最終夜 〜エピローグ〜 著:のび
「キミには、夢があるのかい?」
バーテンなんて仕事をしていると、この類の質問を浴びせられることがよくある。だから、オレ――
リッカート・モラニスはいつもこう答えることにしている。
「ありますよ。ここに、ね」
キャシィはモテる…まぁ、相手は酒の入った連中だから半分はその場の雰囲気もあるのだろうが、それで
も彼女の気っ風のいいところに惹かれる男は年齢に関わらず少なくなく、言い寄られることは多い。
だが、キャスは素っ気ない。
「悪いね。付き合う気ないんだ」
「…可哀相だな。付き合ったらいいじゃん。別に今相手がいるわけじゃないんだろ?」
キャスは無言で振り向く。
その瞳が潤んでいるような気がしたのは…オレの気のせいか…
「…30になっちまったんですよ…」
酒を片手に、男がうなだれながら、そうこぼす。そんな男の前で木のコップを拭きながら、親父さんは
答える。
「そうか…なら来年は31だな」
酒場というと夜の顔ばかり連想されがちだが、飯時も重要な時間帯だ。特に昼飯時など『紅熊亭』は戦場
と化す。マスターはじめ、オレもキャスもてんてこまいである。けどこの時の主役はマスターでもなけれ
ば、もちろんオレやキャスじゃない。『紅熊亭』のコック長ダーナ、おかみさんの独壇場だ。
暑さと多忙さにくたびれて息をついたキャスに、女将さんが声をかける。
「キャス、あそこのお客さんの水、なくなってるよ」
殺人的なまでの忙しさの中で、である。
「…いいもんだねぇ、こういう雰囲気も」
そういった声が客から聞かれるようになったのは、アンナが『紅熊亭』に来てからだ。 どういうわけか
行き倒れ同然になっていたのを、マスターが拾ってきた娘なのだが、これがなかなかの腕をもった吟遊詩人
だったのだ。リラを片手に、爽やかで艶やかな歌声で『紅熊亭』を充たす。男がほとんどの客層にはかなり
の好評を博した。
以前から、「ウチにも歌姫がいたらな」と言ってたマスターやオレは満足だったのだが、なぜかアンナは
キャスとウマがあわない。二人とも気が強く、互いに譲らないため、よくケンカになる。
はじめは仲裁に入ってたオレも、最近ではケガするのも馬鹿馬鹿しい――ヘタすると二人まとめて敵に回
すこともある――ので、なるに任せている。似たもの同士は反発するものだ。特にああ気性が激しくては…
「そんじゃ、アンナちゃん。明日の朝、噴水のトコでね」
ほろ酔い加減の優男が、アンナに投げキスを残して店を出る。
キャスとアンナ…よく似てる二人だが、唯一違うところがある。
それはなぜか頑なに異性を拒むキャスに対し、アンナは男に奔放だということ。つぎつぎに相手を取っか
え引っかえ――それだけモテるということなのだが、彼女と付き合うのはなかなか大変なようだ。
それがキャスには気に入らない。
また、ケンカである…。
それでも、キャスとアンナは客の人気を二分している。
可愛げの無いキャスに尻軽のアンナか…オレはどっちも願い下げだが、ね…。
オレは言葉を切った…。
「たしかに…“夢”なんて追ってる場合じゃないのかも、な…」
男は何を取り違えたのか、そう呟く。
「人のことを思いやりすぎて何も出来ない臆病者より、他人の気持ちなんてコレっぽっちも考えない傍若無
人なヤツの方が成功する…そうかもしれませんね」
言いながら、オレは空になった男のコップに水割りを作る。
「でもね。オレは思うんですが、夢を追うって事はとても素敵で、でも辛くて…そして残酷なことなんじゃ
ないかな、ってね。きっと苦しいことの方が多いと思うんですよ。でもやっぱり『それでも…』なんです
ね。その『それでも』が夢の力なんだと思いますよ」
男は黙る。
「そうだよな…夢なんて絵空事だよなぁ…明日の食い扶持だってどうなるかわからないってのに…」
「…言葉で片付けるからですよ」
言って、オレは目を上げる。
視線の先では、アンナが歌い始めていた。
切なくて雨にふるえ…
哀しくてひざを抱えたまま
頬を伝う雫だけが
あふれる涙を 隠してくれる
誰も頼らない
誰も傷つけない
誰も哀しませない
そんなことに憧れて
自分だけが傷ついたような気になった
夢 希望 愛…
そんな言葉が空々しくて
なにもかも世の中のせいにしていた…
そんな私に明日は来るんだろうか?
どうして来るんだろう?
明日なんて来なけりゃいいのに…
私が私であることが
何の取り柄にもならない…明日なんて
「暗い唄だね…」
男はポツリと言った。
「そうですか? 妥協してしまえば…そうかもしれませんね」
唄の間にも、キャスはドリンクや食物を運んだり客の話相手をしている。唄に聞き入る客もいれば、半分
眠っているような客もいる。
「でも、これがオレの…オレたちの“夢”なんですよ。今のこの、この雰囲気がね」
オレはシェイカーからスクリュードライバーをコップに移し、それをキャスに渡した。
マスターが相手をしている客…さっきまで暗い顔だったのに、今は穏やかな表情だ。
厨房からは女将さんのつくる料理の香りが漂ってきた。
「…なんとなく、キミの言いたいことがわかったような気がするよ」
男は弱々しく微笑んだ。
「…オレたちの想いはここにあるんです。これまでも…きっとこれからも、ね…
お客さんの想いは、なんですか?」
【了】
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