどん抽象的になっていっちゃう。
・抽象的な割になってく割にはこなれない。
#PALM-12さんが転載してくださった、メールの内容なんてひどいもんです(苦笑)。まったくもってなにをいわんとしているのかわかりづらい(困)。
#まー言い訳すると、アタシはプライベートで役に立たないことをボーッと考えるのが趣味(笑)なんですけど。だいた、そーゆーときは、転載されたメールみたいに“わけのわかんないこと”を考えてるんです(苦笑)。
#だから、普段アタシが掲示板に書込む作文に関しては、いかに気を配っているかがわかっていただけよーかとゆー(ホントか?:苦笑)。
 
・どんどん変なふーに抽象的になっちゃうのは、出だしのところで、「国家」の西欧近代的定義「国土/国民/政府、そして主権」の概念を変容させて取り掛かったって不徹底とも思われます。
#だいたい、冷静に考えてみれば、超歴史的な国家の概念規定なんてできたら、マルクスもヴェーバーもケ飛ばせるって(汗)。
 
 結局どんどん変な風に抽象的になっていって、あまりTRPGの参考にはならない感じになってきちゃいました。
 で、アタシ的には少しアプローチを変えよーと思います。
 「にんげん集団の統合形式」に着目して、国家以前の段階の諸集団が、どんなふーに、どんな国家に変容してくか、とか、どこからが国家と考えられるか、とか、まーそーしたことをあれこれ検討してみたらどーかなーと思うんです。
 
 例えば、中世西欧諸国家の初期では法は属地主義ではなく、属人主義だった時期があると言われます。なにか事件があっても、当事者が所属している共同態の法(掟)で裁かれる、ってゆー原則ですね。
 これは近代的な国家主権の概念からみたら、とても主権が確立してるとは言えない。だからといって、中世初期の諸王国が国家といえないのか? 言ってよいのか? はたまた、国家としては未成熟、とか言ってすませるのか??
 
 まー、あいかわらず大風呂敷ではあるのですが(汗)。
 アプローチのポイントとしましては、「『文化』のカテゴリーと関連性について」(当掲示板,カンナ記,99年05月01日:21時18分04秒)でふれましたよーに、「重要なのは、(どんなカテゴライズであるにせよ)文化の複合に含まれるカテゴリー間の関連」の仕方ってとこに着目してみたらどーかと思います。
 遊牧民族のよぉに、他の共同態との間で領域を占有しないのも“国家”とみなせるかもしれない。
 西欧初期中世の諸国家のよぉに、態勢の内部に抱え込んだ超国家的な教会組織と共棲していても国家は国家かもしれない。
 ローマ帝国属領のユダヤ王国のよーに多大な主権を制限されていても国家は国家かもしれない。 パラダイス・フリートの“しきがみおえど”のよーに、政府といーものがメガロコスモポリタニックな企業態に解体、吸収されても国家であるのかもしれない。
 と、まー、国家の必要条件を、にんげん集団の統合形式(手法)と文化の構成形態(構成要素の構成のされかた)に着目してみてゆき、とりあえず、十分条件のほーは、あえて考えない(笑)、ってアプローチはどーだろーか? とか、懲りずに、いーかげんなことを考えてるところであります。
 
 いじょ☆
1999年05月10日:15時55分18秒
[国家の構成要素]公空間についての質問(+解答) / PALM-12
#ども,気が付くと鍼原さんの力作がUPされており,少々混乱気味のPALMです。
#以前、鍼原さんにMailさせていただいた際に本来ならば、この掲示板上ですべき質問をついMailに書いてしまいました。 結果、返答を頂いたのは良かったのですが、結構重要な情報かなと思いアップさせていただきます。
#もし不都合等がありましたら削除等をお願いします > 鍼原さん
#また,この文章の最後にあるボクの感想は,鍼原さんの3つの書き込みを読む前に書いたものである為,ポイントがぼけているかもしれませんが,一応参考までに載せておきます。


●質問(PALM-12)
「『統治機構』のテリトリーである公空間も統治装置に含まれる」を削除する理由についてですが,この場合の公空間の意味合いは「統治装置」が管理する「領域」の中で「権威」の格付けが上位にきたものにすぎない。 同時にこれらはサブシステム内にも存在する為,それを「統治装置」内に組み込む事は定義に破綻きたすからでしょうか?

●解答(鍼原さん)
あー、いや、超発展段階的に<国家>を考えて、近代西欧型の国家システムの一般的視座への解体を考えるとき、「公空間」は「祝祭空間」が制度的に固着されたものと思われるからです。
「祝祭空間」は、特定の社会集団の全体を覆う事態と思われるので、「公空間」を「統治機構」の下位から外したほーがよいのではないか(考え中)ってわけです。
#PALM12さんのご懸念とどこかで通定するかもしれませんね
#アタシには、いま、にわかには判断つきませんけれど。

近代西欧的な諸制度を前提にしてみると、「祝祭空間」は「(制度化された)公空間」に丁度隠蔽された形になっていまして、「公空間」が恒常態で「祝祭空間」がその例外形態ってみなされると思うのですけれど。
にんげん集団の統合形態の一種として<国家>を一般化する場合、「祝祭空間」のほぉが根源的であって「公空間」はそれが制度化されたもの、と見なされるべきかと。
しかも近代西欧的な「公空間」の概念は、特殊西欧的なものであって、「王宮的公空間」の制度化もあれば、「祭儀場的公空間」の制度化もあれば、etc.といたことを考えたい(←本気か:苦笑)って感じです。


以上ですが、上の鍼原さんの解答のところで、ボクの懸念という言葉が出てきていますが、残念ながらそんなモノはありません(笑)。
 多分、鍼原さんが想像されているのは(PALMが解答の後半部分から読み取った限りですが)、「[国家の構成要素]を考える際に共時的な部分に目をとられて、歴史的な(?、まさに人類学的なとでも言うべきでしょうか?)部分を念頭に入れて考えなければ、一部の空想世界の様な御都合主義的な世界(国家)と同様のモデルを生み出しかねない」といった所でしょうか? 多分、これを忘れて定義の作成にかまければ「本末転倒」って事になると思います。
 とは言え、この辺の考え方(+受け取り方)は、一つ間違えれば鍼原さんが違和感を感じる空想世界を大量生産する事になると思いますので気を付けて行きたいと考えています。

 なんかの感想文みたいですけど、こんな感じです(どんな感じだ?)
 ではでは
1999年05月09日:14時17分00秒
にんげん集団統合形式の諸段階(長文です) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 現実世界でのにんげん集団の統合形式として、以下の4つの段階を考えてみることができます。
 バンド集団(群団)/部族/たんじゅん国家(王国)/帝国(複国家統治)
 それぞれの段階は集団の統合手法(形式)が大きく異なる段階、としてカテゴライズされます。
 
