[KATARIBE 15917] [HA06N] :「前略、月待坂から」

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Date: Tue, 19 Oct 1999 13:06:25 +0900
From: "E.R" <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 15917] [HA06N] :「前略、月待坂から」 
To: kataribe-ml@trpg.net
Message-Id: <199910190406.NAA20814@www.mahoroba.ne.jp>
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99年10月19日:13時06分07秒
Sub:[HA06N]:「前略、月待坂から」:
From:E.R


       こんにちは、E.R@……なんかまだ薬が残ってる(滅) です。

 月待ち坂、新月夜、行きます。
 ちょっと長いかもです。

******************************************
新月夜:月花
-----------

 新月の夜には、出歩かぬが良い。
 ふと、そんな言葉を思い出してしまって、あたしはついつい仏頂面になる。
 それは半分おとぎ話だ。大学生がコンパの話の尽きた頃に、そういえば、な
ぞと言って話し出すような、そんな話だ。

 だと、思ってもらわねば困る話、でもあるのだけれども。

 かこん、と、足下の石を蹴飛ばした。石はすうと暗がりの中に消えた。

 
 ここの地名を、月待坂という。
 おそらく地図には載っていないだろう。地図に載るほど広い区域でもない。
 それでも月待坂は、この近辺では少々特殊な場所と言われている。
 新月の夜には、月待坂には来ぬが良い。
 他愛の無い、語呂合わせのようなものである。

 商店街の中の、小さな駅。雑踏の中、きょろきょろしていると、不意に声を
かけられた。
「すみません、鬼海さんですか?」
 はあ、と言って振り返った。途端、ほわんと季節はずれの春の風が鼻孔を駆
け抜けたような気がした。
 黒目がちの目が、まず印象的だった。まっすぐな黒い長い髪を真中で分けて、
そのまま後ろで一つに束ねている。当世、珍しいほどの「日本美人」型のその
人は、少し困ったように、あの、と言いかけて口篭った。
「はい、鬼海です。……平塚さん、ですよね?」
「はあ、平塚花澄と申します」
 おっとりとした笑みを浮かべて、その人はそう言った。

 迎えに行く人は平塚花澄、平塚の叔母さんの娘で英一お兄ちゃんの妹、今は
中近東の或る国で物理を学んでいる……と。
 まあ、人は大概、与えられた情報からその人を想像するものである。が、こ
の場合情報のどれも、目の前の人とはずれているあたりが可笑しい。
 平塚の叔母さんの娘……確かに叔母さんとどこか似ているけれども、叔母さ
んの印象はもっとぱきぱきしたもので、どちらかと言えば夏を思わせる。この
人のように「見ているだけで春爛漫」のような印象は無い。
 英一お兄ちゃんの妹……まあ、雰囲気は多少似ている。どこか浮世離れして
……こう言っちゃ悪いけど、ぼーーっとしているところが、どこかしらにある。
けれど、顔立ちはあんまり似てない。
 中近東某国で物理を学んでいる、に至っては、見事に印象とずれる。偏見か
もしれないけどいわゆる理系の顔をしていない。それに、顔立ち以上に何だか
周りの空気ごと「如何にも日本」みたいな感じがするのだ。
………と、考えていた時間は長くはない。
「あの、えと、荷物は」
「あ、これです」
 平塚さんが示したのは、少々大きめのバックが一つと、紙袋。それを自転車
の荷台にくくりつけて。
「すみません、ここから少し歩くんですけど」
「あ、はい」
 にこにこと、ごく人のいい笑みを浮かべて、平塚さんは返事をする。
 微かに、春の匂いがした。


 新月の夜には、月待坂には来ぬが良い。
 今日は、その新月だったりする。


「あの、御名前は何と……」
 商店街の混雑を抜け、踏切を一つ渡って、どんどんと坂を上ってゆく。暗が
りの中、段々と通る人も少なくなってゆく途中で、不意に平塚さんがそう呟い
た。
「はい?」
「お名前はなんと仰っしゃるんですか?」
 ……うわあ、敬語。
「あ、鬼海結希乃って言います」
「ゆきのさん?」
 自転車を押しながら、片手で漢字を空に書くと、彼女はこくりと頷いた。
「いい名前ですね」
 ……と、親は主張するけど。
「なあんか、御大層な気がするんですよね。半端に古風だし」
「そうかなあ」
「花澄さんのほうが余程洒落てるでしょ」
「人にはよく、『霞か雲か』ってからかわれるんですけど」
 黒目がちの大きな目が、笑いを含んでこちらを見ている。一瞬はあ、と頷き
かけて、あたしは慌ててそんなことないです、と言った。
「でも本当ですよ。いつもぼーっとして反応が遅いから、名は体を表わすって」
 なんというか……良くも悪くも、フォローのしようが無い。

