新宿十二社権現



 ようやく梅雨空も晴れ、初夏の香りが漂い始めたその日、北町奉行所同心・湊方惣右衛門(みなかたそう えもん)は、脇目も振らずに通りをひた走っていた。
 ここは江戸の西の玄関、内藤新宿である…
 とは言っても十八世紀末のこの頃、新宿は未だ現在の様な副都心を形成するには至ってはおらず、いわば 郊外の小さな宿場町にすぎない。
 では、このような所に一体何があるというのか?
 実は惣右衛門、これより訳あって親友の決闘に駆け付ける所なのだ…
 剣友・小宮三十郎(こみやさんじゅうろう)は惣右衛門とは同年で、鹿島新当流の同門でもある。剣の腕は 惣右衛門よりもやや落ちたが、それでも道場では屈指の剣客であったし、なにより人柄が誠実、温厚であっ た。
 そのため二年前、三代続きの浪人であったにもかかわらず、父親ともども志摩(三重県)三万石、鳥羽藩 への仕官もかなったのだ。
 それから半年ほど、三十郎とは便りを交わした記憶がある。
 が、そのあと小宮父子の消息はふっつりと途絶えた。不思議に思った惣右衛門が鳥羽藩に問い合わせてみ ても、
「当家にそのような父子はおり申さぬ」
 あっさり一蹴され、行方の知れなかった小宮三十郎が、
「よもや江戸に戻っていたとは…」
 つぶやく惣右衛門は新宿仲町を過ぎ、子育て稲荷の前を駆け抜けた。目指すはこの先の十二社権現であ る…


 その日、惣右衛門は非番であった。
 四つ半(午前十一時)頃にもなって起き出した彼は、自宅の門に挟み込まれた手紙を見つけた。中身は小 宮三十郎からの去り状であった。
 きっちりとした、楷書がきの文である。
それによると、三十郎は今日の真昼、十二社権現で、親の仇として決闘に参加せねばならぬのだという。 彼は文中で二年間の無沙汰を詫びたうえ、万一の場合、己の屍の処分を、
『よろしく、頼む…』
懇願し、一両小判を同封していた。
 惣右衛門の顔色が一変した。
「三十郎…俺がお前を死なせると思うか…」
 彼は絞り出すようにうめくと、手早く身支度を整え、八丁堀の組屋敷を飛び出した。
 それから二里余りの道のりを、一心不乱に駆けて来たのだ…
 そのまま成子町に差しかかった彼は、川沿いに南に折れた。
 突き当たりに十二社権現の石段が見える。
『やっと、着いた…』
 しかし、ここで息をついている暇は無い。そのまま一気に石段を駆け上がり、境内を突っ切って社の裏手 に出た。
はたして、そこで小宮三十郎は戦っていた。
が、周りを五、六人の浪人者に囲まれ、すでに手傷を負っている。
「北町同心・湊方惣右衛門、小宮三十郎の助太刀に参った!」
剣戟の音が止んだ。
三十郎が振り向く。小太りであったはずの顔が、やつれていた。
「そ、惣右衛門…」
「三十郎、水くさいぞ!」
驚く剣友に一声かけるや惣右衛門、
「おう、仇を討とうってのは、どこのどいつだ」
と、町同心特有の江戸ことばで啖呵を切った。
「鳥羽藩家臣・露木修理之助(つゆき しゅりのすけ)の子、兵馬(ひょうま)!」
名乗ったのは三十前に見える侍であった。目付きが死んだ魚のようで、惣右衛門には気に食わない。
身に付けた物は上等そうではあるが、それもかなり古びて見えた。
 また、露木の連れた浪人に、惣右衛門は見覚えがあった。千駄ケ谷からこの辺りをねぐらとする無頼浪人 の一団である。
「ははあ、おい、露木とやら、相手を大勢で囲んだうえに、助太刀がこんな侍の屑では、こりゃ追いはぎ物 取りにしか見えねえな」
相手が色めき立つのを無視して、惣右衛門はさらに、
「さあ、お前ら。怪我しねえうちに帰んな、帰んな」
 と、せせら笑った。
 これらの挑発に激昂したのはむしろ、無頼浪人たちであった。
「おのれ、小役人が!」
「まずは、貴様から…」
 などと口々にののしりつつ、切りかかって来た。
これこそが惣右衛門の狙いであった。一呼吸の間をおいて浪人どもに肉薄し、一人の攻撃をかいくぐるや 否や、
「おうッ!」
 と、抜き打ち一閃、そいつを切り倒すと、そのまますれ違って、振り返る。
結果、三十郎と露木は浪人どもから分断されることになった。
どちらかと言えば武辺者の惣右衛門だが、同心として幾つもの修羅場をくぐって来たせいか、こういった 勝負勘は誠に鋭い。
「さあ、三十郎、存分にやりな」
「す、すまぬ…」
二人は、背中で言葉を交わすと、互いの眼前の敵に向かった。


