第一夜  〜五年目の約束 〜  著:三皇五帝松隈



その日は朝からしとつく雨が降り続き、じめじめした空気は紅熊亭の中まで忍び込んでいた。天候のせい か客の入りも悪く、この俺、リックことリッカート・モラニスの気分もじめついたままだ。
「退屈ですねぇ、マスター」
ギムレット・スミノフ、みんなはマスターと呼ぶ、は今日はさすがに手持ちぶさたらしく珍しく金細工を いじくりまわしている。こうしているとまるでマスターは本当のドワーフに見える。
「へぇ、マスターが彫り物もできるとはしりませんでしたよ」
真剣なまなざしを細工物から外し、マスターは俺を振り返って言った。
「忘れちまったようだな、リック」
「はぁ?」
その時、言葉の意味がわからず間の抜けた声を上げた俺の後ろのドアが、突然に音を立てて開け放たれ た。冷たい水滴が首を濡らし、また、ひゃっと声を上げる俺。
「お客さん!あんまり開けたままにしないでくだ……」
赤い瞳、赤い鎧、赤い外套。たしかこの男………
「マスター、いつものやつを頼むよ、暖かいやつ。冷えたからね」
ずぶ濡れの赤い戦士はそう言うとニヤリと笑みを浮かべた。
「きっかり五年、しかも時間も同じ……ボウズらしいぜ。おーいっ! ダーナっ! シチューと羊肉だ! 大急ぎでたのむぜぇ」
そうか、そうだった。やっと思い出した。彼は約束を果たしにきたのだ、そう。五年目の約束を………


もうすぐ隣国との戦も終わるそうだ、そんな噂でこの紅熊亭はあふれていた。ここのところ、我らが英雄 「真紅のゴードン」将軍の戦勝ごとに近所の男どもは、めでたいめでたいと酒を飲みにくる。もっとも、故 郷がその隣国である鍛治屋のレガフの前でこんな事を言おうものならたちまちに無言の拳が降ってくるだろ うが……ともかく、そのレガフが精魂込めて鍛えた技物の剣、「クリムゾンフレア」を腰に下げたゴードン 将軍のおかげで今度の戦はこちらが大した被害こうむることなく終結しそうだ。
だがそんなある日、こんな噂が流れ始めた。
「敵国のドラゴンマスターが赤龍の群を召喚したらしい」
龍を自在に操る者、それがドラゴンマスター。その中でもとびきりの強者がゴードン軍の前に立ちはだか る。真紅のゴードンと真紅のドラゴンの対決だ、さぞかし歴史に残る名勝負になるだろう。などと無責任に 盛り上がる一団がいるかとおもえば、さらに不謹慎なことにどっちが勝つか賭けを始める者までいた。
ダンッ!
突然常連客の一人、赤毛の少年が机を叩いて立ち上がった。ここ二ヶ月ほどずっと荒れた目で飲み続けて いる、17、8の少年である。
「お前らに………お前らに何がわかるっ!!」
叫ぶやいなや、少年はそのまま紅熊亭のドアを激しく打ち鳴らして走り去っていった。
そのテーブルの上には一枚の手紙が残されていた。一応、忘れ物というわけだ。
「リック」
マスターが俺に目で合図した。届けてこい、と言うわけだ。しかたなしに俺は大儀そうに腰を上げ、ドア から外に出た。
「……っても行き先がわからんし……そうか、手紙の宛先を見れば……」
そこにかかれている文字を見て俺はのけぞった。
『親愛なる息子へ、これが最後の手紙にならないことを祈って………ゴードン・コーデンソード』
コーデンソード………騎士の名門中の名門、「真紅のゴードン」の家名じゃないか!「あ、………今、取 りに戻ろうと……」
気がつくと顔を上げたそのすぐ前に例の少年が立っていた。
「旦那は……いや、あなたはこんな所に来るような御方ではないはず……なにか……訳ありですね……」
しまった、という風に頭をかく少年。酒場ではバートンと名乗っていたその少年は、赤い瞳を伏し目が ちにして呟いた。
「いいんですよ、僕はあの家にいる資格のない男ですから……」
そう言って俺から手紙を受け取るバートンの瞳の中に、光るものがたしかに見えた。あまりにも悲しいそ の光りのせいか、俺はバートンの肩をたたいてこう言っていた。
「バートンさん、とりあえず酒場に戻りましょう、一杯おごりますよ。おっと、ほら、雨も降ってきたこと だし暖かい席でゆっくりしていってはどうですか?」
じわじわと暗くなってきた空から、こぼれるような雨粒が落ちてきはじめた。バートンは、少しだけ取り 戻した笑顔でこうこたえた。
「バード、と呼んで下さい」
俺たちは紅熊亭へと足を向けた。……俺のおせっかいもマスターに近付いてきたかな?


