[KATARIBE 15977] [HA06N] :「前略、月待坂から」十日の月

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Date: Sat, 23 Oct 1999 16:55:18 +0900
From: "E.R" <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 15977] [HA06N] :「前略、月待坂から」十日の月 
To: kataribe-ml@trpg.net
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99年10月23日:16時55分13秒
Sub:[HA06N]:「前略、月待坂から」十日の月:
From:E.R


     こんにちは、E.Rです。
 月待坂、続きです。
 またも一日すっ飛ばして、今日は十日の月。

 ………少々、曰く在りの話、でございますが。

************************************
十日の月:蛟

 台風一過のその翌日こそからりと晴れたものの、一日後の夜にはまた、じっ
とりとした熱が大気に溜め込まれてしまっている。
 熱帯夜も久しぶりだな、と、花澄は小さく溜息をついた。無論彼女が望んだ
途端、彼女の周りに関しては、気温、湿度、共に最高の水準で保たれる訳だが。
 熱帯夜。風の国の中でも特に乾いた地域に住んでいる者としては、気分が悪
くなるほどに大気に熱が篭っている。

「………でもさあ」
「ん?」
「そうめんと天ぷらって、確かに夏の風物っぽいけど」
「……けど?」
「作る時は熱いよねえっ」
 衣のついた菜箸を握り締めて、従妹が感情たっぷりに言う。その仕種に花澄
が吹き出した。
「……花澄さんは笑うけど」
「う、ううん、反対するんじゃなくって……」
「でも本当に、熱いんだもん」
 その割に、『揚げるのはあたしの仕事だから』と、油で一杯の鍋の前に陣取っ
て動かないあたりが妙である。その理由が、叔母曰く、『私より結希乃のほう
が揚げるの上手いのよ』になるわけだが……
 持ち上げるのが上手いのね、と、花澄は納得したものである。
「でも、向うの国も、暑くない?」
「夜は、全然……ああ、でも、内陸部の平野だと流石に熱が篭るわね。でも、
今住んでいるところは、夜なんか寒いくらい」
「寒い?」
「石造りの家だもの。夜になると床がひんやり冷えるわ」
「………それなら、いいよねえ」
 額に浮かんだ汗を、近くの椅子の背から取ったタオルで拭いながら、結希乃
はぼやいた。
「でも……まあ、これはこれで日本だから」

 水の国。
 この国特有の大気と……それ故に存続可能な……
 ……ある、不思議。

「………蛟が出そうな夜ね」
「へ?」
 天ぷら油から、いんげんを救出しながら結希乃が小首を傾げる。
「知ってるでしょ?」
 念を押すと、それでも少しの間結希乃は首を傾げていたが、じきにぽん、と
弾むように菜箸を振った。
「ああ、蛟……うんそうだね。今日みたいだったら水蒸気が溜まりそうだし」
 かろく答が返る。
「あ、花澄さん、その紙とって」
「はいはい」

 名前をつけることで一介の「怪異」が妖怪へと変貌するのならば、蛟を生み
出したのは、あるいは鬼海の家の者であるかもしれない。

「結希乃ちゃんも見たことあるんだ」
「うん。以前、沙都子叔母さんに一度、おばあちゃんに一度連れていってもら
って」
「あそこの……あの、山のとこ?」
「そうそう。……あ、そか、花澄さん知らないんじゃないかなあ。あそこ、ま
すます蛟っぽくなってるよ」
「……蛟っぽく?」
「道路の具合が」

 沙都子叔母の書店から程近くに、蛟の出る場所がある。
 小さな……丘から何とか昇格したような、山。その上まで登る道が、ぐるり
と中腹に刻まれており、山頂には小さな神社がある。
 今日のように湿気の多い夜には、その道に霧が立ち込める。立ち込めた霧は
道に沿って凝り、何時の間にかゆっくりと脈動しだす。
 その昔は空を飛んだのだ、と、沙都子叔母は教えてくれた。

 『どうして今は飛べないの?』
 『頭が、無いから』


 夜半。
 寝静まった母屋からそっと抜け出し、庭に出る。一応祖母に許しを得てはい
るものの、結希乃や学に見つかるのは避けたい。
『ああ、やっぱり』
 蛟を見に行きたい。夕食の後こっそり祖母にそう言った時、相手はにこにこ
と笑ってそう応じたものである。
『やっぱりって……』
『だって花澄ちゃん、前から蛟は大好きだったでしょう』
『……好きっていうか……』
『見に行く見に行くって、しょっちゅう沙都子にねだってたでしょう』
 まあ……そうではあるのだが。
『あのね』
 うーん、と思わず腕を組んだ花澄を、祖母はやはりにこにこと笑いながら見
ていたが、ふと口を開いた。
『はい?』
『影魚がね、まだいるからね』
『え?』
『ちゃあんとね、土蔵の壁にいるから。使って見てらっしゃい』
『………って、もしかしてその為に、あの土蔵残ってるの?』
 そうですよ、と、祖母は目を細めて笑った。

