カボスは途方に暮れていた。
 単眼の正体に。
 クレアの言葉を信じるとして、それがヴァルモン軍だったとしたらどうなる?
 何のためにそんなことをするのだ?
 ボミオンを死んだと思わせ、自分たちの行動をカメラに収めている――軍の仕業だという仮定の下には、 そんな推理しか成り立たなかった。
 そんなことをして、いったい何の意味があるというのだ。
 いっそのこと、このまま帰ってしまおうかとも思った。
 けれど、ボミオンを放っておくわけにもいかない。
「そうか…ぼくたちを島に足止めしたいんじゃ…」
 そう考えれば辻褄が合う。
 だが、なぜ?
 自分とクレアの行動の記録がいったい何の役に立つというのだ? それに、カメラのシャッター音は二人 とも聞いてはいない。
 カボスは苛立って、額を掌で覆った。大きく息をつく。
「何を考えている…情報局…」


「精度が悪いな」
 暗闇の中、くぐもった声が響く。
「仕方ないだろ。採光率を上げると、粒子が荒くなるらしいから」
「まぁな。日中しか使えんか…あまり役には立たんな」
「画期的な発明だと思うけど?」
 声の主は三人だ。
 男が二人、女が一人。
「それはそうだが…しかし、さっきはまずいところで気付かれたな」
「さすがに彼女は鋭いわね。明日には切り上げましょう」
「そうだな。残りも少ないし、な」
「それまでに決めてくれりゃいいけど」
 三人は押し殺した声で笑い合った。


「罠?」
 クレアがおうむ返しに問う。
「そうです。トラップを張るんです」
「捕まえるワケ?」
「いえ、相手の正体さえわかれば、それで構いませんから」
「心当たりでもあるの?」
「おそらく、ね」
「ふ〜ん。で、どんな罠にすんの?」
「それはですね…」


「こぉ〜の変態っ!!」
 夜明け。葡萄色の空の下、クレアの罵声が響きわたった。
「痴漢! スケベ! 人でなしっ!!」
 薮から飛び出したクレアは、あらん限りの悪口雑言を並べ立て、薮の中に石を投げ付けた。素早い動きで 次々に石つぶてを撃ち込んでゆく。
 中にいるはずのカボスは、一撃目の時に悲鳴を上げたきり、反応がなくなっていた。だが、気絶しようと しまいと関係ないといった様子で、クレアは石を拾っては投げ続けていた。もちろん、ついでに罵詈も忘れ ない。