 近代の政治学や歴史学の前提(暗黙の前提も少なくありません)になっている、近代西欧型の「国家」は、「たんじゅん国家(王国)」が絶対主義王権を経て、一民族一国家の理念を掲げつつ近代西欧型の帝国主義を経たもの、とみなせます。
 人類学的には、「近代西欧型の国家」は、「国家」のバリエーションの内で特殊な一類と言わざるを得ません。
 TRPGに参考になるところで言うならば、「古代的な帝国」は「近代西欧型の帝国主義」とは異なった統合手法(形式)を持ちますし。サイバー・パンクなどの背景になる未来世界にも、「国家の主権」が現在の現実以上に制約されるか無効化された“社会”が少なくありません。
 と、ゆーわけで、まずは、現実世界での「にんげん集団の統合形式としての国家」について整理してみたいと思います。

 とりあえず、「バンド集団(群団)/部族/たんじゅん国家(王国)/帝国(複国家統治)」といっても、さしあたりは、かなり抽象化したカテゴライズからはじめてみたいと思います。
 
バンド集団(群団):
 バンド集団(群団)とは、狩猟・採集段階の生業形態で、流動性が高い集団。5〜20程度の核家族(夫婦とその子供)を含んだ、30〜100人程度で構成されることが多く。自然環境によって、集団のありかたが大きく左右され、リーダーによる緩い統率を受ける。
 リーダーは世襲とは限らない。集団の統合手法は、習俗と、習俗に含まれたタブーの体系ですまされてしまい。法も刑罰も、場合によっては宗教すら、伝承された習俗の形で表現/理解され、共有される。
 通例バンド集団は外婚の単位となり、あるバンド集団内部での婚姻はタブーによって禁じられる。
 実例をみると、知られる限り、ほとんどの実在バンド集団(群団)では、夫方居住制がとられている。
 
部族集団:
 部族とは、一定の地域をテリトリーとし、言語や習俗を共有した諸集団の複合。だいたいにおいて、当事者たちの主観的判断や主張によるカテゴリーではあるが、緩い政治的統合を伴っていることもある。部族の政治的統一がタイトな場合は、その下位の集団は支族〔ブランチ〕と位置づけられる。
 一般に部族集団は、狩猟・採集段階の生業形態を脱した集団とみなされるが、これは、狩猟・採集段階のにんげん集団は、自然環境への依存度が高く、安定した成員数確保や充分な階層分化が困難なためかと思われる。
 狩猟・採集段階を脱してはいても、焼畑農業や、遊牧などを基本生業としている部族集団は必ずしも定住するとは限らない。
 成員間の所有財の不均一は見られるが、一般にはその不均一が定着(制度化)・世襲継承はされない段階にある。

 部族集団の統治手法は、なおタブーの体系に依存する面が大きい。
 部族の下位集団では、シャーマンなど、宗教的権威を代表する職能者の分化が見られ、これら土俗宗教者や長老会には、集団を統率するリーダーや、財の蓄積に成功したビッグ・マン〔オオモノ〕の行為へのチェック機能が期待される。
 部族の政治的統合が緩い場合は、部族全体に関わる政策決定は下位集団の合議によることが多い。一般的傾向としては、部族全体を統率するリーダーの選任はマレで、それが為される場合も、緊急臨時措置であることが多い。その為、部族社会がさらに“発展”、複雑化したものとして首長制社会をカテゴライズする意見もある。

 ある集団の成員が父系または母系で共通の始祖を持つとの意識を共有している場合、それは氏族〔シゾク〕と呼ばれる。多くの場合氏族〔シゾク〕の同族意識は、事実のもんだいであるよりは、神話や信仰のもんだいであることが多い。
#社会的に、頼りあうことが認められる事実上の血族関係は、「リネーッヂ」と呼ばれる概念で現され、氏族〔シゾク〕とは別概念。リネーッヂの範囲は、共同態の婚姻の習俗やタブーによって決定され、「文化」的同一性をはかる重要指標のひとつとされる。
 氏族〔シゾク〕のイメージは、北米先住民やイヌイットのような、同一トーテムを戴く集団をその典型例として思い浮かべるとよい。
 ある部族には通例、複数系統の氏族〔シゾク〕系統が含まれることが珍しくない。多くの場合、氏族〔シゾク〕は、その内部での婚姻がタブー視される外婚集団であることが多い。同一のトーテムを戴く氏族〔シゾク〕が、相互の間だけで女性を“交換”しあう、半族に別れている事例もある。
#ニホン史上の氏族〔ウジゾク〕は、氏族をベースとしているが、ヤマト政権による職能分担を政治的に受け入れた集団であり、必ずしも氏族〔シゾク〕とは一致しない面もある概念。例えば、氏神〔ウジガミ〕がある氏族〔ウジゾク〕成員共通の始祖とは観念されなかったりする。
 
たんじゅん国家(王国):
 共同態(王国)の永続性が、統治者の血統の連続と関連すると意識される。その意識の共有を持って成員の帰属意識とする。前提として、権力の集中、成員の階層分化が定着(制度化)している。王国は統治者の血統に対する信憑をその統合イデオロギーの中心におくので、権力に関わる主要成員は単民族となり、異民族を統治下に置く場合は、タイトな身分制度を伴う。
 集団の統合手法としては、法の明文化がはじまり、タブーや掟からの自律化がスタートしている(多くのたんじゅん国家では、法と掟の境界はなお不明瞭ではある)。社会的職能や財の所有は、血統による継承の方向で整備され、身分制度として制度化される。
 宗教者の職能も、巫女団や神官団などの形態で組織化され、自律性を増す傾向にある。
 
 古代ギリシアの都市国家には民主制の政治態勢を施くものもあったが、奴隷や異民族への国家の態度に着目すれば、「たんじゅん国家(王国)」の段階にあったとみなすことができる。この場合、統治者集団の血統に関するイデオロギーが共同態への帰属意識の指標とされた、とみなせる。
#古代史学では、「アテネの帝国主義的政策」といった話題が論じられることもあるが、それは、ここでいうような帝国段階の国家形態、とは違った着目点の議論で直接関連はしない。
 
帝国(複合国家):
 複数のたんじゅん国家が統制された段階の国家。
 大河の流域に成立した古代帝国は、大規模な部族連合を前身にした有力国家が、周辺の諸国家や諸部族を政治的に統合してゆく過程で形成された。
 一般論的な傾向として、優位国家の血統イデオロギー(統治者の血統イデオロギー)への執着は、版図の拡大や広域統治に不都合をもたらすことが多い。
 そのため、帝国はいずれも、宗教・法・暴力の管理手法などを、たんじゅん国家の段階よりは複雑化させる必要があった。統治の手法として、どのような社会制度を整備したかによって、諸帝国の性格が左右されるといえる。
 
