[KATARIBE 20213] [IC04N] さよなら

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Date: Thu, 20 Jul 2000 23:34:30 +0900 (JST)
From: "E.R" <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 20213] [IC04N] さよなら 
To: kataribe-ml@trpg.net
Message-Id: <200007201434.XAA31325@www.mahoroba.ne.jp>
X-Mail-Count: 20213

2000年07月20日:23時34分28秒
Sub:[IC04N]さよなら:
From:E.R


こんにちは、E.Rです。
話がわくわくわくわく………(ぐう)

というわけで、無限都市の風景です。
ちっと長めですけど。

***************************************
さよなら
========

 さよなら。
 今日までのあなたに向かって。

 さよなら。
 明日のあなたは、その言葉を覚えてなどいないのだけれども。



 この塔の名は、コルチキンタワーという。
 螺旋形の塔。今の初音達にとって、唯一無二の世界。
 窓の向こうには、確かに他の塔が見える。中にはこちらの建物よりも明らか
に低く、屋上で人が動いているのを見ることが出来るものもある。但し向こう
からこちらが見えるかどうかについては定かではない。


「はーつね、ちゃんっ」
 人の名前を呼ぶに、ここまではっきりとからかう意図を打ち出せる相手も珍
しい……と、内心思いながら初音はふり返った。
「遊佐さん……授業中だよ」
 ふふん、と、相手は笑った。
「プリントまわってきてんのよ、ほらっ」
 言うと同時に、手に持っていたプリントの束を初音の頭に叩きつける。ばさっ
と風を切る音と一緒に、彼女の頭の上からプリントがばらばらと散った。
「ごーめんねえ」
 けらけらと笑うと、彼女は椅子の背もたれにもたれかかった。白々とした表
情で、わざとらしく窓の外へと視線を移す。
 初音は黙ってプリントを拾い集め、自分の手もとの書き取りのテストを加え
て前に渡した。

 遊佐沙奈子、というのが彼女の名前である。
 雪入、遊佐、と出席簿の順番では続いている。だから高校の一日目、クラス
で座った時に、一番最初に覚えたクラスメイトでもある。背がすらりと高く、
非常に現代風な美人……と評して初音は既に拳骨を食らっているのだが……で
ある沙奈子と、小柄で地味な初音。二人が並んでいるだけで『現代の高校生の
極端と極端を見る気がする』とのことではあるのだが。
 ここから帰れない、と、悟ったのは二人一緒。泣きわめいた沙奈子を初音は
とりあえず学生寮らしきところまで連れて行き、割り振られた部屋へと押しこ
んだものである。以来沙奈子は何かというと初音にまとわりつき、時には莫迦
にし、時には泣きつくようになっている。見事なまでのお天気屋の対応だし、
時にはそれがかなりエスカレートするのだが、不思議と初音にはそれが苦にな
らなかった。本当の意味でひどいことをしない、ということを知っていたから
かもしれないし、彼女の気分の不安定さを、この環境によるものと判断してし
まっていたからかもしれない。
 教科書の進み具合から考えて、彼女達がタワーに引きずり込まれてからそろ
そろ数ヶ月が経っている。その間に、この環境に慣れてしまうもの、慣れずに
いるもの、その両端を行き来するもの、と、生徒達は分かれていった。
 沙奈子は最後の組に属する、顕著な例だったかもしれない。


