[KATARIBE 17783] [NNM] :「荼毘」

Goto (kataribe-ml ML) HTML Log homepage


Index: [Article Count Order] [Thread]

Date: Mon, 31 Jan 2000 09:10:38 +0900 (JST)
From: "E.R" <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 17783] [NNM] :「荼毘」 
To: kataribe-ml@trpg.net
Message-Id: <200001310010.JAA55464@www.mahoroba.ne.jp>
X-Mail-Count: 17783

2000年01月31日:09時10分38秒
Sub:[NNM]:「荼毘」:
From:E.R


    こんにちは、E.R@週末死亡 です。

 えと、以前どこかで言ったかもしれませんが。
 爆弾投下より、一週間から10日後あたりの話。

 ……背景的な、修正、等々、宜しくお願いしますー>不観樹さん(をい)

*************************************
「荼毘」
=======

 異常は、日常単位で現れた。

 新聞が、止まった。
 テレビのチャンネルの殆どが、何も見えなくなった。

 そして、それがとても……とても悪いことの始まりなのだ、と。
 そのこともすぐにわかった。

 宇都宮線の扉が開くのを待ちかねるようにして飛び出した……真っ青な人達。
 十字路の真中で止まった車と、それにぶつかった車。そしてそこから転がり
落ちるように出てきて、一面、吐いた男。
 道端に停めた車の中で、着衣をどろどろにしたまま死んでいた家族。

 異常が、異変であること。
 異変が……ぞっとするほど恐ろしいことであること。
 公共の場で認められるよりよほど早く。
 ひそひそ声で。
 それは広がった。
 
 
 学校は、とうとう冬休みのままだった。
 車で、そして動く限りの電車でやってきた人々のために、公民館と学校の体
育館が提供された。

 どうやら、人々は大挙して逃げてきた、というわけではないようだった。
 ざらざらと、それぞれが得た情報から、それぞれの出来るだけの早さで。
 
 つまり。
 情報を流す機関が既に存在していないのだろう…と。
 訳知り顔に呟いた者がいた。
 
 人は、幾らでもやってくるように見えた。
 そして……幾らでも…………


 ………消えて行くようにも、見えた。



「……合同でやるしかなかろうなぁ」

 ぽつりと、父親が呟いたのに、美咲は視線を上げた。

「合同?」

 あ、いや、と、父親は言葉を濁して、また食卓の上の塩じゃけをつつき出す。

「食べられませんか」
「いや…食べる」

 一昨日、昨日と。
 父親は、自分の医院を臨時休業にしている。急患や常連の人達を、知り合い
の医院へと紹介して。
 そして父親は、朝食を終えるとすぐ、近くの公民館に行ってしまう。帰って
くるのは夜遅く、玄関の常夜灯の下でもはっきり見て取れるほど疲れた顔をし
て。

「俊一さん」

 向かいで座って、湯のみを両手で抱え込むように持った祖母が、ふと口を開
いた。
「はい?」
「合同ってのは、荼毘のことですかね」

 すぱんと。
 いつもの優しげな祖母の言葉が食卓の空気ごと切ったように思えて。
 美咲は思わず目を上げた。

「……お義母さん…」
 父親の視線がすっと美咲のほうに向き、また祖母のほうに向かう。母親の方
は、もっとはっきりと怒気を含んだ視線で祖母を見据えている。その二つの視
線に、けれども祖母はけろりとしたままだった。
「隠して、どうなるものでもありませんよ」
「だけどお母さんっ」
「美咲ちゃんだって、きちんと知っておいていい話です」
 でしょう、と、視線で意見を求められて、美咲は小さく頷いた。

 既に、目の前で、幾つかの死を美咲は見ていた。
 
「それでも……美咲、向うに行きなさい」
「でも」
「でも、じゃありません」
 母親の声には、流石に逆らえない。祖母がもう一言くらい何か言ってくれた
ら、ここに残って続きの話を聞こう、と美咲は思ったのだが。
 祖母は黙って湯飲みを口元に運んだ。けれども口の横の細い皺が、笑いの少
し前のように歪んでいるのを、美咲は立ち上がりながら見た。


