トップ>イベント情報>第4回コンベンション・特設ページ>「モンスターメーカー戦記」とわたし・その3
「モンスターメーカー戦記」はデザイナーによると、アナログゲーム界初のシミュレーションRPGということらしい。この場合のシミュレーションはシミュレーションウォーゲームと同義である。あの6角形の印刷された地図に、紙の駒をずらりと並べて、「バルジの戦い」とか「ミッドウエイの海戦」などを再現して楽しむマニアックなジャンルのゲーム群のことである。本来テーブルトークRPGとは兄弟(あるいは親子)ともいえる関係にあるジャンルなのだが、両者は別々の道をあゆむことになり、違う進化を遂げた。ちなみにわたしはどちらのジャンルのゲームもたしなむが、こういうファンは古くからゲームをやってる人なら珍しくあるまい。
ふたつの異なるジャンルのハイブリッドとはいえ、「モンスターメーカー戦記」はどちらかというとウォーシミュレーションの方に近いデザインとなっている。地図を広げ、駒をずらりと並べたら、後は移動―戦闘、移動―戦闘の繰り返しである。ごていねいなことに、ZOCという概念まで入っている。セッションはこの地図上で戦術を駆使することに主眼がおかれる。
直接見ることも手に取ることもできない何かを、会話のやり取りで束の間の魔術のように参加者の目前に立ち上らせるという遊びが一般的なテーブルトークRPGだとすると、この「モンスターメーカー戦記」は眼に見えるもの、直に手に取れるものを駆使して、そこから浮かび上がる何かを掴むことに重きを置いたゲームだといって良いだろう。一般的なテーブルトークRPGを求めてやってくるファンが受け入れてくれるかどうかちと怪しいキワモノともいえる。キワモノといえば今回その最右翼、キワモノのキングオブキングスとなるシステムがコンベンションで初お披露目の予定だったのだが、ご本人ご多忙のためあえなく中止となった。そのためどうやら一番のキワモノの名は「モンスターメーカー戦記」が冠することになったらしい。……喜んでいいのやら。
テーブルトークのファンはもちろん目新しいものが好きだ。とはいえ、目新しすぎるものや見慣れないものはかえって警戒される傾向がある。意外と保守的な人が多いのだ。大衆は完全に新しい物語よりも、いつもと同じようなものだがどこかしら少しだけ違っている物語の方を好む、と誰かが言っていた。映画雑誌を覗いてみたら、いかにたくさんの人がテレビと同じものを観たがって映画館に足を運んでいるかに気付くはずだ。今回参加者がどのゲームを選ぶかの判断基準は、内容を紹介した半ペラの紙1枚と、作品のタイトルぐらいしかない。マスターの人柄や、実績が反映されない分、マイナーゲーム(「モンスターメーカー戦記」のような)は著しく不利な立場にあるといってもよい。人柄や、実績が反映されたらあんたはもっと不利になるよ――という陰の声には耳を傾けないことにしよう。
しかし、わたしにはいくらか勝算があった。まずこの作品の性格上、必要人数に幅があることである。紹介文の予定人数の欄には「1〜6人」と書いた。いくらなんでも、1人ぐらいはスキモノが来てくれるだろう。多い分には6人いやもっといえば9人ぐらい集まっても問題はない。この柔軟性の高さは従来のテーブルトークにはない利点である。
もうひとつ、軍隊と軍隊の衝突を描いている以上その実感をダイレクトに出すことに努めた。付属の地図を拡大コピーしたものと、鼻息で吹き飛びそうな紙の駒を使ってもゲームは成立するが、これを見た瞬間に「なんだかしょぼそう」とパスしたとしてもその人を批難できない。ここはがんばって、プレイヤー用、マスター用と必要な駒を全てフィギュアで代用して、地図は大き目の物を自作することにした。これでレースクイーンのように眼を引くのだ。
フィギュアは手持ちのメタルフィギュア、プラフィギュアからふさわしいものを選んで、丹念に着色(手塗りである、もちろん)したものを50体ばかり用意した。若干改造したり、手を加えたりしてある。たいしものではないが、既製品をそのまま使用することに比べ、ゴージャス感が増す。それに愛着も湧く。