 近代西欧型国家は、いずれもその成立過程で自国民族集団の“血統”に関するイデオロギーを強めたが、にもかかわらず、いわゆる“帝国主義的”政策を数世紀に渡って実行できたのは、効率的なテクノロジーの開発、市場主義近代経済の発展による社会階層の分化がベースにあってのことと思われる。
1999年05月01日:21時18分04秒
「文化」のカテゴリーと関連性について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 文化人類学的な「文化」の概念は、日常会話で使われる文化と無関係ではないけど、大分違うんですね。 アタシが先に当掲示板に投稿しました「央華封神」にみる異世界の文化設定(長文)」では、、
>「言語、宗教(土俗信仰)、親族形態、生業形態、習俗、など共同態の成員が後天的に習得する事柄の複合態で、共同態の個性、共同態成員の帰属意識、ライフスタイルを規定するもの
 、、としてみました。
 
 文化のいちばんシンプルな概念規定は「ひとつの民族固有の生活様式」でしょーか。
 人類学草創期のイギリスの研究家エドワード・タイラー(『原始文化』、など.1832-1917)による古典的と言われる「文化」の定義は、「知識、信仰、技術、道徳、監修、その他、人間が社会の一員として獲得した、一切の能力や習慣を含む複合的全体」だそーです。
 
 人類学的観点からすると、「文化に含まれる様々な要素の複合のしかた」が重要かと思われます。
 アメリカの研究者ウィスラー(1870-1947)は、あらゆる文化に共通するカテゴリーとして、以下のものを挙げてるそーです。

 言語/物質文化/芸術/神話と科学/家族と社会組織/財産/政治/戦争

 アタシがうえのウィスラーのカテゴリーを知ったのは、M.S.ガーバリーノ著の『文化人類学の歴史』(株式会社新泉者,Tokyo,1987. ISBN4-7877-8176-0 C1039)とゆー概説書でなのですが。
 ガーバリーノによれば、ウィスラーの時代に重視されておらず、うえのカテゴリーから落ちている重要要素として「経済的交換」があるとのことです。またウィスラーは「物質文化」の内に生産態勢を含めてもいるとか。
 「神話と科学」がひとつのカテゴリーになっているのは、「世界観」の面が重視されているのだと思われます。
 「家族と社会組織」がひとつのカテゴリーになっているのは、プリミティブな社会を専門に研究対象にしていた時代の(文化)人類学らしぃカテゴライズなのでしょぉ。
 
 んで、TRPGの世界設定に関して、アタシなりに重要だ思われる文化のカテゴリーを考えてみました。

 言語/生業形態(生業形態と自然環境の関連)/親族制度/タブー(タブーの体系)/共同態の境界意識/共同態成員の帰属意識/信仰体系・死生観/(社会の)統合形式(政治態勢と法)/衣・食・住/社会階層/経済的交換のシステム/共同態外部との関係(交易や外交)/暴力の管理手法(警察力や軍事機構)/教育システム

 カテゴリーは、ある共同態の文化特性にとって重要度が高いと思われる順に並べてみました。並び順に、異論は続出すると思いますけど(苦笑)。ってゆーか、文化によってはその特性を際立たせるカテゴリーの重要度も変わってきちゃうと思うんですね。
 それから、あらゆる世界設定において、うえに挙げたすべてのカテゴリーが重要なわけでもありません。
 
 繰り返しになりますけれど、世界設定を人類学的観点から考察するときに重要なのは、(どんなカテゴライズであるにせよ)文化の複合に含まれるカテゴリー間の関連です。
 例えば、生業形態は、自然環境との関連を媒介にして、衣・食・住(の様式)と密接に関連します
 同じく、生業形態は、社会階層の在りかたを媒介にして社会の統合形式と関連します。
 プリミティヴな社会では、社会の統合形式は、タブーの体系と密に関連し、タブーの体系は、信仰体系・死生観とほとんどイコールだったり。
 
 TRPGの世界設定で、ちぐはぐな感じのするものって、たいてーは、うえに挙げたよーな、文化に含まれるカテゴリー間の関連がチグハグなんだ、と思います。
 アタシ的には、TRPGの世界設定に諸人類学的知見を活かってゆーのは、カテゴリー間の関連の妥当性を検討することが肝要なのだと思います。それに比べると、現実世界の事例と架空世界の設定を比較することは、あまり重要でない、とゆーか。それは妥当性検討の過程にすぎないと思います。
 
 で、まーアタシの意見では、あまりにチグハグな部分が多すぎる世界設定は、何度も遊ぶには適さないのではないかなー? って気がします。意図的にチグハグな感じに設定してあるナンセンス世界設定ってゆーのもあるかもしれないけど(笑)。
1999年04月30日:20時56分44秒
「央華封神」にみる異世界の文化設定(長文) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>PLAM-12さんへ
#「政治学設定の部屋」から、[国家の構成要素]に関する定義のマージ文をもってきていただいて、ありがとぉございます。お礼、おそくなってしまって恐縮です。
 
 いろいろなTRPGに、異世界、異なった時代のにんげん集団や社会組織が設定されています。
 システムによっては、社会組織の設定にムリがあるものや、強引なものも見受けられると思います。
 [国家の構成要素と諸類型]に関しても、西欧型、特に近代西欧型の国家の前提がそのまま異世界や異なる歴史に適用されたりすると、チグハグだったりすることがよくあると思います。
 
 システムのコンセプト(「どんな立場のPCが何をしよーとするゲームか?」)がタイトに設定されているゲームでは、さほどもんだいにはならないかと思われますが、TRPGシステムによっては世界設定の質がシナリオやプレイの幅や方向性を規定もすると思いますし。
 特に社会関係や国家の概念などは、歴史設定とともに、PCの立場による解釈の幅が生じざるを得ないと思われますので。
 
 んで、現実世界の諸人類学、社会史的知見と比較して、世界設定のどの辺がどれくらいズレているか、その辺を考えてみるアピールも、シナリオのコンセプトや、プレイの幅を考える一手法になるんじゃないかと思うんです。
 このあたりにも[国家の構成要素と諸類型]整理が役立つとよいと思うのですが。
 
 ただし、TRPGで設定される異世界ではありがちなことなのですが、神話的な事件が歴史的事実であることがありますよね。その辺の、調整を加えながらの比較が必要になることもあります。
 
 よく、例にひくので恐縮ですけど、「央華封神」の世界設定、かなり荒唐無稽な面があると思います。「央華」の世界は、神仙譚風の世界として構成されたものですから、ある種の荒唐無稽さはなくてはならないもの、とも言えます。
 ただ、荒唐無稽なんだかだ、なんでもありだー、ってゆーのだと、TRPGプレイしづらいですよね。
 「央華封神」の場合だと、判定系の特性と、世界設定のよく構成された“荒唐無稽さ”のマッチングも良好だと思います。
 これが、「世界設定の質がシナリオやプレイの幅や方向性を(ある程度)規定する」って例だと思います。
 
