[KATARIBE 23754] [HA06N] 小説『綺と苑と……』

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Date: Tue, 29 Jan 2002 14:12:54 +0900
From: "Kato" <az7k-ktu@asahi-net.or.jp>
Subject: [KATARIBE 23754] [HA06N] 小説『綺と苑と……』
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月影れあなです

やっと完成したぞ!! 苑の過去話全部。
まぁ、読み返してみれば、表現の仕方、話のつなぎ方など、稚拙な事この上ないんで
すが、まあ良しとしましょう。

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小説『綺と苑と……』
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本文
----
 羽猫と呼ばれる種族がいる。
 天空を自由に翔ける、文字通り羽の生えたその猫たちは、羽猫の里と呼ばれ
る隠れ里にて静やかに、ひっそりと暮らしていた。
 大昔には、あらゆる地を駈ける獣、あらゆる空を舞う鳥、その全ての長とし
て君臨していたという記録もあるが、他の文明圏には見られない記録なので、
恐らくかなり大げさに誇張されたものだと考えられる。
 ここに桐生院常葉子という羽猫の少女がいる。
 いや、少女と言い切るには少し語弊があるかもしれない。常葉子は六児の母
親である。羽猫は一回の出産にきっちりと六匹の子供を生むので、出産経験は
一回だが、母親である限り少女と言い切りがたい。
 とは言え、常葉子は子である綺の目から見たところで少女のような人だった。
「長男の猫のお前は綺。子供達の中で綺羅様と同じ蒼の虹彩、黒い毛並み。持
っているのはお前だけよ。だから、お前には綺羅様から一文字もらった名をあ
げる。一番大好きよ」
 そう言って名前をつけてくれた。
 綺は思った。母上は私を見ているのですか? それとも私の瞳に父上を見て
いるのですか?
 聞けなかった。聞くのが怖かった。何も言わないでいると、他の子らにもそ
れぞれ名を付けていく。
 雪、花。鳥。風。最期の一匹、常葉子と同じ赤の虹彩、白い毛並みを持つ猫
には、こう言った。
「私の生き写し、お前は月。夜の空でずっと綺羅々々星といっしょにいられる
ように」
 ずきり、と、自分の事でもないのに心が痛んだ。

「桐生院の常葉子様がご出産なされたそうじゃ」
「おかわいそうに、子供を孕んで間も無く婿殿が失せられたそうで」
「ほんに、おかわいそうに」
 桐生院常葉子は里中から聞こえてくるその噂たちを哀しげな顔で聞いていた。
「本当に、こんな力無い方がよほど楽しく過ごせるのに」
 常葉子は風の巫女と呼ばれる異能猫。里の中のことなら里の何処にいようと
も知ることの出切る。だから、里のものがどんなに声をひそめようとも、全て
の言葉を聞き逃す事が出来ないのだ。
 昔はこのように不思議な力を持った羽猫は里中にいたらしいのだが、長い時
の中で力は徐々に忘れられていったそうだ。今も時々常葉子のように不思議な
力を持って生まれる羽猫がいる。
「いっそ、里の外へ逃げてしまいたい……」
 何気ない一言だったのだろう。言ってから自分ではっとした。
 青い木々に覆われた広大な山々、無数の小さな光を宿した人間達の都。それ
らを脳裏に浮かべる。
「あのどこかにあの方も……」
「いけませんよ、常葉子様」
 後ろから声をかけたのは乳母の老猫。
「何故です、乳母や。私はあの方の下に参りたいのです」
「仮にも桐生院家の令嬢がなんとはしたない事を。そもそも私はあのごろつき
猫と常葉子様の結婚も反対だったんです」
「綺羅様のことをごろつきだなんて! いくらばあやとて許しませんわよ!!」
「しかし常葉子様! あの綺羅めが常葉子様の事を放って何処かへ失せた事は
事実!!」
「あの方は私を捨ててなどおりません!!」
 目に涙をため、一際大声で反論する。乳母猫は黙った。沈黙はしばしの間続
いた。
「ひかえなさい、乳母や」
「わかりました」
 乳母猫はすごすごと常葉子の部屋から引き下がる。しばらくすると、常葉子
の部屋からは押し殺した嗚咽が漏れくる。
 その様子を間近に見ながら、綺は何の言葉もかけられずにいた。