ちと大袈裟な表現だが、その昔RPGといえばメタルフィギュアを使って卓上バトルするものと決まっていた時代があった。これは準備が大変なのと、欲しいフィギュアが揃わないのと、RPGの表現するものがバトルから他のものへとシフトしてしまったためにまもなく廃れてしまった。古参のファンがメタルフィギュアを持っていたとしたら、この時期の空気に当てられた可能性が高い。
日本では廃れたとはいえ、フィギュアを並べた卓上バトルにもまだまだ需要が残されていることは、最近の「メイジナイト」のヒットなどから窺うことができる。わたしは過去の遺物ではなく最先端のゲームを提供しているのだ――そう信じることにした。チョコエッグを始めとするフィギュアブームの波がいつRPG界に押し寄せないとも限らないではないか。敵キャラが特別天然記念動物ばかりというのは御免だが。
フィギュア、もしくはそれを模した駒を使った方が断然楽しくなるRPGも多い。例えば「D&D」、「ガンダム戦記」などがそうだ。駒を使って状況を具体的に表すことが全てのシステムに有効に働くとはいえないので、どのシステムでも使える技ではないが、ダンジョンなどの固定された舞台で派手に戦闘するというタイプのゲームなら、楽しさが倍増するのは請け合いだ。
地図は、鉄道模型用のグラスマットというものを用いた。もちろん枠線なんかなかったので、自分で書き込んだ。一応の完成を見た上で、重大な欠陥に気が付いた。地図に貼り付けられている草(ナイロンの毛)がぽろぽろ剥がれ落ちるのだ。それも頻繁に。会場にこれを持ち込んだら、テーブル全体が毛だらけという悲惨なことになるのは眼にみえている。ここで付属の地図を拡大コピーしてお茶を濁す考えも脳裏をよぎったが、乗りかかった船というものは恐ろしい。「木工ボンドを塗布すればうまく毛を固定できるかも」とひらめき、早速やってみた。結果は――うまくいった。しかし、せっかく描いた枠線が残らず消えてしまった。「ギャー!」。アホなわたしは枠線を水性ペンで書き込んでいたのだ。泣く泣くすべての枠線を新たに書き起こした。困ったことに地図はあともう1枚必要なのだ。結局2枚とも無事完成したが、ひたすらに6角形を描いていくという作業は軽いノイローゼと引き換えになった。
そのほか、河やら森やら橋やらの地形も仕上げたのだが、このへんのことを語っても退屈するだけだろう。ともかく、必要なものは――何かと引き換えだが――全て揃った。手先が不器用で、飽きっぽいわたしでも何とかなるもんである。「できるかな」のノッポさんだって実は不器用ってハナシがあるじゃないか。自信を持って万人に自作をお勧め……してもいいのだろうか?
フィギュアと地図と地形。これを会場で並べておけば、目を引くのは間違いないだろう。紙の駒は並べても、チープさゆえにズラリ感がどうしても不足するが、立体でしかもフル着色の駒だと、ズラリの迫力は著しい。雛人形を欲しがる男の子が後を絶たないのも分かる気がする。雛人形で卓上バトルができるかどうかはなんとも言えないが。
RPGは外から見ただけでは何が面白いかさっぱり分からない遊びである。それは兄弟分のシミュレーションウォーゲームでも変わりがない。四角の中に小判(戦車を表すマークである、ちなみに)の書いてあるボール紙がずりずりと地図上を右から左に動くのを見て(もちろん手で動かすのだ。アナログを舐めちゃいけない)、SS装甲師団の華麗なる戦術機動だと感じられる人はそう多くはない。遊んでいる様子が絵にならないのだ。無味乾燥な紙の駒が盤上を右から左に位置を移すのを見て、そこに何がしかを感じろというのは、例え相手が人一倍想像力の旺盛な人であってもひどく酷な話だろう。
世の中にマスターする人種とマスターしない人種がいて、たいていの人はマスターしない人種に属するという単純な事実と同じように、紙の駒はたいていの人にとってやはりただの紙の駒なのだ。
その点ミニチュアを全面的に使用したセッションは、今何が起ころうとしているか一目瞭然な点に強みがある。説得力は紙の駒とは段違いだ。見栄えもするのでギャラリーの目を引きやすい。こういう点では実はコンベ向きといえるジャンルなのかも知れない。そのことを知ってか知らずか、およそ、RPGぽくないこのシステムの使用を快く許可してくれたTGC主宰にこの場を借りて感謝の意を表明したい(来年もミニチュアでいいよね?)。