 平塚花澄さん。
 彼女は、あたしの母方の従姉にあたる。母の姉の子供。
 それで初対面に近い……少なくともこちら、顔を憶えてない……というのも
妙なものだが、何故か平塚家とうちとはあまり付き合いが無い。あたしが生ま
れる前にはそれでも案外行き来があったらしいが、丁度あたしが産まれた頃に
平塚家が引っ越して、それ以来あまりこちらに来る機会が無かったらしい。
『まあ、色々あるってこと。大人の都合とかいう奴がね』
 そう言って、鼻で笑っていたのが沙都子叔母だった。

「相変わらず真暗なんですね」
 呟くように、平塚さんが言う。
「変、ですか?」
「いえ、変じゃないですけど……でも意外ですね。ほんの少し車道から逸れた
だけで」
「そーですね」
「日本って、不夜城の印象があるから、余計そう思うのかもしれないですけど」
「…って、向うの国だと、暗いんですか?」
「結構真暗ですよ。時々バスに乗りはぐれると、寮までの道を延々歩くことに
なるんですけど、灯りもそうそう無いし」
「…危なくないですか?」
「ここで言われているほどには」
 ふわん、とした口調だった。

 この、記憶にある限り一度も会った事の無い従姉を初めて見たのは、実は数
日前のことである。
 沙都子叔母が、亡くなったのだ。
 鬼海沙都子。母のすぐ上の姉で、死ぬまで独身だった叔母。風変わりで知ら
れるうちの親族の中でも断突で風変わりだった叔母と、平塚家の子供達は親し
かったらしい。その縁でか、英一兄さんは沙都子叔母の営んでいる書店、瑞鶴
に勤め、二年ほど前に沙都子叔母の後を継ぐことを表明した。
 そして、沙都子叔母は今年も春を過ぎてから、突然のように病んで、そのま
ますっと亡くなった。そのお葬式に丁度一時帰国していたという花澄さんも出
席していたのだ。
 長い真っ黒な髪が喪服の黒に溶け込んでいた。白い顔はそのせいか青白く見
えた。始終俯いて、けれども大きく目を見開いていた表情が忘れられない。

「っと」
 小さく呟く声に横を見ると、どうやら平塚さんは足下の石につまづいたらし
い。気が付いてあたしは自転車の灯りをつけた。ぐん、と重い手応えが返って
くる。
「あ、すみません」
「いえ」
 言葉が、互いに短い。
「平塚さんは」
「花澄、でいいですよ」
「花澄さんは、沙都子叔母さんとは…親しかったんですか?」
「ええ」
 さらさらと、答えは静かな川を思わせた。
 音無川は、水が深い。
 ふと、そんな言葉を思い出す。そして、その言葉を教えてくれたのが沙都子
叔母だったことも。
 ぷつん、と、そしてまた言葉が途切れた。


「……今日は、新月でしたよね」
 一つ目の坂を登り切るあたりで、ふと、花澄さんが呟いた。暫くの沈黙の後
だったから、何と言うことの無い筈の言葉が奇妙に重く響いた。
「ええ」
 頷いてから、あたしはふと視線を上げた。そう、もたもたしていたらこの人
は……
「あ、すこし急いでいいですか?この辺、夜になると多少物騒だから」
「月花が飛ぶ夜には特に」
「え?」

 思わず、足が止まった。花澄さんのほうをまじまじと見る。見てしまう。
 視線の先の花澄さんは、少し困ったような顔でこちらを見ている。

「……あのっ」
「あ、知ってますから」
 困ったような笑みを浮かべて、花澄さんはそう言い、ふと小首を傾げた。
「………というか、昔と変わらないならば知ってる、ということですけど」
「あ……………」

 そう、この人も鬼海の家の人だ。
 そして……そしてようやっと、あたしは気が付く。花澄さんを取り巻く風の
匂いに。
 明らかに季節はずれの、春の匂いに。
「花澄さんも、風見、なんですか」
 返事の代わりに花澄さんは、ほんのりと笑った。