 くるくると歩く程度には十分な広さの庭。ぐるりと廻った奥に、土蔵が残っ
ている。
「……あそこ、だよね?」
 さわ、と、風が揺れる。
 十日の月が、くっきりとした木の影を白い壁に映し出している。枝を渡る風
が、さざ波のように影を揺らす。
「あ、巴御寮人」
 さわ、と、返事の代わりのように、細い枝が揺れる。
 昔、祖母と一緒につけたこの木の名前だ。春になると、細かい可憐な白い花
を、一杯に咲かせる木。
「影の魚、借りるね」
 そっと幹に手を置いて、告げる。やはりさわさわと、枝が揺れる。
 土蔵に映る影のゆらぎがふとわずかに乱れ、やがて葉の影が一つ、白い壁の
上に落ちた。
 ほんの一瞬。
 それを中心に、白い壁の上に、幾つもの同心円が広がってゆく。土蔵の白い
水面の上に、ぽつりと浮かんだ影の波紋。
 広がってゆく影の波紋は、じきに巴御寮人の枝の影にぶつかった。影が不思
議な形にいざり、大きくたわむ。
 それが、瞬時に弾けて。
 ぽうん、と。
 全ては一瞬。ほんの瞬きの間に、影の魚が、月に照らされた白壁の上を、ゆ
るゆると泳いでいる。

『でもね花澄ちゃん、行くなら一人ですよ』
『……って、結希乃や学には』
『秘密にね』
 にっこりと、笑った目元はそのままに。けれどもその言葉はどこか厳しかっ
た。
『結希乃や学には、影の魚に乗ることは出来ないからねえ』
『沙都子叔母さんくらい?乗れたのは』
『あの子だって無理でしたよ』
 おや知らなかったのか、と、言いたげな口調。花澄は小首を傾げる。
『でも、叔母ちゃんが、影の魚に乗っけてくれて……それにさっき、結希乃ち
ゃんも蛟見たことがあるって』
『そりゃ、ありますよ。おばあちゃんもね、連れていったもの』
『だって、どうやって?』
『風に乗って、ねえ』
『……でも……あれ?それって危ないんじゃ』
『危ないですよ。でもおばあちゃんもね、影の魚には乗れないもの』
 にこにこと。困惑したような花澄の顔を眺めながら、祖母は致命的な一言を
吐いた。
『花澄ちゃんだけ。あの魚に乗れるのは。……だからあの時、沙都子も乗れた
んですよ』


 ふわり、と、問い掛けるような風に、花澄はふと我に返った。
「……乗って、いい?」
『望むならば』
「お願いします」
 一礼。これは自分の力ではなく、願いを聞き入れてくれる者達のおかげであ
ることを確認するように。
 骨身に染みて、知るように。
『では』
 実体の無い、影の魚。
 白い壁の上に、途端、波が生じる。弾き飛ばすような勢いで波は白壁の上を
走り、そして消えた。
 そして、目の前にはもう、影の魚が悠々と泳いでいた。


  蛟。
  水を制し、風を操るもの。頭を切り落とされた今も、その力の片鱗は残っ
  ている。
  故に、風に乗って近づきすぎると危険なのだ、と、沙都子叔母が教えてく
  れたことがある。
 『ことに、私達鬼海の者はね』
  うっすらと目を細めて、沙都子叔母はそう付け加えたものだった。


 魚は、ぐいぐいと泳いでゆく。
 見えない鱗に触れている手が、影の中に半ば埋もれて消えている。結んでい
た筈の髪が解けて、首のあたりで蟠るのがうっとおしい。
「あとどのくらい?」
『あと、少し』
 さあさあと、ほんの少し粘つくような風が流れる。
「ここの風は重いのね」
『水を一杯に含んでいるからね』
 ふいに目前に拳大の水の球が生じ、浮き上がり、くるりと花澄の目の前をま
わってから弾けた。花澄をからかうように。
 石榴がはじけるに似た動きだった。
「だから……蛟が、いる」
『そうなるね』


  昔、この小山の近くにあった湖に、一匹の蛟がいたという。長い長い刻の
  後、通力を得て、己を置くには小さくなりすぎた池を脱する為に飛んだ、
  という。
  しかし、その通力の大きくなりすぎたが故に、蛟には水と風が付きまとい、
  結果、近隣の村全てが水に没したという。
  とうとうその頭は断ち切られ、蛟は封じられたのだ、という。その当時の
  鬼海の当主、花澄の遠い先祖によって。
  断ち切られた途端、通力は散じ、蛟は水と化したという。その頭部の水を
  集め、竜王の絵を描き、それをもって蛟の抑えと為したのだ、と。
  そう、教わったことがある。


