2002.8.21.


 鳥男は何よりも飛ぶことが好きだったが、それは彼の翼が力強く風を打ち空を華麗に舞うさまを眺めていれば誰にでも容易に理解できることなのだった。空を飛ぶ彼は実に生き生きと楽しげで、その生への喜びに溢れた飛行を見て涙を流さない者は誰もいなかったし、素晴らしい勢いで鋭く滑空するその羽は雲も大気も熱も雨も切り裂いたのだったから、まさかそこから鳥男は空を飛ぶのが嫌いなどと言う結論を引き出すものが居るはずはなかった。

 鳥男は果たして鳥だったのか人だったのか?それは誰にもはっきりと答えることはできないのだ。彼が空を飛翔する姿は鳥のように自由だったが、断崖の先で沈む日を眺める端正な横顔は彫刻のように美しい人のそれであり、また獲物を狩るときの甲高い鳴き声や鋭い鉤爪はまさしく猛禽のものであるのに、月夜に詩など詠んでいる様はまだあどけなさを残す人の子という具合だったからである。

 若く美しい鳥男の恋はいつも、あたかも天に渦巻く気流のように移ろいやすい不誠実きわまりないものだったが、人々はそれを鳥ゆえの気まぐれと笑い、決してそのことを責めたりはしないのだった。なにしろ遊ばれたはずの女性たちすらそれをひとときの夢と捉え、場合によってはその日々に──それをもたらしてくれた彼に感謝さえするといった有様だったのだ。人々はみな彼の奔放さが好きだったし、そんないいかげんさも彼らしい、愛すべきものだと思われていたのである。

* * *


 孤島の山中にある古い神殿、そこにただ一人で暮らしている姫君の容姿が一個の芸術であるというのはよく知られた話だった。その神秘的な美しさには日月すら目を奪われ、木石さえ心動かされるというのである。

 いかなる理由があるものか、その姫は島から一歩も外に出ようとはせず、それどころか神殿を離れることも稀であった。それは彼女の信仰する神、あるいは悪魔、精霊……何者かはわからないが、なんであれそれが定める戒律のようなものが関わっているのだろうと人々は噂した。しかし本当のところは誰にもわからなかったし、そもそも実際にこの姫の姿を見たものもほとんどいなかったのだ。

 そしてその彼女、この神とも悪魔ともしれぬ存在にただ一人仕えている、古えの巫女にして美の化身である彼女こそがつまり、鳥男の新しい恋人というわけなのだった。しかしその姫君の特徴が噂の伝えるとおりであるとすれば──人々はそのおかしさを笑わずにいられないのだ。なぜと言って、その姫君は全身すべて青銅でできている、という話だったからである。 いやはや、なんと奇妙なカップル!

 さて、沈む夕べ、あるいは昇る朝には、姫君の歌声が海を越えて流れてくるのであった。その歌はさしてうまいものではなかったが、切々とした調子が聞くものの耳に不思議な印象を残す。血肉が銅だからといって、それがなんであろう?人々は歌声を聞くたび、凡そこの世のものとは思われぬとまで言われる姫君の美と神秘を想像し、憧憬のため息をつくのだ。

 しかし鳥男の恋というものはいつも、先に述べたとおりふわふわとしたいいかげんなものであったし、青銅の姫はもちろんかたい女性だったから、人々にはこの恋が長続きするとは到底思えなかった。ところが意外なことにこの奇妙な二人の恋は、彼らが付き合いだしてから三日が経ち、三ヶ月が過ぎ、一年を数えても一向に冷める気配がなかったのである。そして人々がなんとも驚いたことには──彼らはじきに結婚するというのであった!

* * *


 そもそも鳥男は飛ぶことの他にとりえなく、彼の同族、その多くと同じように三歩も歩けば物を忘れてしまうといった程度の脳みそしか持ち合わせていなかった。気まぐれや奔放、自由とはなるほどうまく言ったもので、有り体にいってしまえばそれは只の無能であり鳥頭であるのだったし、そのことは他ならぬ彼が非常に気に病んでいたのである(もっともそれとてもほんの三歩間だけではあった)。

 そして青銅の姫君が島から一歩も外に出ようとしないのは、潮風が彼女を錆び付かせてしまうというただそれだけのことなのだった(なるほど錆びて動けなくなってしまうというのは彼女にとって生命の危機であったわけだが、それよりも体のあちこちにうっすらと浮かんでくる錆を目にすることのほうが恐ろしい、という心理は身体が青銅ならずとも女性ならば容易に想像できるのではなかろうか?)。

 イメージと実際のギャップに苦しむ彼らは、出会った瞬間から根を同じくする互いの憂鬱に気づき、そのために急速に惹かれ合ったのだった。あらぬ方向に向けられた愛や崇拝というものに心底うんざりしていた二人だったので、等身大の己をしっかりと見つめ語ってくれる存在はなにより大切で必要なものとなったのである。つまり人々が思う以上に、この二人はお似合いのカップルだったのだ。

 しかし問題は鳥男の翼だった。いかにそれが力強く羽ばたくとはいえ、全身が金属である青銅の姫を運ぶことはできない。姫は空を自由に飛び回る鳥男が大好きだったが、その姿に嫉妬することも多かった。自分はせいぜい神殿のあるこの山しか歩けないというのに、彼はいつでも好きなときにどこへでも飛んで行くことができるのである。それが彼女には羨ましかったし、同時に不安でもあるのだった。鳥男はいつでも好きなときにどこへでも行ける──彼女を置いて。