 二年前、三十郎が鳥羽藩の重役、露木修理之助を切ったのは事実である。が、これは横暴な修理之助が、 些細なことから百姓の母子を切ろうとしたためで、全く物の弾みと言っても良かった。止めに入って逆に切 られかけた時、己の意志とは別に、その手が、動いてしまったのだ。
 その日のうちに彼は逃亡、父親は息子を逃がすと、切腹した。
 意外にも、鳥羽藩は露木家の一子、兵馬に仇討ちを命じたのみだった。
 この場合、修理之助が成り上がり者で、家中の鼻つまみ者であった事が幸いした。藩にしてみれば厄介払 いのつもりであったのだろうか…
 流浪の憂き目にあった兵馬は、元々性質の良くない人物であった。そのためあっさりと無頼の輩に身を落 とし、生き延びて来た。
 自分をそのような境遇に陥れた男への恨みのみが、生きる糧であった。
 そして露木兵馬は、今、まさにその男、小宮三十郎を嬲り殺しにせんとする所であったのだ…


 三十郎は、先程までの立ち合いで感じた限り、露木が決して勝てぬ相手ではないと確信していた。が、既 に幾つもの手傷を負った身では、ふらつく構えで露木と睨み合うしかなかった。
一方、惣右衛門は三十郎をかばいつつ、奮戦していた。先程切り付けた一人は虫の息で倒れ伏しているし、 残り四人のうち、二人は既に三十郎によって軽い傷を受けていた。
真剣を抜いて切り合う場合、勝つためには必ずしも相手を殺害する必要はない。ある程度の手傷を与えて やれば、大抵の者は戦意を喪失してしまう。
 従って惣右衛門の狙いはまず、手負いの二人に定まった。
そのうち、腕に傷を負った方に挑みかかり、利かぬ手から無理に刀を跳ね飛ばすと、返す刀で右腕をなか ば切り落とす。
 たまったものではない。 血を噴出させながら地面を転げ回るのをよそに、惣右衛門はもう一人の、胴を切られている方に一瞥をく れた。
 返り血の飛んだ顔が、明らかに次の目標を告げていた。
その浪人者は、完全におじけづいてしまった。
『残りは、二人…』


いける、と感じた惣右衛門が父親譲りの愛刀・加賀守貞則(かがのかみさだのり)を上段に移し、さらなる 攻撃に出ようとしたその時、
背後から三十郎の悲鳴が上がった。
振り向くと、三十郎が何かにつまづいて転倒した所であった。
 出血のために踏ん張りが利かなかったのだろうか。咄嗟にかばいに入ろうとするが、眼前の浪人二人がこ れを許さぬ。
 露木が突きかかる。が、三十郎は起き上がろうとはしなかった。
代わりに、太刀で露木の向こう脛を切り払ったのだ。
「うわあっ…」
たまらず露木が倒れ込んだ、その時には既に三十郎の脇差がその喉をかき切っていた。露木は息絶えた。
浪人たちが何やら悲鳴を上げつつ、逃げ去った。
 惣右衛門が三十郎に駆け寄る。
「しっかりしろ、三十郎、浅手だぞ!」
「ふ、ふふ…また、生き残ってしまったよ…」
 力無げにほほ笑む三十郎の体を、惣右衛門はゆすった。
「何故だ、お前、一人では勝てぬと分かっていたろうに…」
「俺は、なまじ剣術が使えたばかりに、上役を切ってしまった」
「……」
「俺の剣が、俺の身を滅ぼした。そう思うと、どうでも良くなった」
 三十郎は自力で上体を起こすと、さらに続けた。
「だが…今度はお前の剣が、俺の…」
惣右衛門は皆まで言わせなかった。
「ふん、だからお前は真面目すぎると言うのだ。剣なんてのはな、小難しく考えなくてもいい、ただの道具 じゃねえか。道具なら使い方次第で人を殺しもする、生かしもするさ、ええ?」
 乱暴に言い放ったが、不覚にも言葉尻が涙声であった。
 三十郎は無言で、惣右衛門の肩を借りた。
 燕が、二人の頭上をかすめた。


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