 「央華封神」の世界は現実の世界とは異なり、原初的な生命(超生命?)とも言える五祖・五凶の争いがきっかけとなりってあらゆる生体が生まれた歴史を持っています。
 
 「こうして生まれたものたちを、五祖五凶は、おのれに近いものを選んで一族としました。〔中略〕 けれど、〔五祖の一である:カンナ補記〕人祖には、ただ人間しか似たものがおりませでした。」(『央華封神ルールブック2 ゲームマスターブック』,P.27〜)
 央華世界での人類は、猿人類から進化してきたわけではありません。まず、ここがリアルな人類史とは違います(笑)。
 当初、生物学的な系譜もなかった人祖と央華人類ですが、その後、五祖同士の交わりから生まれた聖帝たちが人類に交わることで、央華人類の歴史がはじまります。
 
 ここで「文化」とは何か確認してみるなら、さしあたりは「言語、宗教(土俗信仰)、親族形態、生業形態、習俗、など共同態の成員が後天的に習得する事柄の複合態で、共同態の個性、共同態成員の帰属意識、ライフスタイルを規定するもの」、と言えるでしょう。文化の定義は研究者によっていろいろあるのですが、さしあたりはこんなとこから。
 
 央華人類の諸集団は、言語、宗教(土俗信仰)、親族形態、に関してはほとんど均質と思われます、生業形態、と習俗に関しては環境との関わりにおいてある程度の差違が認めれるようです。
#リプレイやコミックなどでは西域人とかの存在も示唆されていますけど、異文化なのかどーかすら紹介されてないし。央華世界の歴史(人類史)を考えるにあたってはほとんど無視してよい程度の交流しか設定されてはいないと思われます。一応ルールブックでは、央華世界中央部の大中原地域の設定として記述されているのですけど。
 
 リアルな人類史とは違って、聖帝たちに、文化を与えられた央華の人類史(大中原の社会史)には、異文化とゆーものが関わってこないのですね(笑)。これもリアルな人類史と決定的に違うポイントだと思われます。
 総じて、央華人類の諸社会集団は同一系統文化の亜種に属していると言えってよいかと思います。
#人祖以外の五祖の一族となった、龍や飛蝗などは、央華人類に対する異族(異文化)なんですけど、人類に対して圧倒的に数の少ない“少数民族(?)”らしぃこと。彼らの社会と人類の社会とはほとんど没交渉であるらしーこと、などから、「央華の人類史には異文化交流による刺激がない」と言ったほーがより精密な説明かとは思われます。
 
 特に、言語についてみると、現実世界では、無文字社会の言語は数百年もすればほぼ確実に変質するのですが。
 聖帝たちに文字を教えられた央華人類は、人類史の最初期から文字を伴った言語を持っているわけです。一般に、にんげん集団は文字を持つと、言語変化のスピードがとたんに遅くなるのですね(細かく言うと象形文字文化と表音文字文化とでは言語変化のスピードは違うと思われますが)。
 現実世界での言語の変質には、異文化の接触・交流・混交が大きく作用するんですけど、もともと単系文化から派生(笑)してる央華では言語の変質もドラスティックにはいかないと思われます。
 また、央華のにんげん集団は土地神を祀ることのできる血統の王を中心に組織され、文化制度も王の祭祀(やはり聖帝によって定められた)を中心としています。祭祀(儀礼)の言語はかなり変化しづらい部類のものなんですよね。で、祭祀が重視された文化では、これまた言語変化のスピードはゆっくりすると思われます。
 こぉした要素が複合して、央華では歴史と共に言語が変質分化してゆくにしても、現実世界と比較して、とてもゆっくりしたスピードで分化してゆき、分化の幅も狭いのだ、と言われてもそれなりの説得力が認められると思います。
 考えられるのは地域によって異なる生業と生活形態の差違による語彙の差。地域ごとのなまりの差、などではないでしょーか?
 
 『央華封神ルールブック2 ゲームマスターブック』のP.42には次のよぉにあります、
 「〔央華の世界では:カンナ補記〕千年と言っても、10世紀から20世紀の千年ではありません、現実の歴史にたとえると、殷・周の時代から春秋戦国のころ、紀元前1500年から、紀元1世紀というところなのです。進歩のスピードはじつにゆっくりしたものでしかありません。」
 
 現実世界の人類史では、異なる文化間の摩擦、緊張、交流などは社会組織変化の重要要因です。異文化との関わりが極微な央華人類の社会変化の速度が遅いのも当然かと思われます。この辺が、「央華封神」の世界設定が、ある種荒唐無稽ではあっても、“ちぐはぐさ”が少ないところだと思います。
 
#実は異文化との関係同様、自然環境の変化も社会変化の重要な要因であり得ますが。しかし、自然環境への適応方法もにんげん集団の文化の重要な要素と見なされるものなのです。
 
※『央華封神ルールブック2 ゲームマスターブック』(電撃ゲーム文庫0030),清松みゆき、友野詳、グループSNE、共著,株式会社メディアワークス,Tokyo.1994.ISBN4-07-301581-8 C0176)
1999年04月17日:14時25分37秒
[国家の構成要素と諸類型]現時点での”国家の構成要素” / PALM-12
#ってわけで(どういうワケだ?)、ツァーリ閣下の書き込みからすでに一ヶ月が経っています(申し訳ないです)。
#と言って反省の色深く落ち込んでも仕方がないので,景気良くいきましょう。
#……と言いつつ、このPALM-12の書き込みはショボいです。
#マジで自分で書いた分がありません(オヤヂギャグ入ってます)。
#「政治学的設定の部屋」で、鍼原さんが書かれた[国家の構成要素]に関する定義のマージ文です。


[国家の構成要素]

「国家」の要素:国家を構成する要素を、分節すると、一番たんじゅんな段階では、「領域」 〔統治領域〕、「領民」〔被統治領民〕、「統治装置(システム)」 の三要素へ分節し得る。 
 それぞれの要素はさらに下位の要素の複合から成り立っている。
●「領域」の概念は必ずしも領土とは限らない、遊牧民国家の場合、文字どおり領域が国家のテリトリーとして観念され得る。
●「領民」の概念は、領民とその「生活世界」を含むものとする。
●「統治装置〔システム〕」は、国家に共有される「統治の『永続性』に関する〔共有された〕幻想」を根拠付ける為、「権威」を管理し表現する。
 「統治装置〔システム〕」は、「統治機構」〔統治者と、狭義の統治者集団〕の複合である。
 「統治装置〔システム〕」は、国家に共有される「統治の『永続性』に関する〔共有された〕幻想」を根拠付ける為、「権威」を管理し表現する。
 「統治装置〔システム〕」は、法(含む慣習の解釈に根拠付けられる法の裁量運用権)、言語の公的用法を管理する。 ※「領民」の「生活世界」には、言語の世俗的用法が属する。 ※「『統治機構』のテリトリーである公空間も統治装置に含まれる」、は削除しよぉかと思います(考え中)。
 「統治の『永続性』に関する〔共有された〕幻想」は、領民の「生活世界」に属す。「統治装置〔システム〕」を構成する、統治者たちも彼らなりの「生活世界」を有す るからである。

 「法治機構」「警察機構」「外交機構」などは「統治装置」のサブシステムである。「生産装置」「経済装置」、「育成装置」の管理権が、「統治装置」と「生活世界」 のどちらに有されるかも、ある「国家」の個性は左右される。

