魔剣+1
薄暗い店内で、二人の男が向かい合っていた。
一人は、一見どこにでもいそうな、少々腹の出た男。もう一人は、黒皮のいかつい上着を着た、これまた
どこにでもいそうな猪頚の荒くれ者。
二人のテーブルには、まだ汗の流れている木製の空ジョッキが二つと、小さな皮袋が置かれていた。
腹の出た中年のほうが、がたつくテーブルに手をついてしきりにはげ頭を下げている。猪首の男は目の前
につまみあげた皮袋をふらふら揺らしながら、話にならんというように中年を一瞥する。中年は冷汗を流し
ながらテーブルに額をこすりつけるが、猪首は承知しない。
猪首はさりげなく皮袋をふところに落とし入れながら、中年の腰に下がっている短剣を指差した。
短剣は柄頭に赤い宝石がはまり、全体の装飾もそのうらぶれた中年には不似合いな様子であったが、彼
は、これだけは勘弁を、というように短剣をおさえ、それからひざをついて猪首の足もとにひれ伏した。
中年が黙って小さくなっているのをいいことに、調子に乗った猪首は次々と蹴りを加える。
中年はたまらずうめいたが、店の主人はちらりと視線を走らせただけで、またコップを拭く作業に戻った。
猪首は中年の後頭部を踏みつけ、唾を吐きかけた。
”なんなら、おまえさんとこのお嬢ちゃんに肩替わりしてもらっても、いいんだぜ“
赤く腫れ上がった中年の顔の下でうっすらと目が開き、腹を押さえていた右手が腰の短剣へと伸びた。
おいおい、冗談じゃないぜ。このおっさん、人を殺すつもりだ。まあこんだけやられて、おまけに子供に
手をつけるとまで言われた日にゃあ、逆上したってしかたないかもしれないけどな。返すあてのない金を借
りるのが根本的な原因なんじゃなか?あまつさえ刃物でけりをつけようたあ、業腹もいいところだってん
だ。
おっと、紹介が遅れたが、俺はこのおっさんの腰にぶら下がってる魔剣だ。
魔剣といっても、世に言うインテリジェンス・ソードなんていうたいそうなもんじゃあない。ありていに
言えば、せいぜい「攻撃力とダメージにそれぞれ+1」程度のしがない身分だ。剣の先から電撃が出るわけ
でなし、まして飛び回って敵をなぎ倒すなんてもちろんできない相談だ。
そもそも俺が作られたのは千二百年ぐらい前、偉大な魔術師さまがごろごろいた魔法王国時代で、世界は
魔法で回ってたようなもんだ。まあそんな世の中だったから、剣なんていうレトロなもんを作る理由なんて
ほとんどなかった。刃物なんざ、野蛮人の持つもんだとかいってわりと片身が狭かったぐらいだからな。わ
ざわざ俺を作ったのにもきっと特別な理由なんかなくって、ちょっとした気まぐれだったんだろう。
他にも思いつきでいろいろとふざけた作品を作ってたようだが、そうやって遊んでるうちに力を失って、
やつら滅びちまった(で、今栄えているのは魔法は苦手だが生命力に優れるという別の人種)。
そんな魔術師どもをかつぐわけじゃないが、なかなかどうしてやつらは美的センスにゃうるさかった。
まあこの俺のプロポーションを見てくれ。切先から横手にかけてのラインにかけちゃ、ちょっとは自慢
に思っているんだぜ。それからこの柄頭の炎晶石も見逃せないチャームポイントだよな。やっぱり魔剣て
からにはこの俺のような華麗さが…
ん?なに、たかが+1のナイフがぺらぺらしゃべるんじゃねえだって?さあ、そこだな。なぜ俺がこうい
う意識を持っているのかについては俺自身にもまったくわからない。
だいたい、まわりの状況は理解できても俺という一個人としてはどうすることもできない。口も目も手足
も表情筋も、およそ外部に俺がはたらきかける機能は何一つ備わっていないんだからな。俺という意識が存
在していることを知ってる奴はもちろんいないし、知らせることもできない。つまり俺は孤独なる永遠の傍
観者ってわけだ。
いったい何のために俺がいるんだろう?これを考え始めると、なんだか分厚い金属鎧を相手にしているよ
うな気持ちになってしまう…。まあ聞き流しておくれ。しょせん前世紀の遺物のたわごとじゃ。
ずばっ。
あっ、やめてくれよおっさん。まいったなぁ、やっぱりこのおっさん、金貸しのごーつくおやじに斬りか
かっちまったよ。まあ刃物の仕事っていやあものを切ることぐらいしかねえけどな、だからってわざわざ俺
でやるこたねえだろ。
うえー、気持ちわりぃ…古くなったサラミソーセージを切ってる気分だ。俺の身にもなってくれよな。べ
とべと。
すぱすぱっ
おお、怒ってる怒ってる。でも奴さん丸腰だからおっさんの勝ちかな。
あれ?
