[KATARIBE 20571] Re: [SDE] (ダメな)第三帝国人物録

Goto (kataribe-ml ML) HTML Log homepage


Index: [Article Count Order] [Thread]

Date: Wed, 06 Sep 2000 14:46:43 +0900
From: DSSW Miyachi <dssw_miyachi@yasu.screen.co.jp>
Subject: [KATARIBE 20571] Re: [SDE] (ダメな)第三帝国人物録
To: kataribe-ml@trpg.net
Message-Id: <39B5DA43EE.E53EDSSW_MIYACHI@sapphire.screen.co.jp>
In-Reply-To: <39B4C323A1.78FBDSSW_MIYACHI@sapphire.screen.co.jp>
References: <39B4C323A1.78FBDSSW_MIYACHI@sapphire.screen.co.jp>
X-Mail-Count: 20571

ど〜も。
総統です。

 独逸軍人がチンピラばっかりだと思われたら嫌なのでまともな人の分も追加し
ます。

*********************************************************************

まともに活躍した人
------------------

えーりっひ・はるとまん【エーリッヒ・ハルトマン】《人名》
     空軍大尉。第二次大戦を通してトップの1425回出撃と352機撃墜の
    記録を持つエース。つまり史上最高記録でおそらく今後も更新されな
    い。
     天才的な技量でスコアを稼ぐ多くのエースと異なり、僚機を失わな
    い事を重要視し、また無駄の多いドッグファイトを避け一撃離脱に徹
    した。後述のマルセイユとは全く逆のタイプである。
     終戦まで生き残り、1955年まで捕虜としてソ連に抑留されたあと、
    西ドイツ空軍で1973年まで現役で活躍している。

あどるふ・がーらんど【アドルフ・ガーランド】《人名》
     空軍中将。104機撃墜の記録を持つエース。
     エースとしても有名だが、愉快な逸話の多い人物で、生粋の戦闘機
    乗りとしての自負か、はたまた面倒な事はやりたくなかったのか、
    「対地攻撃をせよ」との命令を仮病でかわしたり、戦闘機総監になっ
    てもまだ自ら出撃したりしている。
     驚くべき事に、ゲーリングに逆らって有名なジェット戦闘機部隊の
    第44戦闘団を編成した時も自ら先頭に立って出撃している。当時既に
    中将だったはずなのだが……。
     戦後は連合軍捕虜となったが、1947年に釈放されてアルゼンチン空
    軍の顧問となり、帰国後は実業家として成功した。

はんす・よあひむ・まるせいゆ【ハンス・ヨアヒム・マルセイユ】《人名》
     空軍大尉。158機撃墜の記録を持つエース。アフリカの星。ソ連機
    を含まない連合軍相手の撃墜記録では最高。ちなみに、連合国のエー
    スの持つ撃墜記録は精々60機前後。日本軍でも100機を超えるのは数
    名である。これは、連合軍がだらしないのではなくて、ろくに休暇も
    出さないで優秀な搭乗員をこき使わざるをえなかった枢軸側の事情の
    せいである。
     天才的技量の持ち主で、ドッグファイトの達人。また、偏差射撃は
    神技の域にあり、何もいないところに機銃を撃つと、吸い込まれるよ
    うに敵機が飛び込んだと言われている。
     1942年。飛行中にエンジンが故障。脱出したが尾翼にぶつかって失
    神。そのまま墜落死した。
     天才はやっぱり早死にしてしまった。