 そして、その翌日。
 朝食の片付けが終わりかけた頃、美咲は祖母に声をかけられた。
 ちょっと一緒に外に行こうね、と言われて、否と美咲が言うわけがない。
 祖母に渡されたノートとペンを持って、美咲は祖母の後に続いた。

 行った先は、家の近くの公民館だった。
 入った先は………地獄、と言われるものに近かったかもしれない。

「………お義母さ」
「お手伝いに来ましたよ」
 父親が返事に詰まる間に、祖母は美咲を手まねで呼び、持たせていたペンと
ノートを受け取った。
「荼毘を……合同で行うならば、ちゃんと名前と、住所をお聞きしたほうがよ
いのじゃないの?」
「…ええ、それはそうですが」
「御家族が居ないなら、申し訳ないけど、持ち物見せてもらって」

 ……御家族が、居ない?

「でも、お義母さん」
「まさか俊一さんのお手伝いは、私は出来ませんけどね。でもそれくらいのお
手伝いならば出来るだろうと思ってね」
「でもですね、何で美咲まで」
「美咲ちゃんにはね、私にどうやっても出来ないことをやってもらうの」
 きょとん、と……父子が一緒に目を丸くする。構わず祖母は、父親の顔を見
上げた。
「それで、どうすればいいですかね?」

 公民館は、二つに分けられていた。
 入ったすぐのところは、生者の領域。
 カーテンで区切られた奥の部分は、死者の領域。

「………………っ」
 入った瞬間、美咲は真っ青になった。
 臭い。腐臭。そして、ごろごろと転がっている……
「……ああ、ひどいねえ……美咲ちゃん、ちょっとこれを濡らしてきて」
 手に持った袋からタオルを一枚出して、祖母はそう言いつける。半ば逃げる
ようにしてお手洗いに走り、タオルをたっぷりと濡らして軽く絞った。

 赤黒く、肌の色の変わった人達。
 
 のろのろと戻った時には、祖母は既に端っこにいた女性の服を整えていた。
「ああ、ありがとうね」
 笑顔で受け取り、そっと女性の顔をタオルで拭う。口もとの汚れがすっと取
れた。
「……おばあちゃん」
「美咲ちゃん、しんどければそちらにおいで」
「そうじゃなくって……おばあちゃんっ」
 泣きそうな声に、丁度そこに入りかけた男性が足を止めた。
 祖母はやっこらせ、と、声をあげて立ち上がった。
「……とてもね、悪いことが起こっているんですよ、美咲ちゃん」
 しん、とした口調で、祖母はそう言った。

 とても、わるいこと。
 とても……………

 こんなに、いっぱいの………
 まるで、おもちゃみたいに。


「美咲ちゃん、そこにいると、そこの人が入れませんよ」
 ふといつもの口調で言われて、美咲は慌てて避けた。ごめんね、と言いなが
らも、どうも不審げな視線を向けて、男性が入ってくる。
 腕には、包み。
「……子供さんですか」
 はあ、と、男は困ったような声になった。
「お名前は?」
「あ、いえ……」
「御両親は、いらっしゃいますかね」
「え、はいいます……ってあのっ」
「お名前を、聞いてきましょうかね……どこに」
 男は何やら言い返そうとしたらしかったが、祖母のほうを見ると諦めたよう
に頭を一度振った。
「あちらです」

 男の人は、気分が悪いように見えた。
 女の人は……眠ったまま、目を閉じていた。
「…お子さんのお名前を、お聞きしたいのですが」
「………聞いてどうする」
 座ったまま言い返したのは、男の人だった。聞いていた美咲が走って逃げた
くなったほど、声は怖かった。
 けれども、やはりしゃがんだままの祖母は、びくともしなかった。
「書きます。書いて、憶えますよ」
「憶えてどうする!」
 やにわに男の人は怒鳴った。周囲の疲れきった顔の人々が、それでもはっと
頭をあげるほどの勢いで。
「あんたに何がわかる!何をしてくれる!……あんたここに押し込めて、薬一
つ満足に呉れないで……」
 ひりひりと、美咲は圧されるような感覚を憶えた。
 視線。
 公民館のあちらこちらから向けられる視線。
「もう遅い。こいつだってもう体がもたない。必死で逃げて……ここまで逃げ
て……なのにあの子を見殺しにして、今更名前聞いてどうするっ」
 しゃがんだままの祖母を、男の人は睨み付けていた。祖母はけれども、やは
りすとんとして相手を見かえしていた。