 結局常葉子は夜闇にまぎれて里を降り、子連れのはぐれ猫となった。
 十日ほどすぎても、まだ常葉子達は山の中を彷徨っていた。
 先ほど述べたとおり、羽猫は一回の出産に六匹の子を産む。その内、一番最
初に腹の中から出てきたものを、一般に「長男の猫」と言い、その他をただの
「こねこ」と言う。
 長男の猫は普通父親そっくりの容姿をしており、必ずオスである。精神の成
長も他の子猫たちと比べて格段に早く、大体半月くらいで父親と同程度の知識
、そっくりの性格を身に付ける。
 羽猫学者から記憶の一部が遺伝しているのだ。とも言われているが、真偽は
定かではない。
 ただの「こねこ」と呼ばれる猫たちも、実は一般でいわれるただの子猫とは
全く違う。
 羽猫の子猫は概して性別が無いのである。つまり、無性である。しかし、生
涯を通して性が無いかと聞かれればそういうわけでもない。
 「こねこ」達は成猫になる時、性を持つことになる。性別を選び、それに応
じて十歳くらいから里に伝わる秘薬を飲ませ続けると、だいたい十三〜十五歳
くらいの間、変態直前には背中の羽が巨大化し、それを繭のようにして休眠状
態へと入る。約半ヶ月で変態は終了し、性を持った成猫になるのである。
「貴方達はみんな男の子として育てるわ。だって、そうしたら私のようにあの
方を追って苦労する事は無いんですもの」
 末の月をあやしながらみんなに言い聞かせる。みんな何を言っているか理解
できていない。無理も無い、まだこねこだ。一匹を除いては。
 常葉子はやつれていた。たった十日、まだ十日。その十日ですらお嬢様とし
て里の名家に育った常葉子には辛い時間だったに違いない。
「母上、そろそろ里に戻られた方が……」
 心配した綺が声をかける。
「嫌ですわ」
「しかし、母上はやつれております! なぜそのような無理をしてまで父上を
追おうとするのですか!?」
「私はあの方を心から愛しているからです」
 臆面も無く言う。世間知らずのお嬢様。世の世知辛き事を知らず。
「このままでは母上の体の方が先に壊れます!」
「それでもいいのです。それでも、私は綺羅様に……」
 そのまま低い嗚咽へとつながる。綺はやはりかける言葉をもたない。しばら
くして、嗚咽がやんだ頃。綺は静かに言った。

「水を汲んでまいります。母上は少し休んでいてください」
 いかに大人の知識を身に付けていようと、身体はまだ生まれたばかりにすぎ
ない。よろよろと翼を動かし、水場へとたどり着く。そこで、水を汲んで今度
は地面に足を引きずってもとの場所へと戻っていく。
 ふと、嫌な気配がした。
 血の臭い。母のいる方向からだ。嫌な予感はさらに増し、焦燥へと変わる。
気が付けば、水を投げて飛び出していた。
 そこには白い猫を咥える狼が一匹。その周りには兄弟達が、成す術もなく転
がっている。あるものは踏みつけられ、食いちぎられている物もいる。
 母は、口にくわえられた母は、喉元から血を流してぐったりとしていた。
 絶望と、悲しみと、怒りの入り混じった声が何処からか聞こえる。自分の喉
からだと気付く前に、身体は狼へと向かっていた。
 不意を点かれたのか、狼はいとも簡単によろめいた。口から放り出される常
葉子。
「母上! 母上!!」
 すがりついて泣いた。生まれてから短い人生の中、初めて流した涙だった。

 大粒の涙をこぼしながら、綺は必死になって呼びかける。取り残される恐怖
と、不安に突き動かされ、必死になって母猫の肩を揺り動かす。
「母上! 母上!!」
「……綺羅様? ああ、お会いしとうございました。常葉子は幸せにございま
す……」
「母上? しっかりしてください! 私は綺です!!」
「綺羅様、きらさま…き…ら……」
「母上っ!?」
 常葉子の首は力を無くし、がっくりとうな垂れる。そしてそれだけだった。
結局、母上は最後まで私を見てくれなかった。
 しばらく、綺はすがりついたまま。涙は止まっている。時々、うっうっ、と
嗚咽するだけで、もう枯れ果てたと言っていい。
「最後のお別れはすんだか、猫ちゃん?」
 いつの間にか、背後に狼が立っていた。
「すまないな、わしも命がけなんだ。君らの気持ちもよく分かるが、まぁ、そ
ういう風になってるんだから仕方ない」
 綺は返事をしない。耳に入っていないのかもしれない。構わず狼は続ける。
「わしくらいのもんだよ、お別れの時間をやるようなお人よしの狼はさ。昔、
人間に飼われたこともあった所為かな。他の仲間だったら、あんたなんか来た
とたんぺろりさ……と、言っても、今じゃ仲間なんか居やしないんだが」
 ぴくっ、と、綺は小さく反応し、ゆっくりと振り返る。
「私を、食うつもりか?」
 そこには何の表情も無い。
「もちろんだ」
「そうか、ならばそうしてくれ」
 淡々と言う。これには狼もいぶかしんだ。
「逃げようとは思わんのかね」
「意味が無い。母上は死んだ。私にもはやすべき事は無い」
「全てを失った事で自暴自棄になるのか。それもまたいいが、お前にはまだや
るべき事がある。軽々しく命を捨てる物ではない」
 これも淡々とした口調で、一人の声が割り込んできた。狼も、綺もそちらを
向く。
 そこには一匹の猫が居た。左額の上から右目の付け根辺りにまで大きな傷を
持った大きな黒猫だ。
「あんたなんだい?」
 狼が質問する。
「とりあえず、同じ猫のよしみでそこの子猫を助けてやろうと思ってな」
「必要ない」
 綺が答える。黒猫は、そちらに目を向けるとフンと鼻を鳴らした。
「お前じゃない。私は死のうと思っている猫を助けるほど暇じゃない。助けよ
うと思っているのはそこで死にかかってる二匹だ」
 言われて、見ると確かに子猫のうちの二匹は生きていた。
「おい待て、そいつらはわしの獲物だぞ?」
「関係ない」
「ないことないさ。あんたも食うぞ」
「出来るものならやってみろ」
 挑発的な言葉に反応して、狼が飛びかかる。所詮はただの黒猫だ、狼に勝て
るはずもない。あっけなく喉笛を噛み千切られるはずだった。
「なにっ!?」
 黒猫は信じられない速度で動き、狼の首筋に爪を突きつけていた。
「どうした、食うのではなかったのか?」
 簡単に言ってのける。狼はフッと力を抜いた。
「たいした猫だ。どうやらわしの完敗らしいな」
 狼は言った。負けたのに悔しそうな様子はなく、むしろ満足げですらあった。
「殺しはしない。去れ」
「わしもそうしたいところなんだがな、そういうわけにもいかないんだよ。こ
こで獲物を逃すと、もう死より他はない……諦めれんのだ!」
 いきなり、黒猫を弾き飛ばそうと狼の右前足が動いた。だが、やはり黒猫が
頚動脈を切裂く方が速い。
 狼は地面に倒れ伏す。しかし、顔には満足げな表情を浮かべたまま、苦しげ
な息とともに言葉を吐き出した。
「ありがとよ……わしにも…やっと、死に場所が見つかった…………最後に、
戦って死ねて……よかった」
 それっきり動かなくなる。