「ごーはんいこ、ごはんっ」
 法螺貝に似た音と一緒に、教師がチョークを黒板の前の縁に置く。途端に生
徒達はがらがらと立ちあがる。今日はそれでも授業時間は45分。ごく手ごろな
長さだった。
「はーつねちゃん、ご飯いこ。冷し中華食べよっ」
 ヘッドロック……というかまあ、この身長差だとそうなるのだろうが……沙
奈子は初音の頭を抱え込んで前進しかける。危ないところでアコーディオンを
掴み、右の肩に掛けてから初音は歩き出す。それを確認すると、沙奈子の手は
初音の首から抜けた。
「冷し中華、最近人気だもんね。急がないと無くなるよ」
「うん」
「でもけちくさいんだよねー。トマト、限界に薄切りされてるもん」
「……そうなんだ」
「って何よ初音。初耳みたいに」
 斜め上からちろんと沙奈子が睨む。
「…………食べたこと、無いから」
「えー、何で」
「行ったら、大概、売りきれで……」
 あーんた、莫迦っ、と、沙奈子は決めつけた。
「とろいのよ。昼になったらさっさと学食行く。終わるののんびり待ってたら
くいっぱぐれるばっかでしょうが」
「……でも」
 あーわかったわかった、と、手振りまで加えて沙奈子は何やら言いかけた初
音の言葉を遮った。
「真面目一本槍の初音さんに、授業サボりを示唆したあたしが悪うございまし
たっと」
 ぽんぽんと言葉を投げつける。隣を歩いていた同級生が、少し困ったように
二人組を見、そしてそっと目をそらせた。
 いじめっ子といじめられっ子に見えるのかもしれない、と、初音は内心溜息
をつく。少なくとも初音自身に苛められている実感は無いし、沙奈子もいじめ
と言われれば、どれだけ怒るかわからない。
 まあ確かに、友人と称するには多少妙な関係であるし、友人と言われたら言
われたで、沙奈子はそれこそかんかんに怒るかもしれないのだが。

 とりあえず、沙奈子と初音は冷し中華を確保することが出来た。

「そーいえばさ、初音は聞いたことある?」
「え?」
「ダイビング」
「……え?」
 その顔だけで知らないことがはっきりしたのだろう。沙奈子は一つ肩をすく
めてから、声を落とした。
「コルチキンタワーダイビング、って。皆結構やってるみたい」
「ダイビング……って」
「ほら、窓の外からさ」
 切れ長の目を、すう、と流して、沙奈子は窓の外を見やる。
「……飛び降りるの?」
「そういうこと」
 思わず小さくなった声に、やはり小さな声で応じてから、沙奈子はふふん、
と鼻を鳴らして笑った。学食のあまり座りごこちの宜しくない椅子を傾けて、
二本の足を浮かせながら、彼女は小莫迦にしたように初音を見やった。
「真面目な初音ちゃんには、刺激強すぎる話題かなー?」
「……うん」
 からかいに、けれども初音は乗らなかった。生真面目な表情に、沙奈子のほ
うも表情を改める。
「嫌い、そういうの?」
「嫌い」
 ふうん、と、詰らなそうに、けれどもどこか緊張したような顔で沙奈子は口
をつぐんだ。


 コルチキンタワーに取り込まれて暫らくしてのことだったと思う。
 最初の数日は、それでも皆まだ冷静だった。いつか何とかなる、多分明日、
多分明後日。その思いは確かに彼らの行動を律した。
 が、一週間過ぎ、十日経つうちに、だんだんと皆悟った。悟らざるを得なかっ
た。
 ここから出る術は一切なく、帰る方法も無いのだと。
 絶望というものは、人から人にうつる。それも似たような経験量しか持たな
い同輩達の間では、一度状況がはっきりしてしまうと、もはや絶望の暴走を止
めようも無くなってしまう。
 パニック。そして殴り合い。
 どういう拍子であったかはわからない。けれどもそのさなかに開いていた窓
から、落ちてしまった生徒がいたのは事実である。
 高く高く、つんざくような悲鳴。
 殴り合いに参加していた全員が、息を呑んだ。開いていた窓、欠けてしまっ
た生徒、何よりも窓際、殴り合っていた……相手を落としてしまった男子生徒
の、どうにもならないような絶望の色。
 一瞬。
 支えていた細い糸がふつりと絶えたように、その生徒は腕を下ろした。コマ
落としのようなゆっくりとした動き。
 そして途端に動きは変化する。床を蹴りつける足、意味を為さない声。
 彼もまた、窓から飛び出していった。

