[creator-ml:00033] Designer's position (Re: visual is naive)

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Date: Wed, 10 Jun 1998 02:34:31 +0900
From: Naruhiko Ogasawara <naruhiko@dino.spdd.ricoh.co.jp>
Subject: [creator-ml:00033] Designer's position (Re: visual is naive)
To: creator-ml@trpg.net
Message-Id: <199806091732.AA00697@naruhiko.spdd.ricoh.co.jp>
In-Reply-To: <199806091614.BAA29809@trpg.net>
Posted: Tue, 09 Jun 1998 10:32:52 -0700
X-Mail-Count: 00033

おがさわら@火盗改メです。

> 幅広い表現方法を模索するゲームデザイナー
> 河嶋陶一朗です。

こんにちは。
河嶋さんにとっては枝葉かもしれませんが気になるので。


> 河嶋にとってゲームデザイナーとは、演劇で言えば「演出」、映画でいえば
>「監督」なのですよ。

私の感覚はちがいます。
ゲームデザイナーはゲームデザイナーであって、それ以上のものでは
ありません。

たとえば FASA の Earthdawn の場合は、開発のトップは Louis J.
Prosperi、ゲームデザインは Greg Gordon、アートディレクターは
Jeff Laubenstein だったと思います。ワールドデザインは忘れま
したが多分別にいるでしょう。

河嶋さんのご意見では:

>  理想的なTRPGのデザイナーは、おそらく他の一元的なクリエイターに比べ、多
> 様な才能(文章力、ビジュアル力、構成力、数学的なゲームデザイン力、世界観
> を作り上げる想像力、考証を整える取材力、それらを統合するバランス感覚)を
> 必要としていると思います。

のように、一人でなんでもできることを要求しているように読めるの
ですが、分業ではなぜダメなのでしょう?
河嶋さんのおっしゃる「監督」はデザイナーではなくて、「それらを
統合するバランス感覚」を持つ開発のトップに冠せられるべきでは?
と考えますがいかがでしょうか。


河嶋さんの発言の「デザイナー」を「デザイナー集団」としても、
やはり監督ではないと思います。監督はやっぱりゲームマスターで
しょう。デザイナーサイドが監督というのはでしゃばりすぎかと。

デザイナー側というのは製作総指揮と裏方を兼ねる存在かと。
監督がどんな風に作品を作ればよいかを示唆して、その方向性を実
現するために、監督 (と俳優) が使える道具をなるべくたくさん用
意するのがデザイナーの責務だと思います。

それで本題に戻れば、ビジュアルというのはデザイナーが提供する
道具の一つにすぎないというのが私の考えです。道具として適当だ
とマスターが判断するならマスターの好きなように使えばよいし、
そうでないとするなら使わなければよい、と。

ただビジュアルがテキストに比べて即効性があるのは確かでしょう。
私も Shadowrun の表紙イラストが TOKYO ソースブックみたいだっ
たとしたら多分買わなかったでしょうし。


あと、RPG システムそれ自体は「作品」としてみてはいけないと
私は思っています。RPG システムはプレイされて作品を作り出す
ための「材料」以上のものであってはいけないのではないかと。
少なくとも「秘伝の声」は「材料」であって「作品」ではなく、
もちろん「芸術」ではありません。


それでは。

-- 
おがさわらなるひこ@火盗改メ
ネットワーク広報係
http://hiden.cup.com/
    

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