#以上です。
1999年03月17日:00時05分57秒
お祝いとお願い / 皇帝

遅れ馳せながら、開設おめでとうございます。
ここに書かれていることは、ほとんど全部が参考になる密度の濃い内容で「素敵」ですね〜。世界観を構築する上で大変参考になります。これからも頑張って下さい。

で、大変欲張りなお願いなんですけれども、国家の構成要素と諸類型の方の話しもお時間あるときに進めていただけないでしょうか?特に中世以前についてお願いしたいと思います。と言うのは、国家の構成要素と諸類型で世界の骨組みを、人類・民俗学で色づけをして、世界を構築できるかなと考えている次第であります。
これからもよろしくお願いします。
1999年03月11日:16時16分08秒
[民俗:異界]「小さな異界」の演出方法(後編) / PALM-12
まず後編の始めに鍼原さんが「[民俗:異界]異界の設定と演出手段」で

> 異界が「社会的現実」だって、ことは、ある異界の実在を確信する共同態の文化コードをよく知らないヨソモノには、異界の実在感〔アクチュアリティ〕がよくわかんない、ってことでもあります。

 と書かれていますが、「小さな異界」を演出する場合、当然の事ながら”異界の実在感〔アクチュアリティ〕がよくわかんない”ことが当たり前でよりリアルと言えると思います。 そして、シナリオが展開していくごとにPCたちが”そこの村人たち”が別の異界(信仰形態)を持っている事を感じていける方が、より実在感が高まる演出方法だと思われます。 その方が同じく別の「異界」を持つPLにも面白味を感じさせる事が出来ると思います。 この考え方で演出される「小さな異界」は、実際には村人とPCとの”違い”であり、文字どおりシステムにサポートされていない「小さな異界」を演出するわけではありません。 同様に実在感は「異界」自体が対象ではなく、村人とPCとの”違い”を対象とした実在感となります。

 では、実際にどう演出するのか? という話になるのですが、これはもう単純に象徴するものを出すことでしょう。 
これにはもう一つ民俗学的な小道具を持ってくれば良いのかなと思います。 それは「依代(よりしろ)」です(説明は後述)。
 でもって、この「依代」なるでかい柱(PCたちにはそうとしか見えない)が村にある。 小さな村なんでどこからでも見える。 朝、宿の主人がいないなぁと思っていると「依代」を拝みにいってたり、昨日あげた村じゃ珍しいものをお供えしてる。 気にしてみると結構こまめにお供え物が変ってる。 村娘を口説いてみたら、「依代」なるでかい柱の前で待っててくれといわれる(んで、手を出そうとしたら「神様が見てるよ」とかたしなめられる)。 という風な具合で一事が万事村人にはこの「依代」が絡んでくる。
 実際にものがあれば、マスタリングとかもしやすいですし、PLとしても対象がわかりやすいだけにプレイしやすいと思います。 また、そうする事で間接的にですが確実に「異界」を意識できるわけです。

#あと、「依代」の目印になる部分の変形で「小さな異界」と村をつなぐ「扉」なんかどうでしょうか? 一年に一度の収穫祭の時、神様がやって来るための「扉」です。 それ以外の時は、絶対に使ってはいけないという「扉」。 そのぱっと見た感じどこでもドアな「扉」が村の中央の広場の真ん中にあるとか。 シナリオフックにも面白そうですね。


「依代(よりしろ)」は、神様が「異界」からやってきた時に逗留するためのモノの事です。 最近の流行は”人間”ですが、実際の例としては物品(特に木の柱)が「依代」になることが多い。 また、「依代」は構造上、神様を招くための目印になる部分と実際に神様が「異界」から来ている間にいることになる部分に分かれているのが普通です。
 ちなみに「依代」については、実は民俗学者の折口信夫博士の造語で、多分民俗学用語の中では最も世に広まった言葉だと思われます。 これに当たる言葉として、神道、陰陽道他では「神代(かみしろ)」「霊代(たましろ)」が実際に使われています。 また、人間の場合は、「依童(よりわら)」などと呼ばれます。 この”童”は子どもという意味ではなく子どもの格好をした人(子どもも含む)って意味です。 あと、有名な「まれびと」「水の女」とかも折口博士の造語です。

(なんかぐちゃぐちゃな文章でしたが)ではでは
1999年03月11日:16時03分27秒
[民俗:異界]「小さな異界」の演出方法(前編) / PALM-12
#うう、(含む民俗学)がなんかプレッシャーです。

 「異界」に大きいも小さいもないだろうって言われそうですが,要するにメジャーなのが「大きい異界」で,村などの小さな共同体特有のマイナーな異界が「小さい異界」です(すいません、大雑把です)。 ここで、既存の民俗学の概念からは思いっきり外れてしまいますが(当たり前だけど)、TRPG的にこの「異界」の違いをいうとルールブックに載っている「深淵」などが「大きい異界」で,載っていない「異界」が「小さい異界」と言えると思います(後者はクトゥルフなどで頻度が高いと思われます)。
 
 「大きい異界」については,システム的にサポートされており,実際PC内にも僧侶や魔術師,シャーマンなどがいる事と彼らの使う魔法から,実在感〔アクチュアリティ〕について書く事はないと思います(個人的には「ローズ・トゥ・ロード」とか好きです)。
 ここでの問題はシステムでサポートされてない事をするなよ、という意見はさて置き、「小さい異界」をいかに表現するか? という事です(この辺がシナリオ作成時のマスターの腕の見せ所かなぁと思うわけです)。

 それで鍼原さんが「[民俗:異界]異界の設定と演出手段」で挙げておられる

>1)日常的なタブー複合の反復により確信が強化される
>2)葬送や祭礼に伴う儀礼で確信が強化される 、
>3)伝承が繰り返し語られる(語り反され、語り変えられる)過程で確信が強化される、
>4)異界信仰の権威者(長老や語り部、シャーマンなど)の言動により確信が強化される、

 を使わせていただくと、この中で”1)”の方法はTRPGの性質上実現するのは難しいと思われます(それこそルールブックにでも書いてないと)。 ”2”)はイベント性がある為、描写を惜しまなければ効果があると思われます。 ”3)”は、”2)”を実際の儀礼ではなく口で語るようになったものですから、ビジュアル・イメージが貧困になるため、インパクトが小さくなる事は否めないでしょう。 ”4)”の文については解釈がいくつかありえるのでここで述べません(いずれにしろTRPG上、シナリオのキーになるとは思いますが)。
 とりあえず、上手く「小さな異界」を演出するには”2)”の「葬送」「祭礼」をどう活用するかという話になるかと思います。 で、「祭礼」の時、主役となる「依代」を利用できないかと考えるわけです(これにより、再帰的に”1)”を見せる事も出来ると思います)。