「もう少し上に行ける?」
 問いに似た命令に、影の魚は従順に従った。すう、と柔らかな曲線を描いて
上昇し、前進する。
 小なりとは言え、山一つを取り巻く長さの怪異は、かなり高くから見下ろさ
ない限り全体を見極めることも出来ない。実際、この道を通る人々は、よく霧
の立ち込める道だ、以上の感想を持たないに相違無い。
 しかし、上空から見ると、その霧が律動的に脈打ち、時に小さくのたうって
いるのが良く分かる。丁度山頂、本来頭があるべき部分の霧が完全に晴れてい
ることも。


  悪い、というわけではなかったろう、と、沙都子叔母は苦笑した。
  悪いも何も、そも、悪い、ということさえ知らなかったろう、と。
  ただただ、自由の身になりたかっただけなのだろう、と。
 『でも、それは可哀想だよ』
 『……そう?』
 『だって……だって、可哀想だよ。蛟は自由になりたかったんでしょ?それ
  だけでしょ?人を殺したいとか、村を潰したいとか、思ってなかったんで
  しょ?』
 『それは、そうだけどね』
  皮肉げな、苦笑。
 『……でも、花澄だったらどうする?花澄がさ、自由になりたいって……そ
  う願うことが、もし、他の人の迷惑になるんだったら?』
 『……え』
 『それも、ただ自由になりたい、じゃないよ。本当に一生、ずっとずっと押
  し込められて、身動き取れなくって……でも、自由になろうとすることが、
  誰かをひどい目に合わせるとすれば?』
 『………え………』
  多分、花澄は本当に追いつめられた顔をしていたのだろう。沙都子叔母は、
  今度はもう少し柔らかな笑みを浮かべると、花澄の頭をこん、と叩いた。
 『……ま、その時考えればいいことだけどね』


 視界一杯にとぐろを巻いた蛟。
 今に至るも尚、蛟の記憶は残り、霧の日には実体とも化す。白く煙る体。月
の光の加減か、時折、鱗がぬらりと光るに似て。
 鱗一枚一枚が、その記憶の中に、それでもまだ残っているように。


 『あの蛟もねえ……もしかしたら幸せかもよ』
 『なんでっ?!』
 『だって……』
  沙都子叔母は、ちょっと口をつぐんだ。躊躇うように。
 『……あれは、考えなくていいもの。悩まなくていいもの』
 『悩まなくて?』
  うん、と一つ頷くと、沙都子叔母は一つ頭を振った。長い三つ編みが残像
 のようにその後に続いた。
 『自由になるか、踏み潰してしまうか。悩む必要だけはないものね』


     ……………あれは一体、誰のことだったのか。


 蠕動するように。
 視線の先で、蛟は蠢き続ける。
 自由という意味さえ、恐らくは忘れているのだろうに。

「……ねえ」
 強い糸のように張った風が、ほんの束の間ゆるみ、花澄の頬を撫でる。
「私だったら」
『どうするね?』
「……そこまでして、生きていたくない」
 ざん、と、その時耳元で、風が奇怪な不協和音を刻んだ。

 どちらが幸せなのか。
 封じられ、自由を奪われ……幾百の刻を過ごすことと。
 自由を断ち切られるままに、己の生命も断ち切られることと。
 頭を喪った蛟は、しかしそれでも残った体を水より凝らせ、自由を求めて蠢
き続ける。

 体が無ければ。
 体ごと滅ぼされていれば。
 …………今にいたるまで留め置かれることもなかろうに。


「……もどろ」
 小さく呟く声に、ひう、と影の魚は向きを変えた。
 黒く、実体も定かでない魚の背に、花澄は暫く顔を埋める。
 微かに……土蔵の壁の、土っぽい、乾いた匂いがした。

『…………花澄』
 さわ、と。
 なだめるような風に、顔を上げる。
 その視野に、今度は月待坂が入る。十日の月の元で、月花の小さな蕾が、こ
ぼたれた砂子のようにきらめいていた。

************************************

 てなもんで。
 
 で、これがどこがどう、曰くありかと申しますと。

「蛟」「竜王の絵」…………あたりで、気がつく方もいらっしゃるかもしれませんが、
もともとこの蛟は、狭間14のプレイエピソードのネタとして、考えていたものです。

 竜王の絵……ってのは、これ、たしか、更毬さんと不観樹さんとsfさんが、
オフラインでのセッションに使ってらしたか、と。
 で、その絵の由来を、こちら勝手に使う準備してたんです(爆)

 夜な夜な、自由になりたいと、嘆く蛟を、封じこめる話……と考えたんですが。

 野枝実    :「やだ」
 いー・    :「……なにそれ」
 野枝実    :「封じるのやだ(きっぱし)」

 ちょっとうちの我が侭娘の反乱に遇いまして、少なくとも14の話には
使えねえなあということに(滅)
#少なくとも己からふった話、こちらの分身が協力しないんじゃ……(^^;;

 というわけで、結果として出てきたのがこの話です。
 プレイエピソードとしてではなく、あくまで話として、
 野枝実と、この蛟の話は書いてみたくもあります(苦笑)


 まーそんなとこで。
 さて、明日は、12番目の月です。

 ではでは。




    

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