第10章 未解決
港は、いつの時代も、様々な劇の舞台だ。
出会い、別れ、旅立ちと帰還。
それは悲劇であるかもしれないし、また喜劇であるかもしれない。
演じる役者が変わり、舞台装置が違っても、いつも港は、そこにある。
それが港というものだ。
そして、ここにもまた、ひとつ。
カボスたちはその日の最終便で帰ることにした。
傾きかけた太陽が、水平線の彼方に消えた頃、船はアルダムに着くだろう。
間もなく、出航を告げる汽笛が鳴るはずだ。 カボスの前には、クレアがいた。
『あんたたちがちゃんとこの国から出ていくか見届けてやる』とワケのわからない理由を振りかざし、
彼女は付いてきた。
そして、今カボスの目の前に立っている。
ジョンも横に立っている。
リースがいれば、ムリヤリにでもこの鈍感な士官を船内に連れ込んだだろうが、今は彼女はいない。
カボスは何と言えばいいのか、判断が付かなかった。
嫌われてしまったことは確実だ。
いや、最初から好意など、欠片も持たれてはいない。
なにせ、ヴァルモン人なのだから。
これほど自分の出生を恨んだことはなかった。
「…あの、その…ありがとう」
カボスが鬱々とそんなことを考えていると、吃音しながら、か細い声でクレアはそう言った。
「後で冷静に考えたら、あの時止めてくれなかったら、あたし後悔してたと思う。感謝してる」
感謝、か。その感情が恋心に変わる可能性はなさそうだ。
そんなことを考えながらカボスの口から出た言葉は…
「お礼ですよ。怪我の手当てをしてくれた、ほんのお礼…」
違う。
違うのだ。
絶好の機会ではないか。
雰囲気だって悪くない。
「礼には及ばんよ」
そう。唯一の問題はこのジョンが隣にいることだが、この際そんなことはどうでもいいではないか。
「でも、あなたこそどうしてボクの手当てなんか」
またしても、言いたい言葉ではない。
「さぁ…自分でもわかんない。前も言ったでしょ。ただ、強いて言えば、あなたがあんまりにもヴァルモン
人らしくないから、じゃないかな」
「ホントに、そうでなければ良かった…」
カボスは心の底からそう思った。
ヴァルモン人でさえなければ…。
初めのハードルは、あまりに高すぎた。そして、それにつま付いたのだ。ゴールは、果てしなく遠くへと
去ってしまった。
「…そうだね」
ポツリとしたクレアの呟きの後半は、船の汽笛にかき消され、カボスの耳には届かなかった。
「あほーっ!」
リースの声は、喫茶店中に響き渡った。周りの客が何事かと振り返る。だが、リースは構わず続ける。
「あんたそれでのこのこと帰ってきたワケ!?」
「だって、どう考えても脈なしじゃないですか」
「脈なしぃ!? 何考えてんのよ、このニブ!」「に、ニブぅ?」
「でなけりゃトンマで間抜けでど〜しようもない大バカよ! 大体それで諦めるの? それでも男?」
「お、おい、リース」
ジョンがリースの袖を引っ張る。
「大体ジョンもジョンだわよ! 少しは気を効かせるって事、知らないの!?」
「何にだ?」
「あちゃあ〜」
リースは天を仰いだ。横でボミオンが面白そうに見物している。
「こぉの唐変木!」
「なんだと!」
突然矛先がジョンに変わって、カボスは目を丸くしている。
「いったいどういうことなんです? ボミオンくん」
「据え膳食わずはなんとやらってやつじゃないかな?」
「男の恥、ですか?」
「そう、それ」
「そんなもんですかねぇ。なんか例えが違うような気がしますが…」
カボスは腕組みする。
「女の子の気持ちはわからないけどね。そんなもんだと思うよ。それに、女性であるリースがああ言って
るんだし」
「そうよ! とっとと行って、捕まえてきなさい!」
再びカボスに向かって、リースが怒鳴る。
「い、行くって…クーレンルートへ、ですか?」
「決まってんじゃない」
「今更どの顔さげて行けって…」
「ぐたぐだ言うな! 今すぐ行くの!」
「今すぐったって、もう船ないですよ」
「鉄道がある!」
「今からなら、まだ終列車に間に合うね」
懐中時計を取り出して、ボミオンが嬉しそうに言う。
「ほら、行ってこぉ〜い!!」
「はい〜っ!」
リースに蹴りだされる様にして、カボスは喫茶店を飛び出した。
「ふうっ」
リースは息をついて、腰をおろした。
見回すと、周囲の客が唖然として彼女を見つめている。
「あ、あら、やだ」
リースは赤くなって、頬を両手で覆った。
「なぁ〜にが、『あら、やだ』だよ」
憮然とした顔で煙草をふかしながら、ジョンはボヤいた。
「それより、さ」
ボミオンが身を乗り出す。
「明日、みんな休みだよね」
「ん? ああ」
「それがどうかしたの?…ああ、そうか!」
リースがポンと手を叩く。
「だろ」
嬉しそうにボミオン。
ただ一人、ジョンだけがワケのわからない顔。
「面白そうね」
「行こうか?」
「そうと決まったらさっそく…ジョン、自動車出して」
「へ? どこ行くんだよ?」
「クーレンルートに決まってんじゃない」
「なにしに?」
ボミオンとリースは顔を見合わせて、含み笑いをした。
「ナ・イ・ショ」
気怠い午後は、春の日にこそ相応しい。
けれど今は、いくらか涼しくなった、夏の夜。
雲ひとつない空のもとの、人賑わいの、カフェテラス。
ぬるくなったレモンティーに、真夏の星屑が浮かんでいる。
今の雰囲気に似合うのは、
明るく陽気なメロディ。
擦れた声で、心をよぎった歌を口ずさむ。
肩の傷が痛んだ。
ため息を、ひとつ。
「変な、ヤツだったな…」
ヴァルモン人らしくない、あいつ。
よれよれの帽子に、丸眼鏡。
やけに丁寧な言葉遣いが印象的だ。初めは、バカにしてわざとああいう口調なのかと思ったが。
そう、名前は…
「…名前?」
知らない。
よく考えれば、一度も聞いていない。
あの軍人の方は、確かジョンといっていた。けれど、あの変なヤツの方は…。
よくわからないことだらけだ。
苦笑して、ティーカップに口をつけた。
なぜ、傷の手当てなんかをしてやったのか。
情にほだされたというのもあるだろうが、それにしても、自分の身の危険と引き替えにしてまでは…。
それに、自分を引き止めたあの時のあいつの顔。
涙まで流していた。
あれが演技ならたいしたものだが、あの鈍そうな男にそんなことはできないと思う。とぼけた性格まで
演技だったのなら、話は別だが。
しかし、あの涙。
あのせいで、足を止めたことは確かだ。
ホントに心配してくれているように思えたから。
男が涙で女を引き止めた。
まるで逆だ。
クスリと笑う。
「ま、いっか」
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