 鬼海の家、という姓をもつ家系に三種ある、と、聞いたことがある。
 一つは、これはもう純粋に人の家。四民平等の頃なのか、それとももっと昔
に溯るのかは不明だが、とにかく何らかの拍子で鬼海の姓を持つようになった
家。それ自体に深い意味が……まああるのかもしれないけど……後二つに比べ
れば、無い、と言い切っていい家。
 第二は、ことさらに鬼海の姓を選択した家である。
 鬼海は、おにうみ……鬼産み。
 鬼海の家は鬼を産む。
 まあ……何というか、知る人ぞ知る、の、「知る人々」の中では、俗にそう
言われているらしい。鬼の力を持つ者の家、と。

 その昔、鬼がいたという。
 頭に角が一本から三本生えている他は、いわゆる人間と変わりが無い。が、
力は人間の五倍から八倍。治癒能力は人の五、六倍。しかし他人を癒す力は基
本として持っていない。表層思考については読み取り可。
 今ざっと思いつくところを並べると、こんなものか。勿論歩かにも見落しが
あると思うけど。 実は、第二の鬼海の家、というのはこの鬼の血筋を引いて
いるらしい。鬼と人間との混血。何故か彼らは先に挙げた鬼の力のうち一つだ
けを突出して持ち、後の力は持たないという。それでもとにかく、本家の鬼に
対抗するほどの力をもつ血筋、として、未だに色濃くその特徴を残している、
と、いうのだ。

 で、三番目、というのが、つまりうちなんだけど。
 あたしは詳しくは知らないけど、うちの場合、第二の鬼海家に便乗してこの
姓を名乗った気がして仕方が無い。何といっても能力の種類が鬼とは全く異な
る。いや、そもそもその鬼と対抗するための力であった、と言われる。
 その力を、風見という。
 風見と言われる家系は、他にも幾つかあるらしい。地守、風祭、地祇衣、等
々。ただ、どこの家にも共通しているのは、数人に一人、風、もしくは四大元
素たる存在達のひいきの引きだおしの対象となるべき存在が生まれる、という
ことか。
 そして、その鬼海の一族が住むのが、この月待坂で。
 鬼海の家、先代が、うちの祖母。その子供の三人のうち、長女が花澄さんの
お母さん。であるならば、この人が鬼海の家について知らぬ筈も無いだろうに。
「今でも月花は咲いていますか?」
「相変わらず、護りの代わりに」
 そう、と、花澄さんは嬉しそうに笑った。


 新月の夜には、月待坂には来ぬが良い。


 月花。月と共に芽吹き、咲き、実る花。新月の今日はその実が茎から離れて
浮遊する。その時この実は光を宿す。空から隠れた月の色に似た、ほんのりと
黄色を混ぜた明るい灰色の。  実は、触れるもの全てに留まり、強引に根を
張ろうとする。それが大地であれ、それが人であれ。そしてそれが人……生き
物である場合、月花は、相手に喰らうものが無くなるまで離れようとはしない。
もっとぶっちゃけて言えば、月花に一度取りつかれたら、骨になるまで離れな
い、ということになる。
 故に。
 何らかの加護の無い限り、この地に新月の夜には立ち入らぬが良い、と。
 これは、昔からの鬼海家の知恵。今以上に迷信深く、理で割り切れぬことを
排斥していた時代に、出来るだけ周囲と摩擦を減らすべく育てられた花。言わ
ば、神隠しを行うための花。
 と、まあ祖母なんかは説明するんだけど、どうもこう、あたしの感覚からす
ると、煙も火も無いところにわざわざ練炭持ってきて火を熾してる気がする。
少なくとも今の時代、この坂で月花にとっつかれた人間が転がってたら、それ
はそれで厄介だ。
 でもやはり、月花はこの月待坂に育ちつづけ、噂は何時の間にか伝説のよう
になり……で、結果として新月の夜には、ここには人が立ち入らない。

「……なあんだ」
「はい?」
「てっきり私、花澄さん、月花のこと知らないから出迎えに行くように言われ
たのか、って思ってました」
「忘れてる、と思われたのかな」
 くすくす、と、笑い混じりの答えが返る。
「だって、他に理由がないですから」
「…まあ、ある意味で危ないんですけど」
 苦笑。どこかしら沙都子叔母に似た。
「私、とんでもない方向音痴なんです。だから」
「風に聞けば仕舞いでしょ?」
「……聞くの、余り好きではないから」
「ったって、迷うよりいいでしょうに」
「迷うほうが気楽ですよ」
 さらっと、何でもなげに言ってから、花澄さんはひょいと肩を竦めた。
「傲慢、かな?」
 …返事のしようがない。
 