「お前はどうする?」
 黒猫はが声を上げた。綺は無言だ。
「お前は長男の猫であろう。こいつらを守る義務はお前にある。その義務を放
棄してまでここで死のうというのなら止めはしない。お前がただの莫迦だった
という事だ」
 そう言うと、二匹の「こねこ」を介抱し始めた。しばらく無言のまま時が過
ぎる。
 ある程度に引きを介抱し終えると、黒猫はぼそりと呟いた。
「常葉子の死体は持っていくぞ」
 驚いて綺は顔を上げた。
「母上の知り合いか!?」
「ああ、ちょっとしたな」
 常葉子の死体と二匹の子猫を抱え上げ、さっさときびすを返す。綺も黙って
後に続く。
「あの……」
「何だ?」
「貴方の名前は何というのか?」
「き……いや、苑という」
 それだけで、それ以上何も言わない。綺も何も聞かない。ただ、歩き続ける。
 ふと、顔を上げた。苑の黒い背中が見える。
 無言の背中は、何故か泣いているように見えた

 近くの川原で常葉子の遺体を埋め、葬った後、苑と綺はただ黙々と歩き続け
、やがて一軒の家にたどり着いた。
「……人間の家か? 苑よ、貴君は飼猫なのか?」
「いや、違う。ここは人間の家ではない。ちなみに、私も飼猫ではない」
 しかし、たしかに家だった。普通の猫に建てられるはずもない、普通の人間
の家。
 ガラガラ
 突然戸が開いた。中から二匹、ガラの悪い猫が出てくる。
「おう、何見とんじゃわれぁ!! ここが猫龍会本部やしっとんのか!?」
「何処の組のもんじゃ!? だまっとったらいてこますどボケェ!!」
「寛司殿に会いにきた。苑が来たと言えば分かる」
「組長はわれみたいなチンピラにかまっとる暇ないんじゃ、とっとと去にさら
せ!!」
「ふむ、そうか。仕方ない、強行突破だ」
 がすっ ごすっ
 嫌な音が響き、ヤクザ猫二匹が地面に伏した。苑は平気な顔で家の中に入っ
ていく。綺もそれに倣った。
「おんどれ、何さらしとんじゃ!?」
 入ったところで見咎められた。無視して進む。もちろん、見逃してくれるは
ずがない。
「賊や! 侵入者や!!」
 あっという間に数十匹の猫に囲まれた。
「なんじゃ、貴様!」
「淀猫組の鉄砲玉か!?」
「組長に会いに来た」
「われみたく怪しい奴に会わせれるか!!」
「貴様らに許可を求めた覚えはない」
「いてこませ!!」
 剛を煮やした誰かが叫ぶ。皆いっせいに飛び掛って……
「やめろ!!!」
 一際大きな声がヤクザどもを制止する。皆一様にそちらを向く。やせた三毛
猫が一匹、そこに居た。
「副組長!?」
「何でですか!? こいつら侵入者で……」
「俺の知人だ! つべこべ言わずとっとと散れ!!」
 一括すると、猫たちは不承不承散っていった。