バートンことコーデンソード家の長子、バード・コーデンソードはビールを片手に語り始めた。
「僕は……臆病者なんです……」
つらさを胸に秘めた様子でバードはそう呟いた。この口数少ない御子息の話を先に進めるため、俺は声を かける。
「それはまたどうしてですかね?」
「僕は……切れなかった」
バードの話はこうだった。戦が始まる直前、コーデンソード家でも騎士団を編成していたのだが、一門の 中でも屈指の剣の使い手であるバードも晴れて初陣に出ることとなった。そんなとき、屋敷に賊がはいった。 賊は使用人数名を殺害し、金品を奪い逃走した。
が、その前にバードが立ち塞がった。絶妙の技で賊は瞬く間に打ち倒された。バードはみねうちしていたの で賊は縛られ、家長であるゴードンの前に引き出された。そして、バードに「なぜ切らなかった?」と尋ね た。バードは悪党とはいえ他人の生命を我が手で絶つことに抵抗を感じたのだった。憎しみと恐怖の入りま じった賊の目をみるうちにバードの足は震え始めた。それを見てゴードンはこう告げた。
「悪党を切れん奴に国が守れるか! もうよい、今度の団の編成からお前を外す! 抜けた穴は末弟のアー コンに埋めてもらう!」
やっと出陣できるとよろこぶ三男のアーコン。次男のレガンはすでに昨年から従弟として戦場に出ている。 これで家督も自分に継がれることはなくなったのだ。
そして、出征の日がきて、父と兄弟は戦場へ向かった。そして彼等の英名を聞くにつけ、自分に嫌悪し、 酒に溺れるようになったのだった。
「なにも落ち込むことはないですよ。旦那が少しばかり優しすぎるだけのことですよ」「でも……僕は僕を 騎士として育ててくれた父上の期待を裏切ってしまった……」
かける言葉を失って、どうしたものかと悩んでいると、突然、馴染みの客の一人が血相を変えて扉を開 き、転がりこんできた。
「た……大変だ! 王国騎士団が負けたっ!……しかも、全滅だとよ!!」