 風見。
 一見、その人自体が何か力を持っているように見えるらしいけれども、実は
それはあくまで借り物で、ただ単にお願いを聞いてもらっているだけだ、と。
 少なくともあたしは知っている。そして多分花澄さんも知っている。
 四大元素の好意にのみ依る、能力。
 鬼海の家の風見達が、一番最初に教わるのがそのことだ。これは失って当然
の力であること、その時に誰も恨む筋合いではないということ。
 実際そういうことはあり得るし、今までにもあったのだ。風見同士が対立し、
どちらが正しいとも言い切れない時に、その二人が風見の力を失ってしまう、
ということが。
 それはお前の力ではない、と。
 その危うさを知って…なお、その力に頼る自分が確実にいる。
 そして……頼る己を嫌悪する自分も。

 二つ目の坂の両側に、光が舞っていた。
「……懐かしいなあ」
 夢幻の舞い。そう言ってしまってまあ嘘はないんだろうけど…でもこれはと
てつもなく物騒な光景でもある。
「じゃ、見たことがあるんですね?」
「小さい頃に何度か」
 ふわふわと、漂う光は花澄さんの傍近くまで流れてはゆく。けれども肌に触
れる寸前でついと弾かれ、引き返してしまう。薄暗い中で、それは、大きな蛍
に似て見えた。
「月花、好きなんですね」
 ほろほろと、何だか零れるように花澄さんは笑っている。その表情につられ
てそう聞いてみたら。
「沙都子叔母は、これが大好きだったから」
 ぽつん、と。
 返ってきた呟きのどこだかに、鋭い悼みが混じっていた。
 思わず見返した視線の先で、やっぱり花澄さんはほろほろと笑っていた。

「私ね、沙都子叔母に呼ばれたらしいんですよ」
 未練がましくふよふよ漂ってくる月花をそっと押しやってから、花澄さんは
そう言った。
「沙都子叔母さんに?」
「何か渡したいものがあるって……聞いたのはお祖母ちゃんからですけど」
 最後に会ったときには、そんなこと一言も言ってなかったのにね、と、花澄
さんは笑った。
「じゃ、その何かを受け取りに?」
「まあ、お祖父ちゃんの御墓参りも兼ねて」
 去年。この人が留学している最中に祖父は亡くなった。大切な試験の真っ最
中、帰る必要はない、と、祖母がわざわざ電話したという。
「思いっきり不孝者の孫だから、せめてこういう時に償わないと」
「えー、でも仕方ないですよ」
 ふと、思う。
 偶然、この人がこの時帰国していたというのは、もしかしたら偶然ではなか
ったんじゃないか、と。この人を呼ぶ沙都子叔母さんに、風達が助太刀したん
じゃないか、と。
 そう、聞いてみたかったけど、止めた。多分返ってくるのは、やっぱりほろ
ほろと静かな笑いだけのような気がして。


「たーだいまっ」
「あ、お帰り…いらっしゃい、花澄ちゃん」
「お久しぶりです」
 ぺこり、と頭を下げてから、花澄さんは少し首を傾げて、母とその後ろの弟
を見た。
「学君、ですよね?」
「そう。あら、花澄ちゃん初めて?」
「はい。電話で声を聞いたことはありますけど」
 あたしが会った記憶がないくらいだ。5歳年下の弟には、尚更会った事がな
いだろう。
「じゃ……はじめまして、学君。平塚花澄といいます」
「……はじめましてっ」
 ははっ。学ってば照れてる。
「とりあえず、まず上がって上がって。ご飯の用意してあるのよ……和食がい
いでしょ?」
「わあ、それが一番嬉しいです」
 本当に嬉しそうに、言う。そーかあ、この人そういえばずっと外国にいたん
だっけ。
「お祖母ちゃんも首を長くして待ってるのよ。はい、どうぞどうぞ」
「はい」
 お邪魔します、と、一礼してから花澄さんは靴を脱ぐ。
 仕種と同時に、ふわりと涼しい風が吹いた。


