グループSNEホームページの「今月のクローズアップ」99年5月は、僕へのインタビューだった。
内容は『混沌の大地III』に関することで、いろいろとしゃべっているのだが、その中で少し補足したほうがいいなと思ったことがあるので、ここに書いておこう。
何かというと、混沌魔術師ヴォーゲルの処遇についてだ。インタビュアー柘植は、ソード・ワールドRPGリプレイ第3部、つまり、かのバブリーズをプレイヤーとして遊んでいたわけだが(キャラクターが誰だったかはナイショ)、その中で、『混沌魔術師の挑戦』において、最後に移送の扉を破壊したことについて、「無責任なことをした」と、感想を述べている。
しかし、GMをやっていて、僕は、あの行為を「無責任」とは受け取っていない。この記事は、それを明らかにしておこうということだ。
あの場面で、プレイヤーたちは、後顧の憂いを断つために移送の扉を破壊し、ヴォーゲルをケイオスランドから二度と戻ってこれないようにした。彼のややエキセントリックな性格、目的のために手段を選ばぬやりかた、そういうのを見ていれば、これは、極めて妥当なやりかただったというのが、僕の判断だ。
問題が発生するとすれば、何か? 僕が、あの移送の扉を、ケイオスランド・ワールドガイド、つまり、新王国歴520年代のケイオスランドの冒険への導入として考えていたということだ。
そんなことをプレイヤーが気にする必要がどこにあるだろうか? プレイヤーは、その場面において、キャラクターとしてもっとも適切と思う行動を取ればよいのである。移送の扉の破壊は、最善であるとは限らないが(僕もプレイヤーも思いつかなかった、もっとすごい方法があるかもしれないからね)、適切と呼ぶに、十分ふさわしいものだった。
だから、僕は認めたのである。それを、プレ・ケイオスランドの歴史の上の事実として確定させたのだ。ケイオスランドへの導入は、それを前提に作り直した。
実際、あのプレイが終わった後、プレイヤーの一人は「困るようなら、リプレイのときにラストを変えてもいいと思いますが?」と提案している。そう、公に発表されなければ、そんな事実はなかったことになるのだ。リプレイにおいて、改変は珍しくない。作品として、よりよいものにするために、実際に起きたことを起きなかったことにすること、あるいはその逆、僕自身、やってないわけではない。細かいところではルーリング・ミスの訂正から、大きなところでは話の整合性を取るために。
けれども、これについては、僕はそれをしなかった。プレイヤーの判断を適切と認めたからだ。これを否定することは、ロールプレイング・ゲームを物語の下位に置く行為だと考えたからだ。
ロールプレイング・ゲームは、GMとプレイヤーの共同作業で物語を生成するゲームだ。GMの予想通りにいつもいくなら、それは、単独作業だ。そして、単独作業はGMにとってもすごくつまらない。ああいうことがあるからこそ、GMをやっていておもしろいのである。
リプレイであるなら、そういうことも伝えるべきだろう。僕は、そうも考えた。だから、改変を行なわなかった(そのために、少々GMの悲鳴を強調はしたけどね。実際のプレイでは、あんな情けない台詞は吐いてないはずだ)。
あの後、確かに少し頭の痛い思いをした。けれども、それはGMに取って楽しい頭の痛さだと思う。プレイヤーがGMの話の都合を気にすることはない。その時々で、最善と思える行動を取ればいい。僕は、そう思っている。結果、予定が狂えば、GM自ら予定を修正していく。それが正しいありかただろう。
むろん、GMを困らせるためだけに天の邪鬼な行動を取ってもいいということではないけどね(笑)。