「何だ? 何があった」
「カボスが嬢ちゃんに、何かやらしいコトしたみたいだ」
「痴話喧嘩か。こいつぁ面白い。ぜひ収録せねば」
 軍人は慌ててカバンを開き、一抱えもある機材を取り出した。
 ちょうど箱にカメラのレンズと把手を取り付けたような造形をしている。
 それを肩に担ぎ、側面に付いているハンドルに手を掛ける。そして箱上部の潜望鏡を逆さに付けたような ものを覗き込むとゆっくりとハンドルを回し始めた。
「…やっぱり」
 突然背後からかかった聞き覚えのある声に、軍人たちは恐る恐る振り返った。
「こういうことだったんですか…ジョンさん、ボミオンくん」
 冷ややかな目で、カボスは二人を睨み付けた。
「覗き見なんて、趣味悪いですよ」
「あ、いやぁ、あはははは」
「あははじゃないですよっ! こっちはどれだけ気を揉んだか…」
「でも、おかげで彼女と二人っきりで二日間も過ごせたじゃないか」
 カメラを抱えたまま、いけしゃあしゃあとジョンが言ってのける。
「そ、そういう問題ですかっ!」
「お、赤くなった赤くなった」
「嬉しかったくせに」
「あ、のねぇ…ボミオンくん」
 尚もへらへらと笑うジョンたち。
 さすがに頭にきて拳を握り締めたその瞬間。
 ――パァン!
 ジョンの頬で音が弾けた。
「…最っ低」
 押し殺した声でそれだけを吐き捨てると、クレアはカボスの手首をつかんだ。
「帰るよ! バカバカしい」
「え、いや、あの…」
 怒り心頭といった感じのクレアは、そのままカボスを無理遣り引きずっていった。
 後に残されたのは、頬を赤く染めたジョンと、それを見てニヤニヤしているボミオンの二人。
「また派手にやられたわね〜。さっすがクレアちゃん」
「感心してる場合かっ!」
 後から現れたリースにジョンが怒鳴った。
 だが、リースは平然と「仕方ないじゃない。どんな理由があるにせよ、悪いのはこっちなんだし、ね」と 言った。
「ボミオンを殺して、二人を島に釘付けにするっていう案を出したのはお前なんだぞ!」
「採用したのはジョンでしょ。私はあくまで一つのアイデアとしていったまでだもの」
「この女は、いけしゃあしゃあとまぁ…大体こういう時だけ姿くらませてやがって」
「朝食の準備してただけじゃない。それにね、職業軍人が一般人に出し抜かれるほうがどうかしてるわよ。 それもカボスに」
「ぐ…」
 さすがにそう言われると、ジョンとしても立場がない。そもそも、ジョンが口でリースに勝てるわけが ないのだ。
「さぁて、朝飯食ったら帰るとするか」
 わざとらしく背伸びをして、ボミオンはリースの現れた方へと歩いていった。
「ま、帰ったら二人に謝っておくことね」
「オレがか?」
「当然でしょ。カボスは単純お人好しだからどうにでもなるだろうけど、クレアちゃんは一筋縄じゃいかな いと思うわよ。心してかかることね」
「冗談じゃないぜ」
「向こうもそう思ってるはずだけど?」
「るせぇ! 大体だな…」
 尚もグチグチとやっているジョンを尻目に、リースも朝食の支度のできたキャンプの方へ足を向けた。
「おいこら! 逃げんのかよ!?」
「ご飯、いらないの?」
「・・・・・・いる」


 この後、結局、うやむやのうちに全ての責任はジョンが引っ被ることになってしまった。


 軽蒸気船は激しく水しぶきを上げながら、海上を疾走していた。
 クレアは膨れたままだ。
 ま、仕方ないな。
 カボスはそう思った。
 怪事件の首謀者が、ジョンたちだったのだから。
 カボスにしても腹立ちがないわけではない。本気でボミオンのことを心配したのだ。
 だが、そんな怒りよりも、クレアと二日間というときを過ごせたという事実の方が、カボスの心を 充たしていた。
 そう。
 ジョンの台詞は、的を射ていた。図星だったのである。
 横のシートに座るクレアをちらりと見て、カボスは苦笑した。
「悪くない、小冒険だった…かな」
 カボスはハンドルを切った。針路はクーレンルート。


 一週間と経っていない。
 けれど、随分と昔のことのような気がする。
 思えばこの半年間、色々なことがありすぎた。
 海戦、漂流、トーラー古世人の地下基地、クーレンルートの虐殺、狂気に取り憑かれた科学者、ヴァル モンの軍事機密を巡る策動、そして今回のささやかな出来事…。
 一生分のイベントが、この半月の間にまとめて起こってしまったような感じだ。
 喜びとスリル、そして悲しみ。
 悲喜こもごもの人間模様が、カボスの脳裏で交錯しては消えていった。
 カボスは、静かに祈りを捧げているクレアを見つめた。
 彼女の前には、白い石碑。
 ジョゼフ、エリス、ロベルト。
 刻まれているのは、三人の名前。
 そして、その下に眠っているのも、今は三人だ。
 彼らはようやくもとの家庭を取り戻した。
 もう、誰にも邪魔されることのない…。
 頭上では晩夏の陽射しが煌めいている。
 季節はやがて秋を迎え、冬に変わる。そして春になり、夏は再び巡ってくる。
 記憶はいしつか色褪せ、人の世は絶え間なく変遷し続ける。
 だが、彼ら三人はずっと一緒だ。
 永遠に、変わる事無く…。