「ああ結希乃、その抹茶ゼリー、あとでお祖母ちゃんとこに持ってって」
 夕御飯の間中花澄さんと母は、十六年の間に出来た居心地の悪さを十六年の
出来事を話すことで埋めようとでもしているように、次々と色々なことを話し
ていた。学校のこと、留学のこと、祖父のお葬式、その他諸々。そしてひとし
きり話した後、花澄さんは祖母に呼ばれて行ってしまった。
「えー、今入りにくいよ」
「だーから、後で、って」
 枕をカバーの中に押し込みながら、母が言う。
「ねえ母さん、花澄さんっていつまでここにいるの?」
「さあ?」
「長いと、いいな」
 ふわ、と笑う表情。人が良いようで、でも決して人に頼っていない、そんな
表情。どこかしら沙都子叔母に似た。
 ふうん、と溜息に似た返事と一緒に、母は枕をぽんぽんと叩く。
「あの人、風見でしょ?」
「……そうですよ」
「月花が逃げてた」
「そりゃそうよ」
「強いの?」
「強い?……強いっていうかどうかは知らないけどねえ」
 ってことは強いんだろうな、と、それくらいはあたしでも見当がつく。
「満月まで、いたらいいのにな」
 母は苦笑して、何も言わなかった。

       *************

「ほら、これ」
 祖母が手渡した細長い封筒を、花澄は黙って受け取った。
 青白い、少し毛羽立ったような手触りの封筒には見覚えがある。二三度、同
じ封筒に入った手紙を、異国で受け取ったことがあるから。
「最後に会ったときには一杯話したい事があるし、これを渡すの忘れそうだか
ら、ってね」
 さほどの重みがあるわけでもない封筒は、しかし手に重かった。
「ゆっくりしていけるの?」
「うん。丁度夏休みに帰ってきてることになるし、帰りの切符はまだ時間が自
由になるし」
「長々引き留めると、でも、お父さんが寂しがるねえ」
「……どうかなあ」
 苦笑すると、祖母もやはり苦笑で返した。


『前略、平塚花澄様
 この手紙を貴方が受け取った頃には、もう私のお葬式も済んでいるんじゃな
いかと思います。……って、なんか変だね。そう書いている私はまだ何とか生
きているってのに』
 寝具のすっかり整えられた客間に引き篭もって手紙を開く。見慣れた文字、
そして聞き慣れた口調をそのまま写し取る文。
『風にうんと我侭を言ったから、多分あんたには会えると思います。でも、多
分その頃には落ち着いて話すどころじゃなくなってると思う。
 だから、こうやって文にします。
 花澄に、どうしても渡したいものがあります。それを探して欲しいの。期限
は貴方がここに来てから初めての満月の夜まで。場所は、この家の中。
 本当は、そこまで謎めかすほどのことでもないのよ。ただ、これは私の最後
のお遊び。そのくらいに思ってくれたら嬉しいです』
 ふいと、脳裏に顔が浮かぶ。
 どこかしら、威勢のいい顔立ち。ぴんとすんだ印象のある声。肩を竦める仕
種がよく似合った。
 ぱたぱたと、膝の上に涙が散った。
 手紙を濡らさぬよう、花澄はそっと手を動かす。
『まあ、たまの日本、うんと堪能してください。それと、結希乃と学を宜しく。
結希乃は鬼海の家を継ぎます』
 ……はい、鬼海です。平塚さんですよね?
 どこか沙都子叔母の若い頃に似た風貌。はっきりとした顔立ち。風と折り合
うだけの意志と気性。
 花澄はうっすらと微笑んだ。
『貴方達が鬼海を名乗っていれば普通であった筈の世界に、二人ともいます。
それがいいのか悪いのか、貴方達にもそうであって欲しかったのかどうか、そ
れは私にもわかりません。でも、この際、そういう世界を知っておくことは悪
いことじゃないと思うの。そして……この世界に戻ってくることも。
 貴方の判断に、私はこれ以上は関わることが出来ないです。だから、と言う
のも変だけど。 判断材料として、ここで過ごす数日は、それなりに役に立つ
と思います』
 ふいに、また手紙の文字がぼやけた。

 母は、鬼海の家の一員だったが、鬼海の力とは無縁だった。故に、鬼海の家
を捨てることも許された。
 皮肉なことに、その子供は二人が二人とも鬼海の家に相応しい力を備えてい
た。
 血筋の持つ庇護はなく、しかし血筋の力をもつ兄妹。それを一番案じ、何く
れとなく心を配っていてくれたのが、この叔母だった。
 ……おそらくは、最後の最後まで。

『ああ、色々書きたいことはあるんだけど、流石に体力がないので止めます。
ただ、最後に。

 私は私の道をずかずかと歩いてきました。
 貴方も貴方の道を行けますよう……
 私は、そのことを願ってます』

 しゃくりあげる声が、一筋流れた。
 声はそのまますうと暗がりに溶け込んだ。


 今日は新月夜。

*******************************

 ということです。
 明日は……糸月、かな?

 ではでは。




    

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