 そして、二人とも、翌日クラスにやってきた。
 悲鳴と、驚愕。
 ……二人は、自分が死んだことを覚えていなかった。

 それは、初音達がこの数ヶ月のうちに学んだこの世界の法則のうちで、一番
ひどいものだったと思う。
 この世界で、人は死ぬことを赦されない。死んだ後、またもう一度生き返っ
てしまう。無くなるのは死んだときの記憶だけ。


「そっか。初音は嫌いなのね」
 冷し中華を口に運びながら、沙奈子は確認するように言った。
「嫌い」
「何で」
「……わからないけど」
 以来、生徒達の中に、自分から飛び降りるものが増えた。どうせ生きかえる
から、どうせ死なないから。
 どうせ、生きてても仕方が無いから。
 それに、同意する部分が一切無いとは、流石に初音も言うことが出来ない。
けれども、そこに付いてくる一つの条件が気に障るのだ。
 死んだ日の事を、生きかえった彼らは覚えていない。
 死んだことさえ、彼らは覚えていないのだ。

「あー、そういうよね」
「それが、何だか厭で」
 ふむ、と、沙奈子が顔をしかめる。
「でもさー、死ぬんでしょ?死ぬなんて無茶苦茶強烈なことだもん。その前後
のこと忘れたって不思議じゃないんじゃない?」
「……そうかも、しれないけど」
「だってさー、臨死体験とかした人って、記憶無くなるじゃん。あれとおんな
じようなもんじゃないの?」
「……でも」
「でも?」
 言いかけて、初音はぐっと黙る。
 まだ、このことばかりは人に言えるようなものではない。
 黙りこくった初音の顔を見て、沙奈子は小さく鼻を鳴らしたが、それ以上何
も言わなかった。


 初音は、人を殺したことがある。
 そんなことが出来るとは、全く知らないままに。
 自分のクラスでもなければ、アコーディオン部(といっても所属しているの
は初音だけ、たった一人でも部が成立するらしい)の部室でもなかった。クラ
スメイトの女の子がクラブを見学したいと言い出したのだ。
 時期は、コルチキンタワーに呑みこまれて二週間ほど後。こんな時期にクラ
ブに入りたいなんていうほうが莫迦よ、と、沙奈子はついてこなかったのだが。
 初音を含む数人が付き合って向かった部室は、しかしその時、混沌のど真ん
中にあった。そしてその扉を開けてしまったクラスメイトも、その混沌に見事
に巻きこまれてしまった。
 ある意味その時期には、聞き慣れてしまった怒号と悲鳴。伸びてくる手。
 何故その時、自分がアコーディオンを弾いたのか、実は初音にもよくわかっ
てはいない。ただ、正気を失っている面々に、せめて音が届けば、という考え
があったのは何となく覚えているのだが。

 音が届いたのは、確かだった。
 彼らの耳というよりは、脳髄にそのまま。
 気がついたときには、部屋の中の生徒たちは皆、耳から血を流しながら机と
椅子の間に崩折れていた。
 そして、中の数人は確かに息をしていなかった。

 死体をそのままにして逃げた。死んでいると認めたくなかっただけかもしれ
ないし、咄嗟に逃げることしか考えられなかったのかもしれない。どちらにし
ろ、初音がそこに倒れているうち息のある者達だけを叩き起こし、そしてその
まま逃げたのは確かなのである。

 
 そして。
 冷たくなっていた筈の彼らは、翌日当たり前の顔をしてクラスに戻ってきた。
 昨日の記憶は全て抜け落ちていた。
 あの日から、初音はそのクラブの部室に近づいてはいない。けれども放課後、
そちらの方角から響いた悲鳴だけは、記憶の片隅に染みついて離れない。

 クラブ見学志願の彼女は、確かに冷たくなっていた。
 そして翌日、彼女はもう一度、クラブを見学に行きたがった。
 流石に初音は、それに付き合うほど正気を無くしてはいなかった。
 …………そして。