 姫はなにも言わなかったが、鳥男には彼女の考えていることがよくわかった。そしてそれは姫の身になって考えればなるほどもっともなことだと思ったので(つまり彼は自分で思っているほどバカなわけではないのだ)、鳥男はそのことについて真面目に考えることにした。姫か翼か、という選択を自分に強いたのである。彼は恋人に、しばらく一人で考えたいことがあるので、数週間会いに来れないと告げた。鳥男は一人じっくりと考えて答えを出そうと思ったのだった。

* * *


 数週間後の夕刻、姫は神殿に現れた鳥男を見て言葉を失った。いや、それはもう鳥男ではなかった。彼の背中にあったはずの翼は根元からきれいに切り落とされており、はじめ姫はそれがあの鳥男だと気づかないくらいだったのだ。彼は姫と共に地に足をついて生きていくことを選んだ。彼女と一緒に山でひっそりと、けれども幸せに生活する。羽根を捨て、この島で生きる。それが鳥男の出した答えであり、彼は姫がこの決断を喜んでくれるものと信じて疑わなかった。

 しかし姫は彼のその姿をじっと見たまま、うずらの匂いにじっとしている猟犬のようにそのまま動かなかった。彼女の目は島男に釘付けで、そしてその目には読み取ることのできない感情が込められているのだった。青銅の姫は奇妙な表情を浮かべながら、ただじっと島男を見つめていたのである。

 「翼を切っちゃったの?」 姫は苦労しつつ尋ねた。それはまるで懸命に頭を働かせても明白な事実にたどり着けないようなありさまだったので、島男は不審に思った。彼は答えた。「切り落として、海に投げちゃったよ……ぼくらに翼は必要ないからね。それよりどうしたの?なんか様子がおかしいけど」

 「なんでもないの」と姫は答えたが、未だ心ここにあらずといった様子だったので、島男は一体なにが彼女にこれほど衝撃を与えたのだろうと訝しんだ。もちろん彼の背に翼が無いことに驚いたのに違いないのだが、それにしてもこの驚きようはただ事ではない。

 青銅の姫は島男の探るような視線に気づいて、やっと我に返ったようだった。彼女は言った。「ねえ、勘違いしないで。翼があるとかないとか、空を飛んでいるとかいないとか、そんなことであなたを嫌いになったりしない。どうしてそんなことをしたのかもわかるし、それはとてもうれしいことだわ。でもわたしの体を軽く叩いたら、はじめわたしがどうしてあんな風だったかわかると思う」

 それを聞いて、素早く、しかしできる限り優しく、島男は姫の体をノックした。するとまるで洞穴での足音のように、彼女の身体の内でコーン、コーンと音が響いたのだった。島男は驚きの声を上げた。「からっぽだ!」 そして天を仰ぎ、悲痛な様子で呟いた。「これなら抱えて飛べたのに。なんてことだろう、では切り落とす必要はなかったのだ──ぼくの翼!」

 自分が恋人に抱えてもらえるほど軽ければ問題はなにもない。そう思った青銅の姫は、この数週間欠かさず海水を飲み、体内を錆のつくままにしていたのだ。錆が自分の内側からぽろぽろと出てくるのは何とも言えず恐ろしかったが、その分自分は軽くなっているのだという満足感と、一度でいいから自分も空を飛んでみたいという憧れ、そして何より鳥男の重荷にだけはなりたくないという矜持とが彼女に水を飲ませたのだった。

 しばらくの間めそめそと泣いていた島男だったが、やがてやっとの思いでその涙に濡れた顔を上げ、なんとも情けない表情で恋人を見つめた。そして言った。「君の体には錆が。……あんなに嫌っていたのに。」 しかし青銅の姫は──いまや空洞の、といったほうがしっくり来るかもしれないが──力なく微笑んで、いつもと同じように言うのだった。「ねえ、そろそろ日が沈むわ。とりあえず中に入って、夕食にしましょう。 チャップを火にかけてもいい?」

────────────

(訳者あとがき)

 物語はここで終わる。鳥男の翼はもう二度と生えてこないかもしれないし、青銅の姫の体内についた錆はやがて彼女を殺すかもしれない。二人は愚かなことに自らの誇る身体の宝物を互いのために台無しにしてしまった。こののち彼らがどういう運命を辿るのかは明らかではないが、その軽率な行為が大なり小なり影響を及ぼすことは免れないであろう。恋ゆえの迷走ここに極まれリ、というところだ。
 しかしなるほど、彼らが見せた振る舞いはいくらか賢明さに欠けたものだったかも知れぬ。それでもその献身、思いやりの気持ちは本物であり、それゆえに彼らの愛は途方もなく尊いのではないかと私は思うのである。冷笑家たちは嘲笑うだろう──しかし私は愛の素晴らしさを余すところなく伝えるテキストとして、ぜひ今日の恋人達にこの物語を読んでもらいたい。愛とはなにか、優しさとはなにかをあの奇妙な恋人達の行動・言動から感じ取ってほしいのである。
 

平成十四年八月二十一日  自宅にて




>>あとがき


>>Top