2001.9.9.23:22
 山本慶太(62)はその朝、鏡で自分の顔を何となく眺めて あっ!と思った。
 60才を越えたあたりから、どうも自分の顔が誰かに似ている気がしていたのだが、 誰に似ているかを、この時とうとう思い出したのである。

 それは慶太がまだ小学生の頃、休日に家族揃って山のキャンプ場にでかけたときのことだ。
 ひとり 川べりで遊んでいた彼は、ぬかるみに足を取られて川に転落してしまったのである。 慶太はろくに泳げなかったため、あっという間に川の流れに飲み込まれた。
 川の流れは速く、とても岸までたどり着くことはできそうにない。
 (もうだめだ……!)
 彼があきらめかけたその時、

 「つかまれ!」

 いつの間にか自分のすぐ側まで泳いでやってきた老人が、慶太に手をさしのべてきたのである。 そして慶太がその手をつかむと、慶太を背にのせ、猛然と岸に向かって泳ぎだしたのだ。
 その力強い泳ぎは、慶太の目に今も焼き付いて離れない。
 無事に岸にたどり着き、咳き込みながらもお礼を言う慶太。にっこり微笑む老人。
 自分の命を救ってくれたその老人の顔は、なにか懐かしい感じがした。
 そして老人は、慶太を両親の元へ送り届けると、何処ともなく姿を消したのである……。

 (そうか、あの老人はおれに似ていたのか。道理で……)

 あの時、老人の顔に親しみを感じたわけだ、と慶太は納得した。


 それにしても、こうやってつくづく眺めてみると、今まで気づかなかったのが不思議なくらい似ている。似すぎている。
 (まるで本人だ)
 そんなバカな、と笑いとばそうとして慶太はあることを思い出した。
 慶太が助けてもらったことに対して礼を言ったときだ。
 「いやいや、次は君の番だから……礼はいらんよ」

 君の番、そうだ、確かにそう言った。
 なんのことだろう。つまり次はおれが助けるということか?
 ということは、やはりあれはおれだったのか。

 しかしどうやって50年以上も昔に戻れというのだ。
 タイムマシンでも作れというのか?
 (───バカな。そんな無茶な話があるか。おれは文系だぞ)
 慶太は鏡の前で頭をかきむしった。

 しかしそれよりももっと切実な問題は、



 (おれが未だに泳げないってことだな……)


 そこまで考えると、慶太は大きなあくびをし、鏡の前から離れた。
 そして軽く肩をすくめ、ゆっくりと食卓へ向かった。



戻る