第二夜  〜はじめての贈り物〜  著:のび



「君の奥方を若い羊飼いと逢引させないためには、雨を降らせるのがいちばんだ」
 誰の言葉かは忘れたが、いつか客から聞いた小話を思い出しつつ、オレ――リッカート・モラニスは、 ぼんやりとカウンターを拭いていた。
 客の姿は、数えるほどしかない。
 ここのところ、じめじめした日が続いている。
 無理もない。雨の季節だ。降らない方がどうかしてるし、降らなければ大騒ぎだ。
 だが、客足には響く。
 人間という生き物はもともと怠け者で、こういったうっとおしい日は外出しないように出来ているらし い。かく言うオレ自身、どうにも気乗りがしない。
 『紅熊亭』の雰囲気も、心なしか、気怠い…。


「…ふむ、こんな雨の日は酒が旨いね」
「あんたが『酒がマズい』なんて言った日にゃ、天地が引っ繰り返るよ」
 常連客とキャシィとの会話が耳に入る。客の数が少ないから、いつもは騒がしい彼女も今日は少しのんび りと応対している。
「…ん? どしたい、キャス。ブローチなんぞ付けて。いっちょ前に色気づいたか?」
 目ざとくキャスの胸元にいつもとは変わったところを見付けて、客が尋ねる。
「そんなんじゃないよ。リックにもらったんだ。誕生日のプレゼントだってさ」
「ほう…」
「カッコ付けちゃってさぁ…『プレゼントだよ。似合うと思うんだけど…』だってさ。似合わないっつ〜 の。しかも、デザインがダサダサ…」
「がっはっはっ! 聞こえるぞ」客の大きな笑い声が響く。

 聞こえてんだよ、馬鹿野郎!
「くっそ〜、キャスのヤツ…」
 人の好意をなんだと思ってやがるんだ。こんなことなら、妙な気、起こすんじゃなかった。あのブローチ は偶然露店で見付けたものだ。それで今日がちょうどあいつの誕生日だったのを思い出して…くそったれ!  文句言うなら何で付けてんだよ!
「だいたい、あいつは他人の思いやりってやつをちっとも…」
「――ねぇ…なんか名前ない?」
「はい、ありがとうございます。え〜と、ナマエナマエ…へ、名前?」
 反射的にカウンターの後ろの酒樽に手をやろうとして、オレは手を止めた。
 聞き返そうと振り向くと、カウンター越しに若い男が話し掛けてきていた。気の抜けたエールに口も付け ずに、さっきから何やらブツブツ言っていたが―― 。
「あの…名前って…?」
「いやだなぁ」男は照れ臭げに頭をかいた。「人の名前だよ。君なら、リック」
「…で、それがどうかなさったんですか?」
 男の手元を覗き込むと、何枚もの羊皮紙に、汚い字でいくつもの単語が描き綴られていた。それは…名前 だった。
 ただ、不思議とそうやってただ連ねられているだけのそれらは、名前の持つ独特の意味も重みも、何ら感 じさせなかった。

「…生まれるんだ」
 はにかみながら、男は呟いた。「もうすぐ、僕の…いや、僕たちの子どもが…ね」
「ああ、なるほど」オレはポンと手を打った。
「そりゃあ、おめでとうございます。それで名前を?」
「うん…なかなか、決まらなくてね。少し落ち着いて考えたら思いつくかと思ったんだけど…いやぁ、 ついソワソワしちゃってね。全然ダメなんだ」
 男はだらしなく相好を崩す。その表情に、思わずこっちの口元も緩んだ。
「マスター、一本付けてあげていいスか?」
「ああ。今やってる」
 マスターも話を聞いていたのか、何やらつくっている。「初めての子かい?」
「ええ…だから、落ち着かなくって」
「親父になるんだものな」
 マスターがボソリと言った。男は一瞬呆けたような顔をした。
「…そう、ですよね。父親になるんだ…そうなんだよな」
 今気付いた、というように男はうなずいている。
「だめですねぇ、舞い上がっちゃって…どうすりゃいいんでしょう?」
 マスターは薄く笑って、カクテルを容器にそっと注ぎ入れた。テキーラをベースに、ホワイトキュラソー とライムジュースのさわやかな風味を効かせた一杯。名は…
「マルガリータ」
「…え?」
「このカクテルの名前さ…由来を知ってるかい?」
「いえ…でも、なんか、こう…いい響きですね」
「人の名前さ。このカクテルを創った男の初恋の娘の名前だそうだ」
 マスターは男の前にカクテルを置いた。容器の淵をレモンで濡らし、塩を付けて。
 男は手にしたマルガリータを見つめた。
「あんたは、人に物を贈るとき、何をいちばんに考える?」
「え…?」男は一瞬唖然として「そりゃ…相手が何を喜んでくれるか…」
「贈り物ってやつは、相手に対する気持ちを形にしたものだ。そして、名前ってのは、親が初めて子どもに 贈るもの。肩肘張ることはない。あんたたち夫婦の、新しい命に対する気持ち…それがこめられていれば、 きっと素敵な名前になるさ」