だめだこりゃ。手もとが震えてるもんな、血圧が高すぎるぜ。やっぱアルコールはひかえないとなー。し
かもよく見りゃあのごーつくおやじ、盗賊経験でもあるんじゃないか?図体の割にうまいことよけるじゃん
か。
ぱし、キン、がっ
おろ?おっさんしっかりしてくれよ、俺を奪われちまったじゃないか。げー、このおやじの手、くっせー
!なーおっさん、こんなぎとぎとぬらぬらはいやだよー。もうちょっと頑張ってくれよー。あっやばい…
ぶすっ。
ああ、やっちまった。悪いな、おっさん。心臓をひとつきか、相手が悪かったな。やっぱり借金はするも
んじゃねえよな。だいたい人間てのは感情のコントロールがなってない。よく考えればお互い何か解決法が
あったかもしれないのにな。まあ仕方がない、これも一つのエンディングだ。
どさ。だだだ
あ、逃げる逃げる。やあご主人、あわてて警備兵を呼ぶのもいいんだが、できれば俺をはやいとこ引き
抜いてくれないか。俺はアブラが苦手でね、できれば血のりもきれいに拭きとってくれるとありがたい。
やっぱ聞こえないか。こういうとき、声が出せたらって思うよな。+1はつらいぜ。
…あ、心臓が止まっちまった。しょうがねえな。
冷たい石畳、陰気な雲の下で、少女は茫然と立ち尽くしていた。たった一人の肉親を失った傷は、その幼
い心には大きすぎた。その傷はあまりに深く、胸に穿たれた白々しいほどの大穴は、少女の涙や悲しみすべ
てを霧にしてどこかへ吹き散らしてしまったようだった。
たった今、少女は父親のささやかな葬儀をすませたところだ。葬儀といっても、教会に頼めるほどの寄付
金は持ち合わせていなかったので、墓地のそばのあき地を分けてもらい、そこへ土まんじゅうと石を並べた
だけのものだ。春になれば、小さな花に埋もれてそれとは知れなくなるだろう。
暗く押し黙っていた雲が静かに開き、実にあっけからんとした夕焼けが姿を現した。
ふと、少女は右手ににぎっていたものに目をやった。それは、父の命を奪った短剣だった。そして、父が
最後まで手放そうとしなかった短剣でもあった。
たったひとつの形見。
一片の刃。
ひとひらの炎。
柄頭の赤い石が、血走った蛇の目のように、少女をにらみつけていた。
おい、やばいぜ。
俺の炎晶石を見つめた奴はろくなことを考えない。流血・燃えさかる炎・剣戟の悲鳴・うめき声・血塗ら
れた輝き。そして復讐。
紹介が遅れたな。俺は魔剣だ。大切に使えよ。
剣は、結局、苦しみしか生み出せないのかもしれない。それは使い手が血に飢えた狂人だろうが、正義に
燃える若者だろうが、かわいらしい女の子であったとしても、同じことだ。同じことだった。それが悪いこ
となのかいいことなのか、俺にはわからない。ただ、そのために、俺が、存在している。
俺は、魔剣だ。
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