『うそおっ……うそ、なんであたしの……』

 あの、悲鳴……


「……かな」
「え?」
 落下した記憶の狭間の中に、一瞬呑みこまれていたらしい。慌てて訊きなお
すと、沙奈子は額の辺りに縦皺を何本も寄せた。
「だーからっ、あたしもやってみよっかなって」
「え?」
「ダイビング」
 にっと笑って沙奈子は言った。その言葉が初音に及ぼす力を熟知しての発言
だった。
「どーせ、生き返るんじゃない。またここに戻ってくるんじゃない。じゃあ、
一度くらいぱーんと落ちてみるのも面白そうじゃん?」
「……でも」
 何と言って反対すればいいのか、初音には分らなかった。それでも。
「…………でも」
 言葉を探してうろうろするばかりの初音を見ると、沙奈子は尚更ににやにや
と笑ったが、
「さて、午後の授業だよ」
と言うと、いそいそと立ちあがった。


 見学志望の彼女は、それ以来教室にやってこなかった。
 一度行ってみた学生寮で、彼女は膝を抱えたまま、身動きもしていなかった。

 
 あそこで一体何を見たのか。


 午後の授業は、破格に短時間で終わった。

「初音ー」
「え?」
「行ってみよ」
 怪訝そうに見やった視線の先で、沙奈子は笑った。
「ダイビングのところへ、さ」
「…………」
 咄嗟に一歩下がった初音を見やりながら、それでも沙奈子はにやにやと笑っ
たままだった。
「一緒に来てくれるよね?来ないわけないよね?」

 何だか、悔しかった。
 それでも……その言葉を否定は出来なかった。 
 
「…一つだけ、約束して」
「なに?」
「私は、やらない。それでもいい?」
 必死の顔で、それだけ言った初音を沙奈子はきょとんとして見たが、じきに
からからと無遠慮に笑った。
「あったりまえじゃん。初音がダイビングするなんて誰も思っちゃ無いわよ」
「……そう……」
「そーんな度胸は、初音には無いって。それくらいあたしだって知ってるわよ」
 かなりにして失敬な台詞を、けれども初音は安堵しながら聞いた。
「行ってみよう、ね?」
 覗きこんでくる視線は、口調とは裏腹に優しかった。


 ダイビングと言うからには、この塔の屋上か、と、初音は思ったのだが。
「違うわよ。ここの天辺がどこかなんて、誰も知りやしないって」
 言いながら、沙奈子は初音を引きずる格好で、どんどんと歩いてゆく。かな
りの階段を登った頃、不意に彼女は足を止めた。

 拍手の音。調子っぱずれの歓声。

 抜けた歯のように、不自然に開いた窓。

「ダイビングやってるの、ここ?」
「そう」
 沙奈子の声に、一人の女子生徒が振りかえった。
「あんたも、やりにきたの?」
「ううん……見学」
「ふうん」
 莫迦にしたような声でそう呟くと、女生徒はまた窓のほうを向いた。沙奈子
も初音の手を離し、その横に並ぶ。
「あたしは一昨日、ダイブしたのよ」
 視線を外に向けたまま、女生徒は不意にそう言った。
「ここに居る連中、そんなのばっかり。今日でなければ昨日、それか一昨日」
 ふん、とまた鼻を鳴らすと、彼女は手を上げた。
「今日はね、あと一人。そこの奴だけ」
 女生徒が指差す先には、毛布に包まった生徒がいる。ごく幸せそうに眠り込
んだままの。
「…………あのひとを?落とすんですか?」
 思わず声のかすれた初音を、女生徒はちょっと不思議そうに眺めたが、すぐ
にああ、と頷いた。
「あのね、これは頼まれてるのよ」
「頼まれた?」
「あれはね、落ちて行く最後の最後まで夢を見てみたい、って言うの。目が醒
めるとしたらどこでなのかも知りたいって言うの」
 莫迦よね、と、女生徒は嘲笑う。
「どうせ明日になったら忘れてるんよ」
 そうかもしれないのだけれども。

 せえの、で、男子生徒が数人、生徒の身体を毛布ごと持ち上げる。やはり気
持ちよさそうな笑みのまま、彼はゆっくりと窓から外へと出て行く。
 ぎりぎりのバランスを保った一瞬、彼の身体は窓のところでふらりと釣り合っ
た。
 そして次の瞬間、そのまま落下していった。