 綺と他二匹のこねこ達を別の部屋におくと、苑は副組長に連れられ、離れへ
と通された。
「おお、苑か。よう来てくれた。元気そうやな」
 一匹の老猫が苑を迎える。体中に走る無数の傷、貫禄ある体つき、猫龍会十
三代目組長高野寛司だ。
「寛司殿も息災で……と、言いたいところですが、いささか具合が悪そうです
な」
 確かに、声に覇気が無い。
「ほっほ、相変わらずさっくり物を言いよるわ」
 目を細めて嬉しそうに身体を揺らす。
「あんたぁ、ほんまに相変わらずやなぁ。六年前とちっとも変わっとらんやな
いか。伊達に摂津の不死猫と呼ばれとるわけや無いねんな」
 そういう寛司の声には懐古の色が混ざっていた。
「あんころは、わしもまだまだ若造でな。あんたの足引っ張ってばっかりやっ
た……今でこそ、組長なんかやっとるけど、それも、もう長くもって二年って
とこやろ」
「寛司殿……」
 苑の前に座っているのは老いた老猫だった。若い頃あった鋭い刃物のような
気迫と危なっかしさは無くなり、代わりに貫禄と老練さを身に付けた、老いた
猫。
「まぁ、酒でも飲もうや」
「はい、頂きます」
 寛司の進めるままに酒を飲む。今宵は少しくらい酔うのも良いだろう。

「まぁ、許してやってくれ。組長も懐かしいんだよ、あんたに会えてな」
 と言って、副組長が苑の盃に酒を注ぐ。先ほど組員達を怒鳴りつけたときと
は打って変わって砕けた口調だった。
 いつの間にか辺りの日はすっかり落ち、月は中天まで昇っている。寛司は酔
ったのか、いびきを立てて眠っている。
「別に不快に思ってはいない。寛司殿も気持ちのいい男に育ったな」
 酒を受け、呑む。ずっと呑み続けているはずなのに、何故か酔ったような様
子がほとんど無い。
「して、彪黄よ。例の話は本当か?」
「ん? ああ、嘘ではない。やはり寛実の奴『綺羅の宣』を破るつもりらしい」
 彪黄と言うのは副組長の名である。苦々しげな表情で答える。
「なんでも、竜造寺系列の化け猫一派と手を組んだそうだ」
 そこで、くつくつと可笑しそうに笑う。
「あいつ、綺羅がまだ生きているとも知らんで好き勝手やろうと思ってるみた
いだぜ」
「そうか……」
 盃を傾け、無言で月を仰ぐ。
「なぁ、彪黄よ」
「あぁ?」
「常葉子が死んだ。遺体はあの場所に埋葬した」
「!?」
 彪黄の顔に電撃のごとく衝撃が走った。
「なっ!?」
「狼に食い殺されて、俺は間に合わなかった……」
 押し殺した声、ぎりぎりと歯を噛み締める。つぅと、口の端から一筋の血が
流れた。
「じゃあ、あのちび猫どもは?」
「常葉子の子達だ」
「道理で、似ているはずだ……」
「すまない、謝って許せる物でない事は分かっている。俺のせいだ、俺の……」
 謝ってすまない事を、それでも謝るのは、勝手な自己満足に過ぎないと思う
。そうと分かっていても、そうせずにはいられなかった。
 苑は当然のことと、彪黄からの罵声を予想する。しかし……
「自分を責めすぎるのは、昔からお前の悪い癖だ」
 静かに呟いて、彪黄も盃を傾ける。
 高く上った月が、辺りを青白く照らしていた。

「俺のせいだ、俺の……」
 ほとんど何も無いこざっぱりとした部屋。床の間に三味線が飾られている。
ぼーっとそれを眺めながら、綺はどうしようもない後悔と、自責の念に囚われ
ていた。
 あの時自分が水を汲みになど行かなかったら……
 冷静に考えればどうしようもなかった事は目に見えている。所詮は子猫、綺
がいた所でどうなるものでもない。上空に避難するにしても、連れている子猫
たちを抱えきれるはずが無い。だから常葉子はあっけなく死んだのだ。
 それでも綺は後悔していた。
 全て自分が悪いのだ。
 そんな強迫観念に囚われていた。
 にゃあ、にゃあ、と、何も知らずに転がりまわる白と空色の兄弟たちを見や
る。自分は母に代わってこの子らを守らなければならないのだ。だから生きて
いる。それだけが自分を生かしている。
「お前達は私を現世にとどめる束縛なのか? それとも、この場合命の恩人と
言うべきなのか……」
 答えは無い。相手はまだ子猫だ。
「それにしても、苑は何者なのだ?」
 母の知り合いであるらしく、綺の事を「長男の猫」と呼んだ事から、羽猫種
族の事についても知っているのだろう。
「それに、私を見て一目で長男の猫だと言い当てた。もしや、父の事も知って
いるのではないだろうか?」
 独白する。だとしたら、その事を聞き出さねばならない。
 父には、母上に一言謝らせたい