一晩が過ぎると、大体の状況はわかってきた。どうやらゴードン軍が全滅したのは本当らしい。そして、 敵国のドラゴンマスターを倒したことも。まずゴードン将軍の軍は、破竹の勢いで敵の騎士団を打ち破っ た。そして、後のない敵国は、最後の切り札である赤龍部隊を出してきた。いくら優秀な騎士団でも、赤 龍10体を相手にしてはまともに戦うことはできなかった。ゴードン将軍はいちかばちか龍を操るドラゴ ンマスターへと突撃したのだ。結果、ドラゴンマスターを一刀のもとに切りすてたのだが、すきだらけの 背中を巨大な爪が襲うこととなったのだ。わずかな生き残りの騎士の帰還で、一握りの平騎士以外は皆殺 しにあったことが報告された。
「おいおい、もう国の戦力はこれでほとんどなくなったんじゃねぇべか?」
「なぁに、敵国もたのみの龍がつかえないからな、もう停戦するしかたがいに仕方ないだろーさ」
「しかし今度の戦はようけ人が死んだのぉ……」
今日も物知り顔の客が噂話しで盛り上がっている。昨日、知らせを聞いて飛び出したきり、バードは顔を 出していない。当然といえば当然だが……
「逃げろぉーっ!!」
俺の耳に外からの大声が飛び込んできた。そして、それに続く軽装鎧の鳴る音、大勢の足音も。紅熊亭の 扉が乱暴に蹴り開けられ、険しい目付きのマスターに向かって、国の護民兵らしき鎧兵士が叫ぶ。
「例の主の死んだ赤龍たちが暴れながらこの町に迫ってきている! みんな急いで避難するんだ! 王城か 西の穀物倉庫なら安全だろう、無事を祈る!」
叫ぶだけ叫んで兵士は走り去った。しかし、彼等は一体どうするつももりなのだろうか、ろくな兵力もな く、ろくな装備もない一般兵だけで龍の群れを相手にするつもりだろうか?
「人に操られていた龍というやつは、大抵血の出るほどの憎しみを人間に対して抱いている。町が灰になる までここをはなれはせんだろうな。みな、覚悟はしておいたほうがいいな。まぁ、うちの地下の酒蔵にでも 隠れるとしよう。ついてきてくれ」
マスターはそういうとカウンターからはなれ、自ら率先して地下へみんなを先導しはじめた。さすがだ、 茫然自失の俺とは大違いだ。
「来た! ちくしょおっ! なんて事だ十匹全部来てやがる!」
そう叫ぶ声が表通りから聞こえてくる。まさかこんな時代に龍に焼かれるとは思わなかったな……ん!? あれはまさか?
「マスター! すぐ戻ります!」
そう叫ぶと俺は真っすぐに表へと駆け出した。俺の目には、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、ただ一 人逃げ惑う人々の流れと逆方向に歩む紅い鎧の騎士がうつっていた。
よくはわからなかったが、まちがいなくあれはバードだ。死ぬ気か? その気持ちもわからないでもないが ……あれでは無駄死にだ! 俺は迫り来る龍の恐怖も忘れて走り出していた。
「バードっ! やめろ! 無茶すぎる!」
俺の叫びが届いたか、バードは振り返った。決意のこもったその目は、いつか見たゴードン将軍と生き写 しだった。
「リックさん……でしたか? 僕は親兄弟を殺した相手が目の前に来るというのに背を向けることはできま せん。僕は屈辱よりも名誉の戦いへと向かいます。そう……今度逃げたら僕は一生臆病者の烙印を背に生き ていかなければならないでしょうから」
こいつ……この男……あまりにも誇り高い……あまりにも騎士なのだ。俺は知らず、瞼を熱くしていた。
「そんな事をして……母さんや残された者はどう思う?」
「母上には挨拶をすませて来ました。母上は我が一族の男の事はよくわかっていらっしゃいます。僕の初 陣を祝福してくれました」
それ以上続ける言葉の無かった俺が困惑して立ち尽くしている間に、バードは騎士の礼をして去っていっ た。最後にこう言って。
「それに僕は龍を退治に行くのですよ、あのゴードンの息子が龍の10や20倒せなくてどうするんです?」
俺はその笑顔が、何より悲しく、強いものに感じた。


数日後、我が紅熊亭では例の「紅の騎士」の歌が、小銭をかせぎにやってくる吟遊詩人の透き通る声に 乗って流れていた。

『町に迫りし赤き巨龍 立ちはだかるは若き騎士
父兄弟の仇討たんと 家伝の紅き鎧をまとい
何故死にに立ち向かう? そは我こそは騎士故よ

ついに迫りし巨体が問うた 汝何故孤戦する?
騎士返し叫ぶ 親の仇子討つは常理
龍は気付かん 紅き鎧に
汝は憎き我が主 ドラゴンマスター討ちし者
紅鎧の騎士頭 その息子ではないのかと

龍は叫ばん 悲しみ込めて
我らを召喚せし理由 人のつまらぬ騒乱故か
何故我らを眠らせぬ 何故我らを巻き込むか
父に免じて 今日は許そう
今休眠期故 帰宅せん
目覚めた時が ぬしらの最期よ