 暫らくの、間。

 そして、遠い…………音。

 音。
 なにかがぺちゃりと潰れるような。

 わあ、と、歓声。そして拍手。
「なに?」
「落ちた音よー、ほらあそこっ」
 つられて初音も、外を見る。遥か向こうにあるものは、しかしそれでも小さ
な点にしか見えなかったのだけれども。
「もー、ぺっちゃんこよー。あれが明日戻ってくるから凄いわよねっ」
 女生徒の、言葉。


 そして、それは偶然。
 引っかかっていた全てが、形を取って組み合わさる一瞬。

 潰れたものが戻ってくる…………出入りすら不可能なコルチキンタワーへ。
 ……戻ってくる?

『なんで、あたしの』
『あたしの』


「………………ぁあああっ」

 拍手の音を圧する声が、初音の喉から迸った。
「初音っ?!」
 沙奈子が駆け寄った。
「なに、どうしたの初音っ」

  あれはブラッドベリの短編の中の一つ。アッシャー家を模した家に幻想を
  否定する人々を招き、一人ずつポォの作品に擬して殺していく。そして殺
  された人の代わりに、そっくりの人形達が動き出す……

 死んだ者が復活し、戻ってくるのではなくて。
 ……死んだ者に成り代わり、誰かが……そっくりな誰かが、戻ってくるのだ
としたら?

『なんで、あたしの』
『なんで、あたしの死体がここにあるの』

 ……あの子はそう叫んだのではないのだろうか?


「初音、初音ってばっ」
 はっと、大きくゆすぶられて、初音は我に返った。
 窓辺から、複数の視線が初音に向けられていた。
 どこか冷たい、虚ろな視線だった。


「……ふうん」
 学生寮の部屋も、沙奈子と初音は隣り合っていた。そのまま部屋まで帰り、
珈琲をコップに入れてから沙奈子は初音の部屋を訪れた。問われるままに初音
は、先程思いついたことを出来るだけきちんと話した。
 沙奈子は黙ってそれを聞いていた。細い指の先を軽く噛みながら。
「つまり」
 一通り話し終わって初音が口をつぐむと、暫くの沈黙の後に沙奈子は口を開
いた。
「死んだあと戻ってくるのは、それまでの人とは違う、って言いたいのね?」
「そう」
「この世界でもちゃんと人は死んでいる。それが生き返るんじゃなくって、代
わりにどっかからその人のそっくりさんを創り出して、ここに戻しているって
……そう思うってことね?」
「……そう」
 だから、死んではいけないのだ。そう言いかけた初音の言葉を、沙奈子は指
を一本立てて遮った。
「それ、いいんじゃない?」
「…………え?」

 すっと、背筋の冷える感覚に、初音は目を上げた。
 沙奈子は笑っていた。

「それ、最高」
「遊佐さ……」
「それ、本当だったら、本当に最高」
 にっと笑った、口元が微妙にゆがんでいる。
「あたしがここでダイブして、無限都市とおさらばして……んで、ここにどっ
かからあたしの補充が来るわけじゃない?それって最高」
「……待って、でもっ」
「今、こーやって話してるあたしは、死ぬって言うんでしょ、初音」
「そう、だけどでも」
「最高じゃん」
「……でも、だって、何で……」

 反対しようとして、初音は口をつぐんだ。

「何で……?」

 ぽつんと沙奈子は呟いた。

「何で、って……初音は、聞けるんだね」

 押し寄せるような、怒り。
 既に空になっていたコップを握り締めて、初音はその怒りに耐えようとした。
 沙奈子はぎらぎらと初音を見据えていた。

「ここからは出て行けない。どっこにも行けない。戻れない。以前の友人と話
すことも出来ない……それにもしかしたら」
 つ、と声をひそめて。
「もし、初音の言うことが正しいんなら、今までいた世界のほうに、別のあた
し達がいるかもしれないじゃん。平気な顔して、普通に学校行って、好きなこ
として」
「…………」
 その可能性は考えていなかった。
 目を見開いて見返す初音を、ふん、とやはり鼻で笑って沙奈子は肩を一つす
くめた。
「あっちでもあたし達、もう不要なのかもしれないでしょ」