 そのまま、一年近くすぎた。
 いつの間にか、その屋敷に居付いていた。ここの組長が苑の知り合いだそう
だ。
 苑からは何も聞き出せなかった。何を聞いても、曖昧にはぐらかされるだけ
、何も教えてくれない。無為に時間だけがすぎていく。
「綺ぃ!」
「綺にぃちゃっ!」
 白と空色の子猫が、玉砂利の敷き詰められた庭をこっちに向かって駆けてく
る。
 ずるべしゃ
 と、嫌な音を立てて白い方の子猫が大きく滑って転ぶ。驚いたのか、空色の
方の子猫も立ち止まった。白い子猫は、しばし呆然と地面に突っ伏す。
「うああああああああ!!」
 いきなり大声で泣き始めた。
「うああああああああ!!」
 つられたのか、空色の方の子猫も泣き始める。
 慌てて駆け寄り、綺はあやしにかかる。
「ほら、だいじょうぶか?」
「ひざ、痛いのぉ!」
 言われて見ると、確かに膝をすりむいている。
 綺は子猫たちを井戸へ連れて行くと、傷口を水で洗い、清潔な布を巻きつけ
てやった。
「もう痛くないだろ?」
「うん!」
 顔いっぱいに微笑を浮かべ、勢いよく頷く。綺の顔も思わずほころんだ。
 白い方が月、空色の方が雪、ともに綺の兄弟達だ。
「ところで二人とも、どうしたのだ?」
「あのね、綺にいちゃ! キラキラ見つけたの」
「キラキラ、とてもきれいだよ!」
 雪と月が勢いよくまくし立てる。何を言っているのか、綺にはさっぱり分か
らない。が、とりあえずついて来て欲しいらしく仕切りに綺の手を引っ張り、
小さな羽を懸命に羽ばたかせる。
 屋敷の裏口から野原に出る。野原を横切って山に入る。少し山に入ったとこ
ろに、小さな小川があった。
「キラキラよ」
「キラキラなの」
 二人が指差したのは川の中。覗き込んでみると、色とりどりのガラス玉が川
底に揺れている。
「びーずだな。人間の子が落としていったのかな?」
「びーず!」
「びーずぅ」
 雪と月はなにやら喜んでいる。
「それにしてもお前達、いつもこんなところまで遊びに言っているのか?」
「ううん、ちがうの」
「あのね、雪がかぜさんに聞いたんだよ」
「かぜさんがキラキラあるって」
「風?」
 綺の顔が緊張する。風と言うのは、つまり、吹く風の事だろうか。だとした
ら……
「ひょっとして、屋敷の猫たちが今何処にいて、どんな話をしているのかも分
かるのか?」
「うん、かぜさんが教えてくれるの」
 やはり……
「母上の力を受け継いでいたのか……」
「ちから?」
「風の声を聞くのは雪だけか? それとも月もなのか?」
「ちがうよ、ぼくは聞こえないよ」
「雪だけなの」
「そうか……」
 風の声を聞く。異能を持つ羽猫、風の巫女としての力だ。綺の母、常葉子は
この力で里にいる者達の噂を聞き、そして苦悩していた。
 奇妙な偶然だ。母と同じ顔を持った月、母と同じ力を持った雪、そして、父
の顔と性格を受け継いだ自分。この三人が生き残った。
 この事に、何か特別な意味でもあるのか……
「この事に、何か」
「綺にいちゃ?」
「どうした、綺ぃ?」
 はっ、と我に返る。雪と月が心配そうな顔でこちらを見ていた。
「あ、いや。なんでもない」
「じゃあ、綺にぃちゃもびーずあそぼ!」
「びーず、びーず!」
 と、両手いっぱいにびーずを抱えて、こねこたちは飛ぶようにして屋敷へと
かけていく。
 綺もその後を追って、山を下っていった。

 それにしても、何もする事が無い。静かに、ただ時が流れていく。
 兄弟たちは日に日に成長していく。すでに成猫並みの知識を得ている苑は、
どんどん新しい事を覚えていく兄弟たちを見て、何となく、取り残されたよう
な寂しさを感じていた。
「ちょうちょ、ちょうちょぉ!」
「ゆきぃ、こっちにバッタいるぞ!」
 ただ、兄弟たちが遊んでいるのを眺めるだけの毎日だった。
「元気だな、子供は」
 頭上から声が降ってきた。見上げると、一匹の三毛猫が立っている。確か、
ここの副組長で、苑の知り合いらしい、名前は彪黄といった。
「彪黄殿、何か用ですか?」
「いんや、別に用と言うほどのもんはない」
 そう返答すると、また雪と月のほうを見る。
 ふと、綺は思いつく。苑は母の知り合いだった。もしかしたら、苑の知り合
いである彪黄も母の知り合いかもしれない。
「彪黄殿」
「ん?」
「彪黄殿も、母上の、桐生院常葉子の知人だったのですか?」
 さぁ、と軽く風が吹いた。
「そう、だなぁ……」
 彪黄はどこか遠くを見つめながら言った。懐かしい物を探している時のよう
な。
「良い、女だったよ。あんたの母、常葉子はな。あんときゃ俺も若かった。そ
んなこと言やまぁ、今でもまだまだ若造のままなんだがな。俺は彼女の心をと
どめておく事は出来なかった……」
 綺に向けて、というよりは独白だった。何のことだかほとんど分からない。
 しかし、綺は何となく、この猫が母に淡い恋慕の情を抱いていた。というこ
とを悟った。
「そういえば、常葉子は狼に殺されたって言ったよな」
「……はい」
「なんで狼なんかに襲われたんだ? あの里にいれば襲われるような事は無い
だろ」
「それは……父がいなくなって、それを探すため、周囲の反対を押し切って里
を飛び出したからです」
「なん、だと!?」
 彪黄の顔に驚愕が浮かんだ。
「父を、綺羅の事を知っているのですか?」
「!?」
 さらに、彪黄の表情が強張る。
「知っているのですね!?」
「いや、知っているも何も……」
「彪黄!!」
 突然、怒鳴り声が会話を遮った。
 声のしたほうを見る。苑が立っていた。相変わらずの無表情で。
「話がある。ちょっと来い」
「ああ、そうか……じゃ、悪いが綺、その話は後で……」
「あっ!」
 呼び止める暇も無く、苑と彪黄は廊下の角を曲がって、姿を消した。