「……あれは、天災でしょうかねえ」
 とぼけたような声に、瞬時男の人はきょとんとした。
「……は?」
「爆発があったって聞きましたけど。あれは天災でしょうかねえ」
「な…………」
 一瞬の間。そして男は爆発した。
「ざけるなっ!!」
 立ち上がりかけ、手を振り上げる。多分その手を振り下ろさなかったのは、
祖母が如何にも小さな老いた女性であったことと、その横の美咲を目に入れた
彼の、ぎりぎりの理性の為だったろう。
「あれが天災のわけがっ……」
「じゃあ、仇を討とうとは思わないんですか貴方はっ」

 ぱん、と祖母の言葉が、弾けたように。
 美咲の耳には響いた。

 視線が、一斉に……注いだ。

「あたしはねえ、悔しい」
 祖母はしゃがんだまま、そう言った。
「悔しいですよ。……なんで貴方のお子さんが殺されますか。なんで貴方の奥
さんが、こうやって苦しんでますか……あたしは、悔しいですよ」
 男の人は、すう、と、力が抜けたように座り込んだ。
「医者でもないから、奥さんの具合が悪いったって、お手伝いが出来るわけで
もない。お子さんが亡くなったって言われても、何も出来ない。悔しいですよ」
「………じゃあ、なんで名前がいるよ」
 ふてくされたような、声だった。でも、もうさっきのように怒っている声で
はなかった。
「お子さんに、手伝ってもらうんです」
「……え?」
「お子さんに。いつかは判らないけれども」
 祖母は男の人から、女の人に視線を向けた。
「こんな……こんな酷いことをした相手を見つけて、告発する。その時に、お
子さんに手伝ってもらいます。お子さんの名前ごと、相手に突きつけてやる」
 男の人は、口を開けていた。
 女の人は、うっすらと目を開けていた。
「こんな婆が、何言うか、って思われるかもしれないですねえ」
 ふと、祖母は申し訳なさそうにそう呟いた。
「私が生きてる間は、何にも出来ないかもしれませんけど」
 視線が幾重にも注いでいる。祖母に、そして美咲に。
「でも。私は記憶しますよ。そしてこの子に伝えますよ」
 ぽん、と、祖母の手が、美咲の肩を叩いた。呆然として美咲は、祖母を見た。

 ふう、と、女の人が目を開いた。
 真っ青な顔を、していた。

「……あのこの。」
 視線が、祖母から、美咲へと動く。
「仇を、討ってくださるんですね………」

 その声が。
 ほんとうに、ほんとうに嬉しそうで……

「はい」

 美咲は、そう、呟いていた。

「あたし、憶えます。憶えて……」

 そう。
 こんなことをした人がいるのだ。
 こんなことを、起こした人がいるのだ。

  見逃せることでは、ない。
  許せることでは……ない。

 女の人は、笑った。
 光るような、怒りがそこにあった。
 けれども……本当に、綺麗だと美咲は思った。

「ありがとうねえ、お嬢ちゃん」

 それが、最後の言葉だった。


 ふと、白い紙切れが突き出された。
「これも、お願いしますよ」
 差し出したのは、祖母より少し若いくらいの女の人だった。
「憶えていてね」

 受け取った。

「はい」

 紙切れは、美咲の手に、確かに重かった。


 その日は、父親が帰るまで、祖母も美咲も、いろいろと手伝った。
 流石にもう、美咲を、死者の領域に入れることは、祖母もしなかった。
 でも、最後に美咲は、ちょっとだけそこを見た。
 もう、おもちゃには見えなかった。

