| 2002.5.25. |
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(*注1)これには少しばかりの説明が必要かもしれない。“無限柱の神”とは要するに無限の数だけ存在する超越者のことを指す。これはあくまでもぼくの仮説であるが、神というものが概念のみの存在ならば当然その性質は一意に定まらず(*注1-1)、また概念より以前にその存在が認められるのであればぼくたちは彼または彼女についてほとんど何も知らないと言ってよい。つまり彼あるいは彼女は一体何を為したか、何事をも為さなかったのであればそれは概念だけの存在と区別することは難しいだろうし、何事かを為したのであればぼくたちは残されたその何事かからその性質を理解する必要があるわけである(*注1-2)。後者の場合、ぼくたちの立場は次のように分けることができる。まず初めに、それが創造主で (*注1-1)すなわち神は何らかの価値観をぼくたちによって付与される可能性があるわけであり、この次元の宇宙における意味の前後左右が定かでない以上、それは一点からあちらこちらへと伸びる線の数だけ価値観を生むのではないか、とぼくは主張したいわけ。その線がどこまでも伸びる以上(*注1-1-1)、線の数は無限だ。 (*注1-1-1)神とは超越するもの、という定義からすれば、ぼくたちにはそれを知覚することができない(*注1-1-1-1)。けれどもその存在がぼくたちのイメージによって成立している以上、それはぼくたちによって知覚できるものでなければならない。この一見矛盾する条件を同時に満たすものとして適当なものの一つが無限だ。つまりそれが神意は遥かな高みにあるっていう表現の、ぼくたちにできる精一杯ってわけだ。 (*注1-1-1-1)知覚することはおろか、意識することもできないのかもしれないのだが、それはさておく。ぼくたちよりも高次元の存在を仮定したところで、それはぼくたちよりも低次の存在である二次元人(仮定)が「高さ」という概念を理解することしかできず(*注1-1-1-1-1)、その存在自体を知覚することができないということと同じ。 (*注1-1-1-1-1)これはあくまでぼくの予想。本当にそういう人々が存在したとしても「高さ」という概念を理解できるのかどうかはまったく謎。そして仮に想定できたとしても知覚できない以上、実証は(たぶん)不可能であり、そういう主張をしてしまった二次元の学者(*注1-1-1-1-1-1)には十分に同情の余地がある。 (*注1-1-1-1-1-1)ノンノリーノ・ジェッカー(2987〜3111):二次元屈指の天才数学者。自分たちの次元よりも一つ上の次元には「高さ」が加わっていると主張した。次元に対する数ある空想の一つに過ぎなかったこの理論は、彼の死後大いに注目を集め、現在では定説の一つに数えられる(*注1-1-1-1-1-1-1)ほどである。 (*注1-1-1-1-1-1-1)他の有力な三次元の理論としては、ビィバ教授(*注1-1-1-1-1-1-1-1)の「端」理論や、アントン・ムニエル(*注1-1-1-1-1-1-1-2)の「時間」理論などがあり、長い間二派に分かれ議論を戦わせてきた。そこに登場したのがノンノリーノ・ジェッカーの「高さ」理論だった。しかし、想像するだけで体験、あるいは実証することができないためこの手の理論は発表した数学者の知名度に大きく左右されることになりがちであるが、ジェッカーが残した論文には今までの理論にはない説得力があった(*注1-1-1-1-1-1-1-3)ため、ジェッカーにはさほど知名度がなかったにも関わらず、彼の死後それが発表されると多くの数学者が彼の論を支持した。 (*注1-1-1-1-1-1-1-1)ビーバ・ビィバ(2509〜2601):カイヨン学派の祖。数多くの定理を発見し、現代数学の基礎を築いた。それまで10とも20とも言われていた公理を5つにまとめ上げ、他のものがすべてその5つから導き出されることを証明。当初は学会もこれに反対の姿勢をとったが、40年に及ぶ論争の末、自身の理論の正しさを学会にも認めさせ、数学の新たな歴史をスタートさせる。三次元には「端」がある、と主張したことでも有名(*注1-1-1-1-1-1-1-1-1)だが、これは彼の唱えた理論の中で唯一証明されていないものとなっている。 (*注1-1-1-1-1-1-1-1-1)では二次元には端がないのかと言われると、そもそもあなたがこんなところまで読んでいるというのがぼくには信じられないのだが、え、あの、最初から最後まで全部適当。だいたい数学なんて高校の時からまったく勉強していない(*注1-1-1-1-1-1-1-1-1-1)ので、適当なこと書くなよとか言われても困るのでした。そもそも二次元がいくらぼくたちのいるこの三次元よりも下の次元だからといって、それが明確にイメージできるはずがなく、そこに生きる存在、つまりここでは“二次元人”などという安易な名前を付けたわけですが、その人たちが、まあ仮に、ね、いたとしても、ぼくたちに知覚できないという点では高次の存在となんら変わらないわけですよ。異次元っていうのはそういうもんなんだ。たぶんね。懲りずにまた適当なこと言っちゃいましたけど。 (*注1-1-1-1-1-1-1-1-1-1)しかもちょっとした事情から物理に至ってはまったく勉強していないのだ。物理勉強したかったなあ。 おやおや、聞かれてもいないことをベラベラと。申し訳ない。あ、いや、だからつまり今回の話、これは文字のサイズが生み出すグラデーション、こいつを楽しもうという主旨なのですよ。あるいは font-size:1pt の文章とかね、ちょっとアラビア文字っぽいかなあなんて、ね。 内容なんて。そんな。ハハ。なにを言っておるのか。 ああ、注釈がどこまでもどこまでも下っていって、その度に文字が小さくなっていって、最後にはもう何がなんだかわからなくなっている、というただそれだけのことなのだなあ、ふーん、というふうに読んでくれて一向に構わなかったのに。いや、そりゃあどう読もうがそれはあなたの勝手だし、そしてもちろん、内容のまったくない文章をここまで読ませるってことこそが、ぼくの暗い暗い密かな愉しみだったわけなのですが。 |