騎士は旅立つ 龍を求めて
父兄弟の仇討ち 今こそ旅の始まりぞ』

歌が終り、店の中が歓声に包まれる。この歌を聞く度に俺はあの日を思い出した。降りしきる重い雨の 中、バードが旅立ったあの時を。


「僕は追います。操られていたとはいえ、やつらは仇ですからね」
バードは旅立つ前に紅熊亭に寄っていた。
「勝ち目は無い……というのは止める理由にはならないのですかね?」
「心配しないで下さい、龍の休眠期は約五年と聞きます。それまでにやつらの寝床が突き止められれば…… その時は真っ先にこの紅熊亭のビールを飲みに帰って来ますよ」
「若いの、戦いと殺し合いは違うということは知っているな、それを忘れた者はただの鬼となる……」
「マスター?」
「今のお前はただ龍が家族の仇としか思っていまい、お前はこの事件から学ばねならんよ。これからどうす るにせよ……な」
「マスターさん、あなたの言葉は僕には良く分かりません。けど、今の僕がどこかおかしいのは分かりま す。それが……この旅でわかるような気がするんです。………五年待ってください。龍の休眠期が終わるま でに、その何かがわかったなら、その五年後にここに帰ってきます。それがならない時は、一族の仇を取り に行きます」
バードは自分のマントの金の止め金を外し、マスターに渡した。
「これを……母にお願いします。あまり距離を離されたくないのですぐに旅立ちますから」
「約束だぜ旦那! 帰ってくるって」
「はい、この剣に誓って!」


……俺は、いくら五年の月日が流れていたとはいえ、バードの帰還を忘れていたことを恥じた。そして、 バードの好きだった薄めのビールを運んだ。「で、聞かせてくれるんでしょう?旅の話」
珍しく自分でシチューの盆を運んできたマスターも席に着いた。
「何か、はつかめたかい?この長旅で」
バードは、重たそうな大きな背負い袋と濡れた外套を外して脇に置いた。そして、少しだけ悲しい微笑み を浮かべ、語り始めた。
「あの時マスターの言いたかったこと、分かりますよ。戦う理由が憎しみであれば、それは戦いではなく殺 し合いだってことですよね。ただの復讐に騎士の誇りはないってこと……必要なのは「なぜ」から始めて剣 を使わずに解決することだったんだって……」


そう言うと、バートは黙りこみ、静かにビールを口に運んだ。俺たちしかいない静かな酒場の中を、 静かに時間が流れている。
「こいつはお前の母さんからのプレゼントだぜ。あの子が大人になっていたら渡してほしいってな」
マスターがさっきからいじっていた金細工をバードに渡す。
「これは……あの時の止め金……」
目をうるませせて、バードが席を立った。さすがに我が家が恋しくなったかな? マスターが「料理はお ごりだ気にするな」と言うと、バードは騎士の礼をして、微笑み、扉へと向かった。
「全てがわかるまでに、五年もかかってしまいました。……あとは母と静かに、一族の再興のためにも、 一生懸命暮らしていきます。ありがとうございました!」
気が付くと、テーブルの脇に、大きな背負い袋が置きっぱなしになっていた。
「おぉい!忘れ物ですよ!」
「いや、やっぱり代金は払いますよ、それで足りるでしょう? おつりはいりませんから!」
扉が軋み、バードは雨の中へ帰っていった。それを見送り、不思議そうな顔でマスターが背負い袋を開く と、ゴロゴロッという音とともに、白くて尖った大きな物があふれるように転がった。
「こいつぁ……牙……だな。1・2・3………10本あるな」
「マスター……まさか……そいつぁ……」
「まちがいねぇな、ボウズめ、あいつぁ本物の騎士だぜ」


最近、酒場では新しい歌が人気だった。「紅の騎士」の続きが作られたのだ。その歌では騎士の旅路はこ う歌われている。……仇の龍を追い、10の試練と7つの山を越えて、辿り着いたある村は龍に焼かれてい た。近くに巣があることに気付いた騎士は、戦いを挑み、三日三晩の死闘の末にそれを討ち滅ぼした。そし て騎士は瀕死の龍の口から聞く、あの村は、ただ寝ていただけの龍の巣を焼き払おうとした村人たちのせい で、寝起きで歯止めのきかなくなった群れが焼いてしまったのだと。騎士は己の戦いの意味に悲しみ、 分かりあえたかもしれなかった人と龍の亡骸に涙し、いずこへか去っていったという……
最近、酒場で話題になるもう一つの物があった。紅の騎士物語の油絵の隣りに、いわくありげに飾られた 十本の赤龍の牙である。もちろん俺もマスターも売る気はなかった。
 ……なぜならそれは、一人の少年が大人になった、五年目の約束の証なのだから。


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