「この花は…?」
 ロベルトたちの墓碑には、クレアたちが持ってきたのとは別の花束が供えてあった。
「きっとジョンさんたちですよ。照れ臭いんでしょう、あんなコトしたもんだから」
 クレアはわずかに蒼い空を見上げた。涼風がふっとかすめてゆく。
「…あれ、結局どういうことだったワケ?」
「軍で最近開発された動画撮影機のテストをジョンさんが任されたらしいんです。で、どうせ撮るなら何か 面白いものを、というコトになったらしくて…」
「バッカみたい」
「あなたが思ってるほど、ヴァルモンの人間はひどい人ばかりじゃありませんよ。確かに、クーレンルート をバカにしているきらいはないとは言えませんが…」
「今度のコトで、少なくともおかしなヤツがいることはわかったよ」
「手厳しいですね」
「でも…やっぱヴァルモンは好きになれないよ。みんなを殺して、あたしの両親を無理遣り連れてった…」
「え…?」
 初耳だった。
 だが、ありえる話だ。
 ヴァルモンは安価な労働力確保の為に、海外からの強制移民を幾度か行なったことがある。クーレンルー トもその憂き目に遭っている。彼らは最低の賃金と待遇で酷使され、倒れればボロクズのように捨てられる のだ。
 そして、ヴァルモンの国力はそんな彼らの犠牲の上に成り立っている部分もあるのだ。
「そうだったんですか…」
 カボスはうなだれた。かけるべき言葉が見つからない。
 気まずい沈黙が流れた。
 いつもこうだ。
 何かあると、すぐに押し黙ってしまう。そうせざるをえない雰囲気なのだ。この沈黙を破る術など、カボ スにはなかった。初めて言葉をかわした時と、根本的には何も変わっていないのだ。
「これから…どうする?」
 ふと、クレアの口から出たその言葉は、カボスには意外なものだった。だから、すぐにはその意味すると ころが理解できなかった。
「え…ああ、帰りますよ、ヴァルモンに。店、半月も閉めたままなんでね」
「そっか…」
 カボスはクレアを見た。表情のないその面からは、その心の内を読み取ることはできなかった。
「あなたは、どうするんです?」
 とりあえず、カボスはそう尋ねた。
「あたし? あたしは…」
 クレアは髪をかきあげて、耳の横でその手を止めた。
「そうね…」
 頬に掌を押し当て、何かを迷っているように視線を落とす。
「ヴァルモンに渡ろうかな」
「へ?」
 クレアの意外な言葉に、カボスは間抜けな声を出した。
「…どういうことです?」
「言った通りよ。ヴァルモンに行く。そして、父さんと母さんを探すつもり」
 強い決意をその瞳に漲らせて、クレアは言った。
「ああ、なるほど」
「もう、クーレンルートに思い残すことはないからね。今回のコトで、肉親らしい人もいなくなっちゃった し…」
「相変わらず、無茶ばっかり考えるんですね。ご両親が強制労働の為に連れていかれたんなら、それをムリ に連れ戻すってコトは軍から奪うってコトですよ」
「それが何よ」
「また、あなたの嫌いなヴァルモン軍を敵に回すつもりですか?」
「後悔を引きずって生きてくんなら、思うようにやってくたばった方がましよ」
 言ってクレアは、カボスを真正面から見た。
「目は前に進むために付いてるんでしょ」
 カボスは笑った。
「確かに、その通りです。でも、一つだけ間違いがありますよ」
 カボスは人差し指を振ってみせた。
「死んじゃいけません。黄泉へ向かって進んでいくんなら、引き返したほうがずっといいですよ。未来は、 常に希望に充ち溢れてなくちゃ、ね」
 真面目くさったカボスの物言いに、クレアは微笑み、そして声をたてて笑いだした。
「どっちが精力剤なんだか」
「お互い様ですよ。効きましたか?」
「お腹こわしそうなほどに、ね」


 かくして、カボスはクレアを伴い、ヴァルモンへの帰途に就いた。
 戻ったカボスを待っていたものは、三日分のレンタル料金の支払いだった。
 なお、この半月間の出来事の中で、カボスの少ない小遣いは底を突いた。
 しばらく、稼業に専念せざるをえなくなったのは言うまでもない。

                                  【了】


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