はんす・るーでる【ハンス・ルーデル】《人名》
     空軍大佐。スツーカ(Ju87)乗りで、出撃総数2530回、戦車519両
    撃破、軍用車800台以上撃破、軍艦3隻撃沈、上陸用舟艇70隻撃沈、撃
    墜9機というとんでもない記録の持ち主。37mm機関砲を装備した、愛
    機Ju87Gとともに有名。
     スターリンに「ソ連人民最大の敵」と言わしめ、対空砲火で右足切
    断の憂き目に遭っても病院を脱走して出撃するなど男らしい行動も盛
    りだくさん。何かソ連に怨みでもあったのか、ルーデル。
     さらに独逸降伏後には、英語を話せと言う連合軍通訳に対して「こ
    こは独逸だ。英語が話せたって独逸語以外話すつもりはない」と突っ
    ぱねる男らしさ。他にも独逸式敬礼を改めず「独逸軍人としての敬礼
    を習ったとおり実行しているだけ」、戦争については「空の戦いで負
    けたことは無い。物量の重圧に押しつぶされただけ」と言い切る。
     あんた命は惜しくないのか。
     幸い、連合軍は心が広かったようで、戦犯に該当する行いもなかっ
    たルーデルはすぐに釈放。その後、元独逸軍人を援助する組織作りに
    奔走した。
     1982年12月。バイエルンで死去。

みはいる・びっとまん【ミハイル・ビットマン】《人名》
     武装SS大尉。敵戦車138両撃破、敵火砲132門撃破。
     ティーガー戦車といえばビットマンである。あまりにも有名な撃破
    王で、もはや伝説。殊にノルマンディーで英国第七機甲師団を5台で
    壊滅させるに至っては、何か悪いものでも憑いているんじゃないかと
    思うほど。
     まあ、当時米英の主力だったシャーマンの75mm砲では、キャタピラ
    か背面でも狙わなければティーガーの破壊は無理な話で、そうでもな
    ければ物量でなんとかするしかなかった。
     1944年8月。SS第12戦車師団の側面援護に向かう途中、シャーマン
    戦車の一群に遭遇。3両を撃破するも5両に十字砲火を受け戦死。

まんしゅたいん【マンシュタイン】《人名》
     陸軍元帥。名前だけしか書いてないのはわけがあり、フルネームが
    やたら長いのである。エーリヒ・フォン・レヴィンスキー・ゲナン
    ト・フォン・マンシュタイン。
     フランス侵攻作戦では、有名なアルデンヌの森を抜ける奇襲作戦を
    立案。自らも第38軍団を指揮して作戦に参加し、勝利に貢献する。ハ
    リコフでは「バックハンドブロウ」と呼ばれる芸術的な機動防御で全
    軍の瓦解を防いだ。
     ところが我らが伍長閣下は、耳に痛い事をずけずけ言うマンシュタ
    インが嫌いだったようで、1944年に解任。1945年連合軍捕虜となる。

はいんつ・ぐでーりあん【ハインツ・グデーリアン】《人名》
     陸軍上級大将。電撃戦の生みの親。装甲戦術の父。
     ポーランドを電撃的な早さで攻略し、韋駄天ハインツと呼ばれる。
    ちなみにドイツ語で韋駄天をなんと言うのか私はよく知らない。フラ
    ンス戦でもまたたくまに英国軍をダンケルクに追い落とし、ロシア戦
    ではモスクワまで後一歩のところに迫るが、冬将軍の到来とソ連軍の
    反攻で総統命令を無視して撤退。
     当然、我らが伍長閣下が黙ってるわけがなく、ハインツを解任。後
    に装甲兵総監として軍務につけるが、やっぱりすぐ解任。言うこと聞
    かない奴は嫌いらしい。

えるうぃん・ろんめる【エルウィン・ロンメル】《人名》
     陸軍元帥。砂漠の狐。
     主に北アフリカで活躍。数に勝る英国軍を圧倒し、一時期壊滅寸前
    まで追い詰めるが、補給不足から防戦に転じ敗北。
     というのが一般的な見方だが、どうもこの男浪費家のようで、彼の
    師団の資材消費は、他とくらべてかなり多かったようだ。到底、戦略
    家ではない。
     とはいえ、その戦術家としての腕は素晴らしく、敵からも名将と呼
    ばれるほど。
     1944年7月のヒトラー暗殺未遂の嫌疑をかけられて、妻子を盾に服
    毒自殺を強要され、服毒死。死因は戦傷によるものとされ、盛大な国
    葬が行われた。

$$

*********************************************************************

ではまた。
    

Goto (kataribe-ml ML) HTML Log homepage