#ってわけで、後編へ続くです

1999年03月10日:16時39分38秒
諸人類学(含む民俗学)的知見の活用ポイント / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 諸人類学(含む民俗学)的知見をTRPGに活用するポイントは、架空世界の世界設定の不自然さを減らし、説得力を増すために有益な知見が豊富、ってとこかと思います。
#不自然さが少ない世界設定を指してアタシは「確固とした世界の実在感〔アクチュアリティ〕がある世界」とか言ってる(面もある)わけですけど(物語類型的な実在感〔アクチュアリティ〕の件はまた別の話かと)。
 
 さて、TRPGの世界設定の解釈について、よく「常識での判断」ってことが言われますよね。
 これって、より精密に言うと「その架空世界の常識での判断」って言ったほーがよいかもしれませんけど。
#ただ、その「架空世界の常識」必ずしもPCが常識として知ってるとは限らない(笑)、ってあたりがTRPGのめんどーなとこでもあり、同時におもしろいとこですよねー。
 
 例えば、TRPGでおなじみの話題に、「異世界ファンタジーと中世西欧風社会」の件がありますよね。
 基本的には「中世西欧風」がルールブックにうたわれてる場合でも、異世界であるならば、あくまで「風」(笑)。つまり、「ルールに記述の無い事象についての参照用モデルとして『中世西欧』が推奨される」ってとこだろーって思います。
#ここで、セッションメンバー(含むGM)の間に、歴史上の中世西欧についてのイメージや知識にギャップが大きいと、もんだいがややこしくなっちゃうこともあるわけですけど(苦笑)。
 
 で、まーセッション中の世界設定解釈を有効にする(それ自体楽しいフェーズになる場合もあるわけですよね)方法としては、「セッション前にGMさんがシナリオ傾向、またはフレーバーの方向性を絞っておく」とかがあるわけなんですけど(今回は「戦闘メインです」とか「時代劇のフレーバーでいきます」とかですよね)。
 別のアプローチとして、諸人類学(含む民俗学)的に「モデル化された文化/社会システムの知見」を参考にするって手もあるんだと思います。
#必ずしも万能ではないですし。どっちかってゆーと、セッション中のアレコレってゆーか、世界設定&シナリオ設定製作上に有益って気もします。
 
 例えばですねー、私見では「ガープス・ルナルサーガ」の世界像って不自然な気がするんですね。
 あの世界って「キャラクターが一世代の間に信仰によって気質や形質が大きく変容する可能性の偏在してる世界」なはずと思うんですけど。どんな社会にとっても、この可能性はとても危険なはずだって思うんです。
 アタシが、「ルナルワールドって、カナリ不自然ではー」、って思うのは、世界内の社会のほーが、割とこの危険に対してのんびり構えてる気がするとこなんですねー。
 もっと、こー、思想教育とかバリバリやってて、信仰ごとにタブーでギチギチ思想統制して、ガチガチの教条主義者や国粋主義者をバンバンつくる(笑)文化制度(歴史上にもそーした文化制度を持った社会はたくさん・たくさんあるわけ、モデルにはことかかないわけです)でないと、ルナルワールドの諸社会、永続きしないよねー(苦笑)、とか思っちゃうわけです(超私見)。
#個人的には、「パラノイア的ノリのルナル」(笑)とかって話としてはおもしろいかもって思うんですけど。えぇ、もちろん、オフィシャルではあり得ないですよね(苦笑)。
#「ルナル・ファン」のかたにお気を悪くされたかたがいたら、申し訳ないですけど。冒険活劇としての「ルナル」って観点からは、アタシが気にしてるよーなポイントが余計なノーガキに過ぎないであろーことは承知しておりますです。
 
#うえのルナルの例は、どっちかってゆーと「諸人類学(含む民俗学)」的知見、ってゆーより、「社会学(総合社会学)」的知見かもしれません。
 ただ、不自然で説得力の弱い世界像ではシナリオの幅も狭くなる気もするし、どーせ異世界での冒険を遊ぶなら、異世界らしさを味わいたいって話もありますし。それには、「諸人類学(含む民俗学)」の知見を活用し得るよね、とか思う次第です(結局これが言いたかった:苦)。
#他にも「社会学(総合社会学)」的知見とか、「社会史(特に人類学的歴史学)」の知見とかも有益だと思われます。
1999年03月10日:13時06分38秒
[民俗:異界]異界の設定と演出手段 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@PALM-12さんWrote
>その「異界」を信じる生活共同体内の人間が辿りつく事が出来ない所が「異界」です。

>中でも先祖がやって来たとされる場所や生活の糧を得ている場所など、その共同体の深く関わる所に「異界」は存在します。
 
 現実の民俗社会や、歴史上の習俗では、PALMさんの説明されたよーな範疇の異界に対する確信は、以下のよぉな文化回路の作用で、維持されると思われます。
1)日常的なタブー複合の反復により確信が強化される
2)葬送や祭礼に伴う儀礼で確信が強化される、
3)伝承が繰り返し語られる(語り反され、語り変えられる)過程で確信が強化される、
4)異界信仰の権威者(長老や語り部、シャーマンなど)の言動により確信が強化される、
 ……etc、

 異界に関する確信は、あたかもそれが実在するかのよーな作用を人々の言動(民俗社会)に与えるので、異界(についての確信)は「社会的現実」なんだ、って言えるわけです。
 異界が「社会的現実」だって、ことは、ある異界の実在を確信する共同態の文化コードをよく知らないヨソモノには、異界の実在感〔アクチュアリティ〕がよくわかんない、ってことでもあります。
 で、TRPGで架空の民俗社会に「異界」が設定される場合、「異界」の実在感〔アクチュアリティ〕が確固としてある世界を演出するなら、あまり簡単に「異界」に行き来できないよーな工夫があるとよいんだーなー、と思います。
#たとえ、PCが、当該民俗社会の構成員でない場合でも、簡単な段取りで「異界」にたどり着けたり、民俗神と対面できたりすると、あまりありがたみがなくなる(実在感〔アクチュアリティ〕も薄くなる)と思われます。
 異界に確固とした実在感〔アクチュアリティ〕を演出する工夫にはうえに挙げた異界の確信を強める文化回路が参考になるのだと思います。
 
#「異界の実在感〔アクチュアリティ〕なんて、いらないんだ」、「“異世界を舞台にしてるだけの活劇”なんだから、余計なものはいらないんだ」、ってゲームではもちろん不要でしょー。そーゆー路線のゲームもあるかと思います。
#あと、例えば、ニホンの民話・伝説なんかにもありますけど、「共同態の外からきた英雄(旅人とか)が、ムラ人を苦しめていた妖怪(旧いカミ?)を倒して、習俗の体系を刷新しちゃう」、なんてシナリオの場合だと、割と軽い段取りをクリアすることで、タブー視されてた領域(≒異界)にたどり着いても、それ風の実在感〔アクチュアリティ〕を生じる(こともできる)と思われます。
 