 そう考えることは。そのことを考慮に入れることは、正しかったのかもしれ
ないけれども。
 けれども……

「……でも」
「でも、何よ」
「…………でもっ」
 でもそれでも。
 そうかもしれないけれども。
「不要だからって、消えていい筈、無いっ」
「ばかあっ」
 やにわに沙奈子は飛びあがって初音を怒鳴りつけた。
「ばか、ばか、ばか、あたしはもうここから出たいのよっ!」
 どうして分らないの、と、肩を揺すぶりながら。
「もう厭、もうここにいるのは厭、でも、死んだって戻ってくると思ったら、
死ぬだけ損だと思ってたけどっ……」
「でも、だけどっ!」
「だけど何よっ!」

 互いに切り裂き合うような会話をしていることを自覚していた。
 そして、それを止める気が無いことも。

 睨み合う中で、沙奈子は不意に口元だけで笑った。

「世の中、あんたみたいにね、強い人ばっかじゃないのよ初音ちゃん」
 
 初音の耳に、その言葉が鈍痛のように響く。
 耳鳴り。わんわんと。
 けれども言葉はまだ続く。
 
「さっさと逃げたい人なの、あたし。卑怯とか、ずるいとか、言われたって仕
方無いもん。もう厭、もうこんなところいたくない……っ……」

 高く引きつった声。確かに初音を打ち砕くだけの力を持った声。

「初音は、まだ生きろっていうんでしょ。死んじゃったら終わりだから、だか
ら生きろって言うんでしょ。頑張って、一所懸命生きろって」

 紡ぎ出す以前の言葉を全て奪い去られて、あえぐように口を開いた初音に、
沙奈子は最後の一撃を叩きつけた。

「死んじゃったら終わりかもしれないから、あたしは死にたいのよ。そんなこ
とも強いあんたにはわかんない……あんたになんかわかんないっ……!」

 横っ面を思いきり張られたような、衝撃。
 ばん、と扉を叩きつける音だけは、初音もきっちりと聞きとっていた。


 わかんない。
 強いあんたにはわかんない。
 あんたになんかわかんない…………

「…………っ」

 生きようと思った。
 絶対、生きようと思った。
 生きるほうが大変だから、それなら大変なほうを選ぼうと思った。

「…………ばかあっ」

 空になったコップを、ベッドの上に叩きつける。それでもベッドの上を選ぶ。

「強く生まれたいと、あたしが願ったかっ」
 
 頭を叩きつける、その壁の白さ。歯噛みをするほどの悔しさの真中で、それ
でも自分の目はその白さを捉える。
 
 強いから。
 本当に、本当に強いから。
 
 …………だから沙奈子は。
 
「………………っ!」

 叩きつける。幾度も額を、壁に。
 叩き割る度胸は無いくせに。

 沙奈子の心がわかれば。わかっていれば。
 黙っていることも出来た。話をそらすことも出来た。でもそれを。
 生きていて欲しいと、願って相手に話すほどに。

「………………………ぁ……」

 沙奈子の心が、わからない自分。
 分らないほど、強い自分。


 ずるずると、初音は壁にもたれたまま崩れた。


 翌日の授業に、沙奈子はいつもの顔で出席していた。
 初音もやはり、いつもの顔で出席していた。
 授業は、一つは長く、一つは短かった。

 終礼代わりの法螺貝に似た音は、差し引きすれば案外良いタイミングで響い
た。

 立ちあがって、沙奈子は教室から出て行く。
 初音もアコーディオンを担いで、その後からついてゆく。

 沙奈子は振りかえらなかった。
 初音は声をかけなかった。

 真っ直ぐに、歩いて。階段を上って。

 やはり抜けた歯のように、開いた窓辺へ。

「あれ、昨日の」
 昨日会った女生徒が振りかえる。
「また、見学?」
「ううん、あたしもやっぱ」
 ちょっとだけ言葉をとぎらせて。
「一回くらい飛んでみようかな、って」
 沙奈子は振りかえらなかった。
 初音も何も言わなかった。