 男は、その後すぐ『紅熊亭』を後にした。きっと、いい名前を思いついたのだろう。「“名前は親が子に 贈る初めてのプレゼント”…か。うまいこと言うなぁ…」
 閉店後の店の後片付けをしながら、オレはマスターの言葉を思い出していた。
「子どもねぇ…」聞いていたのか、キャシィが呟く。
「やっぱお前みたいなジャジャ馬でも、子どもは可愛いか?」
「ジョーダン! 子どもなんて大っキライ。ワガママだし、生意気だしさ」
「なるほど…似てるものどうしは反発するって言うしな…」
「なんだと!?」キャシィが睨む。
「あ、いや、なんでもない」
「だいたい、産むのだって女ばっか辛い思いすんだよ。損な役回りはいつも女なの」
「なんでそんな話になるんだよ」
「つ〜ワケで、あとヨロシク」
「ん…ああ…なに? コラ、逃げるつもりか!?」
「女にばっか仕事押しつけんじゃないの。ほんじゃね」
 言って、キャシィは二階への階段へと姿を消した。
「っのヤロォ〜…やってられっか!」
オレはいい加減頭にきて、布巾をテーブルに叩きつけた。 「だいたいあのアマァ…」と、オレが言いかけたとき、キャシィがヒョコッと階段から顔を出した。「――リック」
「んだよ?」憮然として振り向く。
「これ、サンキュ」
 胸元に付けたブローチをちょいと見せて、キャシィは微笑んだ。
「あ、ああ…」
 曖昧な返事をオレが返してるうちに、再びキャシィは二階へと駆け上がっていった。
――どういうつもりだ?
 怪訝に思いはしたが、さすがに悪い気は、しない。
 オレは叩きつけた布巾を拾い、そしてテーブルを拭き始めた。なんだかいいように使われているような気 がしたが…。女は魔物だよ。特に、あいつは…くそったれ。
「ま、いいか…」

 オレは、男が忘れて帰った羊皮紙をまとめた。何気なく、紙面に目を落とす。いろんな名前が書き綴って ある。ジョン、ブレアス、ゲイル、ルナール、リッキー、エナ…
「ティム、リリア…リッカート? キャシィ?」
 オレは目を丸くし、そして吹き出した。
 そうか…並べられた名前から何も感じられなかったのは、その名前にまだ生命が吹き込まれていないせい なんだな…別に珍しくもないオレたちの名前でも、オレたちの名前だからこそ、意味を持つんだ。名は体を 表す…か。なるほどね。
 そのメモ書きをカウンターの引き出しにしまうと、オレは窓から夜空を見上げた。
 いつのまにか雨は上がっていた。薄曇りの夜空に、わずかに星が瞬いている。
「贈り物…か。そういや、あいつに何かやったのって…初めてだったな」
 そうひとりごちて、オレは夜空を見上げた。一筋の光芒が流れる。
 彼は、天からの授かりものに、どんな名前を贈るのだろう?
 願わくば、それが生まれくる生命に似合うものでありますように…


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