 さて、アタシがパッと思い出せる範囲ですと、架空世界内での「異界」設定に実在感〔アクチュアリティ〕を強める演出効果が配慮されてるよねー、って思うのは(この場合、「異界」の概念、ややPALMさんの規定より拡張してるんですけど)、1)「深淵」の「深淵」、2)「央華封神」の「冥界」と「天界」、です(ほかにもよい例はあることと思いますけど)。
 
 「深淵」の「深淵」の場合、「『異界』に到達したにんげんは、にんげんの範疇からはみ出さざるを得ない」って面がルール&設定に表現されてるので、(これらがセッションで活かされると)強烈な実在感〔アクチュアリティ〕が導出され得ます。
 具体的には、「『深淵』に沈んでゆくにんげんの存在が溶解してゆくよーなイメージ」、「『深淵』から帰還したにんげんなどが少なくない頻度で刻まれる『刻印』」(正確には「刻印」は魔族との遭遇や魔法の使用で不手際があると刻まれるのですけれど、「深淵」は「魔族」や「魔法」と関わりが深い領域ですので)などなどのルール&設定の複合が、「タブーの向こう側」の領域としての「異界」(≒「深淵」)って実在感〔アクチュアリティ〕を描出し得ると思います。
 
 「央華封神」の「冥界」や「天界」場合、PCは修行途上の仙人(道士)なものですから、すでに、彼らが行き来する仙境は、パンピー(NPC)からすれば充分「異界」的ですね。そのPCですらおいそれとは行き来できない領域として「冥界」や「天界」が設定されてることで、「央華ワールド」の総体に、ある種奥行きを感じさせる実在感〔アクチュアリティ〕が生まれてると思います。
 
#この他にも、「異界との交信が特異なキャラ(シャーマンとか)を介在しないと成り立たない」(「深淵」の「夢歩き」はこの類に近い面がありますよね)、とか、異界と往来したキャラはなんらかの変容を受けている、−−「深淵」の「刻印」のことはふれましたけど、例えば、「(物語内の)日常空間と異界の間で、時間のズレが生じる」とか、「異界に行ってきたからには、なんらかの儀礼や冒険(ミソギとかですね)を経なければ日常生活に復帰できない(いろいろ不都合が出る)」、とか、いろいろな路線の工夫があると思います。
1999年03月03日:13時45分45秒
[民俗・異界]世界観としての民俗 / あずま

負けずに登場(笑)。あずまです。
#良いのか?こんなところで油を売っていて。納期はどうした(笑)?

1.日本の民俗学について

日本の民俗学ですが、色々な観点から研究が進められています。
柳田邦男などは近年の民俗学研究の基礎となっていますね。
「民俗学=民話や民謡の研究」としての展開が現在主となっている部分もあり、
そういう意味では分かりにくい研究分野かもしれません。
鍼原さんやPLAM-12さんのご意見ももっともですね。
#第一、うさんくさい郷土研究家が多すぎる

2.TRPGに於けるフォークロアについて

結局は世界観の記述内容だと思うのですが、ルールと世界観が密着している場合、
簡単に新しい設定を付加することが困難な場合があります。
勿論、GMが新しい設定を自分で考え出すことは、「常識の範囲内」で推奨されていますが、
一般的な共通項にはなりにくいのが実状です。
#つまり、コンベンションなどでは一からGMが説明しないといけない。

私がつい最近読んだのは、米TSR社のシステム、AD&Dの『Dark Sun』というワールドセッティングですが、
この中ではカテゴリーとして、「History」「Magic」「City」などの項目の中に、
大量のフォークロアの単語が見えます。
ルールとしてではなく、ワールドセッティングとして、民俗学が提供されているわけです。
基本セッティングの中に、最初からワールドの外観と同列に民俗について述べて有り、
アメリカ人の凝り性に脱帽しました(笑)。

今回はAD&Dのワールドセッティングの一つを紹介しましたが、何もAD&Dに限った話ではなく、
そういった設定が有るシステムはよく見かけます。
「現在」というワールドガイドが有るだけでなく、「過去からの繋がり」を感じる民俗という物があれば、
鍼原さんの仰るとおり、プレイの際には非常に奥行きを感じることができるのではないでしょうか?

民俗学について、一システムの一ワールドのセッティングを紹介してみました。


1999年03月02日:22時22分45秒
言語技能と異世界の実在感〔アクチュアリティ〕 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 一般に、異世界を舞台にしたTRPGの場合、言語技能が充実してて、しかもそれが世界設定と密に関わってて、架空世界の実在感〔アクチュアリティ〕を成り立たせてるゲームシステムって魅力的であるよーな気がします。
#ここで言う、実在感〔アクチュアリティ〕とは、まず、「リアリティ〔現実味〕とは別の尺度のもっともらしさ」のことと思ってください。
#TRPGの場合、「3D6の判定は%ロールよりリアルだ」とか、「拳銃のダメージがいくらいくらなのに、機関銃のソレがコレコレに設定されてるのはリアルじゃない」とか、主に物理的な事象の再現性を「リアリティ〔現実味〕」としてクローズアップせざるを得ない事情がありますよね。
#さらに、実在感〔アクチュアリティ〕ってのは、「実在のよぉな」って意味とも限りません。例えば「007TRPG」には“スパイもの活劇”らしいぃ実在感〔アクチュアリティ〕があるし。「央華封神」だったら、神仙譚らしぃ実在感〔アクチュアリティ〕があるしって感じです。
#要するに、ここで言ってる実在感〔アクチュアリティ〕ってのは、世界設定+システムが、セッションのフレーバーを一定方向に誘導し易いよぉに、効果的に用意されてるかどーかの尺度ってことです。
 
 例えば、「サタスペ」のオーサカで、習得してない言語を多用する「盟約(≒犯罪組織)」とコネつけよーとすると、カナリ苦労する(はず)、とかってのは実在感〔アクテユアリティ〕がある世界設定だと思うんですね。
 
 ただ、言語技能が充実してなくても、別の面で確固とした実在感〔アクチュアリティ〕を感じさせる工夫がある世界設定も魅力的なものであると思います。
#つまり、「言語技能が充実してる」と魅力的だけど、してなきゃ「魅力的」ではない、とも限らないってことね。
 
補足:なんで、ここに言語技能の話を書くかってゆーと。文化や民族を区別するためのいくつかの目安のひとつで、カナリ重視されるものに言語があるからです。 実際、アメリカ的人類学の学問区分だと言語学も文化人類学の範疇に区分けされらしーし。ただし、19世紀的な歴史言語学は文化人類学とは別の区分にされてるらしーですけど(じゃー社会言語学は? どーなの?? ってゆーとアタシもよくわかりません:苦笑)。
1999年03月02日:22時14分55秒
余談:ニホン日本民俗学についての個人的偏見 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#んーっと、TRPGとは直接関わらないノーガキになっちゃうんですけど、いちおー。