 ごめんなさい、と、美咲は頭を下げた。

 ………あたしはねえ、悔しいですよ……………

「……っ」
 悲しかった。
 でも、それ以上に、悔しかった。畜生、畜生と、いくら繰り返しても足りな
いくらいに悔しかった。
 はらわたが捩れる、という言葉を、美咲ははじめて知った気がした。


「……お義母さん」
「はい?」
 どうも途中で、父親が母親に連絡を入れてくれたらしく、母親が公民館に来
ることはなかった。お母さんは急患の人のお世話をしてるらしいから、と、父
親は笑った。
「まいったなあ。あんなことどうして思いついたんです」
「おや」
 疲れていたらしく、ちょっと背中を曲げていた祖母は、驚いたように背を伸
ばした。
「以前、教えてくれたのは俊一さんと祥子じゃないですかね」
「は?」
「……なんてったかねえ、ほら、手の何とか」
「手の……ああ、ヤッドバシェム!」
「ヤッド?」
「ユダヤ人の虐殺記念館だ……そういえば話しましたね」
「そうやって、ああ、きちんと憶えていてあげてるんだったら、私も憶えてい
てあげたいなあ、と思ってね」
「………美咲も、ですか」

 ほんのちょっと、父親の声が尖って聞こえた。
 美咲は首を竦めた。

「……俊一さん」
 それでもやはり、祖母の声は変わらなかった。
「これから、もっとひどい時が来ますよ。もっと辛いことも来る」
 淡々と……祖母は、そう言った。
「そんな時にね、自分一人の為に生きてる人は、弱いですよ」
「………」
「東京に居たか居ないか。それで死ぬか死なないか決まってしまう。自分の人
生ただの運、と思ってしまえば、本当に辛い中で、誰がそれ以上生きますかね」
「…………」
「美咲ちゃん」
「え?」
「美咲ちゃんに、多分ね、さっきの約束がとても重い時も来ますよ」
「……」
 その言葉の意味は、美咲にはよく分らなかった。
「でもね。さっきの女の人は、美咲ちゃんの味方をしてくれますよ」
 
 光るような。
 笑い。

「……うん」

「明後日、荼毘を行う予定です」
「どこで?」
「公民館の隣の空き地で」

 お義母さんのおかげです、と、父親は笑った。
「なんでですかね」
「お義母さんの啖呵を、皆聞いてましたからね」
「嫌ですよ、啖呵って……」
「あれで、皆、納得してくれましたから」

 宗派の違い。
 ここまで来て、死ぬ時もまたまとめて葬られるのかという苦情。
 些細な……で、片付けるわけにもいかない、こと。

「仇討ち、ですか」
「そうですよ」

 祖母は、毅然として見えた。

 
 荼毘の場に、美咲は両親と、祖母と一緒に行った。
 何人もの、近所の人達がそこにはいた。

 火の、音。

 何人もの人が死んでしまったけど。
 みんなみんな、別の人で。
 みんなみんな、生きたかった人で。


 ごう、と、風を孕んで唸る火の音。

 ……憶えます。
 ………憶えています。


 美咲は真っ直ぐに前を見た。

***********************************************

 …………という、話です。

 この、霙の街という話は。時にして己に覚悟を突きつけます。
 今回の話も、そういう面があったりする(苦笑)
 
 美咲、という、当時10歳の子供に、荼毘の風景を見せるのかどうか。
 これに対し、己は「是」とこたえました。
 でも、これは賭けだなあ、と、同時に思いました。
 たくさんの人が亡くなる風景。それを見て、美咲は、虚無観だけを
植え付けられるのではないだろうか。
 ただ運だけに頼り、ただ運だけの生を、自然と思ってしまいやせんか。

 で……書き手がうんうん唸ってたら。
 お祖母さまがさっさと美咲にノートとペン持たせて歩き出されまして(爆)
 #ううだからうちの連中、書き手より突っ走るってーー(滅)

「悔しいじゃないですかね」

 この一言で、この話が書けた気がします。

 ……実は、この前に一つ話があるんだけど、それはなおのこと
書くのに覚悟がいるからなあ……(滅)

 ちうわけで。
 ではまた。
 


    

Goto (kataribe-ml ML) HTML Log homepage