「ふうん……そっちの子は?」
「私は、見に来ただけです」
 すっぱりと初音は言い切った。

「……ま、いいけどー」
 何やらいいたげだった女生徒は、その一言で全部の疑問を放り投げたようだっ
た。一つ肩をすくめると沙奈子に向かう。
「今日は、三人。あんた四番目」
「はい」
「皆、何度も飛んでる奴だからね。結構上手いよ」
 でも、飛んだときの記憶は、みんな無いんだけどね、と、笑いながら彼女は
付け加えた。

 鳥のように、ふわりと手を広げて飛び降りる女生徒。
 飛びこみのように、腕を真っ直ぐに伸ばし、頭から突っ込む男子生徒。

 遠く、響く音。
 そして拍手。歓声。ダイブする格好の良し悪しの批評の言葉。

「……ねえ初音」
「え?」
 視線はやはり窓の外に向けたまま、唐突に沙奈子は話し出した。
「昨日、あんたあんなこと言ったけどさ。あれ正しいとは全然限らないよね」
「……うん」
「あそこに落ちたあたしが、どう言うわけかこっちにそのまま帰ってきてるの
かもしれないよね」
「……うん」
 そしたらちょっと莫迦かも、と、沙奈子は口元だけで笑った。

「じゃ、ラストあんた」
「あ、はい」

 ゆっくりと視線を硝子の窓から外し、外枠だけを残した窓の前に進む。

「……ここに座って……で、落ちるって駄目ですか?足滑りそうで」
「おっけおっけ。問題なし」
 
 よいしょ、と、沙奈子は窓枠に座りこむ。そのまま少しだけ溜息をついて。

「……沙奈子」
 え、という顔で沙奈子が振り返る。
 初音は真っ直ぐに、その視線を捉える。

「さよなら」

 さよなら。
 今日までのあなたに。
 今日まで知っていた、あなたに。

 黙ったままだった沙奈子の目が、不意になごんだ。

「……さよなら」

 そして、窓枠に両手をかけ、すい、と滑らせるように身体を前に押し出す。
 一瞬、なびく髪。

 さよなら。
 その髪の毛に向かって、もう一度念じる。

 さよなら。
 この塔から出て行けますように。


 遠い、音。


「何、深刻な顔してんのよ」
 ばん、と、左の肩を叩かれて、初音は顔をそちらに向けた。
「明日になれば、あんたのお友達は戻ってきてるわよ。今日のことは忘れてる
から、ちゃんと教えたげなさいよ」
「……はい」

 一礼して、初音は階段を降りて行く。
 ざわざわと声がし、そのうちに笑い声が響いた。
 ほら、初めての子なんだからさー、笑っちゃ駄目よー。
 先刻の女生徒の声が、響いた。
 多分……初音のことを笑っていたのだろう。


 さよなら。
 今日までのあなたに向かって。

 さよなら。
 明日のあなたは、その言葉を覚えてなどいないのだけれども。


 さよなら。
 出て行けますように。
 本当に、本当に、ここから出て行けましたように。


 ぽろぽろと、涙がこぼれた。
 今日までの沙奈子の為に泣けるのは、今日一日だけなんだなと。
 そう思ったら、涙が止まらなくなった。

 階段でこけないように、必死で目をこすりながら。
 初音は自分の部屋へと戻っていった。


 さよなら。
 さよなら。

 今日までのあなたに。


*******************************************

 というわけです。

 勿論、初音の受け取り方が正しいわけでもなんでもありません。
 ただ、これ以降、初音が、自分から死なないだろう、その理由でもあるかな、と。

 …しかし、なんでこーも強くなるかなあ(苦笑)>初音

 まあ、というわけです。
 んではまたー


    

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