>PALM-12さんへ
 まず、ニホン民俗学関係の人で、アタシが好きな人の名前をあげておきます。小松和彦さん、高取政男さん、赤坂憲雄さん、それと小泉八雲。
 うえのラインナップを見ると予想がつくかと思うんですけど、アタシがニホン民俗学に持ってる偏見って、一言でゆーと「自分が生み出すイデオロギー的な言説を自己批評してく力が弱いんじゃないか(?)」ってことです。
#PALM-12さんが言われる「思想統制の影響を受けまくりで,内容にフィルタがかかりすぎ」ってのに近い感想なんですけど。

 あらゆる論〔logy〕はイデオロギー的に機能し得るのですよね。
 どんな科学だって、科学としての領域で自己完結できるのは理論の世界だけであって、実社会に関わりを持てばイデオロギー的に作用しちゃう(その作用を防ぐことはできない)。
 ただ、優れた論〔logy〕はみんなイデオロギー化を自己批評するサブ・サーキット(←比ユです)を内包してると思うんです。
 アタシの偏見は、文化人類学のそーした自己批評能力に比べるとニホン民俗学は、ちょぉっとイデオロギー的にいっちゃい易いではー、って感じです(もちろん私見)。
#最初にあげた人たちは、民俗学の内から自己批評してる人たちですけどねー。
 
 例えば、日本史の網野善彦さんとかが指摘してる、ニホン史学やニホン文化論に伝統的な稲作偏重視点とか、ニホン民俗学にも責任あるのではー、とかアレコレ(超私見)。
 
#んー、アタシはニホン民俗学、「学問」ではあると思いますー、“科学”でないだけしょー。“科学”でない「学問」なんていくらもありますしね。“科学”でないからって重要さが減るとも限らないと思いますし。
#科学でないから「実証」も弱い、それは仕方ない面もあると思うんです。その分論理的な自己批評が重要だと思うんだけど、そこが弱いのはまずいよねーって私見でした。
#ちなみに、小泉八雲って民俗学者ではないかもしれないけど、スゴク“研究”したよねー(この国で生まれた人ではないけど)。←この辺が自国中心的イデオロギーの作用かと(マヂ)。
1999年03月01日:14時20分05秒
[民俗:異界]神様のいる場所 / PALM-12
#さっそく書き込みさせていただきます。
#と言いつつ、初打がいきなり鍼原さんの思惑を外れて民俗学の話です。
#ああ、ごめんなさい m(_ _)m。 と謝りつつ......

「神様のいる場所は何処なのか?」

 この問いに対する民俗学的な、そして多分に私見な答えは、「異界」からという事になります。 ただ、この「異界」は、いわゆる「天国」「極楽」といった完全な別世界というわけではなく、その「異界」を信じる生活共同体内の人間が辿りつく事が出来ない所が「異界」です。 そして、その中でも先祖がやって来たとされる場所や生活の糧を得ている場所など、その共同体の深く関わる所に「異界」は存在します。 海の民の神は”海の向こう”、山の民の神は”山の向こう”にある「異界」にいるわけです。 琉球の海の向こうにある”儀来河内(ニライカナイ)”やナマハゲたちが下りてくる”山”もその一例と言えると思います。
 やがて、海や山を生活の糧としない人々が多く現れます。 また、山や海が深秘ではない人たちが現れます。 その結果、神様がいる場所は、”海のむこう”や”山のむこう”より遠い場所が選ばれることになります。 それは「天国」に代表される”空のむこう”であり、やがて神秘学などの精神世界や別次元へとより遠くへと遠ざかって行くことになります。

 ファンタジー世界等での未開の民族の信仰については、神が実在する世界でも、この「異界」という考え方により、神々のいる所の解釈は変わり、その結果、神々自身の伝承すら歪んでいる可能性があります。 例えば、ソード・ワールド(詳しくないっス)のロードス島も交易が発達する以前は、「大地神マーファ」も海神(ワダツミ)として信仰されていた可能性もあるわけです。

P.S.
 鍼原さんに質問です。

「民俗学へのどんな偏見をお持ちですか?」

#と言っても民俗学は,既に「学問じゃねぇ」って部分が多いからなぁ。
#・インスピレーションに頼り,実証できなくても気にしない
#・思想統制の影響を受けまくりで,内容にフィルタがかかりすぎて信用ならない
#・その国に生まれた人でないと研究できないと言われている
#とか五秒間,考えただけで(暴論気味だけど)致命的なのが出てきますし。
#「偏見を取り除いてみせる」なんて大それたことを言う自信もありませんが、個人的な興味として答えていただけると嬉しいです。

ではでは
1999年02月28日:21時55分29秒
諸人類学設定の部屋ご利用ください。 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>TRPG.NET利用者のみなさま
 パンパカパ〜ン☆
 と、ゆーわけで、「TRPGのための学問所」の一環として、sfさんとご相談して「諸人類学設定の部屋」を開設いたしました。
 個人的には、「政治学的設定の部屋 LOG 005」で派生した、[国家の構成要素と諸類型]関連の話題を展開する場がほしくて開設したのですけれど。
 それはさておき、他の簡易掲示板と同様、利用者各位のご判断で、ガイドラインに沿った各種内容の書込に随時ご利用くださいませ。
 
#アタシ個人は「国家の考古学」とか、その辺の書込からやろーかなー、どーしよーかなー、とか。
#後、とりあえずは、実在感〔アクチュアリティ〕のある異世界(異文化)設定なんてお話もできるとよいなーと思っています。
 
「架空世界の内の異文化」
 例えば、異世界ファンタジーものの世界設定で、都市から来た冒険者たちが辺境に来た場合。山間の農村地帯では、手狭な農耕地が各所に分散しているため、労働力を集住させる必要から、大家族的な大型民家が集中してるとか。
 遊動性の高い狩猟民群団の場合、総領権の末子相続が伝統的であるとか。
 ささやかな、ワンポイントでよいから、PCたちにとって物珍しい習俗が、生業や環境との説得的な関連で設定されているなら、架空世界の実在感〔アクチュアリティ〕が増すし、同時に架空世界に広大さの感覚を演出することになるのではないかと思います。
 
#こぉした設定に凝ってゆくと、プレイヤーに対する難易度が高くなっていくこととは思いますけれど。ツボを押さえたワンポイントで、エキゾチックな感じを印象づけることも可能なのではないかと思います。
 
 例えば、そんなお話をこの掲示板でやっていけると嬉しいと思います☆
 
P.S.あと、アタシは個人的に日本民俗学に疎いし、少〜し偏見も抱いちゃっています(苦笑)。民俗学に強いかたには、いろいろ教えていただけると嬉しく思います。
1999年02月28日:08時11分48秒
TRPGのための諸人類学的設定の部屋 / sf
 世界設定やシナリオ作成の上で諸人類学や関連学問の知見を役に立てることについて考えましょう。この掲示板でいう諸人類学とは、文化人類学を中心に、自然人類学、民俗研究(フォークロア)、民族学、通文化研究など、類縁の諸学を含みます。
 ……ということで、当掲示板は鍼原神無さんにより設置されております。とりあえず、利用は神無さんのあいさつをまったほうが良いかな。

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