| 2002.1.3. |
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玄奥とした暗闇が何処までも沈みゆくその地下迷宮は、其の奥底の星一つ瞬いたことのない静謐に、一人の牛頭人身の怪物を囲っている。それは嘗て此の国の王子として生を受けた赤子が母妃の罪を被り呪われた異形の怪物と化せられたもので、父王これを殺すに忍びなく、ある天才に深甚なる地下迷宮を設計させ、其処の最も深きに彼を放り込んだのである。 この迷宮の尋常ならざるは、即ち路を辿るには其の果てなきうねりを迷わねばならず、畢竟とこしえに落ちゆく深淵に我から彷徨わねばならぬ処に在る。其れこそが設計者に天才の名を冠する所以であり、且つ迷宮の門に刻まれる潜れども戻れぬの謂であった。 年に数回、生贄の娘が門を潜り、又ごく稀に、戦士が怪物の仕留めたるを以て名を上げんと迷宮に足を踏み入れる。而して、乙女勇者共に未だ只一人とて帰らざる。 遠国にてこの噂を聞いた一人の英雄が在り、この悪しき風習を断ち、又願わくば己の力を試さんと迷宮に挑む気になった。忌まわしき迷宮、其の暗黒を打破せんと船出する彼の勇姿、その凛々しきに惹きつけられぬ娘の無かったと言えば、英雄の男振りも自然と分かろうというものである。 勇猛なる英雄は迷宮の在る島に着くや否や、勇んで王宮に足を運び国王と謁見した。彼は傲岸な態度で王を弾劾して云う、「さても哀れ、一国の王たる御身が、我が子可愛さの余り、其の子が怪物と化してなお此れを成敗せぬばかりか、迷宮などを作り匿い、あまつさえ徒らに民を其の餌食とし、しかも己は安穏と日々を暮らすとは言語道断」 と。 王此れを聞くと忽ち憤然とし、不遜なる英雄に反駁する。「我が迷妄過失確かなれど、其れも少時の事、国民を犠牲とするは我とても慚愧の念に耐えぬ、今では彼奴を討ち果たすのに一切の躊躇なかりしものを」 。 これを聞いて英雄はその舌鋒を収め訊ねる。「では何故其れを為さざるや」 。 国王が答えて云うには、「然らば彼の暗黒容れし筺の内で、怪物愈愈成長し、自らの武勇恃む者を幾度も送り込みしが、其の者たちの誰一人として戻らず、今は只怪物の表に出るを懼れ、生贄を送るのみ」 。 英雄は全てを聞いて得心し、王に非礼を詫びると、其の長身を翻し、後を顧みることなく迷宮へと足を向け、一寸の逡巡なくその門を潜って、迷宮へと挑んでいった。 これを伝え聞き、「彼の如き古強者が退治に向かったならば、大船に乗った様なもの」 と宮廷の人々は勿論、国中の者が安堵したことは云うまでもない。だが、これは只、王のみが危惧する事であったが、首尾良く怪物を退治たとしても、彼の迷宮、暗闇ばかりで一切の光明なく、奥在るばかりで戻る路なく、左右あれども上下なく、一体如何にして帰還を為すものか。これが王を悩ませて止まぬ。 而し此れは王も知らぬ事であったが───王の娘である王女、あの怪物の姉姫が、英雄の雄々しき男振りに恋心を抱き、迷宮から首尾良く戻る方法を教えていたのだ。其の方法とは、糸玉を迷宮の門の内側に結びつけておき、これをほぐして往くというものであった。斯くて怪物を討伐せし後には、其の糸を手繰って戻ってくることができるのである。王女は英雄に結婚を誓約させ、引替にこの方法を教えたのだった。 蓋し恋は盲目である。 王女が其の致命的な過ちに気付いたのは、怪物の牛頭が迷宮の門から現れ、血に塗れた異形の掌に彼の糸が握られているのを見た時であった。 王国は怪物によって滅ぼされ、現在では誰も島には近寄らぬと云う。 |