「どういう事だ!?」
 廊下を曲がり綺の視界から外れた瞬間。彪黄は苑の胸倉を掴み壁に押し付け
、押し殺した声で詰問する。
「どういう事とは?」
 苑はやはり無表情。
「どぼけんな! 常葉子のことだ、綺羅を追って里を飛び出しただと!? ど
うしてだ! 何故そんなことになった!?」
「里を出る時には伝言を頼んだ」
 苑は彪黄の腕を軽く振り解く。
「会えば別れが辛くなるからな」
「だったら!!」
「何故常葉子が飛び出したか。恐らく、伝言を頼んだ者がそれを伝えなかった
のだろう。私は嫌われていたからな」
 深くため息をつく。
「里を出てからも定期的に連絡を送っていたのだが。それも、常葉子の元まで
届かなかったのだろう」
「くそっ!!」
 足元の床を蹴る。やり場の無い怒りが彪黄を襲った。おそらく、苑もその怒
りに襲われたのだろう。目をつぶって、何かに耐えるようにじっとしてる。
 しばし、そのまま沈黙が続いた。
「……なんであいつらは何でお前の事を知らないんだ?」
 ぽつりと、彪黄が呟く。
「いまさら、どんな顔をして言える? 言ったところで何にもならん。それに
……」
「それに?」
「綺は憎しみすら持っている。母と自分達を捨てた事に対してな。少なからず
それを糧にさえして生きているのだ」
 苦しげに言う。彪黄は黙っている。苑はさらに続ける。
「復讐の対象として殺されるのも構わない。だがそれも、この件が終わってか
らだ。私には義務がある。それを果たしてからは、もう好きにさせるつもりだ
。常葉子が死んで、私にはもう何も無い」
「そうか……」
「そうだ。だから、あいつらには言わないでくれ。私が、綺羅である事を」
 彪黄は何も言わない。何も言わないまま、苑に背中を向けた。

「綺羅は猫又だ」
 綺に訊ねられて、とりあえず彪黄はそう言った。何も言わないわけにはいか
ない。綺も、彪黄が綺羅と知り合いである事を感付いていた。
「そう、この屋敷を建てたのも綺羅だ」
「何故猫が家を建てられたのだ?」
「綺羅は人間にも化ける事が出来たからな。戸籍も持っていた」
 綺は納得したようだ。彪黄は話を続ける。
「昔、二十数年前にもなるが、ここら一体は“赤毛の虎”と名乗る化け猫集団
によって支配されていた」
「化け猫?」
「そう。なんて言っても相手は化け猫だ、普通猫にどうこうできるもんじゃな
い。必死になって抵抗はしたが、無駄だった。猫達は“赤毛の虎”の言いなり
になるしかなかったんだ」
 やれやれといわんばかりに肩をすくめる。
「綺羅は突然、何処からとも無く現れた。誰が呼んだわけでもない。誰が頼ん
だわけでもない。“赤毛の虎”の縄張りに単身乗り込んでいった。みんな笑っ
た、莫迦にしてな。だが、結果はみんなの度肝を抜いた。至極あっさりと、綺
羅は“赤毛の虎”を滅ぼしてしまった」
「単身だと!? その“赤毛の虎”とやらは何匹いたのだ!?」
「少なくとも百匹はいたらしい」
「そんなに……」
 呆然となる。まぁ、当然の反応だろう。
「この組の基礎みたいなのを作ったのも綺羅だ。最初は自警団の組織だったん
だが、ある程度基礎が固まると綺羅はさっさとここを離れていってな。その後
、綺羅の手伝いをして自警団を組織していた高野漸次って猫がここの初代組長
に就任したんだ。悪事らしい事は全然働いていないんで綺羅も何も言ってこな
かった。今も自警団の延長みたいな事しかしてないからな。今は、まだ……」
「まだ?」
「いや、なんでもない……綺羅は、一つの宣言を残して去っていった。今は『
綺羅の宣』とか言われているんだがね。内容は簡単。超常猫による通常猫への
干渉について書いてあった。つまり、『妙な力を持った猫がそれで普通の猫を
無理やり支配しようとするなら、俺が殴りにいくから覚悟しろ』って事だ。実
際、この宣言がなされてからは猫を支配しようとする猫は出ていない」
「母上と綺羅と彪黄殿とが知り合ったのはいつですか?」
 核心をつく質問。彪黄は目をつぶって何か考え込んでいる。綺はじっと答え
を待った。
「……六年前だ。淀川動乱と呼ばれる事件。丁度、巫女の修行で里を降りてい
た常葉子と出会った。綺羅とはそれ以前からの知己だった。これ以上は言いた
くない」
「じゃあ、最後に一つ。苑殿とはいつ知り合った?」
「!?」
 質問の内容に軽く驚愕する。普通なら、ここで苑のことについて聞く事はな
いだろう。綺が知りたがっているのは、母と父の事である。それで、あえて苑
の事を聞くという事は。
 感付いているのか? 苑が綺羅であるということに。
 いや……例えそうだとしても、言うわけにはいかない。
「……奴は六年前から摂津の不死猫と呼ばれている、この世界でも結構有名な
猫だ。それ以外は、俺からは言えない」
 それだけ言い残すと、彪黄は黙り込んだ。

 ちゃぽん
 水が刎ねた。魚達は音に驚いて散っていく。
 屋敷の裏手にある小さな池。その脇に綺は腰を下ろしていた。
「残る謎は苑のみか」
 散った魚は、しばらくするとまた集まりだす。
 ちゃぽん
 そしてまた散っていく。
 意味もなく、そんな動作を繰り返す。
「綺にいちゃ!」
 突然、背中に飛びついてきた。
「雪……どうかしたか?」
「あのね、お昼御飯なの。苑おじちゃん達が呼んで来いって」
「そうか……すぐ行く。雪は先に行って食べててくれ」
「やだよ! 綺にいちゃ来るまで食べないから!」
 と、言った。綺は思わず苦笑する。
「わかった。じゃあ、私もすぐに行くから、先に行って待っててくれ」
「うん♪」
 嬉しそうに頷くと、てけてけと屋敷に向かって駆けて行く。綺の顔も知らな
いうちにほころんでいる。
 さぁぁぁぁ
 風が吹いた。山の木々を揺らし、波のような音を立てる。池の水面にも細波
が立つ。
「苑か、何者なのだろう」
 ポツリと呟いて、屋敷に向かう。いや、立ち止まった。池の水面を見つめる
。風は治まっていて、波一つ立っていない、鏡面のようにはっきりした水面。
そこに映っているのは、紛れもなく自分の顔。そのはずなのに……
「く、くっくっく、はっはっはっはっはっは」
 こみ上げる笑いを抑える事が出来ない。
「なんだ、そういうことか」
 考えてみれば簡単な事だった。綺は鏡を見た事がなかった。猫が鏡を見る必
要などない。
「はは、は」
 笑いながら、涙が溢れていた。

 ふと、雪は上を見上げる。
「……風が……泣いてるの?」
 さぁぁぁぁ

 バンッ
 勢いよく離れの戸が開け放たれた。
 数匹の猫を引き連れた、くすんだ灰色の若猫がずかずかと入ってくる。
「何のつもりや? 寛実」
 決して大きくはないが、ドスの利いたに、若猫寛実は一瞬ひるむ。しかし、
数で勝っているのを思い出したのか、すぐに虚勢を張り、勢いよくがなる。
「伯父貴! あんたの時代は終わりや、今日から猫龍会組長はわしが張る!!」
「ふん、ガキが、粋がりよって」
「なんやと、死にたいんかこらァ!?」
 鼻で笑われ、思わず怒鳴りつける。
「やったれ! 構わん、殺してもええ!!」
 共に連れてきた猫たちをけしかけようとして、しかし、猫たちは動かない。
「? どうし……」
 どさ
 その場に崩れ落ちた。
「ひっ!?」
「いけないなぁ、甥ごときが組長暗殺しようだなんて」
 そこに立っていたのは副組長の彪黄だった。
「苦労かけるな、彪黄」
「いえ、別にどうという事はありません」
 と、口調を丁寧に改め、返答する。
「意外に早く尻尾を見せたな。まぁ、手間が……」
 がほっ
 そこで、言葉が途切れ、変わりに血塊が口から吐き出される。
「!?」
「我々を甘く見てもらっては困る」
 いつの間にか、彪黄の後ろに、一匹の猫が立っていて、その手が彪黄の胸を
つき通していた。。
「おお、竜造寺知樹さん!」
 寛実が声を上げる。
「心配は無用ですよ、寛実さん。邪魔者はかたずけました」
 どさり
 彪黄は倒れた。胸から溢れ出す血が、畳を赤く染めていく。
「彪黄!?」
 寛司の取り乱した声を最後に、視界が暗闇色に染まっていく。

「離れが燃えとる!!」
 誰かが叫んだ。
 その通り赤く燃えていた。轟々と轟音を建てて崩れ落ちていく離れ。みんな
が気付いていた。あそこには組長がいたはずだ。しかし、もう助からない。
「くそっ!!」
 苑は悔しさにぎりぎりと歯を噛み締める。まさか、彪黄ほどの猫がやられる
とは思っても見なかった。油断していた。
「綺ぃ」
「綺にいちゃ」
 離れを囲む野次馬の中に、知った顔を見つける。綺、雪、月の三人だ。雪と
月が怯えていて、綺はそれを宥めているようだった。
 すたすたと近くによる。
「綺、雪、月」
「あっ、苑おじちゃん」
 おじちゃんという呼び方が多少気にはなったが、この際細かい事は行ってい
られない。
「お前達は逃げろ」
「!?」
 綺の顔が強張る。無視する。これ以上巻き込むわけにはいかない。
「ここは危険だ。私もどうなるかわからん。お前達は都会にでも出て三人で暮
らせ」
「わかり、ました」
 ん? 苑は疑問を感じた。やけに物分りがいい。
「綺羅、何故貴方は母上と我々を捨てたのですか?」
「!!」
 今度は苑、いや、綺羅の顔が強張る。
「いつから、知っていた……?」
「綺羅は鏡を見た事がありますか」
「あ、ああ。そうか……」
 猫に鏡を見る習慣はない。だから、お互いに気付かなかった。お互いの顔が
瓜二つである事に。
「……言い訳をするわけではないが、捨てたわけではない。信じてくれとは言
わないが……」
 どうしても言い訳がましい口調になってしまう。
「そうですか……」
 反応はあっさりしていた。綺羅は逆に拍子抜けする。
「? それだけか?」
「はい、私には貴方を信じれるか判断できません。でも、貴方は母が信じた人
だ」
 常葉子は最後まで綺羅を見ていた。綺はその母を信じたかったのだ。
 言葉が途切れる。ぱちぱちと火の爆ぜる音。炎が猫たちの顔を赤く照らす。
「行ってくる」
 綺羅は立ち上がった
「何処へ?」
「火を放った奴を倒しにだ。正直、生きて戻れる自信はない」
「貴方が伝説の綺羅なのにですか?」
「例え伝説になる強さでも、それが強さである限り、必ず上の存在がある。彪
黄が負けた。俺が勝てる自信はない」
「そうですか……」
 赤い炎はいよいよ燃え盛る。一際大きな音を立てて、建物が完全に崩れた。
「苑、という名はな」
 ふいに、綺羅は切り出した。
「私が尊敬する人からもらった名前なんだ。これをお前にやる。今日からお前
が“苑”だ」
 綺羅は背を向け歩き出す。
「父上!」
 思わず、綺は呼び止めていた。
 言葉を捜す。かける言葉を……
「今日が母上の命日です。分かってますね?」
 綺羅は背中を向けたまま手を上げると、そのまま歩き出した。
「苑にいちゃ」
 急に、雪が話し掛けてくる。
「どうした?」
「雪、里に帰らなきゃ」
「えっ!?」
 突然の申し出、苑は言葉をなくした。
「風が言うの。雪は風の巫女になる人だから、里に帰らなくちゃだめだって。
だから、帰ることに決めました」
 風が吹く。雪にまとわりついて、服をはためかせる。
「風でなく、雪がそう決めたのか?」
「はい」
 雪は淡々と、しかし決意を込めて頷いた。
「……そうか、なら行って来い」
 苑は悟っていた。止めても無駄だ。たとえ兄弟と言えども、別々の存在。苑
に止める資格は無い。
「行ってきます」
 びゅおう
 唐突に、一陣の烈風が苑に吹きつける。思わず、顔の前に手をかざす。
「風のお告げ……十年後にこの場所で」
 声が聞こえて、風がぴたりとやんだ。
 慌てて顔を上げる。しかし、そこにはすでに誰もいない。
「風が連れて行ったのか……」

 目が覚めて、あたりを見回す。日はまだ昇っておらず、寝床は薄い闇に包ま
れていた。
「懐かしい夢を見た……」
 苑は身を起こす。すぐ近くに月がいて、眠っていた。起こさないよう、そー
っと立ち上がる。
「今日だったな」
 母の命日。約束の日。あの場所へ行かなくてはならない。
 月の寝息が聞こえる。迷う、このまま置いて行っていいのだろうか? 心配
だ。何をしでかすか分からない。
「主は……当てにならんな。宗谷殿にでも頼んでおくか……」

 「しばらくの間、旅に出ます――苑」

 書置きを残しておく。まぁ、大丈夫だろう。

 丸一日飛びつづけて、やっとあの場所に到着する。
「桐生院常葉子の墓」
 十一年もの間風雨にさらされつづけた木の板には古羽猫語でそう記されてい
た。
 羽猫の生活に用いられる言語は日本猫語である。しかし、日本猫語には文字
が無い。そのため、羽猫種族の墓には、古羽猫語で名前が記される。まぁ、そ
れだけの事だ。
 墓には新しい鈴蘭の花が供えられていた。
「父上も存命らしいな」
 十年前のこの日、綺羅とわかれた後、苑たちはここで綺羅を待ちつづけてい
た。綺羅はいつまで待っても来なかった。
 そのうち、いつの間にか寝入っていたらしい、慌てて起きたのだが、時すで
に遅く、墓には鈴蘭の花が供えられていた。
「まったく、間抜けな事をしたものだ」
 今から思うと、寝てしまったのはは綺羅が何かした所為かもしれない。眠り
薬でもかがせたのだろうか……
 さぁぁぁぁ
 風が吹いた。
 背後に気配を感じて、振り返る。水色の毛並みを持った一匹の猫が立ってい
た。顔は逆行でよく見えない。
「雪?」
 苑が問うと、その猫は嬉しそうに頷いた。

                              終わり
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 なんか最後のほうだぁって終わってしまったのが残念。
 もっと上手く小説書けるようになりたいぃ……

    

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